Part 1
アフリカ的段階について 
             ―史観の拡張

  試行社 平成10/1/20 発行 <私家版>



項目ID 項目 論名
ヘーゲルの歴史 アフリカ的段階について T
内側の描写 アフリカ的段階について U
初期神話の自然認識 アフリカ的段階について U
歴史という概念 アフリカ的段階について U












項目ID 項目 よみがな 論名
ヘーゲルの歴史 へーげるのれきし アフリカ的段階について T
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ヘーゲルの歴史 段階という概念 歴史という概念
項目抜粋
1
@ ヘーゲルは歴史についてはじめて世界的な規模の哲学をつくりあげてみせた。十九世紀の後半のころだ。歴史は誰にも納得できるようにいえば、もともとある現在の瞬間に世界中のすべての人間が、何をかんがえ、どんな行為をしているか、その総和を意味している。すると歴史の貌は個人の肖像写真に似てくる。ある瞬間とつぎの瞬間とでは歴史の貌はさしたる変化はない。またつぎの瞬間をとってもそうだ。だが一年前と一年後、十年前と十年後、百年前と百年後というように、時を経て比べてみると、その貌ははっきり判るように変っている。するといちばん判りやすいのは、ある瞬間、ある時代の歴史の貌を基準にとって、その前と後でどうちがっているかを推論してみせることだ。ヘーゲルは同時代(十九世紀の後半)の西欧社会をいちばん発達した場所として基準において、世界史を区分けした。それが歴史の哲学の基本だった。かれの区分けには捨てがたい魅力があった。どうしてかといえば、居ながらのどんな人間にも世界の歴史はこうみえるはずだという方法をはっきりしめしたからだ。まず西欧の同時代からみて活性ある場所だとおもえない世界を、旧世界として世界史の枠外においている。アフリカ的な世界がそうだ。新世界はヨーロッパとそれに接したアジアの世界で、旧世界はこの新世界に接して活性化した部分が滲透しているかぎりで、世界史的な視野に登録されることになる。
 ヘーゲルのこの世界史の哲学は、十九世紀の二〇年代三〇年代にかけて大学で講義された。二十世紀の末期にあたる現在のわたしたちの眼には、ヘーゲルが世界史の枠外においたアフリカ的な世界は、プレ・アジア的な特徴をもちながら世界史の視野にあらわれてきたとおもえる。
ここで試みてみたいのは、プレ・アジア的な世界としてのアフリカを、時間と空間を同時に共有する段階という概念にまで煮つめると、どんな特性が与えられるか、またそれがどれだけ普遍性をもちうるかということだ。
          (P7−P8)


項目抜粋
2
A ヘーゲルのアフリカにたいする認識はこうやって個条に要約してぬきだしていると、だんだん憂鬱になってくる。ヘーゲル自身は「わたしたちにとって興味のある唯一の教訓は、自然状態(注=アフリカのような)というものが絶対の徹底した不法の状態である、という理念の正しさです。」(『歴史哲学講義』上)と述べている。これは西欧の近代主義が、住民の意思の共同性を法にまでまとめることができるようになったところでみているのだ。ヘーゲルのアフリカ理解はうわべだけで内面の理解を欠いている。これは見当がはずれていることとはまったくちがう。だが事態にたいして洞察力の適確さが外側からのものだといえる部分だけ、そのアフリカ理解は切実さを欠いて、いまでは流通できないものだ。このヘーゲルのアフリカ理解から肝要なこと(アジア的世界の考察につながるプレ・アジア的なもの)を、かんがえられる範囲で整理しなおしてみたい。さしあたりヘーゲルのアフリカ理解に沿うように箇条書きにしてみる。

 (1) ブラック・アフリカ原住の人々(黒人)は、自然にまみれて生活していて、宗教といえるものを、まだ(ヘーゲルの時代には)もっていない。また法律といえるものももたなかった。善悪について基準などなしに生活していた。じぶんたちの意識そのものと、環境の自然、その他の客観物とは、区別なしに融合していた。

 (2) 宗教はヘーゲルのように神学的にかんがえようと、フォイエルバッハやマルクスのように人間の自己意識が生みだした至上物の像とかんがえようと、人間よりも能力のある優れた超越的な存在を認めるところから生まれる。アフリカ原住の人々は、人間のもっている魔的な能力が、自然のさまざまな現象を変えられるとおもっていた。そんな超能力をもつものを呪術師の階級とかんがえた。かれらが自然に命令し、懇願し、祈ると、雨を降らしたり、洪水をとめたり、雷鳴をとどろかせたり、病気をなおしたりできる魔術的な力が働くと信じられた。

 (3) 眼に触れる動物も植物も、山や川や岩や大地のような無生物もみな神とみなした。

 (4) 王権と絶対の奴隷制度とは一枚の紙の裏表になっていた。土地、女性、所有物、財貨などすべて最終的には王の所有とみなされた。また奴隷は王に所属し、生殺、労働、生活、生存は王の意志に左右された。奴隷が教育、文化、財産をもちうるという観念はなかった。ただの筋肉をもった身体だとみなされた。

 (5) 王は絶対の権力、絶対の所有権をもっていたが、疫病のような凶事が襲ったり、失政をまねいたり、天変地異などが永く続いたりすると、王の無能や不手際とみなされ、罷免されたり、殺害されたり、障害の生けにえにされた。この意味では王は裏返された絶対奴隷だともいえた。

 ヘーゲルの言い方に則していえばこういう習俗と分別しかない社会は、奴隷の売買のほか文明社会との接点がなかったことになる。
 わたしたちはここまでヘーゲルのいう旧世界、いいかえればアフリカについての記述を要約してきて、アフリカ的(プレ・アジア的)段階という概念を特定できる気がしてくる。その概念は、
ヘーゲルの旧世界理解のあまりの外在的な有り様を、まったく裏返しに転倒することでつくられるといっていい。本来的にいえばこのアフリカ的(プレ・アジア的)な段階の原型のうえに、アジア的、近代的(プレ・現代的)という展開の多様さが未知の未来に向かってあるだけだというべきだ。
 マルクスのアジア的という概念は、未開、原始と古典古代をつなぐ仲介として折衷的に挿入されている。だが普遍的な概念としてではなく、西欧近代からみた除外の概念としてであった(『資本主義的生産に先行する諸形態』 国民文庫)。いつも特殊的な空間(地域)の概念がつきまとっていて、普遍的な概念としては成り立たない危惧を、どこかに感じさせてきた。
アジア的という概念が成立するためには、プレ・アジア的(アフリカ的)原型という概念と一体でなくてはならないようにおもえる。そして段階という概念が成り立つためには、連続性と断続性とが二つとも設定できなくてはならない。(表参照)

 アフリカ的(プレ・アジア的

   総体的専制
 (1) 土地、財産、奴隷(臣下)、生産物などの全所有がひとりの専制的な王に属する。

 (2) これは裏からは王の全所有の崩壊がすべて他動的に起こりうることを意味する。いいかえれば王自身の意志なしに王は、奴隷(臣下)にころされたり、収奪され権力を解体されたりすることがありうる。

 (3) 住民は全自然(動物、植物、無機物)の意識がじぶんの意識とよく区別されないため、倫理の意識をもたずに自然にまみれて生存している。いいかえると自然物はみな擬人としての神であるし、自己意識はどんな自然物にもあるし、また移入できるとみなされる。自然にたいしてヒトは魔術をかけることができる。


 アジア的

   アジア的専制
 (1) 専制君主共同体にたいして人民は物神を貢納したり、生産物の貢納や賦役、軍役の強制に従うことで土地を使用する代償とする。

 (2) 専制共同体は、食糧生産のための灌漑、河川の整備、軍事的な保護都市の構築を請け負う。

 (3) 全自然(動物、植物、無機物)は習俗として宗教的な尊崇の対象となる。


 

 言うに及ばずヘーゲルのブラック・アメリカについての理解は、宗教、習俗、掟て、政治制度(王権の性格)などの側からなされている。原住民の精神について触れていても、この共同幻想にかかわるかぎりでだといえよう。
すこしも全般にわたっていないが、こういう対比を煮つめてゆくと、それぞれの形と色合の制度的な差で段階という概念を定義することはできる。プレ・アジア的段階としてのアフリカをアジア的段階の制度的な特徴と区別し、また接続することができるからだ。プレ・アジア的段階としてのアフリカとアジア的段階とのいちばん根本的なちがいは、王権の専制という概念がアフリカ的な段階では両義的で、王の絶対的専制は、裏面からは住民(全臣下)の総体的な専制に転化されることだ。アジア的専制は住民の貢納とひき換えに灌漑水利や軍事的な保護が王権の役割になってついてくる。アフリカ的な王権の絶対専制にある両義性が分離されて、制度、生産物の占有と、霊威(権威)の専制とに分れて次第に固定していった。これを制度の根本的なちがいとしてアフリカ的とアジア的とは異った境界をもちながら接続されていると解することができる。

 (1) プレ・アジア的段階としてのアフリカと、アジア的段階とは王権としていえば絶対専制と相対専制のちがいだ。アフリカ的な絶対専制のイメージは王(の一族)と隷属的な臣下しか存在しない状態として描くことができる。王は臣下の土地、収穫物、財産の所有権、女性、人命の生殺権のすべてを掌握している。この絶対的な専制は、王が不都合な障害を臣下の社会に与えたときには、臣下によって有無をいわせず罷免されたり、殺害されたりして、徹底した王権交替が行われる。いいかえればアフリカ的段階の王権の絶対専制は、全臣下による逆の絶対専制をも含んでいる。また絶対王権の経済的な基礎は原始的な贈与制に接しているとみなされる。王は呪的な利益、制度に必要な整備、鉄器、土器その他道具の製造など普及させるかわりに、臣下から生産物、収穫物、労働などを自在に召し上げることができる。

 (2) アフリカ的な段階では宗教はまだ自然にたいする呪術的な働きかけであるとともに、自然物の節片を神格とみなすほど深い自然との交換や交霊にあたっている。動物も植物も土地も交霊が成り立つ関係にはいると、みな人語とおなじに言葉を発し、人(ヒト)に語りかけたり、人(ヒト)の言葉に感応したりできる。


B 
わたしたちがヘーゲルのアフリカ的な世界への理解といちばん離れてしまう点は、原住民が人間としての豊かな感情や情念をもたず、宗教心も倫理もまったくしめさない動物状態の野蛮とみなしているところだ。ヘーゲルは野蛮や未開を残虐や残酷とむすびつけ、生命の重さや人間性を軽んじている状態にあると解釈している。だが現在のわたしたちは西欧近代と深く異質の仕方で自然物や人間を滲みとおるように理解し、自然もまた言葉を発する生き生きした存在として扱っている豊かな世界だとおもっている。文明の世界が残虐で野蛮だとみなしているものは、独特の視点から万有を尊重している仕方だと解することもできる。
 
ヘーゲルはいわば絶対的な近代主義といえるところから、世界史を人類の文明の発展と進化の過程とみなした。そこからは野蛮、未開、原始のアフリカ的なものは、まだ迷妄から醒めない状態としかかんがえられるはずがない。たしかに自然史(自然をも対象とする歴史)としては妥当な視方だという考えも成り立つ。だが人間の内在史(精神関係の歴史)からみれば、近代は外在的な文明の形と大きさに圧倒され、精神のすがた形はぼろぼろになって、穴ぼこがいたるところにあけられた時期とみることもできる。外在的な文明に侵されて追いつめられ、わずかに文化(芸術や文学)の領域だけを保ってきた。そして文明史はこの内在的な文化(芸術、文学)の部分を分離して削りおとすために、理性を理念にまで拡げる過程だったとみなすこともできる。
 精神の内在的な世界は複雑さと変形を増したが、輪郭を失って文明の外観からは隠れて見えなくなる過程過程だったといってもいい。現在が、ヘーゲルの同時代の精神よりも、認識力を進化させたとは到底いえないとしても、内攻して深化してゆく認識を加えたとはいえよう。
 ヘーゲルの同時代絶対の近代主義が成立した稀な時期といってよかった。時代が歴史を野蛮、未開、原始と段階をすすめるものとみなしたのは、内在の精神史を分離し捨象しえたためはじめて成り立った概念だった。
現在のわたしたちならヘーゲルが旧世界として文明史的に無視した世界は、内在の精神史からは人類の原型にゆきつく特性を象徴していると、かんがえることができる。そこでは天然は自生物【ママ】の音響によって語り、植物や動物も言葉をもっていて、人語に響いてくる。そういう認知は迷信や錯覚ではない仕方で、人間が天然や自然の本性のところまで下りてくことができる深層をしめしている。わたしたちは現在それを理解できるようになった。これはアフリカ的(プレ・アジア的)な段階をうしろから支えている背景の認識にあたっている。
 わたしたちは現在、内在の精神世界として人類の母型を、どこまで深層へ掘りさげられるかを問われている。それが世界史の未来を考察するのと同じ方法でありうるとき、はじめて
歴史という概念が現在でも哲学として成り立ちうるといえる。
          (P12−P21)


備考





項目ID 項目 よみがな 論名
内側の描写 うちがわのびょうしゃ アフリカ的段階について U
検索キー2 検索キー3 検索キー4
項目抜粋
1
@ 作品のなかでリトル・トリーの祖母が語る父親の実像は、けっして論理的ではない。ヘーゲルの絶対的な近代主義の視方からは迷蒙として封印されてしまう。だがほんとうは迷蒙になりそうなすれすれのところで、内面の理路を与えている。樹木や生きものと言葉を交わし、情念を交換できているチェロキー族の生活感の深さを、深さとして評価できれば、アフリカ的段階の感性にはおおきな根拠が与えられ、近代主義の皮層な人間理解をくつがえすことができる。
 この自然、植物、生きものにたいする情感の例を、おなじようにフォレスト・カーターの『ジェロニモ』、ナンシー・ウッドの『今日は死ぬのにもってこいの日』などから、もうすこし挙げてみる。ここにある感覚的な反応には超越的な意味が加えられていて、いわば
アフリカ的段階の内在的な知覚の例になっている。


   今、葉の茂ったサバクエノキの下に腰を降ろし、小鳥が黄色い木の実をいつばむのを見ながら、彼は意識や思考の緊張を解いた。それ  から目を閉じて視覚と聴覚を遮断した。
   ここでは、草や木たちが一つの共同社会をきずいている。百万年の昔、植物たちは南方から出発し、北上するにつれて環境への適応を  深めてきた。水分を求めて根を伸ばし、蒸散をより少なくするために葉の茂りを抑制し、生きのびるために知覚力を高めてきた。
   植物たちは母なる山と熱く乾燥した平原の中間地帯であるこの一帯を選んで、きわどい均衡を保って生きつづけてきた。生き残るため   に、危険に対する知覚力は研ぎすまされており、けっして鈍感ではない。
   ジェロニモが低い声で歌いはじめた。その声音はまわりの草や木たちの生命のリズムに調和している。穏やかで美しく、途切れたりぶっ   きらぼうになることなく、ゆるやかに高まり、また低まる。しだいに植物たちの生のリズムが強くなってきた。クレオソート・ブッシュの葉むら   から絡みつくような香りが彼の鼻孔に届く。ブッロの茂みは彼の歌に合わせて枝を揺らす。だが、やがて彼らの生のリズムが徐々に張りつ  めてくるのをジェロニモは感じた。もしも危険が遠のきつつあるのなら、そのリズムはもっと間のびし、ゆるやかなものになるはずだ。今、か  すかではあるが植物たちのリズムの流れの中に興奮による途切れが混ざりはじめているのをジェロニモは感じた。追っ手の兵がやって来  るのを彼は知った。   ( フォレスト・カーター 『ジェロニモ』 )


 この描写では植物が人(ヒト)とおなじレベルと意味で、生存をまもるための知覚力を発揮して集落をつくり、人(ヒト)の声音と感応して生命のリズムをつくり、人(ヒト)が意味を理解できるかたちで、枝を揺らし、危険が迫ってくる人(ヒト)にわかるようにリズムを緊張させて感応するさまが語られている。この感応を文字どおりうけとれば、いわば樹木がリズムのちがいで言葉を発し、その言葉を人(ヒト)が感受し、その意味を人(ヒト)が解している状態が疑う余地なく信じられている。これはアフリカ的段階のアメリカ原住民が、自然にまみれて生きている正体を内側から描いていることだ。こういう描写は鋭敏な感覚というにちがいないが、ふつう言う意味とすこし質がちがっていて、植物とおなじ次元で交感がひらかれているさまを語っている。人(ヒト)と他の生きものとの生活は現在、こういう交感が成り立たないほどかけ離れてしまった。そこで植物の言葉がわかるということは、思い込みとか妄覚とかに転化してしまった
。しかしこの引例の主人公ジェロニモの感覚描写を、思い込みとか妄覚とか呼ぶとすこしちがう。現在からは、植物の生命を内在的に理解できるプレ・アジア的(アフリカ的)な段階の感受性を認知できるようになった作者の、知覚描写の象徴のようにうけとれる。この知覚の極まるところで登場する主人公が自然のなかで予兆のように死を認知するさまも描かれる。


   夜が退こうとしていて、しかもまだ夜明けとは言えない時刻こそ、闇が最も濃く深い。コヨーテも狼も吠えず、木々は凝ったように動かず、   鳥も羽をふくらませない。重い病人が死の扉の向こう側へ吸いこまれていくのもこの時刻だ。生と死、光りと闇は別のものではなく、めぐりめ  ぐる輪をなしている。ふたたび生を蘇らせる曙光が死の夜を押しやるにはまだ間があるこの時刻、人も動物も植物も闇の底に沈んでいる。  四方から敵に追われているアパッチは、この時刻を選んで集まる。この時刻の霊的な意味を知っているからだ。霊的な意志など持ち合わ   せない敵は、無明のうちに眠りこけている。
    (中略)
   ジェロニモはもう五十に手が届く年齢だった。いつも眠りはじめにつきまとう不安な夢は、ますます現実味を帯びてきつつある。その夢は「  もう一つの時」の中へはいっていく感覚に似ている。
   今まで彼はそれを千回も夢見てきた。彼はけばけばしい装飾品に取り巻かれて馬車の上に立っている。護送馬車は大きな都会を走り抜  けていく。道路沿いに立つ白人たちが金管楽器を大きく高く吹き鳴らす。
   だが、いつの間にか彼は光のない場所にいる。そして、形のないうごめく筋肉に取り囲まれてぬくぬくと居心地よく、静穏な気持ちにひたっ  ている。その居心地のよさこそ生命そのものだ。だから、彼はそこから離れたくない。そこを去ることは死ぬことだ。それなのに彼は押し出さ  れるようにとうとうこちら側に生まれてしまった。彼は自分を見ている目に気がつく。その目の中に宿っている魂は、ついさっきまで彼が安ら  いでいたもう一つの場所でもなじみのものだった。その女の人が彼のため子守歌を歌い、奇妙な言葉で話しかけてくるので、彼はこちら側   の世界ではその魂は母親というものなのだと知る。そばに男の人がいるが、同じことを彼は知る。もう一つの世界ではただ魂として出会って  いたものが、こちらの世界では父親として現れるのだ、と。      ( 『ジェロニモ』 同前)


 ここには生と死がわかれる曙の時刻のことや、眠りはじめのときにみる不安な夢が、生と死の世界の感覚の仲介をしていて、こちらの世界から向うの世界へ、向うの世界からこちらの世界へと往き来する感応を伝えている。眠って母親の胎内のような暗闇のなかにいて、温もった、やわらかい筋肉にかこまれて、心持よくなっている。そこを動きたくないとおもうのにこちら側に押し出されて生きた世界にきてしまう。暗い温もりのなかで聴いた歌や言葉のひびきは、こちら側では母親の子守歌やあやし言葉になっている。もうひとつの霊の心はこちら側では父親なのだ。これはひとりの作家が描いた主人公の眠りや夢の世界と、この主人公の心のひだとのかかわりを描写したものだが、インディアンの主人公の生の体験や伝統的な生と死の観念や種族の近親たちの守勢の思考法を、すべて積み重ねた生と死の感じ方をあらわしている。いわばアフリカ的段階にあるインディアンの心情を、わたしたちの推量し難い深層まで掘り下げている。これは未開的な心性としてやりすごすことはできても、この心情に含まれている生と死の深さは無視することができない。
人(ヒト)の精神の母型をなしているからだ。これは一個の作家にゆだねられた母型の意味の掘り下げにあたっている。ヘーゲルが歴史観のうちに無として通り過ぎたものの、内側の描写になっている。
 わたしたちは現在、こういう眠りやこういう夢を失ってしまった。眠りははっきりと眠りであり、夢ははっきりと夢として分離されている。しかしここでは、生、眠り、夢、死は、まだ連続した感覚体験としてとらえられている。妄想に類した感覚といえばいえそうにおもえるが、かつて人(ヒト)はこの感覚の連続性のうちにあったことを想起させる想像力の強さを語っている。
          (P35−P41)


項目抜粋
2
A 

   彼は走った。からだにぶつかる風を初めて感じたとき、彼の中に何かが満ちあふれてきた。彼は生命の沸騰に身をまかせた。初めのうち  その野性的エネルギーにやみくもに従っていたが、やがて走ることを通じて感覚が研ぎ澄まされてきた。遊びの楽しさにも徐々に変化が生  まれ、ときにはずきずきと胸の痛む気分を感じることさえあった。いらだち、憂鬱、不安、警戒あるいは発作的な怒りなどの感情が芽生えて  きたのである。彼はそれらの気分に身をまかせ、風に乗って伝わってくる生きとし生けるもののあらゆる感情の一部となった。彼は赤ん坊   が目に見えるものの意味を問わないのと同じく、「なぜ?」と問うことをしなかった。感覚に触れてくるものは何でもそのままに受け入れたの  だった。
   赤ん坊の視力がそうであるように、初めのうち感覚はあてどなく不鮮明だったが、まもなく彼は気がつくようになった。岩の隙間に危なっか  しく立ち上がっているずんぐりした杉の木、砂漠のサボテン―それらは生きのびるための特別鋭敏な感覚を持っているではないか。彼は杉  やサボテンの持っている感覚を感じ取り、それらの感覚の働きが伝えてくるリズムを利用することを学んだ。杉やサボテンが危険を感じて   警戒するときに打ちはじめるリズムは早い。それは不安を示している。
   ひと休みしたくなると、彼は川のそばに生えるメスキートの木を探した。メスキートは水と泥に守られて安泰に生きている。メスキートが伝え  るリズムはのんびりとけだるい。彼は木の下に寝ころんできつろぎ、あくびをし、自分を取り巻く気配のゆるく穏やかなリズムに同調した。
            ( 『ジェロニモ』 同前)


 これはアパッチ・インディアンの英雄ジェロニモを主人公とする小説のなかで、主人公が樹木と夢に感ずる感受性を描写した個所だ。この作家について何も知らないが、『リトル・トリー』というインディアンの少年を主人公にした小説の、自然にたいする感受性の質に感銘をうけたのとおなじものがある。私にはヘーゲルが旧世界の野蛮な、動物とおなじ感性生活として総括してみせてプレ・アジア的な世界(アフリカ的段階)の感受性の質を、内在的に描けばこうなるとおもえる。
ヘーゲルが野蛮、未開、人間らしさのない残虐な世界とみた旧世界の裏についた深層は、自然の植物と一体にまみれ、交感することのできた段階の豊饒な感性に充ちている。これはヘーゲルが旧世界として世界史の成立から除外してみせたものが内側にもっている充ち溢れた感性をしめしている。アフリカ的段階)の謎を解くひとつの鍵だともいえる。外在的な野蛮、未開、無倫理の残虐と、内在的な人間の母型の情念が豊饒に溢れた感性や情操の世界とは、たぶんおなじなのだ。


 【ナンシー・ウッド『今日は死ぬのにもってこいの日』からの引用】

 これらは全自然物、たとえば鳥や獣や岩や樹木や河川のなかに神が(霊が)ひそんでいるというプレ・アジア的(アフリカ的)段階の自然まみれの意識だといえる。逆にいえばいつでもじぶんの意識がこれらの自然物に入り込んで、じぶんの存在でありうる例になっている。さしあたって河川も岩も樹木も鳥や獣も人(神)に擬して表現されているが、これは全自然物を擬人化していることと、人(ヒト)が擬人的に自然物化したところに存在のレベルをおいていることとが、同根になっているのだ。
          (P41−P47)


備考




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初期神話の自然認識 しょきしんわのしぜんにんしき アフリカ的段階について U
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分離
項目抜粋
1
@ ここまでみてきて、日本神話『古事記』や『日本書紀』の初期の自然認識はおなじ質のものだということがわかる。たとえば『書紀』の一書のイザナギ・イザナミの国生みの記述で、イザナギノミコトとイザナミノミコトが大八洲国をうんだあと、国が朝霧のようなものに覆われているのを見て、イザナギが呼気で吹きはらうところにシナトベノミコトという風の神が生まれる。また飢えたとき生まれるのはウカノミタマノミコトという稲の神である。また海に生まれた神はワタツミノミコト、山の神はヤマツミノカミであり、水門(港)の神は、ハヤアキツヒノミコトであり、樹木の神は、ククノチノカミであり、大地の神はハニヤスノカミである。この全自然物は神として存在しているという初期日本神話の記述は、はっきりとプレ・アジア的(アフリカ的)な段階にある特徴のひとつということができよう。
  ・・・・(中略)・・・・・・
 これらはアメリカ・インディアンのチェロキー族にみてきたとまったくおなじように、自然と人間とがおなじレベルで区別できずに融合しているプレ・アジア的な認識を語っている。


項目抜粋
2
A 「神武紀」以後の記述では、山は神体として頂の磐石を祭り、河川もまた源流に坐す神として祭るようになり、樹木も神格を与えられた神社になり、自然現象もまたそれぞれ、雷、科戸(風)の神などとして、村里の周辺や要所に分離されて、次第に神社信仰にかわってゆく。この最初の自然物の宗教化、自然と人里の住民との分離の意識からアジア的な段階がはじまるといっていい。経済的にいえば王権による河川や山の傾面の灌漑水としての管理と整備、平野の田、畑の耕作など野の人工化がはじまったとき、アジア的な段階に入ることになった。なぜなら耕作地を王権から貸し与えられるという名目を獲得した農民層は、貢納いいかえれば農産物、漁獲物、織布などの形で、また軍事や土木の賦役によって租税を収めることになった。ここで貢納制を支配の核心においたアジア的な専制の形が成立することになったからである。
          (P48−P51)

備考




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歴史という概念 れきしというがいねん アフリカ的段階について U
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近代という時期
項目抜粋
1
@ 歴史という概念は、その時代のその瞬間ごとの人類のすべての人(ヒト)の精神と身体の行動の総和としてはじめて成立する。モルガンのやっているような、同心円的なつみ重ね分類の原則は、ほんとは成り立たない。文明状態の人間にも野蛮の下層状態が風俗や習慣として曳きずられているし、どんな過去の瞬間の状態も歴史はかならず存続させているからだ。もうひとつヘーゲルのいう歴史の哲学が成り立つためにも、モルガンのいう時代の分類の原理が成り立つためにも、人類の文明の外在史と、内在的な精神史が均衡して過不足なく融け合っている稀な状態を前提としなくてはならない。逆にこの外在と内在の稀な一致の時期を近代と定義してもいいくらいだ。すくなくとも歴史が哲学として成り立ったり、歴史の分類原理を成立させたりできる時期のことを逆に近代と定義することはできる。歴史を抽象化してもよかった時期が近代であり、それ以前あるいは以後では歴史はある限られた地域と時期に起った出来ごとと、その周辺の状況とみなすか、あるいは無意味なまでに拡散してしまった出来ごとの総体とみなすよりほか成立しえない概念だといえる。現在のわたしたちにとっては、歴史という概念は、ヘーゲルのような世界史の哲学としても成り立たないし、モルガンのような文明の進歩を目安に分類できる原理としても存在しえない。人類の外在的な文明史と内在的な精神史とが過不足なく調和したところで歴史という概念をつくれるような条件は、もうないからだ。
 かりにわたしたちが現在、累積してきた人間の過去と、未経験な将来を歴史という概念で連結できるとすれば、モルガンのやった分類は、つぎのように言い直すよりほかない。

  T 野蛮の下層状態
     人類がただ人類として即自的であった時代で、手当たり次第の果実や木の実を口に入れ、魚類や貝類やその他の生きものを手づか    みして喰べていた時代。アフリカ原住民のなかには現在でもこの状態の部族は存在するし、わたしたちの文明の現在でも、そのように無    調理の野生物を口に入れることはありうる。

  U 野蛮の中層状態
     まず食糧となしうる自然物、それを採取する手段にたいする客観化、分離、内在化を獲得した時期。火の人工化(加熱)。採取の人工     化(弓矢)。

  V 野蛮の上層状態
     人工化された食糧の保存の技術(製土器)。

  W 未開の下層状態
     食糧となしうる自然物の蓄蔵と栽培の人工化。
     農耕地になる土地用の灌漑と農耕、農耕不適な地域での牧畜。
     これは人類の生活がじぶんを無機的な自然、植物はじめ生物、動物などとはっきり区別できることと見合っている。分節した言葉を操    れることが主なその推進力になった。家族とそうでないものの区別も同時に成り立つ。住居を定着させ、永続的にする。

  X 未開の中層状態
     石器からより硬い鉄器をつくる熔鉄の作り方を手に入れる。これは火をつくる技術が高度化して、高温がつくれるようになったことと関    連している。

  Y 未開の上層状態
     文字の発明、書字、書記によって意識の輪郭をはっきりさせ、思考を保存し、永続化できるようになる。

 モルガンが分類しているところでいえば、ここまでのところで人類はどんな文明状態へも移行できる物質上の技術と、その技術からもたらされた精神の動きをすべて経験として手に入れたことになる。モルガンはこのあと文明状態を想定し、古代と近代とに区別している。わたしたちがここまでで想定したいのは、物質状態と物質状態が喚起したかぎりでの精神の状態として、アフリカ的な段階の全容ということだ。ヘーゲルがアフリカの旧世界を黒人アフリカのイメージに限定したように、アフリカ的ということは、アフリカ大陸の地域の特徴という意味では単一ではない。モルガンがここで分類したどの状態も北アフリカ、南アフリカ、西海岸、東海岸、中央アフリカとどこでも想定できるし、それは複雑に混じりあっている。
 アフリカ的ということを段階としてかんがえるときは、モルガンの挙げている野蛮の下層状態から未開の上層状態にいたるすべての状態を、母体としてもち、その要素のすべてを分離して取り出せる帯域を想定している。その意味では未開の上層状態までの物質的な自然と、その状態に対応するかぎりでの精神の状態は、ひとつの薬籠中に入っているとみなされる。原住民たちとくに呪術的な王にいたるまでの司祭たちは、自然を操れる呪力の持主とみなされている。
          (P58−P62)

項目抜粋
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A 何をもってアジア的、古典古代的、近代的(プレ・現代的)な段階を未開までのアフリカ的な段階の母型と区別するか。その標識は過剰になって分離してきた精神の状態をどこまで内在的に理解できるかにかかわっている。すくなくとも近代主義の成熟期までは、物質的な発達とその発達がもたらしたかぎりでの精神の発達は、外在と内在とが統一された調和の場所を見つけることができた。その場所で扱えば、歴史の分類原理を取り出したり、歴史についての哲学の概念をつくったりすることができた。ヘーゲルもマルクスも、モルガンの分類にのめり込んだかぎりでのエンゲルスも、そう思考した。なぜならかれらが十九世紀の終り近くに一様に身につけたものは、絶対的な近代主義といってよかったからだ。そこでは外在的な文明史と内在的な精神史が調和したところで人類と世界とが歴史的に進展していくとみなされた。近代以後の現代や、現在のところで、歴史という概念を成立させようとすれば、かれらの近代主義的な発展指向では成り立たない。別の言葉でいえばモルガンの分類した野蛮と未開と原始までをアフリカ的な段階として原型化し、人類の母体として取り扱うことが必須の条件とおもえる。この野蛮や未開と原始の状態を、ヘーゲルのようにたんに旧世界として外在的に排棄してすますわけにはいかない。またモルガンのように外在的な分類によって歴史を概念化することは方法的にできない。モルガンのいう野蛮の下層状態というのは、現在の視点からは、人類が無機的な自然や植物や生物や動物を内在的に了解している精神の段階だとかんがえるべきなのだ。この視点を獲得することができて、はじめて未来を歴史の概念のなかに包括することができる。
          (P62−P63)


備考




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