Part 4
アフリカ的段階について 
             ―史観の拡張

  試行社 平成10/1/20 発行 <私家版>




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外部からの視線と内在 アフリカ的段階について X
10 アフリカ的段階(プレ・アジア的段階)の王権の在り方 アフリカ的段階について X












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外部からの視線と内在 がいぶからのしせんとないざい アフリカ的段階について X

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文明史的な外在性 内在的な精神史の問題
項目抜粋
1
@ ヘーゲルが歴史哲学のなかで野蛮と未開の旧世界のなかに生殺与奪の絶対権をもつ黒人アフリカの王制の像をつくったのは、たぶんピグミー族、あるいはそれに類似の南西アフリカの王国の実状からだとおもえる。その具体的な像にいちばん叶っているすがたを手近な叙述で求めるとすれば、十七世紀の後期にセイロンのキャンディ王国に捕らえられていたイギリス人ロバート・ノックスの記述した『セイロン島史』が思い浮ぶ。そこからこの王国の王が、政治制度から貢納の地租、民衆の生命や土地の所有権にいたるまで、絶対専制(アフリカ的専制)ともいうべき状態にあることが記述されている。著者は西欧的な視方から王のこの絶対専制を、王の残虐な人格や横暴な個人的性向に帰しているが、チベットのダライ・ラマ(男性の生き神)やネパールのクマリ(幼女の生き神)や日本国の天皇の生き神的な存在の仕方から類推すれば、こういう王権は宗教的な要因がおおく、民衆もまた宗教的な要因から王を絶対的な生き神にし、じぶんを服従させることになっているとおもえる。王の人格や性向や政治制度というよりも、宗教制度の政治支配の様式と認める方がわかりやすく、妥当だとおもえる。
             (P137−P138)



A 
   【 ロバート・ノックスの『セイロン島史』からの引用 】

 引用の箇所をみればわかるように、王は西欧の人間なみに、自尊心と名誉欲、残忍な性質、気位などの人格や欲望の固有さに還元されて理解されている。王の土地、隷属する民衆、土地の全所有も、貸与や譲渡についても、王が個人的に欲ばりかそうでないかに左右されるかのように記述されている。事実ありえたこととしては、ヘーゲルの記述したブラック・アフリカの王とおなじように描かれている。この王の在り方はむしろアフリカ的な段階の特性とかんがえるべきなのだ。人類の原型的な段階の宗教意識から由来する王制で、王個人の人格や欲望の産物ではない。
 「国はすべて王のもので、王は領土を金でなく役務を見返りに貸し付けている」という記述は、王が欲張りで武力を背景に領土はすべて独占しているというようにうけとるべきではなく、宗教的な意識がそうさせている国土の全所有なのだ。また「王は一般に夜になってから仕事の大部分を行い、大使たちを謁見し、手紙を読み、ある廷臣を罷免し、別の者を昇進させ、それ以上生かしておきたくない者に死刑の宣告を与える」という記述などはとくに興味ぶかい。日本の初期天皇制の有り様を述べた『隋書』倭国伝の記載をほうふつとさせるからだ。・・・・・・(中略)・・・・・・・・セイロンにおける絶対王権と日本の初期天皇制が、おなじ宗教的な政治習俗をもっていたことを、よく暗示している。
 王が用心深いから夜になって政務を司るのだというのは疑わしい。それよりも日本の天皇とおなじに宗教的な理由からくるとおもえる。いいかえれば宗教制度的な権力だから夜陰に王の政治行為が行われるのであると理解される。『隋書』倭国伝に記載された日本国の王の政治的行為はきわめてこれらセイロンの王制と類似している。また刑罰についていえば江戸時代までもまだ存続していた市中引き迴しのうえ、獄門という場面をほうふつとさせる
             (P144−P146)



項目抜粋
2
B 
   【 江戸時代のオランダ商館の長フランソア・カロンの『日本大王国志』からの引用 】, 【 樋口清之の『江戸』からの引用 】

 ・・・・・・(中略)・・・・・・これら【註.江戸期の刑罰】をみると絶対王権の時代から江戸期まで、プレ・アジア的ないしアジア的な痕跡を払底していない状態は、いたるところにみられた。
 これらをみると日本国は暗い恐怖政治からくる世相がはびこった社会のようにおもえて、
わたしたちの描いている王朝や封建社会のイメージとだいぶ喰い違っている。この喰い違いを段階論的に処理するには、刑法や刑罰の苛酷さや野蛮さは、文明史的な外在性とみなし、そんな社会に耐えて抜け道や遊びをこしらえているところは内在的な精神史の問題として解するのがいいことになる。
 わたしたちはロバート・ノックスという著者が、セイロンの王朝と王の振舞い方を、王の人格の特性、個人の残忍、ゴウマン、所有欲の問題に帰して解釈しがちなところをアフリカ的な段階にある絶対専制の制度的な根拠におきなおして解釈すると、日本国の天皇制やそれを模倣した封建君主の振舞い方にことごとく、あてはまるといっていい。つい半世紀ほどまえまでは日本国でも天皇の写真にさえ顔を上げることが許されなかった。
             (P150−P151)



備考 註.Bについて。





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10 アフリカ的段階(プレ・アジア的段階)の王権の在り方 あふりかてきだんかいのおうけんのありかた アフリカ的段階について X
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男性の宗教王(生き神様) 女性の宗教王(生き神様)
項目抜粋
1
@ これらの王(天皇)の振舞いを王の個性や人格や我ままや残忍な性格に帰する著者の考え方はプレ・アジア的なセイロンの王制やチベット、ネパールの宗教王(生き神様)や日本国の天皇制についての考え方としては、まるで次元がちがうかのように、すれちがってしまうとおもえる。制度は王がその共同体とともに圧制的につくり出すものだともいえるが、住民が自然につくり出すものともいえる。このばあいには王は自然の精霊の代理者として住民(臣民)によって据えかれる。またその代理者として打ちくだかれることもありうる。それは疫病が猛威をふるったり、自然現象が度重なる異常な災害をもたらしたり、凶作と飢餓に見舞われたりすれば、絶対王政の王は自然の精霊の代理者として降位させられたり殺害されたりする。
 日本国ではチベットのダライ・ラマのように男性の宗教王(大祝)であるばあいもネパールのクマリとおなじ女性の宗教王(卑弥呼や聞得大王)のばあいもあった。たとえば神話の神武にたいする長兄五瀬命【ルビ いつせのみこと】の役割や、大三島や諏訪の大祝のようなものは男性の宗教王(生き神様)であり、
初期天皇制はこの男性の宗教王(生き神様)がいる王制(天皇は弟)でありながら、女性の宗教王(生き神様)的な伝習をもった近畿の地域に王家を定めたように受けとることもできる。これはかならずしも確定的にいうことができないが、日本国の宗教王の在り方は、この二種類のいずれの形も存在していたことは、確言できるとおもえる。

 大林太良の『邪馬台国』(中公新書)には、朝鮮半島北部の夫余国のばあい、天候が不順で五穀が熟さないと、王の責任であるといって王が殺されてしまったという絶対王権について記述した個所がある。そしてこれが東北アジアにもわたって分布しているといっている。この著者は男系の宗教王を北方の狩猟文化に結びつけ、女系の宗教王を南方の農耕文化に結びつけたいモチーフをもっているようにうけとれる。しかしこれは確定的ではない。ただこのいずれの宗教王(生き神様)のばあいにも、これがアフリカ的段階(プレ・アジア的段階)の王権の在り方を語っている点で、共通の特性に括ることができることだけが、ここでは大切なことだ。 (了)
          (P151−P152)
項目抜粋
2
備考 註.1 「三田文学」 2002年 夏季号より

@ 大きな声で言うと、おまえはマルクスの思想を逸脱したと言われちゃう。けれども自分ではあれ自体にはまだ続きがあって、もう少し完成に近いところにもっていかなきゃいけないのに、論理がそうならない。要するに僕は、ヘーゲル・マルクス流の考え方をちょっと修正したというとおかしいけれども、別個に考えるというか、おれは違うように考えているということなんですね。本当は「アフリカ的段階」というのがもう少し完成に近づいたら、そういうことをあからさまに言ってやろうと思っているわけですけれども、今のところ声を大にして言うだけの論理的裏づけがないよなあと思っているから言わないんですが、本当は大修正を意味したいわけです。

A ヘーゲルやマルクスは
段階という考え方をします。マルクスは優秀だからちょっと違うところもあるんですけれども、この段階というのは時間性と考えたらいいのかな。それと地域性ということ、その両方が二重性をもっているということがある歴史的に考えられた文明のありさまであり、また文化のありさまであるという考え方がヘーゲル・マルクス流の考え方だと思いますね。非常に根本的なところで言うと。

 ・・・・(略)・・・・・・ロシアで編み出されたマルクス主義はロシア・マルクス主義であって、それは地方的というか地域的なものにすぎないというふうに考えないと間違っちゃうよということです。これは段階と地域的な特色の両方がくっついているという考え方ですね。
 そういうふうに考えるとどうなるか。たとえば卑近な例で言うと、宗教ならイスラム教とキリスト教があって、まるで違うように今でも言われるわけだし、それで片がついちゃっているところがあるわけですけれども、段階ということと地域の特色ということが両方二重に入っていて、二重に考えないとだめなんだという考え方をとれば、イスラム教とキリスト教はそんなに違わない。要するに、段階がちょっとだけ歴史的に違うというか、地域性が非常に多く違うというだけです。地域的特色、地方性が非常に大きい要素で、それが違うというだけで、何もこっちがいいとかこっちが悪いとか、こっちが未開拓なものでこっちが進んだものだとか、そういうふうに言うと間違っちゃう。僕は、そこは厳密にしなければいけないと思う。
   (P161−P162)


B  ・・・・(略)・・・・・・極端に言うと、国家性あるいは地域性というものと、普遍性あるいは世界性というものは、いつまでもくっついたまま、相当先まで行くと思っています。・・・・(略)・・・・・・結局、国家とは何だと言ったら、宗教の最終形態なんですね。だから、いわゆる左翼の人たちと僕が違うと思っているところは、そこにもありますね。国家というのは宗教の最後の形だから、そんなに簡単に普遍性とか世界性という言葉を対置させて言っても、それでは通用しないと思います。


【 田中 言ってみると、マルクス・ヘーゲル的な世界像だと国家の問題は解決しないので、「アフリカ的段階」のようなものを想定されようということですか。】


 そうです。それが文明社会のなかに既に入ってきつつあって、この次はもっと完全に入って、もう少し経つとそうなるでしょうけれども、そういう形態の国家というものはアフリカだけにしか残っていないという状況になる可能性は多い。
 だから、その地域性と段階の二重性というのは、よくよく考えないとだめだと僕なんかは考えるから、国家というものはそんなに簡単になくならないよということと、国家というものを政治的なものとして考えていたらそれもちょっとちがうよ、宗教の最後の形態だよということを考えないといけないと思います。そういう問題を割合に完成に近い形で展開したいわけですけれども、今のところ、初めのところだけですね。
   (P164)



註.2 『読書の方法』 「消滅にむかう世界のなかで、「現在」を読みとくための読書論」中沢新一との対談

@ ぼくは、その問題をいつも境界のところで回避するというか、棚上げしてきているような気がするんです。つまり、その境界のところまでは何とか、不明瞭なるものは明瞭にしよう、「アジア的なるもの」で言えば、アジアのかつての何千年も続いた郷村・農村は、まあ西欧から見れば停滞なんでしょうが、永遠の課題をきちんと持っていたという言われ方はすこぶる危なくなっている。そこまでは、ぎりぎり言わなければいけない。技術の速度はもっと速くなってしまい、それに耐えきれるだけの永遠性はもはや持てない、という感じはあるんですが、あなたのいま言われた問題については、終始一貫回避してきたな、と思います。


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