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16 文明の進展 162 方法
18 方法 163 方法
19 方法 164 方法
20 方法 165 方法
21 方法 166 方法
22 方法 167 方法
23 方法 168 方法
26 方法 169 方法
35 <表象>あるいは<表出> 170 方法
53 文学 171 方法
72 フロイト批判 172 方法
73 フロイト批判 173 方法
76 表現過程 177 フーコーの構造の概念
79 方法 178 フーコーの構造の概念
86 負の財産 179 フーコーの構造の概念
87 文学作品の読み方 180 フーコーの構造の概念
115 批評 181 フーコーの構造の概念
116 文学体と話体 182 フーコーの構造の概念
117 文学体と話体 183 フーコーの構造の概念
139 方法 201 不況からの離脱
141 方法 221 分業
142 プレ・アジア的 222 分業
143 プレ・アジア的 225 「本質」的な認識
144 方法 232 表現の様式
161 方法 233 方法


246 方法
264 方法
274 阪神大震災と地下鉄サリン事件
299 文化の比較
300 萩原朔太郎
313 非学問の場所から
314 文化の現在
315 方法
319 「廃人の歌」について
328 フロイトの再生の仕方
343 本当の答え
344 ほんとうの考え・うその考え
345 ほんとうの考え・うその考え
347 普遍的真理の場所
353 包括できる倫理
362 批評は手でやる
374 批評家の役目
404 微妙なこと



項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日
16 文明の進展 都市から文明の未来をさぐる クレア(文藝春秋)
1994年4月号
わが「転向」 文藝春秋 1995/02/20


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文明の進展というのは、止められないし、止めることは間違いだろうと僕は思います。 文明が発達すれば、その精一杯の範囲内で人類は適応性を発揮して、新たに環境に適合する諸条件を必ずや見つけ出すと思います。そういう面に関しては、僕はひじょうに楽観的に考えます。




1

@

文明の進展というのは、止められないし、止めることは間違いだろうと僕は思います。ただし人間には可塑性がありますから、対策はいくらでも打てるでしょうし、適応性もかなりあると思います。
 いまだかって人類は、環境に不適合を生じて滅びたということはないのです。ある人種が戦争で滅びたとか、殺し合いをして滅びたということはあります。けれども文明の進展方向に従ったがゆえに、滅んだということはないんです。歴史的に一度もない、ということはこれからもおそらくないと言えます。
ですから文明が発達すれば、その精一杯の範囲内で人類は適応性を発揮して、新たに環境に適合する諸条件を必ずや見つけ出すと思います。そういう面に関しては、僕はひじょうに楽観的に考えます。
 
(P123-P124)


A都市についても、究極的には同じ結論になるんじゃないでしょうか。「欲望」の拡大から生じる都市の拡大は、どうしたって止められない。それを止められると考えるのは、
人間についての倫理観・善悪観が、どこか現実不適応不全を起こしているとしか思えません。拡大はこれを押し止めるのではなく、さらに加速することでしか僕らが生き延びる方途はないと思うのです。
 (P128)









 (備考)

この考え方は、文明の問題であるから当然ながら晩年の原発問題の捉え方にも貫かれている。







項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日
18 方法 「心的現象論序説」
「はしがき」
論文 心的現象論序説 北洋社 1971/09/30


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言語の表現 人間の心的な世界




1

@

<言語>の考察をすすめていたあいだ、たえず言語の表現が、人間の心的な世界のうちどれだけを作動させ、どれだけを作動させないか、もしも、言語の表出において心的な世界がすべてなんらかの形で参加するとすれば、はたしてその世界はどんな構造になっているか、というような疑問につきあたってきた。
この疑問は、わたしの言語表現についての考察を基底のところで絶えずおびやかすようにおもわれた。
 そこで、<言語>の考察が、あとに力仕事だけをのこして完了したあとで、心的現象について基本的なかんがえを展開しようとおもった。(P3)










 (備考)

心的現象論」へ向かう動機が語られている。しかし、この記述の流れは、何がわかっていて、後何を探索していかないといけないかというような、科学者の考察の論理性と文体を持っている。





項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日
19 方法 言語にとって美とはなにか「序」 論文 定本言語にとって美とはなにかT 角川書店 1990/08/07


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文学の理論 文学は言語でつくった芸術だという、それだけではたれも不服をとなえることができない地点




1

@

文学の理論が、文学そのものの本質をふくまなければならないとすれば、現在まで個体の理論として提出されたすべての理論とちがったものとならざるをえない。ただこれを、ひとが理解するかどうかは、またべつもんだいだ。
 わたしは、
文学は言語でつくった芸術だという、それだけではたれも不服をとなえることができない地点から出発し、現在まで流布されてきた文学の理論を、体験や欲求の意味しかもたないものとして疑問符のなかにたたきこむことにした。難しいのは言語の美学について一体系をつくることではない。・・・・もんだいは文学が言語の芸術だと言う前提から、現在提出されているもんだいを再提出し、論じられている課題を具体的に語り、さてどんなおつりがあがるかという点にある。わたしがなしたことを語るまえに、なぜ、いかになそうとしたかというモチーフをのべておきたかった。
 (言語美「序」P15-P16)










 (備考)

「文学は言語でつくった芸術だという、それだけではたれも不服をとなえることができない地点から出発」、ここが重要な点だと思う。個々人の恣意的な発想や考えを超えて普遍の場所にたどり着くには、どんな分野に関しても、普遍の事柄から出発するほかないということだろう。





項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日
20 方法 共同幻想論「序」 論文 共同幻想論 河出書房新社 1968/12/05


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わたしはこの試みには空洞があるのをいつも感じていた 表現としての言語




1

@

言語の表現としての芸術という視点から文学とはなにかについて体系的な考えをおしすすめてゆく過程で、わたしはこの試みには空洞があるのをいつも感じていた。ひとつは
表現された言語のこちらがわで表現した主体はいったいどんな心的な構造をもっているのかという問題である。もうひとつは、いずれにせよ、言語を表現するものは、そのつどひとりの個体であるが、このひとりの個体という位相は、人間がこの世界でとりうる態度のうちどう位置づけられるべきだろうか、人間はひとりの個体という以外にどんな態度をとりうるもりか、そしてひとりの個体という態度は、それ以外の態度とのあいだにどんな関係をもつのか、といった問題である。
 本書はこのあとの場合について人間のつくりだした共同幻想という観点から追及するために試みられたものである。ここで共同幻想というのは、おおざっばにいえば個体としての人間の心的な世界と心的な世界がつくりだした以外のすべての観念世界を意味している。いいかえれば人間が個体としてではなく、なんらかの共同性としてこの世界と関係する観念の在り方のことを指している。
 (P7「序」)


A

言語の面からいいますと、言語学者が言語を扱うという場合に、つまりそれは言語というものがなにか言語としてある、そういう扱い方をするわけです
。しかし僕の考えでは、言語というようなものはないのです。つまり表現されなければそれはない。(註.1)だから表現としての言語ということが問題になってくるわけです。そこでは表現過程というようなものが問題になりますし、また、表現された結果としての文字で書かれた言語、しゃべられた言語、そういうものが問題になります。ただ言語というようなものはほんとはないのです。けれども、たとえば言語学者が扱う場合にはいろいろなことを省略しているわけです。言語表現の過程というようなものにまつわる問題をみんな省略して、ある程度省略が可能だという前提で言語は言語として扱うというふうになっているわけです。ほんとはいわれなければ、あるいは表現されなければ言語というようなものはないわけで、文学の問題でもやはりそうだと思いますけれども、表現されたものとしての言語、それが主要な問題意識として出てくるわけです。
 (P11「序」「ことばの宇宙」67年6月号より引用)







2

B

表現としての言語というものは、ほんとは個人幻想に属するわけです。だから思想的にいえば、文学表現がこうであらねばならないというふうに外から規範力として規定することはできないのです。そういうことは個人における自由といいますか、恣意性といいますか、個人にとっては自由な仮象としてしか出てこないわけです。
 それはなぜかといえば、
政治的な解放というものは、ほんとは非常に部分的な解放にすぎないから、文学みたいに少なくとも個人幻想、つまの人間が人間であるというような、人間の存在が人間の存在であるということ、そういうことの根底を含む問題に対しては部分的な影響力しか与えられないというようなことがあるわけです。だから文学は非常に自由な形で、あるいはめちゃくちゃな形でしか出てこられないので、それは政治的な解放なんてものが非常に部分的にしかすぎないので、やはり人間的な解放というか根底的な解放というものがない限りは、文学は恣意性、自由としてしか現われえないわけです。思想的にそうだと思うんです。(P12「序」)










 (備考)

@で、『言語にとって美とはなにか』の考察を進めていく過程で、後の『共同幻想論』や『心的現象論(序説)』のモチーフが浮上してきていたことが語られている。そして、ここからたぶん主要三著作を仕上げた後だと思うが、今度はそれらを統合的な視野から考察し、記述するというモチーフを吉本さんは語っていたと思う。



(註.1)
このこと、すなわち「表現としての言語」という考え方は、以下にも見られる。

吉本
 ぼくは言葉というのは、表現しかないと思ってるわけです。表現されなければ言葉はないと思うわけね。だから、ぼくが言葉って言うときの言葉は、表現された言葉になるんですよ。


 ぼくの論理で、言葉っていう場合には、表現された言葉っていうふうになるんです。表現された言葉っていうのは、何が違うかっていいますと、表現する途端に内部ができるということだと思うんです。つまり、内部がここにあって、言葉が何か言われるっていうことは、ほんとは全く嘘だと思うんですけど、しかし、表現された言葉っていうのができたときに、同時に内部ができるっていう、そういう対応の仕方になると思うんです。


表現された言葉だけが問題なんで、表現された言葉というのがあると、言葉を表現した途端に、反作用で、自分は言葉から疎外され、疎外された分だけ内部がそこに生じる。なぜ内部が持続的に生ずるように見えるかっていうと、そういうことを人間は繰り返しているから、何となくいつでも同じ内部が子供のときからずーっと連続しているみたいな気にさせられるわけです。それは全く幻想なんだけども、どうしてその幻想が生ずるかっていったら、やっぱり表現する途端に内部ができるから。表現しなければ内部なんかないんだけど、途端に内部ができるみたいな、そういう対応関係があるところで、内部と言葉っていうものとの関係が出てくるというところで扱いたいわけなんですよね。


 ぼくは、内部っていうのが持続的、実体的に人間にあるっていうふうにちっとも考えてないんですけれども、言葉を表現した途端に内部は生ずるものだ、同じ言葉を何回も発してると、内部がいかにも形あるように見えちゃうもんだよっていう意味合いで、内部というのを問題にするわけなんです。

 (「内なる風景、外なる風景」(後編) 鼎談 吉本隆明・村上龍・坂本龍一

 月刊講談社文庫『IN★POCKET』1984年4月号)





項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日
21 方法 共同幻想論「序」 論文 共同幻想論 河出書房新社 1968/12/05


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全幻想領域 三つの軸の導入 軸の内部構造と、表現された構造と、三つの軸の相互関係
項目抜粋
1

@

だんだんこういうことがわかってきたということがあると思うんです。それは、いままで、文学理論は文学理論だ、政治思想は政治思想だ、経済学は経済学だ、そういうように、自分の中で一つの違った分野は違った範疇の問題として見えてきた問題があるでしょう。特に表現の問題でいえば、政治的な表現もあり、思想的な表現もあり、芸術的な表現もあるといふうに、
個々ばらばらに見えていた問題が、大体統一的に見えるようになったというようなことがあると思うんです。
 その統一する視点はなにかといいますと、すべて基本的には幻想領域であるということだと思うんです。
・・・・全幻想領域だというふうにつかめると思うんです。その中で全幻想領域というものの構造はどういうふうにしたらとらえられるかということなんです。どういう軸をもってくれば、全幻想領域の
構造を解明する鍵がつかめるか。
 僕の考えでは、一つは共同幻想ということの問題がある。つまり共同幻想の構造という問題がある。それが国家とか法とかいうような問題になると思います。
 もう一つは、僕がそういうことばを使っているわけですけれども、対幻想、つまりペアになっている幻想ですね。そういう軸が一つある。それはいままでの概念でいえば家族論の問題であり、セックスの問題、つまり男女関係の問題である。そういうものは大体対幻想という軸を設定すれば構造ははっきりする。
 もう一つは、自己幻想、あるいは個体の幻想でもいいですけれども、自己幻想という軸を設定すればいい。芸術理論、文学理論、文学分野というのはみんなそういうところにいく。
 
つまり、そういう軸の内部構造と、表現された構造と、三つの軸の相互関係がどうなっているか、そういうことを解明していけば、全幻想領域の問題というものは解きうるわけだ、つまり解明できるはずだというふうになると思うんです。
 (P15-P16「序」「ことばの宇宙」67年6月号より引用)











 (備考)

こういう対象把握の発想と論理性は、特にわが国の思想の歴史においてはめずらしい。吉本さんの化学(科学)の具体的な修練の体験と科学的な発想の賜物という気がする。もちろんそこには、西欧の大波をかぶり続けてきたこの列島の知識の歴史性と吉本さんのマルクス体験が加担している。





項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日
22 方法 共同幻想論「序」 論文 共同幻想論 河出書房新社 1968/12/05


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全体の関連 前提




1

@

そういうふうに統一的にといいますか、ずっと全体の関連が見えるようになって、その一つとして、たとえば、自分が
いままでやってきた文学理論の問題というのは、自己幻想の内的構造と表現の問題だったなというふうに、あらためて見られるところがあるわけです。そして、たとえば世の人々が家族論とか男女のセックスの問題とか、そういうふうにいっていた問題というのは、これは対幻想のもんだいなんだというふうにあらためて把握できる。それから一般に、政治とか国家とか、法律とか、あるいは宗教でもいいんですけれども、そういうふうにいわれてきた問題というものは、これは共同幻想の問題なんだなというふうに包括的につかめるところができてきた。だから、それらは相互関係と内部構造とをはっきりさせていけばいいわけなんだ、そういうことが問題なんだ、こんどは問題意識がそういうふうになってきます。
 そうすると、お前の考えは非常に
ヘーゲル的ではないかという批判があると思います。しかし僕には前提がある。そういう幻想領域を扱うときには、幻想領域を幻想領域の内部構造として扱う場合には、下部構造、経済的な諸範疇というものは大体しりぞけることができるんだ、そういう前提があるんです。しりぞけるということは、無視するということではないんです。ある程度までしりぞけることができる。しりぞけますと、ある一つの反映とか模写じゃなくて、ある構造を介して幻想の問題に関係してくるというところまでしりぞけることができるという前提があるんです。
 はっきりさせるために逆にいいますと、経済的諸範疇を取り扱う場合には幻想領域は捨象することができるわけです。捨てることができる。自己幻想がどうなっているかとか、共同幻想はどうなっているかということは大体捨象することができるわけです。
 ところが、幻想的範疇をその構造において取り扱う場合には、少なくとも反映とか模写じゃなくて、ある構造を介して関係があるというところまでは経済的範疇というものはしりぞけることができる。そこまではしりぞくという前提があるんですよ。だから僕にいわせれば決してヘーゲル主義ではないんですけれども、そういうように統一的にといいますか、つかむ機軸が自分で見えてきたということで、おそらく僕なんかのやっている仕事がそういう形である意味で広がっているし、広がりながら関連はつくというふうになってきた。そういうところだと思いますね。
(P16-P18「序」「ことばの宇宙」67年6月号より引用)










 (備考)

ここでは、「幻想的範疇」は、「経済的諸範疇」の「反映とか模写」であるという当時のマルクス主義の考え方を念頭に、ほんとうはそうではなくてこうなんだという吉本さん自身の捉え方を打ち出しているのだと思う。「ヘーゲル的」という言葉も、それは「経済的諸範疇」を無視した抽象論や観念論ではないかという当時のマルクス主義の考え方からの批判を予想しての註釈であろうと思われる。





項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日
23 方法 共同幻想論「序」 論文 共同幻想論 河出書房新社 1968/12/05


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抽象性のレベル 論理の抽象度 抽象の水準というものをはっきりとつかまえて論理を展開




1

@

それではなぜそういう欠陥が出てきたかといいますと、そういう人たちはおそらく
論理性あるいは法則性というものの抽象性のレベルというものに対する理解がないんだと思うんです。つまり、現実の生産社会、技術の発展というものがあるでしょう、それを一つの論理的な法則、あるいは一つの論理の筋道がたどれるものとして理解する場合には、すでにある段階の抽象度が入りこんでいると思うんです。経済学でもそうだと思うんです。経済学でも、あるがままの現実の生産の学ではないのです。それは論理のある抽象度をもっているわけです。その位相というものがある。つまり水準というものがあるわけで、それがどういう水準にあるかということをよくつかまえることができないで、あるがままの現実の動き、あるいは技術の発展とか、また言語のばあいでもいいですよ、そういうものがなにか論理の抽象度というものとしばしば混同されてごっちゃになって考えが展開されるから、そこのところでひどい混乱が生まれてきてしまうということがあると思うんですよ。やっぱり全論理性というものの中でも、その抽象度というもの、あるいは抽象の水準というものをはっきりとつかまえて論理を展開していかないと、非常に簡単な未来像が描かれてしまったり、技術の発展に伴って非常に楽天的な社会ができてしまうんだというような考え方になっていってしまうけれども、それはおそらく論理の抽象度のある混同というものがあると思うんです。
 (P22-P23「序」「ことばの宇宙」67年6月号より引用)










 (備考)

若いわたしが吉本さんの本に初めて出会ったのは、この『共同幻想論』だった。これは何度か読んだと思う。現在からの印象を言えば、わが国の知は、依然として印象批評的なものか外来の生硬な言葉や概念を行使するのが多く、このような科学性と文学性とを統合したような論理の言葉を、抽象の水準を意識しながら十分に行使し得ていないなと思う。




項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日
26 方法 共同幻想論「序」 論文 共同幻想論 河出書房新社 1968/12/05

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共同幻想 逆立する構造 共同幻想がとりうるさまざまな態様と関連




1

@
共同幻想も人間がこの世界でとりうる態度がつくりだした観念の形態である。


A
・・・・人間はしばしば自分の存在を圧殺するために、圧殺されることをしりながら、どうすることもできない必然にうながされてさまざまな負担をつくりだすことができる存在である。共同幻想もまたこの種の負担のひとつである。
だから人間にとって共同幻想は個体の幻想と逆立する構造をもっている。そして共同幻想のうち男性または女性としての人間がうみだす幻想をここではとくに対幻想とよぶことにした。いずれにしてもわたしはここで共同幻想がとりうるさまざまな態様と関連をあきらかにしたいとかんがえた。


B
ただ共同の幻想とはなにか、それはどんな形態と構造のもとに発生し存在をつづけたゆくかという点でだけ民俗学や古代史学の対象とするものを対象としようと試みたのである。


C
わたしがここで提出したかったのは、
人間のうみだす共同幻想のさまざまな態様が、どのようにして綜合的な視野のうちに包括されるかについてのあらたな方法である。


D
現在さまざまな形で国家論の試みがなされている。この試みもそのなかのひとつとかんがえられていいわけである。ただ、ほかの論者たちとちがって、わたしは国家を国家そのものとして扱おうとしなかった。
共同幻想のひとつの態様としてのみ国家は扱われている。(P28-P30「序」)









 (備考)

この吉本さんの概念や論理など、当然のこととして近代に西欧の大波をかぶって出てきたものではあるが、単なる外来の輸入や換骨奪胎などではなく、この列島の負の精神風土にそぐわず、自立的な考察として稀有のものと思われる。





項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日
35 <表象>あるいは<表出> カール・マルクス 論文 吉本隆明全著作集12 勁草書房 1969/10/25

吉本隆明全著作集12 第一部マルクス紀行 より
関連事項 言葉の吉本隆明@
 項目91自己疎外という概念
 項目188〜192、194〜197〈疎外>の概念

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<表象>あるいは<表出>という言葉 わたしの<表象>あるいは<表出>という言葉は、<疎外>すなわち<疎外>の止揚の欲求を意味している。 <表象>あるいは<表出>あるいは<疎外>は、すなわち<表象>あるいは<表出>あるいは<疎外>を打消す反作用である。  




1

@

ここでことわっておかなければならないが、わたしは、本稿の当初からしばしば、
<表象>という言葉をつかっている。ところで、芸術論(たとえば「言語にとって美とはなにか」)では、おなじことを<表出>という言葉でのべている。・・・・わたしの<表象>あるいは<表出>という言葉は、<疎外>すなわち<疎外>の止揚の欲求を意味している。ただし、現実的なカテゴリーでの<疎外>(疎外された労働)という誤謬の<疎外>をまったく意味していない。
 まず、人間と自然との相互規定としての<疎外>が、マルクスの自然哲学の根源としてあり、それが現実の市民社会に<表象>されるとき、<疎外された労働>から派生する現実的な<疎外>の種種相があらわれる。
 市民社会の<自己意識>(いいかえれば共同意識)は、あたかも、共同性の意識の<表象>として現実的国家を<疎外>する。ところで、市民社会の<自己意識>は、あたかも宗教として神という至上物を<疎外>するように、市民社会の至上の<自己意識>として政治的国家制度、政治的国家、法を<疎外>するのである。
 これを宗教、法、国家という歴史的な現存性への接近としてかんがえるとき、政治(哲)学のもんだいがあらわれる。
<表象>あるいは<表出>あるいは<疎外>は、すなわち<表象>あるいは<表出>あるいは<疎外>を打消す反作用である。  (P142-P143「Y」)






 (備考)

辞書的な意味で言えば、
「表出」は、「心の内面にあるものを、外からわかる形式に、あらわし出すこと。」
「表象」は、「現在の瞬間に知覚してはいない事物や現象について、心に描く像。イメージ。」
とある。つまり、「表出」は、心的な動態として文字通り「現し出す」、その「現し出す」かたち、像が「表象」ということだろう。しかし、吉本さんのように「表出」と「表象」は同じものと見なしてもさしつかえはないと思われる。問題は、―そこがわかりにくいところであるが―「表出」と「表象」あるいは「疎外」ということは、ともに外に生み出すものとしても、それらの概念には諸矛盾を止揚しようとする欲求が内在していること。






項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日
53 文学 文芸的な、余りに文芸的な 論文 「三田文学」1968.5 吉本隆明全著作集4 勁草書房 1969/04/25

言葉の吉本隆明A 関連項目509「文学とは何か A」

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お喋言 優れた文学者が支払ったこういう現実上の欠如は、読むものに毒をあてる作用をする 人間の到達しえた最高の叡知の所産




1

@

わたしならば問題をべつのところからはじめるだろう。文芸上の極北はーではなく、人が文芸にかかわりをもつのはーというのが問いのはじまりである。人が文芸にかかわりをもったのは、ある時期に日常の生活で何気なくやっていたお喋言が、じぶんを他人のところへ運ぶ乗物としてはまったく不完全であることにはっきりと気付いたときからである。乗物といわずに芥川のように武器と云ってもいい。
いったんお喋言に疑いをもちはじめると、じぶんが他人にたいして云いつのるときも、逆にいいくるめられるときもお喋言がまったく疎通しないものであることがわかった。そしてその場では巧く云えなかったことが、あとになって浮かんできてほぞを噛むといった体験を何遍もくりかえした。じぶんにとってもっとも適切だとおもわれる言葉は、いつも遅れてしかじぶんに到達しないという本質をもっている。この遅れを武器に転化する方法はただひとつ<書く>ということである。<書く>ということの速度はこの遅れの時差に照応しており、推敲のくりかえしは、内省を固める体験に照応している。(P662)


A

このあとの条件において優れた文学者はいつも痛ましさの感じを伴っている。・・・・
ただ文芸作品が読むものに、じぶんだけのためにかかれているように感じさせる要素は文学者が創作のためにたんに労力や苦吟を支払ったのではなく、じっさいは現実に生きてゆくために必要な何かを棒にふってしまったことと対応している。そして優れた文学者が支払ったこういう現実上の欠如は、読むものに毒をあてる作用をするようにおもわれる。
 すぐれた文芸作品がもつ毒が読むものをどこへ連れてゆくかについて、文芸作品はその作者とともにまったく責任をもっていない。もちえないのである。それは文芸作品が一般に無責任な空想の世界だからではなく、文芸作品を読む者の心の状態にたいして、この現実の社会が無責任だからである。だから読む者の心はそれぞれ個人的に異った可能性として存在している。
わたしたち人間の歴史が教えているところでは、現在のところこのような社会が、人間の到達しえた最高の叡知の所産である。そこでは人間の自由の意識は個人の恣意性という意味で存在している。つまり現実上のさまざまな差別の条件のなかで、精神は無差別な自由を獲得する可能性があるというように存在しうるというのが、残念なことに現在この世界が到達しえている最上
の状態である。
(P663-P664)








 (備考)

@の、お喋りが不自由に感じられた体験の積み重ねから書くという世界に入っていったという吉本さんの体験は、わたしたちは吉本さんの文章で何度か出会っていると思う。


「現実上のさまざまな差別の条件のなかで、精神は無差別な自由を獲得する可能性があるというように存在しうる」という文学の場所からは、この人間社会では一般に不道徳や悪や犯罪と捉えられる人や出来事も対象とされる。文学は、社会規範や法のように外からやみくもに断罪することはしない。文学は、一般に不道徳や悪や犯罪と捉えられる人や出来事の内側に入り込んでいくのである。そして、どのような現実の加担と人の内面の動きとがある出来事を生んでしまったのかと明らかにしようとするのである。


言葉の吉本隆明A 関連項目509「文学とは何か A」では、中上健次の『十九歳の地図』に触れて文学とは何かが語られている。これと同じようなことは別の所でも出会った覚えがある。

これはなかなかいい作品で、文学というものは要するに善悪を超えることがありうる。逆のことを言うと、善も悪も犯罪もデカダンスも何もかも、全部包括するのが文学というものの立場なのだ。そこから見れば、どんな悪だって許容される、どんな想像力でも許容される、みたいなところがあるわけです。そのことは文学作品の善し悪しにあまり関係ないことで、しかしすべての立場を許容するということが文学にはあります。





項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日 抜粋したテキスト
72 フロイト批判 個人・家族・社会 論文 「看護技術」1968.7 吉本隆明全著作集4 勁草書房 1969/04/25 吉本隆明全著作集4
文学論T


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リビドー 対幻想
項目抜粋
1

@
わたしの考えでは、フロイトは<家族>のなかの<性>としての人間を、<時間性>として考えた。フロイトの方法にとっては、親の世代と子の世代のあいだの<性>の関係が基本的なものとみえた。<父>と<娘>あるいは<母>と<息子>のあいだの<性>的な関係に発祥する衝迫力を<リビドー>と名づけて、人間の個体の心的な世界を左右する第一次的な要因とみなしたのである。フロイトの考えはけっして根拠のないものではなかった。人間は、他の動物とはちがって、<子>の世代が心的にも物質的にも<親>の世代から独立するまでに二十年ほどの歳月がかかり、これはまず<母>の胎内でのほぼ十か月と、乳幼児期の数年の保育と青年期までの十数年ほどの密接な関係が介在しているから、この期間における<父>や<母>との接触のしかたが、生涯を決定する心身の世界の第一次的な条件をあたえることは、きわめてありうべきことだからである。フロイトの方法には、おおざっぱにいって二つの欠陥があったと考えられる。(P457)


A
そのひとつは、人間の心的な世界は乳児期の<親>との<性>的な接触のしかたを<無意識>として、幼児期のそれを<前意識>として保存するという考え方である。この考えは一種の機械論ともいうべきもので、人間の心的な世界が、レンガを積み上げるように観念の体験を積み上げながら築かれてゆくというのに似ている。いいかえれば、心的な世界を物質とおなじように積み上げたり崩したり歪んだりする実在のモデルで考えている。乳幼児期の心的な体験が現在でも記憶されたり保存されたりしているとすれば、ただ現在の心的な世界だということかに意味があるので、乳幼児期の記憶がしまいこまれて残っているということに意味があるわけではない。


B
フロイトの方法のもうひとつの錯誤は<性>としての人間という範疇を<個人>の心的な世界の根源であるかのように了解したことである。
 もともと<家族>の内部で、<親>と<子>の<性>的な接触のしかたから導き出した<リビドー>という概念を生長過程における<子>の個人的な心的世界のものとみなして移し換えたのである。もちろん、こういう考え方に根拠がないわけではない。乳幼児期から青年期までの<親>と<子>の<性>的な関係は、<親>から<子>のほうへ一方的に与えられるものとして大過ないから、<子>の心的な世界にすべてが流れ込んでゆくと考えるのは必ずしも不当ではないからだ。しかし、ここでもフロイトが<性>としての人間の関係を<時間性>として考えた問題があらわれる。いいかえれば、<親>の世代と<子>の世代のあいだの<性>的な関係を、人間の心的な世界の軸として考えたという欠陥があらわれる。(P458)


項目抜粋
2

C
フロイトの了解とちがって、<性>としての人間という概念は、本来的には<個人>の心的世界に属するものではなく、人間が<個人>として他の自分以外の<個人>と出会うときはじめてあらわれる概念である。<個人>という概念はさまざまな場面をもっている。<個人>は孤立したひとりの人間という意味でも、<社会>の共同性のなかの一員という局面でも、自分以外の別の<個人>と関係している場面でも、<個人>という概念として存在しうる。このようなさまざまな場面のうち、ある<個人>が他のひとりの<個人>とだけ関係しているとき、わたしたちはその<個人>の関係のしかたを、はじめて<性>としての人間と呼ぶのである。いいかえれば、人間が<個人>としての他のひとりの<個人>と出会うしかたを、わたしたちは<性>としての人間、あるいは男または女としての人間と呼ぶのである。だから、フロイトのいう<リビドー>という概念は<個人>の心的な世界ではなく、本当は対(ペアー)になった心的な世界であるということができる。(P458-P459)







項目ID 項目 よみがな 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日 抜粋したテキスト
73 フロイト批判 ふろいとひはん 個人・家族・社会 論文 「看護技術」1968.7 吉本隆明全著作集4 勁草書房 1969/04/25 吉本隆明全著作集4
文学論T


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<個人>の本質 対幻想
項目抜粋
1
 @フロイトは<リビドー>という概念を<家族>のあいだの時間性から導いた。いいかえれば、<親>の世代と<子>の世代との年代的な距離の関係から導いた。その結果、この関係は<親>の世代から<子>の世代へ心的に転移される個体の心的世界に還元せられたのである。
 しかし、先にも述べたように<家族>にとって本質的なことは、一対の男女の自然な<性>行為を基盤とする対(ペアー)となった幻想の世界だということである。いいかえれば、<家族>とはひとりの<個人>が他のひとりの<個人>と出会うしかたがあらわになった様式のことを意味している。人間は、<個人>として他のひとりの<個人>と出会うしかたを心的に意識しはじめた時、はじめて<家族>を構成することを知ったのである。(P459)

A太古のある時期に、このような最初の<家族>が、群居する集団の共同性と違和を覚えるようになったのは、<子>の世代においてであった。そして、<子>の世代における兄弟と姉妹のあいだの関係に自然な<性>行為を伴うかどうかということが、集団の共同性と<家族>とが違和をうみだすかどうかの分岐点になったのである。もし、兄弟と姉妹がひとりの<個人>として他のひとりの<個人>と出会うしかたをあらわに発動したとすれば、その関係自体が別の<家族>でなければならないはずである。歴史が教えているところでは、遠い太古にそのような時期があったと想定することは、必ずしも不都合ではないようにみえる。(P460)

B兄弟と姉妹のあいだの<性>的な自然行為が、なんらかの理由で禁制とされた時、<家族>は<社会>の共同性とまったく別の次元におかれることになった。その理由は単純なことであった。母系制の社会だったら、兄弟と姉妹のあいだの婚姻が禁じられれば、姉妹の系列が他の<家族>あるいは種族から男性を迎えて<親>の世代を継ぎ、兄弟は別の地域や場所を求めてもとの<家族>を離れ、別の<家族>または種族の女性と婚姻して別の系列の<家族>をつくるだろうし、父系制の社会ではこの逆のことが考えられる。そうすれば、当然あるひとつの<家族>は、<子>の世代になるとそのもとの<家族>とまったく系列関係にない別の<家族>へと分化してゆくから、それらの<家族>の群を含んでいるひとつの<社会>は、地域的にも<家族>体系としても異質の<家族>群を多数包括することになる。

項目抜粋
2
そのようにして、異質の<家族>を含むひとつの<社会>の共同性は、もはやそのなかのどの<家族>の共同性とも別次元になければならないはずである。そのようにして、血縁によってつながった<社会>の共同性は、血縁関係を断ち切られて、それ以外のもの、たとえば地縁によってだけ結ばれた共同性とならざるをえない。(P460-P461)

C<家族>をわたしたちのように考えることは、フロイトと対称的に、<性>としての人間を<空間性>として考えることを意味している。いいかえれば、<親>の世代と<子>の世代の<リビドー>の関係を人間にとって重要なものとみなすのではなく、同じ世代、いいかえれば<父>と<母>あるいは<兄弟>と<姉妹>のあいだの<性>としての関係を、人間にとって主要なものとみなすことを意味している。そして、このことは、<性>としての人間というカテゴリーを、<個人>と他のひとりの<個人>とのあいだの対となった心的世界とみなしていることを意味している。(P461-P462)

Dひとつには、<家族>というものは、<父>であり<母>であり、<兄弟>であり<姉妹>である<個人>が集まって構成されているのではないということである。かりに、<個人>という概念がひとりの人間存在ということを意味するとすれば、<個人>の本質はすべての意味で人間的であるということである。だが、<家族>のなかのひとりの人間は、本質的に<性>としての人間であって、ラジカルに人間的であるわけではない。(P462)





項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日 抜粋したテキスト
76 表現過程 言語の美学とは何か 論文 「理想」1960.3 吉本隆明全著作集4 勁草書房 1969/04/25 吉本隆明全著作集4
文学論T


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時枝誠記の理論
項目抜粋
1
 @ほんとうは、言語過程の全体を対象として文学の美学的な考察は、はじめて成立するという時枝誠記の理論が、画期的な意味をもっているのは、この理論が文体美学の問題なかに、文学作品の芸術的なもんだいの全てがあるのではないことを、無意識のうちに指摘している点である。問題はつぎの点にある。

 具体的な事物                          概念的意味把握、
 具体的な精神状態                       像把握
  a ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー b

 いままで、わたしは、右の過程への考察をあまりおこなわず、表現過程に重点をおいてきたが、ほんとうは、対象としての具体的な事物・精神状態が、いかに概念的な意味と像の把握となるか、という問題は、きわめて重要であり複雑である。なぜならば、この過程に、文学者が現実の対象といかにぶつかったかという過去と現在の精神的体験の蓄積がいやおうなく現実を反映する主体の問題としてあらわれることはうたがいないからだ。いいかえれば、如何なる社会的な現実を如何に生きてきたか、という文学者の人間的な問題が、具体的事物や精神状態を概念的に反映する主体の質の問題として、ここに存在するからだ。そして、文学者が如何に生きてきたかという問題は、概念的な把握の段階をへて表現過程のなかで自己検証されて言語表現となるのである。表現過程は、だから文体美の形成過程であるとともに、作家の精神体験が自己対象化される過程をふくみ、この自己対象化が、さらに作家の精神体験の全蓄積過程をもいやおうなしに含むものであることは、あきらかである。しかし、これは別個に独立してあつかわれなければならない課題に属している。 (P585)

項目抜粋
2





項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日 抜粋したテキスト
79 方法 自立の思想的拠点 論文 「展望」1965.3 吉本隆明全著作集13 勁草書房 1969/07/15 吉本隆明全著作集13
政治思想評論集


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尖端と土俗とのあいだに張られる言語空間
項目抜粋
1
 @土俗的な言葉に着眼し、それをおしすすめて思想の原型をつくろうとしても、尖端的な課題にゆきつくということはできないし、また逆に世界の尖端的な言語から土俗的な言語をとらえかえすことができないという結節や屈折の構造があり、戦前から戦後にかけて、大衆的な課題を視野にいれようとした思想は、この不可視の結節をかんがえることができなかったために虚構の大衆像をとらえざるをえなかった。
 わたしが課題としたい思想的な言葉は、この各時代の尖端と土俗とのあいだに張られる言語空間の構造を下降し、また上昇しうることにおかれている。わが国では、大衆的な言葉に固執する思想は、かならず世捨て人の思想である。おなじように尖端的な言葉に固執する思想は、かならずモダニズムの思想とならざるをえないのである。(P243)

Aわたしの思想言語からは、ナショナリズムという概念は、世界の尖端的な思想の言語を課題とするときに必然的に伴われる土俗的な思想の言語という以外のどんな意味ももちえない。それは思想が不可避的にともなう象徴ではあっても、けっして積極的な契機ではありえないのである。世界史の端的な課題を思想的に提起しえないかぎり、ナショナリズムの問題も発生しうるはずがないのだ。
  (P265)

B・・・・わたしたちの思想の情況的な課題は世界認識から個々の国家権力のもとで大衆の原像の把握にわたる全思想空間のの奪取いがいにはない。わたしたちはこの課題の途上にたおれたものに礼をつくし、わたしたち自身が途上にたおれても、後から後からこの困難な課題に挑みつづけるだろう。(P356)
項目抜粋
2





項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日

86
負の財産 二つの書翰 書翰 「試行」27号1969.3 吉本隆明全著作集13 勁草書房 1969/07/15


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幻想の砦
項目抜粋
1
 @ただ、わたしはベトナム反戦運動とかベトナム平和運動とかいうものより、大学紛争のほうが<好き>です。また、理論的ラジカリズムはあまり<好き>ではありませんが、行動的ラジカリズムは<好き>です。そして、これらの<好き>には、わたしなりの論理づけをやることができます。そういう意味で、大学紛争における急進的な学生たちのたたかいぶりを<好き>だということができます。
 あなたはきっとなによりも思想だなどといったって現実はちっとも変わりはしない、現実を変革しうるのは行動だけだといった口説の殺到に悩まされているのではないかなと推測しました。わたしにも戦争期から戦後にかけて、あるときはそういう口説を押しつける者として、あるときは押しつけられる者としてそういう場面に遭遇した記憶が幾度かあります。けれどその都度、いやおうなしに確認しなければならなかったのは、わが国の近代以後の歴史のなかでは、現実を変えた行動などはひとつも存在しなかったし、思想がただその思想が存在するというだけで、すでに現実にたいして<威力>であるといえる思想を創りあげたという事実も存在しなかったということだけでした。それがわたしたちの共有している最大の悲劇ではないのでしょうか。そしてそれだけがわたしたちにとって共有するに値する<負の財産>ではないのでしょうか。この<負の財産>からは、あなたを悩ましている急進的な学生たちも、わたしたちもまだ永く解放されることはないとおもいます。 (P685)

Aまことにあなたのいうように思想的自立の苛酷さをなめてもらってはこまるとおもいます。そういうことにこの東大助手たちが気付くのは、たたかうべき現実の場をことごとく敵に占領されても、わたしたちはなお
幻想の砦に拠ってたたかいをつづけなければならないということを知ったときだとおもいます。 (P688)
    (内村剛介への書簡)

項目抜粋
2





項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日
87 文学作品の読み方 日本文学の現状 講演 1966.10.22講演
 東京都立大付属高校
吉本隆明全著作集14 勁草書房 1972/07/30


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話体と文学体 時代の思想的な問題が集中する位相
項目抜粋
1
 @話すように書くという方法は、どういう時代的な意味をもつかといいますと、これはいまでもかわらないわけですけれども、時代の中心的な思想的な問題からちょっとずれたところで、あるいは意識的にずらしたところで作品を書くということを意味しています。ある時代の思想的な課題というものは、もしあるひとつの位相、あるひとつの場所を占めますと、意識するといなとにかかわらず、あるいは好むと好まざるとにかかわらず、ぜんぶじぶんに集中してくるような、そういう場所がかならずあるものです。・・・・太宰治が、話すように書くという書きかたでその作品を持続さしていったということは、時代の思想的な問題が集中する、そういう位相からちょっと意識的に身をずらしたところで作品を書いたということを意味しています。だから、ある意味では書きやすいわけなんですけれども、しかし、べつの困難も、またでてきます。話すように書くという方法をとりますと、・・・・たえず風俗化へ、あるいは通俗化へ落ちていく危険をもつわけなんです。(P97-P98)

A太宰治と対極的なところに位置する作家は、たとえば戦前の中野重治、それから伊藤整、堀辰雄などです。・・・・堀辰雄という作家を例にしますと、太宰治がとったとまったく対照的な、書くように書くという方法で書いたわけです。書くように書くということは、書きながら、書くということによって、じぶんがたしかめられていく方法を意味しています。書きながらたしかめるという過程が、たえず存在するわけなんです。つまり、書くことの内部でひじょうに高度な問題がひとりでにでてきちゃうというようなことがあるわけです。
 そういう意味で、堀辰雄なんかの作品は、すこしも通俗的な崩れというものを感じさせないんです。それから、もっとちがう位相からいいますと、時代がどうなっているかというようなことについて、直接それが素材、あるいは主題となってでてくるというようなことはないのです。・・・・それはどういうことを意味するのかといいますと、主題をせばめ、そして、そりせばめられた主題のなかでおこってくる心の動きというようなものを追求するというようなやりかたでしか、文学の通俗化、風俗化というようなもの、あるいは戦争への迎合というようなものに耐えることができなかった時代がそこにあったんだということを象徴しています。(P98-P99)

項目抜粋
2
Bしかし、文学の問題は、そう簡単なものじゃなくて、主題をせばめたところでしか保たれない、ひとつの時代にたいする対しかたというものも、またある時代には存在するのです。けれど、さきほどのいいかたからいいますと、あるひとつの場所というものを占めれば、その時代の全問題というのは、いやおうなしにそこへ集中してくるというような位相からは、太宰治とは反対な意味でずれていることを意味しているわけです。だから、もし文学というものが、ほんとうにその時代のものだというようなことを想定するとすれば、やっぱりそこからずれていることはたしかです。われわれが究極的に理想として描く文学作品とは遠いといえますが、そのずれかたを、たんにここには社会がないじゃないか、現実がないじゃないか、戦争がないじゃないか、というふうにいうことはできません。(P99)

Cほんとうのプロの文学者というものは、しぶんが書くということになんら自己慰安を感じないし、書くということは苦痛であるかもしれないのです。苦痛であるにもかかわらず、しかし、それでも書くということなんです。俗な言葉でいえば、習慣なんですけれど、・・・・思想的な意味で習慣なんです。(P104)

Dほんとうのプロというものは、そうじゃないんです。そういう、いやだって、今日も生きる、あしたも生きる、それで習慣のように生きるということはなんなのかというようなことを、じぶんに問いうるということなんです。そういうことは、思想的になにを意味するのかというようなことを問うことと、さきほどいいました、いやでも書くというようなこととは、ほんとうは対応するわけなんです。だから、そこのところを解きうるということが、プロの文学者の根本にある問題なんです。(P105)

E・・・・しかし、文学者が作品をつくるというような場合には、かならずそのなかに現実との対応性というものを無意識のうちに、あるいは意識的にちゃんとひらいているのです。(P105)





項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日
115 批評 文芸批評とはなにか 講演 三田文学1970.5.9 知の岸辺へ 弓立社 1976/09/30


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文芸批評というものを確立した批評家 批評は、<独身者>という位相をどうしたらぬけられるか 文芸批評自体の問題として、作家の創造体験、あるいは詩人の創造体験というものにどれだけ接近できるか
項目
抜粋
1

@

 わたしどもが現在かんがえているような意味で
文芸批評というものを確立した批評家は、個人としていいますと、小林秀雄がはじめてであったというふうにかんがえております。・・・・小林秀雄がでてきまして、はじめて、わたしどもが現在かんがえている意味の文芸批評というものが確立され、批評の問題が<感想批評>の域から脱したというふうにいえます。(P143)


A

 それでは昭和の初年になって、小林秀雄は文芸批評そのものを文学界の寄生虫的な存在から、どういうふうに離脱させようとしたかをかんがえてみますと、小林秀雄の初期の批評文の中の有名な言葉をかりていえば、もしバルザックが人間喜劇を書いたとおなじような意味でいうならば、文芸批評家というものはあらゆる天才たちの喜劇を書かなければならない、というふうにかんがえていったわけです。
それとともに、寄生虫的な存在というところからどういうところへ批評家自体の自意識を持っていったかといいますと、批評家は<文学の世界における独身者だ>という言葉で、小林秀雄はそれを自己規定しております。
・・・・ところで、文芸批評のばあいには特にその<独身者>の状態はよろしくないわけで、対手の作品を解剖につぐ解剖を重ねて、つまり、解剖し尽くしておいてしかも対手を好きだとか、嫌いだとか云ったって、対手は初めから、解剖されたこと自体が気に食わないわけですから、とうてい、こちらになびく心づかいはない、ということになります。つまり、そういう意味で小林秀雄は、文芸批評家というものは文芸の世界における、いわば<独身者>であるというふうに自己規定していったとおもいます。
(P144-P145)


B

 ところで、作家の側からする、<お前、批評家としてつべこべいうけれども、じぶんで書いてみろ、書いてみたら、決してそううまくいくもんじゃないんだぞ>というようないい方の中には、べつに同情するわけじゃないですけれども、かなり深い根抵があるというふうにかんがえられます。なぜ根抵があるかといいますと、作家、あるいは詩人でもいいわけですけれども、
作家、詩人のそういう抗議の背景を成しているものは一つの創造体験です。その創造体験のなかでは空想力も想像力も、つまりイメージも、それから心情も、ことごとくが、いわば、存在権を作品の中で主張することができます。つまり、作家は想像力も空想力も、それから心情も、あるいは感覚も、すべて一個の独立した存在権を主張するものとして、作品のなかに封じ込めてゆくわけです。つまり、創造という行為の中には、常にそういうようなたくさんの要素が、創造自体の中に参加しているということがいえます。(P148)


項目
抜粋
2

C

 これに対して、文芸批評というもののなかで大変な存在権を主張し得るのはどういうことかといいますと、それは類比とか、あるいは推理とか、あるいは関係つけとか、あるいは関連つけとか、そういうような、いわば、論理学が論理として提出している基本的な要素であるにちがいありません。
論理性が文芸批評でも、やはり、第一義的な意義を占めるということは、確かなようにおもわれるからです。ただ、論理学と文芸批評とどこがちがうのかといいますと、文芸批評家のばあいには類比とか、関連つけとか、関係つけとか、そういうような、基本的には論理学のやることと同じことなんですけれども、そのこと自体に肉が付けられてなければならないということがあります。 (P149)


D

 つまり、小林秀雄の出現、あるいはプロレタリア文学における批評の基準論争以降における、文芸批評家にとっての最大の課題、あるいは、
文芸批評にとっての最大の課題というのは、依然として批評家、あるいは批評は、<独身者>という位相をどうしたらぬけられるかどうかというような問題であると要約することができるかとおもいます。 (P156)


E

 わたしがやりました一つのことは、批評自体の問題として、つまり
文芸批評自体の問題として、作家の創造体験、あるいは詩人の創造体験というものにどれだけ接近できるかという課題を、まず第一にじぶんに課したというふうにおもいます。・・・・その成果といいますか、わたしの体験というものは、『言語にとって美とはなにか』という仕事のなかにでているとおもいます。わたしの主観で云ってよければ、批評の問題としては、創造体験のなかにとにかく極限までいったというように、おもっております。 (P157)


F

 第二にどういうふうにかんがえたかと申しますと、文芸批評というジャンルそれ自体の枠を拡大しようとかんがえたわけです。この<拡大>という意味は、何にでも手を出すという意味あいにここではとらないでいただきたいのです。つまり、問題を批評の内部で問うているわけですから、そういうふうにとらないでいただきたいのです。・・・・つまり、批評家としての自己原理があるならば、文芸批評というものはその原理のある一つの現れ方であるというふうな位相で、文芸批評自体を拡大しようというふうにわたしは試みてきたとおもいます。(P158-P159)


G

 それからもう一つ、わたしがどうしたら、いわば小林秀雄的な段階から、あるいはプロレタリア文学的な文芸批評の問題から抜けられるかという課題にたいして試みつつあることは、
文学の創造、あるいは文学の享受−鑑賞でもいいんですけれども、そういうものの背後にある人間の観念の働きのしかたといいますか、あるいは人間の心的な世界といいますか、心の世界というものは、どういうぐあいにできあがっているのかというもんだいです。その課題がやはり、根本的にあるようにおもわれます。・・・・文学のもっと基礎にある問題として追及していかなければならないんだというようなふうにかんがえていったとおもいます。
 そして、これは現在、序論の部分だけしかおわっていませんけれども、
『心的現象論序説』という仕事の中で、試みてきたようにおもっております。(P161-P162)


 備




 (備 考)

ここでの吉本さんの言葉では、『言語にとって美とはなにか』や『心的現象論序説』は、批評という地平に引き寄せて言えば、「わたしがどうしたら、いわば小林秀雄的な段階から、あるいはプロレタリア文学的な文芸批評の問題から抜けられるかという課題」に対する壮大な試みということになる。

わが国における文芸批評の歴史を振り返れば、平安期の歌合において歌の良し悪しを述べた判の詞(判詞)辺りから発祥して歌論などへと深まってきたのかもしれない。そうして、近代になると<感想批評>となっていた。そこから、小林秀雄が近代的な個に対応するものとして批評を自立したものへと造形していった。吉本さんの世代は、それ以降の世代で、その近代批評に残された問題をどう受けとめて実践していくかと考えられている。

批評という概念の検討については、これ以降のものに、『悲劇の解読』( 1979.12) と難解と言われているその序がある。





項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日
116 文学体と話体 文学の現在的課題 講演 立命館大1974.11.6 知の岸辺へ 弓立社 1976/09/30


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<話>というもの
項目抜粋
1
 @書くように書かれた文学を、ぼくらは<文学体>の文学というふうに云っています。つまり表現過程を、どこまでも昇りつめていくという課題、つまり表現の内部で昇りつめ方が、なおかんがえられるべき方法をもっている文学を<文学体>の文学と呼んでいるわけです。単に言葉によって作品行為をするというところで、文学自体(文学行為自体)がおわるのではなくて、表現された作品の中で、またさまざまなよじ登り方を、もう一度しなければならぬという方法意識によって創られた作品を、<文学体>の文学ととかんがえるわけです。その課題は、いわば知識人の文学ないしはふつう純文学といわれているものと同じようでいて、少しちがう考え方だ、と理解してくれればよろしいとおもいます。(P174)

Aこれに対置したいもう一つの概念は、さまざまな言葉があるようにおもいますが、話すように書かれた文学ということです。それをぼくらは
<話体>の文学というふうに呼んでいます。<話体>の文学、話すように書かれた文学というのは、大衆文学といわれているものと少しばかりちがいます。大衆文学というばあいには、なんとなく中間小説とか風俗小説とか低い価値観とくっついたイメージがありますが、それから低い価値観を抜いたものが、話すように書かれた文学とかんがえてもらえればいいとおもいます。この課題は、思想的にいえば、大衆というものを大衆現象としてではなくて、大衆を本質としてどう把えるかというばあいの問題と、表現的に照合するとおもいます。だから決してここでいう<話体>の文学、あるいは話すようにして書かれた文学が、低級だという意味あいはありません。つまり、いくらでも高度でありうるものだということなのです。つまり、高級低級、あるいは知識があるかないか、大衆向けかどうかというようなこととは全く関りがないことで、それを<話体>の文学というふうにかんがえ規定しますと、それは先ほどいいました<文学体>の文学といわば双分できる概念だとかんがえます。 (P177)
項目抜粋
2
B<話>というものは、ある言葉がいま現在をはなれますと、次の瞬間にはもうその言葉はなくなってしまうわけです。とどめられることはないわけです。それでその言葉の次には、また次の言葉が飛び出してくるわけです。それで、その言葉はまたすぐ消えてしまうわけで、飛び出した瞬間から消えていくわけで、そういうふうにして、絶えず表現が現在にしか集中しない。話すように話すばあいには、これから吐れる言葉も、既に吐れてしまった言葉も、現在にしか集中しないというものが本質なわけです。話した内容が話した瞬間から消えてしまうわけです。消えていない保証というのは、それに対する対手というもの、他者の中にそれを残しているであろうとかんがえることです。しかし、他者の記憶に残っているか残っていないかということは、話した者にとって少しも判っていないのです。・・・・そういうものが <話す>という言葉の本質であるわけですが、その本質を書くということの中で方法的にもちいている<話体>の文学ということにおいては、表現内部におけるよじ登りということは問題ではないのであって、よじ登りよりも、話し言葉がちょうどそうであるように、空間性あるいは指示性といいましょうか、そういうものの拡大ということが、本質的な問題として登場します。だからこれは指示性、あるいは空間性の届く限りの問題が問題になる、というふうなことと全く同じことになっていきます。
  (P177-P178)





項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日 抜粋したテキスト
117 文学体と話体 文学の現在的課題 講演 立命館大
1974.11.6
知の岸辺へ 弓立社 1976/09/30 知の岸辺へ 吉本隆明講演集


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否定的な処方箋 『新古今集』の世界
項目抜粋
1
Cいわば過渡期として動きが激しくありながら、なおかつ停頓しているとき、そういうときということと、それから文学創造行為の核がどこにあるか、あるいは現実世界総体をとらえるときの、その核をどこに求めたらいいのか、個々の作家あるいは個々の詩人によって、把え難くなっている時期においては、いま申しあげました<文学体>の作品と<話体>の作品との混合が起こり、そして逆転が起こり、というような現象−現在のような現象−が、しばしば文学史の中に現れます。(P188)

D・・・・現在われわれは、『新古今集』の世界を高級なものとして、あるいは縁遠いものとして把えがちなわけです。しかし本当はそうではないので、『新古今集』というのは大衆文化、大衆芸能というものに猛烈に浸透されていったそういう時代の、いわば現在でいう知識人の文学に相当するわけです。けれども、いわば<文学体>の表現方法を持っている、そういう作家たちが、どういうふうに、そういう情況の危機に対して対処したか。対処の仕方のひとつとして『新古今集』は存在しています。これはわれわれが現在かんがえやすいように、高級なものとして理解するのはまちがいであって、もう少し低級なものとして、つまり大衆文化に浸透され、影響されるものとして把えたほうが、本当にリアルに把えたことになるだろうとおもいます。(P189)

Eただ否定的な処方箋なら出すことができます。消極的な処方箋というのはどういうことかといいますとね、これを文学に即していっても思想に即していってもいいのですけれども、つまりその時代には、その情況にはある位置をある場所を思想的にか文学的にか占めますと、もう不可避的に文学の課題も、文学の現在的な課題も、それから現実の政治的な課題、思想的な課題というものも、どうしてもそこに集中してこざるをえないという、そういう場所というのはあるわけなのです。その場所にもし立つならば、その人がかりに、おれは文化の課題もへちまもない、そんなものは背負いたくもないと、おれは政治なんてものは大嫌いだ、おれは拒否する、といおうがいうまいが、その場所を占めたら必ずそういう現実の諸問題、諸課題というようなものが集中してくる場所におかれてしまいます。だからその場所を、もしできるならば占めればいいということが処方箋です。(P192-P193) 


項目抜粋
2





項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日 抜粋したテキスト
139 方法 『日本語はどういう言語か』について 論文 1976.6 初源への言葉 青土社 1979/12/28 初源への言葉


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三浦つとむ 文学作品を解析するのに、これほど優れた武器
項目抜粋
1
【三浦つとむ『日本語はどういう言語か』について】
@文芸批評について、こういうことが、わかりかけてきたとき、わたしは、文学の理論に深い関心をもつようになった。いままでなされてきた文芸批評は、どう名づけようと理論ではない。これは、批評としての出来栄えとも、主観や党派とも、かかわりがないことである。文学に関する理論は、言語の解析からはじまるか、具体的作品の逐次的な解析からはじまる以外にはない、というのが、わたしの到達した結論であった。この結論は、すでに、小林秀雄によって、言及されていた。ただ、それを実行していないだけだ。・・・・
 こういう問題を抱えこんで、さまざまな思いをめぐらしているとき、三浦つとむの『日本語はどういう言語か』という著書につきあたった。この著書は、啓蒙的なスタイルをとった小冊子だったが、内容は、きわめて高度で、画期的なものであった。その上、文学作品を解析するのに、これほど優れた武器を提供してくれる著書は、眼に触れるかぎり、内外の言語学者の著作のうちに、なかったのである。わたしは、抱えこんでいた問題意識に照らして、この著書の価値が、すぐに判った。この著書を、うまく、文学の理論につかえるのは、たぶん、わたしだけだろうということも、すぐに直観された。
 (P375-P376)

Aまず、わたしは、文学作品の言葉を、<表現>という次元に位置づけなければならないことを、徹底的に思い知らされた。言葉が、紡ぎ出されてゆくためには、こちら側に、認識の動きがなければならぬ。読み手が、たどるのは、あちら側に<表現>された言葉だが、作品を紡ぎ出したこちら側にとって、言葉は、<表現>された認識の動きの結果である。そうだとすれば、読み手は、作品の言葉をたどりながら、同時に、作者の認識の動きを追っているのだ。また、言葉が紡ぎ出されたとき、紡ぎ出した作者は、いわば、言葉によって、逆にじぶんの位置をはっきりと限定される。こう云うと、いかにも簡単なようだが、どんな言語学の著書も、対象と認識と表現との関係を、これだけ明快に、指摘してはくれなかったのである。三浦つとむのこの基本的な指摘は、すぐに有効なことがわかった。(P376)

項目抜粋
2
Bわたしは、ある種の古典詩歌の作品が、単純な叙景や、叙情にもかかわらず、感銘をあたえるのはなぜか、ということにひっかかっていた。・・・・わたしは、詩歌の作品の言葉を、極端にいえば、一字、一字たどり、それごとに、背後にある作者の認識の動きを、推量してみることにした。そして意外にも、わずか三十一文字といった表現が、めまぐるしいほどの、認識の<転換>からできあがっていることに気づいた。うかつといえばうかつだが、かつて誰もそれを詩歌の本質として、指摘したものはいなかったのである。作者が、意識せずにつかっているめまぐるしい認識の<転換>が、詩歌の美を保証している。わたしは、これを緒口に、<場面>、<撰択>、<転換>、<喩>の順序を確定し、この四つが、現在までのところ、言葉で表現された作品の美を、成り立たせているだろうという、理論の根幹を、形成することができた。対象−認識−表現という三浦言語学の基本的な骨組みは、ある文学作品を、創造するものの側からたどり、あたうかぎり創造の理論に近づきうる可能性を示唆していた。わたしはその道をたどった。 (P376-P377)

Cわたしが三浦言語学から、おおきな示唆をうけたのは、つぎのような個所であった。
   ちょっと考えると、写生されたり撮影されたりする相手についての表現と思われがちな絵画や写   真は、実はそれと同時に作者の位置についての表現という性格をもそなえており、さらに作者の   独自の見かたや感情などの表現さえも行われているという、複雑な構造をもち、しかしそれらが   同一の画面に統一されているのです。(三浦つとむの『日本語はどういう言語か』)
 絵画や写真は、できあがったあちら側をみるだけではなく、描いたり、撮影したりしたこちら側をみなければならぬ、ということを示唆している。この示唆は、拡大されうる。そして拡大することによって、創造したものの内面の暗がりを、いわば、表現された作品との統一において、きめ細かく再現することの可能性をも暗示している。この著書は、ふつう、わたしたちが、面倒さや、手段がみつからないことにさまたげられて、印象批評で流してきた批評の領域に、はじめて理論の手がかりを与えてくれた。 (P378)





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141 方法 『最後の親鸞』のこと 論文 1976.11 初源への言葉 青土社 1979/12/28 初源への言葉


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不毛な困難
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1
 
@ところが不思議なことに親鸞や道元や日蓮を対象として作家や批評家が論著をつくったとしてみる。このばあいには現代の論者も読者も共に、現に獲得している諸概念で論ずることも読むこともきわめて難しいという事態が生ずる。論者の方は、抹香臭い雰囲気を掻きわけて、まず現代の諸概念の流通する広場へもってくることだけで、息が切れるほどの困難に出遇うのである。下手にこれをやろうとすると、現代のパターンで往古の時代の仏教的思想家を割りつけることになるし、のめり込めば自ら抹香臭い雰囲気をふりまくことになる。おおくの宗教家によって論じられた親鸞や道元や日蓮が、漢訳を通した抹香臭い雰囲気にどっぷり首をひたしたものになるのはそのためである。これは感覚的な云い方だから、すこし云い直すと仏教の諸概念を表わす用語に分け入るとき、すでにどっぷり抹香臭さにひたることなしには理解できないということになる。まして理解した上でひき返すのがとても困難なのだ。(P171)

Aわたしは親鸞を論じながら、この種の眼に視えぬ困難ともっともおおく確執した。これは書くことに則していえば、どこへも責任をもってゆきようがない不毛な困難であった。ともすればこの確執に負けそうにもなった。またこういう確執をおして道をつけてくれていない近代以後の文学や思想の歴史に恨み言をもってゆきたい気持がした。読者がもし、『最後の親鸞』をパスカル論やルッター論を読むのとおなじように虚心に読むことができたとしたら、わたしにとっては大半の意味は成ったということになるし、名辞からして抹香臭いという先入見なしにとりついてくれたら、それ相応の世界が親鸞のなかに在ることが知れるだろうと思っている。
 (P172)

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2
B真宗の始祖親鸞は信仰によって僧侶で在ったのではなく、知識がたまたま<信>の形をとらざるを得ない時代だったから、僧侶だったにすぎなかった。また、僧侶だったから浄土門の経典を註釈したのではなく、思想がたまたま仏教の形をとらざるを得ない時代だったから、仏教的であったにすぎない。この意味は、ウェーバーの方法からはとうてい理解に達することはできないものである。とくに親鸞にあらわれている口称承念仏による往生論は、すでに大乗仏教におけるユートピアとしての浄土が、観念的な異空間に描くことができないものであることを象徴していた。つまり観想力による浄土のイメージは、親鸞ではすでに解体されていた。それが無意味なことは僧侶によっても民衆によっても、かなりはっきりと自覚されていた。親鸞はそれに思想的な内容をあたえたといいうる。 (P174)





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142 プレ・アジア的 プレ・アジア的ということ 論文 吉本隆明の文化学 三交社 1996/06/10 吉本隆明の文化学


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1
 @ヘーゲルのアフリカに対する認識を個条にして抜きだしながら、だんだんとうんざりしてくる。ヘーゲル自身は「わたしたちにとって興味のある唯一の教訓は、自然状態(注 アフリカのような)というものが絶対の徹底した不法の状態である、という理念の正しさです。」(『歴史哲学講義』上)と述べている。ヘーゲルのアフリカ理解は不充分で外在的だが、見当が外れているとは、おもえない。だが事態にたいしてその洞察力の適確さが外在的になっている部分だけ、そのアフリカ理解は浸透力を欠いているとおもえる。わたしたちはこのヘーゲルのアフリカ理解から肝要なもの(アジア的世界の考察につながるプレ・アジア的なもの)を、わたしたちの洞察の及ぶ範囲で要約し直してみたい。(P9)

A(1)プレ・アジア的段階とアジア的段階とは王制の問題としていえば絶対専制と相対専制の差異であるといえる。絶対専制のイメージは王(の一族)と奴隷的な臣下しか存在しない状態として描くことができる。王は臣下の土地・収穫・所有物・女性・生殺権のすべてを掌握している。この絶対的な専制は、王が不都合な状態を臣下の全般に出現させて障害を与えたときには、臣下によって有無をいわせず罷免されたり、殺害されたりして、徹底した王権交替が行われる。いいかえればプレ・アジア的(アフリカ的)段階の王権の絶対専制は、全臣下による逆の絶対専制をも包括している。また絶対王権の経済的な基盤は原始的な贈与制とみなされる。王は呪的な利益、制度的な整合、鉄器、土器その他道具の製造など普及させるかわりに、臣下からの生産物、収穫物、労働の召し上げは自在になる。
(2)プレ・アジア的(アフリカ的)な段階では宗教は自然にたいする呪術的な働きかけであるとともに、自然物を神格とみなすほど深い自然との交霊になっている。動物も植物も土地も交霊が成り立つ関係に入ると、みな言葉を発し、人(ヒト)に語りかけたり、人(ヒト)の言葉を解したりできるものとみなされる。(P11)


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2
Bわたしたちがヘーゲルのアフリカ理解といちばん離れる点は、ヘーゲルが原住民が人間や宗教の理解をまったく示さないとみているところだ。また、野蛮や未開を残虐や残酷と結びつけ、生命の重さを知らないものとみなしているところだと言っていい。わたしたちはそれを深く異質の仕方で自然物や人間を滲みとおるように感じ、言葉を交わし、文明が残虐で野蛮なものと見なしているものを、独特な視点からする万有の尊重とみる点だといえる。ヘーゲルは絶対的な近代主義ともいえるところから、世界史を発展と進展の過程とみている。そこからは野蛮、未開、原始は、いわば迷妄から醒めないものとしかみえない。たしかに自然史(あるいは自然対象史)からはそれは正当な見方ということになる。だが人間の内在史(精神関係史)からは、外在的な文明に圧倒されてぼろぼろになり、穴ぼこがいたるところにあって、外在の侵入を許す過程であるため、外在に侵蝕された内在の部分を削りおとすために、硬直した理性を編みだす歴史だということもできる。精神は複雑さと変形を増すかもしれないが、失うものもたくさんある過程だともいえる。わたしたちの現在が、ヘーゲルの同時代の精神よりも、自己を発展させたとは到底いえないが、発展ではなく深化の過程にたいしての認識を加えられるようになったため、過去の野蛮、未開、原始にたいする理解はいまでは深層にひろがったとはいえる。
 わたしたちは、プレ・アジア的(アフリカ的)な段階の概念をはっきりさせるために、内在史としてのプレ・アジア的精神の動きを、どこまで理解できるかを問われるといえよう。(P12-P13)






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143 プレ・アジア的 プレ・アジア的ということ 論文 吉本隆明の文化学 三交社 1996/06/10 吉本隆明の文化学

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1
 
フォレスト・カーター『ジェロニモ』にふれて】
Cこの感応を文字どおりうけとれば、いわば樹木の言葉がわかり、その感覚の意味を人(ヒト)が解することができる状態があることを記述している。これがアフリカ的な段階のアメリカ原住民が、自然にまみれて生きていることの内在的な正体を語っている。鋭敏な感覚というに違いないが、すこし質がちがっていて、植物とおなじ次元で交感がひらかれている。わたしたちは現在こういう交感が成り立たない次元差になってしまった。そこで植物の言葉がわかるということは、思い込みとか妄覚とかいう意味に転化してしまった。しかしこの引例の主人公ジェロニモの感覚を、思い込みとか妄覚とか呼ぶことはできない。それをわたしたちはプレ・アジア的(アフリカ的)な段階の内在性のひとつとしてとらえる。 (P14)

Dわたしたちは現在、こういう眠りやこういう夢を失ってしまっている。眠りははっきりと眠りであり、夢ははっきりと夢として分離されている。しかしここでは、生、眠り、夢、死は、まだ連続した感覚体験としてとらえられている。妄想に類した感覚といえばいえるとしても、かつて人(ヒト)はこの感覚の連続性のうちにあったことを類推することはできる。(P16)

Eこれらは全自然物が鳥や獣や岩や樹木や河川であれ、そこが神が(霊が)ひそんでいるというプレ・アジア的(アフリカ的)段階の自然まみれの意識が、逆にいえばいつでもじぶんの意識がこれらの自然物に入りこんで、じぶんの存在でありうることを示している例になっているといえる。そしてここまでくると日本神話『古事記』や『日本書紀』の初期の自然認識とおなじ質のものだということがわかる。・・・・この全自然物は神として存在しているという初期日本神話の記述は、はっきりとプレ・アジア的(アフリカ的)な段階にある特徴のひとつということができよう。・・・・日本神話は初期の国生み、山や川や草木、土地を造りだして神の名を与える記述のところで、プレ・アジア的(アフリカ的)段階の存在感を語っている。
(P19-P20)

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2
F「神武紀」以後の記述では、山は神体として頂きの盤石を祭り、河川もまた源流に座す神として祭るようになり、樹木も神格を与えられた神社になり、自然現象もまたそれぞれ、雷、科戸(風)の神などとして、村里の周辺や要所に分離されて神社信仰にかわってゆく。この最初の自然物の宗教化、自然と人里の住民との分離の意識からアジア的な段階がはじまるといっていい。(P20)





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144 方法 言語と経済をめぐる価値増殖・価値表現の転移 1994.10.14 吉本隆明の文化学 三交社 1996/06/10 吉本隆明の文化学

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無形の価値概念 価値概念を変える
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1
【これは吉本隆明が今まで成してきたこと、これから成そうとしていることが語られている、重要なインタビュー】
@ここ数年は、自分なりに価値論の変え方を少し考えて『ハイ・イメージ論』でやってきました。文学論だけに関わらない形です。マルクスの言う価値論は労働価値説なのですが、労働価値説から出てくる価値論をもっと広げることができないかと考えたわけです。広げて価値概念を作るときに、そのなかに文学・芸術から、娯楽とか芸能とか、つまり人間の楽しみとか、遊び、余裕、そういうものを含めて通用する価値論を出したいと思ったわけです。
 主観的に言いますとマルクスの価値論は息苦しいじゃないかという感覚が、自分のなかに旺盛に出てきたわけです。その息苦しさはどこからくるのか、またこの息苦しさを開かせるには、どんな価値論を作れば良いのか、そういうモチーフから出発しました。

A言い換えれば、人間がある対象に向かって行なう、心身の行為が労働だと考えますと、労働という概念を単に商品を作るということからもっと拡大して対象化行為全体に及ぼせることになります。まずそこのところで、労働という概念一番極端なところまで開いておこうじゃないかということです。つまり、人間がある対象に向かって、つまり、自然に向かって対象的な行動をする。それを労働と考えると、商品の価値に限定しないで、広い価値という概念を作れるのではないかと、まずは考えるわけです。それを広い言い方で言っちゃいますと、人間が周囲の自然に対して、何か行動したり、精神を動かせたりすると、したところから自然は全部価値化されていく。そう拡張できることになります。
 僕の理解の仕方では、それが息苦しいんじゃないかな、とおもえます。

項目抜粋
2

Bそれなら、息苦しくない方法をどう考えれば良いのかと考えるわけです。僕の考え方の経路において、手を加えれば対象は全部価値になってしまうという極端に広げた価値概念を息苦しくなくするには、遊びとか娯楽とか芸能とか、もちろん文学・芸能も広い意味では遊びであったり、娯楽であったり、楽しみであったりとなるわけですが、そういうものを全部含めてマルクスの言う極端に広げられた価値概念のなかに入れてしまえば、必ずしも息苦しいとは限らないことになります。
 そのために価値という概念を変えることになります。マルクスが『資本論』でやっている価値概念は、労働時間の大小に依存します。そして、商品は目にみえる労働で手を加えた時間をもとにしています。無形の、精神的な価値を変えたということが、『資本論』の価値概念には含まれていません。そこで価値概念は無形ものの価値まで広げるというモチーフからかんがえてみることになります。
  (P22-P23)






【註】【他の論と表記が異なる。例、【僕、考える、目などなど】】




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161 方法 あとがき 論文 1989.6 言葉からの触手 河出書房新社 1995/07/25 言葉からの触手  河出文庫


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生命が現在と出あう境界 言葉の概念と言葉が喚びおこす像
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1
@この断片集は、言ってみれば生命が現在と出あう境界の周辺をめぐって分析をすすめている。そしてこのばあい境界を出あいの場にしているのは言葉だとみなされている。生命が現在と出あうという言い方はあまり耳なれないものだ。わたし自身にも耳なれないといってよい。しかしこの概念はわたしが好んでつくりあげたわけではなく、現在流布されているある種の理念が、生命という概念を内面性という概念に代えてとりあげる場所を提供していて、この理念に言及しようとすると、どうしても生命が現在と出あうという言い方をとることになってしまう。もちろんこういう他動的な理由のほかにもべつの理由をあげることができる。生命という言葉は、なによりも生体の代謝活動を表象しているのだが、この代謝活動もまた現在では内面性の活動の範囲に入れないと、精神活動のひろがりをとりこむことができないとみなされている。いいかえれば永続と死とを象徴的な特徴とする生命の活動もまた、精神の活動だとしなければ、わたしたちが現在ぶつかっている多様な事柄をおおいつくすことができないと、わたしにはおもえる。そして生命の活動を精神のはたらきとして包括できる緒口は、言葉の概念のなかに含まれているという考え方が、ここでの考察をすすめる原動機とになった。ほんとうをいうと、わたしを悩ませたモチーフはもうひとつ派生していた。言葉の概念と言葉が喚びおこす像【ルビ イメージ】とのあいだにはどんな関係があり、それがどう根拠づけられるかということだ。この問題は言葉の像と現在いたるところでぶつかる高次な映像の関係ということからも、この稿で切実になっていた。・・・・これらが錯綜している場所と時間が、現在ということになるに違いない。(P124-P125)
項目抜粋
2





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162 方法 言語と経済をめぐる価値増殖・価値表現の転移 論文 1994.10.14 吉本隆明の文化学 三交社 1996/06/10 吉本隆明の文化学

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価値と意味 指示表出と自己表出
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1
【これは吉本隆明が今まで成してきたこと、これから成そうとしていることが語られている、重要なインタビュー】
Cそれでは、無形ものの価値概念とは何なのかということです。商品の価値に、無形の価値概念を含めようとするとき、まず価値ということと、意味ということを厳密に分けて考えてみたいと思います。これは僕らが六〇年代の初め頃にやった、言葉のイメージするものが価値概念と結びつくところが出てきた考え方です。結局、マルクスが価値と言っていることは、価値ということと意味ということの両方に明瞭に分けないで曖昧なまま一緒になっていて、それが無形の価値までに拡大していく場合に不都合が生じる理由ではないかと思いました。
 僕なんかの価値概念は、言葉で言うと、指示表出というふうな何かを指す使い方と、自己表出という、自分の持っている表現性の元になっているものに対する表現の仕方、あるいは動物で言えば何かの叫び声あるいは呼び声みたいな、対象を指してというよりも、そのまま心のなかからひょいと出てきてしまう表現を考えたわけです。結局、価値というのは、相手を指示する概念を潜在的には通って、自分が自分に対して叫びかけるとか、自分の叫び声が自分のなかから起こってくるというような自己表出、何かを指す概念が潜在的に裏に隠れて、自己が自己に対して表現を仕掛けるという概念に表現が移っていく、そういう経路を通っていったものを価値と考えれば良いか。逆に言いますと、自分が自分に叫びかけるという過程が裏側にありまして、相手を対象として指す表現が出てきたとき、それは意味であると考えたら良いので、そう二つに分けられるべきと考えました。(P23-P24)

D『資本論』で言いますと、マルクスは例えば空気や水は交換価値はないけれども、使用価値はある。つまり、使えるものは皆、意味があるということで言えば価値がある。しかし、それ自体が取り替えることもできれば、何かと替えることもできるという意味の価値は、水や空気にはないと考えても良い。基本的にはそうなるのです。僕が言葉の表現で言う価値と、言葉の意味というものは、ちょうどマルクスの使用価値という概念と、交換価値という概念に対応する形で考えることができます。そう考えることで、六〇年代頃にやった言葉の表現、つまり、文学の考え方というものと、一般にマルクスの価値論を普遍化してしまおうじゃないか、拡張しちゃおうじゃないかそのなかに休息も娯楽も、無形の精神的な行為も全部含める価値概念にしちゃおうじゃないかという価値の拡張の仕方が、ある程度、結びつくことができます。そこで、価値の普遍化・拡大化という概念と、言葉の価値という概念を結びつけることができるというおおよその筋道ができあがりました。(P24)

項目抜粋
2
EAという作品とBという作品は、どちらが文学的な価値があると決められる文学理論、文学の考え方を作りたくて、『言語にとって美とはなにか』を書きました。・・・・内在的に内側から決められる価値概念で、言葉の価値を決められれば、文学としてこっちの方は価値があるけれども、こっちの方は価値がないと言えるはずだという考え方を展開していきました。・・・・百回というのはひとつの比喩ですが、その作品を無限に何回も読んだとすれば、必ず決まるはずだと僕は考えたわけです。・・・・
 なぜ、決まっていくのかというと、言葉の内在的な価値で決まっていく、人間が言葉を発するとき、意味として言葉を使うか、価値として言葉を使うかということになるわけです。けれども、これは意味として使う時にも、価値として使っているのですけれども、意味の方が強度が強い形で出てくる時に、意味として言葉を使っているということになります。それから、逆に価値として言葉を使っている場合は、意味として使っている部分もあるのですけれども、その過程を通って価値として使っている部分が強調された場合は、それは価値として言葉を使っているということになるのだ。そういう言葉の意味や価値の理解になっていきます。(P25-P26)

【具体例】(P26)
F例えば人間の精神のあり方というのを考えますと、自分はこれからご飯を食べようかなと心のなかで考えて、本当にご飯を食べはじめた時、それはご飯を食べているというその人の行為、行ないの意味になって現われます。・・・・その元になっているその人の内在的な心の働き方と行ないの関連を見れば、心の働きとしてご飯を食べようかな、よそうかなという過程とか、ご飯を食べるとすれば、何をおかずにしようかなという精神のなかだけで考えられること、精神の表現というのがまずありまして、それから行ないになって出てくる。こうなった時、その行ないの意味が人にも見えているということになります。
 価値という場合はそうではなく、行ないはどうでもよくなります。・・・・
そういうふうに価値の考え方を考えれば、精神の憩いや休息、娯楽のために何かをした、消費したということでも、それは価値のなかに含めることができると考えられるわけです。(P26-P27)





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163 方法 言語と経済をめぐる価値増殖・価値表現の転移 論文 1994.10.14 吉本隆明の文化学 三交社 1996/06/10 吉本隆明の文化学

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G最近のことですが、これはつながりが考えられるなと思いだしたことがあります。それは人間の価値という考え方、僕の言葉の理論の言い方でいえば、自己表出とか自己表現を、人間の心身の相関わる領域に関連づけたいということがあるのですが、その関連づけに三木成夫さんという脳解剖学者の考え方が大変有効性を持っていることに思い到ったことです。
 人間の活動について心の働きという場合もあるし、精神の働きという場合もあるし、意識の働きという場合もあるし、無意識の働きという場合もありますし、感覚の働きというものもあります。文学・芸術というのは心の働きと感覚の働きが一番基本的だと思いますが、心の働きと感覚の働きはどこが違うのかということです。・・・・人間の器官には植物神経系の働きで、自動的に動いている部分があります。それは内臓の働きです。喜怒哀楽という情念に関わる働きは内臓に関与しています。つまり内臓の働きに関与する精神の働きを特に心と呼んでいると理解すれば良いのだということは、三木さんの解剖学的な考え方、形態学的な考え方で、初めてはっきりしたなと思えたわけです。心の働きは内臓の働きである。心情の働き、喜怒哀楽に関与する働きは内臓の働きに関与するものであり、それが表現となって出てくるものです。それから、人間の感覚器官、五感に関連する動きもあるわけです。人間には感覚的な精神の動きと、内臓の働きによる精神の動きがあり、ひとつを心と呼び、もうひとつを感覚作用、感官作用、知覚作用と考えれば良い。そして、内臓の働きも感覚器官を通っていて、内臓の働きが全面的に出てきた時には心と呼べば良いし、内臓の働きが作用する精神の働きが背後に隠れて、感覚の働きが表に出てくるものを感覚作用、あるいは知覚作用と呼べば良いことがわかります。(P27)

Hどちらが潜在的になるかで、人間の精神の働きは強調点が違ってしまうと考えられるということです。初めて、自分の言葉の価値と言葉の意味の考え方と、人間の生理器官の動きと結びつけることができると、理論的に言えるようになったのではないか。人間の生理作用と心の働き・感覚の働きと、言葉の表現における言葉の価値と言葉の意味、マルクスで言えば経済的な価値論・価値概念を拡張して、一般的・普遍的な価値概念を作ることができるのではないか。そうすると、価値というのは必ずしも人間が行動すれば全部価値化されちゃうんだという息苦しさから逃れられるのではないかというつながりが、おおよそつくようになったと、自分では思えてきました。(P28)

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164 方法 言語と経済をめぐる価値増殖・価値表現の転移 論文 1994.10.14 吉本隆明の文化学 三交社 1996/06/10 吉本隆明の文化学

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胎児以前に形成される無意識があるかどうかという問題 系統発生と個体発生が融和してしまうところの無意識
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1
Iしかし、よくよく考えるとここは曖昧だったなと思える箇所があるわけです。それは生まれてから一歳未満の状態と、胎内にある状態は何も触れられていないじゃないかと言える箇所です。そこに触れている考え方が理屈上ありまして、フロイトとユングに代表される無意識学説です。・・・・生まれてから一歳未満の間に形成されるのがフロイトの言う無意識や前意識になるわけです。
 ところが、それをもう少し胎内に拡張しないといけない。そこでは言葉はないけれども、コミュニケーションはある。その状態をどのように意味づける、価値づければ良いのかという問題があり、それは今までの考え方ではちょっと出てこないということになるわけです。・・・・僕らが考えたことは、胎内から一歳未満までは考えどころだぜ。言葉がない時代の人間は考えどころだぜということです。(P28)

【ここ注意】
J要するに、宗教家が前世・来世と言っている考え方と、僕らの考え方は、胎児以前に形成される無意識があるかどうかという問題に還元できるということなのです。生まれてから一歳未満までに形成される赤ん坊の心の働きを、無意識とフロイトやユングが規定しているとすれば、胎内にまで拡張して、胎内から生まれる以前、つまり、宗教家が前世と言うものまで拡張して考えますと、受精以前の無意識は可能かということ、系統発生的な考え方は内在的にかんがえると、宗教家が前世と言っているところの無意識の問題になるのではないかという可能性はあるわけです。前世とか来世と言っているものはあまり馬鹿にしないようにしようじゃないかと、僕はそう考えています。フロイトの言う無意識よりも、もっと入り込んだ無意識が人間にはあるんじゃないか、それは解明できるんじゃないか、潜っていけばもっとあるんじゃないかということになります。無意識の形成の問題は、系統発生的なものと、個体発生的なものの両方から考えることとなっていますけれども、我々が系統発生的に考えて、原始に還る時代の、とても初期の人間の心はどういう働きをしていたか考えることと、宗教家が前世というところ、フロイトの言う無意識の無意識を考えることは同じである。融和してしまうのではないか。つまり、系統発生と個体発生が融和してしまうところの無意識までやれるのではないか。 (P29)

項目抜粋
2
Kアウアウと言うのは言葉じゃないじゃないか。ちっとも分節化されていないし、民族語にもなっていないじゃないか。こんなの言葉と認める必要はないという考え方にたいして、いや分節化されなくても、言葉は言葉としてあるということなんです。僕の言語論はそれでいい。民族語の区別もそれほど認めない。方言と民族語の違いも認めない。母音の個数の違いに意味があるというのも認めない。ただ、人間は音声というか、喉仏の上のところを加減することで民族語も皆違っちゃうんです。それはそうだけれども、言葉は内臓語だぞ。喉仏から下の内臓のところでしか言葉を発する根源はでてこない。言葉とは何ぞよというのは、心の働きを主体にして、それだけで言葉の価値概念は十分に成り立つ。しかし、その背後には現在から受け取っている感覚的機能もそこに入ってくるから、正確に言えばそう言わないといけないのだけれども、全面に出てくるのは、内臓の動き方に伴う心の動き方でもって、言葉は決まっちゃう。だから、分節化されるかされないか、民族語に分かれるか分かれないかは、お前の考え方からは出てこないと言われれば、それでも良いさとなってしまうかですね。 (P30)





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165 方法 言語と経済をめぐる価値増殖・価値表現の転移 論文 1994.10.14 吉本隆明の文化学 三交社 1996/06/10 吉本隆明の文化学

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個々の人に作られる無意識 これから間違うかもしれないなという危惧
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1
L僕らがそういう考え方をして、現在において危ないなと思うことがあるのは、現在はものすごくわからない時代で、現在では無意識のなかのある部分(それは意識と割合近い部分だと思いますけれども)は区別がなくなってきつつあるんじゃないかと思うんです。日本の九割の人が自分は中流だと言っていて、九割の人は生活状態が変わり映えしないとなっちゃってる。・・・・そういう夫婦に育てられた子供の無意識は違うということは、ちょっと考えられないということになりますね。深い部分は違いますけれども、意識に近い部分は変わり映えしないということになります。変わり映えしない無意識というのは、ユングの言う無意識とはちょっと違うんですが、共同の無意識だということで、個人の無意識の累積ということを言えないといけないんじゃないかという危惧を感じるんです。・・・・現在が生みだしている共通の無意識あるいは前意識の部分というのは、神話の逆であって、もしかしたら一種の作られるべき無意識の枠組みとそれを理解して、解析していかないと危ないんじゃないかなという感じがあるんです。

Mもっと極端なことを言いますと、先進的な資本主義がどこで死ぬかという問題もあるわけです。あまりに生活程度が高度になり、均質化された部分の無意識は、これからの社会の枠組みを考えると、枠組みとしては同じことになっていくから、死を考えることも同じことに違いない。それが作られると、かなりはっきりした見通しがつけられるんだということになっていて、フロイトとは違った意味で無意識を個性的に作っていくことが、とても重要な課題として出てくるだろうと、予想できます。
 僕らの系統発生的な考え方と、自己表出は自我ということを意味しないでも、個性・個人ということと関わりあるわけですから、そこに固執すると、これから間違うかもしれないなという危惧は、いつでも持っているんです。そこは自分の考え方の曖昧さがあるような気がします。  (P30-P31)

項目抜粋
2





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166 方法 言語と経済をめぐる価値増殖・価値表現の転移 論文 1994.10.14 吉本隆明の文化学 三交社 1996/06/10 吉本隆明の文化学

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項目抜粋
1
Nつまり、虫の声は、意味はないけれども、価値的な言語なのだと日本人またはポリネシア人は思っているという意味付けができるわけです。音で聞こえるメロディーみたいなものを言葉と同じように受け取っているので、本当は価値だけで鳴いている虫や鳥の声なのだけど、それを意味として受けとれる。日本人はそのように受け止めている。・・・・【源氏が虫の声を聴き、月を見て涙を流す場面】そういう様子は、分節化されていない音を意味ある言語と同じように受け取ってるのだという言い方をしますと、言葉の価値論・意味論に結びつけることができます。

Oこう考えていくと、結局、民族語の違いということはあまり大した意味はないのだということと、日本語と言われているもののなかでも方言の違いがあって、方言の違いと民族語の違いとの区別にはそんなに意味がないのだという考え方にどうしてもになっていきます。つまり、方言といわれているものは、民族語の違いといわれているものとそんなに掛け離れたものではなくて、地続きなものだという考え方になります。 (P32-P33)

P結局、一歳未満の人間あるいは原始、未開の人間、つまり民族語に分かれる以前の言葉づかいでのコミュニケーションの問題、分節化されないのに、ことばとしてちゃんと通じていた時代の言語、心の問題、感覚の問題はどうなっていたかという問題が、最後に突っ掛かった問題です。その問題は僕の理解の仕方では、現在我々が精神異常と言っている、特に分裂病に関連してきます。原始未開の時代の心はどういうふうになっていたか、その心の働きはどのように外界を理解していたか、どういう言葉づかいをしていたのか、それにも関わらず、どうして通じていたのかという問題の解き方と、分裂病の理解を主体とする精神病の解き方は大変よく関連しているに違いないです。心の問題としても、精神の働きの問題としても関連づけられると考えているわけです。 (P33)

項目抜粋
2
Q現在の高度消費社会における心の表現の異常と正常が、感覚や幻想とどのように関連しているのかという問題で、一番大切になるのは、たぶんヒステリーです。それは人格転換ということが大きな問題になっていると思います。
 それから、正常であることと異常であることの境界性がすこぶる曖昧になっています。・・・・根本的な心の病である精神分裂症と、現在の心の病であるフロイトで言うヒステリー症、人格転換の多重性と、異常と正常の境界性が曖昧になってきたことが、意味論・価値論ということの相互的な作用の問題になるところではないでしょうか。 (P33)





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167 方法 言語と経済をめぐる価値増殖・価値表現の転移 論文 1994.10.14 吉本隆明の文化学 三交社 1996/06/10 吉本隆明の文化学

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1
R一個の文学作品は一個の作者が書いたということは事実としては疑いなくあるわけですね。それがそういうふうではなくなることは、文学・芸術作品としてはありえない。一個の作者がいて、一個の文学作品ができることは間違いないわけです。作品を評価する場合、作者は捨象してもいいんだよと言えることはありうると思いますね。何でありうるかといえば、少なくとも一個の作者が書いた一個の作品のなかに表現されている自己表出性というものは、原始、未開の時代からの自己表出の連続の場所にあるからで、それが価値の主体をなしています。ただしそれだけではない、一個の作者がその時代あるいはその時期の社会において感覚的に受け取った、いろいろな問題が入っていて、その経路を経て、自己表出が作品の表現価値として出ているとすれば、それは自己表出の連続性と考えれば原始、未開の時代からの累積がこの作品にあるのだという理解になって、そうしたら、作者を考えることはいらないよということになります。つまり、そこをフランス人というのはとてもモダンな言い方をするもんだから、あたかも「作者がいらないよ」ということは、「作品は一個の作者が作るものだよということは、なくしちゃってもいいんだよ」という意味に取れる言い方をするんです。
 だけれども、そんなことはないんです。・・・・でも、僕の自己表出というのは、自我の表出、つまり、個人の表出としてもとられていたものですから、それよりも自動表出、つまり、原始、未開の時代から無意識のうちに積み重ねたものがその人の無意識になり、その無意識がここに出ているよという意味合いにとった方が良い。むしろ、僕の意図では、確か自己表出よりは自動表出と言った方が良いくらいなんだと思いますね。 (P36)

S大衆の原像と言っていたけれども、時代がこう変わってきちゃえば、お前の言う大衆の原像というのは成り立たないじゃないかという批判をする人もいます。・・・・でも、知的な過程に入らないことを原型として描いた大衆の理想の振る舞い方、つまり大衆の原像を繰り込んでゆく思想的課題はちっとも違っていない。そこを考えます。僕が言語価値と考える時、原始の時代から、あるいは民族語が分かれた時代からの累積から考えないと言語価値・表現価値は出てこないというのと同じで、大衆の原像を基本に置かないといけないという考え方はちつつとも変わっていない。原型的な大衆の像を考慮にいれないといけないということは、ますます重要な課題となってきたと、僕自身はそういうふうに思って、安心して考えています。 (P37)

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168 方法 言語と経済をめぐる価値増殖・価値表現の転移 論文 1994.10.14 吉本隆明の文化学 三交社 1996/06/10 吉本隆明の文化学

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21.僕の言語の価値に始まる価値論いうのは、内在化されてしまっているということだと思います。だから、貨幣という表現、きちんとした枠組み、概念を与える考え方から見ると、副次的なところを下にしているのだなと思うんですね。どうしてそうなったかと僕なりの理解をすると、マルクスを典型として、あるいは西欧の社会を典型として、貨幣という概念、つまり、ある価値の普遍的な担い手である貨幣という概念をそこから出していった、観念の過程のなかには、西欧社会の段階を主にして、未開、原始の次にアジア的段階をなかに入れて、社会の段階論を展開しています。このアジア的ということで括られている問題が、貨幣の問題に対して、とても大きな意味と言いますか、違いを生みだす根拠になっていることがひとつあると思うんです。
 アジア的という段階を原始、未開の次の段階から取ってしまえば、西欧社会の発展段階イコール人類の歴史の発展段階であると、どう文句を言おうが言えることになって、アジア的段階を除いてもヨーロッパ社会にはさしたる段階論を変更する影響はないわけです。西欧社会イコール人類の普遍的進展と言えてしまう。西欧社会が人類の発展段階であって、それは先進的だというのは間違いないわけだけど、でも本当によく考えると、それが人類の歴史であるというのには異論が出てきます。
 異論の第一はマルクスに言わせればアジア的、ヘーゲルに言わせればアジア的という段階とアフリカ的という段階を外に出していることです。 (P37-P38)

22.僕の考えから言いますと、貨幣は価値の普遍的な源泉としてイメージできないと考えていて、できるのは唯一言葉だけだと思います。表現された言葉、あるいはそれが絵や字に書き留められたものは価値の普遍的な基盤にはなりうる。しかし、貨幣というものは価値概念を作る場合の基盤にあまりならないのではないかという考え方になっていくと思います。これはマルクスが度外視した、いくつかの特徴をとらえればアジア的ということで片付けられたところで考えられる価値概念は、どうしても言葉しかない。言葉ならば、アジア的というところでも、西欧的な社会でも共通に何かを言えるということがありうるのではないか。言葉の価値を作れるのではないか。貨幣というと、どうもはっきりしすぎる感じがどうしても僕には伴うんです。・
・・・たぶん、言葉だけが普遍的な価値概念の形成の基準になりうる。そうすると、価値概念がとても内在的なものと関わりあうものとなっていって、外在化がなかなかできなくなっちゃう。大体、そこいらへんから価値概念の作り方の意識は分かれるのではないかというふうに考えます。(P38-P39)

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23.そうすると、アジア的な概念というなかに覆われているということと、マルクスは問題にしないのだけれども、アフリカ的という段階も考慮に入れて考えるべきだ。アフリカ的段階というのは、価値の普遍性と事物の普遍性とか価値の等価性、つまり、本当の意味での交換価値とモノとモノとの等価交換を考えることがイコールになる段階として、それを考えないといけないと思っているわけです。すると、マルクスがアジア的とくくっているところは、本当はくくれないことになって、ではオセアニアの島もアフリカ的段階から考えないと考えられない。アジア経済も、そこを考えないと考えられないし、日本の場合でもアフリカ的段階を考慮に入れないと日本はわからないことになります。つまり、言葉の価値概念を主体にすれば、なおさらそうです。日本の言葉はアフリカ的段階にあった言葉と、アジア的段階になった時の言葉との融和・融合から出てきていると思います。今のところアフリカ的段階における日本語というのは、それほどよくわかっていないところがあるわけです。 (P39)

【柳田国男の国家の起源について、第三権力論がない】
24.やっぱりこういうふうな考え方になるんだなというのと、しかしこういう考え方を無視したら、アジアの問題はなかなかうまく解けない、と両方あるんですけれども。しかし、これはものすごい弱点です。これで発展的なことを考えるのは無理だなということは確かに感じます。 (P40)

25.言葉でいうと、一人称・二人称・三人称がうまく分離されていないのがアジア的ということです。
  (P41)





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169 方法 母型論と大洋論 インタビュー 1994.10.14 吉本隆明の文化学 三交社 1996/06/10 吉本隆明の文化学

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母型論のモチーフ 言葉の問題
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@考え方の一番の元になったのは、以前に『心的現象論』と『言語にとって美とはなにか』と『共同幻想論』をそれぞれ個別的に扱ったわけですが、この三つは、本当は総合されたままで、ひとつの中心をつらぬいていくと考えてやるべきではないのかなというモチーフをずっともっていました。それがひとつですね。
 もうひとつは、いま、山本さんは「アジア的」ということをおっしゃったから、それを中心に考えれば、アジア的以前の原始、未開と、アジア的以降の古典古代の様々な社会的要因をどうとらえていくのかという問題意識がありました。つまり、アジア的以前の原始、未開まで、問題を引き伸ばしていきたいというモチーフと、現在の日本はほとんど脱亜しており、これからどうなるのかというところに問題を引き伸ばしたいというモチーフが両方あったわけです。(P47-P48)

Aまた、これは母型論の良くない未完の面なのですが、フロイトを脱却できないのです。フロイト流に考える無意識は少なくとも出生の時から一歳未満、つまり乳児の時代で、無意識の元になるものは形成されるという考え方になります。つまり、体外に出た時の問題が一次的に大きいという考え方だと思います。それは現在の段階では、胎児の時からと言いましょうか、体内で感覚器官が完全にできあがった以降から考えることができるのではないか。医学的にはそうなってきましたから、無意識の問題を体内のところまで入り込んでかんがえることができるはずだし、それをやってみたいということもあったのです。(P48)

Bそれからもう一つ、言葉の問題があります。言葉は現在のところ、どこでも民族語であったり、あるいは民族語の混合物です。人間の言葉はそういうふうにできているのですが、そのなかで万国共通性があるとすると、母音だけが共通性だということになります。そして、その共通性は共通であるという理由から、生理身体的なものと対応性が成り立ちます。その対応性は結局、喉仏から上の方の気道と、顔面の表情の動きが、多少の違いはあるにしても、人類として共通の基本構造をもっていることではないか。こう考えると分節化された音声が関係するのはその点で、母音の共通性だけが、対応性がきくのではないかと思います。 (P48)

項目抜粋
2
C例えば日本で言えば、琉球語は元は三母音だとされています。それから、本土の日本語は要するに、「あいうえお」で五つですが、・・・・
僕はそうではなく、三母音の言葉と、五母音の言葉は種族語として、違っていたのだという考え方の方が良いのではないかという考えを持っています。(P48-P49)

Dそれは大洋論にもつながっていきますが、人間は一歳児を過ぎた時、分節化された言葉を喋るようになります。それはもちろん、親からの教育によって、言葉を覚えるということもあるわけですが、無意識的にはもしかしたら、胎児の時に既にある程度、覚えられていたのかもしれませんし、遺伝子的要素もはいってくるのかもしれません。そこのところはよくわからないのですが、胎児の時から一歳未満までの言葉は何なのかをもし、うまく整理できれば、そこのところはつなげて考えられるし、また方言と違う民族語も元を糺せば、そんなに明瞭な区別がないのだという考え方が成り立つかもしれません。それから、三母音が一番簡単な言語と言われていますが、母音の数がどうしたということは、それほど意味づけられるもんだいではないのではないかということもあります。(P49-P50)







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170 方法 母型論と大洋論 インタビュー 1994.10.14 吉本隆明の文化学 三交社 1996/06/10 吉本隆明の文化学

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前言語状態 柳田国男のいう軒端の内側でしか通用しない言葉
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【注】
Eそれで大洋論となったわけですが、自分の考え方を剥き出しにすると、自己表出だけでできている言語の混沌状態、つまり全自己表出性の言葉と、指示表出だけでできている言語の混沌状態、つまり全指示性の言葉を想定してイメージすると海が広びろとあり、波立っている全指示表出的な音声と、全自己表出的な音声が、波頭のところで偶然、あるぶつかり方をして、それが分節化された言葉になるところが想像できます。特に母音はそうやって定まってくるし、母音と子音の結合状態も偶然、波頭がぶつかる仕方から起きると見做されます。そうすると波頭の高低とか、大きさとか、ぶつかったときの波紋とかが、前言語状態として想定できます。波の山と谷の幅がどうであるかとか、それは高い波か、低い波かということが、民族語の分節化された言葉を決定するだろうと考えられるわけです。
 これはソシュール的に言えば、シニフィアンとシニフィエになるでしょう。こう考えれば、各民族語で、母音だけは生理的に、つまり喉仏から上の問題として決まってきますが、その他はどの波がどの波とぶつかるかはまったくの偶然、あるいはまったくの無意識の必然であり、それ以外には何も決めようがない状態が出現します。波頭のぶつかり方が偶然でしかないことは、ソシュールがよく言っていることなのです。 (P50)

Fでは、具体的に前言語状態はどういうふうに存在するのかというと、結局は乳児をあやす時、母親が「アワワ」、「アババ」という言い方で何かを言って、乳児が思わず笑うという反応をしたら、母親は乳児を笑わす時には「アババ」と言えば良いのだと考えるでしょう。それをいう度に乳児が笑うという形で、母親と乳児のコミュニケーションは前言語的な状態で行なわれます。母親以外の人とはまったく通じないのだけれども、少なくとも母親との間では、分節化されていない言葉で一種の意味、感情状態が通じることがありえます。
 それが具体的には前言語状態の元になるわけです。このことを柳田国男がたしか、民俗学的に言っていると思います。家の軒先を境界線として、その外側で流通する言葉と、内側で流通する言葉がある。【軒端の内側でしか通用しない言葉】 (P50-P51)

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G言語の場合、大洋面で偶然ぶつかった母音と子音は、その波頭が持っている固有の構造の中では通用するけれども、それ以外では通用しないということになって、それがだんだんと民族語に分かれていくことになっていくという考察をすれば良いのではないでしょうか。そのことと、無意識の形成の仕方を胎児のところまでさかのぼって、もう少し考えることができるのではないかという問題が、母型論の主たる問題になっていったのです。(P51)





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171 方法 母型論と大洋論 インタビュー 1994.10.14 吉本隆明の文化学 三交社 1996/06/10 吉本隆明の文化学

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日本語は何なのだ 古い層の日本語と、新しい層の日本語
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Hもうひとつ、具体的にすすむと日本語は何なのだ、ということになっていきます。・・・・具体的に言ってはいけないのでしょうけれども、日本語は結局、古い層の日本語と、新しい層の日本語が数千年単位のある時期にぶつかって、日本語という民族語として固定していく過程を経て、現在に至っているという考え方です。大雑把にいうと、古い日本語と新しい日本語のふたつを考えると一番良いのではないかなと漠然と考えるわけです。・・・・ただ、どちらが先なのかは分かれるわけです。単語類は南方系が多いけれども、文法構造は北方系ということは確かだと思うのですが、どちらが基層なのかは、人によってずいぶん違うと思います。 (P51-P52)

Iまた、その二つの層を考えることで、どうして良いのかということになるのです。日本が属している地域の民族語として、起源が二つ考えられます。ひとつは東南アジア方面が起源であり、ジャワ島やスマトラ島からニューギニアの島々というように、ある時代に島づたいで移動して、それが大洋州の島から伝わって、日本にも入ってきたという民族移動の経路です。もうひとつの民族移動の経路は、元は古アジア的な地域、今で言えばロシアの極東地域、バイカル湖の近くに、言葉の古い起源たりうる、十万年単位の場所があって、そこから獣や魚をずっと追いながら、沿海の方に出てきて、日本の島に移り住んだという経路です。
 大雑把に言えば、そのふたつの経路を考えれば、言葉の問題は解けるのではないかという考え方だと思います。どちらが先かは、人によって違いますけれども、そのふたつを通ったのだから、日本列島に溜まった言葉、融合した言葉はその二つの要素から考えていけば良いのではないかということです。 (P52-P53)

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Jそれから、古い日本語と、新しい日本語という分け方がなぜ、重要かということですが、それは要するに日本語と、例えばインドやマレーシアの言葉とか、朝鮮語や中国語とか、蒙古語とか、古アジア的な言葉を比較して、まったく違うわけではないのですが、類縁性はないと言われるほど違う一方で、・・・・確定的なことが言えないわけです。
 日本語はどれとも似ていないけれども、どれとも似ているという変な言葉なのですよ。なぜそうなったかというと、旧日本語と新日本語の二層があり、その混合や融和の度合が大陸の言葉とはまったく違うからです。朝鮮半島までならば、元はともかく、とても考えやすくて、東南アジアから沿岸を通って、朝鮮半島にきたものと、北方の古アジア的な言葉が合わさってできたと言えば済んでしまうのですけれど、日本語の場合、大洋州の島々を民族移動した人々が潮に乗って、日本に入ってきて、定着したことを勘定に入れないといけないのです。大洋州の島々をぐるりと廻って、そこから入ってきた種族の言葉を勘定に入れないと、日本語の場合はなかなか出てこなくて、近隣とはまったく似ていないことになります。似ているのはわずか本土の日本語と、琉球の日本語は数千年前にさかのぼれば、同一祖語から出てきたことは確実ということ位です。 (P53)

K言葉というものは入れ替えができてしまうものですし、混合・融和ということができて、まったく違うと思うような言葉に替わってしまうこともありうるわけです。だから、よくわからないのですが、旧日本人と新日本人がいるとしたら、その両方の言葉から、どちらでもない言葉が生み出されたのが、現在、日本語と言っているものに大体、妥当するのではないかと凡そのところ、かんがえられるわけです。僕らはそのように仮定しようではないかと考えています。 (P53)





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172 方法 母型論と大洋論 インタビュー 1994.10.14 吉本隆明の文化学 三交社 1996/06/10 吉本隆明の文化学

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言葉ができる前の日本語は何だ 分節化される前の古い音声は何か
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Lそうすると、ひとつは、いわゆる古典、すなわち『古事記』や『日本書紀』、『風土記』とか、琉球沖縄の、日本で言えば『万葉集』みたいな『おもろさうし』とか、アイヌは文字を持たないのですけれども、ローマ字で記述したり、あるいは和訳したものがありますから、アイヌの神話や叙事詩とか、そういうものを見て、古い日本語と新しい日本語に分けられるのかという問題意識がでてきます。そこで、僕らの場合は『古事記』や『日本書紀』の歌謡と、『万葉集』の歌謡と、『おもろさうし』の歌謡から、日本語の古い言葉や言い回しをできる限り、選り分けようではないかという問題意識になって、言葉の問題に入っていくことを『母型論』でも少しやっています。
 でも、それは言葉ができた後の問題であり、言葉ができる前の日本語は何だということがあります。それは三母音、五母音ということもあるわけですけれども、もうひとつは分節化される前の古い音声は何かを想像でも良いですから、再現してみたいわけです。 (P53-P54)

M僕なんかが、日本語の音声で古いものは何だろうかと考えたところでは、たいへん不定で、きちんとしたことは言えないのです。一種の思い込みを言いますと、現在でも、平安朝時代でも良いのですが、清音で言われる言葉が、濁音で言われる言葉と同じ意味であったら、濁音の言われ方の方が古いのだと思っています。
 もうひとつは「ん」です。日本語の古い言い回しに、「ん」という発音に縮音するような言葉づかいがありますし、また、日本語では「ん」は一番最初につかないことが原則とされていますが、つく言葉もあるわけです。だから、「ん」が最初について、ある言葉の縮音だと言えるとしたら、その言葉は古い音声だ、ということです。僕はこのふたつのことが言えるのではないかと漠然と思うわけです。・・・・
 それから、三母音の言葉の方が古くからあり、日本語の基層になっているのではないかということと、それと何母音かはわからないのですが、南方系(あるいは北方系)の言葉が融合して、「あいうえお」という五つの音からできている、現在の日本語の言い回しになっていると考えた方が良いのではないでしょうか。これはすこぶる、当てにならないような問題なので、あまり確定的ではないです。 (P54)

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173 方法 母型論と大洋論 インタビュー 1994.10.14 吉本隆明の文化学 三交社 1996/06/10 吉本隆明の文化学

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さかのぼって追求することと未来を追求すること 西欧はアジア的な段階を速やかに過ぎ去ってしまった
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N僕らは胎児から一歳未満までの言葉を探究・追求することと、歴史における原始、未開の状態がどれだれ【ママ】残存しているかを探究・追求することは同じではないか、対応性がつくのではないかという原則を『母型論』のなかで使いました。その辺のところが『母型論』の凡その問題意識ですが、あまりうまく展開しきれていないという感じがしてならないわけです。
 ただ、こうしたことは追求に値するのかということがあります。僕らは追求に値する根拠をどこに考えるかというと、日本の国家成立以降の問題は、アジア的というところで、十分にいろいろと出せると思います。では、それ以前にさかのぼるという問題意識をなぜ、持つのかというと、古典を追求している人たちが持つ、「旧日本語はどういうものか」という関心が、僕らの関心の持ち方とかなりよくつながってきたからです。南島語の専門家の問題意識と、国語学者の問題意識と、古典学者の問題意識が相当つながりが出てきて、ある関連性が朧ろ気に出てきたことと、日本が現在、アジア的という段階を少しずつ離脱して、ある面では西欧並になっていることはパラレルであり、関連性があるのではないか。
 つまり、日本語の問題を言語一般性の問題と関連づけながら、母系性にさかのぼって、追求して、どこまでいけるのかということと、日本の社会がこれからどうなっていくのかを追求することは、ある対応性がつけられるのではないかという感じがあるのです。だから、さかのぼって、どこまでいけるのかと追求することと、日本の社会がこれからどうなるのかは関連づけられると思っているところがあり、そうした問題意識が僕らの中から出てきて、今はまだうまく言えませんけれども、もう少しうまくいく可能性はあると思ってやっているわけです。(P58-P59)

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O【山本哲士】贈与論のところでも、母親の位置が歴史的に大きいとされていますが、吉本さんの場合、そうした前提が歴史的にあるのでしょうか。

【吉本】そうだと思います。ヘーゲル的な考え方をすると、西欧もアフリカ的段階、アジア的段階をどこかで通っているはずなのだけど、そこを速やかに通過してしまったと理解するわけです。それにはなかなかわかりにくいところがあります。例えばアジア的な地域はアジア的な段階に停滞する時間が長くて、西欧は速やかに過ぎ去ってしまったことを合理的に説明してみろと言われると、風土とか風俗の要因だとか、いろいろなことを言う以外にないのです。僕はわからないから、遺伝子生物学の専門家に聞いたことがあるんです。
 例えば、僕が夏場に海に行って、日焼けして黒くなったら、それは子供に遺伝するのかと聞いたら、遺伝しないと言いました。つぎに毎日来る日も来る日も、カンカン照りが続いて、それで黒くなったら、それは遺伝するのかと聞いたら、それも遺伝しないと言うのです。そこからわからなくなるのですが、その先生に言わせると、精子や卵子が日焼けするわけではないから、遺伝しないと言うことです。では、白人と黒人と黄色人種はどこで分かれたのかと言うと、その先生の説明の仕方では、遺伝子的にずっとそうであったと説明されます。
 もし、「発生的にそうであった」ということを肯定できるのなら、ヨーロッパにもアジア的という段階があったけれども、素早く通り過ぎてしまったのだという言い方は成り立たないのではないか。元々違うのだという以外にはないと思うわけです。僕は日焼けが数えきれない世代つづいたからだ。日焼けが少なかった人は白くて、何代も日焼けした人は黒いのだ、とどこかで思っていますが、専門家はそうは言わなかったように思います。 (P61)




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177 フーコーの構造の概念 歴史・国家・人間 インタビュー 世界認識の方法 中央公論社 1980/06/10 世界認識の方法


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【フーコーの構造の概念について】【聞き手 樺山紘一】
@フーコーの構造の概念について、ぼくはそんなに知らないんですが、フーコーに即して、ぼくなりのいい方をしてみます。一つ、意味論からいって際立った原理が感じられます。ふつう記述されたもの、表現されたものを受け取る場合に、これまでの思考方法では、表現されたものの背後に意味の中心をかんがえていく。そして意味の中心は何であるかということを掴まえていくということが基本的姿勢でした。意味をたどること、言葉を読むこととはそういうものだという従来の考え方に対して、フーコーの立場は、その考え方を否定しているようにみえます。つまり事物の意味の中心を明瞭に求めていくという考え方を意識的にとらないということが、意味論の立場からいえば言えるんじゃないか。それがフーコーを通じてみられる構造の原理の一つじゃないでしょうか。

Aそれと全部関連してきますが、先ほど時関よりも空間に着目するといわれたことは、意味論の立場からいえば、既成の意味概念、あるいは歴史的に存在してしまった思想の意味概念と関連づけて、言語の記述を類推したり、たどったりする遣り方を意識的にとらないようにする。つまり歴史的に、すでに以前にある思想との関連で、言語表現を取り上げることを意識的に否定する。そういう姿勢が貫徹しているような気がします。

Bもう一つは、ある言葉の表現あるいは記述を読むことの第一義的なことは何かという場合、書かれたことが真理であるかどうか、何が真実かというように持っていく読み方、意味形成の仕方に対して、それを意識的に否定する考え方が、特にフーコーを通じた構造の概念には、あるような気がするんです。そこで時間系列よりも空間的な広がりを多く問題にする、あるいは人間の主体といいますか内面性というものを考慮に入れることを意識して拒否する。主体というものを考慮に入れざるを得ないときは主体の場所とその機能に全部解体してしまおうじゃないかという考え方ですね。

項目抜粋
2
Cまたそれと関連しますが、事物の連続性を意識的に否定しますと、事柄は全部偶然の寄せ集めになるわけです。けれども、その偶然の寄せ集めにみえるものを、いくつかの層に系列化してしまおうじゃないか、そういう考え方があるようにおもいます。つまり、時間的な関連で必然性が出てくるという考え方を否定して、全部偶然なんだけれども、その偶然を系列化してしまう。系列化すると空間的に、いくつかの層がかんがえられる。その層を積み累ねてみることで何かが出てくるかもしれない。そのことを意識的にやろうとしているようにおもわれます。 

Dそれから、これはフーコーがあからさまに言っているんですけれども、ヘーゲル以降の<歴史>という考え方にたいする異議申立です。歴史をかんがえることは、それ自体が、ヘーゲルからハイデッガーにいたるまで、<人間>をかんがえることだったとおもうんです。つまり現存在とか主体という考え方とかいろいろありますが、それなくして歴史という概念は成り立たないという考え方が、<歴史>の立場の根本にあるようにおもわれます。また歴史という考え方には、時間という概念がどうしても入ってきます。どう時間を処理するか個別的であるとしても、時間という概念はどうしても歴史という概念につきまといます。その場合、構造という考え方では、歴史という概念に、偶然の系列化あるいは、フーコーの言い方では、非連続という概念を入れていこうとします。これは非連続の系列化といっても非連続の体系化とといってもいいんです。そういう概念を入れていこうとする考え方があります。
   (P54-P56)




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178 フーコーの構造の概念 歴史・国家・人間 インタビュー 世界認識の方法 中央公論社 1980/06/10 世界認識の方法

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構造という概念の現在的な意味あい
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1
Eこういう考え方は、ほくのような、ヘーゲル、マルクス的な考え方からおおきな影響を受けてきたものからすると、大変ショッキングなんですよ。つまり意味概念を徹頭徹尾抜いていくということがですね。それから、事物の関連性は空間的にたどるけれど、事物の時間的関連性はあまり問題にしない、そういう意味あいでは全部偶然性と考えていい、極端にいえば、そういう考え方はショッキングです。フーコーの場合、そのショッキングな考え方が、どうして出てきたかといえば、<マルクス主義>的な考え方がもたらした事物が、現在どこかで停頓し、おかしくなって、それが固執されている場合にも本当にいいものとして固執されているのか、よくないものにもかかわらず固執されているのではないか、そういう疑問をつきつめることからだんだんに露わにしてきています。その課題にたいして、構造という考え方はそれなりに応えようとしているんじゃないかと、ぼくはそういう感じがします。そういうところで、構造という概念の現在的な意味あいをぼくはかんがえます。  (P56)

Fぼく自身についていえば、そこのところがじぶんのなかでしょりしきれてないのです。<マルクス主義>の真理性という問題にはほとんど絶望的な意味あいしかない。しかしマルクスの思想は<マルクス主義>とはちがうものだ。マルクスの思想に様々な問題があるとしても、マルクスが歴史概念を本当に受け継いだヘーゲルの考え方、そこにはまだまだ生き生きとしたものがあって現在でも生きられるかもしれない。具体的に現実的に生きられる場所が世界のどこかにあるかどうかは別として、あるいは自分たちが作らなければないのかもしれないけれども、しかしそれが生きられるところはあるんじゃないかとぼくはおもっているんです。ですからぼくは、そこのところはフーコーとの一度きりの対話で結論を得られずに、自身の疑問は根本的には氷解しないまま残ったなと感じています。 (P58)

Gフーコーを通じてみられた構造という考え方を、出来あがった言語表現、作品記述にたいする批評というふうに置きなおしてみます。そこでは、作品あるいは記述の全体性からその陰にある一人の人間あるいは作者を浮かびあがらせるかどうかは、問題ではないことになってきます。ただ表現された作品や理念の記述のなかに、それを表現した作者でさえ気づかなかったような、あるいは作者にとってさえ偶然的であるかもしれない無意識の理念をたどることは、すくなくとも作品を読み、作品を批評し、理念の記述を読み、記述を批評するということと同じになり得るんじゃないか。そういうことを暗示しているようにおもいます。フーコーは『知の考古学』や『言語表現の秩序』でそういうことをいっているのではないでしょうか。

項目抜粋
2
これは、作品の背後にひとりの作者という人間像、あるいは作者という思想があるというぼくらの一般的な考え方からはたいへん異質な方法のように受けとられます。垂直性にたいして水平性くらいにちがうことです。
 そういう考え方は理解できないかといえばまるまるそうでもない。そこがぼくには興味深いところです。構造という考え方ぼくの考え方に交叉できるところがあるとすれば、そこのところだとおもいます。というのは、文学作品を例にとると一番いいんですが、作者の無意識の記述であるかもしれないものが、作者に
鏤められているとすれば、その鏤められた無意識のパターンを系列化するという読み方をしないと、その作品を読んだことにならない、そういう種類の作品が文学の世界にはあるからです。・・・・それはたんに文学作品だけじゃなくて、思想記述でもそうかもしれないし、歴史という概念でもそのことはいえるかもしれないという類推が利きます。そこでなら構造という考え方をぜんぜん理解できないことはありません。これはたんに機能主義にすぎないというふうにぼくには片づけられないところがあります。これは現在出てきている重要な考え方のひとつです。ただ、これが歴史あるいは歴史記述の概念、思想の概念、理念の概念というものに登場したとき、どういう意味あいをもつかについては、はなはだと惑いを感じますし、よくわからないところがあります。究極的には、フーコーの考え方でわからないところがあるとおもうのは、そういうところです。  (P60-P62)




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179 フーコーの構造の概念 歴史・国家・人間 インタビュー 世界認識の方法 中央公論社 1980/06/10 世界認識の方法


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歴史という概念自体が人間という概念に付着 一種の総合性、世界認識性
項目抜粋
1
H人間という概念は、ヘーゲル=マルクス系統の考え方では、歴史という概念自体が人間という概念に付着しているもので、歴史をかんがえることは人間をかんがえることと同義だということになります。フーコーは、人間という概念が登場したのはたかだか二世紀以来のことにすぎないといういい方をしています。これはたいへん新鮮ないい方のようにおもえます。対談のなかでもいいましたけれども、そういう考え方が成り立つためには、世界という概念を放棄しなければならないんじゃないでしょうか。結局、世界認識の総合性という概念を放棄した代償とおもいます。全体的な世界像を放棄することには、世界の総合性という概念がすでにかんがえるに価しないという見方が含まれているとおもいます。それはフーコーにはじまったわけじゃなくて、ヘーゲルに異議申立をした最初の古典学者であり歴史学者だと自認していたニーチェが同時代に、世界史とか世界認識という概念は記述の次元でなければ成り立たないので、具体的な歴史は、偶然だとか必然だとか歴史の段階だとかいうふうに移行してるわけではない、記号的な概念のところでそうかんがえているだけだと述べています。ヘーゲルのように人間の歴史的段階はこうだとか、世界的区分けをするとアジア的と西欧的とあって、アジア的という概念の中に中国的とかインド的ペルシア的エジプト的、そういう区分けが出来るなんてことは全部記述の概念の水準でだけいえることで、実際の具体的な歴史はそんなふうにはいえないものなんだ。これがニーチェのいいたいことです。ですから、フーコーのような異議申立は前からあるものです。歴史という概念をできるだけ具体的な現実・事実に近づけ、そこから何事かを取り出し、何事か方途を見つけていくという考え方をとるかぎりは、世界認識とか、世界史的な概念とか、そういうのは放棄しなきゃいけないんだということは当然出てくるでしょうし、前提であろうとはおもいます。  (P63-P64)

Iけれど歴史的な段階説とか、歴史的な必然とか、世界史の概念とかを、ぼく自身はそう簡単に捨て切れないところがあります。たしかにフーコーなどによって新しい人間概念が作れるかもしれないし、新しい文学概念を作れるかもしれない。あるいは新しい記述概念も作れるかもしれないとおもいますが、それを承認するためには、どうしても一種の総合性といいましょうか、世界認識性といいましょうか、それを放棄するより仕方がないんじゃないいか。それをそう簡単に放棄できない執着を感じます。それを記号的概念にすぎないと断定するには溷濁したわだかまりがあって、ぼく自身すっきりできないものがあります。ぼくはそこに執着しながら、じぶんで解いてゆくほかありません。ただここのところで、構造の概念が登場する意味、登場する必然みたいなものは理解できるようにおもいます。(P64-P65)

項目抜粋
2
Jもっと別ないい方をすると、フーコーに象徴される構造という考え方が提起している問題は、もしかすると予言的な意味あいをもっていて、世界史という概念を捨てても、世界史の将来は、案外フーコーの予言的な意味あいの通りにゆくのが本当なのかもしれないという感じ方がぼくにあります。少なくともフーコーの『言葉と物』は相当おおきな思想的な意味をもつというのが、僕の評価です。ただその構図のとおりに世界が移行しては困るのだという内心の異議が半分はあります。つまり総合的な世界把握ーヘーゲルのように、空間的にいえば世界のどこの場所にも適応出来て、歴史的な段階でいえば世界史のどの時代にも、もし段階の関連さえつければ通用出来るような一つの歴史理念ーは可能なんではないかという考え方は、ぼくの内部ではそう簡単に捨て切れません。その意味で、構造の考え方が提起していることの半分は、まだ疑問符のなかにあるんです。  (P64-P65)

K西欧的な思想にたいしてアジア的な思想というようにもしかんがえるならば、そのアジア的な思想にはさほど現在的な意味あいはないのではないかとぼくはかんがえます。アジア的な思想はひとたびすべて世界史的な場面にほうりだしてみて、それでものこる何かがあるならば、それは現在の問題かもしれません。ひとたびは世界史的な場面に差しだすことをしないかぎりは、やはり現在の危機の問題が解かれる糸口はえられないのではないでしょうか。  (P68)





項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日 抜粋したテキスト
180 フーコーの構造の概念 歴史・国家・人間 インタビュー 世界認識の方法 中央公論社 1980/06/10 世界認識の方法

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項目抜粋
1
L百人の個人の主体的な意志は全部わかっている、世界中に存在する個々の主体の意志と行動とそのありさまは全部わかっていたとしても、その総和として歴史は具現されないということが問題なんだ。エンゲルスはたぶんそういうふうに整理しています。
 どうしてそういうことになってしまうか。それは根本的には、人間の自由意志が掴まえにくいということに帰着するのでしょう。もう一つは個々の主体の集合である、民族とか国家とか、そういう共同意志は必ずしも個々の意志の算術的な総和ではない、別の面がでてくる。そのことがもんだいだろう、ということだとおもいます。
 これから先はぼくのエンゲルスにたいする疑問を混えますが、国家とか民族、階級、そういうものの共同意志は、そのときどきの歴史を動かす主要な契機になるんだとエンゲルスは要約しました。しかしニーチェや構造主義の人たちのかんがえでは、そんな概念自体が成り立っているのは具体的な歴史のなかにおいてではなくて、記述された歴史、記述を経たところの歴史概念というもののなかでしかいえないことなんだ、ということです。ぼくもそのほうが正しいような気がします。ここをぼくなりの問題意識で要約してしまえば、ヘーゲルもマルクスもあるいは、ヘーゲルとマルクスを整理したエンゲルスもそうですけれども、弁証法的認識自体が、現実の世界に成り立つものなのか、概念の表現の世界に成り立つものなのか、そのことが本当につき詰められていなかったんじゃないかとおもうんです。そこのところに言語という次元の問題が介在するとぼくは理解しています。古典時代には現実の次元で成り立つというふうにおおざっぱにエンゲルスが整理したところが現在問題として露出して、本当はそこをよくよく精密に考察しなくてはいけなくなっています。(P71-P72)

項目抜粋
2
Mこれをエンゲルスが提起した課題に沿っていえば、歴史には必然の概念が成り立つかということだとおもいます。ヘーゲルの世界把握では、極度に偶然的なものそれ自体がもう必然だという考え方です。これはマルクスやエンゲルスもおなじなんで、極度に必然的なものは、無数の偶然を内包しているという把握です。弁証法的思考の基盤は、ぼくの考えでは、もし歴史が個々の人間の主体的な意志とか行動とかによって決せられない要因として極端に展開していけば、それ自体が法則性に転化するということだとおもいます。エンゲルスはあきらかにそういういい方をしています。・・・・極度に混乱していった果てに、その偶然性は必ず一定の法則性を現わすんだという納得の仕方が、弁証法の根底にはあるのではないでしょうか。ここで、エンゲルスやエンゲルスを祖述した<マルクス主義>が楽天的になった根本原因があるとおもいます。この根本的なところで世界把握の方法としての弁証法的思考はね概念の次元で有効なのか、現実の事象の把握たりうるのかについては、もう少しさきへつき詰め、疑問としなくてはならないのでしょう。

Nそこまで煮つめたところで、歴史を動かすのは主体の意志の総和であるかもしれない。また個人を超えた共同の、ある国家とか民族、階級、そういうものの総和の意志がある度合で歴史を動かす要素かもしれない。そういう考え方自体は、いまでも固執したいところです。 (P73-P74)





項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日 抜粋したテキスト
181 フーコーの構造の概念 歴史・国家・人間 インタビュー 世界認識の方法 中央公論社 1980/06/10 世界認識の方法

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エンゲルスからレーニンへ <自由>という概念
項目抜粋
1
Oエンゲルスは、観念というものは物質とは違うものだ、実在とは違うものだというふうにはとらえていません。人類史、あるいはもっと遡って自然史という概念からいけば、人間の観念あるいは意識作用自体が物質の延長だというふうにいっています。そうすると、<マルクス主義>でいう上部構造と下部構造という整理の仕方以前に、はっきりと精神自体が物質の延長なんだ、つまり物質と精神とは別なんじゃなくて、物質の延長が精神の位置になっていて、これは生物の延長がじぶんで意識をもった生物、つまり人間にあたっているということと対応しています。この考え方はエンゲルスの根本にあります。
 ところが、レーニンになるとあきらかに力点がちがってきます。人間の意識、あるいは意識の生み出す幻想、あるいは意識一般、その外に客観的に実在するもの、それが物質あるいは外的実在で、それは人間の観念あるいは意識の働きと異質なものだとかんがえられています。もし観念のほうを主体とみなすなら、その考え方は観念論であり、人間の観念の働きのあるなしにかかわらず、それとは別にはっきりと存在する実在があることを認めるなら、それが唯物論で、そのあいだになにもニュアンスの差異は認めない。・・・・精神の外に実在があるということを認めるかどうかということが、観念の問題と物質の問題との関わりだというふうに、レーニンはすでに問題を別のものに転化しています。そうすると、エンゲルスからレーニンにきたときには<マルクス主義>はもうちがっています。
 レーニン以後に歴史性ということをかんがえた思想家は、全部そこのところに異議申立をしているような気がしてならないんです。・・・・
 したがって、意志の考え方、観念の考え方、精神の考え方自体が、エンゲルスの考え方とレーニンの考え方ではもうちがってきています。しかも、ぼくらが素養として受けとり、いわば考えの規範にしてきた意味あいでの<マルクス主義>は、すべてエンゲルスとレーニンからでていて、マルクスからでているものではないわけで、ここのところに根本的な問題があるような気がします。 (P75-P77)

Pヘーゲルには<自由>について独特な考え方があります。ヘーゲルは、個体の意志が自然性をできるかぎり離脱して、内面の無限性、あるいは観念の無限性を獲得してゆくことが<自由>だと見做します。この考え方でいけば、どうしても人間の歴史は、自然状態を遠ざかる方向に進歩していくことになります。それでは進歩という概念ですが、ヘーゲルの場合には、人間の意志が無限の自由性を獲得していく過程が、目的意識化できれば、世界精神の具現として、それが歴史の最終の理念になってゆきます。

項目抜粋
2
Q根本には人間の<自由>の実現の概念があり、その<自由>の実現は無限の内面性の獲得ということになり、それが歴史の理念とされています。古典古代以前に人間の歴史を遡っていけば、自己意識、意志、自由性、自然性はだんだん概念の源泉を払底していきますから、進歩の方向は遡るのではなく、どうしても自由の無限の拡大の方向にかんがえられていきます。ヘーゲルの歴史は内面性の自由の拡大の方向に展開してゆきます。マルクスやエンゲルスは、内面の自由のかわりに物質の無限な自由の獲得という概念へ向かっていきます。そうすると進歩という概念はヘーゲルと同じ方向にでてくるのですが、ただ精神のかわりに物質の基礎の上になんですね。・・・・エンゲルス流の考え方では、窮極的には、原始共産制がもう一度新しい意図性のうえに再現されることが歴史の進歩の目的ということになってゆきます。
 その場合の<自由>という概念が検討に価するのではないでしょうか。そこのところに段階進歩史観の中心があるとすれば、そのことにたいする疑問を持たざるを得ないとぼくにはおもわれるんです。
(P76-P79)




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182 フーコーの構造の概念 歴史・国家・人間 インタビュー 世界認識の方法 中央公論社 1980/06/10 世界認識の方法

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世界の総合把握性
項目抜粋
1
Rヘーゲルまで遡行しても、まだおさまりがつかない。つまり遡行という概念はどこまでいっても彷徨という概念と同義になるんじゃないか。現在の事実の世界に起こっている出来事にたいする考察から、なにかを導き、そこからなにかを得てゆくのが億劫なものだから、無限に時間のなかをさまよっているんじゃないか。そんなことにすぎないんじゃないかとかんがえると、はなはだじぶんに不満です。またどこかおかしいんじゃないかという疑念がたえずあります。(P80)

Sヘーゲルまで遡行していきますと、マルクスもエンゲルスも、ヘーゲルの歴史概念を、組みかえているところもありますが、骨格だけはそっくりそのまま頂戴してるなということが如実に感じられます。そうすると、ヘーゲルは偉大な思想家なんだなとつくづくおもいますね。ヘーゲルまで彷徨して、ヘーゲルから全部汲み尽くすことができていません。・・・・
 それからもう一つ、じぶんの彷徨みたいなものがここでとまるんじゃないかという予感もあるんです。それはどういう根拠からかというと、ヘーゲルの世界の把握の仕方、歴史の把握の仕方には、個々の実証的な場面ではどんなに狂いがあっても、それ自体で世界を限定できています。つまり地上にどういう事実が起こっても、現実になにが行なわれ、どういう事件が突発しても、理念が全部世界を覆えるという理念があります。事実の生起性がヘーゲルの世界把握の外側にでることはないという世界の概念があります。存外ここまで彷徨して、ここで汲みとれるものでね歴史の現在への適応性が掴めるんじゃないか。一方ではそういう安心感みたいなものもあるのです。他方では無限の彷徨をしているだけで、ヘーゲルで解けなくなったらもっと遡行するんじゃないかという感じですね。(P80-P81)

項目抜粋
2
21.ヘーゲルには、哲学的な概念と、歴史的な概念と、論理学的な概念と、その三つの総合概念があるとおもいます。そこでヘーゲルの哲学的概念としての<意志><自由>は、歴史概念に移してきますと、個体の人格倫理から一般意志である国家とか市民社会とか、そういう概念にまで連繋がついています。それは世界史的概念でいけば、理念と空間概念の結合の仕方にあらわれているとおもいます。その結合の問題は世界史の記述の問題に転化されてしまう。結局その三つは関連性があり、歴史概念としても世界史的であるけれども、意志概念としても、個人意志から一般意志である法律とか、国家、市民社会などが全部包括されてしまいます。それが正当であるかどうかはともかくとして、そこで全部の問題が包括して提出され、それなりの解答はされています。この総合性だけは、マルクスはヘーゲルを生かすほかにないという形で生かしたとおもいます。
 ぼくなりのいい方をすると、マルクスが捨てられないのは、ただ一つなのです。ある概念の水準が別の概念の水準にたいして適応するときには、よくかんがえられてヘーゲル的な全円性がにいかぎりは誤謬に転化するということをマルクスはよく知っていたのだということです。あやふやなことにたいしては、具体的な事実性の水準までは言及しない。原理と具体的事象とを繋ぎ合わせることは、マルクスはしません。(P81-P82)




項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日 抜粋したテキスト
183 フーコーの構造の概念 歴史・国家・人間 インタビュー 1989.6 世界認識の方法 中央公論社 1980/06/10 世界認識の方法

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世界の総合把握性
項目抜粋
1
22.ぼくが把握しているマルクスの像に照らして、有効なアンチテーゼはいままでないような気がしています。・・・・ポジティヴないい方をしますと、この問題の核心にあるのはマルクスのものといっていいのかヘーゲルのものといっていいのか、どちらかといえばヘーゲルに優先権があるといったほうがいい世界の総合把握性のようにおもいます。ヘーゲル、マルクスの系譜がやろうとしてきた以外の思想で、世界の総合把握性のようなものは、かんがえられないのじゃないでしょうか。たんにこれまでなかったというだけでなくて、総合的な世界史的な把握−市民社会から国家、あるいはもっといいますとそのなかの主体、意識、個人意志などにいたるまでの総合的把握というのは、これからもヘーゲル=マルクス的な方法以外には不可能でないかとおもっています。ほかに存在しないというだけでなく、ほかには不可能ではないかなとかんがえます。そういうことがぼくが掴んでいるマルクスの思想の特徴におもわれるのです。
・・・・ある普遍性をもった把握の可能性は、依然としてヘーゲル=マルクス的な系譜の考えのなかにしかないのではないか。 (P84-P86)

23.ぼく自身は、ヘーゲルの世界史把握がいまも生きているということを、現在のじぶんのおかれた状況に引きよせてかんがえています。・・・・しかしこの把握の仕方【注 第三世界論】にたいして、ヘーゲルやマルクスはすぐにその把握の仕方は総合的でないことを教えているとおもいます。つまり空間的な把握、地域的な世界把握自体は、すぐに時間的な、あるいは時代的な把握の問題に転化できるという基本的な概念が、ヘーゲルにもマルクスにもあります。ですから、たとえばヘーゲルや、マルクスの考え方からすれば<アジア的>という概念は、中近東から極東まで、つまりエジプト、ペルシアからインド、中国、日本も含めて、全部に妥当するひとつの概念として成り立っています。同時にそれはまた歴史的な時間概念です。古典古代の前の段階に位置づけられる世界概念です。マルクスにはその概念はひき継がれています。ヘーゲルにとっては<歴史>という概念は、人間の理念的な意識のうちで自然規定というものがどれだけ生かされているか、どれだけ残っているか、あるいはすべてふっ切られて、意識の普遍性の問題に転化されているかという把握の仕方と対応して、あきらかに時間概念を構成しています。そこでは<アジア>における古典思想は、すべて時間概念に転化できます。これはヘーゲルもマルクスも変わりがないとおもいます。(P88-P89)

項目抜粋
2
24.そうすると、現在何を第三世界というのかといった現実的な問題は、空間地域の問題と同時に、<アジア的>世界はどういう時代の認識の骨格をおおく保存して現在にきているのか、<アフリカ的>世界というのは、マルクスでいえばどうして原始的世界の末期の骨格を産業とか制度とか意識のなかに現在も残存させて存在するのか。そういう問題として、時間把握に転化させることができます。そこで現在行なわれている世界把握−西欧的な世界があり、アジア的な世界があり、第三世界がある、西欧的世界の一種のアジア的な変態であるロシア的世界と新ヨーロッパ的なアメリカ的世界を加味するならば、この空間把握で世界把握ができるといった考え方−にたいして、一つの時間的な問題提起みたいなものができるようにぼくにはおもわれます。ヘーゲル=マルクス的な考え方が、現在流布されている現実認識にたいして、すぐに訂正を強いるものだという事実は厳然としてあります。(P88-P89)

25.またフーコーがしようとしていることをかんがえてみますと、どうしても回避しているとおもえることがあるんです。たとえば偶然性の系列化、事象の系列化、その個別化みたいなところから何に到達したいのかといえば、やはり<歴史>の法則性に到達したいということではないのかという気がするんです。それは法則性という概念自体が<歴史>から抹消あるいは排除されなければならないという法則性のようにもおもわれます。ヘーゲル=マルクス的な世界把握の方法は、方法的な骨格を現在も提出できるのかどうか、という基本的な課題は避けられてはいけないようにおもいます。(P90)




項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日 抜粋したテキスト
201 不況からの離脱 J.ボードリヤール×吉本隆明 対談 1995.2.19 世紀末を語る 紀伊國屋書店 1995/06/30 J.ボードリヤール×吉本隆明『世紀末を語る』−あるいは消費社会の行方について


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瀕死体験を経た視線
項目抜粋
1
@現在の日本のような消費資本主義の社会では、不況というのは、要するに消費者が使わないことが第一の原因なんです。つまり、大衆が経済的に使わないっていうことが第一原因で、これは、いくら政府が企業体に公共投資しても、企業体が頑張っても、個人の選択消費が増加しないかぎり、消費過剰社会は絶対的に不況から離脱しないと思います。
 記号の消費というものは、ぼくの場合には一切含めてないので。ぼくはボードリヤールさんの記号の消費という問題が大きな問題になるのは、この社会が死んだあとの世界じゃないかなという気がするんです。 (P80)

Aぼくはあくまでも、社会の「死」の場所から引き返して現在の諸問題を見たいという感じです。要するに社会の「死」の向こうから現在の社会の瀕死状態を見る視線を行使したいという願望です。そこいらへんの瀕死体験を経た視線で、現在の消費過剰の社会のイマジネーションをつくりたいというかんがえかたです。(P82)

項目抜粋
2




項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日 抜粋したテキスト
221 分業 共同幻想とジェンダー 講演 1983.2.12 超西欧的まで 弓立社 1987/11/10 超西欧的まで

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崩壊作用をうけている家族の現在
項目抜粋
1
【T 分業(労働の分割)の起源】
@イリイチが、労働の分割という概念でいっていることは、マルクスの分業にあたっています。マルクスの考え方からする分業の起源は、どこにおかれているかといいますと、まず第一に、性的な行為における男女の分業にあります。
 つまり、男と女が、身体的にあるいは生理的に分担せざるを得ないもの。それから、その分担によって生じてくる幻想性。そういうようなものが、、労働の分割の起源にあるという考え方です。(P320)

A分業の起源という考え方が成りたちうるのは、すくなくとも未開や原始時代とか、つぎの段階であるアジア的な段階とかでかんがえられます。たぶん、そうとう程度、社会の一般的なあり方を占めていたんではないかと想定することができます。その段階では、性行為における男女の分業とか、それから自然素質による分業のしかたは、ひとりでに、自然におこなわれていたとおもいます。
 こういう自然素質的なあるいは男女の性行為での分業が、だんだんと片すみに、影の部分に押しやられるように、人間の歴史時代は展開してきています。もし、起源とか発生という概念が、分業あるいは、労働の分割という概念の中で重要だとすれば、歴史時代以前の、あるいは古代以前の社会のあり方に、あるひとつの原型的モデルを求めることが、当然とおもわれます。 (P321)

【U 現実の分業】
B歴史時代に入ってから、現実に社会で、ほんとうの意味での労働の分割・分業が、どこでどう始まったとみなすかと申しますと、「精神労働」と「肉体労働」が分割した時期とみなされています。そこではじめて経済社会的な概念の中に、あるいは、流通とか生産とかの概念の中に、分業があらわれたということになります。
 イリイチがいっている産業社会での労働の分割、あるいは分業の起源をたどってゆくと、精神労働と肉体労働との分割、あるいは分業が根本にあるというのが、ぼくらが深く影響をうけた考え方の基本です。 (P322)

項目抜粋
2
C現代社会では、家族の、つまり山本さんもさきほとほいわれたように、あり方、シャドウ・ワークのあり方自体でさえも、電気洗濯機を買い入れたとか、乾燥機を入れたとか、さまざまな近代文明社会の生産物が、家族労働の中にも入ってきたりしていますから、家族が固有の紐帯として技術的な社会から独立して存在することがむつかしくなったからです。家族の枠組みが社会全体の噴流の中に、全部巻き込まれてしまうことがおおくなってきているのです。これは崩壊作用をうけている家族の現在のもでるになってきます。・・・・こういう問題の根柢にあるのは、はじめに精神労働と肉体労働が分岐したところ、分業したところに起源がおかれています。それが、ぼくらが深く影響されて、とってきた考え方です。精神労働と肉体労働が分離したところは、潜在的には人類の歴史とともに古いのでしょうが、歴史が資本主義社会を成立させてからはじめて、社会的に問題となるくらいおおきな規模にでてきました。
 (P325-P326)




項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日 抜粋したテキスト
222 分業 共同幻想とジェンダー 講演 1983.2.12 超西欧的まで 弓立社 1987/11/10 超西欧的まで

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項目抜粋
1

【U 分業(労働の分割)のの現在性】

D現在、精神労働と肉体労働との分裂という近代社会の初期から成熟期までに確立された過程が、漠然としてではありますが、ふたたび高度な意味で境界をあいまいにされ、混合されつつあるということが、社会の全体的現象としていえるとおもわれます。
 たとえば、よくいわれるように素人性が通用しちゃうことがあります。
・・・・それから、文化の世界でも古典主義的な教養・文化と、大衆の教養・文化との格差は縮まり、その輪郭はあいまいになって、区別がつかなくなっている現象があります。こういうことが、現在とても特徴的なこととして見出されるものです。
 この根柢にあるものは、精神労働と肉体労働との根本的な分離・境界が、起源と逆に高次な次元で、すこぶるあやしくなってきて、絶えず噴流にさらされているということです。そういうことを、根本的な理由のひとつとして数えることができます。社会的な構造の問題としていえば、精神労働と肉体労働との最初の分岐というものは、必然的に都市と農村との分離を促す要因でした。
 ところで現在、たぶん都市と農村との分離ではなくて、逆に高次な意味での混合性みたいなものがでているのです。これは農村の都市化、農業技術の発達による機械化、また栽培技術の高度化による人工栽培の普及、それから都市の人工的設計による田園化などに起因しています。別の言葉でいえば、農村の都市化とともに進行する都市と人工都市との分離と呼びうるとおもいます。
 つまり近代以後の発生概念からいいますと、都市は、精神労働と肉体労働とが分岐したときにはじめて、その<肉体労働もっぱら>というものと、それから多少なりとも<精神労働もっぱら>というものが、地域的に集団を作り、それが都市と農村との分離を大きく促進した要素であったわけです。
 
Eつまりそういういみでいいますと、逆にこんどは消費を専門として、消費専門センターや人工田園のような、そういう集団・団地・建物・集落をさきに作っておいて、その回りに人を集めてしまうという、いわば人工都市と人工田園が、ポツリポツリと出現する事態があります。・・・・
 これらの現象は、根本的にみますと、精神労働と肉体労働の近代以降の分離のされ方が、あるひとつの、べつの転回点に立ちつつあることの、おおきな象徴だとかんがえられるのです。(P327-P329)

項目抜粋
2




項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日 抜粋したテキスト
225 「本質」的な認識 「反核」運動の思想批判 論文 1982.8「読書人」 「反核」異論 深夜叢書社 1982/12/20 「反核」異論


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政治的エコロジストの暗黒主義、原始主義
項目抜粋
1
@大江はわたしの社会主義のあるべきモデル化に関心がないだろう。だが、大衆・市民・労働者の直接の同意なしに勝手に動かせるような軍隊や軍備があることは、それだけでも決して社会主義にはゆきつかない。(P44)

A反核運動の本質がどう成立できるのかは、すでにはっきりしている。現在、世界で核戦争をやる可能性と能力をもった米ソ両国へのはっきりした抗議運動としてしか成り立ちようがないのだ。 (P45)

B「反核」と「反原発」を結びつける理念も錯誤である。「反核」というときの「核」は核兵器あるいは核戦争を意味する。核兵器または核戦争としての「核」は、クラウゼヴィッツの古典的な『戦争論』によってさえ、べつの手段による「政治」の問題にほかならないのだ。ところで、「反原発」というばあいの「核」は核エネルギーの利用開発の問題を本質とする。かりに「政治」がからんでくるばあいでも、あくまでも取扱い手段をめぐる政治的な闘争で、核エネルギーそのものにたいする闘争ではない。核エネルギーの問題は、石油、石炭からは次元のすすんだ物質エネルギーを、科学が解放したことを問題の本質とする。政治闘争はこの科学の物質解放の意味を包括することはできない。  (P46-P47)

C自然科学的な「本質」からいえば、科学がを解放したということは、即自的に「核」エネルギーの統御(可能性)を獲得したと同義である。また物質の起源である宇宙の構造の解明に一歩を進めたことを意味している。これが「核」エネルギーにたいする「本質」的な認識である。  
(P61) (「反核」運動の思想批判 番外1982.10)

項目抜粋
2





項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日 抜粋したテキスト
232 表現の様式 資料 表現者にとっての現代 インタビュー 1979.5『写真試論1号』 大衆としての現在 北宋社 1984/11/05 大衆としての現在

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項目抜粋
1
【インタビュアー 表現の様式についてなのですが、吉本さんのお仕事は、言語を使用する領域が多いとおもわれますが、言語を使う表現とそうでない表現、みたいなことについて、お聞かせ下さい。】

@それは一番わからないところなんですねえ。そのわからないところでぼくの方が訊きたいわけなんですが、すべての表現の根底に、言葉というものがあるんですか?つまり絵を描くばあいにも、ことばはあるんですか?
 言葉について単純に言うとね、言葉にははじめっから制約みたいなものがありますね。たとえば、<わたくしは>を、<はわたくし>とは絶対言えないですね。まあ、言ってみればそれは文法ということになるけど、それをもっと拡張してゆけば、どうしても言葉には、いわゆる規範というものがあって、その規範はどんなに自由に振まおうとしても、それは言葉の方にあるのか、意識の方にあるのか、つきまとってくるわけです。そこが一番わからないとこなんですが、そういう規範は絵画や写真にはないわけですか?
(P185-P186)

A 言葉というのは、ぼくなんかにはいつでも表現の根底になっていますし、言葉以外の表現といわれるものの質が、本当の意味で違うのか、本当は同じなのか、その辺がよくわからなくて、それが言語表現を選んでいる、大きな理由なのですね。そこの問題は、ややはっきりしないんです。言葉だったら、ある基本的なところを捉えれば、一種の普遍的な表現論が可能なのです。絵画とね、音楽において果してそれが可能なのかどうか、ということが計れないんですよ。普遍的な表現論が可能なためには、最小限度の規範が必要なのです。 (P187)

B言葉のばあいには、ある描写をしたってことは、なぜその描写をしたしたか、なぜほかの描写をせずにその描写をしたか、ということ自体のなかに、美というか芸術性が成り立っているとかんがえるわけです。(P188)

項目抜粋
2
Cつまりね、言葉の表現のばあいは、結局は書いた人の表現意識みたいなものに、収斂してしまうわけですよ。・・・・現実には無限の評価があるかもしれないけど、もし無限に繰り返して呼んでいけば、一点に収斂していくんです。
 写真というのは、それがそうなのか、そうでないのかが、よくわからんよ、ということなんです。映画のばあいでも、結局作者の表現意識までいき着くんじゃないかな、なかなか視きれないけど、そういくとぼくはおもいます。 (P190)

D言葉の表現のばあい、場面の選択のようなことは、最少のウェートしかないんですよ。 (P192)




項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日 抜粋したテキスト
233 方法 あとがき 論文 1984.0611 マス・イメージ論 福武書店 1984/07/10 マス・イメージ論


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項目抜粋
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@カルチャーとサブカルチャーの領域のさまざまな制作品を、それぞれの個性ある作者の想像力の表出としてより、「現在」という巨きな作者のマス・イメージが産みだしたものとみたら、「現在」という作者ははたして何者なのか、その産みだした制作品は何を語っているのか。これが論じてみたかったことがらと、論ずるさいの着眼であった。でも思わずのめり込んでしまうと、しばしば一制作は一作者の所産にほかならないという視線にからめとられた。それを感じるたびに、何だべつにいままでやってきた批評とかわりないではないかという、内心の落胆をおおいかくせなかった。

Aこういう問題は、本質的にだけいえばつぎのようになる。制作品という言葉を全体的な概念として使おうとすれば、個々の制作品は、個々の作者と矛盾する表出とみなされる。また逆に、制作品という言葉を、個々の作者のそれぞれの制作品の集まりとかんがえれば、制作品は個々の作者の内面の表出そのものなのだ。そこでこの論稿では、カルチャーまたはサブカルチャーの制作品を、全体的な概念としてかんがえ、そのために個々の制作者とは矛盾するものとして、取扱おうと試みた。するとたしかに制作品は、個々の制作者と矛盾する表出の側面を露出してくる。だがこれを作者の「現在」という全体的な輪郭にまで形成することはたいへんむずかしいことであった。なぜかというと「現在」もまた「現在」に矛盾する自己表出(自己差異)を内蔵しているからである。この内蔵されたものの内部では、個々の制作者も、それをとりあげている論者も、いわば渦中の人であるほかない。そして渦中の人はいつも解明しているよりも、行動している存在であり、その分だけは解明から、いわば絶対的に遠ざけられている。

Bただ最小限はっきりしていたことは、生のままの現実をみよ、そこには把みとるべき「現在」が煮えかえっているという考えにだけは、動かされなかったことだ。生のままの「現在」の現実を、じかに言葉で取扱えば、はじめから「現在」の解明を放棄するにひとしい。そのことだけは自明であった。そこで制作品を介して「現在」にいたるという迂回路だけは、前提として固執しつづけた。

Cこの本はほんとは深刻で難しく、暗い本だが、明るい軽い本として、読まれなければ本としては、その分だけ未熟で駄目なのだとおもう。別のいい方ですれば、取扱われている主題が、それにふさわしい文体や様式を、まだ発見してないことを意味しているからだ。

項目抜粋
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@わたしの密かな願望は、若者が(若者でなくてもそうだが)、若い女性のヌード写真を視るのと同じくらい熱心に、このインタビュー記事を読んでくれないかな、というものだった。
 それには、やさしい言い回しで、それでいて程度を落とさないための見識が必要だ。わたしは、それを心がけたが、程度は落ちるし、若い女性のヌード写真に匹敵するような文章の魅力も発揮できなかった。
 わたしが自分に課したこの課題は、至難のことに属する。これはよくわかっていたが、それでも挑戦しようと心がけた。    (P17−P18)





項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日 抜粋したテキスト
246 方法 まえがき インタビュー 「ペントハウス」 超「20世紀論」』上 アスキー 2000/09/14 超「20世紀論」』上


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@わたしの密かな願望は、若者が(若者でなくてもそうだが)、若い女性のヌード写真を視るのと同じくらい熱心に、このインタビュー記事を読んでくれないかな、というものだった。
 それには、やさしい言い回しで、それでいて程度を落とさないための見識が必要だ。わたしは、それを心がけたが、程度は落ちるし、若い女性のヌード写真に匹敵するような文章の魅力も発揮できなかった。
 わたしが自分に課したこの課題は、至難のことに属する。これはよくわかっていたが、それでも挑戦しようと心がけた。    (P17−P18)
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備考 註.「見識」という言葉が、最近よく使われている。





項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日 抜粋したテキスト
264 方法 まえがき インタビュー 超「20世紀論」』下 アスキー 2000/09/14 超「20世紀論」』下


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理想の生き方の条件の一つ
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@人間の身体を、精神の動きと肉体の動きとが集約されるところとみなすと、精神の動きは肉体の内部に起源を持ち、外側に拡がっていって、環界の自然にまで及んでゆく。また、身体の動きの起源を肉体の表面の感官の動きに求めると、それは社会の具体的な像にまで拡がってゆく。
 そして、人間にとって一番大切なのは、精神の動きと肉体の動きとが結びついてつくり出す姿や形や像がどんなものかということだ。   (P17)


Aわたしは、さまざまな社会的事件について意見を述べながら、あるとき、その事件がすべて、精神的にか、肉体的にか、異常なものと呼べる気がすることに愕然としたことがある。いいかえれば、、異常だといえば、片がついてしまうのだ。
 さらにまた、法律に照らして犯罪だといえば片づいてしまうことにも違和感を覚えた。  (P18)

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Bわたしは、精神異常と法律違反だけで社会的事件を片づけようとする傾向にだけは頼るまいと考えた。けれども、世の中の傾向は、そんなことになってしまっているのではないかと恐れている。
 わたしたちは、日常生活を、特別なことがない限り、無事で平穏に過ごしたいと願っている。しかし、このことは思考の限界を意味しない。思考は、いくらでも法律の枠を超えることがあるし、超えることができるからだ。
 また、わたしたちは、市民的常識からできる限り外れないように、日常生活を正常に営むよう努めている。しかし、このことは、わたしたちが、いつも正常な振る舞いをする、異常で唐突な振る舞いをしないと定められている、そう定められている通りにしか行動しない、ということを意味しない。いつ、自分が社会の人々から、異常な行為とか、犯罪行為とか思われる振る舞いをしないともかぎらないのである。
 人間が自由であるとは、本来的には、法律的制約とか、精神科医による紋切り型の異常・正常の判定といった、自由を拘束する保留の条件を持たないことであり、それが理想の生き方の条件の一つであることは疑いない。
 わたしと事件の主人公たちとは、どこも違っていない。ただ、たまたま出合った事柄が違っていただけだ。そう考えずには、続発する現在の社会的事件について、感想や意見を述べることはできはしない。
 少なくとも、そういう意志を貫く姿勢だけは失うまいと、わたしは念じ続けた。 (P18−19)





項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日 抜粋したテキスト
274 阪神大震災と地下鉄サリン事件 V 国家について 談話 遺書 角川春樹事務所 1998/01/08 遺書


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@一九九五年に起こった「阪神大震災」とオウムの「地下鉄サリン事件」という東西の二つの出来事は、日本の切れ目を象徴する恰好の事件でした。この事件は日本国の死の時期を早まらせたかもしれません。東京や大阪や神戸のような世界的大都市で何の因果関係もなく、ただそこに住んでいた、また地下鉄に乗り合わせていたというだけで、多くの人たちが、無差別・無意識的に突然死に襲われる。こんなことは、二十世紀ではソ連の崩壊に次ぐほどの大事件で、一世紀のうちに何回も起こらないようなことが、日本で同時期に起こりました。
 これはいまの先進社会では国家社会制度と個々人の生死や、災厄や、好悪の主観や、通勤や、日常の習慣のような、一見何の関係もないと思われることが、密接に重なり合い重複して共鳴し合っていることを、はっきり証明してしまったということです。個人も集団社会も成り立たない。相互に重なっていて切りはなせない。そんな社会に突入しているということの象徴です。
    (P70−P71)

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項目ID 項目 よみがな 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日 抜粋したテキスト
299 文化の比較 ぶんかのひかく 日本近代文学の名作 聞き書き 日本近代文学の名作 毎日新聞社 2000/09/14 日本近代文学の名作


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【保田與重郎『日本の橋』】

@ 戦後になって私が考えたことの一つは、西欧の文化・文明と日本の文化・文明を比較するやり方は論理的におかしいということだった。西欧の文化と東洋の文化あるいはアジア的文化を比較するというなら話は分かるが、西欧の文化を向こうに置いて日本固有の文化や固有の感性のあり方と比較するというのは、ナショナリスト特有の考え方ではないか。もし保田與重郎の『日本の橋』に欠陥があるとすれば、日本と西欧という
次元の異なるものを橋を素材に比較していることだと思う。本当は普遍性を持たせるつもりなら、東洋的文化と西欧的文化はどう違うかを比較し、そのうえで日本は東洋の中でどのような特徴を持っているかという論じ方をしないと、手続き上、短絡であると思える。


A 戦後にもう一つ考えたのは、日本とは何かということだった。日本はアジアでも特殊な島国で、大ざっぱに言うと日本人は文化も人種も、「アフリカ的」なポリネシア系の人々と内陸アジア人との混血だと言っていい。また、日本の王朝はアジア的専制王朝とも西欧の立憲君主や絶対主義とも異なるが、これは日本独特というわけではなくて、インド以東の沿海地区や島、山岳地帯の辺境国などとも形態は多少違っても共通するものだと言える。    (P74−P75)

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項目ID 項目 よみがな 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日 抜粋したテキスト
300 萩原朔太郎 はぎわらさくたろう 日本近代文学の名作 聞き書き 日本近代文学の名作 毎日新聞社 2000/09/14 日本近代文学の名作


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【萩原朔太郎『月に吠える』】

@ 中原中也とも似ているが、萩原朔太郎には、自分が一種の人生の敗残者だという思い込みが強くあった。

      わが草木とならん日に
     たれかは知らむ敗亡の
     歴史を墓に刻むべき。
     われは餓ゑたりとこしへに
     過失を人も許せかし。
     過失を父も許せかし。

                   (「物みなは歳日と共に亡び行く」より)

 晩年のこの詩には、自分は人生に敗れたという感じがあふれている。
 萩原朔太郎の詩は、二、三行で一つのモチーフが切れて、すぐ次の行から別のモチーフが始まるという書き方になっている。そういう書き方をしても詩の連続性が失われていないと思えるようになったのは、萩原朔太郎の『月に吠える』が最初だった。今の詩人であれば、行が変わって全然別のことを書いても、全体では流れが通っていると平気で言えるが、その初めがこの詩集だった。
 それ以前は、典型的には島崎藤村の詩のように、第一連から第二連、第三連へとモチーフの区切りと流れが一目でわかるようになっている。朔太郎がそれを壊して、どう書いても詩人自身が自分の中で流れが続いていればいいはずだというふうに変わっていった。このことは萩原朔太郎が『月に吠える』以来、追求してきたし、朔太郎が始めた叙法の特徴をなしたと言っていい。このこともまた近代詩から現代詩への転換を画するものだった。
      (P147−P149)

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項目ID 項目 よみがな 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日 抜粋したテキスト
313 非学問の場所から ひがくもんのばしょから 批評と学問=西欧近代をどうとらえるか インタビュー 読書の方法 講談社 2001.11.25 読書の方法


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ヨーロッパとアジア ヨーロッパの近代 ふたつの課題 キリスト教 誤差 真理 批評 パラノイア 構造主義
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@ 僕は学問という領域の外にありましたから、いってみれば、非学問の場所から学問をみることになると思うのです。
 非学問の場所というのは、いろいろな意味あいがあるでしょうが、いくつか挙げますと、ひとつは総合性というものをいつも頭においている場所だという気がします。僕らが非学問と考えている場所の特色は、いつも総合性ということが潜在的な課題としてあるということです。
 もうひとつは現実的なことで、いつでも大衆的な現象、現実の文化現象にたえず接触して、そこから脅かされたり、波を受けたりしている場所だと思います。つまり、現在性というものの現象的な波を絶えずかぶっている場所です。そういう場所からの意見だというのを前提に置いてくれないと、ぼくなどが学問について何かいうのはちゃんちゃらおかしいということになのます。自分でもそう思うくらいですから、他人から見たらなおさらそうだと思うのです。その上で、ヨーロッパと日本とか、広く外国と日本ということがどう考えられるかを喋ることにします。

        (P157)

A この作品【註.ラフカディオ・ハーンの「人形の墓」】を近代のヨーロッパがもっとも日本に深入りした典型として考えますと、日本の何に魅せられたかすぐに分ります。
 日本の中の西欧でも、日本的近代でもないのです。日本にもっとも深入りしたヨーロッパ的なものを魅惑したのは、われわれから言えば迷信的習俗のなかの厚い情緒です。迷妄と思える習俗の中に貫かれている感性です。これはハーンの個性でもありえますから、一概に言えないとしても典型はそうだというふうに理解されます。
 そうすると、われわれが学問あるいは非学問の領域でヨーロッパと日本、あるいは外国と日本を比較したとき、われわれにとってハーンは内なるヨーロッパを象徴しています。つまりハーンの眼のつけ方、視線の伏目の中に、僕らは内なるヨーロッパの徹底的な典型をみるしか仕方がないわけです。
 われわれが見る内なる西洋の極限はそれなのです。これは比較文化論の域を越える問題です。ハーンの入り込み方、何に関心を持ち、何に入り込んだかというその入り込み方は、われわれが描く内なるヨーロッパのもっとも深い意図なんです。
 もう一つ、われわれにとって外部なるヨーロッパの典型を考えるとします。僕にはすぐに思い浮かぶのは折口信夫です。折口信夫の学問の仕方、方法論の中にやはり、われわれによって描きうるヨーロッパというものの、もっとも深い典型があると思います。・・・・・・・・・・・・・
 折口信夫の発生論にもっとも影響を与えているのは、ニーチェです。ところが折口信夫はニーチェという名をひとことも言わないのです。肉にしてしまっているのです。しかしニーチェの影響をうけているのはよく分ります。
 「発生」という概念があるでしょう。「発生」とか「起源」とかいう概念を折口信夫がどこから獲得したかというと、ニーチェ以外にはないのです。それ以前の国学者や国文学者の中にそんなものはないのです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・御承知のように、折口信夫の学問の方法が日本の古典の無意識の深部にまで入っていく入り方の中に、ニーチェはひとつも顕在化していないのです。こうこうこういったというような形では、ニーチェは出てこないくらい、その影響の受け方は根底的なのです。つまり根底的であればあるほど外形が見えないわけです。
 そういう意味で、もっとも深い外なるヨーロッパというのを考えれば、折口信夫にもっとも徹底的な姿がみられます。それが学問あるいは非学問における、外国と日本というものの、あるいは内なる西欧と、外なる西欧、そういうもののもっとも深い形だと僕は思います。
          (P159−P161)

B そうしますと、何が問題なのかということなのです。ラフカディオ・ハーンにおける日本を考えても、折口信夫における西欧を考えても、いずれもヨーロッパの現在と隔絶する以外にはないのです。言葉を絶する以外にないことになります。
 現在、西欧に対して日本を理解してくれと言っても、徹底して言えば、ハーンのようにその人自体にヨーロッパを捨ててくれというのと同じことです。まして捨てさせる魅力もないのに誰も捨てやしないのですよ。・・・・・・・・・・・・・・・・・逆に言いますと、西欧の諸科学をやるのだったらヨーロッパになってしまう以外にない、ヨーロッパの習俗みたいなものの根底まで構造が分るところへゆくより仕様がないと思います。・・・・・・・・
 いずれにせよ解決可能な意味あいでは、まだ学問における日本と外国という問題は喚起できないでしょう。ただ問題の所在だけは、明瞭に指すことができます。

         (P161−P162)

項目抜粋
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C ただ、近代の人文科学や社会科学における人間という概念は、肉体もあり感覚もあり感情もありという具体的な人間というよりは、頭脳と認識の論理のふたつの結合が、人間という概念だと思うのです。
 たとえばデカルトにみられる近代的な思惟のはじまりは、十七世紀の中葉ごろに兆しを見出すと考えれば、デカルトにおける人間の概念は、頭脳と論理の結びつきだということになります。デカルトを西欧近代の思考的原型とみなすのが現代のヨーロッパで、それに対して否定するしかないということで、そこでさまざまな問題が起こってくるのだと思います。
 僕らがデカルトに先入見なしに感ずるのは何かといえば、要するに幼稚さということなんです。・・・・・・・・・
 それからもう一つあります。用地であるにもかかわらず、人間の歩幅が一幅七十センチとすれば、七十センチで思考の歩行をすることがきわめて厳密に守られていることです。


D これはなにを意味するかということです。近代の科学的思惟の原点のひとつがデカルトにあるとすれば、それが現在から幼稚にみえることは重要です。それは思惟というもの、つまりコギトということを、デカルトは自我の大きさと同じ規模にはじめてもたらしたのです。
 つまり、自我の規模から思惟の普遍性、コギトの普遍性をはじめて提起したということです。だから現在からは幼稚にみえるのです。
 逆にいうと思惟、コギトは進歩するものだという概念が、はじめてデカルトから始まったのです。近代諸科学の根底にあるのは、この概念ですね。人間の思惟も科学的な認識も進歩するものだという概念は、デカルトから始まったのです。デカルトが、コギトということを自我に収斂させたからです。
 デカルト以前の人間の認識の在り方は、とくに古代では宇宙大の規模で根底的なのです。いってみれば古代のギリシアの思想も、古代の東洋の思想も、ほとんど人間の考えることは全部考えつくしたのです。人間の起源から宇宙の起源まで、人間が死んだらどうなるのかとか、そんなことは全部考えられているのです。
 そうしますと、個人の歴史でいえば二、三歳までに人類は全部根本的なことは考えているわけです。人間の内面や、人間の起こりについて、宇宙の起こりから終末までみな考えたのです。古代の思想は、ヨーロッパでも東洋でもすべて考えつくしたわけです。
 ではなぜ近代の諸科学に意味があるかというと、それを自我の規模からすべてのことを考えるという方法、自我以外のものを自我の場所から考えるというその考え方で、宇宙のことを考え直してみようとしたからです。それが近代諸科学の根底でしょう。
 それは、デカルトやスピノザから始まっています。それが近代の意義です。自我の規模というものに思惟の規模を寄せあわせたということ、そこから考えたということが、近代諸科学のはじまりです。そして、そこから進歩という概念が生まれたのです。
 それが、デカルトの思惟の仕方が現在では幼稚にみえるということの意義です。つまりわれわれの時代が下っているから進歩しているのだ。だから幼稚にみえるのだというだけのことです。けれども思惟そのもの問題だったら、人間個人で言えば二、三歳までにあたる古代において、全部のことは考えられてしまったのです。
        (P163−P166)

E 近代における人間という概念の中心にあるのは、この頭脳と論理のとり方なのです。それが現在危くなってきたということでしょう。頭脳と論理の結びつきを、諸科学における人間という概念で考えて、それで満たされるのかということです。・・・・・・・
 諸科学が作る人間は、「A」なら「A」で共通に括れてしまう、だから、人間と言ったって言わなくたって、「A」で括ってそれを約分しても、変わりばえがなくなってしまう。肉体がある人間の概念も出てこないし、頭脳がとか論理とか独特に結合した人間という概念も出てこない。
 
なぜそうなったのかは明瞭なことで、諸科学の成果が人間を作りはじめたから、人間を同じようにしか作れなくなったということではないでしょうか。
 ヨーロッパとかアメリカとかだったら、もっと切実に諸科学の成果が人間を作っているという危機感が旺盛なような気がするのです。
 ・・・・・・そうじゃないでしょうか。諸科学の対象が、人間を作ってしまうという概念を抜きにしたら考えられなくなってしまっ。つまり、人間自体のほうもやはり今度は諸科学の対象から
摂動を、パターベイションを受けるというそのことを抜きにしたら成り立たなくなってしまった。
 
自然科学のほうで量子論が出てきて以降には、なおさら顕著になったわけでしょう。人間が自我の規模で対象に関わっていけば、対象から必ず逆に摂動や攪乱をうけるということを考慮せずにはどうすることもできなくなった、ということがはっきりしてきました。だから、現在のヨーロッパの諸学問とか諸思想をみると、モチーフないしは主題に較べて、極端に緻密度が大きすぎるという印象をもちます。
         (P166−P168)

 【『悲劇の解読』の「小林秀雄」に触れて】
E その問題について現在どう考えられるか、基本的にはふたつあります。逆に言うと、ふたつしかないのです。そしてそのふたつのことが混同されていると、僕は思います。
 ひとつは、先ほどの問いに関するわけですが、日本と西欧というように考えた場合には、日本がヨーロッパ的な諸科学の論理に乗りきったときはじめて出てくる問題がひとつ考えられるわけです。
 もうひとつは、世界には、日本のようにヨーロッパになりつつある地域だけじゃなくて、アジアになりつつある地域があるのです。たとえばアフリカであり中近東であるようなところ、そこでの問題はまた別なのです。そこでの問題は、いかにしてアジア的になるかということの問題だと思うのです。そのふたつは混同されてはならないものです。
 ヨーロッパになりつつある地域の問題を、一番よく照らしだせる地点は何かというと、ヨーロッパの現在に乗り移るということ、そうすると、ヨーロッパになりつつある地域における問題は基本的に照らし出しやすいわけです。ところが、アフリカとか中近東とか、そういう地域で現在どういう問題が起こっているのかと言えば、いかにしてアジアになるか、ということが問題だと思うのです。だからそこでは、アジア的な典型をもってくると、思想の問題、哲学の問題は非常に分りやすい、ということがあります。少なくとも人文的な諸科学の問題にするかぎりは、このふたつの問題しかないのです。

 アジアになりつつあるところの問題に対しては、アジアというものを基準にしますと照らし出しやすいということ。それからヨーロッパになりつつある地域では、ヨーロッパに乗り移るとそこの問題は照らし出しやすい。このふたつは、もちろん同時代ですから錯綜してありますけれども、にもかかわらず、このふたつの課題を混同することはできないのです。

 僕がいまの質問で根底的にこだわるのは、そういう共通基盤の在り方について、本来なら多種類の、あるいは基本的には二種類の基盤を考えなければいけないのに、ひとつに混同されるということです。
       
   (P170−P173)


 【−そうしますと、たとえば日本の文芸批評家なり学者なりに、抽象や論理を軽蔑するような風潮があるとしますと、それはどういう方向を示しているのでしょうか。(聞き手 三浦雅士)】について

F ひとつは、学問である【註.「であれ」?】非学問であれ、じぶんの考え方が退行を演じて、まさにヨーロッパに移行しつつあるのに、アジアに帰ろうとしていることだと思います。
 もうひとつは、じぶんがヨーロッパの現在に移行しているために、ヨーロッパの現在ではすでにもう原理とか体系とかに対する否認が起こっているのじゃないか、ということだと思います。
 原理、論理体系を軽蔑するのは、そのどちらかだと思います。いずれの軽蔑の仕方も、諸科学の存在論としては納得しがたいと、僕自身は考えています。
          (P173)



G ただ、思考の型として、現実で圧迫された時には観念の世界に入り込んでいけば、その現実的な圧迫を解消することができ、あるいは押しかえすことができるという思考の型は、キリスト教が創出したものだと思います。あるいは聖書から学ぶことができる、一番大きなことだと思うのです。
 
だから観念の世界は無限大だという考え方が、いわば内面性という問題と関わってきて、その内面性という問題がわれわれの場合には、近代的な自己の確立というものと癒着した形で、日本に近代以降の学問とか、文学、芸術みたいなものを形成させてきた、大きな要因だったと思うのです。
 僕らが受け取る内面性というものは、内面性の世界の存在だけじゃなくて、内面性というものを現実と逆立した形で考えることができる、ということです。これはキリスト教的な概念から受け取った、一番大きな問題じゃないかと理解しています。だけどこの問題は、ヨーロッパがキリスト教を現在どう受け取っているかということとは、関係ないかもしれないのです。

 この問題がどういう
誤差として出てくるか、典型的にいうと分りやすいですから、例えばマルクス主義の問題をとります。西欧では、マルクス主義の実現の形に対するとてつもない絶望感、危機感、恐怖感が、現在に大きな課題としてあるかもしれません。その場合ヨーロッパは、マルクス主義の実現形態を、ヨーロッパの近代以降における思想の帰結自体の否定性というふうに、考えているように思えます。
 ところが、僕らがマルクス主義の実現形態がことごとく気にくわない、ロシアも気にくわない、中国も、第三世界も気にくわないという場合には、ヨーロッパの受け取り方と違って、マルクスの思想がアジアないし第三世界で、実現された場合にどういうことになってくるかという問題として受け取っているわけです。
 その誤差は、やはりいま言われたキリスト教的思考の型を、われわれがヨーロッパ的な思惟の典型として受け取った場合に起こる誤差として、一番よく出ているような気がするのです。・・・・・・・・
 だがヨーロッパは、おそらくもっと普遍的な問題として考えていると思います。マルクス主義を西欧近代思想の大きな成果のひとつと考えて、ヨーロッパの近代思想の帰結が駄目なんじゃないかと、根底的に疑っていると思います。だから近代ヨーロッパ思想及びその変種、変態、その運命がきわまったというのが、いってみればヨーロッパにおける危機感の根底にある問題ではないでしょうか。しかし僕らは、ヨーロッパにおける近代的な思想の帰結の成果がアジアという具体性に具現された場合、いかに途方もないものになるか、という問題として受け取っています。
          (P178−P180)


H 学問がもつ客観的真理を共同幻想との関わりあいで考えるとすれば、真理というのは、伝染、感染の型がどのようになるか、という問題のような気がするのです。
 真理それ自体でいえば、絶対的か、相対的か、あるいは客観的か、主観的にしかすぎないかという問題よりも、権力に関わるという側面では感化する、感染する、あるいは流行する、そういう感染の型の問題ではないでしょうか。近代は、この感染の型がどう歩んだかという問題だと思うのです。
 真理が保持されることが問題ではなくて、感染した場合に、その感染の型自体が真理になるのです。そのことが非常に切実なのだと、僕には思えます。ここがアメリカやヨーロッパとちがうのではないでしょうか。真理が共同幻想と関わる、関わり方の型。それ自体が真理の問題を代行するというのが、僕らのあいだでは切実なのです。・・・・・・・・・・・・・
 権力は真理に対して対立者として機能して、そして真理が普遍化するための媒介者として機能する、というのが一般的です。だから、客観的真理が受け入れられていくためにはどうしても権力、あるいは制度を媒介にしなければならないだろう、ということまではいえるような気がします。それ以上になると、もはや真理自体の問題ではなくて、真理の存在論の問題になってしまうのです。それは、地域で型がちがうのではないでしょうか。
 未開地域における真理の流布のされ方、需要のされ方は、また全く異質な気がします。そこでは、権力が真理を守衛しなければ普遍化しないというのではなくて、もう世界が真理を受け入れるのです。世界と権力というのは、未開の社会では同一の大きさです。だから、社会が真理を許容すればもう普遍的なのです。けれども現代社会では、明瞭な対立者として出てきて、後は普遍化するための媒介者として、権力は存在してくるのです。あるいは、普遍化する過程で真理は権力に近づいていく、ということになるのが典型なのではないでしょうか。
          (P183−P185)
I 学問とか科学とかが中性を保っているようにみえたら、それ以外のところに無意識が抑圧されています。中性の範囲を逸脱したら、遊戯自体が倫理,反倫理に転化してしまうと考えたほうがいいように思います。
          (P189−P   )

 【『悲劇の解読』の「序」について】
J 僕が、非学問という場所から学問をのぞき、作品をのぞくということです。すると、批評はどういう場所にあるかが、僕にとって最大の関心になるわけです。
 そこからは、批評はいつもふたつの問題に当面しています。ひとつは、
具体的な現実あるいは事実の世界です。批評はそのど真ん中にいるか、それに囲まれています。もうひとつ、批評が当面している現実、この現実は事実ではなくて第二の現実なのですが、それは作品だと思うのです。
 第二の現実というわけは、作品が、完結された、それ自体が閉じられている世界だからです。何に対して閉じられているかはそれぞれでありうるとしても、作品の概念は、言葉に対して閉じられているということです。ある理念に対して閉じられているか、ある思想に対して閉じられているか、あるいは美の感覚に対して閉じられているか、それぞれであるとして、やはり閉じられているものです。そういう閉じられた言葉の世界に対しても、批評はいつでも肌をさらして、末端を開いています。そこに、
批評という領域を設定します。
 学問という領域は、そのふたつの条件を、かならずしも必要としないと思います。もちろんそのふたつに対して開いている学問もあります。領域により、そのふたつのうちのひとつに末端を開いている場合もあります。けれど、末端を開いているかどうかは、べつに学問にとって必須の条件ではないと理解します。そこが、学問と批評とはまるで違うのだと思います。



 【−作品も批評も学問も、書かれるものですね。書かれたものは全て、いくらかは作品的であり、かつ批評的ではありませんか。そのいずれの側面も、比重は違うにせよ持っているように思われます。また、作品、批評、学問という区分は、かなり歴史的に新しい、すなわち近代になってから成立したものではありませんか。】について

 現象的に言うとそうなるのです。だけど本質存在を考えると、そうではない。近代批評がサント・ブーブからはじまるか、学問はギリシアからはじまるか、作品という概念はどこからはじまるか、そういうことは分りません。
 言語本質の分割のされ方は、やはり現在的な課題として、展開されてきたと思います。個々の担い手は、それぞれの分野に閉じ込もってそれを推進してきた、というふうに理解するわけです。現在、それが混淆されるべき状態になってきたか否かについては、また別の要因がいると思います。でも、本質的にそれは混淆していない。混淆しているとすればそれは現象なのであって、本質存在としては、その三つはまるで違う
言語の分割の仕方だと考えます。
          (P191−P193)

K もし、『悲劇の解読』が、読む人に一種の違和感を提起したとすれば、ということを前提にして言ってみます。現在、批評が、学問とも線を引けない、他の領域とも線を引けないところで、知的な迷路の探求、あるいは知的な遊戯性になる必然があるとすれば、その必然において何が排除されているのかというと、作品が作品の担い手のなかに抑圧した狂気とか、異常とか、それから欠陥とか、あるいは貧困です。
 それらのものを
作品の無意識が包括しているとしたら、作品という意識の部分にはそれが出てこなくても、作品の担い手自体が狂気であったり、異常であったり、あるいは欠陥であったり、病であったり、貧困であったり、かなしさであったり、そういうものとして出てきます。
 作品が無意識のうちにそういうものを含んでいるとしたら、それを排除することによって成り立つ批評というのは不当である、というのが僕の考え方なのです。・・・・・・・・
 一般的に言えば、排除されるべきもの、現在が排除しているもの、あるいは排除したいと思っているものを、無意識のうちにそれをもっているか、あるいは担い手自体がもっているか、どちらかがなければ、現在ではないのではないですか。ですから、無意識を取り出すか、あるいは担い手を取り出すか、それがなければ、批評というのは肉体まで持てないということになりましょう。
          (P193−P195)


 【・・・しかし、『悲劇の解読』に則していえば、むしろこれまでの作家論とまったく違うようなところがあって、それが構造主義的であるように思えるわけです。・・・・・・・・・そうしますと、かりに吉本さんが、以前は人間の内面的なものそれとして取り出して論じられたことがあるとすれば、やはりそこに、方法の移動が見られるということになるのではないでしょうか。】について

L そういう見方をすれるとすれば、たぶんそうなんです。僕自身が意識してそうだということではなくても、そういうことなになっていると思うのです。
 そこで、そのまた根底に構造思考というか、関心というか、好みというか、そういうものがあると思うのです。それは、現在におけるパラノイアという病気、病気というか人間の精神の在り方というのがあるわけですが、
そのパラノイアの型の様々なヴァリエーションというもの、それが僕には非常に関心があるのです。
 なぜ僕がそれに関心を持つかというなかには、僕の無意識もまた含まれているのかもしれません。そこまでは自己解説しても仕様がないのですが、
現在におけるパラノイアの対応みたいなところで、日本の近代文学における特徴あるタイプの作品とか、作品を形成した担い手とかいうものの基本的な構造を掴まえられるのではないか、というモチーフが僕にあったのです。
 パラノイアというのは、精神医学的な、精神分析的な類別のひとつですが、また人間存在の仕方それ自体でもあるし、また文明がある個体のなかで接触したときに出てくる在り方としても考えられます。

 結局、自己解説的に言いますと、日本の近代における文学者の大きな型を掴まえられる、というモチーフがあるのです。それが構造主義的な考え方だと言われれば、その通りであるように思えます。
 ここの問題で言えば、それもひとつのタイプには違いないのですが、マルクス主義の受け入れられ方みたいなものの型が作品のなかに具現されているという場合に、それがどういうことになっているか、その問題も同時にそのなかに含まれてしまうと思うのです。・・・・・・・

 「A」で括られる人間は排除してもかまわない、というような人間概念から、括られないもの、排除されてしまうものの行方をどういうふうに考えたらいいのか、という問題が出てきたとすれば、それを作品の無意識とする批評の方法か、あるいは担い手の存在の仕方という理解の仕方しか、その問題を拾い上げることができないのではないかという問題意識が僕にはあります。それは危機的な意識としてあります。
 そのことが批評としてどれだけ具現されているかどうかという問題のなかに問題らしさがあると、僕自身は理解しています。あなたの言われた方法的な問題は、僕にとっては自明なものですね。・・・・・・・・

 構造主義という場合の構造という概念は、数学からきているのです。・・・・・・もうひとつ起源が考えられるとすれば、ダーウィンを育てた博物学ですよ。博物学での構造という概念です。
 だから、それらの概念をどれだけ取り入れたかという問題だと思います。だから構造という概念は、すぐにサイバネティックスとかコンピューターというような概念に移行してしまいます。もともと数学なのだと思います。構造主義という概念で何がさされているかと言ったら、たぶん人間の概念が「A」で括られてしまうというような情況的な必然と、諸科学の必然みたいなことが根底ではないのか、という気がします。
         (P195−P198)


備考 註.Hについて、(1981.6/8)
   1.われわれは、ヨーロッパ近代は通過必須のものではなかったのではないかという最近の発言があったような?(どこで述べられていたか?)





項目ID 項目 よみがな 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日 抜粋したテキスト
314 文化の現在 ぶんかのげんざい ノン・ジャンル ベスト120 論文 読書の方法 講談社 2001.11.25 読書の方法


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最表層の文化現象の速度 流される速度よりももっと速い速度を意識的に作り上げて、壊す クラック
項目抜粋
1

@ 文化の現在という主題の触れ方には、とても恥かしいところがある。いつのまにか高所で文化現象としての「現在」を語ったり、「現在」の文化の在り方を語ったりする粗っぽいことに慣れていってしまう気がしてくる。はては広漠としてとても巧く料理など覚束ないことどもを、料理したつもりになっておしまいになりかねない。
 
ただひとつ文化現象としての「現在」を問うことと、「現在」の文化の在り方を問うことが、おなじ意味になるところでならば、辛うじて普遍的な特徴を数えあげることができる気がする。あくまでも、わたしが普遍的だとおもっているだけで、ほんとに普遍的かどうかは、考えを競り合ってみなければ判らないことだ。その目印をいくつか刻みつけてみたい。・・・・・・

 「現在」は最表層のところで、そんな文化現象の在り方を出現させている気がする。表現の新しさと表現手段の新しさを求めてみんなが競りあい、つぎつぎに変貌していって、とどまるところを知らない。とどまったり、しばらくでも遠ざかったりしていると、置き去られたような感じに襲われたりする。
 この文化現象の最表層で表現を産みた゜さなくてはならない人たちは、いったん走りだしたら、もう降りることも休息することも許されずに、無限遠点を目ざして走り続けるほかない。本人は真剣なのに傍からは病的に強迫観念に憑かれているようにみえる。でもこの原衝動とその担当者が「現在」の文化現象の拡がりと活性化を先頭で牽引していることを認めざるをえない。
 もちろんいつの時期でも「現在」の最表層の文化現象はまるで強迫神経症のように、闇くもに走り継いでいたのではないか。ことさらなぜいまそれが「現在」の問題なのだろうか。それにはいくつかの理由があるようにおもわれる。
 まず
最表層の文化現象の速度が、かつて誰も体験したことのない新しい質と量をもちはじめたために、どうしても多数の人たちが、この変貌の速度を意識し、勘定にいれざるを得なくなったことだとおもう。
 おおざっぱな言い方をすると、最表層の文化現象の変幻する速度は、底の底の眼にみえないところで大規模な産業の生産−流通−消費のサイクルの速度によって背後から衝き動かされているにちがいない。そしてたぶんこの大規模な産業の生産−流通−消費のサイクルの速度は、「現在」潜在的に進行しているエレクトロニクス技術革命による交通(信)手段の高度化の質と量によっておおきく規定されている。
 この速度の質と量の変幻する多様さが、わたしたちの惰性になれきった感覚には鮮明な衝撃をあたえ、またその度合の刻々の移り変わりが、なかなか把えきれない理由だとおもわれる。

A このずれと剥離現象のすさまじさは、どうしても「現在」の文化現象の特徴として挙げておきたい気がする。ひと通りの意味でいえば、このずれと剥離現象は、あまりに速くあまりに測り難い「現在」の最表層の文化現象の速度から由来する。だれもそれぞれの世代を貫いている根底を把まえることなどできないし、またいずれにも対応する方法をもちえないのだとおもう。もしかするとそんなものは無くなっているのかもしれない。
 
ある程度実感的にいうのが判りやすいのだが、この未知の速度の質と量に対応しながら、表現を作り上げるのは、じつにきつく、難しい気がする。もしかすると、作り上げるのは「現在」では間違いであるのかもしれない。流れるままに流されるのが、いちばんやりやすい。
 だがほんとは、流される速度よりももっと速い速度を意識的に作り上げて、壊すというのが、いちばん持続のきく優れた方法だと思われてならない。わたしたちに気力と意欲が充ちていたら、この方法はとってみる価値がある。現在この方法を意識的にとっている表現を見つけだすことは、文化のどの分野でもたいへん難しい。奴はできるな、とおもえる個人や集団の表現は、たいてい無意識にできているだけだとおもう。
 最表層の文化現象の速度よりも速い速度を、意識的に作り出して、壊す表現を試みることのほかに、もうひとつだけ現在」にほんとに対応する方法がある。
それは最底層の文化現象のクラック(裂け目)に身を寄せ、そこに根拠をおいて表現を試みることだ。
 そのクラックの近傍では、文化現象の速度はゼロかそれにちかい。だから速度に強迫されることは、まず無いようにおもわれる。あまりの速度の無さが逆に、不安になるかもしれないが、この速度のなさは多方向の急流が、たがいに引きあってできるもので、停滞の結果ではない。
 ただこの意味は誤解されるべきではない。そこで表現を作り出すことは、速度に脅かされはしないが、そんなに楽だとはおもえない。なぜかといえば「現在」の文化現象のクラックを見つけ出すことは、そんなに手易い【ルビ たやすい】とはかんがえられないからだ。
 アカデミズムと底辺主義者(辺境主義者といってもいい)が、いわば両極から錯覚しているのはこれだとおもう。かれらは流れのとまって動かないところが「永遠」の主題のある場所だとおもっている。
 わたしはアカデミズムと底辺主義者の自足した貌【ルビ かお】がいちばん見苦しい気がする。わたしにいわせれば「現在」の文化現象で、速度がゼロかそれに近いクラックの場所は、最表層の文化現象、その次の下層、またその下にある層といった、重層された文化の層があり、それがまた複雑な乱流現象を起こしているとき、その合成力がたまたまゼロになった場所を指しているとおもえる。それは「現在」にたいするメタフィジカルな洞察力によって発見するよりほかに、見つけられることなどありえない。
 文化に「永遠」や「本質」が「現在」と無関係に存在していて、そこにじっくり腰を落ちつけてなどというのは、嗤う【ルビ わらう】べき錯誤にほかならない。またいつも「永遠」で「不変」の底辺があって、そこに身を寄せれば、表層の文化現象が軽薄にみえ、じぶんの方の表現の理念が、本ものだと保証されるなどというのは、「現在」ではとんだ喰わせものの理念だとおもう。
 わたしにはどんな高度な社会でもかならず文化現象の最底辺の層にクラックを生じないはずはありえないとおもえる。ただこのクラックは、いつ閉じられて塞がれるかもしれないし、たえず発見することを要求される場所の移転を伴うかも知れないが、かならずある気がする。
 ただわたしには、既成のどんな表現理念によっても、このクラックは発見できないし、根拠づけることもできないとおもえる。そこが「現在」の文化で追いもとめ、見つけ出すべきだと感じさせる未知をはらんだ場所だ。
         (P200−P206)

項目抜粋
2


備考





項目ID 項目 よみがな 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日 抜粋したテキスト
315 方法 ほうほう 消滅にむかう世界のなかで、「現在」を読みとくための読書論 対談 読書の方法 講談社 2001.11.25 読書の方法


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回避
項目抜粋
1
 【中沢新一 ほ゛くは、吉本さんの「アジア的なるもの」や親鸞についての問題をめぐってのお仕事を見ていても、親鸞は吉本さんが消滅の問題を扱っ         た現代的な研究だと思うんですが、それをどこに発見していったらいいのか・・・・・・。まあ、これはこれからもずっと考え続けなきゃいけな         いことだと思うんですが、この問題を尖鋭化させたキリスト教とは違うところから出発して、ぼくたちは、どこかへ行くことができるのか。「世         界視線」のさらに先にある問題として、今日は吉本さんにお訊きしたかったんです。】

@ ぼくは、その問題をいつも境界のところで回避するというか、棚上げしてきているような気がするんです。つまり、その境界のところまでは何とか、不明瞭なるものは明瞭にしよう、「アジア的なるもの」で言えば、アジアのかつての何千年も続いた郷村・農村は、まあ西欧から見れば停滞なんでしょうが、永遠の課題をきちんと持っていたという言われ方はすこぶる危なくなっている。そこまでは、ぎりぎり言わなければいけない。技術の速度はもっと速くなってしまい、それに耐えきれるだけの永遠性はもはや持てない、という感じはあるんですが、あなたのいま言われた問題については、終始一貫回避してきたな、と思います。



【中沢新一 それは、やはり回避しないといけないことなんだからでしょうか。】

A いやどう言ったらいいんでしょうね・・・・・。やっぱり自分が危ない。自分がその速度で壊れちゃう。それで自分が壊れないための、防衛反応なんじゃないでしょうか。しかしそれは、アジアの何千年か続いた停滞を、逆に防衛規制の中へ取り込んで、それを楯にしてという感じになってしまうので、避けなくちゃいけない。でも、そうしなければ壊れてしまう。
 そこで自分は何をしているかと言うと、境界のところだけはすっきりさせようじゃないか、と考えているような気がするんです。中沢さんの言われた、どこかに裂け目があって、そこから永遠の煌めきのようなものが出てくる、それは何なんだということについては、終始避けていて、その境界の手前で、手前で、というふうにやっています。



【中沢新一 ぼくは、自分で不安なので訊いているんですよ(笑い)。このまま行っちゃったらヤバイな、という気持もときどきありましてね。】

【中沢新一 ところが、ぼくたち日本人の場合は、速度でいけば、これはさっきのマンガ家たちの話ではないけれど、灰になって燃え尽きるところまで行       っちゃうだろうし、永遠を探っていくと、今度はアジア的というところで、天皇制や日本的自然感性の問題にぶつかるわけですね。それは一        気に速度を減速させるものですし、マリアの包容力とはまったく違うところで、ぼくたちを吸引していくような規制が働き出すのではということ        を、肌で感じるんですよ。
        そうすると、ぼくが日本人として日本語を使って表現している条件を忘れないでいるとしたら、その先に何かちょっと違う包容力、吸引力が        作動し始めるわけですね。で、「危ないぞ」と警戒信号を出して、身をひるがえしてしまう。そうでなければ、三島由紀夫ではないけれど、あ        あいう状態の中へ入っていって、なおかつ主体性を形成しようとすると、あのような神話を形成せざるを得なくなると思うんです。】

【中沢新一 あのような日本的ファシズムや日本浪漫派の問題も含めて、そういう道を回避しつつ、なおかつ、あとさき考えないでやっちゃうには、どうし        たらいいのか。そこでアジアの問題がもう一度出てきちゃうんです。】

B そうですね。そのことはぼくも、ここ数年、肌で感じているところがあって、それはかつて自分が肌で感じたことと、とてもよく似ているんです。いま、左翼だと思っている人たちは、すでに右翼になっているのね。
 つまり、情報のスピード、技術のスピードによって自己破壊されないために、どうするかを考えると、これは単に自分だけの問題ではない。
そこで、自己破壊もされないし、さりとて防衛規制までも行かずに、ただ、その辺の境界の中で、自分の危険を避けながら、境界の範囲内だけはすっきりさせようじゃないかとは考えるんですが、しかしそれから後はどうなるのか、自分でも全く分からないんですよ(笑い)。


【中沢新一 でも、吉本さんの最近のお仕事のお陰で、そのエッジのところの地形だけは、だいぶはっきり分かってきました。】

C ぼく自身、そこだけは分かるようにしておかなければ、自分の身が持たないと思っているんです。でも、自分の身の持たせ方は、永遠とは言わないまでも永遠に繋がっていく問題だ、というところまで行けるような範囲では全然なくて、一時しのぎという感じは免れないですね。


【中沢新一 ぼくは、何年か前に吉本さんにお会いしたとき、自分がやっていることは間違いなんじゃないかと思った時期があるんです。それは、あの        時点ではぼく自身全く不十分な状態で、直感的でしかなかったにしても、エッジに近いところの地形を書くだけではなくて、向こう側まで横断       することができるんではないかと考えたんです。
        その考えを持って吉本さんにお会いしたとき、吉本さんの反応は、「それは、やはり危ないんではないか」というか、疑問をたくさんお持ちに       なったとと思うんです。その後、吉本さん自身、『ハイ・イメージ論』や『マス・イメージ論』のなかで、エッジの近くの地形図を測量し始めたとき       、ぼく自身がやろうとしていた仕事が、境界線上で止めておくべきなのか、またそれは可能なのか不可能なのか、その先へ行くことは間違い       なのか、いまも抱き続けている問題なんです。】

D いや、たぶんそれは、自分のことでもあるような気がするんですよ。うまく論理化することはできないんですが、皮膚感覚で、なんか危ないぞ、と実感で分かるような気がしているんです。しかし、時分の身をどこかで持たせなきゃいけない。かつて身を持たせ持たせ方には、生理的に拒否するところがあるので、それはしないだろうし、それでは速度に対して自己破壊してしまうことを、どう回避できるかについては全く分からないんです。
         (P77−P81)


項目抜粋
2



備考





項目ID 項目 よみがな 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日 抜粋したテキスト
319 「廃人の歌」について はいじんのうたについて 私の文学―批評は現在をつらぬけるか インタヴュー 「三田文学」 2002.夏季号


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引きこもり症
項目抜粋
1

@ そこまでは考えてなくて、「廃人の歌」という詩はまさに自画像なんです。僕は学生のときに下宿していてアパートにいたんですけれども、今でいう引きこもり症と言うんですか、夏目漱石ほどじゃないけれども、病的じゃないかと自分で思うほど引きこもり症が高じて、うつ状態でこもり切りになっていた。これは廃人みたいなものだと自分で思って書いた詩で、自画像に近いわけです。だから引きこもり症というのは、自分でもそうだったから割合に好きで、というかちっとも悪くないんじゃないかと思っているんですよ。
   (P159)

項目抜粋
2
A そうでしょうね。そうでしょうねと言うとおかしいですが、『ハイ・イメージ論』を書いたころは、広場に出て大衆というのはこうじゃないかとか、今こう思っているんじゃないかとか、欠陥はここじゃないかとかいうことが、自信というわけでもないですけど、自分なりに固まってきた時代じゃないでしょうか。
   (P159)



備考





項目ID 項目 よみがな 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日 抜粋したテキスト
328 フロイトの再生の仕方 ふろいとのさいせいのしかた 第二章 フロイト、ユング、そして人生  対談 遊びと精神医学
―こころの全体性を求めて
創元社 1986.1 遊びと精神医学


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項目抜粋
1
@ だからフロイトの考え方というものの、現在における再生の仕方というのがあるとすれば、それはとても大きな問題なんです。つまりフロイトのやったことは今おっしゃったように、本当は比喩とかメタファーかもしれない概念、抑圧もそうだしリビドーもそうだし、リビドーの配給みたいなことをいうけど、それは目に見える実体あるものを、対象に配って歩いたとか、対象に流したというふうな概念。つまり何か実体があるかのごとくいわれているけど、そんなことは実体があるわけでも何でもないのだから、それは一種のメタファーというふうにも、比喩というふうにも理解できますし、またあるいはとらえどころがないから、仮りにそういう概念をつくって、一種の段落をつけてみたということだけであって、段落自体が別に実体でも何でもない。人間の心なんかは、そんなに実体的にこういうふうにリビドーが流れていって、ここで抑圧されて止まっちゃったとか、そんなふうにあるわけじゃないんですから、だから全部が比喩的表現だという見方、考え方というのは、僕は一つ、おっしゃるようにとても重要な考え方のような気がします。


 もう一つ違う考え方ですが、フロイトはある意味でマルクスと似ているところがあって、一種の
発生概念を手放さないといいましょうか。発生概念を手放さないから、元をさかのぼればフロイトがいっているように、たとえば胎児が分娩によって体外に出てきた時の初めての不安が、その人のなかにいわば潜在的に残っているんだみたいなところまでさかのぼるわけでしょう。しかしそんなものは本当に残るわけがないといえば、残るわけがない気もするでしょう。だから残っているといういい方は一種の比喩というふうにもとれますし、またしかし発生概念を手放さないという意味でいえば、まとまった一つの理念を形成するものとしてあるように思うんです。
 ですが、このことと現実の人間の振る舞いとの間には、大変な距離があるわけで、その距離を埋めるためには、何かわかりませんが一種の手続きがあって、その手続きをしていかないと、その距離は埋められないような気がするんです。だからその手続きは何だということは、全部が比喩だっていう意味じゃなくて、やっぱり一つの課題だと思います。


 だからフロイトの概念を、もっと社会学的に焼き直してとかいうことじゃなくて、フロイトの概念自体をそのまま保存するとしても、それは一種の発生概念として保存できるということであって、それを現実概念としてとか、いわゆる現象を説明しうるものとして使うためには、大変な手続きがまだ要るような気がするんです。その手続きの中には、フロイトの時代の社会構成とか家族構成というものと、現在の社会構成、家族構成とはずいぶん違ってきているんだから、そういう意味の違いも加味されなければならないと同じように、またもっと内在的な意味でも、相当たくさんの問題を加味しないといけないと思います。
 たくさんの問題というのは何かといいますと、表現の問題のような気がするんです。心理的な表現といいましょうかね。その表現がはるかに複雑に、あるいは時代の変遷によって違ったタイプとして表われてくるようなことを、もっとちゃんとしていかないと、いわば現在の人間の心理的な振る舞いの異常というのを、ちゃんと解明するだけのものにはならないから、それは一つの課題だという気がします。
 おっしゃるような、人間はそんなに深刻に振る舞っているわけじゃないとか、あるいは深刻な原因でおかしくなったりするわけじゃないよとか、もっと潜在意識があって、それがこう表れて、それでこうなるんだというようなものでもないよとかっていう、そういう問題としても一つあるし、もう一つはフロイト自体の考え方に即しても、もっとたくさんの表現論というようなものをやらないと、あれはただの発生論だけのような気がするんです。だから表現論はもっと多岐にわたるし、もっと違う展開をするということがあるから、それをやらないと、フロイト的な意味でも使えないんじゃないかなと思います。
                (P142−P154)


項目抜粋
2
備考 註.1
@それではなぜそういう欠陥が出てきたかといいますと、そういう人たちはおそらく論理性あるいは法則性というものの抽象性のレベルというものに対する理解がないんだと思うんです。つまり、現実の生産社会、技術の発展というものがあるでしょう、それを一つの論理的な法則、あるいは一つの論理の筋道がたどれるものとして理解する場合には、すでにある段階の抽象度が入りこんでいると思うんです。経済学でもそうだと思うんです。経済学でも、あるがままの現実の生産の学ではないのです。それは論理のある抽象度をもっているわけです。その位相というものがある。つまり水準というものがあるわけで、それがどういう水準にあるかということをよくつかまえることができないで、あるがままの現実の動き、あるいは技術の発展とか、また言語のばあいでもいいですよ、そういうものがなにか論理の抽象度というものとしばしば混同されてごっちゃになって考えが展開されるから、そこのところでひどい混乱が生まれてきてしまうということがあると思うんですよ。やっぱり全論理性というものの中でも、その抽象度というもの、あるいは抽象の水準というものをはっきりとつかまえて論理を展開していかないと、非常に簡単な未来像が描かれてしまったり、技術の発展に伴って非常に楽天的な社会ができてしまうんだというような考え方になっていってしまうけれども、それはおそらく論理の抽象度のある混同というものがあると思うんです。(P22-P23「序」「ことばの宇宙」67年6月号より引用)


註.2 『言葉という思想』






項目ID 項目 よみがな 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日 抜粋したテキスト
343 本当の答え ほんとうのこたえ 現在に見る理想社会への道  インタヴュー 「小説推理」2000.11月号 考える人びと 双葉社 2001.9.30


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気分が違うよ
項目抜粋
1
@ 聞き苦しいでしょうが、僕は戦争終わったときに、「俺は絶対、降参しねーから。軍人でも誰でも反乱起こしたら、俺も行くからな」って思っていたんです。だけど、一番自己嫌悪に陥ったことは、じゃあオマエ、人をあてにせずに自分でやればいいじゃないか、ということなんですよ。オマエがやればいいじゃないかって。全然そんな見識もないし器量もないし、そんなの到底できない。だけど、人がやったらやるぞ、俺も行くぞって思っていた。そんな話にもならねえ、そういうポシャリ方をしたでしょう。それは、戦後の自分のものすごい課題だった。
 
そういうとき、人をあてにしないで自分でやるんだ、ってなっていないとウソなんですよ。だけど正直いってなっていない。つまり、ちょっと俺の器量が足りねえよな、なまけたんだよオマエは、ってそれまでになっちゃう。でも、せめてこの分野についてはこうだよ、こうじゃないか、ということだけは、自分なりに具体的なことを考えられるようにしておきたいと思っています。
 
それと、秩序のなかに入らない、ということなんです。テレビを見ていてもそうだけれども、いま不況で、対策としてどうしたらいいかなんていう場面では、京都大学の経済学者の佐和隆光でもいい、エコノミストたちでもいい、みんな二番手のことしかいわないんですよ。本当はそんなハズはないんですけれども二番手のことしかいわないで、何が重要かって、彼は構造改革が重要だっていう。構造改革が何かといえば、超資本主義、消費資本主義的なところに産業と金融を整理するということを意味します。そんなことは素人でもわかっているのですが、わかったら、オマエやればいいじゃないか、率先してそういうことを公表して、賛成なヤツはみんなこうしてくれって、やればいいじゃないかって思うんだけれども、それはできないんですよ。それで二番手のことしかいえないんです。でも、そんなことをいうヤツだったら、自民党の若手にだっているぜ、って。
 なかに入ると、そういう発言になってしまうんです。だから、なかへ入っちゃうようなこと、または内側へ入れば誰でもわかるようなことは僕らは一切、不況についてもいわない。こう改良すればいいんだみたいなことは、絶対いっちゃあいけない。ウカウカするとすぐに内側に入っちゃって、改良案みたいなことをいい出しちゃうんですよ。そうすると、ついつい近くが見えるものですから、発言するとあたかも自分がナントカ大臣であるかのごときこともいい出す。そうすると、内側へ入る以外ない。内側のことをいっている以外なくなってしまう。
 
外側でこう見えるっていうことだけをいう。具体的に外から見ていて、こういうことだけは確実であるということを、いろんな分野のことについて自分なりの構想をもつことができる、ということですね。そして、それをつめていくことはやらんならんぜ、って思っています。その志みたいなものは、まだ失ったことはないんですね。
 
でも本当ならば、ダメですよ。やっちゃえーっていうふうになってないと、ウソなんですよ。敗戦直後の覚悟、僕は絶対降参しないぞっていう心構えから見たら、何だ、だんだんオマエも堕落してきたよなあ、って歴然としているわけなんですよね。ダメだねー、口ほどにないねえ、ってなっちゃう。そうなんですね(笑)。
                (P391−P392)



項目抜粋
2
A 【註 原発論議について】・・・・・(略)・・・・・・・・でもよくよく考えてみると、そうはいうものの、オマエ、隣のお寺にお墓があるのと原子力発電所があるのと同じかっていわれると(笑)、いやあ、明らかにそれは違うよ、気分が違うよ、っていうのがあるわけです。その、気分が違うよっていうことまでいえなかったっていうのは、いま考えるとぬかりだったなあと思うわけです。いまだったら、気分が違うんだよ、ということまで考慮した上で反対意見をのべるだろうなと思いますね。それはオウムの問題でも同じで、町へ来れば出て行けっていうし、子供が学校へ行きたいといったら行かせないって、そりゃあ常識からいったら、住民の方が悪いに決まっています。それで終わりってなるんですけれども、そうはいうものの、気分が違うなっていう問題をいわないとダメなんじゃあないかな、ってこの頃はそう思っています。
 たとえば、働いている同じ職場に、オウム・・・・・。オウムだったら、そういう意味では大したことないけれども、佐川さんみたいな人がね、そばにいるのは気分は同じかなあ、っていったら、やっぱり違うんじゃないかと思うんです。原発のときは全然いわなかった、スパリとやっちゃったんですが、いまだったら違ういい方、書き方をしただろうなあ。もう少していねいに、いろんな場合を考えてやるべきだったなあっていうふうに思います。オマエ、スッキリしてねえじゃねえか、っていわれると、そうだなあ、スッキリしているというわけにはいかねえなあ、って思いますね。基本線はいいとおもっていますけれども、スッキリはしてねえなって、いう感じがしていますね。
 その手のことは僕は、いろんなことに関して多いですね。少し考えないといけないことだ、ということに、いろんなところで当面しています。当面すると、僕はことごとくそういう面でつっかえているなあ、っていう感じがしてしょうがないです。

 ・・・・・・・・そういう恣意性は、解けるのでしょうか。【 註 インタヴュアー 入澤美時 】

 僕はあらゆることは解決可能だと思っているから、解けるはずだとは思っているんです。難しい問題ですね。大筋は、自分ちっとも変わっていないし、それでいいと思っているんだけれども、足りなかったなあ、そこをどうにかしないと、
本当の答えにはならないなあ、という気はしています。                 (P395−P396)


備考 註.@について、
 「−どうして、そういうふうに片道民主主義になっちゃったんでしょうね。 【註 インタヴュアー 渋谷陽一】」

 「そうですね−−−まず、もともとはさらにひどかったんですよ、戦争中は。要するに天皇の名前が出て、『御心がこうこうだ』とか言われるとさ、もうそれに反対するっていうか、意見を言うなんてことはできないわけですよ。言う通りにするしかないと。もちろん実際は政治家とか軍部だったわけですけど、そういう名目を持ってくると、もう文句言えないってなってたわけですよね。そういうわけだから、僕なんかは戦争が終わったあとのアメリカの占領政策がどうかなっていうのを、よく見てたんですね。観察したっていうか。ヘタなことをしたら、必ずどっかで反抗してやるって−−−あの頃は、降伏した覚えはねえって思ってたから(笑)。」
 「だから観察してたんだ。そしたら、少なくとも東京に駐留してきた占領軍っていうのは、一兵卒から司令部にいたるまでさ、要するに片道じゃなかったんですよ。政策を打ち出すときには、必ず、占領されたわれわれ国民に対して、いちいち明瞭に『こういう政策をとる』と説明して『これこれの理由を理解したうえで、同意してもらいたい』みたいな声明をね、必ずだしたんですよ。それで僕は、おっ!と思ったわけですね。つまり、俺は降伏した覚えはねえっていうふうに思っていたわけだけど、そのやり方を見ててね、『こりゃダメだ。こんな国と戦争しても勝てるはずがない』って思ったんですよ。それが一番初めの瞬間でしたね。つまり、今までの政府のやり方とくらべると−−−占領国の国民に対して、いちいち占領政策を了解してもらいたいって言うなんてことは考えられないでことでね。もうそれを見てこれは日本はダメだって思った。もう俺、降伏なんかしないって思ってたけど、こりゃあ全部やり直しだあっていうふうに思ったんです。」   
              (P65) (「SIGHT」2002年秋季号 VOL13 ROKIN’ON)


註.@Aについて、

 「それだからまだその名残【 註 アジア的専制の名残 】があるんじゃないかと、そういうことで。それが今になっても、少なくとも心の中にはやっぱりちゃんと残ってて。どうしても、お上にはたてついちゃいけない、とね。つまり今現在さ、例えばなんでもいいですよ、知識人でもいいし、学者でもなんでもいいんだけど。そういう奴で、おまえが自分で自分の考え方を自由に公表したって、誰からも文句言われる筋合いはないんだよっていうことを、ホントに知っている人っていうのは少ないんですよ。みんな遠慮しいしいなんか言ってるんですよ。僕に言わせりゃ、ほとんどみんなそうであってね。だから政府の言うことを聞くばっかりだという、片道の政治風土がまだ残ってるって証拠だと思います。」

 「そうですね、ええ、根づいているとか、そういうことはまったく言えないと思います。もちろん、時代がもっと先までいけば、ひとりでにそういうふうに、だんだんなっていくでしょうけど。でも、それは時間が相当長くかかるでしょうね。」
               (P67) (「SIGHT」2002年秋季号 VOL13 ROKIN’ON)


註.関連 『ほんとうの考え・うその考え−賢治・ヴェイユ・ヨブをめぐって』(春秋社)






項目ID 項目 よみがな 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日 抜粋したテキスト
344 ほんとうの考え・うその考え ほんとうのかんがえ・
うそのかんがえ
宮沢賢治の実験
宗派を超えた神
講演 1989.11.12 ほんとうの考え・うその考え
賢治・ヴェイユ・ヨブをめぐって
春秋社 1997.1.20


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「安楽行品」 「常不軽菩薩品」
項目抜粋
1
@ じぶんも宮沢賢治とおなじになれる。また、おなじ関心のもち方がよくわかるとかんがえていたのは十代の後半のときだけでした。ところが宮沢賢治とちがってだんだん堕落していく一方でした。賢治が求めたことでいま何がじぶんに残っているのかとかんがえてみます。「銀河鉄道の夜」(初期形)に登場するブルカニロ博士に賢治が言わせている「ほんとうの考え」と「うその考え」という言葉です。


    もしおまへがほんたうに勉強して実験でちゃんとほんたうの考とうその考とを分けてしまへばその実験の方法さへきまればもう信    仰も化学とおなじやうになる。                          (ジョバンニの切符)


    銀河鉄道の夜(異稿)

   ブルカニロ博士の言葉
   「あゝわたくしもそれをもとめてゐる。おまへはおまへの切符をしっかりもっておいで。そして一しんに勉強しなけぁいけない。おまへは化学   をならったらう。水は酸素と水素からできてゐるといふことを知ってゐる。いまはたれだってそれを疑やしない。実験して見るとほんたうにさ   うなんだから。けれども昔はそれを水銀と塩でできてゐると云ったり、水銀と硫黄でできてゐると云ったりいろいろ議論したのだ。みんなが   めいめいじぶんの神さまがほんたうの神さまだといふだろう。けれどもお互ほかの神さまを信ずる人たちのしたことでも涙がこぼれるだら   う。それからぼくたちの心がいゝとかわるいとか議論するだらう。そして勝負がつかないだらう。けれどももしおまへがほんたうに勉強して    実験でちゃんとほんたうの考とうその考とを分けてしまへばその実験の方法さへきまればもう信仰も化学とおなじやうになる。けれども、ね   、ちょっとこの本をごらん、いゝかい、これは地理と歴史の辞典だよ。この本のこの頁はね、紀元前二千二百年の地理と歴史が書いてある   。よくごらん紀元前二千二百年のことでないよ、紀元前二千二百年のころにみんなが考へてゐた地理と歴史といふものが書いてある。だ   からこの頁一つが一冊の地歴の本にあたるんだ。いゝかい、そしてこの中に書いてあることは紀元前二千二百年ころにはたいてい本当だ   。さがすと証拠もぞくぞく出てゐる。けれどもそれが少しどうかなと斯う考へだしてごらん、そら、それは次の頁だよ。紀元前一千年、だいぶ   、地理も歴史も変ってるだらう。このときには斯うなのだ。変な顔をしてはいけない。ぼくたちはぼくたちのからだだって考だって天の川だっ   て汽車だって歴史だってたゞさう感じてゐるのなんだから、そらごらん、ぼくといっしょにすこしこゝろもちをしづかにしてごらん。いゝか。」
                                           (初期形 ジョバンニの切符)

という言い方をしています。つまり「ほんとうの考え」と「うその考え」をどう分けられるのかという問題が、宮沢賢治から関心が離れないできた理由だと思います。
                            (P13−P16)


A これから宮沢賢治の文学と宗教とのかかわりを中心にお話したいとおもいます。
 宮沢賢治の学生時代に、田中智学という人がいました。日蓮宗の僧侶で、宗門じたいを改革しようとということで社会的にたいへん活動をし、また布教も熱心にした人です。この田中智学と、戦中戦後における創価学会の創始者である牧口常三郎の二人が、近代の日蓮宗の思想家として、それぞれ独自なものをもった人ではないかとおもいます。
 宮沢賢治は田中智学の法華経論を読んで衝撃をうけ、信仰に入っていきます。田中智学の国柱会に入って、布教しながら、童話作品を書いていこうとかんがえたわけです。あるところから、田中智学の考え方から離れ、日蓮の妙法蓮華経にたいする理解の仕方をじぶんの基本に考えをすすめていきます。結局は最後のところになりますと、日蓮からも離れます。じかに法華経との対話をとおして、じぶんの考え方をつきつめていった人だとおもいます。
 どこで日蓮と離れたかといいますと、<科学>だとおもいます。宗教と科学、科学と日蓮(宗)でもいいですが、それがどこでむすびつくのかという問題意識は、もちろん日蓮にはありえないわけです。田中智学にもなかったわけです。宮沢賢治だけしかその関心のもち方はできなかったのです。そこまでつきつめていったことは、じぶんの法華経理解を深めていったことを意味するとおもいます。ですから宗教家としてみても、独自な人だといえます。
                            (P17−P18)


B そこで、法華経はどういう内容のものか、宮沢賢治は法華経のどういうところを中心に読んだかをお話してみたいとおもいます。

 法華経のどこを眼目にして読むかは、法華経の信仰者の個性とか、資質とか、考え方とかで、それぞれみな微妙にちがうわけです。

 大乗仏教は全部そうなんですが、悟りを得ることが最終の目的であり、そこへどうやって到達するかが目的です。法華経では、「法華経は、あらゆるお経のなかでもっともすぐれたお経である。法華経が説かれていることこそ、最高の悟りに行く道である。それ以前に説かれていたことは、ほんとうは全部まちがいである」と言っています。宮沢賢治がよく<ほんとう>という言葉を使っていますが、<ほんとう>という意味あいを法華経もまた内容でもって主張しています。
 つまり<ほんとう>の悟りへの道とはなにかといえば、法華経に説かれていることじたいがそうなんだ、と言っているわけです。信仰のある人と、ぼくらのような信仰のない人が読むのとはおのずからちがうのですが、ぼくなりの解釈の仕方をしますと、いままで説かれているのは全部ちがうという言い方の<ほんとう>という意味は、ふたつあるとおもいます。
 ひとつは、いままで説かれていた<悟り>は、個人が修行を重ね力を尽くして信仰し、個人として完成した悟りの道へ行くことが<悟り>だとおもわれていたが、そうじゃないんだ。どのような境遇でも、万人が最高の悟りへ行く道をつけなければ、<ほんとう>の悟りではないと言っています。いまの言葉でいえば、一種の大衆化ということだとおもいます。

 もうひとつは、<ほんとう>の悟りをもっていない人にたいして、「おまえ、まちがっているから、こういうふうにしなければならない」という言い方をしますが、そういう道のつけ方はだめで、万人の通れる道がどんな境遇にいる人にとってもひとりでにつけられているというふうに道がつけられなければ、<ほんとう>の悟りではないと言っています。
 不信者の眼でみてそのふたつが、法華経が主張している<ほんとう>の悟りだというふうに感じられます。つまりそのふたつが法華経の重要な要旨だとおもいます。また法華経が<ほんとう>の悟りとはなにかということについて言っている<ほんとう>ということの意味は、そのふたつになるとおもいます。
                            (P18−P21)


C 国柱会の田中智学は日蓮主義者で、日蓮の『立正安国論』のように国家天下にたいする宗教者の心構えを前面に出した人です。宮沢賢治もそこから入っていったことは確かですが、ほんとうに法華経をじぶんなりに読むようになってから後の
宮沢賢治が、どこで法華経を読んだかを推察していきますと、十四章の「安楽行品」を中心に読み込んでいったと推察できます。この「安楽行品」には法華経を護持するに際して、こういうことをしてはだめだということをあげています。
 ひとつは、文学、芸術それから娯楽、芸能に近づいてはいけない。もうひとつは、女性に近づいてはいけない。そして権力に近づいてはいけないと言っています。これは法華経がきびしく要請しているところです。

 もっとも賢治にとって堪え難いことだろうなとおもわれるのは、文学、芸術とか娯楽、芸能に近づいてはいけないと言っているところです。よくよくかんがえてみますと、宮沢賢治は十七、八歳、つまり法華経を読んで感銘をうけたときから最後の死まで、はじめは短歌でしたが、文学、つまり童話とか詩とかから遠ざかったことは一度もありません。法華経信仰と文学、芸術の創造を終始並行してやめなかったわけです。そうしますと、法華経信者である宮沢賢治は「安楽行品」についてじぶんなりの解決の構えをもったはずです。文学、芸術に近づくなと言っていることと、じぶんのやっていることのあいだに離反があるわけですから、この離反について終始一貫かんがえたはずです。そのあげくにそれでも文学、芸術を童話、詩の作品を創るかたちで終わりまでやめなかったわけです。
 
そうだとしたら、この「安楽行品」にたいするじぶんなりの一定の読み方を、宮沢賢治は確立していたとかんがえるのがきわめて当然なような気がします。


 そうすると、もうすこしこの問題は突っ込んでいかないといけないことになりそうです。この「安楽行品」の「文学、芸術に近づいてはいけない」という問題をどう解決したかということを、高度なところでかんがえてみる必要があるとおもわれます。「マリヴロンと少女」とか「銀河鉄道の夜」はその問題にたいする宮沢賢治の最高の解答になっているとおもわれます。

 マリヴロンは、「どんな人でもじぶんが生活してきたその後ろにはちゃんとしたひとつの世界をもっています。その世界がその人の芸術なのです。誰でもがみんなおなじです。だから、あなたとわたしはすこしもちがっていない」と言います。それでも少女のほうは納得しない。「あなたの輝かし方と、じぶんのぜんぜん光りがさしてこない生活に埋もれていくこととはまるでちがいます」と言うわけです。マリヴロンは「あなたには見えないだけで、わたしには見えます」と言うんですが、「どうかわたしを教えて下さい。わたしを連れて行って下さい」と、少女はなお納得しないで願うわけです。つまりこういうことは、たくさん解決できないで、いまもある問題のようにおもいます。
 
主観的に文学とか芸術が公開されることでうけるいろんな問題、つまり名前や栄誉や称賛や罵倒が一種の光りや闇として集約されている場所と、そういう意味の公開された光りや闇なんかなにもないんだ、というところの問題とは、まるでちがうんだという少女の主張は、いまでもなかなか解決し難い問題としてあるようにおもいます。もしじぶんが公開することによってうける称賛とか光りとか罵倒とか、そういうものにたいして本人がそれを快いものと感じたりひどいもんだと感じたりする感じ方と、そういうことのないただの生活者というところで、生活そのものにおいて誰もが芸術を創っているのだという考え方とは、どうしても質がちがうんだということは、のこるとおもいます。
 それにたいして宮沢賢治はただひとつだけ「マリヴロンと少女」で解答を与えているところがあります。言葉どおりじゃないですが、「あなたが、わたしといっしょに来るということはあまり意味のないことだ、その意味のないことの理由として、あなたのいるところに、いつだってわたしもいるんです。」という言い方をしています。つまり、あなたがかんがえたり、悩んだり、働いたり、生活したりしている場所に、わたしはいつだっています。だから、あなたが生活するそれじたいが芸術なんです、とマリヴロンが言うところがあります。そうするとぼくの理解の仕方では、宮沢賢治は、宗教と文学について解決している問題は、そこにかかっているようにおもいます。
 文学、芸術とはどんなばあいでもそうですが、書く人があるモチーフで作品を書いたとしても、それを受けとる人は、それぞれの場所でそれぞれちがう受けとり方をするわけです。またその時その人がいちばん関心のあることにしたがって作品を読みますから、ぜんぜんべつな受けとり方をすることも可能なわけです。
つまり文学、芸術は、もし伝えること、あるいは交通といってもいいんですが、宗教的にいえば伝道ですが、それが伝えようとするモチーフと、伝わるモチーフと、伝わってしまったモチーフとは別々だというのが本質にあります。かならずしも書いた人のモチーフどおりに読者が受けとるかどうかはまったくべつなわけで、そういう意味では、読者万人と作品を創った人とのあいだには、もう目に見えない障壁といいますか壁があります。
 
ところで宗教がひとつの伝道として成り立つとかんがえると、その信仰が、いつでもそれを受けとった人が思い悩んだそのそばにちゃんとあるんだ、ということなしには伝道は成り立たないものだとおもいます。これは宗教的伝説とか説話のなかにいつでもあのます。

 ・・・(中略)・・・・
マリヴロンが、少女にたいして「わたしはいつでも、あなたがかんがえるそこにおります」と言ったとき、その言葉だけで、芸術家から宗教家にパッと移っているとおもいます。その移り方は、たぶん宮沢賢治の宗教と芸術とのかかわり方にたいする最高の解決の仕方だったろうとおもいます。その移り方は一見するとなんでもないようですが、よくよくかんがえると、芸術、文学というのは、おまえ、じぶんの作品を読んでくれたら、そこにはわたしはいつでもいるんだよ、とは絶対的に言えないわけです。文学、芸術はどううけとられるかといったらまったく自由なわけです。、というのは、マリヴロンは芸術家から宗教家に言葉のうえで変身して少女に説いているわけですが、その変身の仕方はまさに法華経が説く「人に気づかれないように、ちゃんと万人の行ける道がつけられなければ、<ほんとう>の悟りではない」と言っていることと、おなじことをやっていることになります。
 ぼくらが追いつめていきますと、そこが宮沢賢治の宗教と芸術、文学についての考え方のいちばん高度の解決の仕方になっているとおもいます。
                            (P29−P40)


項目抜粋
2
D もうひとつもんだいがあります。それはかならずしも信仰じたいとは直接にかかわりないことですが、宮沢賢治には倫理の問題があります。作品に宗教的でなく倫理的情操というものが、しばしば出てきます。この倫理とはいったいなんなのかということがあります。
 宮沢賢治の倫理とは、法華経でいいますと二十章に「常不軽菩薩品」があり、常不軽菩薩という人の事蹟が書かれています。それが宮沢賢治の作品のなかの宗教的要素までいかない倫理としてある問題の要だとおもいます。「常不軽菩薩品」は宮沢賢治にとって副次的ではありますが、もうひとつ引っかかったところなんじゃないでしょうか。「常不軽菩薩品」とはどういうことかといいますと、常不軽菩薩というお坊さんは、悟りを開くための坐禅や修行をしないし、お経もあまり読まない。出あったどんな人にたいしても、「わたしはあえてあなたがたを軽んじたりしません。あなたがたはやがて、菩薩になられる人で、最高の悟りに達せられる人です。だから、じぶんはあなたがたを礼拝します」と、礼拝だけしかしない。それ以外のことはなにもしない。常不軽菩薩はそういうお坊さんなわけです。それで「常不軽菩薩品」の終わりのところに、それは誰だったかというと、かつての昔、昔のわたしそのものだった、わたしはその生まれ変わりだ、と法華経の主人公は、つまり世尊はいうわけです。
 それをいちばん簡単なわかりやすいところでいえば、宮沢賢治の童話のなかにはわりあいに虐げられた人とか、差別された人とか、弱小な人とか、動物とかにたいする一種のシンパシーが流れている作品があります。それらがわかりやすい倫理だとおもいます。しかし、宮沢賢治が描いている
最高の倫理は、それほどわかりやすいものじゃないとおもいます。たとえば「銀河鉄道の夜」のなかに「鳥を捕る人」がでてきます。

 ・・・(中略)・・・・これがたぶん「常不軽菩薩品」に該当するところです。弱小な人にたいしてシンパシーをもつということは誰でもたぶん失わないでもっているものなんですが、ただ、意識していなくて、ふっとまたつぎの瞬間には忘れちゃうんですが、なんとなくその人侮るような感じをもちながら、その人からさり気ない厚意を受けている。そういうことが一瞬痛みと感じたとしてもすっと忘れてしまって、もう過ぎてしまうみたいなことは、われわれは日常誰でもがよく体験していることなんです。つまり弱小な人に同情するとかじゃなくて、誰でもがいつでも日常体験していて問題にあまりしたがらないようなことでふっとかんがえると、「おや?」っていうことがある。そのことに気がつくことが人間のもちうる倫理として最高のものなんだとかんがえるところが宮沢賢治にはあるわけです。
 「銀河鉄道の夜」のなかで、この「鳥を捕る人」だけが異質な人で、べつに信仰をもっているわけでもないし、真剣にものごとをかんがえる人でもない。ありのままの開けっぱなしで、はしゃいでみたり善意を振りまいてみたり、またびっくりしてみたり、うずくまってみたりとか、ごく普通の人なんです。たぶんこの登場人物の意味は、こういう人が悟りとか菩薩へ行く道のいちばんの近道にいる人なんだ。つまりそうかんがえられたときに、
倫理は最高のかたちで完成される、というふうに宮沢賢治は受けとっているのだとおもいます。
 
つまり法華経の「常不軽菩薩品」を、倫理の問題として読んだというのが、宮沢賢治のもうひとつの要めであったとおもいます。このふたつの要めで、法華経を究極的に読んでいったとおもわれます。そこのところで、日蓮を媒介にした法華経信仰は無形のうちに終わり、法華経との直接対話のかたちで信仰者としてのじぶんをかんがえていきました。そういうかたちで文学と宗教とのかかわりあいをつきつめていったとおもいます。
                            (P41−P47)


E このあと宮沢賢治にのこるのは、宗教と科学しかないわけです。これはあまりうまく解けないままに終わったんだろうとおもいます。というのは仏教、とくに日蓮なんかの古典的な仏教では、前世とそれから現在と未来、つまり死後の世界との連続性という考え方なしには成り立たないところがあります。そこでは科学者としてその世界観じたいにたいして引っかかったところだろうとおもいます。その近くまでいくんですが、科学的にいって、どうしても死んだ後の世界があって、そこに魂がいくという考え方を是認することがむずかしい。先ほどの言葉でいえば、もし「ほんとうの考え」と「うその考え」とを分けることができる実験の方法さえきまれば解決するでしょうが、それはどうしたらいいのかわからない。ただ解けないというんじゃなくて、糸口はじぶんなりにつけてみたんだけど、そこで完全に解けたというふうに言えないところで終わったとおもいます。「その実験の方法さえきまれば」という言葉はとても重要で、それは日蓮も言わなかったし、もちろん最澄も智も言わなかったことで、宮沢賢治だけが言った言葉です。もちろん宮沢賢治だけが西欧近代の科学をちゃんと体験し身につけているわけですから、その問題意識をもったのは当然なんです。しかし宮沢賢治の宗教者としての特徴を単なる法華経信仰者あるいは日蓮宗信仰者からはみ出させる要素があるとすれば、そこのところだとおもいます。
                            (P47−P49)


備考





項目ID 項目 よみがな 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日 抜粋したテキスト
345 ほんとうの考え・うその考え ほんとうのかんがえ・
うそのかんがえ
宮沢賢治の実験
宗派を超えた神
講演 1989.11.12 ほんとうの考え・うその考え
賢治・ヴェイユ・ヨブをめぐって
春秋社 1997.1.20


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教義からはみ出したものは文学のかたちをとる
項目抜粋
1
@ これはたとえば宮沢賢治を、日蓮宗から見れば、日蓮宗信者ということになるが、宮沢賢治自身は日蓮信仰とか法華経信仰とかでは当てはまらない部分があります。そういう当てはまらない部分が宮沢賢治の文学のなかに流れているわけです。その流れていくものをつかまえて、もしそこに信仰が象徴されているとすれば、それは法華経や大乗仏教が述べている教義をはみ出したところで、なお宗教的なものがあると理解しないと、とても理解できないとおもいます。
 良寛にも同様のことがいえます。良寛は十年間修行して曹洞宗の師家の印可をうけている人だったわけです。しかし曹洞禅の流れのなかに良寛をいれようとしてもはみ出してしまうものがあります。宮沢賢治が倫理ではみ出したとおなじように、「常不軽菩薩品」のいうところの個所で、はみ出してしまうわけです。良寛は誰に会っても、子どもにも村の人にも礼拝するのです。そういう仕方のところで良寛は曹洞禅をはみ出してしまったわけです。当然師匠の死後、寺を継ぐべき資格のある人だったが、本山から住職が来て、じぶんは寺を出て、修行しながら郷里の越後へ帰って、隠遁生活をすることになるわけです。
そこで、はみ出したものは文学のかたちをとるわけです。
            (P62−P63)


項目抜粋
2
A もうひとつ読み方をかえていくと、それは宗教の問題です。宮沢賢治の作品を読むと、その宗教とは、日蓮信仰だとか法華経信仰、あるいは仏教とか限定できないもっとちがう宗教なんだという気がします。その問題が宮沢賢治が文学と宗教の問題でかんがえた最終的な問題であり、特異な問題であるような気がします。これは、仏教とキリスト教の<受難>についての考え方のちがいが含まれていて、その両者の流れからはみ出していくところで問題が出てくる。その問題は後からそれを照らしだしていかないとどうすることもできない気がします。
 「マリヴロンと少女」でいえば、マリヴロンと少女がおなじように、「あなたは芸術家」で「わたしは生活者」とか、「あなたは宗教家」で「わたしはそうじゃない」というふうに、マリヴロンの見え方と少女の見え方とは、おなじものを見ながら、その見え方がどうしてもちがっちゃうことはありうるとおもいます。これは宮沢賢治が「銀河鉄道の夜」のなかでさかんにジョバンニに言わしているところです。それは「神と名づけるかどうかはべつとして、それぞれの人はそれぞれの神をもっている」わけです。青年とかほるの姉弟はキリスト教の信仰をもっている。ジョバンニはそうは言っていないが(たぶん宮沢賢治は法華経の信仰の切符をもっているんだと言わせたかった)、そういう信仰をもっている。それぞれの人はそれぞれの神をもち、おまえの神が<ほんとう>なのか、おれの神が<ほんとう>なのか、なかなか解決がつかない。神が宗派の信仰であるかぎりは解決がつくわけがない。もちろん宗派という観点は宗教だけにかぎらない。あらゆる理念にまで拡張して、理念の宗派、あるいは思想の宗派でもおなじなんですが、そういうことをかんがえて争っても、解決はつきません。
 
現在のところできる可能なことはなんだろうかとかんがえてみますと、宮沢賢治は「宗派の神を信じている人のほうが、その宗派の神を信じていない人よりも下位にあるんだということを信じている人が保てたら、神はなんだかいまのところわからないとしても、それができたら、たぶん一歩だけ解決に近づくんじゃないか」とかんがえた最後のところのようにおもわれます。わたしたちは現実の世界ではそういう人を見つけることがなかなかできない。思想でもおなじで、じぶんのもっている思想であれ、信じている思想であれ、かんがえてきた思想がいいとおもっています。他の人もじぶんのそれをいいとおもっているから、そこで対立もおこるわけです。じぶんの思想をもっている人、あるいは信仰をもっている人は、もっていない人よりも上位にあるとおもわない信仰者、思想者は誰もいないわけです。
 
宮沢賢治によれば、それはちがうんで、あらゆる宗派の神を超えた神、あるいは宗派の思想を超えた思想に到達できる方法があるんじゃないかということを説いているのです。そこが宮沢賢治の童話とか詩が文学、芸術であって宗教じゃないといいながら、なおかつ宗教的情念として受けとることも読むこともできるところです。このことが、どこか作品のなかから宗教的なものが匂ってくる理由です。そこが宮沢賢治の到達したところのような気がします。
 わからないところはたくさんありますが、そのへんまでがじぶんなりに宮沢賢治について追いつめていったところです。

            (P64−P67)


備考 註.Aについて、「344」のDとの関わり。「常不軽菩薩品」。





項目ID 項目 よみがな 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日 抜粋したテキスト
347 普遍的真理の場所 ふへんてきしんりのばしょ シモーヌ・ヴェイユの神
深淵で距てられた匿名の領域
講演 1993.1.23 ほんとうの考え・うその考え
賢治・ヴェイユ・ヨブをめぐって
春秋社 1997.1.20


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普遍理念とか普遍宗教という領域 普遍的真理の場所
項目抜粋
1
@ もうひとつヴェイユの考え方に、いまも重要だしこれからも重要だとおもわれるところがあります。ヴェイユの言い方をしますと、科学とか、芸術とか、文学とか、哲学とかは全部、人間の人格のひとつの表現のさまざまな形式をなしている。そのなかにたいへん優れた人がいて、人類の歴史のはじまりから何千年も名前と業績が伝わっていて、光輝ある仕事だ、業績だといわれている。しかしほんとうはそうじゃないんだ。そういう輝かしい天才たちが何千年も名前を遺すような仕事と業績の領域のもっと向こう側に、ほんとうに本質的な領域がある。歴史がかんがえてきた領域の向こう側に、ひとつの深淵で距てられた、第一級のものだけが存在する別の領域がある。その存在する領域は偶然に名前が記録されることもあるかもしれないが、本質において無名の領域だという言い方をしています。その無名の領域ないしは匿名の領域へ誰が入ったのかはぜんぜんわからない、と。これは最後になったロンドンでの言葉です。そこがヴェイユの神学の最後の到達点です。
 そこまで行きますと、ぼくらはこの領域はわからないし、そこまで到達できるとかできないとか、かんがえられるような領域ではないわけです。そこまでかんがえれば、その領域は、キリスト教の信仰の立場からも、イデオロギーとか思想とかの立場からも、どんな立場からも見えるんじゃないか。つまり党派の領域でも、宗教の派閥の領域でもなくて、どこからも見えるひとつの領域がかんがえられるのではないかという気がします。
ヴェイユの神への考え方は画一的ではありますが、匿名の領域、無名性の領域で、そここそが<ほんとう>の第一級の場所なんだという言い方で指しているものは、どこからも見えるといいましょうか、そういう見え方ができるんじゃないか。誰が集中していってもそこに集中していくということで、一種の普遍理念とか普遍宗教という領域を、人間はかんがえることができるのではないかという希望を抱かせます。そこへ行けるとはけっしていいませんが、そういうものが設定できるんじゃないかとおもいます。


A 
人間の政治社会があれば、かならずそこに対立とか争いがあるということじゃなくて、どこから見ても、そこが普遍的真理の場所だというものを、わたしたちがかんがえている領域のはるか向こうにもうひとつ設定できるのだというヴェイユの最後の到達点は、たいへんわたしたちに希望を抱かせます。そこはどこから行ってもめざすことができる領域のようにおもえるし、党派、宗派独特の習慣儀礼に従わなくても、ただいかに真理に近づくかという考えだけあればそこへ到達できる。不可能だとしても到達可能性がいつでもある。ヴェイユの神学思想として生きているほんとうの理由をそこに見たいとおもいます。
 けっしてキリスト教的でもなければ、仏教的でもない、あるいはどちらにも似ているといえば似ているし、イデオロギー的であるようで革命思想的でもあるように見える。つまり労働概念などを見ていると、革命思想的でもあるように見えて、宗教的でもある。そういうことを介してどこからでも行けるはずだという場所をとにかく指して見せてくれたことが、
ヴェイユの宗教としての現代性のいちばん大きな場所じゃないかとかんがえます。
            (P119−P121)


項目抜粋
2
備考





項目ID 項目 よみがな 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日 抜粋したテキスト
353 包括できる倫理 ほうかつできるりんり 第一章 エバンゲリオン・アンバウンド  対談 だいたいでいいじゃない 文藝春秋 2000.7.30


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中間のところの土台
@ 僕らは、女子高校生の援助交際とかオウム真理教のサリンばらまき事件に対して、それ自体の行為なり考えなりの問題を掘り下げなければ否定にはならないよ、それを掘り下げないで否定するのは間違いだよと言ってきました。その根拠は何かっていうと、僕らの絶対感情というものの徹底性みたいなものは、たしかに戦争中に相当際どいところまで突き詰めたということがあります。ですから、援助交際を倫理的に批判する気持ちって全然ないんです。どちらかといえば肯定的です。悪いっていう根拠があるのかって、むしろそう言いたいくらい。つまり願望もまじえていえば、こういうのも包括したい、自分の体験上の絶対感情の中に全部こういうのは包括してしまいたいというのが、僕の考えの中にあるんです。ですから、倫理的に批判するとか、非難するっていうのは間違いなんじゃないかって思うんです。
 神戸の少年Aの首切りの事件でもそうで、これを病的な犯罪として見るのも間違いだし、少年をカウンセリングと薬で治していくとか、医療少年院に入れるなんて考え方はまったく間違いじゃないか。こういうのは人間の子供のもっている本来的な性質、性格の中に全部入っているんだというところで包括したいというのが、僕の願望の中にあるんです。
                (P35−P36)


A ですから、たとえばこの『エヴァンゲリオン』もそうですし、宮台さんもそうなんだと思うんですけど、
その中間に何かあるということは、無倫理があってもいいし、それからデカダンスがあつてもいいんです。僕らはデカダンスのほうが実感に近いわけですけれども、これは相当重要なことなんだって思います。これがなくて、あっちかこっちに振子のようにぶれてるだけだったら、日本の知識とか思想っていうのはちょっとやり切れないから
その中間のところの土台がいかにしっかりしているか、つまり無倫理がいかにしっかりしてるかとか、デカダンスがいかにしっかりしているかっていうのがないと、どうもだめだと思います。だから、そのデカダンスというところ、あるいは無倫理というところを、こちらが単に通過過程とというふうに考えないで、それをとても大きくかんがえれば、だいたい宮台さんも、若い世代の考えも分るぜというところも出てきますし、女子学生の援助交際なんていうのは、分るし、どうってことない、倫理の問題ではないよということになります。そういう問題じゃない何かが入っているんだというふうになるんですけど。
                (P37−P38)


項目抜粋
2
B こうなってくると、さっきの包括したいという話に重なるわけですけど、法律がいうのもやりきれないし、精神鑑定医の言説も全然間違いじゃないですかって言いたいわけです。それはやっぱり自分でもなかなかうまく解けないし、現在この社会の状態で、市民に適用される法律があってという状態の中で、こういうことをあからさまに言っていいのかなって、なんとなくためらいもありますけど、僕はやっぱり極端に言うと、そういうのは全部包括できないといかんぞ、と。もし包括できる倫理、あるいは論理があれば、それを見つけていきたい、そういう気持ちはやっぱりあるんですね。
                ( P53 )


備考





項目ID 項目 よみがな 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日 抜粋したテキスト
362 批評は手でやる ひひょうはてでやる 第四章 オウムと格闘技と糖尿   対談 だいたいでいいじゃない 文藝春秋 2000.7.30


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身体 精神の変わらない部分
項目抜粋
1
@ いまの段階では、遺伝子生物学でも脳内物質でも解明されているのは一部分ですが、これからどんどん分かっていっても、どこまでいってもそれは相対的なもので、これで人間の与件は解けてしまったというところには行かないという気がします。また、分かってくればくるほど、人間の精神活動の範囲は段々拡張していって、いままで未知なものが次の働きとして出てくる。そういうシーソーゲームになるんじゃないかと思うんです。
 人間の精神というものをもっとつめて見ますと、大脳と神経を通して働く感覚器官的な部分と、それ以外の部分、つまり心情と言ったり、心と言ったり、魂と言ったりしている部分があります。大別すればこの二つになるんだということは、三木成夫なんかからずいぶん教えられました。
 魂や心と言われている部分については、大脳や神経や感覚器官は第二義的な意味しかなくて、第一義的には植物神経系というか内臓の働きがある。
 ギリシャ・ローマ時代から人間の心なんてそう変わっていないと言うとき、「きれいだ」とか「好きだ」とかいうことについては、対象に関する心の動きそのものはそんなに変わっていないし、感覚が変わったとしても少しずつだと思います。また一方で、感覚を増幅する装置が発達すればどんどん変わる精神の部分もあって、その二つを区別しておけばだいたい人間の掴みかたとしてはいいと思います。
 社会が変わったり、外界が変わったり、装置が良くなったりすると、たちまち好みが変わったり、感度が良くなったり、いままで見えなかったものが見えたりするわけですけど、性格とか資質とか言われている部分は、実は余り変わらない。赤ん坊や子供のときと歳くってからもそんなに変わっていないです。


項目抜粋
2
A 書道家の石川九楊さんが、自分の手は子供のときから書をやっているから内部が続いていると言っていました。彼は自分の手は精神だと言いたいわけです。
 僕らは、文学研究は頭でやるが
文学批評は手でやるって、よく言うんです。
そういう場合の手というのは、外から見た手じゃなくて、手で考えているということです。それは歳をとった学者と話をするとよくわかる。そういう人は、誰の本を読んでも同じように見える。自分が考えてきた筋道が見えるだけで、あ、そうか、そうかと思うだけなんです。そうするともうそれ以上勉強する気が失せてしまう。だけど僕らは手でやっているから、手を動かさなければ何もはじまらない。だから歳をとってもいいんですよ(笑)。頭でやっていると、人の本を読んでも多少の違いはあれ、結局は同じようなことを言っているなと思ってしまう。だけど僕らは、同じ事を言うためにだって表現は無限にあるんだと思っているわけです。だから僕らのほうがもつんです。
 そういう意味では、指は指だと思っていたけれど、これは違うかもしれないという気がします。そういう感じがしてきたのはリハビリ以後です。ここ数年ですよ、七十過ぎになってはじめて、俺、身体っていうのが少しわかってきたぞって思う。それまではそんなこと考える必要もないまま済ましてきましたから。こんな歳とって耄碌してから、わかったなんて言うのは遅いんで、もっと早くから知っておけばよかったと思います。
                ( P237−P239 )


備考





項目ID 項目 よみがな 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日 抜粋したテキスト
374 批評家の役目 ひひょうかのやくめ 消費資本主義の終焉から贈与価値論へ インタヴュー マルクス―読みかえの方法 深夜叢書社 1995.2.20

「FiLo1」1992年 15,16,17号  聞き手 中田平、石塚雄人

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フーコーの『言葉と物』 ヘーゲル・マルクスのイメージ フーコーのイメージ
項目抜粋
1
@ 
 石塚 ここで再び『共同幻想論』の翻訳に戻って、吉本さん自身にとっては、この翻訳がどういう意味をもつものなのかを伺いたいのですが。

 それも中田さんに申し訳ないとおもうところのひとつなんです。基本的には、もし『共同幻想論』を通らなければ、いまの現代の世界の思想は語れないというくらいの価値があるならば、向こうの人は日本語を勉強してでも読んでくれるはずだとおもってるわけです。
だけどぼく自身は、自分の書いた物がどのくらいのものなのかは、ほんとうにわかっているかどうかはべつとして、自分でわかるとおもいます。ぼくの書いたもののなかでは三つ挙げれば、そのなかのひとつだろうとはおもうけれども、べつにいまの世界でこれを読まなくてもどうということはないともおもってるわけです
 だから中田さんがやってくださった翻訳も、あまり積極的に”お、これはどんなルートでも、ルートなんかなくっても否でも応でも押し付けちゃえ”という気持ちを、ぼく自身でもてないのは結局そこじゃないかとおもいます。
 それは割りによくわかってるつもりなんです。
人はどういおうが、自分でわかってるかどうかということが批評家の役目ですから。そういう批評家ということからいえば、フーコーの『言葉と物』というのは、これは大変な本だとおもってるわけです。
               ( P233−P234 )


項目抜粋
2
A ぼくはフーコーの全貌は知りませんが、翻訳されたものだけでいえば、この人の『言葉と物』を通らなければ、いまの世界での思想の在り方というか、思想そのものについて、いろいろいうことはできないのではないでしょうか。何かいうのであれば、これは必ず通るべきなんじゃないか。党派、傾向がどうだとか、おれとはちがうとか、そんなことはべつにして、これを通らなければ現在の世界の思想については何もいえないのではないかとおもっています。・・・・・(中略)・・・・
 しかし、フーコーの『言葉と物』は、マルクス主義とはぜんぜん別個に、これは国家論としても読めるし、革命論みたいなものとしても読める。革命論として、そのままストレートに読めるというのではなく、マルクス主義と違う原理で革命を考えようとする場合に、役に立つ原理、理論というのがこのなかにはいっているんじゃないかとおもっています。そういう意味では、珍しい本といってしまうと悪いいい方ですが、相当大変な本だとおもっています。
 フーコー自身は『言葉と物』のやり方はだめだ、もっと個別的にやるべきだと、確かそういったとおもいます。ぼくは逆にかんがえていたし、いまもそうかんがえています。
 だからぼくは、フーコーは逃げた、怖くなってしまったのではないかとおもっています。
 マルクス主義ではなく、革命の書、方法論として読めばそう読めるというようなものを書いてしまって、世界的な評価をある程度受け、そういうことが自分でも怖くなってしまったのではないかというのがぼくの勝手なおもいこみです。”自分は一介の大学の先生です”と、自分をそんなふうに決定していったのではないかとおもうんです。それで個別的ということをいったのではないでしょうか。
               ( P234−P235 )


B ぼくらはぼくらなりの読み方しかできないけれど、もっとずっと後々の世代の人がこれを読んで、これは使い用によっては使えるとおもう人たちがでてくるのではないかと感じます。それが資本主義の本当の終焉の時にでてくるかどうかはわかりませんが、その時にまたちがう意味でフーコーが再評価されるかもしれないと、ぼくはそんなふうに受けとっています。
 
ヘーゲル、マルクスから始まったといっても構わないのですが、そこから始まった近代国家の考え方があります。それまでも国家はありましたし、人類の歴史からすればもっと初期からあったわけです。西欧でも、日本ではなおさらそうですが、政治制度と社会と領土がみんな交ざり合った曖昧なものとして国家がかんがえられていた。それをヘーゲルが、国家というのは頭の上にある見えない共同体、共同幻想だと、すっきりさせてしまった。その下に、見える市民社会があり、さらにその下には、目に見える肉体労働ばかりで市民社会からも疎外されている人たちがいるというイメージをはじめてつくった。
 
マルクスもヘーゲルの徒ですから、それをもっとすっきりと狭くしてったわけです。それからロシアのマルクス主義も、それを真似した西欧のマルクス主義も、そういう観点は失わないでやってきました。それがあまりに硬直しすぎたのでいろんなバリエーションを試みているわけです。
 フーコーの『言葉と物』だけは全然ちがいます。いままで垂直とかんがえていたとすれば、水平に、まるで九十度ちがいます。支配や被支配を、思考方法を輪切りにしてもできるということを初めていったようにおもいます。そうすることで世界を理解、解釈した。これだけは通らないと現代の世界の思想とはいえないくらいにおもいました。だからこれは世界思想といえるのではないでしょうか。

               ( P235−P236 )


備考





項目ID 項目 よみがな 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日 抜粋したテキスト
404 微妙なこと びみょうなこと あとがき 老いの超え方 朝日新聞社 2006.5.30

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項目
1
@ 宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』のなかに、主人公のジョバンニと親友のカンパネルラが銀河のほとりで発掘をやっている老考古学者たちの作業を列車を降りて見学するところがある。老考古学者たちが二人に説明する言葉のなかに、宮沢賢治の自然観をひとりでに語るところがある。自分達が現にここでやっている発掘からは、それなりに色々な物の化石が掘り出されるが、もし異なった考古学者がやって来て発掘をやると、わたしたちの発掘した化石と同じ化石が、全く違ったものに見えるということがありうるのだ。老考古学者はジョバンニとカンパネルラにそう説明する。
 
これは科学者宮沢賢治が仏教学者宮沢賢治と生涯にわたり葛藤したところだった。科学は物質の構成要素が同じであるかぎり、誰が見ても異なって見えること(ちがった物質として判断すること)はできないと確認する。宮沢賢治の思想では、それは仏教から見ればあやふやな確認だと言っているのだと思う。これは物質もまた変化しやすいと言っているのではない。また個々の主観によって異なったものに見えると言っているのでもない。宮沢賢治の創り出した仏教は、それよりも奥のほうにあった。これが宮沢賢治の謎だが、わたしにはよくわからない。
 宮沢賢治が科学者と詩人童話作家というより宗教家としての自己のあいだの矛盾や葛藤にもかかわらず、両者とも最後まで捨てなかった謎は、たとえばゲーテが文学者と認識哲学との間で捨てなかった矛盾葛藤の謎と似ているように考えている。
 記憶にまちがいなければ、ゲーテはエッカーマンとの対話で、自分の最もいい仕事は色彩論だと言っている。けれどニュートンの科学的色彩論にくらべて惨敗だと、わたしは若い工科の学生のころ考えて疑わなかった。これが『若きウェルテルの悩み』や『ヴィルヘルムマイスター』に比べて、どこがいいのだろうと思ったのだ。
 
だが、現在なら少し解るような気がする。
 ゲーテは、なぜ天然(宇宙)の自然は若草を緑にし(定め)、秋の紅葉を茶紅色にし(定め)たのかを極めようとしたのだ。若草には葉緑素が多いし、紅葉は代謝が少なくなっているから、緑は消えてゆくというのも、眼が吸収するものと反射するものの違いだというのも、若草の緑は人間感性に上向感を与えるからだという心理的説明も、ゲーテにとっては解答になっていると思えなかったのだと思う。
 京都の秋の紅葉は、寺院の庭など風もないのに寂かに落ちたりする紅褐色がいい。東北の紅葉は、多様な山の樹木が緑から真っ赤まで色相のすべてを鮮やかに混ぜているのがいい地域の季候差、樹木の種や科の差、「自然は水際立っている」と感じる(認知する)。
その生態の謎がゲーテの認知したいところだったのではなかろうか。それはまた、宮沢賢治の迷いと信仰のあいだの謎でもあった。      二〇〇六年 三月二〇日

                         (P270−P272)
項目
2
備考 「標本にするんですか。」
「いや、證明するに要るんだ。ぼくらからみると、ここは厚い立派な地層で、百二十萬年ぐらゐ前にできたといふ證據もいろいろあがるけれども、ぼくらとちがつたやつからみてもやつぱりこんな地層に見えるかどうか、あるひは風か水か、がらんとした空かに見えやしないかといふことなのだ。わかつたかい。けれども、おいおい、そこもスコツプではいけない。そのすぐ下に肋骨が埋もれてる筈ぢやないか。」
 大學士はあわてて走つて行きました。
「もう時間だよ。行かう。」カムパネルラが地圖と腕時計とをくらべながら云ひました。
「ああ、ではわたくしどもは失禮いたします。」ジヨバンニは、ていねいに大學士におじぎしました。
「さうですか。いや、さよなら。」大學士は、また忙がしさうに、あちこち歩きまはつて監督をはじめました。
 二人は、その白い岩の上を、一生けん命汽車におくれないやうに走りました。そしてほんたうに、風のやうに走れたのです。息も切れず膝もあつくなりませんでした。(『銀河鉄道の夜』 七 北十字とプリオシン海岸)











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