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30 マルクス、三つの旅程
31 マルクスの<疎外>概念
32 マルクスの<疎外>概念
33 マルクスの<疎外>概念
38 マルクスの<自然>哲学
39 マルクスの<自然>哲学
40 マルクスの<自然>哲学
42 マルクス思想の転回
43 マルクス思想の転回
184 <マルクス主義>国家
234 文字以前の言葉・言葉以前の言葉
235 文字以前の言葉・言葉以前の言葉 A
244 未開時代に相当する時期
256 無意識の段階
267 無意識の領域の拡大
270 向こう側の視点
340 未知の<倫理>
384 全き自由



項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日 抜粋したテキスト
30 マルクス、三つの旅程 カール・マルクス 論文 吉本隆明全著作集12 勁草書房 1969/10/25 吉本隆明全著作集12
第一部マルクス紀行


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現存性と歴史性との交点の契機 歴史的現実の現存性
項目
抜粋
1

@

いま、かれの全体系わたどろうとするものは、たれも、かれの思想から三つの旅程をみつけることができるはずである。
  ひとつは、宗教から法、国家へと流れくだる道であり、
  もうひとつは、当時の市民社会の構造を解明するカギとしての経済学であり、
  さらに、第三には、かれみずからの形成した<自然>哲学の道である。 (P104「T」)


A

なぜ、非詩的なものの考察だけが、かれの生涯の王道としてのこされたのだろうか?
・・・・ただ、マルクス自身を必然的にそこへ強いていった歴史的現実の現存性ともいうべきものを信じているだけだ。なぜならば、それだけが個人の思想に時代を超えて生きさせるものを与えるなにかだからだ。そこでだけ個人としての人間の思想は、類としての思想につながる。
ひとが思想的に生きるのは、いつも現存性と歴史性との交点の契機によってであり、<信仰>によっても、<科学>によっても生きるものではない。 (P105「T」)









 (備 考)

「ひとが思想的に生きるのは、いつも現存性と歴史性との交点の契機によってであり」というように、人間の関係の客観性のようなことを吉本さんはすばり言う。吉本さんは、今まであいまいにされていた思想領域にいくつもの太い杭を打ち続けてきた。三つの幻想領域に関してもそうで、その概念を活用したり、その関係の構造をさらに闡明(せんめい)にしたりすることはわたしたちの課題である。





項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日
31 マルクスの<疎外>概念 カール・マルクス 論文 吉本隆明全著作集12 勁草書房 1969/10/25

吉本隆明全著作集12 第一部マルクス紀行 より引用。

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マルクスの<自然>哲学の根源 表象
項目
抜粋
1

@

全自然を、じぶんの<非有機的肉体>(自然の人間化)となしうるという人間だけがもつようになった特性は、逆に、全人間を、自然の<有機的自然>たらしめるという
反作用なしには不可能であり、この全自然と全人間の相互のからみ合いを、マルクスは<自然>哲学のカテゴリーで、<疎外>または<自己疎外>とかんがえたのである。これを、市民社会の経済的なカテゴリーに表象させて労働するものとその生産物のあいだ、生産行為と労働(働きかけること)とのあいだ、人間と人間の自己自身の存在のたいだ、について拡張したり、微分化していても、その根源には、かれの<自然>哲学がひそんでおり、現実社会での<疎外>概念がこの<自然>哲学から発生していることはうたがうべくもない。
(P108「U」)


A

ところで、<死>んでしまえば、すくなくとも個々の人間にとって、全自然がかれの<非有機的肉体>となり、そのことからかれのほうは自然の<有機的自然>となるという<疎外>の関係は消滅するようにみえる。そしてたしかに個人としての<かれ>にとっては消滅するのだ。しかし、生きている他の人間たちのあいだではこの全自然と全人間の関係は消滅しない。これを市民社会の経済的なカテゴリーである人間と人間の関係、人間と自然の関係に表象したときの現実的なもろもろのもんだいは、社会がかわれば、かわってしまうし、社会的には消滅させようとすれば消滅するが、
自然と人間の存在のあいだではかわらないのである。<自然>哲学のカテゴリーで、<死>によって消滅するようにみえる自然と人間とのあいだの<疎外>関係の矛盾を、かれは、類と個の関係としてきりぬけるのである。(P109「U」)


B

マルクスの<自然>哲学の本質である<疎外>は、現実社会の経済的カテゴリーのなかに表象されてはいりこんでゆくやいなや個別的な<階級>概念となってあらわれる。・・・・ところで、あるがままの現実社会が、政治的な法・国家をその頭の幻想部に認識せざるをえなくなるやいなや、現実社会の個別的な<階級>概念は、公的な<階級>概念となってあらわれる。これが政治的な意味での、
マルクスの<階級>概念である。
 
マルクスの<自然>哲学の本質である人間と自然とのあいだの<疎外>関係という概念は、かれが、それ以外の関係が人間と自然の相互規定性としてありえないとかんがえているがゆえに、マルクスにとって不変の概念である。(P112「U」)


項目
抜粋
2

C

これにたいしてマルクスの<自然>哲学は、人間は自然の<有機的自然>として対象的自然を、人間の<非有機的肉体>となしうるという<疎外>の関係として設定される。感覚にうつった自然も、おなじように人間の感覚的な自然となる。<意識>も、自己にとっての意識という特質から、自然を意識においてとらえるやいなや、意識は自然の意識として存在するというように。(P120「V」)










 (備 考)

若い頃、マルクスの『経済学・哲学草稿』を読んだとき、ヘーゲルの『精神現象学』(途中で投げ出したけど)ほどではなかったが、よくわからなくて読むのに難渋した。何度か部分読みした記憶がある。吉本さんの「カール・マルクス」での〈疎外〉という概念も初めはよくわからなかったが、徐々にわかるようになってきたと思う。ギリシア以来何重にも積み重ねられ来たヨーロッパの言葉の総量をわかることは、この列島の精神の歴史からするととても困難なことに見える。まして、わかった上でそれを自分のものとして使いこなすことはさらに困難な気がする。ここでの吉本さんはそのように振る舞っている。また、近代の萩原朔太郎の『詩の原理』もそのようなすぐれた試みだったように見える。


@の「反作用」という言葉に、最初に出会ったわたしの若いときではなくて、後々に驚いた覚えがある。〈疎外〉の動的な過程が込められており、なおかつそれはわたしたちの日常的な生活世界の生活実感にもかなうものだったからである。





項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日
32 マルクスの<疎外>概念 カール・マルクス 論文 吉本隆明全著作集12 勁草書房 1969/10/25

吉本隆明全著作集12 第一部マルクス紀行 より引用。

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死の概念
項目
抜粋
1

@

しかし、死がおそろしいのは、それが妄想であれ愛惜であれ、関係の意識が人間に存在するからである。・・・・人間のじぶん自身の生存とじぶんの自身の死との関係が、じぶんと他との関係としてあらわれるほかないからである。(P121「V」)


A

エピクロス風な、個体の感覚の欠如、<霊魂>という物体の霧散だけでは、個人の<死>さえもかんがえることはできない。<かれ>の<死>にたいする諦念が、他人との関係で悲嘆となるか、おそれとなるかは、エピクロス風の<自然哲学>によっては解きえないからである。・・・・もちろん、これは、マルクスの<自然>哲学の本質である<疎外>でも、現実的には解くことはできない。ただ、<自然>哲学のカテゴリーでは、<個>と<類>との関係として<かれ>の<死>を位置づけることは自明であったにすぎない。すなわち、
  「死は、個人にたいする類の冷酷な勝利のようにみえ、またそれらの統一に矛盾するようにみえる。しかし特定の個人とは、たんに一つの限定された類的存在にすぎず、そのようなものとして死ぬべきものである。」
 と・・・・・。
 いうまでもなく、こういったマルクスの<自然>哲学のカテゴリーにあらわれる<死>の概念は、生ま身の現実的人間マルクスの<死>にたいする感性と混同することはできない。それは、あたかも<自然>哲学のカテゴリーでの<疎外>と、経済的カテゴリーにあらわれる<疎外>とを混同できないのとおなじだ。 (P123-P124「W」)










 (備 考)

晩年の吉本さんは、この個と類にまつわる弁証法的なマルクスの捉え方に疑問を呈されていたような気がする。記憶を頼りに調べてみると、『「すべてを引き受ける」という思想』にあった。「人間の身体も一個の人類史である」と述べた後、

 ぼくがいちばん影響を受けた思想家はマルクスですが、マルクスは、「個々の人間というのは『限定された類』と考えるべきだ」という意味のことを書いています。人間は限定された類だから、当然、ある年齢を限度として死の問題に当面する。しかしこれは「人類が死ぬということではない」と、続けています。つまり、限定された類としての個々の人間は死ぬけれども、人類自体は遺伝子を通じてまだ続いていくというのがマルクスの考え方です。
 こうした考え方は、マルクスの生きた十九世紀にあってはいい理解の仕方だったと思いますけれど、だんだん通用しなくなってきて、ぼくはいま、「人間は限定された類」だという考え自体、ダメなんじゃないかと思っています。






項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日
33 マルクスの<疎外>概念 カール・マルクス 論文 吉本隆明全著作集12 勁草書房 1969/10/25

吉本隆明全著作集12 第一部マルクス紀行 より引用。

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思想家の生命 紙一重の契機
項目抜粋
1

@

ひとは、たれでもフォイエルバッハのこの洞察が、マルクスと紙一重であることをしることができるはずだ。そういった意味では、この紙一重を超えることが思想家の生命であり、もともとひょうたんから駒がでるような独創性などは、この世にはありえないのである。
マルクスにとっては、フォイエルバッハのように、<自然>は、人間と自然とに共通な基底ではなかった。それは<非有機的身体>と<有機的自然>として相互に滲潤しあい、また相互に対立しあう<疎外>関係であった。・・・・フォイエルバッハの<共通な基底>を、<疎外>にまで展開させたおおきな力は、この紙一重の契機であった。 (P128「W」)









 (備 考)

マルクスは、フォイエルバッハの静的な人間と自然の関係の捉え方を、動態化し構造化したと言うべきか。小川の石を一つどけただけでそこから流れ出し流れが変わることがあるように、言葉や論理においてもまた。





項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日
38 マルクスの<自然>哲学 カール・マルクス 論文 吉本隆明全著作集12 勁草書房 1969/10/25

吉本隆明全著作集12 第二部マルクス伝 より引用

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マルクスが青春の一時代にこったギリシア<自然>哲学が、動的なかたちで蘇っている マルクスの<自然>哲学は改訂を必要としている
項目
抜粋
1

@

<人間>は、自己の内部では普遍的な自由な存在にたいするようにふるまうことができる。いいかえれば、意識の内容をもってふるまうことができる。これを<人間>と<自然>の関係としていいかえれば、<人間>は<自然>を、人間の無機的な身体とすることを意味している。人間は死なないためには、<自然>をたえず過程のうちにとどまらせ、人間の有機的でない身体のようにしておかねばならない。人間の肉体的および精神的生活が自然と連関しているということは、自然が自然と連関しているということ以外のなにごとをも意味しない。というのは、人間は自然の一部だからである。
 しかし、人間は労働のばあい、つまり自然にたいするばあい、かれの本質を、たんに生存の一手段とするようにしか存在しえていない。これは自然の自然からの疎外であり、同時に、人間の人間からの疎外である。
 わたしたちは、
ここに、マルクスが青春の一時代にこったギリシア<自然>哲学が、動的なかたちで蘇っているのをみないだろうか?「手稿」における経済的な範疇はすべて、人間は自然の一部であるから、人間と人間との関係、人間と自然との関係は、自然の自然にたいする関係であるという<アトム>説からみちびかれたものであり、それは必然でもある。
 
しかし、わたしのかんがえでは、人間の自然にたいする関係が、すべて人間と人間化された自然(加工された自然)となるところでは、マルクスの<自然>哲学は改訂を必要としている。つまり、農村が完全に絶滅したところでは。(P190-P191) 


A

現在の情況から、どのような理想型もかんがえることができないとしても、人間の自然との関係が、加工された自然との関係として完全にあらわれるやいなや、人間の意識内容のなかで、自然的な意識(外界の意識)は、自己増殖とその自己増殖の内部での自然意識と幻想的な自然意識との分離と対象化の相互関係にはいる。このことは、社会内部では、自然と人間の関係が、あたかも自然的加工と自然的加工の幻想との関係のようにあらわれる。だが、わたしはここでは遠くまでゆくまい。
 (P191)









 (備 考)

若い頃、@の部分の、『経済学・哲学草稿』におけるマルクスの「無機的な身体」などの言葉を用いた<人間>と<自然>の相互規定的な捉え方がよくわからなくて何度も読み返したおぼえがある。


わたしは、若い頃この@の終わりからAにかけての言葉に出会って、身震いするほど衝撃を受けた覚えがある。つまり、壮年の吉本さんは、そこまで世界の推移を深く捉えているのかと。「わたしはここでは遠くまでゆくまい」とあるが、この『カール・マルクス』は、試行出版部から1966年に出ている。つまり、現在はそこから50年ほど経っていて、吉本さんがその分析から引き返した状況そのものにわたしたちは当面している。今度はわたしたちがその状況をきちんと捉えなくてはならないのだが。





項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日
39 マルクスの<自然>哲学 カール・マルクス 論文 吉本隆明全著作集12 勁草書房 1969/10/25

吉本隆明全著作集12 第二部マルクス伝 より引用

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<疎外>からの解放 ヘーゲルにおける<疎外>
項目抜粋
1

@

マルクスによれば、<疎外>からの解放は、労働者の解放という政治的なかたちであらわされるほかないが、じつは人間一般の解放がそのなかにふくまれるのは、それが<自然>と社会的な意味での<人間>との普遍的関係をふくむからである。「人間が肉体的で自然力のある、生きた、現実的で感性的で対象的な存在であるということは、人間が現実的な感性的な諸対象を、自分の本質の対象として、自分の生命発現の対象としてもっているということ、あるいは、人間がただ現実的な感性的な諸対象によってのみ自分の生命を発現できるということを意味するのである。対象的、自然的、感性的であるということと、自己の外部に対象、自然、感性をもつということ、あるいは第三者に対してみずからが対象、自然、感性であるということは、同一のことである。」


A

ヘーゲルにおいて、<疎外>は、あるがままの自己と対象化された自己との対立、意識と自己意識の対立、客観と主観の対立である。いいかえれば抽象的思惟と現実的感性との思想そのものの内部での対立である。それは人間の本質が、みずからを非人間的に、非有機的な身体としての<自然>の内部で、じぶん自身との対立において対象化されるという意味ではない。(P192)









 (備 考)

わたしは、「学生運動」の次の世代であったが、まだ余波がありマルクス主義やマルクスの言葉をいくらかかぶってきた。1989年のベルリンの壁崩壊と1991年のソ連崩壊以後は、その実体と対応していたマルクス主義やマルクスの言葉も色褪せてしまった。わが国では、流行が去ったあとの祭りの後のような状況から、いつの間にかその残がいが撤去されてしまっているような状況になっている。ただ、それらの「流行」した内実の吟味はなされなくてはならないのだろうと思う。たとえば、根底的な革命(変革)はどのようになら可能なのかなどなど。

敗戦後、「民主主義」に飛びついた知識層もあった中で、吉本さんは、自分の体験した戦争ー敗戦の意味を生涯考え抜いてきた。ほんとうは、個が生まれ育つ中で家族や社会から受けた影響は、生涯かかって反芻し考え抜くことが知識層や生活者にかかわらず大事なことだと思われる。





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40 マルクスの<自然>哲学 カール・マルクス 論文 吉本隆明全著作集12 勁草書房 1969/10/25

吉本隆明全著作集12 第二部マルクス伝 より引用

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経済的な範疇 総体の連環
項目抜粋
1

@

おそらく、「手稿」にかかれた内容については、なにも傍註をつけるひつようはない。・・・・
 だから、わたしはただ「手稿」のなかの諸概念の位置、「手稿」そのものの位置だけをはっきりさせておけばよい。
 「手稿」は、マルクスの思想にとって、市民社会内部の構造の探究にあたっている。それは「ヘーゲル法哲学批判」が、<法>・<国家>、いいかえれば政治的国家内部の構造の探究であったとおなじように。そして政治的国家には、この国家の外にある政治的市民社会が対置されているように、「手稿」では、市民社会の内部で<資本家>と<労働者>が対置されている。そしてこのような対置は、それだけかんがえれば、<経済>的な範疇であるが、
その基礎にあるのは、自然的人間と人間的自然との相互規定性であり、それは<疎外>として一般化される。それは究極において自然史の部分としての歴史、またはマルクスの<自然>哲学のなかに解消する。


A

なんとなれば、<疎外>は市民社会の基礎であるマルクスの<自然>哲学、労働をプロセスとする自然の人間化と人間の自然化のなかであらわれ、<階級>は、市民社会内部で私的な階級としてあらわれ、政治的国家との関係において政治的階級の概念としてあらわれているからである。
 「手稿」において、<資本>、<労賃>、<私有財産>、<貨幣>、<生産物>等々といった経済的な範疇は、あたかも政治的国家を考察したばあいの<法>とおなじような概念としてあらわれている。重要なのはこのような類推が、マルクスの思想の発展のうちに存在したこと、そして同時に、それが十九世紀半ばまでの古典経済学の発展のなかで、直感的に存在した経済的な範疇の明確な論理づけ、集大成の意味をもったこと、という二重性のうちに理解するということだけである。
 一八四三年から四四年のうちに、マルクスの思想は、ほぼ完結した体系をなした。二十歳半ばをいくらかすぎた時期であった。そこで完結したのは、<宗教>・<法>・<国家>・<市民社会>・<自然>をつなぐひとつの連環である。「ユダヤ人問題によせて」、「ヘーゲル法哲学批判」、「経済学と哲学とにかんする手稿」が、これらの連環をつなぐ鎖をなしている。
この総体の連環をとらえることなしに、マルクスを理解することはできない。 (P192-P194)






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42 マルクス思想の転回 カール・マルクス 論文 吉本隆明全著作集12 勁草書房 1969/10/25

吉本隆明全著作集12 第二部マルクス伝 より引用

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市民社会が国家・政治社会より無限におおきいことは、人間の存在がその公民性よりも無限におおきいことと同義である 全現実の究明のための基礎として経済学的な範疇 現存性を歴史的段階のひとつとみなす
項目抜粋
1

@

偶然か必然か、マルクスが政治的な公活動から退いた時期と、経済学の支脈にわけ入った時期とは一致している。
 すでに、一八四三年から四四年にかけて、かれの思想の全体系は完成したすがたをもっていた。この考察から、かれがみちびきだしたものは、
市民社会が国家・政治社会より無限におおきいことは、人間の存在がその公民性よりも無限におおきいことと同義であるという概括であった。そこで市民社会の内部構造は、経済的な諸範疇によってとらえられるとかんがえられた。べつの言葉でいえば、市民社会の国家社会にたいする構造を究明するためにのみ、古典経済学的な諸概念がひつようであった。
 四三年から四四年にかけての
「経済学と哲学とにかんする手稿」においては、あきらかに経済学は市民社会を究明するための手段という意味をもっている。


A

しかし、
いまや、経済学の意味は、マルクスのなかでいくらかニュアンスのちがったものになってくる。全現実の究明のための基礎として経済学的な範疇がかんがえられはじめている。政治的孤立以後、経済学的な範疇の意味は、社会の歴史的発展の段階を劃する中核という意義を担うにいたった。それは、また資本制にいたるまでの全歴史過程の現存する土台であるというように。
 わたしのみるところでは、
マルクスは、はじめて現存性から経済的土台をかんがえるという立場を拡張して、現存性を歴史的段階のひとつとみなすにいたっている。 (P212-P213)









 (備 考)

現在は、〈経済〉が国家・社会で大きなウェートを占めるようになってしまった。それは、社会内の生活過程、家族の中においても同様であろうと思う。両者にとっての経済は、ひとつの大きな現在的な経済活動圏の内にあることでは同一でも、イメージされる〈経済〉の姿は違っている。前者は、抽出される〈経済〉活動の一般性に赴き、後者は生活・家族の内に引き入れられた具体性としての〈経済〉を指している。そうして、両者は、時に違ったイメージでぶつかり合うということがある。


「市民社会が国家・政治社会より無限におおきいことは、人間の存在がその公民性よりも無限におおきいことと同義である」は、言葉の問題としてみると、政治言語は、権力性を帯びるから強力だとしても目が粗い。一方、具体性としての人間の言葉は、微力に見えてきめが細かい。前者が集会のスローガンのような言葉と対応するとすれば、後者は文学の言葉に対応する。





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43 マルクス思想の転回 カール・マルクス 論文 吉本隆明全著作集12 勁草書房 1969/10/25

吉本隆明全著作集12 第二部マルクス伝 より引用

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歴史性の軸 歴史としての社会という観点の導入 〈上部構造〉という概念
項目抜粋
1

@

むしろ一八四八年以後のヨーロッパの蜂起とその敗北、そしてマルクスじしんの公生活からの孤立が、「私をしてもう一度すっかり初めからやり直し、新しい材料によって、批判的に仕事をし上げようと決意させた。」モチーフであったとおもわれる。ここで、経済学は市民社会内部の構造を解明するというモチーフから、経済的な範疇こそが、社会を資本制市民社会にいたるまで発展させてきた歴史の第一次的な要素であるというように転化される。この微妙なマルクスの点のうちかたの移動は、一八四八年以後のヨーロッパの蜂起とその挫折、それにともなうマルクスの政治的公生活からの疎外、つもりかさなる家庭生活の貧困といったような全情況の集約された表現であった。(P214)


A

マルクスの思想の転回は、一八五七年から五八年にかけての「資本主義的生産に先行する諸形態」と、五九年の「経済学批判」となって結晶した。そこではじめて、人間の具体的社会の考察に歴史性の軸が導入される。その歴史性の軸は、つぎのような数行に要約することができる。

 「人々は、その生活の社会的生産において、特定の、必然的な、彼らの意思に依存せざる諸関係を結び、この生産関係は、彼らの物質的生産力の特定の発達段階に応当するものである。これらの生産関係の総体は、社会の経済的構造を形づくり、これが実在の基礎であって、その基礎の上に法律的および政治的の上部構造が立ち、その基礎に相応して特定の社会的意識諸形態がある 。」(「経済学批判」)

 「一つの社会構成は、そこに発展する余地あるすべての生産諸力が発展しきらないうちに破滅することはけっしてなく、また新しい一そう高級な生産諸関係は、それにとっての物質的生存条件が、旧社会それ自体の胎内に孕まれないうちに出現することはけっしてない。さればこそ人類は、いつも自分で解決しうる問題のみを提起する」(同右) (P215)


項目抜粋
2

B

ひとびとは、たれでもマルクスの思想の重点が、ここで移動されていることを感取するだろう。この移動をつかさどるものは、
歴史としての社会という観点の導入であった。しかし、それにもかかわらず、かれの<法>・<国家>と市民社会との関連性にたいする考察と、かれ自身の<自然>哲学がここであとかたもなく消えてしまい、この消えてしまったことが、その思想の進展とかんがえれば、おおくの経済的範疇への誤解と、それとは逆な意味での<初期マルクス>の分離をもたらすものというほかはない。
 
ひとはたれでも青年期に表現を完了するという言葉が真実であるという意味では、すでに一八四三年から四四年にかけて、かれの思想はすべて完結されている。そのあとにはなにがくるのか?現実と時代とがかれに強いたものが、ひとつの思想の展開としてやってくるのだ。このような意味で、いまやマルクスに生産的社会の歴史的な考察と、生産的社会そのものの内部構造の究明という課題がやってくる。


C

一八四八年以後のマルクスの経済的な範疇の考察で、この巨視性を無視すれば、さまざまな誤解を生ずることになる。<上部構造>という概念は、この巨視性をみちびいたことの産物である。
 (P216-P217)


D

わたしには、マルクスが、かなり無造作に生産社会の究明へと全力を集中し、俗な言葉でいえば、経済学の批判としての経済学にこっていたことが不思議なことのようにおもわれる。(P218)



 





 
 (備 考)

Cの「この巨視性」が、何を指しているのか気になって『吉本隆明全著作集12』を探したが見つからない。『吉本隆明全集9』(晶文社)の方を見てみた。BとCの間に、以下の文章があった。

 近代市民社会にいたるまでの全生産社会の歴史的発展を追及することは、必然的に巨視的なものを、つまりいままでの考察がたかだか百年に充たない時間のなかでおこなわれた変化を対象としたのにたいして、かなりおおくの世紀にわたる時間のなかでの変化という軸をみちびくことになる。
 (『吉本隆明全集9』 「マルクス伝」P108)

また、この少し後には、「巨視的な時間を(つまり歴史性を)導入したうえで」とある。


人が切り取られて他者から様々な像として見られるように、マルクスの思想もまたそのように見られてきたようだ。「ロシアマルクス主義」としてイデオロギーとしてもまた。




項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日
184 <マルクス主義>国家 世界史のなかのアジア インタビュー 世界認識の方法 中央公論社 1980/06/10

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後進地域で政治革命が起こった アジア的遺制を残存させているほどなしやすい
項目抜粋
1
@<マルクス主義>と民族主義が、現在、どう関連しているか、どういう矛盾が現われてきているのか、そこのところをかんがえる場合に、大前提として認識しておかなければならないことがあります。それは、ロシア革命から始まって現在にいたるまで、<マルクス主義>が政治革命として実現したところは、いずれも世界の後進地域だった、アジア的特質が大なり小なり残っている地域であったという事実です。だから、現実に政治権力を握った<マルクス主義>は、理念としてのナショナリズムの問題を、本当の意味では、一度も処置してこなかったし、いまだに処置できない現実的な段階にある地域だということが、根本にある問題だと、ぼくはかんがえます。
 マルクスやエンゲルスのような<マルクス主義>の創始者にあっては、先進的な地域では階級形成が近代民族国家の枠を越えて、国民性と同じぐらい強固に、全世界的規模で確立されていくという予測がありました。ところが、現実には民族意識とか種族意識がきわめて強固な後進地域でだけ政治革命が起こったために、<マルクス主義>は大なり小なり、ナショナリズムの確立、つまり近代民族国家の確立という課題を同時に負ってきたといえます。ロシアもまた例外ではありませんでした。そのことが、現在のいわゆる社会主義国家の間で、国家的利害の次元で大きな矛盾に当面して、対立が生じ国境侵犯が起こり武力衝突にいたっていることの、根本的な原因の一つだとおもいます。 (P94-P95)

Aもう一つは、西欧的概念でいえば、近代社会というのは、産業革命を経た資本主義的経済体制を下部構造とした民族国家を意味しています。マルクスの思想はそういう<近代>を前提としてきたるべき社会が構想されたもので、コミュニズムが実現するとすれば、世界の、あるいは世界史の現段階の、社会機構がもっとも先進的に発展したところで起こるであろう、これがマルクスの原則でした。ところが、現在のアジアにおける社会主義国は、ベトナムであれ中国であれ、政治権力の理念が<マルクス主義>を標榜しているだけで、社会機構の面では西欧が資本主義によって達した<近代>にいたっていない。いまだに社会革命という意味では<近代>に向いつつある国ばかりです。<近代化>というものは、民族国家の確立と切り離してかんがえることはできないので、民族国家の枠を強固にする方向に向かうのは、ヨーロッパのばあいでも同じことでした。だから、<マルクス主義>を理念とする政治権力が<近代化>を遂行する過程で、民族国家の側面が強調され固定化されて、そこで国境紛争のような形で紛争が生じるのは、ある意味で必然だといえるとおもいます。極端にいえば政治権力の理念が<マルクス主義>であるかどうかは社会の機構とは関係がないことです。ぼくは政治革命という概念をそう理解しています。
 (P95)

項目抜粋
2
B中国やベトナムのようなアジアの社会主義国家は、政治権力の理念が<マルクス主義>というだけであって、社会の下部構造や制度自体の構造に、<アジア的>なもの−ここでいう<アジア的>とは、世界史の発展段階として、原始社会と古代社会の中間に位置する概念ですが−を残存させている国家です。極端にいえば、アジア的専制の理念が<マルクス主義>に取り替えられただけです。(P98)

C世界史の概念としての<アジア的>というものの特徴はすぐにいくつか挙げられます。それは、きわめて貧困で非政治的な大多数の民衆と、権力を握ったごく小数の文化的な支配層・政治層の二つから成り立っています。そして、富や権力あるいは部下は小数の専制的な政治層に集中しています。しかし、こと分配に関しては、わりあいに公正なところがあって、これがまた<アジア的>専制というもののおおきな特徴だとおもいます。ですから、<アジア的>専制の構造−民衆構造、経済構造、文化構造、その他ことごとくの構造を残したまま、政治理念を<マルクス主義>に代えることで、<マルクス主義>国家、社会主義国家となりうるのです。しかも、<アジア的>遺制が残っている国ほど政治革命はなしやすい。なぜならばごく小数の政治グループだけが政治や制度に関心を持ち、その時代における世界のもっとも先進的な理念を受けいれられる一種の開明性をもっています。一方、大多数の民衆は平等に貧しく、政治に無関心で、平穏で、情緒深い。従って小数のエリートの先進的な理念をストレートに受けいれ、個人の生命を無にして蜂起しうる。だから社会主義革命は後進国で実現してしまったのです。
(P99)
【マルクスの思想が問われる場所について (P99-P100)】

 






 (備 考)






項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日
234 文字以前の言葉・言葉以前の言葉 T 精神の起源をめぐって 対談 1993.2.28 こころから言葉へ 弘文堂 1993/11/15

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項目抜粋
1
【北山修との対談】
@・・・・文字以降の言葉の表現というのでは足りないのではないか、つまり不完全なのではないか。文学にとってはそんなに不完全とは思いませんが、人間の言葉自体の問題としては不完全なのではないか考えて、文字以前の言葉はいったいどうなっているのか、また言葉以前の言葉とはどういうものなのか、ということが関心事になりまして、いろいろな考え方をしてきたんです。

A文字以前の言葉と言葉以前の言葉を取り扱うとき、二つの問題があるわけです。一つは個々の人間の生育史、発達史、つまり自己史の問題です。・・・・受胎五、六ヶ月頃から生まれて一歳未満までのあいだが言葉以前の言葉ということで、主として母親とのコミュニケーションをやっており、それが問題の一つになってきます。つまり自分で言葉をしゃべれないときの人間の言葉に対する構え、それはどうなっていてどこが問題なのかという取り上げ方が一つあるわけです。もう一つは、類または種としての人間というなかで、言葉はどうなっているのか。つまり人間は言葉を発すると考えまして、それぞれの民族や種族の言葉に分かれる前は、共通の言葉があったと致します。それはいわゆる言葉ではありませんでしょう。さきほど言いましたような、個人でいえば一歳未満までの言葉以前の言葉と同じ意味合いで、民族語、種族語に分かれる前の共通の言葉です。それから種族語、民族語に分かれていくわけですが、それは個人の生育史で言えば、一歳未満のときをちょっと過ぎまして、だいたい自分でも言葉をしゃべれるようになった、という時期に該当するという考え方をします。  (P12-P13)

B個人の生育史のなかで文字以前の言葉、つまり胎児時代に母親と交わしていることばと、一歳未満に授乳しながら母親と交わしている言葉というものがあります。
・・・・普通、僕らは「アワワ言葉」と言っているわけです。・・・・そして「アワワ言葉」の一つの大きな特徴は、母音と子音が区別されてない、未分化の段階の言葉ということです。ですからゼロ歳から一歳までは母親とのコミュニケーションは「アワワ言葉」が主たる言葉なわけです。もう一つ、ニワトリの「コケコッコー」というような擬音語や擬態語というものがあります。それもゼロ歳から一歳までの乳児の言葉、つまり言葉にならない言葉になるだろうと思います。
 それから胎児時代の言葉はまったくの内コミュニケーションで、・・・・   (P13-P14)

項目抜粋
2
C胎児は羊水のなかにいるわけで、いわゆる外界の視覚から言えば真っ暗だと思うんです。見えると言っても、外界とは違う見え方だろうと思います。名付けようがありませんが、一種の内感覚みたいなもので見えるという以外に言いようがないでしょう。 (P16)
・・・・【瀕死状態で】どうして耳が聞こえれば眼が見えるのかというのは、胎内での体験以外にありえないわけです。だから意識が減衰したときに、何らかの形で胎内の体験が甦ってくることはあるんだと解すれば、そう理解できるわけです。(P18)

D僕のほうの言葉の問題で言えば、胎内のときから一歳未満までの言葉の問題は内コミュニケーションを主たる作用としてもっているんじゃないか、という考え方をとっているわけです。いままでは視覚と聴覚は外感覚だと思われてきてますが、近頃は人間の感覚、特に視覚、聴覚は、外感覚と内感覚の二重感覚じゃないかという理解の仕方をとろうとしています。 (P18-P19)







 
 (備 考)






項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日
235 文字以前の言葉・言葉以前の言葉 A T 精神の起源をめぐって間 対談 1993.2.28 こころから言葉へ 弘文堂 1993/11/15

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民族語に分かれる前の人類の言葉の形
項目抜粋
1
Eもう一つは先ほど言いましたように、民族あるいは種族としての言葉以前、つまり種族語になる以前の言葉が問題になるわけです。それは何かと言いますと、人間の場合、だたい喉仏から上のところで言葉を発生しているわけです。喉仏から上の構造は微細なところで種族、民族によって違うことはあっても、だいたい人類としては共通だと言えますから、喉仏から上のほう、つまり口のなかと気道と鼻孔、この構造の同一性が種族語に分かれる前の人間の生理的な基本になるんじゃないかと思います。だから人間の身体的生理と関連づけられるのではないかと想定するわけです。
 その場合、何が共通かと言うと、いちばんわかりやすいのは母音なんですね。・・・・だけど母音はどんな民族語でも共通にあるわけですから、それは喉仏から上の人類における同一性に起因させていいんじやないか。そこは民族語に分かれる前の人類の言葉の形を物語るだろうと理解してきたわけです。
  (P20-P21)

F・・・・民族語に分かれる前の言葉を想定して、それがどうして各民族語、種族語に分かれといくのかということがあるわけですが、人間は言葉をもってから長い年月がたっているわけで、日本語の特色はこうだと言われているもの、なぜ日本語はそういう特色になっていったかという、その段階では、どの種族、民族でもみんな一度は通っていったんだと僕は理解しています。あるきっかけがあって、日本語はそこの段階をとても強調して特色とするという発展の仕方をしましたし、例えばインド・ヨーロッパ語はその段階はあったんですけど速やかにそこを通り過ぎてしまって、また違う段階へいって自分たちの言葉の特色を発揮したのではないか。 (P36-P37)

Gだけど一つ弁解させていただければ、僕は人類の歴史あるいは自然史の必然から追い立てられるということは、いくら病気だと言おうが何しようが、まぬがれることは出来ないんだよと思っていることです。だからそれに対して抵抗することは全面的には出来ないで、どうせ負けるんだけど、でもどこかで少しずつでも抵抗しなきゃいけないみたいなことでやっていると思うんです。だけど僕の理解の仕方では、どんな人だって歴史あるいは自然史の必然から逃げることは不可能だというのが根本にあるんです。それについて僕は、マルクスからいちばん学んだことのような気がするんです。それは僕から抜けていかないで、この必然からは絶対に誰も逃れられないと考えます。だからどういう抵抗をするかということだ

項目抜粋
2
けなんだ。抵抗も、大きな声で抵抗したってしようがないので、ひそかな自分の営みでごまかすというか、だめなまでもそうしなきゃいけないという、そういうところでしか個人は抵抗できないんじゃないかなというのがあるんですね。
 だから北山さんのおっしゃる、大学教授に多いタイプの人たちと違うのは、不忍池でちゃんとポップコーンをやっているんだぞということだけですね。やっているからどうっていうんじゃないけど、そういうところで自己治癒と言いましょうか、自己慰安と言いましょうか、そういうのはわかっているんだよ、みたいなことですね。要するに頭がいいなんていうのは社会的には目立つエリートでしょうけど、そういうのはやっぱり広い意味で病気だと思うんですね。だからどこかで治すやり方を自分であみ出す以外にないんじゃないかとおもうんです。
 僕はそう思っていますから、病気にすぎないのを自慢している奴がいると、「冗談じゃねえや」という思いはあるんです。 (P50-P51)







 
 (備 考)







項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日
244 未開時代に相当する時期 ”酒鬼薔薇事件”を読み解く (続) インタビュー 超「20世紀論」』上 アスキー 2000/09/14


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人間性の範囲内
項目抜粋
1

@

未開時代、人間は首狩りをしていました。日本の中世でも、武士たちは戦で敵将の首を取ることを手柄としていました。今からいえば、それは異常な行為ということになりますが、
人類のある段階では、それは異常でもなんでもない、普通の行為だったんです。異常な行為をするから精神が異常かといえば、全然そうではありません。そういう見方は間違いです。
 
個人の成長史においても同様で,未開時代に相当する時期があります。ゼロ歳から三〜四歳くらいまでの時期は、残虐な行為を平気でやります。でも、それは異常でもなんでもありません。そうした行為は、人間性の範囲内にあるものだと捉えるべきなのです。    (P68−P69)









 (備 考)







項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日
256 無意識の段階 公判中のオウム真理教を改めて問う インタビュー 超「20世紀論」』下 アスキー 2000/09/14


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対応 無意識の心理学
項目抜粋
1
@でも、僕は別に宗教学者や宗教家じゃありませんから、中沢新一の『虹の理論』や麻原彰晃の『生死を超える』を読んで思ったことは、仏教が「前世」とか、「来世」とかいっているものは、実は無意識の段階と対応させることができるんじゃないか、ということです。
 そして、この無意識の段階というのは、母親の胎内にいる胎児のときのたとえば二ヶ月目、三ヶ月目とかに対応したものじゃないか、と僕は考えています。”胎児の何ヶ月目のときには、こういう特徴的な無意識が現れる”ということがあって、それが、仏教でいう前世のイメージを形成したり、来世のイメージを形成したりすることになるんじゃないかと思うんです。つまり、仏教でいう前世や来世は、本当は実在するものではなく、胎児のときに段階的に形成される無意識の反映なのではないか、ということです。それが明らかになれば、宗教はおのずとなくなって、「無意識の心理学」だけあればいい、ということになるかもしれません。   (P218−P219)








 (備 考)







項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日
267 無意識の領域の拡大 T 死について1  「死」をどうとらえるか 談話 遺書 角川春樹事務所 1998/01/08


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項目抜粋
1

@いま話してきたように、僕の考え方では、「前世」とは受精してから胎内にいる七〜八ヶ月のあいだです。だから、その間の体験の記憶が宗教のいう「前世の記憶」ではないかと考えられます。
 フロイト的にいう「無意識」を、人間の胎内の生活まで延ばせば、胎内にいる間は無意識の状態です。とすると、「前世」を記憶しているということは、無意識を意識化したということです。もし鋭敏な人、あるいは宗教的な人ならば、その胎内の無意識を意識化することができて、言葉やイメージで表わすことができるはずです。だから、そういう人がいてもまったく不思議ではありません。
 そして、「前世」の記憶を持つ人とは、すなわち宗教家が「来世」といっているものをみることができる人ということにもなるのです。受精してから胎内の七〜八ヶ月くらいまでの間の体験を、前向きに体験するか、後ろ向きに体験するかによって、「前世」と「来世」という概念が出てくると考えているからです。
 そう考えると、宗教家が「前世」と「来世」といっているものが、かなり科学的に説明できることになります。 (P25−P26)

Aたいていの場合、未開、原始では霊魂は海を隔てた島や村の周りにある秀麗な形の山などに集まるという話になっていて、世界中にそういう話があります。
 典型的な例でいえば、オセアニアの島などでは、女の人が海岸で水浴びしていたら、島に集まっていた死んだ祖先たちの霊魂が海を漂流してきて、たまたま、その女の人の体の中に入って、妊娠するというようなことが信じられてきました。すると、村の誰か死んだ人の霊が入ったということになって、子供に同じ名前をつけるといったことが行なわれていました。
 そういう習俗や土俗宗教の名残は日本にもあります。(P26−P27)

項目抜粋
2

B僕もこのフロイトの考え方に賛成です。ですから、「前世」の記憶といっても、自分の記憶が定かでない幼い時代に聞いた話が残っていて、そうした形で出てきたと考えるのが、いちばん納得できます。
 さらに幼児期から、まだうまれていない母親の胎内にいた時期にまで無意識を広げてみれば、その時代の記憶も何らかの形で残っているとも考えられます。つまり、母親の胎内にいた時期に、親たちが話していたことが胎児の記憶に残っていて、それを「前世」の記憶と思い込むということです。
 すると、宗教家などにしても、しばしば、自分は「前世」の記憶を持っていると断定していますが、幼児期かあるいは胎児期の記憶だと考えれば、宗教性を離れて、説明がつくと思います。
 ですから、人間の無意識の領域をどこまで広げて考えるかという問題と、宗教家が「前世」とか「来世」とかいっていることとは密接な関係があるというのが、僕の考え方です。それが、いまの段階で非科学的にならない理解の仕方です。  (P29−P30)

Cいままで、僕なりの理解の仕方、考え方を話してきましたが、どうも「前世」とか「来世」という問題は、いくら考えても展開性がないのです。展開性がないことを考えるのが思想なのかといえば、それは疑わしい。あまりたいした思想的な問題ではないということです。  (P32)







 
 (備 考)







項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日
270 向こう側の視点 U 死について2  「死」を定義できるか 談話 遺書 角川春樹事務所 1998/01/08


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こちら側 アフリカ的な段階 西洋近代を通過することは必然であるという考え方は怪しいぞ
項目抜粋
1

@親鸞は、死としての「ある場所」を「正定衆の位」と呼んでいます。これは僕の言い方では「向こう側の視点」ということです。この「ある場所」がわかれば、個人の肉体やそれに伴う精神の死だけでなく、「社会の死」や「国家の死」もわかるはずです。
 こちら側から見ていても、ある社会がいつ死ぬか、そのあとどうなるかというのは、漠然とわかります。こういう条件が出てきたら、先進国は、だんだん死んでいくのだろうと思えてきます。しかし、それはあくまでも「こちら側」から見て、そう考えているので、すべてが見えているわけではありません。
 自分なりに「社会の死」は、こういうイメージだというのは持っています。現代社会というのはこうなったら死ぬぜというイメージは、一通りの理念が持っているものです。
 現在のフランスのような西欧の先進国社会を見てると、これはもう、いくら頑張っても死んでいくと思えます。・・・・・・・・・
 日本も、もうすぐ死ぬぜと思えます。でもいまいった、こうなったら、社会は死んでいくというのは、こちら側から見ている見方です。
 たしかにこちら側から見ても見当はつくけれど、全部がわからなければ、本当のところはいえないのです。向こう側の「ある場所」から見られたら、完全に事柄の全体像がわかるはずと考えます。
 何とかして向こう側から見ることができないか。それを実現するのは宗教かもしれないし、哲学や思想かもしれない。あるいは、文学や詩歌であるのかもしれない。とにかく、その方法を模索しているのです。そう簡単にできるわけないかというのが、いまの正直なところです。
 そういう模索を僕なりに織り込みながら、いまここで話しているつもりです。 (P49−P51)

A「社会の死」や「政治の死」で、社会や政治は死に終わるかというと、そんなわけはない。
 社会や政治にも、「死後の世界」はあります。個人にも死後の世界はあるとみなす比喩からはね。
 個人の場合には、無意識領域を広げて考える以外に死後はない。
  「社会の死」とか「政治の死」では、個人の場合に無意識領域を広げるのと同じ意味で、社会や政治の無意識の加担にたとえられます。それは「アフリカ的な段階」の領域に広げて原型を考えてみるしかないのではないか。僕のいま到達しているのはそれです。

項目抜粋
2

Bアフリカというのは、先進国から見れば、それこそ箸にも棒にもかからないところだという結論になりつつあります。・・・・・【ヘーゲル哲学のアフリカ了解から、戦後の文明の導入】・・・・・・・・
 ても僕は、冗談じゃねえよ、その考え方が駄目なんだと思います。援助してやって、何とか西欧近代化してやろう、そして西欧的な文明を行き渡らせようという近代主義の考え方は、駄目です。
 日本も先進国の仲間入りして、近代主義の考え方になっています。そのまま西欧と同じようなことをしていたら、日本もやはり死んでしまうだろうとと思いますね。
 だから、考え方を変えなければいけないと思って、その筋道になるものは何かということを、しきりに考えるわけです。    (P52−P54)

※ 【関連事項】 『超「20世紀論」』下 【データベースIDNo255】
「個人主義もそうですし、文化的な事柄にしてもそうですが、これまで、日本は西洋近代をお手本にしてきました。でも、西洋近代を通過することは必然かといえば、必ずしもそうじゃない、西洋近代を通過することは必然であるという考え方は怪しいぞって、最近、僕はそう疑いはじめています。」
    (P191−P193)








註1.「向こう側の視点」というのは、ハイイメージ論や宮沢賢治などで触れた、ええっとなんていってたっけ、・・・あの視線と関係があるのだろうか?・・・・・・・・・・・・・P52参照
註2.「社会や政治にも、「死後の世界」はあります。個人にも死後の世界はあるとみなす比喩からはね。
 個人の場合には、無意識領域を広げて考える以外に死後はない。「社会の死」とか「政治の死」では、個人の場合に無意識領域を広げるのと同じ意味で、社会や政治の無意識の加担にたとえられます。それは「アフリカ的な段階」の領域に広げて原型を考えてみるしかないのではないか。僕のいま到達しているのはそれです。」






項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日
340 未知の<倫理> 転換期における病理の行方  対談 時代の病理 春秋社 1993.5.30

対談者 田原克拓

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大転換の徴候かもしれない 経済主権者 贈与
項目抜粋
1
@ だけど、ぼくはもしかするともうひとつあるかもしれないとおもっているんです。この日本にはじまっている徴候は、世界の経済状態およびそれにすこしでもかかわりのある、文化でも政治でも制度でもなんでもいいですが、それにかかわりがあることが、もしかするとものすごく大きな、つまり半世紀とか一世紀とか、そのくらいの長期展望の大転換の徴候かもしれない、という考えがどこかにあるんです。もしかするとこの徴候はもっとちがうことであるかもしれないぞ、というのがどこかにあるんです。
 すこしだけ申しあげてみますと、世界の先進地域国家では社会経済の景況の主導権と実力はすでに八九パーセントから九一パーセントの国民大衆の「選択消費」と、高度産業の象徴としての企業群の設備投資を中心とする選択支出の如何に移ってしまったということの最初の徴候ではないのかということです。だからこの不況の思想的な本質は、「眠れる獅子」である世界の先進三地域の国民大衆が「眠れる」という意味をはじめて発信しつつあることだと見做せるのではないかとおもいます。

 だけど、さしあたってのことでしたら、このいまの不況は本質を覗かせない程度のところで突破されることはまちがいないとおもいます。世界最強の民衆は日本の民衆だとおもいます。世界経済が恐慌をきたして半分まで減少しても、だいたいいまの生活水準を落とさなくても、極度に忍耐しなければいけないですが、やっていけます。それくらい最強です。日本経済はそういう意味では最強だとおもいます。だけど、その範囲内の限界までいかないで、個人も企業も、国家経済も、この不況を克服することはまちがいなくできるとぼくは判断します。ただしとてもゆっくりというところで潜在的な
経済主権者の実力は発揮されることになります。
                (P240−P241)


項目抜粋
2
A ・・・・・(略)・・・・・・「贈与」という現象を、視点を変えてかんがえられるならば、そのことがきっとこれからのおおきな問題になるという感じもします。<損得>とか<善悪>とか、<持てる者>と<持たざる者>みたいなかたちで「贈与」が理解されてしまうとか、宗教でも社会福祉でもいいんですが、宗教的な信念があって、あるいは社会福祉についての信念があって、社会倫理みたいな<善>という考え方があって、それで奉仕をしちゃうんだという<倫理>の見方を、ぜんぜんそうじゃない未知の<倫理>がかんがえられるとすれば、そういうふうに変えていかなくちゃいけないということなのかなという感じもします。

 そうですね、さきほどもいいましたが、消費のなかで選択的に使える消費が消費額全体の半分以上を占めているということは、ものすごく新しい時代だということだとおもいます。「贈与」とか「選択消費」が所得の大部分になってしまったということに通底する一種の<倫理>というものがつくられないとだめなような気がします。それはなんであるかということを見つけたいわけです。ということは、なんていいますか、水平線があるとすると、その水平線からアメリカと、日本と、フランスと、ドイツだけがちょっと首を出しちゃった。この首を出したということはどういうことなのかというと、これはより優位な力をもったんだとか、より発達した社会になったんだとか、あるいは、もうこうなったら人類もおしまいだ、という言い方をする人もいるわけですが、いずれにしろ、そんな見方はどれをとってきてもみんな昔の<倫理>でといいますか、あまり役に立ちそうもない<倫理>でいっているような気がするんです。

 だからそうじゃなくて、これはいったいなんなんだということだとおもいます。それじゃ首を出しちゃったことの推移というか基本となっている柱はなにかっていったら、けっきょく「贈与」でもって格差を是正する以外にもう現実は成り立たなくなっているということです。つまり、アフリカ地域とか、アジア地域とかにお金とかを貸しちゃったら絶対に返ってこないことはわかっているという構造ができあがっている。それじゃ、これを貸して返ってこなくても黙っているほうは<善>であって、こっちの借りっぱなしのほうは<悪>であるという、その旧来の倫理観でいいかといったら、それはちがうような気がします。もしかするとこっちのほうがとんでもない<悪>かもしれないし、それはわからない。とにかく半分以上が消費という段階に首を出しちゃったというか、その二つを通底する<倫理>がわかるというのは、たぶん、そうとう長い射程の首を出しちゃったことの意味がわかることになるのではないでしょうか。ですから、かなりいろんなところから攻めていかないとほんとはわからないんじゃないかというのが、ぼくの正直なところです。ただ、個人でも企業でも「選択消費」が半分以上になっちゃったということはたいへんな事態で、それに社会主義的な政府も、資本主義的な政府も気づいていないんです。いま、すこし不景気になったからこうすれば直るだろうとか、ここに隘路があるから、ここだけを資本主義化したらいいだろうくらいですましていますが、ほんとはそんなんじゃないんですよ。



B ・・・・・(略)・・・・・・そうすると、いまのスピードで年間五パーセントくらい増えていったら、九九パーセントが「おれ中流だ」といい出すのはもう間近なわけです。これは絶対的に間近とおもいます。いま恐慌になってどうで不景気になったらどうだって、さかんにそれを重大問題のようにいうけど、もう絶対に四分の三から四分の二の範囲以上に出られないんだから、そんなのは別段、個人にとってみるとみんな働いたりしているからたいへんですが、マクロ的な視点からいえばどうっていうことはないんです。だけど、もしこれが九九パーセント「おれ中流だ」となったらどうするのかということになるんです。万々歳というふうになるのかといったら、だれでも「いや、そうはおもわないな」といいますよ。つまりいまだって九〇パーセント中流で、べつに明日食べる米がないということはないんだから、文句ないでしょう。すこし不景気になったら「選択消費」を慎めばいいんだろう。おれ、幸福だよっていえばたしかに幸福ですよ。だけれど、「ほんとかっ?」ていったら、いろいろ疑問も生じますし、また所得五十万のひとも百万円のひともいるから、この格差はもうすこしないほうがいいじゃないかとか、おなじほうがいいじゃないかとかっていえば、まだ不服があるということになるわけです。そういう不服がいずれにしろ九九パーセント、百パーセントでもいいですが、だいたいなくなっちゃうと。将来にそうなるとかんがえるのがまず妥当だとおもえます。ひじょうに近い未来にそうなるでしょう。そうなってもまだおかしいよということになって、そうなったらなにか社会の枠組み全体を変えなければどうしようもないということになるかもしれない。
 そういうときにも耐えられる<倫理>がつくられなかったらだめです。「贈与」と「消費過剰」のわりに耐えられないんじゃないかというのが、もうすでにきているんじゃないかなとおもえたりするんです。
じゃどういう<倫理>がそこで通用するんだろうかということと、九九パーセントが「おれ中流だ」といい出したときのその社会の具体的なイメージがよくわからないんです。そうなる徴候をかんがえたばあいに、まだわからないことがたくさんあるとおもえるんです。そこはほんとにわからないんです。ただ、こういうことがわかればいいんじゃないかなということは、じぶんなりにおもっているんです。それは膨大な意味の心の大陸でなにが起こっているんだとか、経済社会でなにが起こっているんだとか、戦争があったとか、そういう眼に見える利害関係の錯綜からくるいろんな事件がどうなっているんだとか、さまざまなところから攻めていかないとわからないんじゃないかなという感じがします。
                (P244−P248)


C それは男女の葛藤の根底にずいぶんあります。明治以降の社会になってはじめて女性は解放されたとおもっているわけでしょう。それはやっぱりおもてづらなんで、ほんとは明治以降になってはじめて男性優位の社会になったんだと理解するのが妥当な理解のしかたなんです。男はそうおもっているんですよ。ところが女のひとはやっぱり近代に入ってはじめて解放されたんだ、歴史をみろとこういう。じぶんたちはさんざん虐げられてきたと、こうおもっている。
 ところがすくなくとも、中国の漢民族はぼくはどういう種族かわからないところがあるからいえないですが、中国でも沿海部とか南中国とかインドとかフィリピンとか台湾とかインドネシアとか豪州のニューギニアとか日本とかは、全般的に母系的です。だからそこでは絶対そうじゃないんです。日本みたいなのは、明治以降になって西欧近代を受け入れてはじめて、男性がちょっと優位というか、女性なみになったというふうにかんがえるのがたいへん妥当ななんであって、女性は近代になってはじめて男性からちょっと押さえられてといいましょうか、やや不利であるという情況になったんです。それ以前までは、つまり徳川時代までは絶対、潜在的に、太古は顕在的なわけですが、江戸時代はすくなくとも表面は男性がいばっていることになっているんですが、ほんとはぜんぜんそうじゃない。だから、いまだってそうじゃないんです。女性があからさまに男性より給料が少ないとか、いろんなかたちでちょっと不利になっているというのは近代以降なんです。
 そういうふうにかんがえると、潜在化したところの問題と両方あってできているんじゃないですか。つまりいまの男女問題の二重性というものはすくなくとも母系制をとってきた社会においてとてもおおきな要因としてあるんじゃないでしょうか。西欧でももちろんそういう段階があったんですが、速やかにそこを通り過ぎたんです。だから、西欧というのは男女とか家族とか男女関係というものについては一種独特のものがあります。ちょっと日本のばあいとちがっちゃうんじゃないでしょうか。それくらい母系社会の伝統は潜在的に流れてきているんです。いまでももちろんあるわけです。すくなくとも制度のなかにはだいぶなくなっているんですが、心理のなかにはやっぱりあるとおもいます。男性と女性の無意識のところにはちゃんとあるとおもいます。そこはたいへん複雑にといいますか、面倒にしているともいえるんじゃないでしょうか。

                (P251−P253)


D ・・・・・(略)・・・・・・だから、いちばん明確だったのはスミスからはじまってマルクスの労働価値説なんで、なにも男女もへちまもあるものか、たくさん生産するものはたくさん価値を生み出すということになるんだという。それがいちばん明瞭でいちばん西欧がつくってきた価値観の公定になっているんじゃないでしょうか。それに近代経済学が心理的な要素が加わって、大なり小なり限界効用的な考え方ができてきて、それ以後またいろんな考え方が出てくることで、近代経済学は成り立っているわけでしょう。でも心理的な効用をかんがえるということは西欧の価値観を複雑にしていますが、西欧的な内面性の世界は、文化でも文学でも芸術でも形にしてきたわけです。マルクスは心理的な効用は捨象できるという考え方で基本的に労働価値説だとなったわけですが、いやそうじゃない、心理的な効用はずいぶん価値に関与する、価値を左右するという考え方が西欧の内面性を尊重する立場からやっぱり出てくる、というようなところが西欧の流れじゃないでしょうか。
 
いっとうはじめに「贈与論」をやったのは西欧の学者ですが、未開社会をフィールドワークしたひとが「贈与論」をつくったんです。それはやっぱり異質だと思ったとおもいます。心理的な効用でもない、つまり内面世界でもない、また労働価値でもない、べつな社会があることにびっくりしたということがあるんだとおもうんです。価値論のなかには、大雑把にいえばそういうのがあるわけだから、そこがこんどはこれからの問題になっていくんじゃないでしょうか。「贈与」というばあいに、いわゆる内面的な心理がどこまで作用するだろうか、あるいは西欧の作用と日本みたいな母系社会の伝統をもっているところの心理作用とはすこし度合がちがうんだとかという問題がこれから生じてきます。それがたぶん、どういう<倫理>がいいんだということに関与するとおもいます。西欧的な<倫理>、<善悪>観がいちおう主流になって文明をつくってきたわけですが、そこでまた「贈与」は心理であるかもしれないけど内面的な心理じゃないんだ、母系的な社会の心理なんだということです。それが新しいかたちの価値観、あるいは<倫理>観はどうなるのかという最終的な問題になるんじゃないでしょうか。そういう気がします。
                (P254−P255)










 (備 考)







項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日
384 全き自由 第1章 政治家やマスコミ知識人の「テロ・戦争論」を批判する インタヴュー 超「戦争論」 下 アスキー
コミュニケーションズ
2002.11.22


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人類が目指すべき方向 不平等な格差 二つの原則
項目抜粋
1
@ 結局、「全き自由(完全な自由)ということを目標に置かない理念や政策というのは、ダメだということですね。一番重要なことは、民衆の自由を最大限保持するということです。産業政策も、民衆の自由を最大限保持するということと調和を取りながら進めなければなりませんし、自由を最大限保持する一方で、できる限り平等であるという方向にももっていかなければなりません。どうしたら、そういうことが成り立つかということが二一世紀の大きな課題であり、為政者はそのことを特によく考えなければいけないと思います。
 「公」と「私」ということでいうならば、「公」を優先させるような考え方はすべてダメで、「公」よりも「私」を優先させなければならないということです。
個人の自由を制限するものは、すべて取っ払っていくというのが、人類が目指すべき方向だと思います。
 僕なんかは、太平洋戦争中の反省もありますから、戦後、そういうことを一生懸命考えてきました。「私」よりも「公」を優先させる考え方がダメだってことは、僕らの体験からいえば、太平洋戦争で試験済みだってことです。
                            (P131)

項目抜粋
2
A 自由と平等とは、理念上は両立しうる、といえるんじゃないでしょうか。でも、実際問題としては、両立させようとすると、いろいろ矛盾が出てくるということになります。そこでの矛盾の出方は、その社会がどんな発展段階にあるのかということとも関連しています。だから、自由と平等とは理念上は両立しうるといっても、一足飛びにそれを実現することはできない、ということになるわけです。
 現在、社会にはいろいろ不平等な格差があります。そこで、「平等を実現する」というスローガンを掲げて、一気に現在の不平等な格差をなくしたとします。賃金格差とか、社会的地位の格差とかを、一気になくしちゃうわけです。でも、そうすると、逆に悪平等になるだけです。僕は「能力」という考え方が嫌いですが、能力主義を肯定し、強調している今の資本主義や一国社会主義の社会においては、「なぜ、俺のほうが能力があるのに賃金が同じなのか?」といった不満が出てきちゃうからです。
 だから、一足飛びに本当の平等を実現することはできない、ということになります。一足飛びにそれをやろうとすると、どうしても矛盾をきたしてしまうんです。
まだ、社会がそういう段階に至っていないということですね。マルクスはそういうことを盛んに指摘していて、だんだんと矯正していくというような方法でしか本当の平等は実現できない、といっています。
                           (P132−P133)

B マルクスがいっているのは、「制度としての経済には不平等があってはいけない」ということなんですよ。制度としての経済は、やはり万人に対して平等であるべきであって、その経済制度の下で収入に格差がつくことは、個々人の自由に属することである、収入に格差がつくことをマルクスは不平等といっているわけじゃないんです。
 マルクスは、「制度としての経済以外の問題で、平等であるとか、不平等であるとかということについては、自分はちっとも問うていない」といっています。マルクスは用心深くて、制度としての経済の問題に限定して、平等のことを論じるようにしているんです。

C 経済制度の問題だけでなく、人間としてのふるまい方とか道徳的なことまでいい出したのがロシア・マルクス主義です。ロシア・マルクス主義は、制度の問題を、倫理の問題に転嫁してしまったんです。
                           (P133−P134)
C 共産主義的な社会を理想社会と考え、『ユートピア』という本を著した十五世紀から十六世紀にかけてのイギリスの政治家であるトマス・モア以降、世界の各地域で、このことは何度も試みられました。しかし、その試みは、国家規模のような大きな規模では、ことごとく失敗しています。それが現在の世界の現実であり、人類の体たらくといえば、体たらくなのです。
 でも、このことを現在、問題にしたいのなら、それぞれの国家や集団で試みられた実践的な失敗例を検討・分析することからはじめるしかありません。・・・・・・
 それぞれの具体例から検討をはじめると、部分的にはその試みはうまく言っている場合もありますが、大局的には失敗しているということがわかります。しかし、人類にとっての課題とは何かといえば、それは極論すると、「自由かつ平等な社会」を実現することにあるといえます。それが実現すれば、あとに残るのは、個々人の日常生活だけです。
 たとえばヘーゲルといを引き合いに出せば、ヘーゲルという”大哲学者”は、同時代に生きる個々人の日常生活というのは歴史のうちに入らない、それは、いうなれば動物性と同等に見なせるから世界史の中に入れなくてもいいんだ、世界史の枠外に置いてもかまわないんだと考えました。
 でも、それは大ウソです。
人類の歴史、世界史とはなんだといったら、本当をいえば、個々人の生活史や精神史の総和にほかなりません。だから、「大衆」という理念を欠いた人類の歴史、世界史というのは意味がないということになるんです。
                           (P138−P140)

D 論旨を整理する意味で、こうした問題に対する僕の原則を改めていっておきましょう。第一の原則は、個々人が、企業家とか政治家とか財産家とかいった社会的実利の見本的存在になろうとすることも、物書きとかいった精神に関する職業に就こうとすることも、まったく自由であるということです。
第二の原則は、成功者、劣敗者を生む競争がどう調整されるべきかということは、あくまで制度の問題であるということです。それは、あくまで制度の問題として問われるべきであり、個人の倫理的な問題に転嫁してはいけないということですね。そして、こうしたことを考えない者は、”公人”にならないほうがいいということもいえます。

 そうです。制度の問題と個人の内面の問題とは、別の問題です。だから、マルクスは、たとえば平等ということにしても、経済制度に限定して論じていて、個人の内面にまで踏み込んで論じるなんてことは、一切やっていないわけです。
                           (P144−P145)








 (備 考)













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