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ID 項目 ID 項目
447 論理の中の統一イメージ1
479 老人は寂しいのです
495 歴史認識の方法      
526 歴史の経路      
531 歴史把握の変位      
540 歴史をどこまでさかのぼるか      
551 歴史の動因 A      
552  歴史の動因 @      
559 歴史理解      
592 歴史の無意識 A      
673 リアリティの起源ということ      
674 リアリティーということ      
696 恋愛感情の中心点のようなもの      
704 恋愛の始まり      
       







項目ID 項目 よみがな 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日 抜粋したテキスト
447 論理の中の統一イメージ1 ろんりのなかのとういついめーじ 「共同幻想論」の序 論文 吉本隆明全集10 晶文社 2015.9.25

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統一する視点 全幻想領域の問題 前提 論理の抽象度
項目
1

@
 だんだんこういうことがわかってきたということがあると思うんです。それは、いままで、文学理論は文学理論だ、政治思想は政治思想だ、経済学は経済学だ、そういうように、自分の中で一つの違った範疇の問題として見えてきた問題があるでしょう。特に表現の問題でいえば、政治的な表現もあり、思想的な表現もあり、芸術的な表現もあるというふうに、個々ばらばらに見えていた問題が、大体統一的に見えるようになったということがあると思うんです。
 その
統一する視点はなにかといいますと、すべて基本的には幻想領域であるということだと思うんです。
 (『吉本隆明全集10』「共同幻想論」の序 P273 晶文社)


 つまり
そういう軸の内部構造と、表現された構造と、三つの軸(引用者註.自己幻想、対幻想、共同幻想のこと)の相互関係がどうなっているか、そういうことを解明していけば、全幻想領域の問題というものは解きうるわけだ、つまり解明できるはずだというふうになると思うんです。そういうふうに統一的にといいますか、ずっと全体の関連が見えるようになって、その一つとして、たとえば、自分がいままでやってきた文学理論の問題というのは、自己幻想の内的構造と表現の問題だったなというふうに、あらためて見られるところがあるわけです。そして、たとえば世の人々が家族論とか男女のセックスの問題とか、そういうふうにいっていた問題というのは、これは対幻想のもんだいなんだというふうにあらためて把握できる。それから一般に、政治とか国家とか、法律とか、あるいは宗教でもいいんですけれども、そういうふうにいわれてきた問題というものは、これは共同幻想の問題なんだなというふうに包括的につかめるところができてきた。だから、それらは相互関係と内部構造とをはっきりさせていけばいいわけなんだ、そういうことが問題なんだ、こんどは問題意識がそういうふうになってきます。
 そうすると、お前の考えは非常にヘーゲル的ではないかという批判があると思います。しかし僕には前提がある。そういう幻想領域を扱うときには、幻想領域を幻想領域の内部構造として扱う場合には、下部構造、経済的な諸範疇というものは大体しりぞけることができるんだ、そういう前提があるんです。しりぞけるということは、無視するということではないんです。ある程度までしりぞけることができる。
しりぞけますと、ある一つの反映とか模写じゃなくて、ある構造を介して幻想の問題に関係してくるというところまでしりぞけることができるという前提があるんです。
 (同上 P274-P275)


A
 それではなぜそういう欠陥が出てきたかといいますと、そういう人たちはおそらく論理性あるいは法則性というものの抽象性のレベルというものに対する理解がないんだと思うんです。つまり、現実の生産社会、技術の発展というものがあるでしょう、それを一つの論理的な法則、あるいは一つの論理の筋道がたどれるものとして理解する場合には、すでにある段階の抽象度が入りこんでいると思うんです。経済学でもそうだと思うんです。経済学でも、あるがままの現実の生産の学ではないのです。それは論理のある抽象度をもっているわけです。その位相というものがある。つまり水準というものがあるわけで、それがどういう水準にあるかということをよくつかまえることができないで、あるがままの現実の動き、あるいは技術の発展とか、また言語のばあいでもいいですよ、そういうものがなにか
論理の抽象度というものとしばしば混同されてごっちゃになって考えが展開されるから、そこのところでひどい混乱が生まれてきてしまうということがあると思うんですよ。やっぱり全論理性というものの中でも、その抽象度というもの、あるいは抽象の水準というものをはっきりとつかまえて論理を展開していかないと、非常に簡単な未来像が描かれてしまったり、技術の発展に伴って非常に楽天的な社会ができてしまうんだというような考え方になっていってしまうけれども、それはおそらく論理の抽象度のある混同というものがあると思うんです。あるいはそれの把握しそこないがあると思います。
 (同上 P279)


B
 わたしがここで提出したかったのは、人間のうみだす共同幻想のさまざまな態様が、どのようにして綜合的な視野のうちに包括されるかについてのあらたな方法であるそしてこの意味ではわたしの試みはたれをも失望させないはずである。なぜならわたしのまえにわたし以外の人物によってこのような試みがなされたことはなかったからである。ただこのような試みにどんな切実な現代的な意義があるのかについてはひとびとのいうのにまかせたいとおもう。
 (同上 P284)


備考
 (備 考)

これが最初の論理の中の統一イメージだと思われる。次に、晩年近くの『ハイ・イメージ論辺りで、『言語にとって美とはなにか』、『共同幻想論』、『心的現象論(序説)』を統一的に捉える視座やイメージが視線論や像論として語られていたとわたしは記憶している。

関連事項として、項目20〜26。





項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日
479 老人は寂しいのです 「老人は死を前提とした絶対的な寂しさを持つ」 インタビュー 『ロング・ターム・ケア』第55号2007年7月 『吉本隆明資料集171』 猫々堂 2017.11.30


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絶対的な寂しさ 死に対する寂しさ 親鸞の死の考え方
項目
1

@
 老人は寂しいのです。老人は特に何も言いませんが、寂しさが一番応えます。うちの近くの巣鴨に行けば老人がたくさんいますので、老人同士の交流もできます。また、孫との交流ですね。それで寂しさが紛らわせます。
その寂しさは絶対的な寂しさです。それは、死に対する寂しさだと思います。後どのくらい生きられるかということが頭に浮かぶと、それが寂しさにつながります。ですから、それを防ぐためには考えないことが一番よいのです。そういうことができた宗教家は日本で歴史上一人しかいないと思っています。それは浄土真宗の開祖である親鸞(一一七三〜一二六三)です。
 親鸞は老人の心情をよく理解しています。死は個人のものではないと言っています。なぜならば、いつ、どんな病気でどこで誰が死ぬかということはまったくわかりません。これは、いくら医学が発達しようがわかりません。
わからないことをいくら考えてもしょうがないことです。死は自分のものでもない、お医者さんのものでもありません。
 (「老人は死を前提とした絶対的な寂しさを持つ」P57-P58『ロング・ターム・ケア』第55号2007年7月 『吉本隆明資料集171』猫々堂)

備考
 (備 考)

そう言われれば、なるほどそうかと思う。この吉本さんの老人の内側からの言葉は、ほんとうは実感としては自分も老人の仲間入りをしないとわからないのかもしれない。内在的な体験ではなく理屈としてわかることと体験して実感としてわかることとはずいぶん違うからである。

自分がこの世にいることのふしぎや自分がこの世からいなくなることの不安や恐れは、一般に家族から精神的に独り立ちし始める思春期にも一度訪れてくる。そうすると老年期のそれは二度目であるが、しかももう逃げ場のない絶対的なものとして訪れてくるのだろうという気がする。

この問題を一般性として捉えると、他者理解の難しさということになる。他人が今どんな事情を抱えているかは、親しい知り合いでもよくわからないところがある。その抱えている事情の深みまではそのこと自体を相手から相談されない限りはよくわからないし、よくつかむことはできないように思われる。人は互いに手を差し出し合うということがありつつも、中心ではひとりという孤独の中を生きる存在なのだろう。

一般性としてのもうひとつは、どんなに考えても仕方がないことですと言われても、かつ、その他人の言に納得したとしても、人はどうしてもそのことに心や意識がとらわれ、思い悩んでしまうということがある。ここには人の性格的なものも関わっている。このようなことの最上級が「死」に関することだろうと思われる。





項目ID 項目 論名 形式 所収 出版社 発行日
495 歴史認識の方法 『母型論』の「序」ほか1995年11月 論文 『母型論』 学研 1995.11

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察知される 歴史という概念
項目
1

@
 想像力が未来を志向する能力は、過去に遡行しうる能力と正確に比例するという仮定は、わたしにはもっとも魅力ある仮定のひとつである。これは一般に歴史が現在の立場と情況に到達する仕方を、もっともよく象徴しているからだ。
 (「〈初期〉ということ〈歌謡〉ということ」P439『吉本隆明全集14』)
「〈初期〉ということ〈歌謡〉ということ」初出は、「週刊読書人」1977年8月1日


A
 おまえは何をしようとして、どこで行きどまっているかと問われたら、ひとつだけ言葉にできる
ほど了解していることがある。わたしがじぶんの認識の段階を、現在よりももっと開いていこうとしている文化と文明のさまざまな姿は、段階からの上方への離脱が同時に下方への離脱と同一になっている方法でなくてはならないということだ。
 わたしがいまじぶんの認識の段階をアジア的な帯域に設定したと仮定する。するとわたしが西欧的な認識を得ようとすることは、同時にアフリカ的な認識を得ようとする方法と同一になっていなければならない。またわたしがじぶんの認識の段階を西欧的な帯域に設定しているとすれば、超現代的な世界認識へ向かう方法は、同時にアジア的な認識を獲得することと同じことを意味する方法でなくてはならない。
どうしてその方法が獲得されうるのかは、じぶんの認識の段階からの離脱と解体の普遍性の感覚によって察知されるといっておくより仕方がない。
 (「序」『母型論』1995年11月)


B
 マルクスのように資本主義を分析して、それを主体に未来を考えるんじゃなくて、また、構造人類学のように、人類の歴史は原始の頃から始まるのだから、そこを厳密に明らかにして加味しない限りマルクスの考え方は駄目だと考えるんじゃなくて、原始未開の時代を考えることのウエイトと、現在から未来を考えることのウエイトは同じなんだという方法が欲しいわけです。そういう方法があるとしたら、それが重要だと思うんです。たとえばレヴィ・ストロースのように、マルクスの方法を補って修正するというやり方でいいのかと言えば、僕はそうじゃないと思います。両方が同じウエイトだという方法が見つからなければ、本当の意味での修正にはあまり役に立たないんじゃないか、と僕は原則的には思っています。
 違う言い方をすれば、現存する日本の社会は、西欧的な社会であるとか、あるいはアジア的な社会に西欧的な社会の問題が混淆しているとか、西欧的な社会という構造のなかに原始未開の社会、アフリカ的な社会の構造を引きずっているとか、いろいろ言えると思いますが、現存する日本が、国家的にも、社会的・制度的・人種的にも、アフリカ的世界を含んでいるとしたら、それを徹底的に追求していくことが、日本のこれから先の問題を導いていくことと同じでなければ駄目だということです。
 
過去や歴史的現在を考える考察と、現在的歴史と言いましょうか、現在から先の歴史を考える考え方が違う方法であったら意味がない。それだったら従来通りに対立する考えで終始するしかないと思いますから、歴史をさかのぼって追求することと、歴史を現在から未来への問題として追求する方法が同じでなければ、歴史はという概念自体が成り立たないと僕らは原則的に考えているわけです。僕らがいたずらに「日本語以前の日本語」と言っているのは、それをはっきりさせる方法がないと、これから後の問題は本当はよくわからないんじゃないかという感じ方が実感的にあるからなんですね。
 (『吉本隆明 戦後五〇年を語る』99 週刊 読書人 1998年1月9日号)
 ※聞き手 山本哲士・高橋順一・内田隆三











 (備 考)

この項目は、わたしが十分にわかったと言えないで、ときおり反芻している項目である。何となくはわかるような気はしている。引用文の年代から、これも吉本さんがずっと考え続けてきた課題だということがわかる。


 (追記) 以下の説明が『母型論』の序よりわかりやすい。『母型論』刊行より数年後のインタビューである。

――そうすると、「日本国」や「日本人」ということを固定観念で安易にいってはいけない、もっと歴史を探究し、綿密に論じなければいけないということになりますね?

吉本 そうです。だから、ナショナリストや保守派たちが「日本国」とか「日本人」とかをいくら強調しても、それは、歴史的にも地理的にも、狭い範囲でいっているだけ≠ニいうことになっちゃうんですよ。たとえば、縄文時代にまでさかのぼるだけでも――そこには、まだわからないことが一杯ありますが、もう少し広い範囲で、「日本国」とか「日本人」とかいったものが見えてくるということがあります。戦後、僕らはそういうことをずっと追究してきたわけですが、それは、視野を広げることになるんです。そしてまた、大事なことは、過去をさかのぼることが、実は未来を考えることにも通じるということなんです。

 過去をさかのぼって、事実がどうだったかを検証する。過去をさかのぼる方法がきちっと確立されれば、それは、未来を推測する方法に必ずつながるはずなんです。過去を探ると、人口がこのくらいのときは社会はこうで、人口がこのくらい増えたら社会はこう変わったとか、情報手段の発達がこのくらいのときは社会はこうで、情報手段がこのくらい発達したら社会はこう変わったとか、ということがいろいろ見えてきます。

 そういう過去の事実や変遷を踏まえて、未来を推測する。それが、未来を推測するための一番確実な方法なんです。国家についてもそうです。この先、国家がどうなるかを推測するためには、国家というものが、いつ、どういうふうに生まれ、どういうふうに変遷してきたのかということを知ることからはじめなければいけません。
 (『私の「戦争論」』P264-P265 吉本隆明 ぶんか社 1999年9月)





項目ID 項目 論名 形式 所収 出版社
526 歴史の経路 フーコーについて 講演 吉本隆明の183講演 ほぼ日

講演日:1995年7月9日 吉本隆明の183講演の「講演テキスト」より引用

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国家っていうのは、消滅に向かいます 歴史の経路 未来性がある 自分で考える
項目
1

@

それから、もうひとつあることは、も
っと未来性を考えれば、そういう国家っていうのは、消滅に向かいます。消滅に向かうってことは、疑いのないことです。国家が消滅に向かうときには、どういう項目が、どういうことが切り口になるかっていうことも、ついでに考えられたほうがいいと思います。


A

それに対して、ぼくが、自分なりに考えた、初っぱなの考えは、リコール権を持つことだと、ぼくは言っています。つまり、早めに、国家を開いた方がいい、つまり、国民に対して、半分開けた方がいい、ぼくがいう国家っていうのは、政府にほぼ等しいんですけど、国家っていうのは、国民の過半数が無記名投票で反対だっていったら、政府は変わらなきゃいけないっていう条項を、憲法の項目のなかに、一項入れるってことができれば、それは、国家が開かれていくきっかけになるって、ぼくは考えています。
ぼくは、相当、イメージだけでいえば、後のことまで、自分のイメージで考えています。だから、自分なりに言うことができますけど、それは、みなさんがそれぞれで考えられたほうがいいんです。つまり、西洋並みの国家にするためには、どういう条項を、どうしたらいいんだとか、そういうふうに考えていって、それも含めて、世界における国家っていうのは、だいたい解体に向かいますから、解体に向かうっていうのは、歴史の経路ですから、向かうと思います。その場合には、どうしたら、どの項目を変えたらいいんだっていうのを、自分で考えて、そういう項目を一丁加えれば、それは、未来性があるっていうことになります。


B

それの参考になるのは、ヨーロッパだけです。ヨーロッパっていうのは、ヨーロッパ共同体としてふんばっている箇所があります。そうすると、たぶん、憲法がないところで、各国、こういう項目については、ヨーロッパで協力するとか、同一化するとか、法律に類したものがあると思います。それは、参考になると思います。つまり、共同体に向かって、一歩踏み出していますから、けっしていい国じゃないですけど、ヨーロッパの国は。でも、そういう意味合いでいったら、すこし先へ行こうとしているところがあります。
だから、そういうのも参考にしたうえで、日本国の国家っていうのは、西洋並みの国家にするための憲法っていうのは、どうなっていけばいんだっていうのを、それを普遍化していったらどうなるのか、そして、それが消滅に向かうっていう歴史の方向性っていうのを忠実にたどるには、どうしたら、どういう項目を設けたらいいかっていうようなことは、みなさんが、個々に持ってたほうが、ぼくはいいように思います。


C

ほんとうに、本音まで言わせると、違っちゃうと思います。人によって違っちゃうと思います。人によって違っちゃうってことは、けっして悪いことじゃないんです。より進歩的なあれに賛成すればいいなんてのは、絶対そんなことはないですから、たとえば、平和憲法を守れなんて言ってるやつは、やっぱり、ダメなことはダメですから、そんなことを言うと、天皇は国民統合の象徴っていうのを残すことを意味するわけです。そんなのダメです、ダメだってわかりきっていることです。そんなの、ちっとも理想でもなんでもないんです。
だから、どういう項目になろうと、そんなことはいいと、だけど、自分だったらこうだっていうことを、ほんとうに無意識の中まで、あるいは、伝統的なあれも含めて、それはやっぱり、自分なりに持って、つくっておられて、そのうえで、もっと欲を言うならば、こういうふうにして、
国家が、これから未来に向かって壊れていくためには、どういう項目を加えたらいいか、あるいは、どういう項目を保存したほうがいいかっていうようなことを、やっぱり、ご自分で考えて、持っておられたらいいんじゃないかって思います。
 (『 A172フーコーについて』吉本隆明の183講演 講演日:1995年7月9日)
 ※この文章の見出しは、「14 自分の憲法案を持ったほうがいい」です。
 ※@、A、B、Cは、連続する文章です。












 (備 考)

Aの「ぼくは、相当、イメージだけでいえば、後のことまで、自分のイメージで考えています。だから、自分なりに言うことができますけど、それは、みなさんがそれぞれで考えられたほうがいいんです。」この吉本さんの詰めたイメージは、国家を開く過程でのいやいやながらの当番制の問題などとしてどこかで読んだ覚えがある。この世界でひとりひとりが自立的に振る舞うためにも、自分で考えてみることが大切ですよということだろう。


自己問答をくり返し、考えを積み重ねた吉本さんの言葉の地平では、たぶん如実感や肌触りのイメージとして感じ取られているように思う。そこには、言葉ではっきりと説明できることとただ自分は如実感や肌触りのイメージとして感じているんだということとの両方が含まれているように思われる。吉本さんが立っている地平近く立つ以外にはほんとうに感じ取りわかると言えないよというようなことが、わたしたちの他者関係には一般性として確かにある。


関連項目 「言葉の吉本隆明@」 186 歴史の無意識
「@漠然とした感じ方をいいますと、歴史の無意識というもの、歴史が無意識のうちに最良のような感じで積み重ねてきた段階としての民族国家、つまり近代資本主義国家は、マルクスやエンゲルスが考えていたよりもはるかに、状況にたいする適応性が強く、かつ人間の無意識に柔軟性があるように、歴史の無意識構造として柔軟性がある強固なもので、現実に適応して変貌しながら延命し、延命しながら変改していくようにおもわれます。しかし、マルクスの予測は甘かったのかどうか、これからどういう形で次の歴史の段階に移るのか、いずれにしてもマルクスの思想の有効性を検証する段階のイメージは誰にも輪郭が明瞭になっていません。またその段階にはいたっていません。マルクスの思想は、まだほんとうの意味では一度も打撃を受けていないし、またほんとうの意味では、一度も実現していない。ぼくはそう理解しています。」 (P105) 1980/06/10 世界認識の方法

現在のわたしは吉本さんのように、国家が消滅に向かうのはまちがいない、というように断定的にイメージとして感じ捉えることはできない。ただし、吉本さんがなぜそういうふうに断定的にイメージとして感じ捉えることができるのかについては大きな関心がある。E.トッドは、乳幼児の死亡率が上昇していることなどからソビエトロシアの崩壊を予測し、その通りになったという。この国家が消滅に向かうのはまちがいないという吉本さんの断定的なイメージは、このトッドの予測のレベルとはちがっていて、もっと本質的なレベル問題としてある。

人類は国家なしの長い段階を持っていた。国家は、人類の無意識的な理想を追い求める欲求のようなものが促し形作ってきたのかもしれない。たとえそこから、権力者やその周辺の者たちの人間的な邪悪さの欲望が発揮され血塗られたものであったとしてもである。例えば、豊臣秀吉の天下統一が群雄割拠の時代に終止符を打ったと言う歴史家の歴史把握に出会ったことがある。ちょうどマルクスが「インドにおけるイギリスの支配」でイギリスを否定したり擁護したりするレベルではなくイギリスの存在の意味を論じたように、歴史の具体性においては血塗られていても、歴史の抽象性のレベルではそういうことが言えるということだと思う。

吉本さんの国家が消滅に向かうのはまちがいないという断定的なイメージは、おそらく人類の無意識的な欲求である「歴史の無意識」の理解の肌感覚から由来しているのではないかとわたしは思う。現在では結成の揺り戻しのようにごたごたしているが、民族国家の諸矛盾を超えようとする欲求の表現であるヨーロッパのEUの存在も吉本さんのそのイメージ線上に捉えられていたと思う。





項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日
531 歴史把握の変位 「天皇制・共産党・戦後民主主義」 インタビュー 『中央公論』2009年10月号 吉本隆明資料集175 猫々堂 2018.5.25

聞き手 大日方公男 インタビュー 2009年7月31日

※ 「論名」は正確には、歴史としての「全共闘」  証言●戦後の転換点と左翼の終わり 「「天皇制・共産党・戦後民主主義」

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ヨーロッパ近代の病巣が科学信仰にある 歴史、時間の流れの永続性と接合点 地誌的な方法で、例えばいまの詩を見ると 自然がない詩も現代社会の病巣
項目
1

@

― 七十年代までを前半期としたら、後半のお仕事は日本の社会が大衆消費の段階に入ったことの分析を『マス・イメージ論』や『ハイ・イメージ論』で、その後も『アフリカ的段階について』、さらに最近では「芸術言語論」である『日本語のゆくえ』へと展開されています。

吉本 
ヨーロッパの近代以降の病巣は、科学的なものを中心に考えることだと僕は思っていますが、そういう思いは西洋人や日本の多くの近代主義者には通用しませんね。「アフリカ的段階」などと言おうものなら、「お前、何を考えているんだ、おかしいじゃないのか」となってしまいます。
 でも、ヘーゲルが世界史の枠外に置き、マルクスが「アジア的段階」と言った以前の時間の層を段階的に踏まえないと、
歴史というものはどこかの時点でつくられ解釈されたものが主流となってしまい、なかなか客観的に捉えることができない。そういう方法をとることができれば、全共闘世代の位置づけが歴史として客観的に解釈できるようになるかなと感じます。
 
僕らは歴史をちぎりながら分けて考えてきたけれど、歴史には実はどこにもちぎれるようなところはなく、時間の流れの永続性と接合点があり、そこを重要なものとして考えたほうがいいと、いまは思っています。


A

吉本 
つい最近ですが、うまく捉えられない出来事や歴史的な現象も地誌的な捉え方をすると、それぞれが地層をなしていると感じられて、「ああ、そういう捉え方もあるんだ」と驚きました。
 全共闘の世代が当時はどうであり、いまはどうなっているのかと細部までよく見ていくと、何となく地層をなした見え方ができるところがあって、それを突きつめても意識できるところと、未だに意識できないところが僕にはありますね。
 
その地誌的な方法で、例えばいまの詩を見ると、若い人たちが書いている現代詩には、日本語の素材や情感の根底となる自然との関係がとても希薄であることが分かります。都市に暮らしている人間たちには、自分たちが自然や人間とどう繋がり、それが文化や歴史と言えるようになるかを示すものがほとんどないのです。日本の近現代詩の歴史的プロセスでもこういうことはあまりなかった。若い詩人たちはそのことに危機感も未練もなければ、新しい詩なんだという自負も感じられない。いわば「無」なんですね。一方で自分を劇化したり、古代の詩のように英雄的な人物を称えたりもしない。そういう神話化の少ない「無」の良さもあると言えばいいのでしょうか。


B

吉本 詩に情操があり、それが行動に伴うことは間違いないのでしょうが、それが全体化してゆくと、ヨーロッパ近代の病巣が科学信仰にあるのと同じように、日本の近代の病巣ともなりかねないと思います。
 
いまの自然がない詩も現代社会の病巣であって、それが現代の分からなさであり、それがもっとはっきりすれば、いろいろなことが明らかになると考えています。
 (「天皇制・共産党・戦後民主主義」P47−P48、P49 『中央公論』2009年10月号 『吉本隆明資料集175』猫々堂)
 ※@、Aは、連続した文章です。













 (備 考)

Aの終わりにある吉本さんの歴史把握は、今までのヘーゲル−マルクスの段階的な歴史把握からの変位だろうと思う。(項目516から項目526) Aに「つい最近ですが」とあるけれども、ここには吉本さんのフーコー体験があるように思われる。ちなみに、講演A172「フーコーについて」の講演日は1995年7月9日。吉本−フーコーの対談は、1978年4月25日 東京にて。講演「フーコーについて」を見ると、フーコーの方法を日本仏教や宗教や法に応用して検証するなど、吉本さんは、長い間くり返しじっくりと考えてこられたのだと想像する。


Aの現在の若い詩人の詩について、詳しく論じてそれは「『無』に塗りつぶされた詩」であると言わざるを得ないと捉えているのは、吉本隆明著『日本語のゆくえ』(光文社刊 2008年1月30日)の第五章「若い詩人たちの詩」においてである。





項目ID 項目 論名 形式 所収 出版社 発行日
540 歴史をどこまでさかのぼるか 第五章人類は「戦争」を克服できるか インタビュー 『私の「戦争論」』 ぷんか社 1999.9.30

聞き手 田近伸和
関連項目 495 歴史認識の方法

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人類がまだ魚類であったころとか、生物が誕生したころ 本体は宇宙のビッグバン インドが分水嶺 民族語に分かれる前
項目
1

@

―歴史をどこまでさかのぼるかで、「日本国」や「日本人」のアイデンティティが違ってくるということですね?

吉本 そうです。もっとさかのぼれば、
人類がまだ魚類であったころとか、生物が誕生したころとかになります。人間の運動神経は動物的ですが、内臓には実は植物的要素も入っています。内臓は不随意筋で動いているんです。つまり、意識しないで動いていますからね。でも、さらにさかのぼれば、無生物だったころもある。なんといっても、本体は宇宙のビッグバンですから。水素が結合してヘリウムになっちゃったとかね。

――人間の細胞内にあるミトコンドリアという小器官は母親からしか伝わらないので、これをたどると、人類の共通の母≠ナあるイブはアフリカにいた、という説もあります。そうだとすると、西洋人も東洋人も、ルーツは同じということになりますね?

吉本 もちろん、そういうことになります。
西洋とか東洋とかといっているのは、インドが分水嶺ですけどね。言語的に見れば、インドから西へいけば西洋語を担うようになり、インドから東へいけば東洋語を担うようになります。
 人類が言語を持つようになったのは、数百万年前といわれていいます。そして、そこから中国語とか日本語とかいった民族語に分かれるようになったのは、十数万年前といわれています。その民族語に分かれるあたりのところまでは、遺伝子学的にもさかのぼれるんじゃないかといわれていて、僕らもそれを目指して探究しているわけです。
 というのは、声を発するのは喉仏から上なんですね。ヨーロッパ人と日本人を比較すると、鼻が長いとか短いとか、息の通りがちょっと異なるとかいった多少の違いはありますが、肉体的な構造はそうは違いません。だから、民族語は多様だといっても、そういう共通性を手掛かりにしていけば、民族語に分かれるあたりまではさかのぼれるんです。
 僕が追及したところでいえば、アイウエオといった母音の数は、民族語によって多い、少ないということはありますが、その母音の数の違いは本質的な問題じゃありません。結論的にいえば、
民族語に分かれる前は、母音的な音 ( おん )の変化みたいなものが共通の言語だったんじゃないかと思うんです。

――「日本語」を「日本人」のアイデンティティの拠りどころとしようと思っても、そう簡単にはいかないということですね。日本語の起源もわからないことが多い。言語学者の大野晋が書いた『日本語の起源』という本によれば、日本語とタミル語とは共通性があるそうですから。

吉本 タミル語というのは、今の国名でいえばスリランカ、あの地方の言語です。それが日本語と共通性があるというのは、ある程度当たっていると思いますが、言語学者の中には、日本語とパプアニューギニアの言語に共通性があるという人もいます。あるいは、インドネシアの言語、フィリピンのタガログ語とも共通性があるという人もいます。
旧日本語の中に、いろいろな言語が混じって入ってきているということじゃないでしょうか。


A

――そうすると、「日本国」や「日本人」ということを固定観念で安易にいってはいけない、もっと歴史を探究し、綿密に論じなければいけないということになりますね?

吉本 そうです。だから、ナショナリストや保守派たちが「日本国」とか「日本人」とかをいくら強調しても、それは、歴史的にも地理的にも、狭い範囲でいっているだけ≠ニいうことになっちゃうんですよ。たとえば、縄文時代にまでさかのぼるだけでも――そこには、まだわからないことが一杯ありますが、もう少し広い範囲で、「日本国」とか「日本人」とかいったものが見えてくるということがあります。戦後、僕らはそういうことをずっと追究してきたわけですが、それは、
視野を広げることになるんです。そしてまた、大事なことは、過去をさかのぼることが、実は未来を考えることにも通じるということなんです。
 (『私の「戦争論」』P262−P264 1999年9月 ぶんか社)
 ※@とAは、連続した文章です。










 (備 考)

大雑把ではあるけど、「本体は宇宙のビッグバン」からの視野で人類史や人間が話題になり、吉本さんが語っているからここに取り出してみた。現在の科学的な知見があり、現在のところではそれを踏まえてこれ以上は語っても意味がないということで「お猿さん」以前はあんまり語られてこなかったのだと思う。ただし、吉本さんの考えの視野の中ではこのように捉えられている。大きな視野で、大きな流れがわかると思う。





項目ID 項目 論名 形式 所収 出版社 発行日
551 歴史の動因 A 第一章小林よしのり『戦争論』を批判する インタビュー 『私の「戦争論」』 ぶんか社 1999年9月30日

※聞き手 田近伸和

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歴史は、誰の考えや動きで決まっていくのか 大多数の民衆というものを主体に据える理念
項目
1

@

吉本 
歴史ってのは、誰の考えや動きで決まっていくのかといえば、それはやはり、大多数の民衆がどう考え、どう動いたかで決まっていくんです。少数の支配者やエリートたちの考えや動きで決まるものじゃないですよ。だから、大多数の民衆というものを主体に据えない理念はダメなんです。共産党なんか、いつも自分たちが「前衛」でエリートだと思っているからダメなんです。100万人単位の日本の民衆が兵隊として死んだ。それを、「無駄死にだった」とか、「戦争の犠牲者にすぎない」とかいっている共産党や戦後左翼に、「民衆の解放」を口にする資格なんかないですよ。
 (『私の「戦争論」』P39 吉本隆明 ぶんか社 1999年9月)









 (備 考)

 ※ 最初、この項目は一つのつもりだったが、関係する文章をここに載せきるのは難しそうなので、二つに分けた。1980年の『世界認識の方法』の頃の考え(項目552歴史の動因 @)と それから約20年後の1999年の『私の「戦争論」』や1998年の『アフリカ的段階について―史観の拡張』の頃の考え(本項目551歴史の動因 A)とを見比べることができるようにした。約20年前の方が、フーコーとの対論もあり、より細かに詳しく考察されているようにも見える。わたしが当時読んだ印象が微かに思い起こされた。吉本さんの晩年は、簡単な捉え方のように見えて、その〈歴史〉概念には過去の細かな考察が内包されているはずである。


吉本さんの「歴史ってのは、誰の考えや動きで決まっていくのかといえば、それはやはり、大多数の民衆がどう考え、どう動いたかで決まっていくんです。」という言葉には、註が必要だと思う。社会の主人公は、上から降りてくる政治や政策がどうあろうと、大多数の
民衆であり、かれらが社会を担い支えているのは確かである。しかし、社会の上層の政治権力の方が軍事力に支えられて強力な行政の執行力を持っているから、「大多数の民衆がどう考え、どう動いたか」を歴史の主流と見なせば、その主流は潜在的で紆余曲折を強いられているはずである。言い換えると、現在でもなお、わたしたち普通の民衆が社会の真の主人公に公然とはなり得ていないと言うことを意味している。このことを踏まえているのが、この末尾に引用した、「歴史は外在(文明)史と内在(精神)史との二重性と、そのずれ、乖離によって総合される。」という言葉かもしれない。

このことはまた、吉本さんが生み出した概念と思われる「歴史の無意識」(「言葉の吉本隆明@」 項目186 歴史の無意識)ということとも関係すると思われる。


このことは(歴史は、人々の意識の総和云々)というように別の所でもいわれていたような気がして、検索してみた。『アフリカ的段階について―史観の拡張』の中の以下の言葉がヒットした。

 歴史という概念は、その時代のその瞬間ごとの人類のすべての人(ヒト)の精神と身体の行動の総和としてはじめて成立する
 (『アフリカ的段階について―史観の拡張』P58 試行社 1998年1月)


だがいちばん素朴にいって、歴史は全人類の一人ずつが何をかんがえ、その瞬間にどう行動したかの総和のことであって、外在(文明)史をどう追尾していったかの総和ではない。
 (『同上』P130-P131 )
 ※ ここでは以下に少し触れるだけだが、上の話の背景として、『母型論』での記述や『「すべてを引き受ける」という思想』(2012年6月20日刊、末尾の茂木健一郎の文章によると、2006年7月から10月の間の対談。)での話とも関わる、本文中の、「歴史という概念」、「外在(文明)史」、「内在(精神)史」の関わりの問題がある、要注意。

歴史は外在(文明)史と内在(精神)史との二重性と、そのずれ、乖離によって総合される。そして歴史の外在(文明)史的な未来を考察することが、同時に内在(精神)史的な過去を解明することと同義である方法だけが、世界史の哲学や分類の原理となりうる。
 (『同上』P131 )





項目ID 項目 論名 形式 所収 出版社 発行日
552 歴史の動因 @ 『世界認識の方法』 対談・インタビュー 中央公論社 昭和55年6月10日(1980年)

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諸個人の意志と実行の現れの総和 歴史の展開は偶然にしか左右されないという考え方には疑問の余地があるようにおもう 言語という次元の問題が介在する。  〈対象〉自体と人間が対象としたときのその〈対象〉とは、まるでちがうものだということを現象学は発見 〈疎外〉と〈否定の否定〉
項目
1

@

吉本 たぶん諸個人の意志と実行の現れの総和が、必ずしも歴史のなかでは、社会の動向をきめていくように表れてこない。あたかも歴史は、いつでも偶然のように、または理念の失敗のように出てくるのはなぜか。歴史が諸個人の意志とは何ら関係のないように出てくるという問題は、マルクス主義よりももっと先まで詰められるべき余地ある問題のようにおもえるのです。そこで諸個人の意志の総和なかには、ヘーゲル的な言い方をすれば、道徳も実践的な倫理も入ってきます。その問題を全部捨象してただ全体の意志、階級的な意志というところに集約してもっていったところに、哲学の不適応の問題が生じているんじゃないか。権力に坐している諸個人の意志の総和と、全体の権力として出てくる意志とが、まったく別なものとして出てきてしまっているところに問題があるんじゃないか。それは原則として詰めていけば、もう少し詰められるんじゃないか。もう少しぼくの考えで申しますと、歴史の展開は偶然にしか左右されないという考え方には疑問の余地があるようにおもうのです。
 それはどういうことかといいますと、偶然というものが無数に積み重なり組み上げられて必然が出てきているということであるし、また偶然という要素は必ずそのなかに必然という要素が見出されるとしますと、歴史はその偶然に支配されるか、あるいは必然に支配されるかというような問題に対しては偶然の積み重なりがどこかでその必然に転化していくその境界と範囲が確定されるならば、まだまだフーコーさんのおっしゃるように政治を貧困にするものとして始末してしまわなくて、マルクスの思想及び歴史的な予言は生きさせることができるんじゃないかとぼくはかんがえます。
 ですから、
たとえばニーチェが歴史は偶然にしか左右されない、必然もなければ原因と結果の連鎖もない、つまり、因果性もないというようにきめつけている問題はぼくには、そう簡単に受けいれられないところがあります。ニーチェは偶然と必然との関連の詰めがまだ粗雑だった。そこは直感に支配された。あるいはむしろ感性的な問題に支配されていたんじゃないかとおもわれます。そこの問題はもう少し詰めていくということで、まだマルクスの思想は、生きた現実の政治のモデルたり得るとかんがえているのです。そこの偶然と必然の問題ですね。フーコーさんの書かれたものからも、歴史の偶然と必然の関係、つまり偶然の積み重なりが必然に転化していくその境界の問題、あるいはその範囲の問題、領域の問題については、もう少し詰めて語られる必要があるんじゃないかとかんがえるので、そこの点が一つ質問したい点なんです。
 (『世界認識の方法』「世界認識の方法」P30-P32 1980年6月)
 ※この引用の後、ヘーゲル−マルクスに関わる意志論の問題、その意志論の追求としての『共同幻想論』の話題が続く。


A

吉本 歴史のなかでしか主体は存在しない、歴史を動かすのは主体だということ、それから歴史とはいずれにせよ個人の意思を超えたもので、国家とか民族とか市民社会とか、ある共同の組織あるいは集団というもののなかで展開されるものであるという概念があります。その二つを一緒にして、いいやすいように喋ってみます。
 
エンゲルスがいっているんですが、〈歴史とは何か〉はきわめて簡単なことで、たとえば百人の人物がいるとすれば、百人の人物がそれぞれの意志と、それぞれの目的と、それぞれの感情とで、それぞれある時間をとるとバラバラに、ある行為をしている。その行為の総和が歴史として形成されるはずだということです。そのことは確実なことでしょう。しかし実際には百人百様の主体の意志と行為の算術的な総和が歴史として確実に結集するかといえば、そういうことにはなっていきません。すべての人間が、それぞれの意志で、それぞれ個々の主体的な事情によって行動している。そのことの算術的な総和がとりにくいから歴史はその総和通り具現しないということではない。そういう意味の誤差はあまり重要ではないとかんがえられています。百人の個人の主体的な意志は全部わかっている、世界中に存在するここの主体の意志と行動とそのありさまは全部わかっていたとしても、その総和として歴史は具現されないということが問題なんだ。エンゲルスはたぶんそういうふうに整理しています。
 どうしてそういうことになってしまうか。それは根本的には、人間の自由意志が掴まえにくいということに帰着するのでしょう。もう一つは個々の主体の集合である、民族とか国家とか、そういう共同意志は必ずしも個々の意志の算術的な総和ではない、別の面がでてくる。そのことが問題だろう、ということだとおもいます。
 
これから先はぼくのエンゲルスにたいする疑問を混えますが、国家とか民族、階級、そういうものの共同意志は、そのときどきの歴史を動かす主要な契機になるんだとエンゲルスは要約しました。しかしニーチェや構造主義の人たちの考えでは、そんな概念自体が成り立っているのは具体的な歴史のなかにおいてではなくて、記述された歴史、記述を経たところの歴史概念というもののなかでしかいえないことなんだ、ということです。ぼくもそのほうが正しいような気がします。ここをぼくなりの問題意識で要約してしまえば、ヘーゲルもマルクスもあるいは、ヘーゲルとマルクスを整理したエンゲルスもそうですけれども、弁証法的認識自体が、現実の世界に成り立つものなのか、概念の表現世界に成り立つものなのか、そのことが本当につき詰められていなかったんじゃないかとおもうんです。そこのところに言語という次元の問題が介在するとぼくは理解しています。古典時代には現実の次元で成り立つというふうにおおざっぱにエンゲルスが整理したところが現在問題として露出して、本当はそこをよくよく精密に考察しなくてはいけなくなっています。
 (『同上』「歴史・国家・人間」P71-P73)


B

吉本 これをエンゲルスが提起した課題に沿っていえば、歴史には必然性の概念が成り立つかということだとおもいます。ヘーゲルの世界把握では、極度に偶然的なものそれ自体がもう必然だという考え方です。これはマルクスもエンゲルスもおなじなんで、極度に必然的なものは、無数の偶然を内包しているという把握です。弁証法的思考の基盤は、ぼくの考えでは、もし歴史が個々の人間の主体的な意志とか行動とかによって決せられない要因として極端に展開していけば、それ自体が法則性に転化するということだとおもいます。エンゲルスはあきらかにそういういい方をしています。
個々の意志の総和が歴史に具現されない、あるいは人間が共同の意志で計画的にこうしたということが、計画通りにならなくて、偶然性によって全部、混乱するようなことが歴史のなかにはあるのですが、極度に混乱していった果てに、その偶然性は必ず一定の法則性を現すんだという納得の仕方が、弁証法の根底にはあるのではないでしょうか。ここで、エンゲルスやエンゲルスを祖述した〈マルクス主義〉が楽天的になった根本原因があるとおもいます。この根本的なところで世界把握の方法としての弁証法的思考は、概念の次元で有効なのか、現実の事象の把握たりうるのかについては、もう少しさきへつき詰め、疑問としなくてはならないのでしょう。そこのところが混乱しているために、歴史における主体の役割、つまり個人の役割とかあるいは共同意志の役割の評価が混乱したり、楽天的な形で流通してしまいました。
 
そこまで煮つめたところで、歴史を動かすのは主体の意志の総和であるかもしれない。また個人を超えた共同の、ある国家とか民族、階級、そういうものの総和の意志がある度合いで歴史を動かす要素かもしれない。そういう考え方自体は、いまでも固執したいところです。
 (『同上』「歴史・国家・人間」P73-P74)


C

吉本 〈歴史〉をあつかうばあい、ヘーゲルはまず、――ぼくもそうですが――〈無限者〉〈普遍者〉といった理念の側から現実の方へたどってゆきます。そして〈歴史〉が時代を超えて実現されていく過程は、普遍的な世界理念が実現されていく過程だとみなされています。これは、人間の現実世界での活動の積み重ねが〈歴史〉だという考え方と逆で、〈普遍者〉あるいは理念の側から人間の現実世界での活動をみていくことです。別のいい方をすれば人間の〈歴史〉は理念が実現されてゆく過程で、理念の実現のために逆に具体的な人間の活動がある、というようにかんがえることを意味します。この考え方自体が観念的であるかどうかが問題なのではありません。
理念と現実の分離のさせ方が問題なのです。マルクスはこの分離のさせ方、したがって分離の棄却の予想をヘーゲルにおける〈疎外〉の概念だとみなしました。ぼくはそう解釈しています。
 この考え方のなかでなにが重要なのかといえばただ一つ、人間の理念がえがく〈歴史〉と現実の人間の具体的な活動の結果とはどうして食いちがうのか、そこのところにあるとおもいます。そこをヘーゲルはどう捉えているかというと、
食いちがうこと自体が〈疎外〉であり、同時に、その〈疎外〉自体が〈疎外〉を止揚する原動力となり、食いちがっている理念と現実の活動を結びつけているとかんがえます。ここからは〈疎外〉は常態の概念を意味しています。〈歴史〉がじぶんを〈疎外〉として実現することは必然的な常態の概念なのです。この〈疎外〉は同時にその打ち消し、つまり〈歴史〉の消去として存在しています。
 ヘーゲルは〈世界理念〉の実現を〈歴史〉の本来的な過程とみなしていますから、この常態の持続こそが〈歴史〉の過程だということですんでしまいます。
 マルクスはそれですますことができずにそこのところで、理念として描かれる〈歴史〉と現実世界での人間のさまざまな活動の結果のあいだにある分離を結びつけている構造は何かをかんがえました。そしてマルクスの眼の位置からヘーゲルを眺めてみると――ここがマルクスのヘーゲル解釈のいちばんの要めだとおもいますが――、ここに介在する構造が
〈否定の否定〉だということに気づいたのだとおもいます。
 人間の現実世界でのさまざまな活動は、実現されるはずの〈歴史〉の理念を〈自己疎外〉します。あるいはその活動と理念のあいだに分裂が生じます。この分裂した理念と現実とが〈否定の否定〉という関係で結びつけられています。マルクスはそう理解することでヘーゲルの〈歴史〉の理念はそのまま生きることができるとかんがえたとおもいます。ヘーゲルが〈理念的なものは現実的なものだ〉、あるいは〈現実的なものは必ず理念的なものだ〉とかんがえた場合の
理念と現実とを結びつけている自己同一性は、マルクスによれば〈否定の否定〉なのです。
 (『同上』「表現概念としての〈疎外〉」P121−P122)


D
吉本 そこ(引用者註.マルクスの〈法則〉といったものについて)はマルクスの理解の仕方のうえで、いちばん問題になるとおもっているところです。〈歴史〉の展開についてマルクスがはっきり言及していて〈マルクス主義〉者であるなしを問わず
誰もが認めざるをえぬことは、たったひとつしかないとおもいます。
 それはなにかというと〈歴史〉は理念でも予想図でも予言でもない―そういう言葉は使っていませんが意味はおなじです―〈歴史〉は、すべての―「選ばれた」、ではなくて、
すべての―人間の現実世界での具体的活動の総和だということです。
 
ヘーゲルの〈歴史〉の理念は、点のつまり〈発生〉の理念として成り立ちます。そしてすべての人間の現実的な活動の総和が〈歴史〉だ―マルクスのなかで万人に認められるのはこれだけで、あとは個々の立場からの理念と解釈になってしまいますね。
 そこでもうすこし詳しくいいますと、市民社会の経済社会構成の部分だけは、自然科学とおなじように〈自然史〉
(註.1)的に扱えるとマルクスはかんがえました。そうしますと〈歴史〉は経済社会だけで成り立っているものではありませんから、さきほどの〈歴史〉の定義とあわせるとひとつしか答えはでてこないはずです。
 もしすべての人間が、社会の経済カテゴリーだけは〈自然史〉的だという意識あるいは意志によって、すべての現実的活動を行なえば〈歴史〉は、すべての人々の意志通りに展開するでしょう。―マルクスがいっていることはそれだけのことで、それ以上のことはいっていない。ぼくの理解ではそうなるのです。
 政治的領域―つまり共同の〈幻想〉領域―で、すべての人間が〈歴史はかくあるべきだ〉という意志と自覚で行動しても、実際には〈歴史〉はその通りには展開しないことははじめから自明のことです。けれどエンゲルスはそういうふうに整理してしまっています。だから、〈歴史〉はけっして予言できないし、マルクスはけっして予言的ではないのです。ただ経済カテゴリーだけは〈自然史〉的に扱えるといっているので、それも過去を検討してのことであって、未来に適応しうるためには、すべての人間の活動がそれに自覚的でなければ、理念どおりにゆくはずがないということです。
マルクスはそれ以上のことをいっていません。だから未来という概念についても、コミュニズムの理念が対面するとすれば、たえず現在を止揚する運動としてだけ成り立つといういい方をしています。それ以外のことはマルクスは具体的に未来について言及していないとおもいます。理念からするかくあるべき構図の粗描は明晰にありますが。
 (『同上』「表現概念としての〈疎外〉」P135−P137)


E

吉本 
ただもうひとつ現在、問題になることがあるとおもいます。現象学的な理念が出現してから以後に気づかれたことです。フッサールやハイデッガー自体そうですし、その影響を受けたサルトルやメルロ=ポンティでもそうなのですが、マルクスが意識しないですんだことで、じつはほんとうは意識しなければ誤差を生ずるという問題が生みだされてしまったことだとおもいます。それは現代では、人間が現実から膜のように隔てられてしまったという自意識の繰込みに関係があることです。
 それは、理念として描かれる現実世界のなかで、行為や実践と具体的な実践の現実そのもののあいだには亀裂があるという意識の問題であり、また人間が、現実に働きかけるということと働きかけた具体性とはちがうということです。
 つまりフッサールのようにいえば、
事実と人間がそれを感覚的に受容することの間には誤差が成り立ちうるということです。どういう誤差かといえば、外界の事物は、これに働きかける場合、ある視点からの〈射影〉をつうじてしか働きかけられないのだけれども、事物そのものは一つの永続性をもって自体で存在している、そういう存在性があるということです。
 ところが意識・観念あるいは幻想性を対象としていえば、「幻想性を対象とすること」と「対象の幻想性」というものは、おなじではないということだとおもうのです。メルロ=ポンティこれを〈物〉としての存在と〈意識〉としての存在との間にはジレンマがあるというように説明しています。
 この問題に〈気づき〉ますと、マルクスの〈自然〉哲学の〈自然〉理念と、具体的な自然とは次元のズレを生じることになってしまいます。つまり、人間の思惟のなかに登場する現実性・具体性というものと、具体性そのものとは、おなじとみなされて済んできましたが、実はちがうということを繰り込まなければならないことになるのです。
 そうかんがえますと、さきほど申しあげたマルクスの確実に認めうる〈歴史〉観 ――経済カテゴリーだけは〈自然史(註.1)的に扱えるということと、すべて人間の現実的具体的活動がそこに意志的に集約するなら〈歴史〉は意志的に変わりうる―― は、そのままでは通用しなくなります。つまりある対象的なことがらを〈自然史〉として扱うということは、対象が〈自然〉そのままであるということと、人間がそれに働きかけて対象とすることによってそれを〈歴史〉とするという考え方の両方が含まれていますが、そのことと〈自然〉は人間が働きかけなくてもそれ自体で展開していくものだということとは、別の意味だということがしだいにわかってきたのです。
〈対象〉自体と人間が対象としたときのその〈対象〉とは、まるでちがうものだということを現象学は発見したのです。それ以後、思想は大なり小なりそれを考慮にいれなくては、マルクスを受けいれることができなくなってしまいました。
 現象学の理念を受けいれた以後の、哲学史上のマルクスの後継者――サルトルやメルロ=ポンティはそういう存在であるとぼくは理解していますが――は、人間の具体的現実活動というとき、その理念とともに存在概念をも受けいれるほかなくなってしまったととおもいます。
だからマルクスのなかでは、初期の〈自己疎外〉概念しか受けいれられないことになるのです。もはや〈実践〉とか〈歴史への働きかけ〉という概念と、現実の存在とをおなじだとみなすことはできませんから、〈自己疎外〉概念だけが哲学の普遍概念として、つまり政治的党派性なしに、生きられますが〈歴史〉のもつ予言的な性格、つまり予測としての可測性といった概念には、いちように否定的な註をつけることになりました。
 (『同上』「表現概念としての〈疎外〉」P137−P140)


F

吉本 現実的な〈歴史〉にはマルクスが〈自然史〉の延長としてあつかいうるとかんがえた領域があります。エンゲルスはその領域を無際限に拡大してしまいました。また〈歴史〉にはここでぼくが〈幻想〉領域はそれ自体として独立にあつかいうるとみなしてきた領域があります。そしてもうひとつ、マルクスが〈自然史〉的にあつかいうるとかんがえた領域とここでいう〈幻想〉領域とが錯合して不可分とみなされる領域があると想定することができます。
 
これらそれぞれの領域はそれぞれに固有な、そして異なった了解の仕方の時間性を要求されるとおもいます。そして〈歴史〉という概念は、これらの異なった領域を統一性のところで成り立たせているものだとおもいます。その場所が可能か、可能だとすれば人間はそのときどこに立っているべきなのか、それは絶えず緊張と破裂を要求されるほどきつい場所なのか、それとも安堵と〈自然〉さを、また怠惰とデカダンスを包括できるものなのかを見つけてゆくことが〈歴史〉の課題ではないでしょうか。
 (『同上』「表現概念としての〈疎外〉」P169)
 ※AとB、DとEは、各々連続した文章です。
 ※ これは本書の末尾の文章です。













 (備 考)

(註.1) 少しわかりにくいので、〈自然史〉という概念について。以下と合わせて「自然科学とおなじように」ということ。
「マルクスの〈転回〉とは、市民社会の経済的カテゴリーが、〈自然史〉とおなじように、つまり人類が発生する以前の段階からの自然の歴史とおなじに扱えるとマルクスがかんがえるようになり、その科学的分析は可能だし、重要だとみなすようになった、そのことを指しているようにおもいます。」(『同上』「表現概念としての〈疎外〉」P132)


『世界認識の方法』は、その死に際して吉本さんが「現存する世界最大の思想家の死であった」と述べたフーコーとの対話、があり、ヘーゲル−マルクス、エンゲルスから現象学の〈歴史〉概念が検討、吟味されている。できるだけその流れの中心を浮かび上がらせようとして、長くなった。


Dによると、前回の項目551「歴史の動因 A」の「備考」に引用した「歴史という概念は、その時代のその瞬間ごとの人類のすべての人(ヒト)の精神と身体の行動の総和としてはじめて成立する」(『アフリカ的段階について―史観の拡張』P58 試行社 1998年1月)という吉本さんの言葉は、マルクスを受け継いでいるということがわかる。


Eで現象学が登場してから新たにわかったことの問題は、物理学の量子世界そのものの有り様とそれを対象として捉えようとするとき問題となるハイゼンベルクの「不確定性原理」と対応しているように見える。





項目ID 項目 論名 形式 所収 出版社 発行日
559 歴史理解 「日本の歴史ブームをめぐって」 インタビュー 『吉本隆明資料集178』 猫々堂 2018.9.10

 「日本の歴史ブームをめぐって」 (インタビュー 2000年11月18日。 『吉本隆明が語る戦後55年』第2巻 2001.2.5 所収)

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本当はどうでもいい些末な問題 制度のつくり方や類型を求めていくこと 僕は共同幻想的な部分しか重要だと考えないところがある 遺伝子考古学の問題点
項目
1

@

吉本 ルーツを知るところまでいかなくたって、過去についてわかってくるほど、普遍化すれば、先の見通しは当然よくなりますから、その意味では歴史の本が広く読まれることは歓迎すべきことでしょう。ただ、うかうかすると
本当はどうでもいい些末な問題にとらわれて、あんまり意味のないルーツ探しをしたりすることにもなります。
 たとえば邪馬台国はどこにあったかという問題なんかもそうですね。これには諸説あって、大きく分ければ、近畿地方大和説と北九州説があります。
しかし場所の特定を問題視するよりも、邪馬台国はどういう制度をとっていたかという問題のほうがずっと重要だと思います。
 制度は目に見えにくいものですから、各方面から傍証的に固めていって、「こういう制度ならば日本では古墳時代以前の原始時代だ」とか「中国なら何々時代だ」とか見ていくことを、僕なんかは重要な問題と考えるんで、邪馬台国がどこにあったかという問題はあまり重要ではないと思うわけです。
 
天皇家はどこから来たかという問題も、どこから来たっていいわけでしょう。天から降ってきたわけでもないし、地域も広くとれば、この辺以外にないことくらいは歴史からわかります。さも重大そうに考える考古学者や古典学者はいますが、僕らはたいした意味はないと思っています。それよりも、政治と宗教の両方の権力をかねそなえた王権で、村里の拝み屋さんと制度的につなげていっているようなタイプと近いんじゃないかというように、制度のつくり方や類型を求めていくことのほうが重要なことだと思います。
 
目に見えるところとか、実証的だと見えるようなところでしか問題にしないような歴史理解では困っちゃうんです。僕は共同幻想的な部分しか重要だと考えないところがありますから、よけいそういう見方は危険じゃないかと気になります。
 また、遺伝子考古学のような科学的な歴史理解の危険性も感じます。同じDNAでも、内陸から渡ってきて住み着いた人もいるだろうし、インドネシアやオーストラリアに近い島まで行って、そのあと黒潮に乗ってたまたま日本に辿り着いたという人もいるわけでしょう?
その経路は血液を調べただけではわかりませんよ。あの分野の研究者たちが述べていることをみていると、変な間違い方をしてますね。つまり、科学的には同じDNAだから、同じように最短距離で渡ってきたのだと考えたら、それは違うことになりますね。
 そういう間違いにさえ気をつければ、日本のルーツを知りたいという動きは非常にいいことだと思いますね。

 (「日本の歴史ブームをめぐって」P22−P23『吉本隆明資料集178』猫々堂)












 (備 考)


ところで、邪馬台国関連で言えば、古田武彦がいる。実証的な方法で古代周辺を追究した古田武彦の本は、推理小説を読むように何冊も読み、楽しませてもらった。その中には「九州王朝説」や邪馬台国に触れたものもあった。中国のいろんな資料を読み解きながらていねいにたどっていたように思う。昔の天皇の記述で年齢があり得ないような百何十歳というのも、昔は一年を二つに分けて二年とする暦法、すなわち二倍年暦を採っていたからだなど、興味深いことを披露していた。「推理小説を読むように」と書いたのは、その膨大な実証手続きにはとてもじゃないが付き合う余裕はなかったからである。

ところで、『吉本隆明資料集』によって古田武彦は吉本さんと対談していることを近年になって知った。わたしは吉本さん経由ではなく古田武彦の諸著作を読み始めた。たぶん、はじめは親鸞論(『わたしひとりの親鸞』徳間文庫)だったと思う。以下に、その対談「日本語を遡行する」 (1991年6月9日)から少し引用する。吉本さんの古田武彦評価がわかると思う。


吉本 日本人の自然観とか、世界観とか、そういうものがどうしてもわかりにくい、近代西欧的認識の仕方からどうしても納得しがたいなあということがあったら、日本語のわからなさ、日本人の人種的なわからなさということと対応関係にあるようにおもいます。それを追求していくことが重要なんじゃないかと考えました。そして、できるかぎり先輩方のやられた仕事を整理して通則が見つけられるならそれを見つけて、それを遡っていく武器にするやり方をしていきたいです。
 日本列島全体のまあたぶん三分の二ぐらいは柳田さんは足で歩いておられて、いろいろ方言を実際やられたりした方法は、僕らには生まれ変わらないと取れないでしょうから、四畳半に寝転んでいながら(笑い)、日本人はどこからきたかとか、日本語の古いもんはこうなんだよとか、これでやれば古典語の中でわからないものは解けるよとか、あるいは日本人の考え方はこういうふうにやればいいとかやってみたい気がします。四畳半に寝転びながら、人さまのやられた研究を整理、整頓し、そして自分なりの考え方を少し差し加えながら、いつか日本人はどこからきたかとか、日本語はどこからきたかとか、日本人の考え方はどこからきたかということについて、自分なりの筋道をつけたいなあと思っているわけです。
 古田さんのお仕事に関心を持っているのは、僕なりにいつかやってみたいことを、とても先にこうやっておられるので、そういうことで関心を持っているわけです。それで僕の持っている問題はまだ何事もできていないのですけれど、そういうやり方を持ちながら、いつかはこう自分なりに何か言えるというところに行ってみたいというのが、僕なんかの問題意識になっているわけです。



吉本 いつか古田さんのやられたことを本気で追いかけて研究してぜひともやってみたいと思うのです。いま僕、やっていることがあるんです。(註.1)とうていそこまで手が伸ばせないんですけど、それは言語というものを僕やったことがあるんですが、文字ができてからの文学、文学というのは文字ができてからのことですが、文字ができてからの言語の問題については、少なくとも系統的にやったことがあるんですが、文字以前の言語ということに関する理論といいましょうか、文字以前の日本語の追求というのと、言語について文字がない言語、聞き言葉だけ、耳言葉だけの言語理論と一緒にやりたいというのは、同時に、両方が同時に解けちゃうという解け方というのがないだろうかという問題意識で、いま少しやって書いておるんです。それが一通りできましたら、僕、古田さんの仕事をそれこそノートを取りながら追求して調べてみたいと思っているんで、宿題にさせていただき、ぜひこの続きをやらせていただきたいと思っています。
 (「日本語を遡行する」 P110-P111,P113 『吉本隆明資料集118』所収 猫々堂 2012年9月10日)

(註.1)
「いま僕、やっていることがあるんです」というのは、時期と内容からして『母型論』(1995年)のことだろうか。その本の巻末の「初出一覧」によると、初めの「母型論」の章は一九九一年五月号に掲載とある。そしてこの対談「日本語を遡行する」は1991年6月9日に行われている。





項目ID 項目 論名 形式 所収 出版社 発行日
592 歴史の無意識 A 「わが歴史論 ─ 柳田国男と日本人」他 講演 『柳田国男論集成』 JICC出版局 1990.11.1

関連項目 「言葉の吉本隆明 @」項目186 「歴史の無意識」

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天皇の制度的な起源とそれ以前とはどんなふうにつながっていたのか、という僕らの関心 農民と天皇が上下につながっているという考え方 自然にまかせるというやり方、あるいは歴史の無意識にまかせるということ 歴史の無意識段階が生み出した概念
項目
1

@

 そのあたりのところで(引用者註。直前の「そういう『山人』たちを日本列島に稲の作り方をもってやってきた人より以前にいた人たちだと柳田国男はかんがえたわけです。」を受けて)、
天皇の制度的な起源とそれ以前とはどんなふうにつながっていたのか、という僕らの関心は、すぐに柳田国男の問題と接触していくことがわかります。戦争中に流行した考え方に、天皇を頭にいただいて、その下にじかに平等な農耕の共同体をつくるのが理想の社会なんだ、という考え方がありました。僕らもたいへんおおきな影響をうけたものです。それで、天皇制を相対化する方法をつくりあげるには農業をやっていた者以外の人たちはどうなったんだろうか、という問題を掘り起こせばいいんじゃないか。そうすれば、農民と天皇が上下につながっているという考え方はこわせるんじゃないか、とかんがえられたわけです。柳田国男の民俗学への関心は山の人たち、つまり農耕をやっている者でない人たちにたいする関心からはじまったものです。またある意味ではそれに終始したといえるものです。だから柳田国男の関心とすぐにつながっていく問題がでてくるとかんがえられました。


A

 旧憲法の絶対的な天皇から新憲法の相対的な天皇へ、いいかえれば神聖で侵すべからずの天皇から、人間天皇へ考えを転換させるには、いわば
自然にまかせるというやり方があります。あるいは歴史の無意識にまかせるということです。つまり、日本の社会が高度な産業社会に転換していけば、天皇や天皇制にたいする親愛感も反発感も、特殊な日本的なあり方としてひとりでに薄らぎ、解消していってしまうんじゃないか。だからこの場合は文明の成り行き、歴史の成り行きにまかせれば、かならず、天皇の問題は相対化されていくとかんがえることができます。
 
僕らがかんがえを構築してゆくよりは、自然にまかせ、歴史の無意識にまかせて、日本が高度な産業社会の仲間いりをしていくにつれて、天皇に対する特殊な考え方、特殊な親愛感とか、特殊な反発の仕方が解消していくのはたしかです。もしかすると、僕らがかんがえてやってることは全部無駄で、そういう歴史の自然にまかせておくことがいちばんいいやり方なんだというようにおもえるわけです。そうしますと、いま申し上げた三つの方法で、絶対的な天皇から相対的な天皇制、神聖天皇から人間天皇へという戦後の移り行きは意識のうえでもらくに成し遂げられるにちがいありません。つまり、これらを内側から解明していけばじぶんなりに納得しながらいけるんじゃないか、とかんがえられたわけです。今日は柳田国男のやりました業績と関わりの深いところで、この問題の一部を申し上げてみたいとおもいます。(P246-P248)
 (「わが歴史論 ─ 柳田国男と日本人」 これは1987年7月5日の講演速記に全面的に筆を入れたとある。JICC出版局『柳田国男論集成』所収 1990年)
 (別に「わが歴史論 ─ 柳田国男と日本人をめぐって 」吉本隆明の183講演 FreeArchive【A100】としてネットにこの講演のテキストもある。)


B

 今の「第三次産業」と「第一次・第二次産業」、あるいは「都市」と「農村」、「人工」と「自然」を対立関係にあるとみなしたりする、歴史の無意識段階が生み出した概念は、高次な資本主義社会では通用しない。根底的に組み替えなければ既に無効だ。現に都市に起こっている「像化(イメージ)」と「異化」の類型は、このことの兆候をなしている。 「対立」に基づく社会の段階を、旧い資本主義と仮定した場合、〈超資本主義〉社会の顕著な特徴は、「包括性」あるいは「全体性」によって表されるに違いないと思う。(P160)
 (「〈超資本主義〉段階の商環境デザイン」1994年 『吉本隆明資料集156』所収 猫々堂)










 (備 考)

吉本さんの天皇制に対するモチーフとしては、

 僕は、ちょうど戦中派にはいる年代です。戦中派というのは何なのか、僕の見方をいってみます。戦争期には、「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」という条項のある旧憲法のもとで青春時代の少なくとも前期をおくりまして、敗戦と一緒に、「天皇は国民統合の象徴」という条項をふくむ新憲法の下で、現在までやってきた世代だとおもいます。つまり、旧憲法と新憲法の二つを、青春の前期と後期の両方にまたがって体験した年代だといえば、いちばんふさわしいんじゃないかとおもいます。「神聖ニシテ侵スヘカラス」というところから「国民統合の象徴」だというところへ敗戦を境にして天皇制の時代は大転換をとげたわけです。じぶんなりに一人前に戦争をかんがえてたつもりでしたから、八月十五日に戦争がおわって、十六日から新憲法の世界へというふうにいきませんでした。ですから旧憲法の「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」という考えを、どんなふうに脱却していったらよいのか、そして新憲法の天皇は「国民統合の象徴」ということと交叉するところをどこでみつけたらよいのか、敗戦後に気持のうえでたいへん苦労しました。
 ですから旧憲法と新憲法を敗戦を境にしたひとつの段落とかんがえますと、僕らはなだらかな線を描きながら、じぶんなりに納得をしながら旧憲法を脱却して、なおなだらかな線を描きながら、じぶんなりに納得をしながら旧憲法を脱却して、なおなだらかに下降しながら、いまも下降線をふんでいるのだとおもいます。

 (「わが歴史論 ─ 柳田国男と日本人」 P244−P245)
 ※ちなみに、この敗戦を境とした断層から分裂を強いられた世代の一人である吉本さんは(生きた心地がしなかった)と何度か語られている。それほどのものを時代や歴史は人に強いたのである。吉本さんは、1924年生まれ、「九州王朝」の存在を主張した古田武彦が1926年生まれ、同じ戦中派である。そして、二人ともこの断層からの生き残りをその思想の大きなモチーフとしていたように思う。



〈歴史の無意識〉の前提としての〈歴史という概念〉については、


 歴史という概念は、その時代のその瞬間ごとの人類のすべての人(ヒト)の精神と身体の行動の総和としてはじめて成立する。モルガンのやっているような、同心円的なつみ重ねの分類の原則は、ほんとは成り立たない。文明状態の人間にも野蛮の下層状態が風俗や習慣として曳きずられているし、どんな過去の瞬間の状態も歴史はかならず存続させているからだ。もうひとつヘーゲルの歴史の哲学が成り立つためにも、モルガンのいう時代の分類の原理が成り立つためにも、人類の文明の外在史と、内在的な精神史が均衡して過不足なく溶け合っている稀な状態を前提としなくてはならない。逆にこの外在と内在の稀な一致の時期を近代と定義してもいいくらいだ。すくなくとも歴史が哲学として成り立ったり、歴史の分類原理を成立させたりできる時期のことを、逆に近代と定義することはできる。歴史を抽象化してもよかった時期が近代であり、それ以前あるいは以後では歴史はある限られた地域と時期に起った出来ごとと、その周辺の状況とみなすか、あるいは無意味なまでに拡散してしまった出来ごとの総体とみなすよりほか成立しえない概念だといえる。現在のわたしたちにとっては、歴史という概念は、ヘーゲルのような世界史の哲学としても成り立たないし、モルガンのような文明の進歩を目安に分類できる原理としても存在しえない。人類の外在的な文明史と内在的な精神史とが過不足なく調和したところで歴史という概念をつくれるような条件は、もうないからだ。(P58L1-P59L3)
 (『アフリカ的段階について―史観の拡張―』吉本隆明 試行社 1998年)


〈歴史の無意識〉に関して、当然の前提として上記の〈歴史という概念〉と関わるが、
Aでは、
「僕らがかんがえを構築してゆくよりは、自然にまかせ、歴史の無意識にまかせて、日本が高度な産業社会の仲間いりをしていくにつれて、天皇に対する特殊な考え方、特殊な親愛感とか、特殊な反発の仕方が解消していくのはたしかです。もしかすると、僕らがかんがえてやってることは全部無駄で、そういう歴史の自然にまかせておくことがいちばんいいやり方なんだというようにおもえるわけです。」
Bでは、
「今の「第三次産業」と「第一次・第二次産業」、あるいは「都市」と「農村」、「人工」と「自然」を対立関係にあるとみなしたりする、歴史の無意識段階が生み出した概念は、高次な資本主義社会では通用しない。根底的に組み替えなければ既に無効だ。」


AよりBの方が新しいが、Bでは「歴史の無意識段階」という「段階」という言葉が使われている。わたしは歴史の意識的な層と人知が簡単には及べない無意識的な層として理解していたが、ちょっと微妙だ。つまり、Bの捉え方なら、人類が「歴史の無意識段階」を離脱すればもう〈歴史の無意識〉的な部分はなくなってしまうようにも取れるからである。Aでは人類の活動の総和としての歴史には無意識的な部分があり、絶えずそこからの発動があるように受け取れる。吉本さんが、〈歴史の無意識〉についてもっと論究しているというわたしの記憶はない。これは、わたしの中で歴史の主流論とも関わることであり、わたしの中での保留としたい。





項目ID 項目 論名 形式 所収 出版社 発行日
673 リアリティの起源ということ 第一日・胎児期一 「ほんとうのこと」の起源 インタビュー 『ハイ・エディプス論』 言叢社 1990.10.25

P36本文の小見出し 事物の現実感の起源と乳胎児期

「本書は、一九八九年六月十五日から十月十八日までの期間に、五日間にわたって吉本邸でおこなったインタビューを
整理し、これにていねいな削除と若干の加筆を施していただき成ったものです。」(島亨「あとがき」より)
※インタビュアー 島亨(言叢社同人)

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胎児期の問題は、絶対的な認識と感性の起源である 〈母との物語〉 恐怖感とか不安感を相当長い期間体験し接触したら、現実を幻覚的に作るようになる 胎内の羊水のなかにいる状態で、自分が感じているものがリアルな感じで、これが胎内からでてきた以降の人間のなかでは、潜在的な形である
項目
1

@

島亨 胎児期の問題について、『心的現象論』のなかで、「絶対的な認識と感性の起源である」ということをおっしゃってますね。物の現実感、事物の持っているリアリティというものの起源ということと、胎児期の関係ということはどうでしょうか。吉本さんは以前に「目の前にあるものの実感が、ある手触りの実感というものが、ほんとはちょっとわからない」ということをおっしゃられたことがあったとおもいますけれど、そういうことと胎児期の問題というのは関係があるのでしょうか。

吉本 はい、確かめたことはほんとはないんです。でも自分の体験だろうとおもっていることに関連して、普遍化していいますと、ほんとならば眼をつぶらなくてもいいところで眼をつぶってしまった体験が、胎児期・乳児期にある持続期間であったとすれば、自分が現実感だと思っているものが、ほんとは現実感じゃなくて、そのまえに眼をつぶっちゃってるんだ。またほんとは物質とはこうなんだとか、物体がここにあるとはこういうことなんだとか、事態がこうなのはこういうことだとか、それがほんとにあるにもかかわらず、もっと手前のところで眼をつぶちゃってて(ママ)、別様に思い込んじゃってる過誤があるんじゃないでしょうか。母親が不安とか恐怖とか、これは思い出したくないといったことがある期間持続的にあって、それを乳胎児期に体験したら――、これが現実感だと思い込んでてもほんとはそうではないんだという誤差が、大なり小なり生ずるんじゃないかな。その体験はさまざまでしょう。また分裂病の人たちが現実感がないのにはさまざまな要因がありましょう。そこに帰着できる体験だけをとれば、乳胎児のときひどいめにあったんだとおもいますね。〈母との物語〉でね。もうなにも見たくない、ただひたすら眼をつぶりたい、眼をつぶり堅くなっていた、そんな体験がある期間持続した、それじゃないでしょうか。分裂病のたいへんな要因だと僕はおもいます。ミンコフスキーのようにいえば、生きた現実との接触感がもてない。これが現実なんだとおもったら全部違う。ほんとうはその手前なんだ。ある現実的なきっかけでふっとそこの世界に入っちゃったら、分裂病の世界に入りますね。恐怖とか不安とかで、もう自分で見るとかその状態を味わうとかいうことはまったくいらない、いやだというような恐怖感とか不安感を相当長い期間体験し接触したら、現実を幻覚的に作るようになる。分裂病患者の自己史はむずかしいですが、丹念に調べていったらかならずあると理解します。分裂病にいたらなくても、これがリアリズムだといって、ちっともリアリズムじゃなかったという体験はだれでも多少なりもっています。その種類もさまざまちがいますけどね。


A

島亨 胎児期なり乳児期についてみると、一次的な環界というのはやはり母親の相同的代理物(ルビ アナロゴン)という性格を持つことになるんでしょうが、そうすると対象的な世界も少なくとも最初はある子宮的な胎内感覚の延長みたいな、いわば触覚的な壁といいますか、何か現実に膜がかかっているといいますか、そういうことになってきますね。とすれば、つまり物質が物質であることは、そういう膜がかかっている物が段々に距離が遠隔化されて、それと物の実在感というものがある種の対応をするというか等距離になっていく。そうだとすればすべて現実に見えるものの前に何か一つの膜があって、つまり、膜の範囲を突き抜けて物が見えるか、時には膜でしか見えないか、あるいは膜に写った歪み方で物が見えているとか、そこのところはどうなんでしょうか。

吉本 三木成夫さんの『胎児の世界』(中公新書)のいい方でも、胎児期に関心をもった他の本でも、胎児期は、まあ十ヵ月ののうち、六ヵ月なら六ヵ月、七ヵ月なら七ヵ月の期間までは、生物史の時間をすばやく通りすぎていることになりますね。通りすぎるまでは、胎内でも未成熟な身体と脳をもって、呼吸もエラ呼吸に近い呼吸のしかたをしながら、しかし母親との刷り込み関係でいえば「食」と母親との「性」の分極化――これは母親との関係における性といっても、母親自体の体内なんだから独立した性とはいえないでしょうが――の体験もいっしょくたにストレートにある。この二つが胎内の六ヵ月くらいはあるということになるんじゃないでしょうか。それ以降は人間の胎児らしくなって、人間らしい感受性もでてきますし、脳も全面的ではないが機能してくる。いうならばぜんぶ人間としてできちゃってる。そんなところで「世界」というリアリズムは何かということになるわけです。リアルとは何かといったら母親の胎内環境しかない。人間らしい感覚のしかたもそこでできるようになる。言葉をいうともうわかるという学者もいますね。しかし、環界は胎内ですから、リアリズムとは胎内の羊水のなかにいる状態で、自分が感じているものがリアルな感じです。これが胎内からでてきた以降の人間のなかで、なくなるとはおもえないですね。たぶんとても潜在的なところでは、それがあります。だから、写真に写ると同じ形象をリアルだということは、まず不可能なんです。胎内での見るということが人間の無意識の感覚に変化を与えちゃっている。見るという過程は感覚的過程で、器官の過程でいえば物理的なものだといえそうなんだけど、見るということが人間の無意識に与えている変化――心の変化といいましょうか――、無意識の変化があるわけで、それがリアルということに入っているのは、とても確実じゃないでしょうか。
 (「ほんとうのこと」の起源 、『ハイ・エディプス論』P36−P39 吉本隆明)
 ※@とAは、ひとつながりの文章です。










 (備 考)

@に、吉本さんの「でも自分の体験だろうとおもっていることに関連して、普遍化していいますと」という言葉がある。いつも感じることだが、なぜほとんど吉本さんだけがこの世界を深く掬い取ってくるのだろうかというわたしの疑問に答えてみる。それは、胎内の大洋期の失墜にもかかわらず、その後自己に凝り固まってヤンキーや精神を病む者や犯罪を犯す道を歩むのではなく、自己を限りなく開く道を歩んだからと言うほかない。そこでは、〈自己欺瞞〉は退けられるべき基本の戒律であった。だから、自己をすなわち世界を捉えるために繰り出される言葉や概念や論理は、今までになく開かれたものとなったのである。こうした吉本さんの心や精神の環境が、いくらか慰撫するするような家族環境や友達環境にあっただろうことも初期の吉本さんの世界をいくらか支えてくれたのかもしれない。


「写真に写ると同じ形象をリアル」だと一般には見なされがちだが、もちろん、そのことも一般性としての〈リアリティ〉に含めてもいいが、ここではわたしたち人間の持つ〈リアリティ〉というものの起源とそれが現在的には潜在して存在するということが語られている。たぶん、胎児期に形成された〈リアリティ〉というものの起源に限らず、その時期に形成された人間的なものの核は、潜在性から絶えず現在に発動されているように思われる。このような吉本さんの認識は、『母型論』を媒介にして、その初期の認識や『言語にとって美とはなにか』の世界からのさらなる深化に当たっている。






項目ID 項目 論名 形式 所収 出版社 発行日
674 リアリティーということ 第一日・胎児期一 「ほんとうのこと」の起源 インタビュー 『ハイ・エディプス論』 言叢社 1990.10.25

関連項目673 「リアリティーの起源」ということ」
P39本文の小見出し 視覚的な受容と了解について

「本書は、一九八九年六月十五日から十月十八日までの期間に、五日間にわたって吉本邸でおこなったインタビューを
整理し、これにていねいな削除と若干の加筆を施していただき成ったものです。」(島亨「あとがき」より)
※インタビュアー 島亨(言叢社同人)

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最近の「見る」理論はもうすこし複雑なようです。 見る姿勢に入ったときも意識した時間、了解した時間としては変わりなくても、無意識のところで見るという姿勢に入ること自体が、もうたいへんな変化を及ぼしているということです。
項目
1

@

島亨 いまの吉本さんのおっしゃっているリアリティということで、物質感がないんじゃないか、わからないというのはいったいどういうことなんでしょうか。あるいは、在るということがわかるということは、いったいどういうことになるんでしょうか。

吉本 僕らが単純に考えてきたのは、見えるということは何なんだということです。見えるということには二つあって、一つは〈受け入れ〉なんだということ。眼の器官がそうできているから、対象にあたった光線のうちすこしでも眼に入ってくる光線があるかぎりこの対象物は見えるわけですね。それでだいたい光線は万遍なく連続的に水のようにこっちへ還ってきていると考えていいわけです。つまりすき間なんかないと考えていいわけですから、この形はこの形として受け入れる。ところで僕が単純に考えたことは〈了解〉ということです。光線をたしかに受け入れたら、もう器官としてこの形がこういうふうに映ったということは終わるわけですが、それを「この形だな」とか、「ここに縁(ふち)があって」とか了解するのはまた別の一種の時間、〈時間化〉という問題なんだと考えました。なぜ同じ物がちがうように見えるかといえば、了解の時間化というところがAとBとを――全面的に全然ちがうことはないんですが――、微差的にちがうように了解させるからだ。そう解してきたんです。最近の「見る」理論はもうすこし複雑なようです。視覚みたいなものが大脳の右半球に、左半球には言葉みたいな機能が関与してはっきりわかれているようにいわれてきたけれど、右脳で言語化してみたり左脳でこれを見てみたりというように、この過程はかなり複雑だということになっています。ほんとうをいうと僕らがかつて考えたことは危なっかしくてしょうがないとおもっています。でも大ざっぱなことをいう時にはそれでもいいんじゃないでしょうか。


A

島亨 そこの了解のしかたにいわば胎児期的な時間性が介在してくる。

吉本 そうです。それからもっといえば、生物の歴史のなかで、視覚がどういう自然の淘汰を受けながら変わってきて、どう過ごしてきたかも含めて、そういう要素が入っているんじゃないでしょうか。最近の分離脳の実験の記事をみたりしてますと、古典的な考えはたいへん危なっかしいなあという感じがします。マルクスなんかのいう「言葉は意識の現実性」だとか「現実の意識」だとかいう考えは、まずだめになってきたなとおもいます。大ざっぱには〈了解〉ということがちがってくるんじゃないかな。そうでなくいえば見る姿勢に入ったときも意識した時間、了解した時間としては変わりなくても、無意識のところで見るという姿勢に入ること自体が、もうたいへんな変化を及ぼしているということです。

島亨 吉本さんが『心的現象論』でいわれた言葉でいえば、〈自己了解〉ということがまず基本に、自己が自己に対して在るというリアリティが、それと向かい合う対象的なリアリティと両方ちょうど相対するものとして了解されるときに、一つの実在感があるということでしょうか。

吉本 そうじゃないでしょうか。そこがけっきょくは自分の身体から身体像をどうこしらえているかということに関連してしまいます。いまのいい方では了解のしかたがたいへんちがってきます。

島亨 それはやはりかなり胎児期的に決定づけられているというふうに・・・・・・。

吉本 ええ、僕はそうおもいます。後天的な要素も入ってきて鏡像を介して自分の身体像を修正したりしています。また認知を介してしている部分もありましょう。膨らんだかたちになっているでしょうが、基本でいえば乳胎児期で大きな条件を受けとっていると理解しますね。
 (「ほんとうのこと」の起源 、『ハイ・エディプス論』P42−P44 吉本隆明)
 ※@とAは、ひとつながりの文章です。










 (備 考)

前回の胎内期をリアリティの起源として、現在のわたしたちが、あるもの・ことを〈対象〉として引き寄せて、見る−わかる時には、そのリアリティの起源によって形成された〈見る−わかる〉の有り様が発動されているということになろうか。しかも、そこには「生物の歴史のなかで、視覚がどういう自然の淘汰を受けながら変わってきて、どう過ごしてきたか」、そういう要素も入っているから、かなり複雑な過程になっている。

これに関連して思うことは、この人間の了解の構造のさらなる深化にしてもそうだが、吉本さんが培ってきた実験化学(科学)的な視線によって基軸を立てて構成した、例えば人間の取り得る自己幻想・対幻想・共同幻想という三幻想の関わり合いの構造も、吉本さん以後の課題としてもっと詰められなければならないだろうと思っている。

おもうに、吉本さんは今までの知の蓄積を踏まえた上であるが、人間の心的・表現的な本質的領域についてひとりで深く切り開いてきた。わたしたちには、それらのさらなる解明はきついきびしいことではあるが、考え続けようとする人々には今までになくすぐれたおくりものであることは間違いない。






項目ID 項目 論名 形式 所収 出版社 発行日
696 恋愛感情の中心点のようなもの 「はじめに」 語り 『超恋愛論』 大和書房 2004.9.15

構成 梯久美子

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恋愛のかたちは変わるけれども、恋愛感情の中心点のようなものは変わらない 恋愛感情の中心点というか、核になる部分というのは、一〇〇〇年や二〇〇〇年では変わるはずがない
項目
1

@

 恋愛は時代によって変わるのだろうかと、編集者から質問されました。
 恋愛のかたちは変わるけれども、恋愛感情の中心点のようなものは変わらない、というのがぼくの考えです。
 人間の精神のうち、変わっていくものは視聴覚系を主とする感覚的な部分だけで、非感覚的な部分は変わらないとぼくは思っています。
 たとえば感覚を補助する道具や感覚を拡大する道具が発達して、遠くにいる相手の顔を見ながら話ができるようになったり、会わなくても電話や電子メールなどでひんぱんにコミュニケーションができたりということがあります。それによって、感覚が鋭敏になったり、感覚の範囲が広くなったりすると、それが関与する部分では恋愛感情も変わるでしょうし、恋愛の形態も変わるでしょう。
 けれども、相手の人を好きになったときの心の状態、さきほど触れたような、寝ていた神経が起き上がるような感じというのは、ずっと変わらないものなのではないでしょうか。
 環境が変わり、男と女の付き合い方が変わったとしても、わけもなくひかれ合い、他人であるにもかかわらず身内よりもぴたりと感覚が合うという根本的な恋の感性は変わらない。万葉集の時代から現代まで、たぶんそれは同じなのではないかと思います。
 恋愛感情の中心点というか、核になる部分というのは、一〇〇〇年や二〇〇〇年では変わるはずがないと思います。
 情報科学の専門家には、世の中が便利になると人間の精神も発達するという人がいますが、それは違うと思います。発達するのは五官の部分、感覚的な部分だけで、心の奥底、中心になる部分は変わらないのではないか、と思います。


A

 けれども、恋愛の形態のほうは、変わっていく。そこには、そのときどきの社会のありかたが関わってきます。 ぼくはこの本の中で、近代から現代に至るまでの日本人の恋愛のかたちには、日本社会における後進性というものが影を落としているという話をしています。
 男と女が立っている地面の下には、伝統とか因習とか昔ながらの家族制度とか、そうした泥沼のようなものがひそんでいます。それを無視したところでは恋愛論は語れないというのがぼくの考えです。
 さきほど述べたように、恋愛というのは、男と女がある距離に中に入ったときに起こる、細胞同士が呼び合うような本来的な出来事で、互いの社会的条件――金があるとかないとか、職業はどうだとか、どんな家族がいるのかなど――は本来何の関係もありません。
 けれどもその恋愛が社会の中でどんなふうに進展していくのか、どういうかたちをとって男と女が生活していくのかを考えたときには、個人としての男、個人としての女だけを見ていてははかり難いところがあります。社会からまったく切り離されたところで二人だけの世界を作って生きていくことはできないわけですから。
 ですから、日が暮れたら誰が夕飯を作るかというようなことを抜きにしては、少なくともこの日本では、どんな恋愛論も成立しないのではないかとぼくは思っています。
 それは、恋愛そのものの本質には何の関係もないことなのですが、恋愛を生活の上に着地させようとしたときには、考えざるを得ない問題です。
「理想の恋愛」を「理想の結婚生活」に着地させようとする試みに、多くの人たちが敗れてきました。その理由とぼくたちが置かれている社会のかかわりを考えることは、決して意味のないことではないと思います。
 (『超恋愛論』吉本隆明 P7−P11 大和書房 2004年9月)
 ※@とAは、連続した文章です。










 (備 考)                          

恋愛の本質とそれが「伝統とか因習とか昔ながらの家族制度とか、そうした泥沼のようなものがひそんで」いる社会という場で実現される時の現実性の問題とが語られている。

わたしがこの文章から思ったのは別のことである。
まず、「人間の精神のうち、変わっていくものは視聴覚系を主とする感覚的な部分だけで、非感覚的な部分は変わらないとぼくは思っています。」とあり、後者の「非感覚的な部分」に「恋愛感情の中心点のようなもの」が対応させられている。これを読んだ時わたしが想起したのは、自己表出と指示表出のことである。現実の中で変わっていく「視聴覚系を主とする感覚的な部分」と変わらない「非感覚的な部分」は、吉本さんが三木成夫の論考を取り入れた後では、前者は五感によるによる感覚に関わり、後者は内臓感覚に関わるということになるだろう。

「恋愛感情の中心点のようなもの」が対応させられている「非感覚的な部分」とは、自己表出に対応すると思われる。


ところで、吉本さんが三木成夫の論考の成果を取り入れた後では、『言語にとって美とはなにか』以来の自己表出と指示表出の概念が少し変わってきているのではないかという思いをわたしは抱いていた。


 わたしがここで想定したいのは、・・・(中略)・・・言語が発生のときから各時代をへて転移する水準の変化ともいうべきもののことだ。
 言語は社会の発展とともに自己表出と指示表出をゆるやかにつよくし、それといっしょに現実の対象の類概念のはんいはしだいにひろがってゆく。ここで、現実の対象ということばは、まったく便宜的なもので、実在の事物にかぎらず行動、事件、感情など、言語にとって対象になるすべてをさしている。こういう想定からは、いくつかのもんだいがひきだされてくる。
 ある時代の言語は、どんな言語でも発生のはじめからつみかさねられたものだ。これが言語を保守的にしている要素だといっていい。こういうつみかさねは、ある時代の人間の意識が、意識発生のときからつみかさねられた強度をもつことに対応している。
 ・・・(中略)・・・ある時代の人間は、意識発生いらいその時代までにつみかさねられた意識水準を、生まれたときに約束されている。これとは反対に、言語はおびただしい時代的な変化をこうむる。こういう変化はその時代の社会のさまざまな関係、そのなかでの個別的な環境と個別的な意識に対応している。この意味で言語は、ある時代の個別的な人間の生存とともにはじまり、死とともに消滅し、またある時代の社会の構造とともにうまれ死滅する側面をもっている。
 (『定本 言語にとって美とはなにかT』P46-P47 吉本隆明 角川選書)



「恋愛感情の中心点というか、核になる部分というのは、一〇〇〇年や二〇〇〇年では変わるはずがないと思います。」と上では語られているが、ここでは、自己表出をゆるやかにつよくし、と述べられている。P47には、「第3図」でそれが図示されている。この引用部には、「ある時代の言語は、どんな言語でも発生のはじめからつみかさねられたものだ。・・・・・・こういうつみかさねは、ある時代の人間の意識が、意識発生のときからつみかさねられた強度をもつことに対応している。」とあるから、自己表出の質的な変化ではなく、「つみかさねられた強度」が違うということなのだろうか。まだ判然としないところである。疑問は疑問のまま考え続けたいと思う。






項目ID 項目 論名 形式 所収 出版社 発行日
704 恋愛の始まり 第1章 「終わらない恋愛」は可能か 語り 『超恋愛論』 大和書房 2004.9.15


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「その人にとっていい人」が絶対的に存在するというのが、恋愛というものなんです。 恋愛というのは、男女がある一定の精神的な距離の圏内に入ったときに、初めて起こる出来事です。 双子のような感覚を、まったくの他人同士の間で感じる。 理想の一夫一婦制
項目
1

@

 社会的にも政治的にも経済的にも、完全に自由に相手を選べるようになれば、一夫一婦制というのは成立するんじゃないか、という話をしましたが、「いや、そうなると特定の人に人気が集中して、結局、多くの人は自分の好きな相手と一緒になれないんじゃないか」という意見があるかもしれません。
 しかし、ぼくはそう思わないんです。
 普遍的に「誰が見てもこの人がいい」というような人なんか、恋愛においてはありえない。「その人にとっていい人」が絶対的に存在するというのが、恋愛というものなんです。
 ただ単に、たくさんの異性にちやほやされるとか、出会いのチャンスが多いとか、そんなのは本質的には恋愛と何の関係もありません。
 つまり、いわゆる「もてる」「もてない」みたいなものは、恋愛において意味がない。
 恋愛というのは、男女がある一定の精神的な距離の圏内に入ったときに、初めて起こる出来事です。最初にぼくが精神的距離感を問題にしたのも、そういうことです。
 その距離の圏内に入ってしまうと、相手に対する世間的な価値判断は、どうでもよくなる。
 金があるとかないとか、素人だとか不美人だとか、うちの親はこの人を気に入ってくれるかどうかとか、そんなことはもう関係ないんです。逆にいえば、そういう状態にならない限り、それは恋愛とはいえない。
 大事なのは、自分にとって好ましいかどうかだけなんです。いわば、自分の細胞が相手とぴったり合うかどうかです。
 (『超恋愛論』P39−P41 吉本隆明 大和書房 2004.9.15)


A

 ぼくがよく女の人は誤解しているよなあと思うことのひとつに、「男は美人を好きになる」というのがあります。
 見た目がきれい、というところから恋心が始まるんじゃないかと思っている人が多いようですが、それは間違っています。ある距離に入ってしまったら、美醜なんて何の関係もない。
 美というものが問題になるのは、俳優さんをテレビで見ている時とか、道ですれ違って「あっ」と思うような時くらいです。
 ぼくなんかも、盛り場などで感じのいい女の人とすれ違って「いいなあ」と思うようなことがあります。ちょっと片思いのような淡い感情を抱いたりする。でも、そんなのはそれ以上発展したりはしません。
 特定の相手とある精神的な距離に入って、なぜその人が自分にとってそんなに好ましいのか、わけがわからないけれども、どうしてもその人でなければならないという気持ちになる。それが恋愛の始まりでしょう。
 さっき、「自分の細胞が相手とぴったり合う」という表現をしましたが、ぼくはよく、それを双子のきょうだいにたとえます。
 うまく説明できないのですが、「遺伝子が似ている」とでもいうのでしょうか、双子のきょうだいが相互にもつ感覚のようなものではないかと思うのです。
 双子のような感覚を、まったくの他人同士の間で感じる。それはやはり、相当稀有な経験だといえるのではないでしょうか。
 だから、いったんそういう人を見つけることができたならば、それはやっぱり長く続くのが本当だよという気がします。一生続くのが本来的なはずじゃないかと思うのです。
 この、細胞同士、遺伝子同士が呼び合うような感じ――もし、すべての人が、それ以外のことは考慮に入れずに相手を選んでいい、それが当然である、という段階まで世の中の環境が進んだならば、理想の一夫一婦制は成立するでしょう、というのがぼくの考えなのです。
 (『同上』P41−P43 )
 ※@とAとは、ひとつながりの文章です。










 (備 考)                          

ある読書の感想と同じく、〈恋愛〉といっても人それぞれの体験の差異があるから〈恋愛〉についての感想や印象も様々だろう。しかし、作品の理解で百回読んで見ると誰もがその作品のモチーフや主なイメージに近づくのではないかと吉本さんが述べたように、ここでの吉本さんの〈恋愛〉についての言葉は、その作品(〈恋愛〉 )の本質理解と同じようなものと言えると思う。つまり、誰もがそうだねと思いそうな言葉になっている。


女の人は苦手だとしばしば述べていた吉本さんの〈恋愛〉についての言葉だが、苦手や不明の方にひきづられることなく、〈恋愛〉の本質をちゃんと言い当てていると思う。なぜ特に吉本さんの言葉は、そのような本質的な言葉を行使することができるのか。このようなことはいつも思うのだけれど、それはなぜだろうか。一つは、女の人は苦手だという思いがあってもその場所に居座ることなく、大多数の人々がそう思うというような言葉の中性領域みたいなところに移行できること、二つ目は、人間の幻想的な振る舞いの全構造についての考察をとことん成し遂げてきたということが、その言葉の手に内在しているからである。






項目ID 項目 論名 形式 所収 出版社 発行日

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1

















 (備 考)                          



























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