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ID 項目 ID 項目
造悪論 127 死と生
市民社会 128 死と生
精神の深さ 129
親鸞 130
11 宗教化していく資質 132
12 身体 133
17 死刑について 134 始源の<言葉>
25 世界思想 137 『初期』の『歌謡』
28 書物 140 <初源>への<姿勢>
29 148 書物
34 政治過程の考察 152 思考
45 「資本論」 153 想像力
46 「資本論」の基本構造 156 左翼の条件
47 重層的な非決定へ 174 死の構造
55 思想 175 死の構造
58 <人間>的な過程にはいった人類 188 <疎外>の概念
61 想像力 189 <疎外>の概念
71 逆立 190 <疎外>の概念
81 情況 191 <疎外>の概念
88 自立という概念 192 <疎外>の概念
89 自立という概念 193 政治運動や社会運動の実践という概念
91 自己疎外という概念 194 <疎外>の概念
95 自立的思想 195 <疎外>の概念
98 戦後詩 196 <疎外>の概念
119 最低限の了解事項 197 <疎外>の概念

198 世界という概念 268 死の問題 334 閾値
199 消費資本主義 269 死がわかるということ 337 児童期
200 死について 271 精神の課題 342 自己イメージ
203 ソ連邦の崩壊 279 深層にあるもの 352 重層的非決定
204 「西欧的」という概念 280 絶対感情 354 消費とは時間と空間がずれた生産
205 「西欧的」という概念 281 情勢判断 355 精神的エイズ
206 「西欧的」という概念 283 自分の仕事 357 純文学
209 善悪についての声 285 戦後詩 363 女性の本質
210 善悪についての声 286 戦後詩 367 死ねば死にっきり
213 思想家の存在の意味 287 戦後詩 371 社会の主人公
226 しゃべり言葉の文体 288 戦後詩 372 消費社会
227 しゃべり言葉の文体 289 戦後詩 373 消費資本主義
229 千石イエス 290 戦後詩 376 消費税
237 想定する読者 291 戦後詩 377 存在倫理について
241 293 十年やる 378 存在倫理について
243 絶対的な価値観 296 酸素水素 381 守備範囲について
245 精神の違法性 303 日本近代詩の百年 382 資本主義の全体的地盤沈下
250 心情と臓器 305 少年犯罪 383 自己相対化の視点
251 精神現象 307 親鸞 389 好きなこと
253 思想的な場所 309 親鸞の言葉 390 十年で一人前
258 精神の豊かさ 312 書物の判断基準 393 世界性
259 所有という概念 316 総合性 402 宗教
261 実感 317 1971,2年 403
265 「死」という場 330 『言語美』、『心的現象論』を
もって自己カウンセリング
406 数百万年の人類の歴史
266 前世・来世 332 人類という絶望的な存在 408 自己表出と指示表出で織られた言葉







項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日
3 造悪論 親鸞の造悪論 講演 95/11/19 宗教の最終のすがた 春秋社 1996/07/20


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オウムーサリン事件による親鸞再考 親鸞の<善悪>観 市民社会を超えようとする意欲
項目
抜粋
1

@

 
このオウムーサリン事件でぼくなりにいろんなことをかんがえましたけど、いまもかんがえてますけど、ぼくが獲得したのは、親鸞は、「善人なほもて往生を遂ぐ、いはんや悪人をや」と言ってるのは一種の逆説で、逆説のほうが通りやすいといいますか、持続しやすいということがあって、どんどん突き進んでいったというふうにかんがえてきました。ところが結論から言いますと、親鸞はもしかすると、逆説じゃなくていまのオウムーサリン事件みたいな問題に現実に直面して、これを肯定してほんとにいいんだろうか、よくないんだろうか、と本気になってかんがえさせられたんじゃないか。そのあげくに、じぶんは造悪というか、悪をすすんでつくる「極悪深重の輩」をじぶんの<善悪>観のなかに包括できるという確信がもてるようになるまでかんがえぬいて、それで「善人なほもて往生を遂ぐ、いはんや悪人をや」ということを言ったんだろうというふうにぼくはかんがえてみました。(P202)


 ぼくの考え方では、親鸞は弟子たちにこういうことを言いだして、ほんとはどうなんだっていったばあいに、悪人とは極悪であればあるほど浄土に近いし、また浄土に遠い。あるいは,浄土に遠いんだけど浄土にいちばん近いと、ある意味では言える。ある意味とはなにかといったら、
市民社会を超えようとする意欲において、浄土にいちばん近いんだといってもいいんだ。そしてじぶんはそれを包括することができる。親鸞はそういうふうにかんがえたんじやないかと、今回の事件を契機にして、ぼくは親鸞の<善悪>観をかんがえてみました。(P203)


 これは現在、現行の法律がオウムーサリン事件を処罰したりして解決するということとぜんぜんちがいます。宗教はそんなもんじゃない。
理念もイデオロギーもそうですけど、現存する社会よりも、よりよい条件はあるのだろうか、あるとしたらどんなのだろうかということを、たえず追求していくことが理念なり、宗教なりの役目であるわけです。そして理念や宗教は再三いうように、迷妄な部分を含んでいるという欠陥をもつにもかかわらず、現在の市民社会を超えようとする意欲をもっている人は、どちらかの道でもって、どこで超えられるかかんがえざるをえないのが現在の社会の現状だとおもいます。このことをオウムの問題は提起しています。(P205)







 (備考)

オウムーサリン事件が、吉本さんに親鸞の読みを再考させている。他者理解、ということは自己理解ということでもあるが、これで到達したぞとはなかなか言えない。








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4 市民社会 インタビュー 宗教の最終のすがた 春秋社 1996/07/20


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日常生活 自分なりの理想の<善悪>とかをイメージとしてこしらえるということで補いをつけている それである瞬間に苦だとおもっても、「苦だけど楽しいこともあるぜ」というところを見つけて、それでやっている。
項目
抜粋
1

@

 もっとじぶんに即していえば、
おれは市民社会の<善悪>のとおりに日常生活をしていて、べつにそれで文句ないですよというふうにじぶんの精神の世界を縮めているといったらおかしいですが、日常化するということもじぶんはしているから生きているんだとおもいますし、また出家もしないんだと思います。
 だけど、たとえば政治家というのはこういうバカなことを言うのかとか、こういうバカな考え方をするのかとか、そういうことをいっぱいかんがえていくと、ほんとにいやになっちゃうということがあるじゃないですか。
そうだったらということで、自分なりの理想の<善悪>とかをイメージとしてこしらえるということで補いをつけていると思うんです。だけど、おれは宗教家ではないから、これはこうだと断言するものをもたないし、また断言することはいいともおもわないから、なんとなくそういうイメージをもっていて、全部苦だとは言わないですんでるみたいなことがあるでしょう。
 もうひとつは、家を超えるという問題があるばあい、ぼくは、家を超えてなにかかんがえるとか、あるいは制度の問題をかんがえるとかいう瞬間はあるけど、大部分の日常生活は家を超えないところでじぶんを抑えているな、それで楽しいかというと、けっこう楽しいことも見つけようと思えばできるしやっているよ、というふうになっている。それですませている。
 ほんとにいやになっちゃったなとおもうときには、なにか理想の制度とかイメージとか、そういうものをじぶんなりにこしらえて、ここのところをこうすればこうなんだけどなとかんがえたり、解釈したり、イメージを浮かべたりしてそれを探している。それで日常をすましているというのが本音じゃないでしょうか。
 だから、じぶんはほんとは向こうへ行くべきなのにこっちへ帰ってきたというところはどこかであるとおもいます。
それである瞬間に苦だとおもっても、「苦だけど楽しいこともあるぜ」というところを見つけて、それでやっている。(P83-84)









(備考)

政治家、学者、社長、小説家、などと呼ばれている人々でも、市民社会の内に日常の生活を持っている。ここでの顔や振る舞いと政治家、学者、社長、小説家などの顔や振る舞いとそれぞれ同一とは限らない。むしろ違うのが普通だろう。わたしたちは個として見たら、個や家族や職業などの違った世界をまるでシームレスであるかのように日々行き来している。ここでは、その行き来する内面に照明が当てられている。








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5 精神の深さ インタビュー 宗教の最終のすがた 春秋社 1996/07/20


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<深さ>という概念 超越的な部分は<深さ>という概念なしには私には理解できないんじゃないか 宗教は<深さ>という概念なしには成り立たない。
項目
抜粋
1

@

 いずれにせよぼくの考えでは、人間を取り巻いている環境とか物とかに精神が働きかけているということが、行動するとか行為するということなんです。そのなかから、もし精神の固有の領域が想定できるならば、現実を立体化することができます。
つまり現実を、物の世界と、それと境を接するようにして、幻想の世界というか精神の世界があるとみなすと、世界が立体的に見える。それを表層と深層、表面と内面と呼んでもいいでしょう。
ぼくらが<深さ>という言葉を使いたいときには、一種の宗教性として使いたいわけです。
物の世界と精神の世界、あるいは観念の世界が築くものとが均衡状態になくて、精神の働きが現実の働きより超越性をもったときに、その超越的な部分は、個人の精神の働きとしても共同的な精神の働きとしても<深さ>という概念をつくるんじゃないかと思いたいわけです。だから、物質的な目に見える世界と、精神の内面性の世界とが均衡を保っているときには、<深さ>という概念は使わなくてもすむんです。しかし、そのうちにそれがある閾値を超えて、さらに精神の作用が不均衡にまで突きつめられていったときには、その超越的な部分は<深さ>という概念なしには私には理解できないんじゃないか。そういう意味で<深さ>の概念を使いたいわけです。
そうすると宗教が典型的ですが、宗教における精神の<深さ>は、不均衡で、不均衡な部分だけ不安定だったり危険であったり病的であったりというところへ、どうしても踏み込んでいかざるをえない部分があります。均衡性を失ってまだ作用を持続していくというところでは、かならず病的になったり、過剰になったり、超越的なったりする。その部分は<深さ>という概念を使わないと解明できない。(P131-132)



項目
抜粋
2

A

 
宗教は<深さ>という概念なしには成り立たない。そういう概念がなかったら宗教でもないし、宗教にはならない。もし宗教によさというのがあれば、そこをどう扱い、どう突き抜けるかという問題に帰するとおもいます。ぼくらは宗教的ではないけれども、<深さ>という概念なしに、宗教はもちろん、文学とか芸術も、心の働きが関与してくる領域は成り立たないとかんがえます。・・・・・・・・・・・<深さ>の概念は均衡概念ではなくて、むしろ均衡が破れる領域に踏み込んでいく概念だと理解します。(P134-135)









 (備考)

吉本さんが、どこかでこれは深いとしか言いようがないとして紹介していたエックハルトの『エックハルト説教集』(岩波文庫)を最近半分ほど読んだ。何でも、どんな風にでも語れるもんだなという思いとともに、これは深いなあという思いを持った。それをうまく説明することは難しい。読んでみればそのことがわかるような説教集である。








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8 親鸞 親鸞の造悪論 講演 宗教の最終のすがた 春秋社 1996/07/20


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組織の出入り口 特にやめ方の問題
項目
抜粋
1

@

 ぼくは親鸞は日本でいちばん好きな宗教思想家です。この人がいちばん優秀だとおもっています。もうひとつの優秀さをいえば、この人は宗教家のくせしてやめ方を知っているんです。関東で布教して、ある年齢に達して、京都に帰っちゃう。京都は本場ですからね。この人は、布教なんかしないで、弟さんの寺に隠居して、なんか聞かれることがあれば答えるみたいなことをしている。要するにやめ方というのを知っているんです。
組織とか集団というのは、入り方、それから出方、やめ方の両方の出入り口がついてないとだめなんです。そこへいきますと、オウム真理教はいっぺんにだめなんですよ。・・・・・・・だから、やめ方と入り方、これがない組織はだめだとおもっているんです。










 (備考)

吉本さんは、親鸞から現在性として、あるいは未来性として生かせることをいろいろ学んできている。この親鸞の「やめ方」に向ける視線もそういうものとしてあるだろうと思う。男女の関係や他者との関係から、集団から抜けていく場合や抜けていく者への視線など、わたしたちの世界がそれらの問題を解決できているとは言いがたい。


吉本さんの親鸞関係の主なものを挙げてみると、

「歎異鈔に就いて」(1947年7月 公表)
『最後の親鸞』(春秋社, 1976年10月)
『未来の親鸞』(春秋社, 1990年10月)
『親鸞復興』(春秋社, 1995年7月)
『今に生きる親鸞』(講談社+α新書, 2001年9月)
『還りのことば―吉本隆明と親鸞という主題』(雲母書房 2006年5月 吉本隆明, 芹沢俊介, 菅瀬融爾 , 今津芳文)
『吉本隆明が語る親鸞』(2012年1月 東京糸井重里事務所)








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11 宗教化していく資質 インタビュー 宗教の最終のすがた 春秋社 1996/07/20


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病的なところが資質のほうからくる 「大洋」期のあり方とのつながる それを超えようとして宗教性がはじまる
項目抜粋
1

@

芹沢 
病的なところが資質のほうからくるということでいいますと、宗教化していく資質は、吉本さんが「母型論」で提出された「大洋」期のあり方とつながっていませんか。

吉本 
密接につながっているとおもいます。つながっているから宿命だという意味じゃなくて、つながっているからきっとなんらかの意味でそれを超えたりしちゃいたいために、宗教性がはじまるかなっていう感じはします。
(P148-P149)


A

文学とか芸術は、聖書的にいえば、
人を漁るということ、つまり人を獲得するということは第二義的になっちゃうんです。じぶんの問題が第一義的にくる。また人を獲得することが目的じゃないから、それをどういうふうに受けとるかということについて、文学、芸術はなにも自己主張はしないとおもうんです。・・・・だけど宗教のばあいには、大なり小なり、じぶんがそういう宗教に入るということは、人も入るということを前提としているということが重要な意味になります。(P150)









 (備考)

「病的なところ」に限らず、わたしたちの身心の現在は、「『大洋』期のあり方」と深いつながりの中にあると思われる。ちょうど、世界の〈現在〉が太古の〈現在〉と深い関わりがあるように。このことを吉本さんは明らかにした。次に問題となるのは、その深いつながりがどのような構造になっていて、危機に際して古層の基底部からどのように病として発動されるかという機構の解明である。








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12 身体 親鸞の造悪論 インタビュー 宗教の最終のすがた 春秋社 1996/07/20


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身体 人間の精神作用 胎児の六、七ヶ月とか、植物神経系の器官がみんな出揃ってから以降の問題はともかく、それ以前の問題はいぜんとして謎だというふうに残っているとおもうんです
項目
抜粋
1

@

●つい数年前に、三木成夫さんの「胎児の世界」(中公新書)や「生命形態学序説」(うぶすな書院)などを読んで、身体というものの成り立ちとか意味とか、一種の身体の時間とかいうことをはじめてわかってきたぞという感じがしたんです。それにもかかわらず、三木さんの理解のなかでほんとはよくわからないなっておもえることがあって、それは生理的にか、肉体的にか、そういう観点で身体をかんがえていくと、
どうしても、身体は一種の宇宙論というか、自然天然の一部分として解消してしまうとおもえるんです。宮沢賢治的な言い方をすれば、人間も自然の一部だというふうな理解の仕方を徹底していきますと、身体は、あるリズムといいましょうか、ある独特な時間の反復を持っている自然物といいましょうか、天然物といいましょうか、そういうものに全部還元されていってしまうというようなことになるような気がするんです。(P153)


●そうすると、それこそ
人間の精神作用は、脳の働きであるといえばいいことになってしまう。そうじゃなくて、人間の精神作用をすくなくとも<深さ>という概念、あるいは病気という概念を包括するようなかたちでかんがえるばあいには、肉体の一部に還元してしまっただけでは、どこかに生臭く残ってしまう気がするんです。そうすると残ってしまうものを宗教は、肉体を離れても来世へもっていけるんだっていう概念にしたいわけでしょう。(P154)


●そうすると、いまぼくらがもっている身体についての概念とか、お医者さんがもっている概念とかは、本格的じゃないんじゃないかという感じが伴うんです。つまり、遺伝子という考え方。専門家がいう遺伝子的な身体の理解は、遺伝子という小人がいっばい集まって身体はできているみたいな、一種の擬人化ですね。次元はちがうんですが、それは未開時代の人がやったのとわりあい似ている。これでは、ほんとの身体はいまの段階ではこうなんだって言いきれないんじゃないか。言いきれない部分を言おうとするとかならず倫理の概念がはさまってきて、解決することをどこかでとめてしまうんです。(P154-P155)


●自分の関心のところでいえば、
胎児の六、七ヶ月とか、植物神経系の器官がみんな出揃ってから以降の問題はともかく、それ以前の問題はいぜんとして謎だというふうに残っているとおもうんです。まだ身体の問題は追求される余地があります。ぼくの問題意識はそうなるんです。(P156)


項目
抜粋
2

A

ぼくは<深さ>という概念は、身体的なものと関連する精神の働きが途絶えた先のところでかんがえる発想のしかたをしてきましたからね。しかし瞑想のなかで身体の存在性は解消するというか、退化している存在としてその身体が瞑想のなかに同化できる状態がありうるというところでかんがえると、身体自体が<深さ>に関連してくる領域がありそうな気がします。ぼくはあまりそこのところをかんがえたことがなくて、身体性と精神の働きの対応性が切れた後のところという概念でやってきましたから、とてもわかりにくいところです。
 しかし
一般論として、西洋的なことでいえば、瞑想性と身体性の融合じゃなくて、外側に文明化していくものをつくりあげながらやってきたわけです。宗教自体はそのなかでどういう位置をとるかということについても、宗教固有の枠組みができているということがあるわけです。東洋のばあいには、身体というのをいかに無意識に消してしまったり、なにかに同化してしまったりということを意識的に何千年もやってきたわけです。だから瞑想(内観)のなかに西洋の文明に該当する東洋に固有の概念が入っていなければならないとおもうんです。それがどういう入り方をしているかというと、その問題がいちばん明晰にあらわれたのがヨーガとか、仏教でいえばとかだとおもいます。さてそれはどういう意味をもつかというと、とてもぼくらにはわかりにくいところですね。(P158)









 (備考)

Aに関しては、未発表だった「ミシェル・フーコーへの手紙」(『吉本隆明全集』第17巻所収 1979年)が関係する文章と思われる。


時々思うことであるが、わたしたちは身心についてもよくわかっていなくても、心臓の拍動のような不随意運動のように身心を働かせている。しかしそれは、わかっているということの半分にしか過ぎないのだろう。わたしたち人間の探求は自然過程に過ぎないけれど、その無意識的な部分では、あと半分の理解によって、無用な対立や誤解などを打ち払いたい、よりよく生きたいという欲求に支えられているのだと思う。








項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日
17 死刑について 時代という現場 1992年12月〜1994年10月
共同通信社配信
わが「転向」 文藝春秋 1995/02/20


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人間は殺害することができる雰囲気に追いこまれたとき、だれもが殺害者になる矛盾した素質をもっている 人間の信仰やイデオロギーの集団は、閉じたまま周囲から追いつめられると仲間どうし殺しあうことになる、これには例外の人間がいるとはおもえない
項目抜粋
1

@

この判決の報道
(註.1)は、わたしにとって、矢負いガモが助かった気分のよさを帳消しにした。そして重たい気分におそわれた。
 理由はさしあたって二つある。ひとつはどんなばあいも死刑に反対だということだ。
人間は殺害することができる雰囲気に追いこまれたとき、だれもが殺害者になる矛盾した素質をもっている。例外の人間などいるとはおもえない。だが死刑というのは雰囲気のないところで死の雰囲気を人工的につくり、死を与えるものだから、残酷このうえないとおもう。
 もう一つの理由は、
人間の信仰やイデオロギーの集団は、閉じたまま周囲から追いつめられると仲間どうし殺しあうことになる、これには例外の人間がいるとはおもえないからだ。・・・・
 わたしは、いまあげた二つの理由の解明にふれないかぎり、死を宣告する資格も、死を受け入れる資格もないような気がする。
(P146)

(註.1)
.連合赤軍事件の最高裁判決









 (備考)

わたしには、判断を保留している項目がいくつかあるが、この「死刑」問題もその一つである。死刑は賛成とは言えないなという思いではあるが、わたしの言葉は犯罪を犯した者の内面と被害者家族の内面の双方に引き裂かれているという感じである。罰、処罰ということは、おそらく払い清め以前の時代から存在していた公的な裁定だと思われる。仇討ちを含めた近世までの罪に対するむごい処罰から、近代以降はおそらく西欧の法制度、法規範を模倣してきたのかもしれない。そして、吉本さんが指摘するような問題に「死刑」という公の裁定が答えているとは思えない。本質として、吉本さんの主張は十分にわかる。







項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日
25 世界思想 共同幻想論「序」 論文 共同幻想論 河出書房新社 1968/12/05

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世界思想の領域 世界思想というような分野で問題がどうなのか
項目
抜粋
1

@

僕は「言語にとって美とはなにか」というようなものを準備し、そしてつくり、というようなときから、なにか目に見えない思想的あるいは文学、芸術的対立といいますか、アンチテーゼみたいなものとして僕が見てきているものは、もっと違うというか、日本のことじゃないんですよ、いわば世界思想の領域でそういうことを考えていると思うんです。だから、そういう意味だったらば、いま日本の現状はこうなっている、こうなっているというようなことは、あまり僕には問題にならないというふうに思うんですよ。


A

なにか本来的には問題はそんなことじゃないんだというんでしょうか、
世界思想というような分野で問題がどうなのか、そういうことが問題なんだ、そういう意識が僕にとって非常に本来的ですね。
 
(P26-P27「序」「ことばの宇宙」67年6月号より引用)









 (備考)

吉本さんは、『言語にとって美とはなにか』で、普遍への道を切り開く上で、当時の世界思想から流れてきた(輸入された)マルクス主義思想、それらに対する「アンチテーゼ」のようにしてひたすらに格闘してきたが、そういう過程で「世界思想」ということが意識に上ってきたということ。








項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日
28 書物 カール・マルクス 論文 吉本隆明全著作集12 勁草書房 1969/10/25


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書物は、読むたびにあたらしく問いかけるものをもっている 古典
項目
抜粋
1

@
書物は、読むたびにあたらしく問いかけるものをもっている。いや、たえずあたらしく問いかけてくるものをさして書物と呼ぶといってもおなじだ。書物がむこうがわに固定しているのに、読むものが、書物にたいして成熟し、流動していくからである。書物のがわからするこの問いかけが、こういう流動にたえてなおその世界にひきずりこむ力をもち、ある逃れられないつよさをもって、読むものを束縛するとき、わたしたちは、その書物を古典と呼んでいいであろう。 (P100「T」)









 (備考)

わたしが書きすぎる、世界が書きすぎる現在に触れた後、


書物。それは紙のうえに印刷された文字の集積体でもなければ、
ある著作者の観念の系譜が、言葉にあらわされたものでもない。
それは表側の視線からみると、起源からやってくる人間の反
復・雲散・逼迫の連続体であり、裏側の視線からみると、終末
から逆に照射された人間の障害・空洞・異種または同種交配の
網の目である現在のことだというべきだ。
書物は、至上の書物あるいは最高の書物でも、ただひとつの絶
対的な真理を埋蔵することは、先験的にできない。その理由は、
どんな書物も書物であるかぎり、表側からの反復・雲散・逼迫
と裏側からの障害・空洞・異種または同種交配の視線によって、
はじめてこの世界に存在できるからだ。
 (「書物 倒像 不在」、『言葉からの触手』吉本隆明 初出「文藝」1985年10月号−1989年春季号)



ここでは、上の項目の書物の捉え方が牧歌的に見えるほどの論理の深まりがある。この「表側の視線からみると」や「裏側の視線からみると」には、『柳田国男論集成』の「体液の論理―序にかえて」の、「内視鏡の眼」「外視鏡の眼」や「内部の視線」「外部の視線」を想起させる。








項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日
29 カール・マルクス 論文 吉本隆明全著作集12 勁草書房 1969/10/25

吉本隆明全著作集12 第一部マルクス紀行より引用。

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意識の実在 詩的なものと非詩的なものとの逆立
項目抜粋
1

@

詩というものは、あたかも樹木があり石があるのとおなじような意味で、意識の実在を信ずることなしには創りえない。意識が意識された実在にしかすぎないというマルクスの思想は、いわば非詩的なものとして、詩的なものと逆立する。それは、対立というよりも、おおよそ、極北なるもののふたつの形式にほかならないのではないか、とわたしの初期の文章はかいているはずである。(註.1)
  (P101「T」)


A

ただ、
いまのわたしは、詩的なものと非詩的なものとの逆立という言葉を、マルクスにおける幻想的なもの<法、国家>と、非幻想的なもの<市民社会、自然>との逆立という概念でおきかえられる程度の理解は、もつようになったというにすぎない。 (P102「T」)









 (備考)

(註.1)
「はずだ」は、「確信をもった推量・推測・推定を表わす」から、この言い方は、吉本さんが記憶を頼りに述べているように思われる。対談やインタビューなどで、時々暗唱してみせる吉本さんの詩作品などの記憶力のすごさには感心することがある。


ここでは、マルクスの思想の舞台の方で詩が語られている。つまり、詩の内部世界に下りていくのではなく、詩の領域と他の人間的領域との関わりとして、詩が語られている。


@の「わたしの初期の文章」は、「ラムボオ若しくはカール・マルクスの方法に就いての諸註」(1949年)を指している。

 詩的思想においてマルクスの方法は逆立する。詩作過程を意識とそれの表象としての言語との相関の場として考へれば、詩作行為は意識が言語を限定する心的状態にはじまり逆に言語が意識を限定する心的状態に終る。斯かる過程において表象たる言語が実在たる言語に化する操作が完了されてゐなければならない。あらゆる芸術は常に個人の個性的思想によつて、個的な苦痛によつて、単純な個的な手段の媒介によつて闘われて来た。これも可成り不思議な事実である。恐らく芸術の本質的な問題はこの事実のうちに包摂されるのではあるまいか。
 言語をマルクスの言ふやうに人間の社会的交通の所産として解する限り、芸術としての詩作なる実践行為は、その動機を喪失するのである。


 詩的思想とは正に意識の実在を、あたかも樹木があり建築があると同じ意味で確信する処にのみ成立するのである。斯かる確信は何ら理論的根拠を有しないかも知れぬ。だが斯かる確信は最上の詩人たちが生涯を通じて失はなかつた例外なき真実の措定である。意識は意識的存在以外の何ものでもないといふマルクスの措定は存在は意識がなければ意識的存在であり得ないといふ逆措定を含む。このやうな措定の逆立の当否は唯確信の深さと、実践によつて決せられねばならぬ。ここに至つて詩的思想はマルクスの所謂非詩的思想と対峙するに至るのだ。
 だが事実は矛盾するのではなく逆立するのみである。若し望むのならば僕たちはあらゆる真正な思想の根底に存在する共鳴の響きを斯かる両極に捨象された二つの思想から感ずることが出来るのかも知れない。
 (ラムボオ若しくはカール・マルクスの方法に就いての諸註」、『吉本隆明全著作集5』勁草書房)









項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日
34 政治過程の考察 カール・マルクス 論文 吉本隆明全著作集12 勁草書房 1969/10/25

吉本隆明全著作集12 第一部マルクス紀行より引用。

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宗教から法へ、法から国家の実体へ 表象
項目
抜粋
1

 @

政治過程の考察が、幻想性(性格にいえば
幻想性の外化)の考察であるように、政治についての学は、幻想性についての学のひとつである。幻想性の外化は人間にとってまず宗教の意識となってあらわれた。宗教の意識は、漠然とした自然への畏怖にはじまり、自然崇拝や偶像信仰や汎神論をへて一神教の神学にまで結晶する。マルクスの政治哲学が成立する過程も、この一般的な原則のほかにたつものではなかった。宗教から法へ、法から国家の実体へとくだる道が、マルクスがたどった政治哲学の道であった。 (P129「X」)


A

人間が自己の本質を宗教として<疎外>するとき、自己意識のなかには、自己を至上物とする意識と現実的な自己意識とが二重になって存在するように、人間が現実的な社会(市民社会)のなかで、社会の本質を政治的共同性(つまり国家)として<疎外>するとき、人間は社会的にと政治的にと二重に生活する。社会的な生活では、具体的に私的に、他人を食ったり食われたり、他人たちの共同性から食われたり食ったりする生活をやり、政治的な生活ではあたかも公的な共同的な一員であるかのように生活する。そして私的であり具体的であるときに現実生活のなかにあり、共同的であるときに幻想生活のなかにある。
 マルクスのこういった見解は、フォイエルバッハの<宗教>についての洞察を、<法>についての洞察におきかえ、<宗教>の論理を、政治的共同体(ここでは近代国家)の論理におきかえたものということができる。思想のほんとうの展開というものはそういうもので・・・・(P137「Y」)


B


<宗教>は、政治的な共同体がまだととのっていない段階では、自己を至上のものとかんがえる人間の自己意識の表象であるが、政治的な共同体が整備された近代国家では、<法>を至上物とかんがえる人間の自己意識の表象となってあらわれる
というかんがえは、マルクスがフォイエルバッハを、正確に読みこむことによって手に入れた展開であった。そして、<法>、<国家>を実体的なものとしてとらえようとしたとき、ヘーゲルの国家哲学、法哲学が巨大な相でたちふさがったのである。
 (P138「Y」)



項目
抜粋
2

C

マルクスがヘーゲルの法哲学と国法論の主要な個条を批判的にとりあげることによってあきらかにしようとしたのは、政治的な国家の実体構造であり、これに対応する市民社会の政治的要素とはなにか、であったということができる。
 まず、
政治的国家というものは、<家族>という人間の自然的な基礎と、<市民社会>という人工的な基礎が、自己自身を<国家>にまで疎外するものであるにもかかわらず、ヘーゲルは、逆に、現実的理念によって国家がつくられたようにかんがえているというのが、マルクスの根本的なヘーゲル批判であった。 (P139-P140「Y」)+αP140











 (備考)

このようなドイツ哲学のような論理の言葉を持たないわたしたちは、それを理解するのに難渋する。できるだけ現実の具体性と照らし合わせながら理解するほかない。

言われていることは、今では少しはわかる。ところで、わたしはその内容を柳田国男の言葉と同じようなやさしい言葉で言えないだろうかという欲求を持っている。








項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日
45 「資本論」 カール・マルクス 論文 吉本隆明全著作集12 勁草書房 1969/10/25

吉本隆明全著作集12 第二部マルクス伝より引用。

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マルクスの<自然>哲学のうえに構成された「経済学と哲学とにかんする手稿」 生産社会の発展段階を<自然>史の過程とみなすという哲学のうえに構成されている資本論
項目抜粋
1

@

 マルクスの晩年に起こった最大の思想的事件は、「資本論」第一巻の完成であった。
 「経済学と哲学とにかんする手稿」が、市民社会の内部構造としての経済学の範疇をとりあつかったものとすれば、「資本論」は、人類の生産社会の歴史的発展段階としての資本制社会を、資本と労働との総過程としてあつかったものということができる。また、「経済学と哲学とにかんする手稿」が、マルクスの<自然>哲学のうえに構成されたものとすれば、資本論は、生産社会の発展段階を<自然>史の過程とみなすという哲学のうえに構成されている。だから、「手稿」が現存性のなかに凝縮された社会の歴史性とすれば、「資本論」は、歴史性のなかに展開された社会の現存性の考察である。ふたたび、だからひとりの任意の人間が「手稿」に接近するとき、現存性という一点に凝縮されるが、「資本論」に接近する人間は、人類史の全歴史過程へと拡散される。「手稿」が人間の主体にかかわるように感ぜられるが、「資本論」が人間の主体を排除するように感じさせるのはそのためである。そこで、マルクスは「資本論」の序文のなかで、こう断っている。

 「起こりうべき誤解を避けるために一言する。私はけっして、資本家や土地所有者の姿態の光明面を描いてはいない。しかし、ここで諸人格が問題となるのは、ただ彼等が経済的諸範疇の人格化であり、一定の階級諸関係および利害関係の担い手であるかぎりにおいてである。
経済的な社会構造の発展を一つの自然史的過程と解する私の立場は、他のどの立場よりも、個人をして、諸関係ーすなわち、いかに彼が主観的にはそれらを超越しようとも、社会的には彼がそれらの被造物たるにとどまる諸関係の、責任者たらしめることはできぬのである。・・・・・・」

と。(P230-P231)








 (備考)

次の項目46で、吉本さんは「『資本論』の理解はそれほど困難ではない」と述べている。おそらく、日本語訳のハイデガーの『存在と時間』などよりは、わかりやすいのかもしれない。しかし、その大部の本に向かうには、マルクスの言葉の論理性に触れたいとか、マルクスの思想の文体に触れたいなどの動機がないと難しいような気がする。ちなみに、わたしは資本論を若い頃買って少し読んだきりで終わっている。読書のモチーフとして読み通す何かが不足していたというほかない。







項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日
46 「資本論」の基本構造 カール・マルクス 論文 吉本隆明全著作集12 勁草書房 1969/10/25

吉本隆明全著作集12 第二部マルクス伝より引用。

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自然史の過程としての歴史、という<歴史>哲学 いかにして<自然>史学としての歴史哲学を、かれ自体の主体的立場としての<自然>哲学と接着させるかという点であった。 <人間>と、人間が欲するといなとにかかわらず形成してしまった<社会>とを徹底的に<自然>そのものに解消するというマルクスの<思想>のおそろしさ
項目
抜粋
1

@

タテ軸に、マルクスの<自然>哲学によって規定された自然と人間との相互対象化としての関係が<労働>として存在しており、その結果の生産物の表現としての<価値>が、どのようにして現象形態としての価値となり、それが歴史的な発展段階としての資本制社会では、どのようなかたちをとるかという考察が「資本論」の基本構造である。たとえ、ひとびとが、「資本論」でとかれている経済的な範疇をディテールにわたって検討する労を惜しんでも惜しまなくても、
そこに記述された範疇が歴史的であれば現存性と交わり、現存的であれば歴史性と交わったところで提起されていることをしれば充分である。
 「資本論」の理解はそれほど困難ではない。かれがその基底においている<自然>哲学は、「手稿」とすこしもちがっていないのだ。
ただ、かれがあらたに考察の軸として導き入れたのは、自然史の過程としての歴史、という<歴史>哲学であった。そしてかれがもっとも難渋したのは、いかにして<自然>史学としての歴史哲学を、かれ自体の主体的立場としての<自然>哲学と接着させるかという点であった。ひとびとが躓くとすれば、<自然>としての人間がこちらがわにあるのに、いったん<労働>(働きかけ)として<自然>の対象世界にむかうやいなや、<価値>があちらがわに、いいかえれば手をくわえた<自然>(商品)の表象としてあらわれるか、という秘密にある。「手稿」のなかの<疎外>という概念が、「資本論」の<価値>概念と交わり、接着するのは、この点においてである。これだけのことがわかっていれば、たれでも手にとりさえすれば「資本論」を理解するには、こと欠かないはずだ。


A

・・・・しかし、かれらは、
<人間>と、人間が欲するといなとにかかわらず形成してしまった<社会>とを徹底的に<自然>そのものに解消するというマルクスの<思想>のおそろしさをとうてい理解しているとはおもわれない。(P239-P240)








項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日
47 重層的な非決定へ 重層的な非決定へ 手紙 「海燕」1985・3 重層的な非決定へ 大和書房 1985/09/20


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「現在」は(つまり先進資本主義「国」日本にあっては) 「重層的な非決定」が「現在」に対応する私の理念的な態度
項目
抜粋
1

@

「重層的な非決定」とはどういうことを意味するのでしょう?平たくいえば「現在」の多層的に重なった文化と観念の様態にたいして、どこかに重心を置くことを否定して、層ごとにおなじ重量で、非決定的に対応するということです。
私はしばしばそれを「資本論」と「窓際のトットちゃん」とをおなじ水準で、まったくおなじ文体と言語で論ずべきだという云い方で述べてきました。・・・・わたしが「アンアン」に書いたファッションについての短い文章は、柳田国男を論じている文章にくらべて力を落として書いているということは、まったく無いはずです。それは「重層的な非決定」が「現在」に対応する私の理念的な態度だからです。(P72)(「重層的な非決定へー埴谷雄高の「苦言」への批判)


A

ただ私の場所からみえる「現在」は(つまり先進資本主義「国」日本にあっては)、モダンやポスト・モダンに単層的に収束できるようにおもわれないのです。ここでは「重層的な非決定」が、どうしても不可避であるようにおもわれてなりません。もちろん「現在」は眼にみえない抽象ではありませんから、個々の事象の端々に、その破片をみようとすれば、誰にでも視られるものです。また「現在」の核心というようなものも、思い描こうとすれば決して描けないものではないでしょう。破片はどれも浅薄で取るにたらないものですし、核心というのもそれを寄せあつめたガラクタにしか視えないかもしれません。でもそれで「現在」が終わりだとおもったら間違うようにおもわれます。この浅薄でつまらない破片と、それを寄せあつめただけにみえる「現在」の核心に、何も意味のあるものがないようにみえても、同時にこの無意味さの累層性のなかに、究極のイメージが存在し、そこよりほかに、どんな究極を産出する場所も存在しないということです。 (P75)








 (備考)

この関連として、項目352にも「重層的非決定」を設けている。それは2000年頃の対談の言葉で、1985年頃の昔を振り返った言葉になっている。「その考え(引用者註.「重層的非決定」)はじぶんの資質から出たものだと同時に、消費過剰に高度化した現在の社会情況にたいするわたし自身の判断に基づいていた。」とある。つまり、状況に対するこの「重層的非決定」という方法は、その後に1970年代を大きな変わり目とした登場した新たな消費資本主義の世界の考察やハイ・イメージ論の考察へとつながり展開されていくことになる。








項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日
55 思想 どこに思想の根拠をおくか 対談 1967.2.11 鶴見俊輔との対談 どこに思想の根拠をおくか 築摩書房 1972/05/25


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明晰さ 状況論
項目
抜粋
1

@

いや、ぼくはそうは思わないですね。あいまいさは残らないのだということが一つの原理としてくみ込まれていなければ、それは思想じゃない。ぼくに対するいろいろな批判はことごとく、どこにも現実的な基盤がないじゃないかということです。しかし、ぼくは思想というものは、極端にいえば原理的にあいまいな部分が残らないように世界を包括していれば、潜在的には世界の現実的な基盤をちゃんと獲得しているのだというふうに思うんですよ。思想というものは本来そういうものだ、そういうことがなければそれは思想といえないのだと思います。(P43)


A

・・・・その原理が明晰さを保持しうるためには、原理の中に絶えず可変的なもの、大衆の状況を繰り込んでいかなければならないという課題があって、ここで状況論が必要になってくるわけですね。範疇として固定化するわけではなくて、原理的な思想の中へ状況の問題、あるいは大衆の問題が絶えずくりこまれていかなければならない、そういなければ原理としての明晰さは保持できない。それを繰り込むことができれば、世界は要するに獲得されているのだと思うわけです。(P43)









 (備考)







項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日
58 <人間>的な過程にはいった人類 思想の基準をめぐってーいくつかの本質的な問題ー インタビュー どこに思想の根拠をおくか 築摩書房 1972/05/25


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解除可能な<不幸>
項目抜粋1
@

ひとつは、いったん<人間>的な過程にはいった人類は、人間のつくる観念と現実のすべての成果(それが<良きもの>であれ<悪しきもの>であれ)を、不可避的に蓄積していくよりほかないということです。つまり<人間>を制度的にも社会的にも、さらりとやめて、<動物生>に還るわけにはいかないということです。いいかえれば、人類の現在性を<離脱>した<生>は不可能だということです。(P8)


A

第二に、人間は、他の動物のように、個人として恣意的に生きたいにもかかわらず、<制度>、<権力>、<法>など、つまり共同観念を不可避的に生みだしたため、人間の本質的な<不幸>は、個人と共同性とのあいだの<対立>、<矛盾>、<逆立>としても表出せざるを得ないという点です。


B

第三に、このような人間の歴史的な過程が、さまざまな時期に、さまざまな形でなされた抗議の表出にもかかわらず、不可避的に、現在の<世界>、<制度>をもたらした側面を認識するならば、この不可避性を止揚する過程もまた、普通、考えられているよりも、遥かに困難な、そして、過程をあやまりなく踏むことを必須とするはずです。(P9)


Cこれらが、人間の本質が<不幸>なものであることの内容だとおもいます。ただ、この<不幸>は、<不幸>なことが識知された<不幸>であるために、究極的には解除可能な<不幸>ではないでしょうか。
 (P9)








 (備考)









項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日
61 想像力 想像力派の批判 論文 「群像」1960.12 吉本隆明全著作集4文学論T 勁草書房 1969/04/25


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想像力は不変ではなく、不変なのは意識の仮構力だ 概念作用と感覚作用
項目抜粋1
@

いうまでもなく、文学作品の創造のように精神的労働が分業として自立するようになると、意識は、じぶんがいまぶつかっている対象物以外のべつのなにかであるかのようにかんがえることができるようになる。文学者が文学作品をうむこともこのことをぬきにしてかんがえることはできないが、これは、いわば意識の仮構力一般のもんだいにほかならない。しかし、サルトルが、架空のことをかんがえ、感覚的に反省したり、構成したりする意識の仮構性一般のもんだいのなかに、さらに意識の綜合作用の織目にあらわれる想像的意識の構造をとりあげなければならなかった事情は、精神的労働として芸術が自立したこと一般のもんだいとはおのずからべつでなければならぬ。いいかえれば、想像力のもんだいは、意識の仮構法についての専門化された修練というもんだいをこえたなにかをふくむものとして考察すべきである。(P312)


A

では、想像力とはなにか。人間の感覚は、現実にたいするはたらきかけをつうじて、そのはたらきかけの態様によってしか発達しない。そしてこの発達を本質的にきめるのは生産にたいする労働の態様にほかならない。しかし、人間の感覚を本質のまわりでしだいに複雑に肉付けさせるものは、現実の社会での複雑な関係である。恋愛によっても、不和によっても、遊戯によっても、人間の感覚ははじっさいには肉付けされてゆく。そして、疎外された社会では、いいかえれば疎外された労働のあるところでは、人間の感覚の現実的な肉付けと本質的な発達との矛盾は極端にまでおしすすめられるのである。
 もしも、人間の感覚を肉付けする社会の現実的な諸関係が、感覚の本質をきめる生産諸力の態様と矛盾をきたすようになると、人間の意識は意識外の意識というべきものを概念作用と感覚作用のあいだにうみださざるをえなくなる。
 たとえば、概念作用は、対象物の中心において対象を意識的な存在にしようとするが、この作用は、けっして対象を肉付きのあるものとしてつかむことはない。また、感覚作用は、対象物を外見的に統一しようとするが、その全像を同時的に構成することはできないのだが、生産的現実と社会的現実が矛盾するようになると、概念作用は概念的なはあくをこえて対象物を肉付けしようとし、感覚は外見的な統一をこえて構造をもった知覚におもむくことによってこの社会的な矛盾を意識の対象として実現しようとする。そして、ついには概念とも感覚ともちがうイメージがそれこそこのふたつの作用の織目のように、本質的な対象の不在を対象物にすることによって構成されるようになる。わたしはこれを想像力とよばざるをえないのである。(P312-P313)



項目抜粋
2

B

存在が意識されたものだとすれば、イメージは仮構の存在についての意識であるか、存在しないものについての意識であるほかはない。しかし、前者はいわば仮構力とよぶべきものであり、後者はまず存在しないものについてのイメージはおこりえないことからそれ自体背理にほかならない。わたしのかんがえでは、想像力はたんにサルトルのいうように非実在物を存在するかのようにかんがえうる力ではなく(それは空想力または仮構力である)、じぶんが欲求する対象物の世界を、じぶんの意識にとって矛盾であるとかんがえうる意識の能力をさしている。サルトルがはじめに、意識の綜合作用の織目に概念とも感覚ともちがった想像的意識を設定しながら、あとでは芸術作品は想像的世界(ほんとうは仮構的世界とよぶべきだ)であるというように、想像力を意識の仮構力一般にすりかえ、想像的世界は現実的世界を空無化することによって成立するとしたのは、いわば混乱であった。しじつはイメージは、人間が社会的疎外を意識の対象物として措底できるところでしかかのうではないはずである。・・・・想像力は不変ではなく、(不変なのは意識の仮構力だ)もしも社会的疎外がなくなったとすれば、対象の人間化という意識活動のなかに消滅するか、あるいは、まったくちがった意識の綜合作用としてのこるほかはないのである。(P314)









項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日
74 逆立 個人・家族・社会 論文 「看護技術」1968.7 吉本隆明全著作集4文学論T 勁草書房 1969/04/25


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<個人>の心的な世界と<社会>の心的な共同性との関わり 不可避的
項目
抜粋
1

@

つぎに問題となりうるのは、<個人>はどのようなものとして<社会>の共同性の一員であるのかという問題である。もっと厳密にいえば、<個人>の心的な世界は、<社会>の心的な共同性(共同幻想)とどのように関係づけられるかという問題である。
 <社会>の心的な共同性は、現在では<国家>とか<法律>とかいう形であらわれている。古代では、共同の宗教という形であらわれたことがあった。もっと部分的な社会を考えれば、共同の風俗とか共同の習慣とか、共同の約束とか、共同の信仰とかがその小さな社会の共同の心として存在している。・・・・(P464)


A

しかし、この場合、本質的なことはただひとつである。<個人>の心的な世界がこの<社会>の心的な共同性に向かう時は、あたかも心的な世界が現実的なもので、具体的に日常生活している自分は架空のものだという逆立によってしか、<社会>の心的な共同性に向かうことができないということである。いいかえれば、<個人>は自分が存在しているしかたを逆立させることによってしか、<社会>の心的な共同性に参加することができない。この関係は、人間にとって本質的なものである。(P465)


B

人間はもともと社会的人間なのではない。孤立した、自由に食べそして考え生活している<個人>でありたかったにもかかわらず、不可避的に<社会>の共同性をつくりだしてしまったのである。そして、いったんつくりだされてしまった<社会>の共同性は、それをつくりだしたそれぞれの<個人>にとって、大なり小なり桎梏や矛盾や虚偽として作用するものとなったということができる。(P465)



項目
抜粋
2

C

それゆえ、<社会>の共同性のなかでは、<個人>の心的な世界は<逆立>した人間というカテゴリーでだけ存在するということができる。そして、この<逆立>という意味は、単に心的な世界を実在するかのように行使し、身体はただ抽象的な身体一般であるかのように行使するというばかりではなく、人間存在としても桎梏や矛盾や虚偽としてしか<社会>の共同性に参加することができないということを意味している。<社会>の共同性のなかでは、<個人>は自分の労力を、心情を、あるいは知識を、財貨を、権威を、その他さまざまなものを行使することができる。しかし、彼(彼女)が人間としての人間性の根源的な総体を発現することはできないのだということは先験的である。この先験性が消滅するためには、社会の共同性(現在ではさまざまな形態をとった国家とか法とかに最もラジカルにあらわれている)そのものが消滅するほかはないということもまた先験的である。(P465-P466)









項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日
81 情況 情況とはなにか 論文 「日本」1966.2-7 吉本隆明全著作集13政治思想評論集 勁草書房 1969/07/15


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思考の様式の転倒
項目
抜粋
1

@

ここいく年か、現実の情況について語るとき、いつもわすれずに強調してきたことがある。ひとつは「資本主義」国家同盟と「社会主義」国家同盟の対立という図式のうえにたった世界認識を打破しなければならないということである。もうひとつは、現在の世界情況のなかでは、国家権力というものが幻想的な共同性としてもっとも上位の概念であるということである。このふたつは、もちろんたがいに関連しているから、一方の世界認識はかならず他方の国家認識を誘導する。(P337-P338)


A

わたしが「社会主義」国家同盟と「資本主義」国家同盟との対立という世界認識を打破さるべきものとしゅちょうしたとき、知識人の政治集団の自然連合にすぎないものが、はてしなくつみ重ねていった虚妄の幻想体制を虚像の極限のすがたとしてかんがえた。また現在までのところ国家が世界認識としてもっとも上位の概念であると強調したとき、それは大衆の存在様式に幻想として接近し、これをとりこむことが真の思想的課題であるという認識をふまえていた。
 レーニンとトロツキーが、ロシアの大衆の自発的な蜂起にと惑いしたとき、その惑いの根源には、自然過程としての知的な上昇を、大衆からの目覚めの過程、啓蒙の過程と混同したという問題がふまれていた。このロシア政治革命の卓越した指導者は、なぜに知識人の集団は、それが政治的であれ文化的であれ、大衆にたいして閉鎖されてゆくか、という未来の自己体制の問題に遭遇したのである。そして、あらゆる知的な集団あるいは個人が、必然的に大衆にたいして閉じられてしまい、ついにはそれと逆立するにいたるという課題を解きあかし、たえず開かれた存在とはなにを意味し、いかなる方法によって可能かという問いにこたえるためには、自然過程としての認識にすぎないものを、世界観や思想の問題であるかのようにかんがえる思考の様式を転倒するほかはない。(P346-P347)














項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日
88 自立という概念 自立の思想的拠点 講演 1966.10.29 関西学院大学 吉本隆明全著作集14講演対談集 勁草書房 1972/07/30


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情況的な意味 本質的な意味
項目抜粋
1

@

ここで、まず自立というのはどういう概念をめざしているのか、意味しているのかというような問題からはじめたいとおもいます。わかりやすくするために、自立という概念は、なんといいますか、情況的な意味といいますか、つまり時々刻々に移っていく現実情況と相わたっていくという意味で、ひとつはかんがえられます。この場合とうぜん自立にたいして他立というような概念が想定されるわけです。つまり他立というものにたいして自立であるというような、その反対概念、対立概念として自立であるというような、情況的な意味をふくむわけです。もうひとつは、やはり本質的な意味をふくみます。つまり本質的な構造のうえにたって自立というような概念がでてくるわけで、わかりやすくわけますと、自立という概念にはそのふたつの問題というものがあるとおもいます。  (P109)


A

そういうような意味で、自立というような概念は情況的にいって、さまざまな対立概念を想定し、さまざまな対立概念と対置される形でかんがえられるわけですけれども、それがたんに情況的な概念であるならば、情況がなくなればなくなってしまうというような問題にすぎないのですが、この自立という概念は、やはりひとつの本質概念としてつきつめられていかなければならないというような、そういう課題をもっています。これは純然たる思想的な課題になっていくわけです。
 そこで、いままででもふれましたけれども、知識人というのはなんなのか、それから大衆というのはなんなのか、国家というのはなんなのか、階級というのはなんなのかとか、家というものはなんなのかというような、そういうさまざまな共同幻想の問題が本質概念として問われなければならないというような問題がでてまいります。その本質概念というものはかならずしも現在の情況的な課題にたいしてアプローチしていくこととじかにつながるわけではありませんが、自立というものの個々の概念というものが設定されていかなければなりません。(P118)


B

すこし感覚的ないいかたをしますと、ある時代というものは、ある精神の位相にじぶんがたちますと、そのひとが好むと好まざるとにかかわらず、現実の情況の問題、社会の問題、あるいは世界の問題というものがいやおうなしにその位相に覆いかぶさってくるというような、そういう位相がかならず存在いたします。そういう位相を発見し、そこに身を置いて避けることをしないということ、つまり逃亡することをしないというような、そういう課題が、知識人の総体的な課題として存在するのです。
 (P120)














項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日
89 自立という概念 知識人ーその思想的課題 講演 1966.10.29 関西学院大学 吉本隆明全著作集14講演対談集 勁草書房 1972/07/30


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関係概念
項目
抜粋
1

@

意識的に大衆の原像をくりこんでいくということは、いったいどういうことを意味するのかといいますと、ある場合は、直接的に大衆の原型がもっている思想的課題に関与していくことを意味しますけれども、ある場合には、大衆の原型の思想的課題を自己思想の問題としてたえずくりこんでいくということです。
 ここで問題となるのは、関係概念というものなんです。関係概念ということはどういうことかといいますと、知識人が問題に関係する仕方のことです。
・・・・それじゃ、関係概念というものはどういうふうに描いていったらいいのかといいますと、いちばん基本的な、単純なところでは、自己の自己にたいする関係というようなものがあります。それから、自己の他にたいする関係というような個人の主体というものの関係の仕方というものが存在するわけです。
 それからもうひとつは、対関係というものがあるわけです。・・・・
 それからもっとひろげていきますと、共同的な関係というものがあります。共同的な関係のなかにはいっていきますと、個人の主体というものも、また自己自身にたいして他者になってしまうというようにしか存在しません。それは共同関係であり、あるいは共同の幻想なわけです。・・・・
 この共同性の関係概念をかんがえていきますと、それが、さきほどからぼくが規定している意味での知識人の思想的な課題の拡大しうるかぎりの頂点をなします。その拡大しうるかぎりの頂点というのは、国家というようなものとして存在する共同幻想、あるいは関係意識です。国家の共同性が、いかにして個々の人間にたいして、抑圧する権力となる過程をもつか、その理由はどこにあるのかというような問題が、知識人がみずからを大衆の原型から遊離させることを代償として、知識人が知識人であることによってしかかんがええない問題の最大のものだとかんがえることができます。
   (P125-P127)



項目
抜粋
2

A

それから個人主義の原理、あるいは個人の尊厳というものは、国家を存立せしめている原理よりも尊重されるべきものであり、つまりそれらを超えるものであって、人類というものは普遍的なものだというような概念というのは、わたしのかんがえでは成りたたないとおもいます。なぜならば、国家の原理というものと個人の原理というものは、相互規定関係にあるからです。つまり国家があめがゆえに、個人意識、あるいは個人原理というものがありうるわけです。個人原理というものが国家原理を超えて普遍化されるというのはインターナショナリズムじゃなくて、ほんとうはコスモポリタンのかんがえ方なんです。だから、知的浮浪者のかんがえ方なんですけれども、そういうものは、ほんとうは自己矛盾です。市民原理というもの、そのなかでの個人の尊厳原理というものが国家原理を超えて普遍化されるというのはインターナショナリズムじゃなくて、ほんとうはコスモポリタンのかんがえ方なんです。だから、知的浮浪者のかんがえ方なんですけれども、そういうものは、ほんとうは自己矛盾です。市民原理というもの、そのなかでの個人の尊厳原理というものは、国家なくしては存在しえないのです。だから、国家をもし否定するならば(わたしは否定しますけれども)そういうものはとんでなくなってしまうわけなんです。だから、<それはやっぱりおまえ、国家があるからそういうのんきなこといってんだぞ>というふうな問題に帰着するわけです。
 国家の共同幻想というものを否定するならば、つまり国家の共同幻想というものを、個々の人間の幻想というものにたいする対立物としてかんがえるならば、なにが関係概念としてのこるかといいますと、まったく意外なことに、対関係、つまり男女の関係を基体とする対幻想の概念しかのこらないのです。あとはぜんぶとんでしまいましょう。個人原理もとんでしまいましょう。つまり個人の尊厳原理というものを単独にとりだすかんがえ方というものはとんでしまいましょう。国家もやがてとんでしまいましょう。しかし、対関係あるいは対幻想というものはとんでいかないわけです。なぜならば、深い自然に根ざしている、つまり人間の存在の自然性というものの根底にねざしているものがそのなかにあるからです。  (P128)









項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日
91 自己疎外という概念 現代とマルクス 講演 1967.1012中央大学 吉本隆明全著作集14講演対談集 勁草書房 1972/07/30


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疎外論の根底にある自然哲学。作用と反作用 疎外論なしには権力論というものができない 幻想性の問題
項目
抜粋
1

@

自己疎外という概念は、マルクスのなかでどういうふうな意味をもっているかっていうようなことをかんがえていきますと、第一に、基本的にはこういうことなんです。人間というものは、他の人間にたいする(あるいは自然にたいしてでもいいわけですけれども)対象的な行為なしには存在しえません。
ところで、人間が生存の、つまり存在の必須の条件である対象的な行為をしますと、自己自身がそれにつれて、本来的な自己から疎外されるのです。つまりじぶん自身のほうも、また反作用を受け、影響を受けます。あるいは反作用を受けることなしには対象的な行為というものはなしえないというのが、マルクスのかんがえている疎外論の根底にある自然哲学であるわけです。
 そういう自然哲学というものが、経済的な範疇を基本構造とする市民社会というものに
表象されたときに、わかりやすく図式化しますと、市民社会というものに移し植えられたときに、経済的範疇としての自己疎外という関係が成立します。それは労働者と、その結果としてできた生産物とのあいだに、それからまた、その生産物を一定の法則に従って利潤を所有しながら展開している資本家にたいして、組織労働者にたいして、やはり自己疎外、疎外される関係というものが成立するわけです。
 その場合に、この自然哲学の範疇から市民社会の基盤である経済的範疇に移し植えられる、つまり表象されることをも、同様に疎外、あるいは自己疎外といいます。自己疎外という概念は、自然哲学の範疇の内部での関係のみならず、自然哲学の範疇が市民社会の経済的な範疇に移し植えられることをも、疎外あるいは自己疎外というふうにいいます。もちろん、市民社会の内部構造のなかで、こういう関係が成立するわけです。
 ところで、市民社会のそういう経済的な範疇を基盤にする人間関係が、観念の世界つまり幻想性の世界というものを生みだしていくわけですけれども、その場合に、その市民社会における生活諸関係、あるいは経済的諸範疇というものから幻想性の範疇へ移し植えられる、それをもまた疎外といいます。これはいわば観念的な疎外、あるいは観念的な自己疎外です。
疎外という概念は、空間的な概念であるとともに、時間的な概念です。もっといいかたをかえれば、人間の全範疇のもつ位相性への転換というもの、そういう概念もまた疎外というふうにいうわけです。これがマルクスの疎外論の基本的な構造となっております。 (P162-P163)


項目
抜粋
2

Aところで、こういう疎外論の体系が、なぜ重要かといいますと、さきほどいいましたように、これなくしては、要するに幻想性の世界というもの、つまり国家の問題、法律の問題、それから芸術の問題、そういうふうな問題についてのアプローチができないわけです。
つまり権力論というものができないわけです。(P163)


B私自身の関心は、とうぜんわたし自身の身をいれてやってきた文学の分野というものに関連してくるわけですけれども、マルクスがヘーゲルの法律哲学批判でいちおううちきった
幻想性の問題が、現在、ぼくの問題意識を占めています。もっぱらそこのところでぼくのかんがえ方が展開されてきているわけです。(P164)








項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日
95 自立的思想 調和への告発 講演 1967.11.1明治大学 吉本隆明全著作集14講演対談集 勁草書房 1972/07/30


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安保闘争以後
項目抜粋
1

@

安保闘争以後、わたしがじぶんに課した問題というのは、原理的、あるいは思想的体系の確立なしには、あらゆることが不可能であるということでした。そういう問題意識から徹底的にそれを体系つけていくというようなことをじぶんに課してきました。そのためには、どういう覚悟をしたかといいますと、たとえば全マス・コミがじぶんを疎外したとしても、わたしはかならずそれをやってみせるし、もちろん全左翼集団、全進歩集団がわれわれを疎外しても、わたしはそれをやってみせるという現実的な基盤をつくって、そういう意志をつらぬいてきたわけです。それは、時勢において適当なふうにじぶんをかえていくっていうような連中とまったくちがうわけです。そして、それをわたしたちは自立的思想というふうにかんがえてきました。(P202-P203)













項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日
98 戦後詩 戦後詩とはなにか 講演 1967.11.5早稲田大学 吉本隆明全著作集14講演対談集 勁草書房 1972/07/30


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みずからの創造の核をどこに求めるか
項目
抜粋
1

@

ぼくは詩人であるというふうにしばしばひとからよばれることがあるわけですけれども、その詩人であると紹介された場合に、あるはずかしさといいますか、羞恥といいますか、そういうものを感じます。その羞恥はどこからくるのかかんがえてみますと、詩を書くという作業が、文学の創造のなかでもほかの分野にくらべてもっとも密室の作業という感じをともなうことに原因があるようにおもわれます。この密室の作業というような感じの中核にあるものはなんであるかとかんがえてみますと、それはひとに伝えがたいものという感じらしくおもわれます。つまり、とうていひとに理解されはしないだろうというような、そういう感じをともなうのが、いわば密室の作業というものの中核に存在します。かつてほ゛くは<ぼくが真実を口にすると全世界は凍ってしまうだろう>というような詩の言葉でいったことがありますが、密室の作業の中核にある羞恥、つまり伝えがたいというような、そういう感じは、おそらくそういういいかたによって表現されるあるものであるとおもいます。(P233)


A

戦後詩というものは、さまざまな形で、さまざまな流派で、そしてさまざまな詩人を現在まで生みだしてきました。しかし敗戦の直後、最初に戦後詩の課題というものをになった詩人たちは、だいたいどういうふうにじぶんたちをかんがえたかと申しますと、じぶんたちの生活的な生涯は戦争によっていためつけられ、そしてゆがめられ、そして終わったとかんがえたのです。しかしながら、まったく偶然としかいいようのない形で戦争の終結から生きて帰ることになりました。そうすると、どうやってあとを生きていったらいいのかというような問題に当面していったわけです。そして、その場合、唯一の解決法というものは、詩を書くというような作業のなかでならば、やっぱりじぶんは生きているということができるんじゃないかとかんがえることでした。・・・・そのために、戦後詩というものは、発端において、倫理的な色彩をおび、また観念的な色彩をおびたわけです。つまり、その観念的、倫理的な色彩というものは、停滞した感じあるいは観念の堂々めぐりの感じというものをともなったわけですけれども、その停滞した感じは、じぶんの生涯というものは戦争で終わったというような根本的な理由からきたとおもいます。(P235)


B

戦後詩の特徴は、日本の近代以降の詩というものと対比していけばすぐにわかります。日本の近代詩以降の戦争中までの詩は、詩の対象というものを、生のままの自然、つまり自然の風物、いわば花鳥風月的な風物なんですけれども、そういうものとの交歓にとるか、あるいは主観的な生活の自己告白にとったということができましょう。・・・・べつに詩の表現自体が思想性をはらむというような形では存在しなかったわけです。(P235)


C

ところが、戦後詩というものは、・・・・そこでの詩の性格というものは、われわれのまわりをとりまいているすべてのことを詩の対象にとりこむことができるんだというふうに、対象の世界を拡大したといういいかたができるかとおもいます。このような拡大というのはなんによっておこったかといいますと、個々の詩人についていえば、それは戦争体験というようなものによって、日常生活でぶつかる体験とはまったく異質の体験をした、つまり体験をまったくひろげたといいますか、体験の世界がそのまんま拡大していったということが第一に数えられます。



項目
抜粋
2

D

第二に、そういう体験の世界が日常性とちがったところに、戦争によって拡大されたというような、そういうことだけではなくて、日常体験の世界のむこう側に、つまり彼岸といいますか、むこう岸のほうに、なおまた人間の観念なり思考なりが追求すべき対象が存在するという、そういうような裂け目を、はじめて戦争体験によって垣間みた、ということがいえるとおもいます。つまり、そこでは日常生活から生まれたもろもろの思想性というものは、思想性の全世界ではなくて、そういう日常生活以外のむこう側に、なにかやはり思想性の対象とすべき世界というのがあるのではないかというような、そういう世界というものを戦後の詩人たちは戦争体験そのものによって垣間みたということができます。これが、おそらく戦後詩によって日本の現代詩あるいは近代詩以降の詩が対象の世界を拡大されたということの、詩人の側からの根拠であったとおもわれます。
 もうひとつはなにかと申しますと、戦後ということ自体の問題が、社会的問題としてあったのです。戦争が終わった直後における戦後というものはなにを意味していたかといいますと、そこでは、日本の権力というものが一種の無風状態になり、すべての統制力、支配力を喪失したある一時的な瞬間というものがあったということなんです。それに相ともなって、知識人というものが、いかにすすむべきかという問題についてなにもわからない、未知であるというような体験をした時期が日本の近代以降はじめておとずれたということができます。・・・・この体験というものは、日本の明治以降の近代の社会の歴史のなかで、まったく未知の体験であったわけです。ここでは権力そのものもそうですし、またそのなかでの大衆も、また知識人というものも、一歩さきへすすむためには一歩手さぐりをしなければわからない、なにもかも未知の体験だったのです。(P237-P238)


E

われわれは権力から反権力にわたるすべてのものにたいして、どういう負債も負っていないとかんがえました。連中の醜態等ものは戦争中、それから敗戦を機会にするその混乱の時期においてはらわたの底までみつくしたからです。それは、大衆自体にたいしてもいえるわけで、日本の大衆のはらわたというのはこんなものかというような問題もすべてみつくしたというような感じをもったわけです。
    (P239)


F

戦後は終わったという時点で、戦後当初の詩人たち、また小説のほうでいえば第一次戦後派の作家は、だいたい主題を失っていったといえます。・・・・みずからが、ひとたび再建された戦後資本主義の軌道というものの社会に乗っかったときに、すでに戦後詩というものは、あるいは戦後文学というものはみずから終結してしまったわけです。(P241)


G

それならば、現在の世界情況のなかで、一般的な情況のなかで、なにが、詩人の創造の密室たらしめる凝集力の核になるかという問題があります。(P241)


H

詩人というものはみずからの創造の核をどこに求めるかとかんがえていきますと、詩人が、原型としてかんがえられる大衆、あるいは沈黙の意味として存在している大衆とのくりかえしくりかえしやる対話によってしか、詩の創造の核は現在回復することができないとかんがえます。(P242)









項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日
119 最低限の了解事項 戦後思想の頽廃と危機−<戦争が露出してきた> 講演 日本読書新聞1972.10.2 知の岸辺へ 弓立社 1976/09/30


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<公>よりも<私>のほうが大切
項目
抜粋
1

@

・・・・戦後何十年か経って何が進歩なんだといったら、なんにも進歩じゃない、どこも進歩していないじゃないか、現れてきたのは戦争だけじゃないか。つまり、戦争のときの感性、理念、それからやり方、方法が現在あからさまな形で出てきた、その出方は、実に戦後史の全般的な、政治的、思想的、文学的、その他の生活の破産を意味するんじゃないか、そういう形で戦争が露出してきてしまったということがあるとおもいます。
 この問題をもう少し別ないい方からいいますと、これはまた最低限の了解事項として問題なんですけども、戦後というものをかんがえたばあいに、どういうことがいちばん戦後の課題となりえたかというと、要するに、<公>よりも<私>のほうが大切だということ、国家よりも大衆の個人個人のほうが大切なんだ、つまり<私>が明日どうなるかということのほうが国家が明日どうなるかということより大切なんだということは最低限の了解事項だったとおもいます。















項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日
127 死と生 「生きること」と「死ぬこと」 講演 1980.06.21 言葉という思想 弓立社 1981/01/30


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生きることと死ぬこと
項目
抜粋
1

@

「死」について日本の歴史のなかでいちばん切実にかんがえられた時代は、平安朝の末期から中性にかけてです。武家興隆の戦乱時代に日本に浄土の思想が、おおきくクローズアップされてきました。その時代に浄土教の思想が「生きること」について、それから「死ぬこと」についていちばん切実に、そして現在みましても徹底的にかんがえたとおもいます。・・・・この日本における死についての考え方をとことんまですすめたのは、法然とか親鸞とか、やや時代が下って一遍のような人だとおもいます。(P202-P203)


A

この考え方は仏教の教理というものを日本的に置きなおしているわけです。しかし仏教というのは何かといいますと、根本的にどの宗派でもどんな仏教的な思想家でも帰するところはただひとつなんです。仏教は、インドで発生した原始的な思想である、輪廻、生れ変わりという思想にたいするひとつの態度を意味しています。輪廻というのは人間は繰り返し生れ変わってゆくんだという考え方です。生れ変わりという考え方自体は、もちろん原始的なインドにもありましたし、それからニューギニア諸島みたいなところにもありますし、またアラスカ、カナダとかの原住民のなかにもそうした考え方があります。つまりどういうことかといいますと、生れ変わりという考え方自体は、未開あるいは原始社会でのある普遍的な考え方です。仏教の以前にあったバラモンとかヒンズーとかいう原始的なインド思想のなかにあるものもやはり生れ変わり、あるいは輪廻という考え方です。人間は繰り返し生れ変わって死ぬことはできないという考え方です。
 仏教は、それにたいしてどういうことをしたかといいますと、人間は生れ変わるものだという考え方を継承するわけですけれども、ただその価値を変えたとおもいます。どういうふうに変えたかといいますと、生れ変わるということはよくないことなんだ、とかんがえたわけです。そして、どういう手段をとるかはそれぞれあるとして、ある手段をとって悟りの境地に達すれば、もはや生れ変わらないで一種の無あるいは涅槃ですけれども、生れ変わりを断ちきって涅槃に達することができる。涅槃に達することができれば、もう生れ変わる必要はないんだ。 (P205-P206)



項目
抜粋
2

B

これは重要なことなんですけれども、生れ変わりの考え方自体は、先ほどいいましたように未開社会というものに通有なものです。つまり未開社会にどこでもありうる考え方です。ところで、仏教のように、これにたいする価値観を変えるという考え方は、人間の歴史のなかでどういう段階ででてくるかといいますと、未開社会を脱して、原始的な社会からつぎにかんがえられる社会を、アジア的な社会といいますが、このアジア的な社会へと脱してゆく過程で、仏教的な考え方ははじめてでてくるわけです。しかし依然としてその根本には、生れ変わりという考え方が残されていることがいえます。このことはたぶん仏教の考え方の根本を司どっているようにおもわれます。(P207)


C

こういう社会をかんがえてみますと、「生きること」と「死ぬこと」はどういうふうに理解されているかといいますと、氏族の共同体のなかで、あるひとりの人間が死んだときに個人の死というものは存在しないと考えられているわけです。氏族の共同体のなかである個人が死にますとすぐに、もはや霊の集まっている島から霊がやってきて、その氏族のたれか女性に憑いて、そして生れ変わってきます。生れてくると、生れてきた子供にたいして、名前もやはり死んだ人の生れ変わりとかんがえて、おなじ名前・姓をつけます。そうすると共同体として個人の死というものは補充されてしまうわけです。つまりあきらかに未開の社会あるいは未開の氏族共同体のなかでは、個人は死ぬことはできないし、死ぬことはありえないということもできます。いつでも個人が死んでも個人の死として受けとられることはないので、それは共同体のひとつの欠如といいますかひとつの穴があいた。そうすると共同体としてその穴を埋めるということになります。(P211)









項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日
128 死と生 「生きること」と「死ぬこと」 講演 1980.06.21 言葉という思想 弓立社 1981/01/30


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古代思想的な「死」と近代以降の「死」 どういう橋の掛け方が可能なのか
項目
抜粋
1

D

人間にとって重要だとおもわれるようなことは、古代社会が終わったところで、大体においてかんがえつくされています。そこまでで人間の歴史は大切だとおもわれることはたいていかんがえています。近代以降の考え方が、古代的な思想にたいしてちがう考え方を提出しようとしたときの一種の緊張感といったものが、いま挙げましたエンゲルスや、ボーヴォワールや、フーコーの「死」についての考え方にみなぎっています。これらの思想家が真正面から「死」というような、わたしたちの観念からは陰気くさく、眼を背けたくなるような課題に挑んでいるエネルギーはどこからくるかといいますと、古代までに完成されてしまった思想、たとえば、ギリシア思想、仏教の思想、儒教の思想、あるいはキリスト教、ユダヤ的な思想のもつ完結された世界体系の偉大さにたいして、別の原理を提出しようという迫力みたいなものがそうさせているのです。(P217-P218)


E

わたしたち自身は今日の主題にたいしてどうかんがえたらいいのでしょうか。それは、古代思想的な、あるいは近代以前の「死」についての考え方と、それから近代以降の「死」についての考え方のあいだに橋を掛けるとしたら、どういう橋の掛け方が可能なのか、それからそれはどういう仕方で橋を掛けることが問題なのかということになるとおもいます。(P218)


F

ところで近代以降の思想は、この古代人にとって重要だった生れ変わりというような思想を、超心理学、あるいは異常心理学の問題ではないかというように解いてしまいます。現在わたしたちがそう理解してしまいますと、「いかに生きるべきか」という原始的あるいは古代的な社会で重要だった問題が、そこから必然的に除外されてしまいます。除外されてこの人間現象はいわば、精神病理学的な範囲にはいる現象というところで片がつけられることになります。だから輪廻、生れ変わりというものは、そういう迷蒙の一種として理解されてしまう。そうするとそれは一面では真理であるけれども、一面では古代思想のもっている大きさというものが小さな規模の単なる心理学の問題、あるいき単なる精神病理学の問題に還元されてしまう欠陥をもつわけです。だから、そういう橋の掛け方じゃなくて、古代以前の思想と近代以降の「生」と「死」についての思想のあいだに、もっと適切な橋の掛け方を少なくともしなければならない。あるいは、することが重要なんだ、という問題がどうしても提起されてこなくてはなりません。(P219-P220)



項目
抜粋
2

G

しかし、もうひとつの方法がかんがえられるとすれば、それは「死」というものから逆に生の姿を照らし出し、そして透視することです。そこで死に際して演じられるさまざまな段階は生の段階を最大の形で象徴しているということができるとおもいます。(P227)


H

つまり生きている過程で事件に出遇う仕方は、死というギリギリの極限で演じるものとおなじだということがわかります。これがロスの著書によって解明された死に至る五つの段階が、生の過程に与える意味です。このなかに人間の生き方という問題が全部含まれていることがわかります。つまりわれわれが日々生きてゆくなかで、難しい事件や事がらにぶつかったときにどうするかという心の動き方が、まったくそのように動いていることがわかります。つまりそれが最大規模でなされたものが「死」の認識の問題の最大の意味だと理解することができます。(P228-P229)


I

文学作品を成りたたせている要素は、やはりわれわれが「いかに生きるか」というところでぶつかる、いまの五つの段階に人間はどう対処するか、という問題です。これが文学作品の根柢にある構造だということがおわかりになるとおもいます。この構造にはさまざまバリエーションがあり、意識的な回避といいますか、それを引き抜いたところもありますけれと゛も、どこで意識的に引き抜かれているか、ということも含めまして作品をお読みになると、作品の読み方についてのある根本的な態度、あるいは根柢というものがつかめるのではないかとかんがえます。(P230)









項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日
129 ある枕詞の話 講演 1976.06.05 言葉という思想 弓立社 1981/01/30


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ふたつの言葉のあいだの無限空間 枕詞
項目
抜粋
1

@

遠い古代の「諺」という概念は、それとはちがっていただろうといえるとおもいます。つまりそれはわれわれが枕詞と、それをうける状態の言葉だとおもっていること、そのことが、少なくとも『風土記』成立の時代には、「諺」だとおもわれていたのです。古代に「諺」だといわれていた成句から、現在のわたしたちが唯一とりだせる性格は、それが慣用化されていただろうということです。少なくともその地域的な共同体の人々にとっては、「白遠ふ新治の國」という成句は、「諺」としてたれでも口にすればすぐに喚起されるある共通の何かがあったとおもいます。たれにもそのことは口にされ、また口にされれば呼びおこされるものをもっていただろうということだけはいえそうです。それが「諺」という『風土記』の表現からわたしたちがとりだしうる最小限のことです。(P255)


A

ひとくちにいってしまいますと、「白遠ふ」という枕詞と「新治の國」という地名とはまったく厳密な意味連けいとして、古代にはつけられていたのです。近世以降ではもはや枕詞というのは、いわば声調を整えるために、韻律を整えるために使われるんだというくらいの意味あいはありました。近代以降の歌人にとっては、枕詞などは余計な遺物だというかんがえがすべての場所を占めるようになります。この枕詞の機能の変化のなかに、何千年の時間の経過があります。別の云い方をすれば「白遠ふ」という言葉と「新治の國」という言葉のあいだに、もはや連けいすることのできない亀裂、あるいは分離の意識が何千年のあいだに介在してしまったということです。そこで「白遠ふ」という言葉と「新治の國」という言葉とは、意味的にもイメージとしても、もはや完全に無縁のものになりました。つまりこのふたつの言葉のあいだにいわば厖大な、無限空間みたいなものがもたらされてしまったということです。(P257-P258)



項目
抜粋
2

B

つまり「歌」というのは、まさに謎である枕詞と受けの言葉のあいだに何か一句挿入して、そしてもって何かすでに不明になってしまった、あるいはもともと不明かもわからないですけども、不明な符丁かもしれない上と下の言葉を連けいさせようという意識が働いたときに、はじめて発生したわけです。
 これはすでに折口さんなんかが指摘していることですけども、「諺」というのは偶数の句からなり、そして「歌」というのは奇数の句からなっています。例外もあり、そのとおりではありませんが、これはたいへん優れた指摘だとおもいます。なぜなら「白遠ふ新治の國」ではなんだかわからないものを、わかるようにするために必要なのは中間に挿入された一句だからです。つまりそこがわたしたちが現在かんがえている「詩」や「歌」というものと古代の「諺」というものとの深い関係であり、また深い断絶であるといえましょう。(P259-P260)









項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日
130 枕詞の空間 講演 1977.07.06 言葉という思想 弓立社 1981/01/30


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枕詞
項目抜粋
1

@

そのようにかんがえていきますと、俳人にも歌人にも現代詩人にも、詩とはこういうものだと納得のいくような云い方はできないか、という問題にぶつかります。(P261)


A

いままで申し上げてきた語法の問題を逆に現代詩の世界にもってきて、現代詩の世界と「庭つ鳥鶏」という語法を必要とする古典詩の世界とを関連づけようとしますとねひとつだけ手だてがあるような気がします。それは「庭つ鳥鶏」といったばあいおなじことを頭に付ける習慣があったのではなく、上の「庭つ鳥」という言葉と下の「鶏」という言葉のあいだに
無限の空間があったとかんがえたらどうなるかということです。「庭つ鳥鶏」といわざるをえない意識内容がこのふたつの言葉のあいだの空間にあったとかんがえるわけです。その意識内容は現在ではうかがうことはできません。その意識内容は宗教上のものか風景の美にたいする感覚かもわかりません。現在ではわからなくなったその意識内容が「庭つ鳥」の次に「鶏」を喚起したとしたらどうなるか。ぼくたちが帰納的にかんがえがちなように、「鶏」の上に「庭つ鳥」を付ける習慣があったのではなく、「庭つ鳥」と「鶏」のあいだに無限の空間があるとかんがえられないだろうか。これは他のすべてに当て嵌ります。そして、この無限の空間を拡大して、その空間だけを言葉に表現しているのが現代詩だとかんがえたとします。そうすると、大昔の詩と現代詩とに関連がつくのではないでしょうか。
 「巻向の檜原」と詩の中でいう習慣のあった古代人にとって、「巻向」と「檜原」のあいだの意識空間のなかに詩が、すなわちポエジーが存在するということはまったく自明だったとかんがえられます。
 自明だったポエジーの空間というのが、ぼくたちにとっては言語の上の問題や時代の隔たりなどでまったくわからなくなってしまいました。だから「巻向の檜原」という云いまわしにポエジーを感ずることはできなくなってしまったのです。そのかわりぼくたちは現在どういう詩を書いているかというと、まさに大昔の人にとっては自明だったポエジーの空間を、文字に表現しているとかんがえれば、現代詩の意味がはっきりするのではないでしょうか。(P273-P274)


B

わからなくなった言葉に固執しないで、この空間に固執しているのが現代詩だとかんがえたらどうでしょうか。(P276)













項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日
132 感覚の構造 論文 1976.8「現代思想」 初源への言葉 青土社 1979/12/28


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現在に開かれた了解の時間性を媒介的に挿入する 開かれた言語空間
項目抜粋
1

@

地名の先に、その呼称を呼びおこすような言葉を冠し、その言葉と一緒に地名を呼ぶことを、古代人たちは<諺>(ことわざ)と称していた。それは、その地名の村落に住んでいたメンバーが、誰でも言いならわし、また知っていた慣用句であった。わたしたちは、文化の起源を必然化したいために、えてして意味あり気な根拠をつける傾向があるが、そうとはかぎらないで、村落民のひとりがあるとき呼びはじめた呼称が、いつのまにか流布されて定着したというような偶然性もまた、考慮に入れられるべきであろう。けれど慣用句として流布されるには、その呼称にその時代の村落の生活文化の根にとどくような普遍性がなくてはならないはずである。その意味では「衣袖漬」という地名に冠する言葉には、語義か音義に古代村落の文化の根にとどく何かがあって、択ばれたということができる。(P16)


A

この地名に冠せられた<虚飾の言葉>(それは感覚と結びついたことばであるが)を、現在に蘇らせるには、二つの方途がかんがえられる。
 ひとつは、古代では生々しい感覚の言葉でありながら、現在では無用な、虚飾の言葉であるものに対応する文化の根に何があるかを探しもとめることである。もうひとつは、これらの地名のまえに冠せられた感覚の意味をもつ言葉と、組みあわされた地名の慣用句に、説明的な言葉を挿入して、現在でも理解できる慣用句に変形させてしまうことである。このふたつは、根源的にはおなじことを意味している。(P17-P18)


B

この種の感覚的な言葉と地名との組の背後には、古代人の土地に対する呪術的な共通感覚があるとして、その呪術的なものの実体をこれらの<諺>から復元することは難しい。しかし、古代人にとっては、この実体は自明のことのように判っていた。現在この呪術的なものを掘りおこすには、ある意味に沿って了解の時間が流れるように、言葉を挿入することであるとおもえる。この挿入の意味は、古代人の呪術的な信仰の、内閉的な不明さを解体あるいは緩和させて、開かれた言語空間を構成するとともに、現在に開かれた了解の時間性を媒介的に挿入するということを意味している。(P18)



項目抜粋
2
C古代村落にあっては、これらの感覚的な冠詞とそれに結びついた地名とは、音声学的にだけではなく、全感性的に結びついていたのである。この失われた全感性は、わたしたちが現在、ただ<詩>あるいは<歌>によってだけ充填することができる。この仕組みのために言語学は現在、もっとも緊張を強いられているということができよう。(P21)








項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日
133 <死>はなぜあるか 論文 1976.11「現代思想」 初源への言葉 青土社 1979/12/28


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<人は死ぬ>という一般的な命題が成り立たない
項目抜粋
1

@

<人が死ぬ>という個別的な命題はありうるが<人は死ぬ>という一般的な命題はほんとうは、ありえないということをひとびとは見落してゆく。<人は死ぬ>という一般的な命題が成り立たないのは、わたしたちが歴史の時間のすべてと、現在の視野のとどくかぎりの地平にたくさんの他者の<死>を視ることができるのに、じぶんの<死>を視たものも感覚したものも、決して存在し得なかったという理由によっている。このことき<生>という概念も、わたしたちが慣用としているものとは、ほんとうは遙かにちがったものとみなすべきことを暗示している。わたしたちは、自己意識としてかんがえるかぎり<生れ>もしなかったし<死に>もしなかった。これは生命体につきまとう宿命であって、わたしたちが生命現象とかんがえてきたものは、分子生物学がいうほど単純な概念ではとうてい把握することができないから、まったく視角をかえる必要がありそうにおもわれる。(P25)


A

わたしたちは<生れてあった>のであり、<死んである>という状態におかれることができるが、<生れ>ることも<死ぬ>こともできない。このことは<死>が媒介的な認識としてしか存在しえないことを示唆している。おなじことを別な言葉でいうことになるが<死>についての思想は、ただ媒介的にしか根源的であり得ないということを暗示している。わたしたちは<死>についての実践的な思想を人類の歴史のはじめからもっていた。それらは自然宗教的に、あるいは超越宗教的に、あるいは道徳的に、あるいは<科学>的にといった具合にさまざまの形でみることができる。そしてわが国における<死>についての実践的な思想が特徴をもっているとすれば、よりおおく自然宗教的な残渣とむすびついているため、いちように媒介的な認識を豊饒にしなかったということである。<死>はいつも身体の直接性に還元されるような覚悟性に帰着され、<死>を媒介として累積され展開されたゆく認識の系譜が生み出されることはなかった。これは<死>が自体の消失や抹殺の恐怖や哀惜や哀れを誘う情緒の次元を離脱できなかったし、自己意識としては漠然とした予感の問題としてしか内省されなかったからである。<死>の予感や宿命感や恐怖感はけっして<死>(の自覚)ではない。<死>の予感や宿命感や恐怖感はつきつめてゆけば、<死>をじぶんで識知することの不可能性にぶつかり、この不可能性を契機に媒介的な認識の系が展開されるはずであった。だが、曖昧な<死>の感性的な効用だけが強調されることになったのである。(P26-P27)













項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日
134 始源の<言葉> 法の初源・言葉の初源 論文 1977.8「現代思想」 初源への言葉 青土社 1979/12/28


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始源の<言葉>とそれを記述する<言葉>
項目抜粋
1

@

はじめに神話があった。神話は<言葉>の始まりあるいは始まりの<言葉>であった。神話は始源の<言葉>そのものであって、単語や文節に意味がふりあてられたのはそのあとである。これは神話を叙述する<言葉>とはまるでちがっていた。ここに始源の<言葉>とそれを記述する<言葉>との矛盾があらわれる。一般に神話を記述する言葉は古くも新しくもありえたのである。共同体がつくられたとき<法>はすでに宗教の形としてはあった。けれどこの<法>はどんな実体をもっていたか、まったくわからなくなってしまった。記述するなら神話の登場人物にふりあてるほかに最古の<法>は言葉にあらわせなかったのである。けだしわたしたちが最古の神法とかんがえているものは、この矛盾の所産であって、ほんとうは神話によって<法>を記述したところに神法という概念の本質があるようにみうけられる。 (P33)


A

<法>的な言葉はたぶん、その生きた共同体の大多数によって流布され無意識のうちに認められている言語観を集約するものである。神話が記した最初の<法>的な言葉である<天津罪>の項目に、読まれるべき実体があるとすれば、たんに神話解釈の問題にかかわるだけではなく、伝承し記載した時代の言語観と深くかかわっているはずである。(P43)


B

私が云うべきことは、ある時代におけるある社会の大多数に容認されている言語観は、もっとも尖鋭的な形で<法>的な言語に集約されるということなのだ。そして少数にしか容認されない言語観はもっとも尖鋭に文学的(詩的)な表現に集約される。
 そうではないか?詩的言語はたんに意味によってではなく、その在り方の全体、イメージの総体によって、もっとも本質的に時代の<法>的な言語、その解釈の意味ではなく解釈の根拠となる言語観と対峙するのではないか? (P46)



項目抜粋
2

C

わたしたちが神話の<天津罪>でつきあたっているのは、<宗教>から<法>へ、<法>から<国家>へと累進されてゆく共同幻想の本質過程において<宗教>から<法>の萌芽への過渡的な形態がどうであったかの問題である。これはとうぜん<罰>の概念をも独特な仕方で呼び込むものであった。たしかに、未明の共同体において具体的な現実の違法行為がどんなものであつたかを例示されていることになる。・・・・これらを綜合すれば未明のわが共同体においてどんな具体的な行為が違反行為として存在したかを察知することができよう。それとともに例示された違反行為はけっして具体的な現実の行為の典型例の表示ではなかった。部族国家あるいは前部族的な共同体における部族神(農耕神)の神聖を冒涜する穢悪行為を潜在的な言語過程において包括する言葉として存在していた。これはわたしたちが現在流布されてもっている言語観からはけっして知ることはできない。現在流布されている実証主義的な、あるいは機能的な言語観では、スサノ男の物語上の個々の違反行為はそのまま現実の違反行為を拾いあげて例示した条文の規定のようなものとみなされてしまう。けれどこの理解の仕方は途方もなくちがっている。これらの項目が暗示しているのは個々の間接行為と直接行為を媒介にして農耕神信仰を冒涜する行為を、個々の項目の名辞の背後に総体として包括することである。そこに<天津罪>の挙げられた項目の神法としての本質があった。
  スサノ男命が負荷された刑罰についてもおなじ問題が介在した。かれが負担した「千位の置戸」は科料の物品であるとともに罪科が農耕神の神聖を穢悪する行為であるがゆえに、祓い清めるために用いる供犠と祭儀の道具の意味をもつものであった。つまり切りとられた髭や手足の爪や、つばやよだれとおなじ呪的な意味を本質としたのである。・・・・けれど現在、わたしたちは<天津罪>にたいする刑罰が、ただ神聖を犯したことへの清祓行為を本質とすることだけを読みとるべきなのだ。
(P49-P52)
【注.この論文は、なかなかわかりにくい】冒涜の涜の字が違う









項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日
137 『初期』の『歌謡』 <初期>ということ<歌謡>ということ 論文 1977.8.1「週刊読書人」 初源への言葉 青土社 1979/12/28


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有り得た原日本語の幻想の姿 未来を志向する能力と過去に遡行しうる能力
項目抜粋
1

@

想像力が未来を志向する能力は、過去に遡行しうる能力と正確に比例するという仮定は、わたしにはもっとも魅力ある仮定のひとつである。これは一般に歴史が現在の立場と情況に到達する仕方を、もっともよく象徴しているからだ。


A

わたしもまた、ある時期から『古事記』や『日本書紀』に書かれている日本語は、宣長に典型をもとめられる近世の国学者たちが考えたよりも、遙かに新しいものではないか。もっと以前に存在し話され流布されていた日本語は、途方もなく異っていたのに、無理に漢字で表音、表意したとき変ってしまったのではないか。その名残りだけが『古事記』や『日本書紀』のなかで、まるで何のことか解釈のつかない言葉として留められているのではないか。そういう疑念を蝮のように育てるようになった。そして近世以後強いて解釈しようとした古語、古文の理解には、こじつけとでたらめが多いのではないか。こう思わずにはいられなくなった。この疑念は挿入された歌謡にたいする疑問につながる。要約すれば挿入された歌謡の元の形は、いまあるものではないのではないかというのが第一の疑問である。第二の疑問はこの元の形を、初期の宮廷に召還された氏姓歌謡や氏族歌謡として再構成する遣り方は、なお遡行の時間を短くとりすぎたために起る錯覚ではないかということである。(P108-P109)



項目抜粋
2

B

現在までのわが国の歴史時代の歌謡は約二千年を経ている。そしてたぶんに口誦時代の歌謡のおもかげをのこした『記』や『紀』の歌謡から和歌が成立した『古今集』時代までは約千年である。ここまでの日本の歌謡時代を「初期」とみなせば、この「初期」はとうぜん『記』や『紀』に挿入された歌謡よりも千年くらい以前まで遡行しなければならないし、また現在に到達する詩的なものの歴史としては約二千年ほど遡行した時期を想定しなければならない。そしてこの遡行はやはり最古の古典である『記』や『紀』の歌謡を土台とするほかない。この課題はとうぜん有り得た原日本語の幻想の姿を眼にすえることと切離すことはできない。・・・・
 わたしの使った方法は、ただ削り落すこと、いっさい再構成せずに解体することであった。余計な空想を恣意的に述べたり、当てずっぽうの再構成の作業をするくらいなら、怪しい詩章と詩句は全部削ってしまった方がいいのだ。こうして姿をあらわす古歌謡の姿が、ひとびとがいままで考えたり、解釈したりしてきたものと異なっていても致し方がない。わたしはじぶんのとった方法が、ひとつの試みという以上の意味をもちうるのかどうかまったく判らない。現在の段階でじぶんの仕方にじぶんなりの確信があるとすれば、ここでわたしが『初期』の『歌謡』と規定した詩歌の時代の総体にたいして、ひとつの統一した構想力を提出したということだけである。そして古典古代以前のわが共同体の言葉の姿が、わたしたちにおぼろ気なように、この構想力にひっかかってくる史前の歌謡の姿はおぼろ気であるというほかなかった。(P110-P111)


C

わたしをこの仕事に駆りたてたもうひとつの衝迫力は、<詩>の現状であった。
なぜわたしたちは、俳句、短歌、現代詩をひとしく、<詩>としてつかむ視点をもちえないのか。これは苛立たしい困惑であり、根深い文明史的な怨恨にかかわってくる。(P111)








項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日
140 <初源>への<姿勢> あとがき 論文 1979.11 初源への言葉 青土社 1979/12/28


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項目抜粋
1

@

本を編むのは毛糸を編むとか紙を漉くとかいうのとおなじにそれ自体がさまざまな作成の意図の集まりと重なりであろう。わたしにとってこの書物は何を編んでいることになるのかと云えば言葉で<初源>への<姿勢>を編んでいるということになりそうである。<姿勢>ということにはさまざまな意味が含まれている。手や足の位置、気分のおきどころ、構え、予望、準備そして終了のあとの間合いなど、すべてが<姿勢>に関与している。『言語にとって美とはなにか』、『共同幻想論』、『心的現象論』の軌道のうえで外部からと内部からと、わたしを待ちうけていたものは、それらの軌道を動的に根柢的に揺さぶること(あるいは揺さぶられること)、展開すること、そして収斂させることなどのかだいであった。<姿勢>はすべてそのことに関していた。わたしは気息を整えてさまざまな麓からひとつの課題へとりつこうとしてきた。(P462)


A

わたしたちが解決しなければならない思想的な課題は読者たちにもよく判っているのであろう。問題はその課題の提出のされ方、収拾のされ方が普遍的であるとともに深く固有でもあるという方法の実現の仕方にかかっている。これは<言葉>の領域とその奥ゆきの問題でもあるとともに<初源>へ遡行し、また逆に<初源>を再構成する問題でもある。あるいはそういう問題の提出のされ方、収拾のされ方によって覆い隠されてしまう暗黙の世界の全領域にまたがった課題である。(P464)













項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日
148 書物 4書物 倒像 不在 論文 1989.6 言葉からの触手 河出書房新社 1995/07/25


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極限としての現在 表側からの視線と裏側からの視線
項目抜粋
1

@わたしが書く。書きすぎる。するとなにがこの世界におこるのか。わたしに実感できるのは、一瞬だけ書きおえた安堵にひたり、胸や頭のあたりが空っぽになった気がし、しばらくはおぞましくて、どんなことも書きたくないという感情に支配されるということくらいだ。わたしの内部におこったことは、外側の世界からはうかがいしれないようにみえる。それならばわたしが、ではなく世界が書きすぎ、書物が氾濫しすぎたら、なにがこの世界におこるのか。同じく、春秋の筆法をもってすれば、世界が一瞬だけ書きおえた安堵にひたり、世界の胸や頭のあたりが空っぽになった気がし、しばらくはおぞましくて、どんなことも書きたくない感じに支配されるはずだ。それから世界はどう振舞うだろうか。もし世界にゆとりがなければ、ちょうどわたしがそうするだろうように、ふたたび書きすぎ、書物を氾濫させるという反復に入るだろう。世界にゆとりがあれば、わたしがそうするだろうように、おぞましいと感じた分だけは、霧散させるために身体を行動させるだろう。・・・・もし世界が反復も霧散もならないほど逼迫していたらどうするだろうか。世界はじぶんの無意識に、じぶんの逼迫を映しだすにちがいない。わたしたちは、この無意識が逼迫したときの世界の倒像を、極限としての現在とみなしている。(P30-P31)

A書物はこの倒像のなかでは、文字が記載されている個所だけくりぬかれている。また書物の氾濫はその氾濫分だけ空洞になっている。この意味では世界は、書物の情報量の総体だけ神経系統に障害をうけるといっていい。よい空気。よい栄養。だが肝腎の抗生物質だけは、世界の空洞からしか培養することができない。

現在(コレ太字)というものの病原は、どうやって形成され、どんな伝播の特質をもっているのか。それをわりだすのは難しい。ただ理路としていうだけなら、系統的にそれを位置づけるのはできないことはない。それぞれの書物のそれぞれの頁は、じぶん以外の他の書物の他の頁と異種または同種交配できる性質をもっている。このばあいこれを媒介するのは、人間の頭脳の働きがうみだす波動の重畳体みたいな像(ルビ イメージ)だといえる。ここでは人間は像(ルビ イメージ)が身体であり、身体のほうが観念のフィード・バックに転化する。そしてまたここが人間の身体が像(ルビ イメージ)に転化する唯一の場所だといえる。(P32-P33)

項目抜粋
2
B書物。それは紙のうえに印刷された文字の集積体でもなければ、ある著作者の観念の系譜が、言葉にあらわされたものでもない。それは表側の視線からみると、起源からやってくる人間の反復・霧散・逼迫の連続体であり、裏側の視線からみると、終末から逆に照射された人間の障害・空洞・異種または同種交配の網の目である現在(コレ太字)のことだというべきだ。
書物は、至上の書物あるいは最高の書物でも、ただひとつの絶対的な真理を埋蔵することは、先験的にできない。その理由は、どんな書物も書物であるかぎり、表側からの反復・霧散・逼迫と裏側からの障害・空洞・異種または同種交配の視線によって、はじめてこの世界に存在できるからだ。
(P33-P34)






項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日
152 思考 8思考 身体 死 論文 1989.6 言葉からの触手 河出書房新社 1995/07/25


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思考しているときには身体は
項目抜粋
1

@

思考にふさわしい環境は、身体にふさわしい環境とおなじだ。だが思考しているときには身体は無意識になっているか、思考そのもののなかに熔融してしまっている。一瞬内省する眼ざしのとき思考しているじぶんの身体の像(ルビ イメージ)が視えたとおもうだけだ。思考のなかに融けてしまった身体が、そのときいわば無意識の水面にさざなみをたてているのだ。おなじように思考するじぶんの身体を、思考の対象にしたいとおもって振舞うとき、身体の像(ルビ イメージ)が視える。
思考に個性がかんがえられるとすれば、身体に個性がかんがえられるのとおなじだ。・・・・思考もまた展開される<意味>や<目的>に個性があるのではなくて、言葉というX光線にのせたとき、透視される思考の骨組みや臓器の運動に個性的なものが視えるのだ。思考の骨組みや臓器の運動は、思考が蓄積された経験が、無意識のはてにつくりあげたものにほかならない。 (P58-P59)


A

思考が骨組みや内臓をうしなうということは、ふたつの意味にかんがえられる。ひとつはその思考が対象反射の強度だけ、その結び目だけをえらんで走ることによってだ。もうひとつは思考そのものの停止、死ということによってだ。はじめのばあいは思考は感覚的な受けいれそのものに転化してしまうか、それと同一とみなしてかんがえられる。第二のばあいは「茫然とした無為」をふりあてるべきだろうか。あるいは身体の死と並行した「思考の死」をあてるべきだろうか。これは測り難いところだ。

・・・・でもただひとつのことは明瞭だ。「思考の死」または「老い」に似た「茫然とした無為」がなければ、思考は転結をもちえないだろうということ。べつの言葉でいえば物語をつくりえないだろうということだ。(P59-P60)


B

・・・・でもわたしの身体が母胎を離れて分娩されたのは確実なのに、わたしのこころの状態は母胎を離れたという体験をへていない。こんなことがあるんだとすれば、思考のさいにじぶんの身体の像(ルビ イメージ)がいつもちらついている状態で回帰する時間と場所が、それにあたるのではないのだろうか。わたしたちは誕生したとき、すくなくとも像(ルビ イメージ)としては、死を胎内においてきたはずなのだ。(P63)



項目抜粋
2






項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日
153 想像力 9力 流れ 線分 論文 1989.6 言葉からの触手 河出書房新社 1995/07/25


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対象を像化する力
項目抜粋
1

@

想像力を力能が発現するひとつの形式だとかんがえると、この力は対象とする物が概念化されるちょうどそのとき、そのところで、対象を像化する力だといえよう。こういった力はどう図表化されればよいのか。まず第一に概念化のときに必要な抽象の度あいを、対象物の物象の次元にまでさしもどす方向の力を、ひとつの要素としてもつはずだ。もうひとつの要素は、物象を重複化(多重化)する力としてあらわされる。するとこのふたつの要素的な力の合成ベクトルが、想像力の像をつくるための力線をあらわすことになる。だがここで自問してみる。想像力は、領域としていつも不変なのか、それともなんらかの意味でそのつど、画定しなくてはいけない領域をもつものなのか?まだある。想像力は夢の表出力と、像としてどこがちがうのか?そしてこれらはどう図表化したらよいのか?
想像力があらわれる領域は、経験的にそのつどそれぞれに多様な、違ったものでもなければ、先験的に対象の物象の度あいによってきまる抽象の領域でもない。対象が対象の概念から像化される領域と、対象が対象の形象から像化される領域を、いつも重層的な流れのひろがりとしてもっているといえる。この領域はちょうど中心にある想像力の一点から、水みたいに抛物状に溢れでて、周辺にむかう流れとして像化される。たとえばおおきな果実の形態は、この想像力の領域を、溢れでた無数の流れと線分で画定したものにあたっている。ありふれたリンゴの形は、けっして偶然の形ではない。果肉と液汁の細胞が溢れでたとき画定される領域が、眼に視えるようになったひとつのあらわれなのだ。 (P66-P67)


Aひとつの形と他のひとつの形との差異は固有性と呼ばれていい。それは固有の質のあらわれとみなされるからだ。でもこれは、形を外から鳥瞰してつくりだされた規定だ。ひとつの形と他のひとつの形とのちがいは、中心から溢れでた流れが、じぶん自身(それ自体)をずらし、じぶん自身(それ自体)でありながら、べつのものになろうとするときの摂動のあらわれだ。だから形の根柢にあるものは、じぶん自身(それ自体)がそれとしてありながら、べつのものとしてあるという状態だ。じぶん自身(それ自体)と、このべつのものの振幅の限界が、形と呼ばれるものだ。 (P68)



項目抜粋
2

B

想像力が、じぶん自身(それ自体)の力能にじぶんの領域を画定する根拠をもっていて、しかも根拠の上位にそれ以外のじぶんで位置づけるものをもつているとき、それは意志とよばれる。だから意志は錯覚する自由と、図表化を擬制にする自由をもっている。いや逆にじぶん自身(それ自体)の挙動が完全な自由をもつことが意志の定義とだといっていいくらいだ。こんなふうに個別的に規定しているかぎり、意志は力ではあっても擬似的な力にすぎないから、線分と流れによって像化することができない。任意の瞬間にアト・ランダムに、いつでも多方向に噴きだすような意志の自由線は、像として描きようがないものだ。すくなくとも古典的にはそうかんがえるよりほかない。(P69-P70)


Cだが、と現在では保留がつけられるべきだ。個別にみられた意志の定義としての自由の無規定性は、ホログラフィックに、つまり実体の自然根拠なしに、任意の瞬間に任意の場所に像化して描きだせるようになった。力の線分とその流れが無数に折り畳まれていて、しかも像をつくりだせないばあいにも、線分と線分の交点でできた系列は、ある濃度の無限集合の系をつくれるかぎりは像化できるし、またこの無限集合を有意に配位できれば、その像化に形を与えることもできる。これはなにもあたらしい原理ではないが、眼に視える像として実現させたのは近年のことだといえる。これは個別的な意志のあらわれとしての自由の無規定性に、あたらしい意味を与えずにはおかない。いってみれば、個別ごとの意志の自由は、無規定でありながら、その無規定性自体が画定領域をもてるということだ。・・・・個別の意志のうち、その言動(振舞い)がアト・ランダムで、恣意的で、空虚だとみなされたもののなかに、力と流れと線分を交叉させてコンパクト(完備)な集合列をつくって、像をおもいえがけるようになった。(P69-P71)








項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日
156 左翼の条件 12噂する 触れる 左翼する 論文 1989.6 言葉からの触手 河出書房新社 1995/07/25


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膨大で高度になった情報化装置
項目抜粋
1

@

膨大で高度になった情報化装置それ自体は、機能的な有効さという以外の魔力などどこにももつていない。また魔術を演ずる力があるはずがない。ただ便利だというだけだ。人間の頭脳の部分的な機械化であるこの装置は、幾何学的な形と神経繊維をむきだしにしたような配線の物体性で、わたしたちの情緒のやわらかい起源を威圧する。それはちょうど膨大な高層ビルの外観が、ちかよってなかにはいろうとするわたしたちを威圧し、気おれを感じさせるのとおなじだ。内部には魔ものなどなにも住んでいないのに。顔のない司祭は、ほんとは架空の存在だ。だが架空の存在だということで、わたしたちの情緒のやわらかい起源を威圧しつづけている。情緒の起源を急襲されて死に瀕した知識ある魚たちの姿をよく視つめなくてはならない。(P91)


A

左翼とはなにかということを、情緒の側面から数えあげる遊びをかんがえたことがある。・・・・そこで情緒からみた左翼の条件は、第一に、じぶんが手に触れ、確かめたことがない一切を疑うこと。はんたいに噂、じぶんが確かめたことがない一切の言表と、それを流布する者を拒絶すること。・・・・第二に思想は無思想より下位にあることを心得ていること。・・・・第三に天然自然よりもよい自然は可能で造れるとかんがえること。それが「自己意識」ある自然にまで、じぶんを転化生成させてきた人間という類の「自己意識」の内容をなしてきた認識だからだ。 (P92-P94)



項目抜粋
2






項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日
174 死の構造 <死>の構造 講演 1987.10.7-11.21 人間と死 春秋社 1988/06/25


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誕生と死 死の体験の仕方の二律背反
項目抜粋
1

@

しかし大昔から人間は、どうやったら死の恐怖を超えられるか考えてきました。・・・・しかし、それでもぼくらのような宗教じゃない無信仰の場所から死について考えることに特色があるとすれば、ただひとつしかないと思われます。
 よくそのことを知るということには、そのことの怖れをすこしずつ薄らげる作用があります。つまり、死をよく考えていけばいくほど、死の怖れのなかにつきまとっている一種の迷信とか迷妄とかがだんだん薄らぎ、剥げていって、知らない前よりはるかに怖れは少なくなっていくということがあります。それでも死の怖れはのこるにちがいありません。しかし、人間はそういうかたちでどこまでも死についてよりよく知ることができる存在だと思います。(P8-P9)


A

胎児は、まだ言葉はあまりできませんが、出てきたときにだいたいオギャーッと泣きますから、そのときにものすごく怖い体験をしていると思います。それは、われわれが漠然と死というものを考えていて、死のときには怖いにちがいないというふうに思っているのと、ちょうど同じくらい怖いんだと思います。体内から出たときというのは、そうとう環境が激烈に変わりますから、それはものすごく怖いことだと思います。ですから、人間がまるでほかの世界へ行ったみたいに怖いことというのは、たぶん人生で二回体験するので、それは生まれたときと、死ぬときだろうと思います。これがまずぼくの言いたいことです。(P13)


B

誕生のとき、体内から出てきた折りの怖さは、ふりかえって追いつめていくと、まったく記憶にないことはないんです。記憶が延長すればわからないことはない、あるいは知識が進歩すればわからないことはないわけです。しかし死のばあいには、死から向こうへ行っちゃったというのはわからないですが、そのかわりに他人の死はわかります。つまり、他人がどう死んでいくかというのは、目撃したり体験したりすることができるというたいへん単純な構造をもっています。これがまず<死>の構造のいちばん基本にあるものです。そこだけが、誕生のときの怖さと、死ぬときの怖さとの違うところだと思います。
 死ぬということを漠然と怖いものだと思っているのは、それはただ思っているだけで、じぶんがほんとうにやってみたら、存外そうじゃないのかもしれません。究極的にはじぶんでじぶんの死はわかりませんから、ほんとうは怖いもなにもないわけです。<死>の構造はそういうふうにできています。それが死のいちばん根本にある構造ではないでしょうか。  (P15-P16)



項目抜粋
2

C

すべての死についての考え方(宗教も含めて)は、いま申しあげました<死>の構造を解明するということからはじまっているわけです。ところが、あらゆる死についての考え方は、そこへまた還ってきてしまいます。結局、その往還の繰り返しが死の基本的な構造ということになりましょう。 (P16)


D

つまり、<死につつある体験>のいちばんの特徴は、じぶんが体験しつつあるじぶんの姿と、看護している人とかによってはたから見られているじぶんの姿とは、たいへん食い違ってしまうということです。それがたぶん<死につつある体験>のおおきな特徴ではないかと思われます。・・・・
 死は、いま申しあげましたように体験としては分裂なんです。じぶんと他人とのあいだの体験のしかたが二律背反なのが、死というものの特徴です。それを、なんとかして、これが死なんだとというふうに、統一的にといいますか、融合的にといいますか、そういう見方ができないのかというのが、死についての根本的な思想です。あるいはその思想が追究している個所にあたっています。(P18-P19)


【ハイデッガー、サルトルの死の思想に触れたあと】
E

しかし、そういうことはサルトルなんかには夢のまた夢であるわけです。彼は、石のなかで、つまりマンションみたいなところで死ぬまで仕事して、考えを練ったりしながら、ひとりで索漠と死ぬわけでしょう。それはやっぱりそうとうすごいなという感じをもちます。
 ぼくだったら、どういう死がいいかって言われたら、なんとなく家でごろごろ寝てて、というのがいいですね。そんなふうに考えると、日本はすごく甘いような気がするんです。甘いほうがいいんだよ、というふうには思いますが、その甘さの位置は確かめておくべきだと思います。
 ヨーロッパの現代社会は、そういうところには帰えれないわけです。日本もだんだんヨーロッパの社会のようになっていって、いまだったら、まだ理想的に死ねる可能性もないことはない、というあんばいだと考えます。  (P31)








項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日
175 死の構造 <死>の構造 講演 1987.10.7-11.21 人間と死 春秋社 1988/06/25


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フーコーの死の追いつめ方 死は分布する
項目抜粋
1

【死は分布する−フーコーの死の追いつめ方、『臨床医学の誕生』】
F

ミッシェル・フーコーはどちらかといえば死の体験の分裂みたいなことをはじめから避けるために、死を肉体の死とか身体の死とかに限定するというところから出発している、というふうに思います。
 そのばあい、まずなにが問題になるかというと、さきほどから言っている<死につつある状態>というのは、死を肉体とか生理とかに限定すれば、どういうことになるか、ということです。・・・・
 そうすると、われわれがふつう肉体の死と考えていることは、ほんとうに追いつめていきますと、そんなに簡単でないということがわかります。(P32-P33)


G

つまり、ほんとうの死というのは、肉体のなかで、時間的にも空間的(身体のなかの全部)にも、<分布>して存在するんだ、ということを言ったのは、ぼくの理解のしかたからみれば、フーコーがはじめてだと思います。・・・・そういうことについて明瞭に、思想として理念として言ったのは、フーコーがはじめてだと思います。・・・・
 つまり、どんな肉体の死であっても、いっぺんに死がくるのではない。死は明瞭な確定的な境界があって、ここまでは生、ここから先は死、そういうふうにはなかなか言えないので、ほんとうに厳密にいったら、死は人間の身体のなかで、空間的にいっても、時間的にいっても、微妙に分散していっているということになります。(P34-P35)


H

少なくとも、無宗教の立場からいえば、死の向こう側には世界はないわけなんですが、しかし、死を追いつめて追いつめて、ぎりぎりのところを追いつめながら、なんか知らないけれど、死の向こう側へいっちゃうところまで死を追いつめて、死の境界といいましょうか、ここで死に対面しているんだというところーぼくらは必然的に死というものを一点のように考えているわけですけれどもーその一点も消えちゃうというかたちで、死というのは一種の<分布>なんだというところまで、死を追いつめていくことができます。つまり、死の境界とか、死はこれだというイメージはほんとうは曖昧で、よくよく追いつめてみると、死の向こう側まで追いつめていっちゃっているかと思うと、つまり、死についての考え方が死の向こう側へ空間的に<分布>していったかと思うと、また向こう側からこちら側に還ってきたりというようなかたちで、死というもののイメージを、境界あるいは一点のようにイメージするのはまちがいだというところまで追いつめていくことができます。(P45)



項目抜粋
2

I

要するに、死というのは一種の<分布>なんだ、思考力としての<分布>の問題なんだ、というところまで死を追いつめていくというのが、ぼくは理想なような気がします。・・・・
 それでぼくがこれから考えていくとすれば、境界を取っ払うといいましょうか、イメージが点になっちゃう死の考え方は取っ払っちゃう、死というのは一種の<分布>なんだというところまでいければいちばんいいと思います。しかし、それはたいへんなことなんだろうと思います。でもかんがえるとすれば、そういう考え方をすると思います。・・・・
 つまり、死は一種の<分布>で、時間的にも空間的にも死の向こうへ考えがいって、そしてまた、その考え方がこちらに還ってくるというような、そういうことをやることによって、死は点だ、あるいは線だ、あるいは境界だという考え方を、もう取り払うところまでいくというのが理想だと思います。
 しかし、この考え方は、そういう考え方の次元で成り立つので、死には死の社会的な問題とか、死の家族的問題とか、さまざまな次元が重層してありますので、そういうこととは次元の違うことです。そういう問題は、また別の次元の問題として考えていかなければいけないし、もし、理想の状態が出現するなら、そこへいかなければいけないという問題をはらんでいると思います。ぼくのお話したのは、それとは違う生と死ということが人間の考えのなかで循環していくというそういう場所での、ひとつの死の追いつめ方をお伝えしたということになると思います。(P46-P47)








項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日
188 <疎外>の概念 表現概念としての<疎外> インタビュー 世界認識の方法 中央公論社 1980/06/10


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理念と現実の分離のさせ方が問題なのです ヘーゲルにおける<疎外>の概念 マルクスの<否定の否定>
項目
抜粋
1

【マルクスのヘーゲル理解について】
@

<歴史>をあつかうばあい、ヘーゲルはまず、−ぼくもそうですが−<無限者><普遍者>といった理念の側から現実の方へとたどっていきます。そして<歴史>が時代を超えて実現されていく過程は、普遍的な世界理念が実現されていく過程だとみなされています。これは、人間の現実世界での活動の積み重ねが<歴史>だという考え方と逆で、<普遍者>あるいは理念の側から人間の現実世界での活動をみていくことです。別のいい方をすれば人間の<歴史>は理念が実現されてゆく過程で、理念の実現のために逆に具体的な人間の活動がある、というようにかんがえることを意味します。この考え方自体が観念的であるかどうかが問題なのではありません。
理念と現実の分離のさせ方が問題なのです。マルクスはこの分離のさせ方、したがって分離の棄却の予想をヘーゲルにおける<疎外>の概念だとみなしました。ぼくはそう解釈しています。
 
この考え方のなかでなにが重要なのかといえばただ一つ、人間の理念がえがく<歴史>と現実の人間の具体的な活動の結果とはどうして食いちがうのか、そこのところにあるとおもいます。そこをヘーゲルはどう捉えているかというと、食いちがうこと自体が<疎外>であり、同時に、その<疎外>自体が<疎外>を止揚する原動力となり、食いちがっている理念と現実の活動を結びつけているとかんがえます。ここからは<疎外>は常態の概念を意味しています。<歴史>がじぶんを<疎外>として実現することは必然的な常態の概念なのです。この<疎外>は同時にその打ち消し、つまり<歴史>の消去として存在しています。
 ヘーゲルは<世界理念>の実現を<歴史>の本来的な過程とみなしていますから、この常態の持続こそが<歴史>の過程だということですんでしまいます。
 
マルクスはそれですますことができずにそこのところで、理念として描かれる<歴史>と現実世界での人間のさまざまな活動の結果のあいだにある分離を結びつけている構造は何かをかんがえました。そしてマルクスの眼の位置からヘーゲルを眺めてみると−ここがマルクスのヘーゲル解釈のいちばんの要めだとおもいますが−ここに介在する構造が<否定の否定>だということに気づいたのだとおいます。


A

人間の現実世界でのさまざまな活動は、実現されるはずの<歴史>の理念を<自己疎外>します。あるいはその活動と理念のあいだに分裂が生じます。この分裂した理念と現実とが<否定の否定>という関係で結びつけられています。マルクスはそう理解することでヘーゲルの<歴史>の理念はそのまま生きることができるとかんがえたとおもいます。
ヘーゲルが<理念的なものは現実的なものだ>、あるいは<現実的なものは必ず理念的なものだ>とかんがえた場合の理念と現実とを結びつけている自己同一性は、マルクスによれば<否定の否定>なのです。(P121-P122)


項目
抜粋
2

B

マルクスはヘーゲルの理念としての<歴史>(世界史)の概念を<否定の否定>という構造で常態と認めているのだとおもいます。
 ヘーゲルの<歴史>理念は間違っているのか。観念的なものにすぎぬのか。この問いにたいするマルクスの答えは、ヘーゲルはけっして間違っていないし、観念的でもないということなのです。ただし人間の現実世界でのさまざまな活動の<否定の否定>が、実現さるべき<歴史>の理念だとするならば、そのばあいの理念には条件がいります。つまり具体的な、あるいは事実的な<歴史>ということではなく
<発生>史ないし<起源>(源泉)として理解するならヘーゲルのいっていることは許容されるという概念です。マルクスの理解の仕方はそうなっていると解釈できます。
 <否定の否定>という概念は比喩的にいいますと、現実世界でのある具体的な人間の活動の総和を<歴史>として、この<総和としての歴史>を一度否定しますと、一つの媒介的な観念がでてきますね。現実性の否定としての媒介的観念です。この媒介観念は観念にちがいありませんから、歴史を織物のようなものに比喩しますと、縦糸だけの写像です。それをもう一度否定しますと、こんどは横糸で否定するということになるのです。そうすると残るのはたかだか点になってしまう。ヘーゲルの<歴史>の理念は世界点になってしまうのです。つまり<発生>です。けれども<発生>史の概念としてならヘーゲルの<歴史>の理念は正当だとマルクスはみなしているとおもいます。(P123-P124)



備考
 (備 考)

@より

「この考え方のなかでなにが重要なのかといえばただ一つ、人間の理念がえがく<歴史>と現実の人間の具体的な活動の結果とはどうして食いちがうのか、そこのところにあるとおもいます。そこをヘーゲルはどう捉えているかというと、食いちがうこと自体が<疎外>であり、同時に、その<疎外>自体が<疎外>を止揚する原動力となり、食いちがっている理念と現実の活動を結びつけているとかんがえます。ここからは<疎外>は常態の概念を意味しています。<歴史>がじぶんを<疎外>として実現することは必然的な常態の概念なのです。この<疎外>は同時にその打ち消し、つまり<歴史>の消去として存在しています。」

晩年の吉本さんは、ヘーゲルーマルクスの歴史把握に疑問を出されていたように思う。よくおさるさんから人類史をたどり直すことを語られていた。相変わらず、歴史の理念と現実との間に横たわる問題が、わたしたちにとっても問題であるように思う。大きな時間のスケールでは、人類はどのような歩みを成していくのかと。わたしには、大きな時間のスケールでの「主流」ということが気になっている。







項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日
189 <疎外>の概念 表現概念としての<疎外> インタビュー 世界認識の方法 中央公論社 1980/06/10


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マルクスの<自然>哲学 ぼくにとっては<疎外>という言葉は、広い意味の<表現> (表象)という概念とおなじ マルクスの設定している経済社会カテゴリーというのは
項目
抜粋
1

【マルクスの<自然>哲学について】
C

人間がなんらかの意味で、事実の世界のなかで現実の活動−実践といっても行為といってもいいんですが−をするばあい、いちばん基本にあるのは、人間の自然としての部分、つまり身体を動かすことであり、何にたいしてかというと、外的対象として外部の自然です。このことは人間の(身体を動かす)活動が、外的自然を、何らかの意味で観念的にか現実的にか変形する、あるいは手を加えて加工することを意味し、同時に、人間の身体もまた外的な自然によって変形される、そういう
一種の<交換>を意味しています。このことがマルクスのかんがえた<自己疎外>の自然的規定ということだとおもいます。
 つまり人間が身体という有機的自然を介して外界の無機的自然に働きかけると、外界はそのまま人間を受けいれるのではなく、いわば人間化されて人間の<非有機的身体>になってしまう。そして人間の身体も自然化されて<自己疎外>態となる。そういう相互に規定しあう<交換>がどうしても生じてきます。人間は本来の自分以外のものになることによってしか外界=自然に働きかけることはできず、自然ももとあった自然以外のものにならずには人間と接触できないということですね。これが初期マルクスの<自己疎外>概念の基底にあるものだとおもいます。 (P125)


D

ぼくの理解の仕方では、マルクスのかんがえた市民社会の核である経済領域は、やはりマルクスの<自然>哲学からの
<自己疎外>態なのです。そして経済社会領域はマルクスにとっていちばん<自然史>的カテゴリーとして扱える領域なのですね。・・・・
 
ぼくにとっては<疎外>という言葉は、広い意味の<表現> (表象)という概念とおなじだと理解してくださっていいとおもいます。そのほうがはっきりするとおもいます。つまりマルクスの<自然>哲学は、市民社会の核である経済社会構成にたいして<自己疎外>として関係しています。このことをマルクスの主体的な<自然>哲学の<表現>が、マルクスの経済カテゴリーの規定なのだといいかえてよいとおもいます。そして市民社会の<自然>的なカテゴリーである経済社会構成の<表現>として法、国家、宗教、文化などの観念的な領域がかんがえられたといえます。・・・・
 
マルクスの設定している経済社会カテゴリーというのは、市民社会の事実的な世界とおなじものではなく、その理念的な写像なのです。いいかえればマルクスの<自然>哲学からの<疎外態>なのであって、マルクスが<自然史>的に扱えるとかんがえた理念の像なのです。 (P126-P127)


項目
抜粋
2

E

つまり人間の持っている自然性・身体性は自然とおなじではないか、自然と共通の基盤があるではないか、現実に輪郭ある存在として、個人の身体存在をうちだしてきたのがフォイエルバッハの考え方だとしますと、マルクスはそこのところをもうすこし立ちいってあらためたのだとおもいます。
 自然としての人間、身体としての人間は、外界の自然とおなじ基盤にあって、自然の一部なのだ、ということだけでは尽くされません。人間の自然性は外界の自然にたいしては<疎外>関係でしかありえないというのがマルクスの発見だしいえます。
フォイエルバッハの<共通な基盤>とマルクスの<疎外>は、紙一重でちがっているとおもいます。 (P130)







項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日
190 <疎外>の概念 表現概念としての<疎外> インタビュー 世界認識の方法 中央公論社 1980/06/10


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<自然史> すべての人間の現実的な活動の総和が <歴史>だ たえず現在を止揚する運動
項目
抜粋
1

F

そしてヘーゲルとの関係でいえば哲学・理念の歴史のなかで、ヘーゲルと明晰に結びつけ系列化されるのは
初期マルクスだけであるとぼくはおもっています。
 マルクスの<転回>とは、市民社会の経済社会的カテゴリーが
<自然史>とおなじように、つまり人類が発生する以前の段階からの自然の歴史とおなじに扱えるとマルクスがかんがえるようになり、その科学的分析は可能だし、重要だとみなすようになった、そのことを指しているようにおもいます。…・
 しかし、ぼくはマルクスの真意はそうではないと解釈しています。
マルクスが市民社会の経済カテゴリーだけ【だけ、に傍点あり】は<自然史>とおなじように、客観的にそして科学的に扱えるとかんがえたとき、マルクスがそれまでに把握していたほかの領域−<自然>哲学、<疎外>概念、法・国家・宗教といった<幻想>領域−はマルクスにとって<括弧に入れ>られたのだ、それらを<括弧に入れ>た状態で経済カテゴリーを扱えるとマルクスはかんがえた、ぼくはそう解釈しています。かれの<自然>哲学や<幻想>領域は従属的なものとみなされたわけでもないし、無視されたわけでもない、ただ<括弧に入れ>られたのです。
 
マルクスは全体領域−<自然>哲学、<幻想>領域、経済社会、観念・理念の領域すべてを含めた全体領域を、明瞭に自覚的に把握していて、そのうえで、経済カテゴリーの分析をしたので、その分析が全体性のなかでどういう位置を占めるのか、はっきりと勘定にいれられていたと理解しているのです。
 そう解釈しないで、ほかの領域は全部、経済カテゴリー=<下部構造>の分析に従属するとか、無視していいというように解釈すると、これはもう、弁証法的唯物論と史的唯物論になってしまって、エンゲルスの考え方の絶対化に近くなってしまいます。
 この考え方でいくと、政治革命と社会革命は区別されなくなってしまいます。
しかしマルクスは、『ユダヤ人問題に寄せて』でもはっきり指摘しているように、政治的解放と人間の社会的解放は分けてかんがえています。だからぼくは、マルクスは全体性のなかで経済領域の占める意味についてはきわめて自覚的だったとおもっています。このことは<マルクス主義>とまったく解釈がちがうところです。
(P132-P134)


G

マルクスの主体的な<自然>哲学は『資本論』の<商品>や<労働>という概念のなかに生きているとぼくはおもいます。…・ぼくの解釈では、マルクスの<商品>という概念は、人間の対象的行為つまり、労働によって<自然>が変形・加工されてつくられたものですから<商品>は<商品>の自己表現であるという意味で、マルクスの<疎外>概念そのものであるとおもいます。 (P134-P135)


項目
抜粋
2

H

<歴史>の展開についてマルクスがはっきり言及していて<マルクス主義>者であるなしを問わず
誰もが認めざるをえぬことは、たったひとつしかないとおもいます。
 それはなにかというと <歴史>は理念でも予想図でも予言でもない。−そういう言葉は使っていませんが意味はおなじです。−
<歴史>は、すべての−「選ばれた」、ではなくて、すべての−人間の現実世界での具体的活動の総和だということです。
 ヘーゲルの <歴史>の理念は、点【点、に傍点あり】のつまり <発生>の理念として成り立ちます。そしてすべての人間の現実的な活動の総和が <歴史>だ−マルクスのなかで万人に認められるのはこれだけで、あとは個々の立場からの理念と解釈になってしまいますね。
 そこでもうすこし詳しくいいますと、市民社会の経済社会構成の部分だけ【だけ、に傍点あり】は、
自然科学とおなじように<自然史>的に扱えるとマルクスはかんがえました。そうしますと<歴史>は経済社会だけで成り立っているものではありませんから、さきほどの<歴史>の定義とあわせるとひとつしか答えはでてこないはずです。
 もしすべての人間が、社会の経済カテゴリーだけは<自然史>的だという意識あるいは意志によって、すべての現実的活動を行なえば<歴史>は、すべての人々の意志通りに展開するでしょう。−マルクスがいっていることはそれだけのことで、それ以上のことはいっていない。ぼくの理解ではそうなるのです。・・・・だから、<歴史>はけっして予言できないし、マルクスはけっして予言的ではないのです。・・・・
だから未来という概念についても、コミュニズムの理念が対面するとすれば、たえず現在を止揚する運動としてだけ成り立つといういい方をしています。 (P135-P137)


備考
 (備 考)

<自然史>という言葉について

・「マルクスの<転回>とは、市民社会の経済社会的カテゴリーが<自然史>とおなじように、
つまり人類が発生する以前の段階からの自然の歴史とおなじに扱えるとマルクスがかんがえるようになり」


「マルクスが市民社会の経済カテゴリーだけは<自然史>とおなじように、客観的にそして科学的に扱えるとかんがえたとき、」

・市民社会の経済社会構成の部分だけは、自然科学とおなじように<自然史>的に扱えるとマルクスはかんがえました。







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191 <疎外>の概念 表現概念としての<疎外> インタビュー 世界認識の方法 中央公論社 1980/06/10


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意識しなければ誤差を生ずるという問題 <対象>自体と人間が対象としたときのその<対象>とは、まるでちがうものだということを現象学は発見したのです。 マルクスの<自己疎外>概念だけが哲学の普遍概念として残る
項目
抜粋
1

【現象学的な理念が出現してから以後気づかれたこと】
I

マルクスが意識しないですんだことで、じつはほんとうは
意識しなければ誤差を生ずるという問題が生みだされてしまったことだとおもいます。それは現代では、人間が現実から膜のように隔てられてしまったという自意識の繰込みに関係があることです。
 
それは、理念として描かれる現実世界のなかで、行為や実践と具体的な実践の現実そのもののあいだには亀裂があるという意識の問題であり、また人間が、現実に働きかけるということと働きかけた具体性とはちがうということです。
 つまりフッサールのようにいえば、
事実と人間がそれを感覚的に受容することの間には誤差が成り立ちうるということです。どういう誤差かといえば、外界の事物は、これに働きかける場合、ある視点からの<射影>をつうじてしか働きかけられないのだけれども、事物そのものは一つの永続性をもって自体で存在している、そういう存在性があるということです。
 
ところが意識・観念あるいは幻想性を対象としていえば、「幻想性を対象とすること」と「対象の幻想性」というものは、おなじではないということだとおもうのです。メルロ=ポンティはこれを<物>としての存在と<意識>としての存在との間にはジレンマがあるというように説明しています。
 
この問題に<気づき>ますと、マルクスの<自然>哲学の<自然>理念と、具体的な自然とは次元のズレ【ズレ、に傍点あり】を生じることになってしまいます。つまり、人間の思惟のなかに登場する現実性・具体性というものと、具体性そのものとは、おなじとみなされて済んできましたが、実はちがうということを繰込まなければならないことになるのです。
 そうかんがえますと、さきほど申しあげたマルクスの確実に認めうる<歴史>観−経済カテゴリーだけは<自然史>的に扱えるということと、すべて人間の現実的具体的活動がそこに意志的に集約するなら<歴史>は意志的に変わりうる−は、そのままでは通用しなくなります。つまりある対象的なことがらを<自然史>として扱うということは、対象が<自然>そのままであるということと、人間がそれに働きかけて対象とすることによってそれを<歴史>とするという考え方の両方が含まれていますが、そのことと<自然>は人間が働きかけなくてもそれ自体で展開していくものだということとは、別の意味だということがしだいにわかってきたのです。
 
<対象>自体と人間が対象としたときのその<対象>とは、まるでちがうものだということを現象学は発見したのです。それ以後、思想は大なり小なりそれを考慮にいれなくては、マルクスを受けいれることができなのなってしまいました。  (P137-P139)


項目
抜粋
2

J

現象学の理念を受けいれた以後の、マルクスの後継者−サルトルやメルロ=ポンティはそういう存在であるとぼくは理解していますが−は、人間の具体的現実的活動というとき、その
理念とともに存在概念をも受けいれるほかなくなってしまったとおもいます。だからマルクスのなかでは、初期の<自己疎外>概念しか受けいれられないことになるのです。もはや<実践>とか<歴史への働きかけ>という概念と、現実の存在とをおなじとみなすことはできませんから、<自己疎外>概念だけが哲学の普遍概念として、つまり政治的党派性なしに、生きられますが<歴史>のもつ予言的に性格、つまり予測としての可能性といった概念には、いちように否定的な註をつけることになりました。 (P139)









 (備 考)

「<対象>自体と人間が対象としたときのその<対象>とは、まるでちがうものだということ」は、ある他者本人とわたしがその人をあるイメージで捉えた場合とのずれなどの問題として、わたしたちには普通の感覚としてある。つまり、この問題はわたしたちの現在の生活世界においては普通のことになっている。







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192 <疎外>の概念 表現概念としての<疎外> インタビュー 世界認識の方法 中央公論社 1980/06/10


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<幻想>領域はそれ自体の歴史として扱いうるし、そう扱うことではじめて内在的に産出される問題がある 行為や理念にたいして、個人はいつもその共同性を転倒して、じぶんの内部に<倫理>として受けとめてしまうて 家族、親族、部族への展開のためには<性>的な親和と禁止の二重性の同在を想定
項目
抜粋
1

【『共同幻想論』について】
K

さきほどもでてきましたが、後期のマルクスでは<幻想>領域の問題はただ <括弧に入れ>られていただけですから、括弧を解いてそれ自体内在的に取りだして主題にすることは可能だとおもっていました。マルクスについて現在のぼくはそのときよりすこしつっ込んだ問題意識をもっていますが当時のモチーフはそこにあったのです。・・・・
ぼくはまず、マルクスが『資本論』で<幻想>領域を<括弧に入れ>たように、この本では経済社会領域は<括弧に入れ>ることができるとみなしています。この<括弧入れ>によって<幻想>領域はそれ自体として扱うことが可能だし、そう扱わなければ<幻想>領域の問題は解くことができないことをはっきりさせる試みをしたのです。・・・・<幻想>領域はそれ自体の歴史として扱いうるし、そう扱うことではじめて内在的に産出される問題があるのだということを、まずはっきりさせたいとおもいました。  (P141-P142)


【対幻想軸の設定に至るプロセスについて】
L

いちばん根底におかれたモチーフは、個体が現実世界とその歴史的な由緒からおわされてしまう<倫理>の受けとめ方にたいする疑問でした。
 <マルクス主義>であってもなくてもよいのですが、
政治運動が現実に行なわれるとき、あるいは、国家や階級といった共同的な概念と具体的に関わろうとするとき、そういう行為や理念にたいして、個人はいつもその共同性を転倒して、じぶんの内部に<倫理>として受けとめてしまうのです。 (P143)


M
それは共同性の次元の領域と、セックスのかかわる家族の次元の領域と、個人的な領域の三つが混同されて一挙に到来することからくる錯綜を、ただひとつの<倫理>として受けとってしまう矛盾がやってくるのだ、というように解決していったのです。
 それら三つの概念水準は次元がちがうのだから、まず分離されてそれぞれに固有な概念の次元に差しもどされ、各々の理念の占める位相について、その領域の水準に概念を置いてかんがえなくては、この相互関係の矛盾は解決しないとおもったのです。このような差しもどしで霧消してしまう課題は、もともと課題に価しないものとみなしました。
 この差しもどしでいちばん露わになったのはセックス、エロス、事実的世界でいえば家族などの領域、ここの言葉でいう
<対幻想>の領域でした。 (P144)

・・・・だから、<歴史>や<国家>をかんがえる人たちの最大の盲点はエロス、家族にかかわる領域についてまともな考察をしていないことです。(P145)



項目
抜粋
2

N

マルクスの<自然>哲学の触れなかった領域というモチーフは『心的現象論』のところで露わになったとおもいます。
『共同幻想論』を進めていたときには、私的なニュアンスの部分をのぞいてしまうと、マルクスの<自然>哲学とそれを基盤とする<自己疎外>の概念が、むしろ論の根本に敷かれています。
(P145)


O

しかし、ぼくの考えでは、このエンゲルスの方法にはおおきな問題があるとおもいます。つまりここでエンゲルスは人間の<性>をきわめて単純に生理的行為とみなしています。<歴史>以前の社会−家族、親族、それの連合体である氏族社会−をあつかうには、主要な<幻想>領域はまだ<性>の領域にあるのですが、その場合、<性>は生殖行為そのものよりも包括的な概念になります。その領域は性的な<自己疎外>の上にたつものとしてとらえられるとおもいます。つまり、<対幻想>の展開の過程が氏族的社会までを規定するいちばん基本的な原理であるとかんがえられます。 (P149)


P

ぼくは<家族>の共同性が<親族>の共同性へ<親族>の共同性が<氏族>の共同性へと転化し展開していくその原動力を、すべて<対幻想>の領域とみなしました。ただこの展開のためには<性>的な親和と禁止の二重性の同在を想定しなければならないとおもいます。
 そのばあい<家族>は<対幻想>の自然的な基盤であり、同時に<家族>の<自己疎外>態が<対幻想>だとかんがえているわけです。<家族>が<親族>に展開するためには最初に<性>的な禁制の概念が家族内的な同世代に導入されることになります。・・・・しかし人間にとっては、<性>というのは、自然的動物的行為であると同時に、幻想的行為であるという二重性をもっています。 (P150-P151)










 (備 考)

Mの「それは共同性の次元の領域と、セックスのかかわる家族の次元の領域と、個人的な領域の三つが混同されて一挙に到来することからくる錯綜を、ただひとつの<倫理>として受けとってしまう矛盾がやってくるのだ、というように解決していったのです。」ということは、個が受けとめるほかないのは全ての人間にとって同一であるが、アジアの我が列島の「ただひとつの<倫理>として受けとってしまう」一般性と、西欧の個の受け止め方の一般性とは差があるだろう。


Pの「<家族>の共同性が<親族>の共同性へ<親族>の共同性が<氏族>の共同性へと転化し展開していく」「その展開のためには<性>的な親和と禁止の二重性の同在を想定しなければならない」に関しては、今のところわたしはよくわからないと言うほかない。

家族から上位の位相の形態への変位には当然なんらかの媒介項があり、近親相姦のタブーがそれに該当するということは、論理の展開としても精神力学としてもよくわかる。しかし、ゴリラの研究者の山極寿一が本のどこかで述べていたと思うが、近親相姦のタブーは動物生の段階でもすでにあるらしいということを考えると、吉本さんの論理の設定が現実的具体性とは対応しないのではないかとなり、よくわからないと言うほかない。

あるいは、動物生段階の近親相姦のタブーと人間的な段階の近親相姦のタブーとは、またその根拠(意識性)が異なるということなのか・・・。







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193 政治運動や社会運動の実践という概念 表現概念としての<疎外> インタビュー 世界認識の方法 中央公論社 1980/06/10


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<否定性の否定>という概念の幻想領域
項目
抜粋
1

@

<歴史>にどこまでも接近してゆこうとする行為に、個がとらえられてゆくとき<歴史>は個にたいして<絶対性>のような現象で現われ、その分だけ自己を投入できないという折衷性がでてきます。これは考えの組立のどこかに誤差があるからです。<歴史>が共同性に強いてくる内在性は<共同幻想>として、その領域で内的にうけとめなければならない。そこでは内的な<共同幻想>は個の幻想と位相を異にして<逆立>する関係にあります。そのときかれは、頭脳と観念の行為で参加すべきものを身体でしか参加できないという悩みと交換しているのです。
 政治運動や社会運動の実践という概念は
<否定性>の領域にあり、それ自体は<歴史>を構成するものではありません。<歴史>を構成するものも<歴史>を具現するものも<否定性の否定>という概念の幻想領域にあるものです。  (P146-P147)








 (備 考)








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194 <疎外>の概念 表現概念としての<疎外> インタビュー 世界認識の方法 中央公論社 1980/06/10


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ヘーゲルにとっての<自然>状態 <歴史>以前の社会を考える場合の基本は<自然>であり観念でもある<対幻想>というようにかんがえた 三つの幻想軸は位相をべつにするもの
項目
抜粋
1

Q

マルクスの考え方のもとになっているヘーゲルには、人間が自然から遠ざかっていって内在的になればなるほど、それは人間の歴史の進歩なのだとみなす抜き難い定立があります。
ヘーゲルにとって<自然>状態は弱肉強食と粗暴が支配する状態とみなされています。レヴィ=ストロースは、・・・・<歴史>以前の人間社会にたいして親和的なイメージがあり、護教的なまでに肯定的な表象で未開の社会を再現させる願望を主張しているようにみえます。
 ルソーの考え方は複雑ですが、ヘーゲルはルソーの一種の<進歩史観>だけを受け継いでいて、<自然>よりも理念的になってゆくことを進歩とかんがえています。ですから<疎外>論の立場からいうと<自然>状態をすばらしいものだとみなすことにはならないとおもいます。・・・・
 ぼくには<自己疎外>論をどう展開するかが問題でしたから、もしそういう要素があったとしても、それは根本的なものではなく
<歴史>以前の社会を考える場合の基本は<自然>であり観念でもある<対幻想>というようにかんがえたのです。いずれにしても人類学的発想からは<自己疎外>論はでてきません。
 (P152)


R


<対幻想>という領域
は<歴史>以前の人間の社会の要という意味では民俗学がつくっていった領域です
。また
<心的現象>としてみればフロイトのかんがえた<リビドー>の世界にあたっています。
 そこでフロイトの<リビドー>の概念についてぼくが感じた根本的なことをひとつだけいいますと、フロイト
は<リビドー>概念をもとにして<共同幻想>の領域も個人の<心的領域>−一人の人間が神経症であるとか異常であるとか、そういう個人の幻想領域−もかんがえました。いいかえれば<対幻想>の観点から<共同幻想>の概念も解釈するし<個人幻想>の問題も解釈したということになります。・・・・ただぼくは、
三つの幻想軸は位相をべつにするものだから、むしろ現実の構成体のように次元を明晰に分離してかんがえるべきだとみなしました。 (P153-P154)









 (備 考)

吉本さんの功績は、ヘーゲルやマルクスに学びつつ、特に戦時中に体験した個の中での共同性への融即や共同性への恐れなどの無用な倫理性の解除のために、人間の生み出す全幻想世界を「現実の構成体のように次元を明晰に分離して」三つの幻想軸は位相をべつにするものとして取り出し構成したことにある。






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195 <疎外>の概念 表現概念としての<疎外> インタビュー 世界認識の方法 中央公論社 1980/06/10


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二重の契機。環界と身体という二重の自然から<疎外>されて表出されてくるもの <原生的疎外> 〈生命衝動〉と〈死の本能〉
項目
抜粋
1

『心的現象論』−<心的領域>の源泉に向かって、<原生的疎外>とは何か】
S

そこでの考え方は、あまりに骨ぐみだけで一貫させすぎているといえるほどで、心的な<自己疎外>論を展開していることになります。
ただし個体の<心的世界>をあつかうときには、ヘーゲル=マルクスの<自然>哲学でははっきりいっておおいきれない問題をあつかっていることになります。
 つまり外界の<自然>にたいして人間が働きかけるさいの対象とのあいだの<自己疎外>と、人間が観念として振舞ったとき、それ自体で起こる身体−人間の輪郭をもった<自然>ですね−とのあいだの<自己疎外>という、
二重の契機がかんがえられなければいけないことが根底にあります。ここでいわれている<心的領域>というのは、環界と身体という二重の自然から<疎外>されて表出されてくるものとみなされています。
 もし人間の心的世界が人間の身体とそっくりおなじ形と働きをもっているとすれば<心的世界>はかんがえられないのですが、このふたつのあいだには必ず
ズレ【ズレ、に傍点】があります。このズレ【ズレ、に傍点】てしまう部分が<心的領域>として表出されてきます。これをかりに<原生的疎外>としてかんがえようではないか、まずそういうふうに前提してゆきました。・・・・
 
高等であれ原生的であれ、生命体であること自体で、無機的自然と異和をなすものとして<原生的疎外>は設定されているのです。(P155-P156)


21.

フロイトは(ここでいう<対幻想>である)<リビドー>概念を基盤にして<エス>を提出していますが、これを個体の幻想領域の問題としてとらえなおして、ぼくのかんがえたことと対応させてみますと<エス>は<原生的疎外>の問題になるということです。
逆にいいますと、観念も意識もあるとはいえないとしても、心的な反応といいましょうか、それがあるもの−つまり生命体は、存在すること自体でズレ【ズレ、に傍点】がある。それを<原生的疎外>領域とかんがえると、これはフロイトの<エス>と対応するということに当然なってきます。  (P157)


22.

フロイトの<エス>という領域も、ここでいう<原生的疎外>という領域も
曖昧です。フロイトでは<リビドー>概念が曖昧だからなのですが、このばあいは生命体はすべて<原生的疎外>概念をもつと概括してしまうことから起こる曖昧さです。意識存在と無意識存在を一緒にしておおざっぱな規定をしている曖昧さですね。この連続しているといえるかもしれないし、まったく質が違うといえるかもしれないものをここでは、とりあえず包括しておなじように扱っていいとみなしているところから曖昧さが生じています。(P157-P158)


項目
抜粋
2

23.

そこでフロイトの<エス>概念と、ここでいう<原生的疎外>概念を対応してみますと、フロイトのいう<生命衝動>は<原生的疎外>そのものです。そしてフロイトが<死の本能>といっているものは原生的疎外>のうち消しの概念にあたります。
いいかえれば、人間は存在すること自体が<原生的疎外>そのものであるという意味では<原生的疎外>が<生命衝動>を意味しており、それは同時に<原生的疎外>のうち消しとして存在してゆくという意味では<死の本能>いいかえれば無機的自然への復帰の本能として存在しているということになります。
 フロイトの<自我>がそうなのですね。フロイトは最晩年に、人間の<心的領域>の核として<自我>をとらえ、これを<原生的疎外>のうち消しである<死の本能>として意味づけています。
 <エス>と対応させていいますと、人間の<原生的疎外>の領域は、
身体および外界の自然性からは<生命衝動>です。無機的自然にたえず差しもどされようとして反発している不安定な領域です。ところが逆に<原生的疎外>を基盤にしていいますと、それは<死の本能>ということになりましょう。<自我>を基盤に<自我>を主体にして身体性・外界との関係をいいますと、外界・身体の自然に復帰しようとする<死の本能>ということになります。 (P158)







項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日
196 <疎外>の概念 表現概念としての<疎外> インタビュー 世界認識の方法 中央公論社 1980/06/10


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<純粋疎外> <疎外>は広義の<表現>である 精神の病は、<原生的疎外>領域と<純粋疎外>領域の差異に異変があるということ
項目抜粋
1

【『心的現象論』−<心的領域>の源泉に向かって、<純粋疎外>とは何か】

24.

いま眼のまえの茶碗を視覚的に視ているとします。
<視る>という現象は、茶碗にたいして対象的に意識を働かしたということがひとつ。そして茶碗として受けいれ了解する−分解すればそのふたつの作用があります。と同時に、ここで問題にしているのは、これを茶碗として知覚しながら、ここに文字みたいな模様があるな、これは何焼きかな、このお茶は苦いな−つまり茶碗にまつわる様々の概念的な判断を、知覚の継続の範囲内でめぐらすことが可能なのだということなのです。
 そうしますと、たんに人間が感官で対象に働きかけ、受けいれ、了解するということだけではないのですね。茶碗をみながら、同時にかんがえて概念形成ができるしそれを判断できます。このことは何なのか。このことを<心的領域>として考慮にいれなければ、人間の知覚現象はとらえきれないのではないか。
そこで受容し知覚しつつ、同時に概念的な判断をなしうる<心的領域>をべつにかんがえなければならないことになります。それをここでは<純粋疎外>と呼んでいるのです。  (P159-P160)


25.

【<疎外>は】そのとおりで<表現>なのです。
主体の側からいえば<表現>といっていいので、だからここで<表現>というのは広義なものです。
 さきほど<商品>は<商品>自体だけではなく、商品の<自己表現>と理解しなければならないといいましたが、<商品>に自己移入してみれば<商品>としてそこにあるということは、<商品>として<自己表現>しているということになるのです。  (P160-P161)

26.われわれがある対象−人間でも無機物でもいいのですが−にたいしたときの
<関係意識>とは、ここでいわれている<原生的疎外>領域と<純粋疎外>領域の差異だというようにかんがえられるわけです。
 だから<心的現象>のなかにフロイトがいうような神経症とか精神病といったことが起こっているとすれば、それはいずれにせよ、大なり小なり、
<原生的疎外>領域と<純粋疎外>領域の差異に異変があるということなのだ−ここでいっている基本はそういうことに尽きます。  (P161)


項目抜粋
2

27.

いま<原生的疎外>と<純粋疎外>の差異として<関係意識>をかんがえましたが、これを<時間性>と<空間性>の概念を用いて構造化しますと、まず感覚的受容というものを限定するのは<空間性>の<度合>だとおもうのです。たとえば視覚だったら形態があり明暗があるというかたちで受けいれるでしょうし、聴覚の場合は、音がどこで反射したのか、その反射自体が<空間性>の延長です。だから対象との関係を決めるのは<空間性>の<度合>ということになります。
 
一方、了解というのは<時間性>と関ってきます。このことは、物事を理解するばあい、意識はいかにして発生するかという問題になるのですが、それは基本的に個体に即していえば、人間の身体の生理過程の自己矛盾から発生したのだとここではかんがえられています。
 つまり、ここに茶碗があります。電灯の光が当って眼に反射して入ってきます。眼の裏に三原色を感ずる神経があって、その神経のなかの化学物質みたいなものが受けいれた光のエネルギーで化学変化をおこします。その変化の刺激がある速度で脳にゆき、そこではじめて、あ、茶碗だというように了解します。つまりここには時間のズレ【ズレ、に傍点】が起こる原因があるのですね。本来の生理過程だったら、すぐに身体反応を起こすはずです。たとえばさきほどのアメーバでしたら、何かと触れると、即座に反射的に−即座といっても無機物ではありませんから、ゼロではありませんが−身体反応を起こします。感覚反応即身体反応なわけです。
ところが人間の場合は、感覚反応と了解の間に時間のズレ【ズレ、に傍点】が生じます。これが意識の発生点だというように、単純化して説明すると判りやすいとおもいます。そのあとでおくれて身体行動がとられます。
 だから、身体の<時間性>というものの<自己疎外>が了解の作用なのです。
 (P162-P163)










 (備 考)

27.について
「ここに茶碗があります。電灯の光が当って眼に反射して入ってきます。眼の裏に三原色を感ずる神経があって、その神経のなかの化学物質みたいなものが受けいれた光のエネルギーで化学変化をおこします。その変化の刺激がある速度で脳にゆき、そこではじめて、あ、茶碗だというように了解します。つまりここには時間のズレ【ズレ、に傍点】が起こる原因があるのですね。本来の生理過程だったら、すぐに身体反応を起こすはずです。たとえばさきほどのアメーバでしたら、何かと触れると、即座に反射的に−即座といっても無機物ではありませんから、ゼロではありませんが−身体反応を起こします。感覚反応即身体反応なわけです。」
この具体的な描写の部分を、論理の言葉で表現したものが、その後の
身体の<時間性>(引用者註.そこの時間のズレ)というものの<自己疎外>(引用者註.〈表現〉と言ってもいい)が了解の作用なのです。
という部分になる。







項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日
197 <疎外>の概念 表現概念としての<疎外> インタビュー 世界認識の方法 中央公論社 1980/06/10


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イメージ(心象)という概念 『心的現象論』を通して展開したかったこと <歴史>という概念はこれらの異なった領域を統一性のところで成り立たせているものだとおもいます。
項目
抜粋
1

28.

イメージ(心像)という概念は矛盾そのものの心的領域のことだとおもいます。イメージ(心象)という概念をつくるためにはイメージ(心像)の概念をつくるために必要な要素の概念を使わなければなりません。イメージ(心像)とはイメージ(心像)として表出されるそのことです。またイメージ(心象)の形像性は形像可能となったイメージ(心像)そのもののことです。この表現的矛盾によっていい当てられる非現実的な形像を思い浮かべたものがイメージ(心像)の本質になるものです。
 
これは事実世界のなかでの心的領域の働きの自己矛盾である<異常>や<病気>という概念と、天上界と地上界のように対応をなすのではないでしょうか。比喩的にいえばイメージは<異常>や<病気>にとって<宗教>です。つまり天上におしあげられた<救済>にあたっています。  (P164)


29.

<原生的疎外><純粋疎外><時間性・空間性>といった概念を構成しながら、『心的現象論』を通して展開したかった、そして展開していくべきだとかんがえていることは何かといえば、
イメージ(心像)−異常な心像を含めて−とは何かということ、また、<心的世界>の柱−精神病、幻覚、作為体験を含めて−とは何かということになります。
 いまのぼくに可能かどうかわからないのですが、これらをおなじひとつの<原則>から理解することはで来ないだろうか−ということになりましょうか。いずれにせよ、対象と対象性、事実性と想像性を含めた意識の源泉といいましょうか、それは同時に倫理の源泉ともなるのでしょうが、そういったものを総括的にあつかいうる<原則>といいますか<場所>が捜しだせたら、という気はしているのです。 
いままでのところ、じぶんの展開の仕方は、粗雑で幼稚な点は仕方ないとしても、あまりにスタティックだ、解釈学的すぎるという感じがしてしようがないのですが、
漠然と感じているそういう<原則><場所>をみつけることができれば<心的領域>をめぐる問題をほんとうの意味で動態化できるのではないか、そうおもっています。
 べつのいい方をしますと、フロイトがよくいっているのですが、ヘーゲル=マルクスの思想を、歴史理念とか社会理念といった形ではなく
<心理現象>の理念としてつくりかえるということなのですね。
 (P165)


項目
抜粋
2

30.

いままでのところでは<心的領域>の理念は、心理学か自然科学として、全部その二つの方法であつかっているのですね。全部その二つのいずれかにひき寄せられています。元来が心理学や自然科学の方法だけではあつかいえない、対象となりえない領域を、そういう方法だけであつかうと、かならず抜け落ちるものがあるのです。それをなんとか、ほんとうに把えるにはどうすべきなのか−つまり対象的概念としてあつかいながら、同時に内在的概念としてあつかっていることにひとりでになっている、そういう扱い方を見つけだすという課題になるとおもいます。  (P166)


31.現実的な<歴史>にはマルクスが<自然史>の延長としてあつかいうるとかんがえた領域があります。エンゲルスはその領域を無際限に拡大してしまいました。また<歴史>にはここでぼくが<幻想>領域はそれ自体として独立にあつかいうるとみなしてきた領域があります。
そしてもうひとつ、マルクスが<自然史>的にあつかいうるとかんがえた領域とここでいう<幻想>領域とが錯合して不可分とみなされる領域があると想定することができます。
 これらそれぞれの領域はそれぞれに固有な、そして異なった了解の仕方の時間性を要求されるとおもいます。
そして<歴史>という概念はこれらの異なった領域を統一性のところで成り立たせているものだとおもいます。その場所が可能か、可能だとすれば人間はそのときどこに立っているべきなのか、それは絶えず緊張と破裂を要求されるほどきつい場所なのか、それとも安堵と<自然>さを、また怠惰とデカダンスを包括できるものなのかを見つけてゆくことが<歴史>の課題ではないでしょうか。 (P169)








 

 (備 考)

吉本さんの『心的現象論序説』の末尾にある「心像論」をたどってきたが、ここでイメージ(心象)に重要な位置づけが与えられている。

吉本さんの〈歴史〉概念は、少しずつ変貌してきているから、晩年の捉え方(『「すべてを引き受ける」という思想』吉本隆明・茂木健一郎 など)を含めて考えなくてはならない。1978年4月25日の吉本隆明・フーコー対談などのフーコーとの新たな出会いも吉本さんの〈歴史〉把握や〈歴史〉概念を大きく揺さぶったのではないかと思う。







項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日
198 世界という概念 あとがき 1980.4 世界認識の方法 中央公論社 1980/06/10

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<世界>という認識の仕方は可能か 思想の究極の像は権力を無化するところに到達可能か
項目
抜粋
1

@

わたしはこの期間の<世界>の変動にたいして、この本に収められた対話で、<世界>はどう捉えうるかという課題として耐えてきたことになる。もうすこし正確にいえば<世界>という認識の仕方は可能か。もしかするとこのことはすでに六〇年ころには、わたしたちのあいだで自明のようにおもわれていた。だがもはや自明だという地平にはなにも存在しないから、そこにとどまることが許されなくなっただけである。それにもかかわらずその総合的な認識は不可能なのではないかという疑念、<世界>という概念自体が空虚なのではないかという欠落感からはじまって、思想的な権力としての<マルクス主義>の問題の周辺に固執してきた。この主題のとり方は粗密を問わないとすれば、充分にこの期間の<世界>の変動に耐えうるもののようにおもわれた。けれどもほんとうはそんなことはどうでもいいことなのだ。思想はその究極の像において、権力を無化するところに到達できるのか、権力の心臓があまりに明晰に解剖されたために、もはやそのまぶしさに権力が耐ええないというところまで認識は届きうるかということだけがなにかでありうる。 (P192)









 (備 考)






項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日
199 消費資本主義 消費が問いかけるもの 講演 世紀末を語る 紀伊國屋書店 1995/06/30

J.ボードリヤール×吉本隆明『世紀末を語る』−あるいは消費社会の行方について  より

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大衆の潜在的な経済的なリコール権 現在の社会の「死」にいたるまでの三つの条件】
項目
抜粋
1

@

ぼくなどは、「消費資本主義」ということばで呼んでいますが、その消費資本主義というのは産業経済学からみた産業とか生産とかの段階の概念です。資本主義の産業経済的な最高の段階、あるいは産業が爛熟し老境に入った段階といいましょうか、そういう社会を指して、消費資本主義社会というふうに呼んできました。そして現在、消費過剰の資本主義段階に突入してしまっている地域は、第一にアメリカであり、第二にECの先進国がそうであり、そして第三に日本の社会だというふうに認識できます。 
 消費資本主義の概念は、どういうことで定義したらいちばん考えやすいか、ひとつは個人所得を例にとってみます。それは平均の働く者の所得のうち半分以上が消費に使われている社会のことです。もうひとつは、消費支出のうちまた半分以上が選んで使える消費になっていることです。つまり、個人支出でいえば、個人がそれぞれ自分の自由に選んで使える消費が半分以上になっているような社会です。この二つの条件を満たす社会を消費資本主義社会と呼ぶとすれば、そういう段階に、現在、日本なんかは入ってしまっています。 (P47)


A

別ないいかたをしますと、こういう社会では経済的な意味で政府をリコールする権利は、潜在的に選択的な消費の部分で国民大衆の個人個人の手に移ってしまっていることを意味するわけです。これはとても重要なことだと思います。つまり、もうすでに、潜在的な権力は、経済に関するかぎり、国民大衆の手に移っていることです。そういう段階の社会が、消費資本主義社会だというふうに呼ぶことができます。 (P49-P50)・・・・
 わたしたちはここの家庭とか個々人として勝手にたくさん消費しようと思ったり、すこし節約しようと思ったりしても、個別的ですから、いまのところそれがリコール権が成立しない唯一の理由になっています。そうしますと、こういう段階に入ってしまった高度な社会ではもう、社会の「死」のイメージが見えていて、誰にでも思い描けるようになっているといってよいのではないでしょうか。(P50-P51)・・・・・
 もし現在、「死」を見通せるかぎりの社会で、おこなうべき政治的課題があるとすれば、それだけです。つまり、憲法の条項のなかに政治的なリコール権を明記することです。(P51)


項目
抜粋
2

現在の社会の「死」にいたるまでの三つの条件

B

その三つの条件とは何かといいますと、ひとつは自衛隊みたいなもの、つまり、軍事力というものですが、国家の軍隊として武装力をもたないということです。
 二番目は、所得格差が減って(いまでも四対一ぐらいはありますから)、とうとう所得格差がなくなってしまう社会を想定すれば、それが実現したらそれで終わりということになります。
 三番目は、政府というようなものが成り立つとすれば、それは国民大衆に役立つことだけは政府がやるけれども、役立たないとか、かえって邪魔になるとか、統制にしかすぎないとか、ある部分にだけしか利益にならないとか、そういうことについては一切干渉しないということができれば、現在のところまでで描ける理想の社会というのは実現するわけです。(P57)・・・・


C

現在見通せるかぎりでの社会の終わりである「死」を迎え、また同時につぎの「死後」の社会にはいるということになりますが、それならば、いま申し上げました三つの条件をかなえたら、たいへん見事に地上に天国が出現するだろうかと考えると、それはなかなか疑問のように思います。・・・・ただ経済的・政治的に満足すべき社会の最少要件だけは、それで整うはずだといえることになります。(P58-P59)


D

以上述べてきた考えかたをもつための基本的な論理は何かといえば、消費というのは生産の一種だとかんがえることです。従来は、社会分析というと生産のほうばかりに目がいきがちでした。ここで消費というのは、空間的に遠いか時間的に遅れた生産なんだという考えかたをとりますと、消費が所得の半分以上を占めちゃった今日の消費優先の社会を分析するときの基本的な概念になるとおもいます。つまり、消費というのは空間的に遠くなった、あるいは時間的に遅れたところの生産だというように考えることが基本だということです。(P60-P61)










 (備 考)






項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日
200 死について 消費が問いかけるもの 講演 世紀末を語る 紀伊國屋書店 1995/06/30


J.ボードリヤール×吉本隆明『世紀末を語る』−あるいは消費社会の行方について  より

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本質的な把握の位相 「死」からの視線
項目
抜粋
1

@

でも、はっきりしていることは、すでに消費資本主義段階に入った社会は、資本主義のいままでの「死」の姿が見えているということを意味します。その「死」の姿のあとに何がくるかということはイマジネーションでしかいえないんですけども、しかし、これが死んだあとにどうなるかとか、死ぬときの条件はこうであるとかいうことは、とても明瞭にわかりつつあると思います。わかっている
社会の「死」を超えて「死後」の世界が展開されていきます。 (P66)


A

ぼくがいちばん影響を受けた「死」についての考えかたは、中世の日本の宗教家で親鸞という人です。この人からぼくはとても大きな影響を受けました。この人は、「死」というのをどう考えていたかというと、ちょうど今日ぼくが述べているような形で「死」を考えたわけです。
 「死」というのは肉体が滅んで、いいことをすると天国にいくとか浄土にいくとか、そういう考えかたはだめなんで、名付けようがないですが、「死」というのは親鸞でいえば浄土のようすも見えますし、すぐそこへいけますが、そこからこちらへ、還相というふうに親鸞はいっていますけど、「死」の場所からこっちへ引き返してきますと、こっちのことが、何といいますか、立花隆さんのいう臨死体験でいいますと、臨死状態みたいに、自分もそのなかでアップアップしてるんだけど、アップアップしている全体が自分の目で見ることができる、「死」とはそういう場所だということ。そして、そこから引き返してくることができ、そんなふうに引き返しますと、現在の世界で起こっている出来事とか事象とかが、「死」のほうに向かっていく往相のときと違った見えかたがして、本質的な把握ができるようになるというのが親鸞の考えかたです。
  (P66-P67)


B

つまり、ここには二つのことがあります。ひとつは、「死」というのを肉体の「死」というふうに考えなかったわけです。次に、ただそこの場所にいけば、その場所からは、肉体が死んだあとにどうなるか、宗教家ですから浄土にいくんだといってますけど、浄土がどうなっているのかも見えますし、そこから引き返してきますと、現在、現実の社会、「死」のまえの世界で起こっている出来事や事象を、こっちから「死」のほうに近づく過程で見るのとは違うように見えるし、違うように振る舞えると考えました。これが親鸞が考えた「死」の見方です。ぼくはいちばんこうした見方に影響を受けました。(P67)









 (備 考)

これで、今まで言われていた「死」という概念が、体感的にわかってきたような気がする。







項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日
203 ソ連邦の崩壊 J.ボードリヤール×吉本隆明 対談 1995.2.20 世紀末を語る 紀伊國屋書店 1995/06/30

J.ボードリヤール×吉本隆明『世紀末を語る』−あるいは消費社会の行方について  より

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国家を開く リコール
項目抜粋
1

@

ソ連邦の崩壊、ソ連共産党の国家権力からの脱落をどう見るか。日本でも、ずいぶん、そんな論議がありました。昨夜のリコール権ということと関連させていいますと、あれはソ連の民衆によるソ連共産党政権に対するリコールだと理解します。民衆によって、ソ連共産党のレーニン、スターリン以降のやりかたがリコールされたのだと考えます。 (P95)


A

ボードリヤールさんがいま、ソ連は官僚主義というふうにいわれましたが、ぼくはそうじゃなくて、レーニンが政権をとったときに国家を解体する方法をとらなかったというのがいちばんの崩壊の原因だと思っているのです。官僚主義の問題ではないし、官僚主義の問題というなら、システムの問題であると同時に、個人、つまり人格的に不当だと、人が良くなかったということも含まれてしまうわけですけれども、ぼくはそうじゃなくて、システムとして国家をすぐに解体していくという方法をとらなかったら、社会主義は成り立ちようがなかったはずで、それはとても大きな要因だと思うのです。資本主義国に周囲を取り囲まれて、国家を解体する、あるいは労働者権力を解体することに向かえなかったんだというのが、まあ、レーニンの弁解ですが、その弁解は成り立たないのです。
ぼくは国家を開くということばを使っていますが、リコール権になぜ固執するかといいますと、それが設定できなかったら解体に向かう前段階として国家を開いておけばよかったんだと考えます。開くというのは何かといったら、民衆による直接リコール権を確立することです。国家がある限りは、官僚主義であろうと、非官僚主義であろうと、社会主義にはならないことは、はじめから原理的にわかっていることです。 (P99-P100)











 (備 考)






項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日
204 「西欧的」という概念 アジア的と西欧的 講演 1985.7.10 超西欧的まで 弓立社 1987/11/10


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同一性という概念
項目
抜粋
1

T西欧的ということ
【T論理】
【「西欧的」という概念のなかで、「論理」、「手段」、「権力」がどういう意味をもち、現在どういう意味の変化をとげているかについて】

【a「論理」と同一性】
@

「AはAである」という論理的な命題があります。・・・・哲学の言葉でいえば同一性ということです。「AはAである」ということは西欧的な概念のなかではいったいどういう意味になるのか、というところから始めてみたいとおもいます。・・・・
つまり同一性という概念のなかには、そのものがそのものに等しいという問題と、もうひとつはそのものがそのものに等しいという関係にあるAは、たくさんの別のAと等しい関係にあるということです。これはかなり重要なことだとおもいます。つまり、われわれがあっさり「AイコールA」と云っているもののなかに「AはAというものと同じという関係性にある」という概念が含まれているのは、論理学とか、数学とか幾何学とか、西欧だけで発達した重要な概念だとおもわれるのです。
 またその「AはAである」、あるいは同一性という概念のなかで、もうひとつ大切だとおもわれることがあります。それはちょっとそこまでいくと、人間とか人間の思考というものと関係してくるのですが、つまりAはAと等しいとかんがえる考え方と、そうかんがえている存在、つまりかんがえている人、あるいは物ですが、そのかんがえていること自体も、かんがえている人、あるいは物自体も同一性という概念のなかに含まれてしまうということです。これもやはり西欧的な概念のなかではとても重要なことのようにおもわれます。
 つまり、西欧的な概念のなかで何かが存在しているという意味は、かんがえているとか、思考しているということと同じ意味をもつということです。かんがえていることと、存在しているってことは同じなんだ、同じように、たとえば「AイコールA」というばあいには同一性という概念に包括されて、そのなかにかんがえている人と、かんがえている物自体や、思考がぜんぶ含まれていること、そういうことが重要だとおもいます。 (P9-P11)



項目
抜粋
2

【bヘーゲルの同一性】

A

それは遡ると、ギリシャの時代からずっと「西欧的」といわれている概念のなかに含まれていることです。古典近代の時期の代表的なヘーゲルのような哲学者を挙げれば、いま「AイコールA」という同一性の概念のなかで、「AイコールA」という概念自体と、そうかんがえている存在とはぜんぶその同一性という概念に包括されますから、かんがえていることと存在することはイコールだということが、ヘーゲルの同一性の概念のなかに含まれています。ましてヘーゲルのばあいには、かんがえることが存在のなかに含まれてしまうことは、根源的に本質のところまで遡っていきます。ヘーゲルにとっては絶対的な概念とか絶対的な理念とか絶対的な真理とか、そういうものだけがいわばほんとうに存在するので、あらゆる論理や論理によって展開されるもの、あるいは論理によって名つけられるものは、絶対的な真理や絶対的な理念からいちいち流れくだってくるものだ、というように極端につきつめられます。そしてこういう考え方はヘーゲルだけに特有なものではなくて、古典近代の西欧の概念のなかに普遍的に含まれていると云ってもいいくらいです。 (P11-P12)








 (備 考)

註.この古典近代の時期に、いっせいにギリシャへの遡行や再評価が出てきたことの意味と、その再評価や包括の仕方について・・・・その無意識のベクトルとなぞり方、「西欧的」ということ。








項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日
205 「西欧的」という概念 アジア的と西欧的 講演 1985.7.10 超西欧的まで 弓立社 1987/11/10


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差異性という概念、西欧の現代的な思考や論理の原型
項目
抜粋
1

B

ヘーゲルのなかで同一性という概念がどういう意味をもつか、かんがえてみましょう。この同一性という概念を純粋にじぶんがじぶんに等しいとか「AはAに等しい」という同一性としてかんがえたばあいには、その同一性の純粋なるものがヘーゲルにとってはあらゆる存在するものの本質とかんがえられています。だから、ヘーゲルにおいては同一性の純粋なるものが、事物あるいは存在するものの本質なので、あらゆるものはこの本質から流れくだってくるとかんがえられています。ヘーゲルの事物の同一性の純粋なるものとしての本質という概念をかんがえていったとき、いくつかの段階が区別されます。純粋な同一性としての本質というものは、まず第一にはどういうことかと云いますと、区別と云うことなんだという考え方がヘーゲルのなかにあります。つまり区別ということが本質の重要な性質のひとつなんだ、ということです。それからもうひとつは差異ということがその次に重要な移行概念です。そしてその差異をもう少し移行させてゆくと、対立という概念になります。だから、ヘーゲルのばあいには「AはAである」ということの純粋な同一性から出発して、区別という概念があり、差異という概念があり、そして最後に対立という概念があり、それらは移行という間柄のなかでぜんぶ結びついているのです。そして対立という概念のなかには差異と同一ということの一種の統一が含まれ、そこからまた新たな差異性とか区別とか同一性というものが生じてゆきます。 (P13-P14)


【cハイデッガーの差異性】
C

また、ヘーゲルの論理のなかでもうひとつ重要なことがあります。それは「AはAである」という同一性のなかにしか、差異性とか区別とか対立という概念が生まれてくる根拠がないということです。つまり、同一性という概念のなかに差異性という概念は内包されているのであって、その内包されているのが移行という仕方のなかで対立にまでだんだん極端化されていくという図式があります。 (P14)


D

ハイデッガー自身が云っているところでは、じぶんとヘーゲルとは思想の現場としてどこがちがうかというと、じぶんにはヘーゲルのもっていた絶対的な理念とか、絶対的な真理みたいなものはもうなくなっちゃっている、じぶんには同一性というところから追いつめられた差異性ということしかほんとうの論理学のテーマはなくなっちゃっているんだと云っています。同一性という概念をどこまでも追いつめていくと、あとには差異性という概念しか残らない、ということは、ヘーゲルの同一性の概念とはまったくちがってしまっています。・・・・これは西欧の現代的な思考や論理の原型になっているところですが、ハイデッガーのばあいにはすでに、ヘーゲルと比べてそこまでおなじ概念がちがってしまっていることがわかります。 (P14-P15)



項目
抜粋
2

【dキルケゴールの反復】

E

キルケゴールはヘーゲルが眼の敵であったのですが、先ほど問題にしたヘーゲルの論理学のなかで、移行とか関係とか媒介とかヘーゲルが云っているものは、ほんとは反復なんだ、と述べています。反復とかんがえるべきところを媒介(性)とかんがえたというのが、キルケゴールのヘーゲルにたいする異議申し立ての根本にあるものです。つまり、媒介とか関係つけとか移行とかってヘーゲルが概念の動き、概念と概念との区分を与えようとしているものは陳腐なもので、ほんとうは組替えられなければいけない。そのばあいに何で組替えるか、どこで組替えるかといえば、ヘーゲルが関係とか移行とか媒介とかを契機にして、同一性から差異性へ、それから区別へ対立へというふうに変わってゆくとかんがえているものが、ぜんぶ反復という概念で云いかえられるべきなんだというのです。反復という概念さえつかまえれば、近代における西欧的思考の原型になっている同一性、差異性、区分などの概念は組替えることができるんだ、そしてそれを組替えることによって、ギリシャ的な思考方法が分化しない以前のところまで、論理の問題を遡り、そこへ諸概念を繋げることができるんだというのがキルケゴールのヘーゲルへの異議申し立てのモチーフでした。
 キルケゴールの反復とはどんな概念でしょうか。ギリシャ哲学は論理、あるいは思考の根本を司っているものは記憶とか、追憶とかいうものにあることをよく知っていました。そうすると反復という概念は過去から遡ってくる追憶という概念に置き換えることができます。それから、ヘーゲルがいう媒介とか移行とかいう概念は、未来へ反復される追憶という概念に当たることになります。だから、反復とか、くりかえしを介して同一性というものは区別という概念に移行し、それは差異性に移行し、さらに対立に移行するということができるはずです。ヘーゲルが移行とか媒介とか関係とか、つまり同一性と差異性は一種の関係つけなんだとかんがえているところは、ぜんぶ経験の反復とか、あるいは未来にたいする追憶とか、過去にたいする反復とかいう概念で置き換えることができます。
 すると、反復という概念を蘇らせることで、いわば古典近代の論理的な思考方法というものと、古代ギリシャ的な思考方法を貫徹する論理的観点が得られるということです。 (P16-P17)








 (備 考)







項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日
206 「西欧的」という概念 アジア的と西欧的 講演 1985.7.10 超西欧的まで 弓立社 1987/11/10


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項目抜粋
1

この【註 キルケゴールの】反復という概念は、手段をかんがえるのにたいへんいい概念だとおもいます。 (P17)
【U手段】
F

この論理学というものが、自然現象とか事物の現象とか、あるいは人間と人間との関係の現象とか、それから、何でもないものから表現的なものへ移ってゆく移り方の運動やらを覆い尽くしてしまう、論理の概念を使うことによって、それらのぜんぶを説明することができるという思考方法は、西欧だけにしか発達しなかったと云っていいとおもいます。この重要さが「手段」の分野でいいますと、現在みたいな技術的な社会を作り、情報化社会を作り、また科学を発達させた根本にあるものです。論理をつみ重ねてかんがえていくときに、はじめて人間は存在するんだという極端な概念は、西欧的思考に特有なものです。また、これがあってはじめて西欧的な社会に典型をみつけられる現在の先進的な社会のあらゆる問題が、欠陥も美点も含めて生みだされてきているといえましょう。 (P18)


 U エレクトロニクス・ミルの時代
【T表現手段】
【U世界視線】
G

現在かんがえるかぎりは、ボードリヤールがあげた例とか、ビートたけしのテレビ番組に象徴されている映像のあり方の例は、これ以上高度な映像は現在かんがえる必要がないといえる高度な映像を象徴しています。だいたい映像の概念は、社会像という概念に拡張してもおなじことです。また、生産手段に限定してかんがえてもおなじ問題に当面しているわけです。つまり像としての社会、イメージとしての社会の在り方っていうものと、具体的、現実的な社会のリアルな在り方とのあいだに区別を設けることがあんまり必要でない、あるいは同一な、いつでも交換できるものとしてかんがえられるもうひとつの視線を想定せざるをえないことです。その視線がこれからどういくのか、エレクトロニクス・ミルの時代はどう展開されるのかというばあい、到達点、あるいは出発点として、終末あるいは始まりとして、世界を外からみている視線がかんがえられるわけです。このことが社会像の問題としても、映像の問題としても、それからもちろん、文学や芸術のような表現の問題としても、やがて最終的に普遍化されてでてくるとかんがえられる問題であります。(P24)



項目抜粋
2

【V二つの軸】
H

すくなくとも現在をかんがえるには二つの軸の同在が必要だとおもいます。それは先進社会に入ってしまった日本ってものの社会的イメージと、それからいかほどかの度合でアジア的な社会というものの歴史的な在り方の影をちゃんと引きずってもっている社会のイメージと、その二つの軸を併存させながら、その軸が、合成力としてどういう方向を指しているかをかんがえてゆくべきだとおもわれます。    (P27)

 V 「アジア的」ということ
【Tマルクスにおける「アジア的」】
  【1土地はぜんぶ公有で、貢納制 2村落共同体を温存させたままの支配王朝 3大規模な灌漑工事】









 (備 考)







項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日
209 善悪についての声 親鸞の声 講演 1984.6.17 超西欧的まで 弓立社 1987/11/10


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項目抜粋
1

【一 自然の声・人間の声】
@

仏教は親鸞以前に、つまり日本の浄土教以前に、究極的にかんがえたことは、真言であれ、天台であれ、みんなじぶんの耳を研ぎ澄まして、天地自然の声を聞くとか、他界(ほかの世界)からの声を聞くとかに修練の眼目があるということでした。親鸞がそういう声を聞く修練をだめだとみなしたとき、人間と人間とのあいだに交される声しかほんとうは聞かないし、聞こえないというふうに、じぶんの耳をもっていったといえましょう。
 親鸞の声のなかに、あるいは親鸞が聞く声のなかに、何が残るかといいますと、まず第一に、善悪についての声だったとおもいます。人間にとって何が善であるか何が悪であるか、その声だけはじぶんも発しなければならないし、また人からも聞こえてくる声だということです。親鸞に本来的な意味で蘇ってきたのは、その声だったとおもいます。
 親鸞ほど信仰と善悪のかかわりを突きつめたひとはほかにかんがえられないくらいです。 (P52)


【二 『歎異抄』の声】
A

親鸞は教義の上でごく通常のこと(通常の声)をしゃべっております。阿弥陀仏の四十八願のなかで、第十八願が大切なんだ、ということです。第十八願は何かといいますと、それは皆さんのほうがよくご存知ですが、つまり至心(心の底)から阿弥陀仏を信じて名号を唱えれば、必ずそのときに浄土へ行けるんだ、ということです。これはごくふつうの声で、親鸞は『歎異抄』のなかでよく語りかけているようにおもいます。それじゃ、そういう心の底から信ずるという状態に、人間はどうやったらいけるか、また心の底から第十八願を信じて名号を唱えたかぎりは、必ず浄土へ行けるということを、どうしたら信じられるんだという問題を、さまざまな形で語っているわけです。
 しかし、それは皆さんがご存知であるように、またたれがかんがえてもそうであるように、たいへん難しいことではないでしょうか。つまり、心の底から信ずることも難しいですし、信ずるとかならず浄土へ連れていってくれると信ずることも、また難しいことであります。それから、そういう状態は、じぶんがいいことをしようとか、修業して何かしようと、じぶんのほうから計らって自力をまじえてかんがえたらだめだ、ということも、第十八願の理解には含まれています。じぶんのほうで修業しようとか、善行を積もうとか少しでも計らった状態で信じる心をもっていったらだめだと、親鸞ははっきり云っています。そうすると、第十八願の信はたいへん難しいことです。 (P53)


項目抜粋
2

B

善なる人は、何かしらいいことをしたい、あるいは、じぶんはいいことをしていると、どうしてもかんがえやすい。善なることをする、あるいは、したいということが、ごく無意識に出ているときは、それでいいんだけれども、人をかき分けてもしたいとか、人を強制してもさせたいというようになっていったら、それは一種の計らいで、自力だから、やはり第十八願には近づきにくい、ということです。
 それに比べると、悪人は、もともとじぶんが悪いとおもっているから、いいことをしようにも、あまりできそうもない、自力で何かいいことをしようとか、自力で人を押し分けていいことをしようとか、そんなことをかんがえないから、このほうが計らいというものがない状態になりやすく、仏の本願に近づきやすい、そんな云い方もしています。
 この云い方は、とても難しいとおもいます。 (P54)


C

しかし、微妙なところでいいますと、人間は、いいことをしている、とじぶんがおもっているときには、だいたい悪いことをしているとおもうとちょうどいい、そうなっているんじゃないでしょうか。それから、ちょっと悪いことをしてるんじゃないか、とおもっているときは、だいたい、いいことをしているとおもったほうがいいのです。 (P55)



備考

 (備 考)


註Bについて・・・・電車の席取り競争にぼくは加わらない?について触れているとこ。







項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日
210 善悪についての声 親鸞の声的 講演 1984.6.17 超西欧的まで 弓立社 1987/11/10


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項目
抜粋
1

【二 『歎異抄』の声】
D

ここには、人間のなかの善悪というもの、あるいは倫理(善行悪行)というものについてのとても大きな、微妙な問題があります。
 どうも善悪(倫理)というものは、心のなかに内臓しているときだけ区別できるもののようにおもわれます。それが外部に行為や言葉として現われるばあいは、誤差を産みださずにはおかないようなのです。外部に行為や言葉として現われることは、善悪(倫理)を共同の場にさらすことです。心のなかにあるときは、いずれにせよ善悪(倫理)はまだ個人のうちにとどまっています。これを共同の場にさらすときには、必然的に誤差を産みだします。しかしつきつめていいますと、これは誤差ではなく、本質的には転倒を産みだすのではないでしょうか。親鸞はそのことを洞察していたのだとおもわれます。では、なぜ現実には善悪(倫理)は転倒まで行かずに、誤差として現われることが多いのでしょうか。それは善悪(倫理)が行為や言葉として現われるばあい、大なり小なり無意識(無意図)の部分が、善悪の転倒まで行かせずに誤差にとどめておくのだとかんがえられます。親鸞はこの無意識(無意図)を他力第十八願の真髄とみなしたといえます。
 行為や言葉として現わされた善悪(倫理)は、現わされたというだけで共同の場にさらすことですから、たとえ無意識であったとしても、他者の無意識を共同の場に引き込んでしまいます。善行や悪行がすこしでも無意識を離脱して意図的であったとき、他者を引き込んだり、息苦しくさせたりするのはそのためだとおもいます。親鸞が洞察したのは、そのことだったといえましょう。宗教が善悪(倫理)と結びつくとき、善と結びつくのは本来的ではなく、またかならず誤差を含むことなしには不可能であることをよく知っていました。本来的にいえば、無意識の悪といちばん近いはずだというようにかんがえたのです。いわゆる造悪説が一部に出てきたとき、親鸞はそれは意識的な(意図的な)悪だから、意識的な(意図的な)善とおなじようにだめだと判断しました。 (P55-P56)


E

しかし、親鸞は人間が煩悩のさかんな凡人だということをどんどんつきつめていった果てに、やっと開かれる自然で、ただの天然自然の声とはちがいます。いわば人間の善悪(倫理)の逆立する細い微かな線の上を渡り了えた果てにそう云っているのです。一見、まったく平凡な答えなんですが、云ってみれば、一回りしたあげくに出てくる平凡な答えです。この「一回りしたあげくに出てくる平凡な答え」はとても重要なことなんで、人間の善悪を「開く」ということの、大きな問題だとおもいます。 (P60)



項目
抜粋
2

・・・・親鸞の、自然のままに老いて、自然に命が終わったときに、浄土へ行けばいいんだ、という云い方は、いわば善悪を何回も何回も積み重ねて、また否定して、人間はいったいどういう出来あいになっているか、とことんつきつめて、その果てに出てくるほんとの平凡な答え、ということになるとおもいます。 (P60)

F

この業縁とか因縁とか親鸞が云っているものは何でしょうか。それはたぶん、親鸞が、人間と人間との関係のなかで出てくる声、善悪の声のなかに、浄土を自然に含ませてしまったときに出てくる声だとおもいます。
 たとえば、業縁があれば、倫理的に絶対に悪であることでも、人間というのは、ふっと、しちゃうことはありうる存在なんだ、という云い方で、親鸞は唯円の弁明をどんどん引き伸ばしているのですが、その引き伸ばされた範囲に、とても自然なかたちで、浄土という概念(考え方)が含まれているとおもいます。
 人間の世界だけの判断でいえば、親鸞の云っていることは、とんでもないことになりそうですが、浄土という概念を自然に含ませてしまえば、もっと大きな意味で、そのことがありうる、ということが云われているのです。そこまで、人間の善悪は引き伸ばされていくということです。(P63-P64)


【三 最後の声】

G

そこまでかんがえていきますと、最後に親鸞が到達した自然法爾という考え方は、どうやって信仰の状態を持続していくのかに関わることですが、要は自分のほうからはぜんぜん関わらない(計らわない)ほうがいいよ、と云っているとおもいます。 (P64)
H親鸞の声は、あくまで人間の善悪についての声なんですが、その善悪についての声を、どんどん、どんどんつきつめていったときに、フッと出てくる、自然【ルビ じねん】というものの、声のない声、それが最後に親鸞がいいたかった信(信仰)の状態みたいにおもえます。(P66)






註「善悪の声のなかに、浄土を自然に含ませてしまったときに出てくる声」








項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日
213 思想家の存在の意味 竹内好の生涯 講演 1977.10.1 超西欧的まで 弓立社 1987/11/10


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項目
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1

@

ひとりの思想家が、いずれにしろ、生涯においてなしうることは大したことはありません。しかし、何がためにひとりの思想家は、ある時代に存在し続けるかとかんがえてみますと、いわば、じぶんが一刻もそのことを頭から去らないほど労苦してかんがえにかんがえぬいてやっと掴まえたものが、後の世代の人たちにとって、
何となく独りでに、自然に身につけてる、その地点に出遇うためです。それが、ひとりの思想家が生涯にわたって存在し続けることの意味だとおもいます。(P176)


項目
抜粋
2







項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日
226 しゃべり言葉の文体 知識人VS生活一般人(ガクシヤとゲイノージン) 座談 大衆としての現在 北宋社 1984/11/05


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知識世界と生活世界の間の分裂
項目
抜粋
1

@

 僕らは学者ではありません、批評家ですから、守備範囲に何の限定もありませんから、サブ・カルチャーを論ずることもありうるわけだけれど、本当をいうと、サブ・カルチャーのことを論ずる時の文体っていいますか、自分でもわかってないんですよ。模索はするんですけれど、本当はわかってない。こんなんじゃないんだとか、これじゃだめなんだっていうふうに、いつでもおもいながらやってるっていうのは、自分の自意識なんですね。だから、サブ・カルチャーのこと論ずるときの、その書き言葉の文体も、本当はわかんないですよ。それからもちろんしゃべり言葉の文体も本当はわかんないです。(P11)


A

 もともと僕がしゃべってんのはいつでもそうですよ。書きゃいいことを水薄めてね、しゃべってるみたいな、僕の対談はいつでもそうですよ。おっもしろくないなぁって、いつも不満ですよ。こんなことなら書いちゃえばいいのに−それをなしくずしてしゃべっちゃってるっていうのは、自分でほとんどイヤーな感じです。(P12)


B

・・・・書き言葉っていいましょうか、知識っていいましょうか、そういう事にこだわり続けた自分っていうのと、そういうのを取っちゃったら、ただごく普通の生活人というふうにした自分っていうのと、そのあいだの分裂じゃないですか。・・・・
 ええ、スタイルがないってのが良くないとおもうんです。カルチャーについての書き言葉なら、自分なりのスタイルがあるつもりですが、それをとっぱらっちゃうと、スタイルもなにもないただの生活人の自然体があるだけ。そこにスタイルが見つからないところが、おもしろくないかなあって自分ではおもいますけどねェ。(P30-P31)


C

・・・・そりゃ、何でもいい、どんなことでもいいんですけどね、主題自体は、問題じゃない。ただ質感だとおもうんです。あのしゃべり言葉の、質っていいましょうか、その出所【ルビ でどころ】っていいますかね。あの、どういう所からいまのしゃべり言葉が出てくるのか、そのしゃべり言葉の出所っていうのがあるでしょ。そうすると、関西の漫才師だったら、歴然と出所とスタイルの伝統がある。しかもその伝統にどっぷりとひたって、それをよく心得たうえで、それに多少新しい事を添えて出てくる。まあ、関西の漫才みたいなもんは、そんな気がするんです。だけど、東京にはそんなのは無いですからね。だからね、ビートたけしなんかのしゃべり、漫才のしゃべり言葉、あれは伝統じゃないですよ。さればと言って、普通の生活人のしゃべり言葉じゃないですよね。あれはやっぱり自分なりの固有のしゃべり言葉の発生源っていうの獲得してる。そうおもってますけどね。そのしゃべり言葉の根源ってのは何なのかっていうことが、こっちに掴めればいいとおもいます。掴めればね、対話になるとおもってます。(P31-P32)



項目
抜粋
2

D

 あの人のしゃべり言葉っていうのふたつの意味があって、話芸人の世界からもちろん学んできたしゃべり言葉なんでしょうが、それだけじゃない。固有に工夫してる。知識でありながらね、知識を徹底的に壊してきたところからね、出てくるものでしょ。それが固有の工夫だとおもってるわけです。あの人くらいそういうことが出来てる人は僕はいないとおもってます。知識を徹底的に壊しちゃってる。そういうことが出来てるのは、あの人だけなんじゃないかなって気がします。もちろん欽ちゃんてのは、ビートたけしより偉大だとおもうけど、欽ちゃんは、普通の生活人のしゃべり言葉からずいぶんたくさんのことを取って来てるし、たくさんのね、発想を取って来てるから、決してわからないところはないですよ。この人のしゃべり言葉の根源はよくわからないなっていうことはない。それだけだとおもいますね。
 糸井さんなんか知識人そのもので通じますから、糸井さんのしゃべり言葉の解体のし方はちょっと違うんでね。あれはしゃべり言葉の中で自分をね、どうやったら「無」にできるか、いるかいないかわかんないようにできるかっていう工夫だとおもうんです。・・・・糸井さんとする時には、もう話題を選ばなくちゃいけないです。・・・・だからそうじゃなくて、あの人の時には、世間ばなしがいいとおもうんです。また世間ばなしでできないといけないですね。今の僕にはできないんですよ。これはまた、敬遠する所以なんですけどね。つまり、あの人は世間ばなしのなかで世間の公開性と演技性がひとりでにできんですよ。・・・・
 もうひとり坂本龍一って人は敬遠してるんですよ。どうしてかって言うと、あの人は「音」だとおもってるんです。音そのものだとおもってる。つまり知識教養っていうんだったら、坂本さんはすぐ出来る人だからつまんねえんだよなあ。あの人は音だとおもってるわけだから、音の出所がわかんなけりゃね、やってもしょうがないな。・・・・音がわかるようになったらやってみたいですね。(P32-P34)








項目ID 項目 論名 形式 所収 出版社 発行日
227 しゃべり言葉の文体 知識人VS生活一般人(ガクシヤとゲイノージン) 座談 大衆としての現在 北宋社 1984/11/05


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話し言葉と書き言葉っていうことの間のギクシャク 人間っていう概念
項目
抜粋
1

E

僕はですね、頭の構造がね、書き言葉になってるとおもってるんですよ。だから、これはね、こういうふうにしゃべってる時はそれほどそういうことは意識しないんですけれどね。大ぜいの所でしやべってるとよくわかりますね。僕は翻訳してますよ。
 高速度写真ででも撮れば、一度頭のなかで書き言葉で言ってね、それを話し言葉に翻訳して人の前でしゃべってますよ。それは自分でも良くわかります。だから、それだからそれをあのー知識教養人っていうと、そういう意味で言えばそうなんですよ。そういう病的な現象をね、取ってしまわないと、つまり解体できないとね、本当は俺は知識教養人じゃねえやって言えないような気がするんです。僕はそういう時には、全然それをぬきにして、ただね、育ちが下町の悪ガキだったのよっていう所へ行けば、自然しゃべり言葉になるんですけどね。そうじゃなくて、頭の構造でしゃべり言葉にならない。うまくできないんですよそれが。だから、それができないっていう意味で知識教養人だっていえばそうなんじゃないでしょうか。 (P34-P35)


F

いや本当にそうだとおもいます。内面でぎくしゃくしてるとおもいます。だから今日のだってきっとね、速記起こしてごらんなさい。なんでくどくどおなじこと言ってんだって必ずそうなってんです。そのつど、もううんざりしてね。話してる時は、そんなに気にしてないんですよね。あの内面で話し言葉と書き言葉っていうことの間、あるいは知識教養と、生活人の間って言いましょうか、その組合わせが自分の内部でギクシャクしてるんじゃないでしょうか。そこの問題なんじゃないんでしょうか。 (P37)


G

つまり初めに、安達さんの話を聞きながら、ああ、次にこういうことを言えばいいんだっておもって、そこへいろいろ言葉を使いながら到達するみたいな発想がいつでもあるのかもしんないですね。
 それからもうひとつ、さっきも言った酔っぱらいとおんなじで、不安なんじゃないかとおもうんです。つまり自分の言ってることがね、あの、相手に通じてんのかなあ、どうかなあっていうのが不安なんだとおもうんです。子供の時からそうでしたけどね。自分の言葉ってのは、他人には通じないんじゃないかなあって不安があって、それである時から、つまんないことを書くって始めたような気がしてますけどね。酔っぱらいとおんなじで、もう言ったことを忘れちゃったから、またしゃべる。自分ではそう解釈してるんです。
 (P38)


項目
抜粋
2

【安達 どうして不安なんですか。】

H

いや、それはやっぱり、幼児体験じやないでしょうか。つまり無意識が、かなり荒れてるところがあるんじやないでしょうか。自分では、いろいろおもい当ることはあるんですけどね。無意識が荒れてる所があって、そういう意味で、そうとう根源的な不安みたいなのがあるんじゃないでしょうか。自己分析しきれないことはないんだけども、体験の記憶の範囲では、よくわからないんです。僕の理解のし方では、乳・幼児期の母親との関係ってところにあるって気がしてしかたがないんです。 (P39)


I

乳・胎児期に母親との関係をね、失敗してるかどうかっていう問題が第一次的にあって、第二次的には、思春期に入りたてのとき、近親とのあいだで僕の言葉で言えば対幻想なんですが、性的関係に異常があったかどうかして、それが決定的なんじゃないでしょうか。何故人間が精神異常に陥るかっていう場合、そのふたつの要因がとても正常で゛健康だったら、ほとんど僕、ならないとおもってますね。そうとうきつい精神的な試練にあっても、精神異常にはならない。 (P42)



J

でも、そういうことは第一次的な乳・胎児期の母親との関係で殆ど決まっちゃう。成長してから文学が好きになって、文学批評をたくさん読むとか、芸術、絵画みたいのにうちこんでニュアンスわかるってことは、違うような気がするんです。それはかなり重要な気がするんです。ただそれでゆくと、ある程度決定論になっちゃうのです。人間っていう概念は多様だから、その決定論をいつでも越えよう、越えようとするわけです。それが人間っていう概念でしょうから、それで運命が決まっちゃうとか、そういうことじゃないわけです。無意識が強いる心の動きの決定論をいつでも越えようとか否定しようとか、そういうことを誰でもやってるわけです。またやって行くってことが人間っていう概念でしょうからね。(P45)







註 「そういう病的な現象をね、取ってしまわないと、つまり解体できないとね、本当は俺は知識教養人じゃねえやって言えないような気がするんです。」









項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日
229 千石イエス "イエスの方舟"と女性たち インタビュー 大衆としての現在 北宋社 1984/11/05


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1


@

千石っていう人の思想自体本人のそういう面の情報が少なすぎるんで、僕らにはわかんないんですが、かれの方法の中心は何かっていうとね、受動性ってことです。集団の組み方が、来るんなら来てもいい、もちろん出ていってもいい、つまり、おもしろくなくなったら離れてもいいっていう受け身ですね。・・・・僕が見てる集団は、集団を組む場合に強制力として組むんですよみんな。そのいちばん極端な例は、連合赤軍っていうのがそうですね。それに較べたら"イエスの方舟"はまるで原則が反対ですね。この点では僕のわりに好きな思想家の親鸞と似てて、親鸞っていうのはやはり受動性ですね。
(P99-P100)


A

千石っていう人の方法は受け身で、"イエスの方舟"を拡大された家族のように理解しますと、信仰とか理念の結びつきの部分を除きますと、その"エロス"だとおもいますね。"性"だとおもうんです。その"性"をつきつめていきますと、まぁ一対一ですから、つまり対幻想ですよね。ところが、沢山の娘さんとの結びつきっていうことは、もともと不可能なはずなんであって、だけれどもそれが成立するためには、"エロス"の問題として考えて千石って人は、自分を受け身にすることによって、自分の中にある"性"ってものを最大限拡散することで結びつきを可能にしてきたんだとおもうんです。・・・・通り一遍の意味でいえばこの人の受動的な方法による振舞いが、性を本来ひとつに凝縮さすべきところを拡散して、雰囲気にしてるってことだとおもうんです。だから、性的な結びつきとして言えば、とても淡い雰囲気としての結びつきだろうとおもいますね。それが多分、エロス的に見たこの集団の原理のような気がします。 (P102)


B

ただ、知識ということを重んずる人じゃないから、それこそ話し言葉ンなかにこの人の思想性が、あるんだろうなっちゅうことです。 (P105)



項目抜粋
2

C

家族が閉じられていっちゃう最後のところは、もちろん他人には分からないことになりますね。もちろん"夫婦"としてもわからないでしょうけれど親子としてもわかんない。それをいちばん象徴している現象は家庭内暴力っていわれているものでしょう。子供が追いつめられてゆくと、メチャクチャに理不尽なことをするし、親に暴力振るったりする。・・・・つまり最後のどたんばになると、親の方が絶対に譲歩してしまうんですね。・・・・そうすると子供の方は、ますます荒れ狂っていく。だいたいこれが一般的なパターンでしよう。これこそが、親子を外側から見て絶対に分からないってことの一番はっきりした表れ方です。
 じゃ中から見てどうなるかっていうと、大ていの子がね、家庭内暴力を振るう子供たちの乳児期にね、母親との接触が失敗してるんですよ。母親は冷たくしてるんですよ。あるいは夫婦問題がうまくいかない、父親が浮気していたとか、性的にうまくいかなかったとか、経済的にそれどころじろゃなかったっていうことで、子供に冷たくしているんですよ。子供が暴力を振るい出したときに、そこをね、衝くから、そういう父親、母親っていうのは想いたって、あそこでとても冷たくしたとか記憶をつつき出されるから、無限に子供に譲歩しちゃう。
 あの−譲歩する他にないんですよ。これこそが外からわかんないことですね。・・・・だから親子ですと、双方が知ってるわけで、暴力を振るう子供はそのことが無意識の怨念になってしまっているんです。それが家庭内暴力の息子、娘たちの一般的特性ですね。・・・・母親はどうして成長期になって子供に過剰にかまうのかっていえば、乳・幼児期に冷たくしたっていう負い目の代償として、ネコッかわいがりするんです。過剰にかまうってことになる。そしたら父親の方が撤退するんです。・・・・親の方が、無限に譲歩するのをどっかで止めればいいんですよ。
 止めるためには何が必要かっていうと、母親と父親との間(つまり夫婦)のね、徹底的な了解が必要なんです。  (P106-P109)



備考 註1 "イエスの方舟"に触れて、大原富枝『アブラハムの幕舎』
註2 「現代の様々な人をぶちのめす要因は、身体の問題の近くまで迫ってきたなっていう実感です。追いつめられたっていう感じがそうとうします。」(P111)








項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日
237 想定する読者 U タブーの構造 対談 1993.7.11 こころから言葉へ 弘文堂 1993/11/15


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項目抜粋
1

@

僕が二十年ぐらい前に本を書いたときに、漠然と思い浮かべていた僕の本の読者は「学生さん」だったんです。だけど今、僕が書いているものを読んでもらいたいと思っているのは、たぶん「ビジネスマン」なんです。そうなると、僕は文学書を書いているのではなくて、「ビジネス書」を書いているんだということになります。なるほど、そうならばこれからの時代の変化に対応できるのかなと思ったりします。
 これからの、九十九パーセントの人が中流意識をもつ社会を想定しますと、僕は文学の延長線で物を書くという発想でやってきたけれども、ひとりでにビジネスマンを読者としていることになると、文学書はすなわちビジネス書であるということになる。このように文学を拡張して考えると、こうした変化に対応できるんじゃないか。
 いわゆる純文学についても、日本だけでなく先進国はみな変わってきてしまったような気がします。文学は、こうした変化にどういうふうに対応していくのか、文学は生きながらえるのか、いや生きながらえる余地はないのか、といったことをしきりに考えています。しかし、このように発想を変えてみると、対応できるのではないかと思います。 (P103)


A

僕の場合は、読者として二十代の後半から三十代の前半のビジネスマンが読んでくれたらいいなというイメージで書いているんですが、残念ながらそううまくいっていないんです。読者カードなどをみると、平均して十年上なんです。なんとなく僕は「昔の名前で出ているんじゃないか」と思ったりします。しかし、ほんとうはもう少し若い読者を想定して書いているんでして、文体も少しずつ工夫したりしているんです。でも、どうもうまくいきません。僕の能力の問題なのか、思い通りの読者にまでいっていない、というきがします。 (P108) 



項目抜粋
2






項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日
241 V 世代を超えて 対談 1993.8.24 こころから言葉へ 弘文堂 1993/11/15


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他者の死でしか死をとらえていない 死とは他者の死とはかぎらない
項目抜粋
1
 @もうひとつ、病とか、年をとることとか、そしてそのあとには死というものがありますね。死というのは自分の死ではなくて、他人の死としてしか考えられないものというようにすごく固定的に考えがちです。ヨーロッパの偉い人の死についての考察なんかをみても、やっぱり死については特異な位置を与えていて、他者の死でしか死をとらえていない。そのかわり日本の人よりももっと若い三十代四十代のときに、相当徹底的に考えています。
 
年をとって来て、違うふうに考えるようになって来ました。つまり、死とは他者の死とはかぎらない、自分の年をとること、老いるということを延長していってひとりでに向う側の死に到ることは可能になるはずだ、と思えるようになって来たんです。これはメッセージではなく、自分が年をとってきたことの実感です。もっといろいろなことがわかって来れば、ひとりでに幕の向こうに行けばそれが死だというところまで行ける、老齢というのはそういうことだと思うんです。
 【註 メッセージについて・・・「若い世代にメッセージをとの編集部の注文ですが、」(P175)と最初にある。】   (P177-P178)



項目抜粋
2
備考 註 昔の「死」についてのとらえ方と違ってきているような気がする。








項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日
243 絶対的な価値観 ”酒鬼薔薇事件”を読み解く (続) インタビュー 超「20世紀論」』上 アスキー 2000/09/14


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項目抜粋
1

@

(いい学校にいって、いい会社に勤める、あるいは体を鍛えてスポーツ万能になる)・・・それは、社会の今の発展段階に応じた相対的な価値に過ぎません。だから、そういう既成の価値観が壊れて,価値観が多様化していくことは過渡的にはいいことだと思います。
 けれども、そこにはニヒリズムがつきまといます。僕にもニヒリズムがあります。家庭においても、社会においても、ニヒリズムが漂っています。「理想を求めても、つまらないじゃないか」という思いがあるわけです。
 でも、そうはいっても、どこかにやはり、絶対的な価値観があるんじゃないかという思いもあるんですよ。それは、社会的に得られるとか、他者に働きかけて得られるというものではないと僕は思いますが、外から見ると,その人はゴロっと寝転んでいるだけで、何もしていない。有用性という観点から見ると、何一つ評価することはできないように見えて,その人自身はいろいろ一生懸命考えているかもしれません。言葉を発していないけれども、そこには”
沈黙の価値”というものがある。絶対的な価値観というのは、そういうようなものじゃないかと僕はおもうんですけどね。  (P65−P66)


項目抜粋
2







項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日
245 精神の違法性 ダイアナの死は自業自得である インタビュー 超「20世紀論」』上 アスキー 2000/09/14


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精神の違法性
項目抜粋
1

@

こんなことをいったら顰蹙を買うぞとか、ここまでやったら問題だぞとかいった倫理的判断は,普通の市民の場合は社会生活の経験から培われてきたものだと思います。
 「じゃあ、お前はどうなんだ」と聞かれたら,必ずしもそこはうまく解けていないところですが、僕はそうしたモラルをしばしば越境していますね。身内のことや赤の他人のことまで,実名をあげて批判したり、非難したりってことを平気でやっちゃっています。
 抗議されることを恐れてやっていたのでは、文筆や文学なんて成り立たないという思いが僕にはあります。その意味では、いつも「やっているなあ」と感じますし,「”吹きっさらし”の中にいるなあ」というのが実感です。
 この”吹きっさらし”の気持ちってのは、「当人以外にはわからないでしょう」というところがあります。僕は日常生活の中では、市民社会の法律に違反しないように生きていますが、精神の表現の世界では,法律なんか一切考慮していません。”
精神の違法性”といいましょうか。”際限なく違法性があるのが人間性だ”と思っています。    (P93)


項目抜粋
2
備考 註.「”際限なく違法性があるのが人間性だ”と思っています。」







項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日
250 心情と臓器 臓器移植はお断りだ インタビュー 超「20世紀論」』下 アスキー 2000/09/14


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内臓の変化が心の変化 聴覚が視覚に転じる
項目抜粋
1

@

基本的には、内臓の変化が心の変化なんですよ。視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚といった、いわゆる五感を第一義的に司るのは脳ですが、心情を第一義的に司るのは臓器なんです。 (P64)


A

僕の言語論には、僕がつくった「指示表出」という言葉と、「自己表出」という言葉とがあります。「指示表出」と「自己表出」は、いずれも、言葉が持つ機能です。僕なりの言語論でいえば、言葉には、この二つの側面があるわけです。
 「指示表出」の典型は名詞で、「木」といえば、「木」をイメージする。そこには、指示性があります。イメージするというのは、脳があるからです。脳の機能によって,イメージしているわけです。つまり、「指示表出」は、明らかに脳が司る感覚的な認識によるものだということです。
 一方、「自己表出」というのは心の表現です。「あ!」といった感嘆詞などが、その典型です。そこには、別に指示性はありません。「自己表出」は、”自動表出”といっていいくらい、内臓からくる「臓器感覚」なんです。三木成夫によれば、心は内臓の動きに結びついた表出である、と見なすことができますからね。それは、「指示表出」のように、脳の機能によってイメージされるものとは違うんですよ。
 三木成夫の本を読んで、そういうことを示唆され、「俺のいっていることに医学的根拠ができた」「俺のいっていることは、やはり正しかったぜ」って思ったことがあります。  (P64−P65)


A

臨死状態の際、人間の五感のうち、最後まで残るのは聴覚だといわれています。聴覚が残れば、視覚的イメージが形成されるということはありえます。聴覚が視覚に転じるんです。人間の五感のうち、視覚は比較的新しい感覚で、五感は原始時代には未分化だったと考えられますから。
 古代の遺跡で、地上にいてはわからないけど、上空から見ると、意味のある模様になっている遺跡がありますね。どうして、そんな模様をつくることができたのかといえば、古代人が未分化な感覚を持っていたからじゃないかと思います。   (P66−P68)



項目抜粋
2







項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日
251 精神現象 オカルト流行りの迷妄を正す インタビュー 超「20世紀論」』下 アスキー 2000/09/14


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エンゲルスとマルクス
項目抜粋
1

  【―精神現象は、単純な唯物論では解けないということですね?】
@

ええ、そうです。
でも、唯物論といっても、エンゲルスの唯物論とマルクスの唯物論とは違うんですよ。エンゲルスは「精神というのは物質の延長だ」といっています。つまり、精神は物質の延長として生まれてくる、物質が精神に転じる、というのがエンゲルスの考え方です。
 僕は「それは違う」と思います。人間の精神現象は、脳という物質に基礎を置いていることは事実ですが、”観念の自己増殖”といいますか、精神現象が精神現象を生み出すということもありますからね。
 エンゲルスには、精神現象が精神現象を生み出すという観点がないんです。・・・・・・一方マルクスは物質的な現象と精神現象とは「対応する」とまではいっていますが、エンゲルスのように単純ないい方はしていません。だから、マルクスが手紙で述べた先程【P87】のようなことは、手紙という気安さもあって、大ざっぱにいっただけという気もします。 (P88−P89)


項目抜粋
2







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253 思想的な場所 オカルト流行りの迷妄を正す インタビュー 超「20世紀論」』下 アスキー 2000/09/14


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「ああ、そうかな」
項目抜粋
1

@

【いろんな「超常現象」の具体的な話に対して】今の科学の発達段階で、下手な理屈づけをしちゃうと、間違うと思うんです。だから、今は、それは未解決の問題として残しておいたほうがいいと思うんです。・・・・・・僕は、そうした話を聞いたとき、「そんなのウソだよ」とは思わなかったですし、また、強いて、「そんなこと、ありうるのかな」とも思いませんでした。
「ああ、そうかな」と思って、自分の中にスーッと入れちゃいました。


A

ええ、僕は思想的な問題として、このことをいいたいわけです。今、科学的といっていることも、超能力とか、超常現象とかいっていることも、「いずれもアテにならないぜ」って、僕は思っています。
 今、科学的といっていることは、あくまで科学の現在の発達段階に応じたことに過ぎません。また一方、今、超能力とか、超常現象とかいっていることを、科学では解決がつかない神秘的なことだと結論づけてしまえば、それは、神秘主義に陥るしかありません。
 
だから、今、よくわからないことはムリヤリ理屈づけをせず、将来に解決をゆだねるのがいい、と僕は思います。「開いたままにしておく」といいますかね。それが、僕が身を置いている思想的な場所です。    (P106−P108)


項目抜粋
2







項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日
258 精神の豊かさ 公判中のオウム真理教を改めて問う インタビュー 超「20世紀論」』下 アスキー 2000/09/14


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個人の自由度
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1

@

物質的に豊かになれば、それに伴って精神も豊かになる、というふうに漠然と考えられてきたわけですが、それは、「そうなるとは限らないぜ」ってことが、だんだんハッキリしてきたということじゃないでしょうか。
 マルクスは、書簡の中で、「自分は歴史の法則を発見した」と述べました。それは、下部構造が変化すると、上部構造もそれに伴って変化するという問題です。下部構造がよくなれば、上部構造もそれに伴ってよくなるというわけです。でも、必ずしもそうじゃないよってことですね。
 下部構造の中核は経済構造ですが、経済が豊かになっても、精神という上部構造はそれに比例して豊かにはならないということが、だんだんハッキリしてきたんじゃないでしょうか。物質的には豊かになっているにもかかわらず、精神が豊かになるどころか、逆に”精神の大欠乏”のようなことが起こりうるということです。
 現在の日本社会は、家族関係にしても、男女関係にしても、まさに解体の過渡期です。昔と比べて、家族関係や男女関係が円満で、より仲良く、より楽しく暮らせるようになったかといえば、そうではありません。
 それは、物質的豊かさ、経済的豊かさが、個人の自由度を増して、家族関係や男女関係の絆を解きはなち、互いの関係をだんだん疎遠にさせていったからです。こういう事態は、マルクスにしても、「ちょっと予想外だぜ」っていうことがあると思います。     (P233−P234)


項目抜粋
2







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259 所有という概念 偽の「ユートピア思想」に騙されてはいけない インタビュー 超「20世紀論」』下 アスキー 2000/09/14


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1

@

【―耕す土地も、農民の私有財産、私的所有であるべきだということですか?】
 もちろん、そうです。それが、重要なことです。国家がなくなっても、自分の土地はなくならない―そうじゃなきゃ、いけないんですよ。
 通常、「所有」という言葉を使うとき、それは近代経済学的な意味合いで使っているわけですが、所有という概念は、本当はそれにはとどまらないいんです。所有という概念には、近代経済学を超えた、もっと深い意味があります。
 でも、所有という概念を、自分の権利感として明確に持つということは、実は大変なことなんです。太平洋戦争が終わるまで、農地を持っていた僕らの親父の世代の人たちは、「土地はおカミから預かったものだ」と本気で思っていたんですからね。
 太平洋戦争当時、「日本国が滅びようが、どうしようが、この土地は俺のものだ」という強固な所有概念を持っていた人なんて、滅多にいません。所有概念、所有の思想性を確立することは、今後の課題の一つです。  (P252)


項目抜粋
2
備考 註.「所有という概念には、近代経済学を超えた、もっと深い意味があります。」








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261 実感 21世紀への視点・「本当の考え方」とはなにか? インタビュー 超「20世紀論」』下 アスキー 2000/09/14


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実感に即してモノを考える もう少し高度な世界史的な視野
項目抜粋
1

@

ええ、そうですね。「実感に即してモノを考える」ことは、理念的に、とても大事だと思います。それは、民衆―飛び抜けた知識や見識を持たない普通の民衆が、実感に即してモノを考えるとき、そこには知恵というか、英知が潜んでいると思うからです。普通の民衆の判断力は、「相当なもんだぜ」って僕は思います。
 僕がモノを考える際、原理としていることは、「実感に即してモノを考える」ということのほかに、もう一つあります。それは、インドネシアと東ティモールの問題とか、ユーゴ軍とNATO軍の問題とか、国際情勢を考えるときなどは、固定化された論争の枠組みの中に入らず、いつも自分の視点を、その外側に置くということです。「固定化された論争の枠組みの中に入って、発言しちゃダメだ」「意識的に外側に出ちゃえ」ってことなんです。

 【1991年、湾岸戦争について】
 アメリカとイラクとでは、歴史的な発展段階がまるで違います。それなのに、そういう発展段階の違いを無視して、こっちがよくて、あっちが悪い、といっても意味がないのです。アメリカが善で、イラクが悪だ、と決めつけることはできません。
 一番いいのは、アメリカやイラクの政府首脳よりも、もう少し高度な世界史的な視野からモノを見て、その視点から、情勢判断を下すということです。  (P272−P274)



項目抜粋
2
備考







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265 「死」という場 T 死について1  「死」をどうとらえるか 談話 遺書 角川春樹事務所 1998/01/08


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項目抜粋
1

@

出会う物事でも、すれ違う物事でも、どんな物事の存在でもいいのですが、物事にわれわれがぶつかるときは、たいてい向こう側からです。そんなとき、もし向うからあるいは背後から、その出会い自体を見られたら、その向うからが「死」という場だと考えてきたんです。
 つまり、向うから見ることができたら、それが「死」でいいんではないかという視点です。それは、いわゆる生きている生でもなければ、息が絶えた死でもないところの、ある場所です。
 その向うからの発信地というべきある場所が、うまく決められれば、物事との出会い方を全体のイメージで見られるのではないでしょうか。
 そのある場所がどんな場所かがわかったら、「死」がわかったことになります。そう思ってきました。もう少し先までいいきってみます。僕が「死」だと考えているのは、身体細胞の死とか、それにともなう精神の死とか、宗教家がいう「前世」や「来世」の線の上に乗った「現世」の終焉ともまったく関係のない「目指されるべきひとつの場所」のことです。  (P12−P13)


A

・・・・・そして僕に固執すべき死の課題があるとすれば「目指されるべき死」しかありません。この死は習俗にも経験にも転化されず、僕の死とともに死すべきものです。  (P13)


B

そして、ほんとは死の場所から見ると、個人的な体験の死だけではなくて、国家とか、社会とか、教育とか、文化とか、万般の死がよく見えてくるのでないかなと思います。 (P14)

C具体的に物事を見るときの例をあげてみます。【タバコの例】  (P14−P15)



項目抜粋
2
備考 註.「この死は習俗にも経験にも転化されず、僕の死とともに死すべきものです。(P13)」 ?








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266 前世・来世 T 死について1  「死」をどうとらえるか 談話 遺書 角川春樹事務所 1998/01/08


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実感的
項目抜粋
1

@

十九世紀ごろまでは、現世は母親のお腹から身体が出てから死ぬまでということで、母親のお腹から出てくる以前、お腹にいるときは前世だということになっていたわけです。
 しかし、いまの科学的な考え方からすれば、母親のお腹の中にいて七〜八ヶ月くらいまで育ったときには、胎児はすでに人間の器官など全部そろっているし、母親が話しかける言葉の響きなどもわかっているとされています。ですから僕は、その段階になれば、前世ではなくて、この世に入ると考えています。
 それでは、七〜八ヶ月以前の胎児の状態、すなわち、まだ器官的に不十分であるところの領域はどうか。僕は、それが宗教が「前世」といっている領域だと考えています。それについては、いずれ医学がだんだんと解明していけると思っています。
 それでは「来世」はというと、「死後の世界」と固定観念的に考えずに、受精してから七〜八ヶ月までの胎内生活を、後ろ向きに考えると、そこに「来世」ということが出てくるのではないか。
 つまり、僕の考え方では、「前世」と「来世」はとらえ方が違うだけで、同じだということになるのです。受精してから器官が整う七〜八ヶ月までの胎児の期間に、「前世」も「来世」もあるというとらえ方です。そして七〜八ヶ月以降は比喩的にいえば母親の胎内にいてもすでに「現世」に属していて、死ぬまでは現世を生きることになります。
 僕が、なぜそう考えるようになったのかといえば、自分が歳をとってくることで、実感的に、そうとらえられるようになってきたことが大きいようです。   (P22−P23)



項目抜粋
2
備考







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268 死の問題 T 死について1  「死」をどうとらえるか 談話 遺書 角川春樹事務所 1998/01/08


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人間の死の問題 比喩
項目抜粋
1

@

僕は、身体とそれに伴う精神の死について、いちばん好きな言葉があります。高村光太郎の詩の中の「死ねば死にきり 自然は水際立っている」という言葉です。死ねば死にきりで、やっぱり自然というものは見事なものだと高村光太郎はいっているわけでしょう。僕は、人間の心身の死はこれでいいのではないかと思います。
 その上に何を装飾するか、何を肉付けするかということが、現在でいう意味の「死の問題」、あるいは「老いの問題」ということになるのではないか。
 人間は永遠だというのも、人間は輪廻転生するものだというのも、それはそれでとてもいい感じですが、何となく嘘くさい。僕は「死ねば死にきり」でいいという気がします。
 神の摂理でも、宇宙の摂理でもいいけれど、自然はなぜそうできているか、自然をどう考えるかが問題になってきます。ほんとはそれは人間の死の問題ではなく、自然の一部の問題にしかすぎません。人間の死の問題はまったく別で、どこに死を設定し、それをどんな場所で、どんなふうに人間の可能性を広げられるかという問題です。もう少し具体的にいえば、人間は時間と空間に可逆性を包括したような完備した条件の可能性に、どこまで肉迫できるかの問題です。  (P32−P34)


A

僕自身は「死ねば死にきり」という考え方がいいなと思っているのですが、残念ながらそれを実感しているとまではいえません。というのは、死はこれとはまったく別のことだからかも知れません。
 いまの段階で、この問題をはっきりさせるためには、「何か」が足りなくてできないのではないか。だから宗教のほうにいくか、医学的なほうにいくか、どちらかしかないのでしょうが、どちらにしても、何か決定的な要素がもう一つ欠けていて、不完全だという気がします。   (P34)



項目抜粋
2

B

結局、僕が何をいいたいのか、つづめてみると、現在の段階での科学や哲学的認識論や宗教で、生命の死とか永遠性とかを論議すると、すべて比喩にしかならない。・・・・・・細分化、分離の限りない過程の中で、結合や総合を安易に考えると、みんなこんなことになります。
 仮に「死ねば死にきり」と僕が断言したとしても、自然の一部分の現象の中で死を見ているにすぎないでしょう。これは僕が「思い込み」を導入するか、それとも死をはじめから限定して定義する以外に、いまのところ論理も感情も整合しない違和感を残します。
 僕たちが「信念」を持った人や科学的認識しか持たない大人=子供を尊重できなくなっているのはそのためだと思います。
 「死」はどこへ行くのかを問うことと、社会はどこへ行くのかを問うことが同致しうるとすればその理由からです。  (P35−P36)

※【関連事項】『言語美』
「・・・・喩は言語をつかっておこなう意識の探索であり、たまたま遠方にあるようにみえる言語が闇のなかからうかんできたり、たまたま近くにあるとおもわれた言語が遠方に訪問したりしながら、言語と言語を意識のなかで連合させる根拠である現実の世界と、人間の幻想が生きている仕方が、いちばんぴったりと適合したとき、探索は目的に命中し、喩として成り立つようになる。
  (P135-P136)」



備考 註1.「人間の死の問題はまったく別で、どこに死を設定し、それをどんな場所で、どんなふうに人間の可能性を広げられるかという問題です。もう少し具体的にいえば、人間は時間と空間に可逆性を包括したような完備した条件の可能性に、どこまで肉迫できるかの問題です。」

註2.「つづめてみると、現在の段階での科学や哲学的認識論や宗教で、生命の死とか永遠性とかを論議すると、すべて比喩にしかならない。」









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269 死がわかるということ U 死について2  「死」を定義できるか 談話 遺書 角川春樹事務所 1998/01/08


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総合での場所 「死」を向うから見ることだ
項目抜粋
1

@

そして人間の「死」について、いろいろと装飾せざるをえないのは、何らかの形で納得しないと、人間の生をうまくとらえられないからでもあります。逆にいえば、人間の死にとって宗教や哲学が必要だということです。現在では医学(科学)的な装飾を施した宗教にすぎない死の認識が存在したりしています。  (P42)


A

僕が好きな宗教家は親鸞です。親鸞から受けている影響がとても大きいです。
 親鸞は、来世は実体化できないと考えている。僕はそう解釈しています。・・・・・・・・
 親鸞は、念仏を唱えればある場所に行けるといっています。その「ある場所」とは、実体化した死とも実体化した来世とも違う場所です。比喩的にいえば、王様や天皇になる以前の皇太子のようなもので、皇太子になれば、次は王様か天皇になるのは決まっています。この皇太子の地位が「ある場所」であって、それが「本当の死」だということです。
 つまり、念仏を唱えれば、「本当の死」というべき場所に行けることになるわけですね。それは「現世」と「来世」の間の「ある場所」です。
 この親鸞の考え方が、僕は好きです。宗教といっても、来世についての考え方は宗派によってまったく違いますが、この親鸞の考え方がいいと思います。
 僕は、死について、他人の死から考えるのも、死が厳然と存在するものだというように実体化するのも、身体の死やそれに伴う精神の死というのも、どうも嘘だと思っています。
 しかし、死というのは「ある」のです。それでは死はどんなものかといえば、「肉体の死」でもないし、それに伴う「観念の死」でもない。どうもどちらも死をきちんととらえていないのではないか、と考えているのです。
 つまり、肉体が死んでしまえば何もないともいえないし、肉体が死んだ後でも魂だけは残るというのでもない。「死」は自然の一部としての人間の死とはまったく違う「ある場所」を目指すことなのではないかということです。身体の「生」と「死」とはカラーが違う総合での場所です。その場所が何かがわかれば、死がわかるということなのです。 (P44−P46)



項目抜粋
2

B

しかし、その「ある場所」というのを、どうやって見つければいいのか。それがわからないのです。親鸞のような宗教家だと、その「ある場所」とはこうだといい切ってしまうわけです。だから、「浄土に行ける」といい切ってしまいますね。
 僕らには信仰心がないから、そういい切れない。それでも親鸞のいおうとしている意味は、わかる気がします。
 その「ある場所」がわかって、そこから物事を見ることができるようになったら、いろいろなことが全部わかるということだと思います。それが、はじめにいったように、「死」を向うから見ることだという僕のとらえ方でもあります。 (P46)
 親鸞の場合、念仏を唱えれば、そのまま浄土(来世)へ行けるというのではなく、念仏を唱えれば、「ある場所」(正定衆の位)に行けるといっているのだと思います。その場所は、すぐに浄土へ直通できる過程といえばいえるが、死後の世界である浄土は実体的にある、ということもいいたくないし、いっていない。僕はそう解釈しています。・・・・【源信の例】・・・・・親鸞は、胡散臭さをどんどん削ぎ落していって、・・・・・・・・ 
 そういう意味で、親鸞は数百年後の現在の認識からいっても胡散臭いと思うことは何もいっていない。自分もそれらしいことは何もしていない。これはおそるべき透徹した認識力です。
   (P46−P48)



備考







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271 精神の課題 U 死について2  「死」を定義できるか 談話 遺書 角川春樹事務所 1998/01/08


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文明の発達と精神の問題 認識の方法
項目抜粋
1

@近代主義的な考え方からすれば、宗教は迷妄であって、「前世」とか「来世」とか言っているけれど、冗談じゃない。そんなものがあるわけがないじゃないかということになるわけですね。
 しかし、その考え方は間違っているよといところまでは、自分でも考えが及んでいるのですが、それでは、宗教が「前世」とか「来世」と呼んでいるものは何かとなると、何とか納得できそうな考えは、いままで話してきたようなところなのです。
 「精神の課題」というのは、宗教や哲学がこれまでさんざんやってきたわけです。極端なことをいえば、そんなことは、もうギリシャ哲学やオリエントやアジア起源の宗教哲学だけでいいじゃないかとも思うほどです。しかし、人間は、それでも繰り返し繰り返し同じことを考えてきました。だから、精神の課題はそう簡単に直進しない。
 僕は、文明というものは先へ進む一方で、後戻りさせるのは無理だと思っています。しかし、精神の課題は、繰り返し繰り返し後戻りできる。そして後戻りが徹底すればするほど深くなるのではないか、と思っています。
 精神の課題は後戻りしたほうがいいといい、文明は発達したほうがいいといっているは一見矛盾に思えるかもしれません。しかし、その矛盾はきちんと抱え込んでいかなければならない重要なものと考えています。  (P54−P55)

Aいまの新興宗教も、旧来の仏教も、キリスト教やイスラム教も、そのへんの文明の発達と精神の問題に、どうもはっきりと決着をつけていない気がします。
 結論だけずばりといえば、文明の未来社会を考えるのと、原始、未開の人類の原型を掘り下げるのと、同じ方法をとって、同時に緊急課題とすればいいと思います。つまり社会や政治の「前世」と「来世」は同じだという認識の方法を創りあげることです。  (P56)

項目抜粋
2
備考 註1.「結論だけずばりといえば、文明の未来社会を考えるのと、原始、未開の人類の原型を掘り下げるのと、同じ方法をとって、同時に緊急課題とすればいいと思います。つまり社会や政治の「前世」と「来世」は同じだという認識の方法を創りあげることです。(P56)」







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279 深層にあるもの Z わが回想1 「死」から「生」へ 談話 遺書 角川春樹事務所 1998/01/08


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1

@はたして、人間が百八十度転換することができるのか。たしかに僕は敗戦まで軍国主義者だったわけです。そして戦後、天皇制を批判したり否定してきました。そういう意味では百八十度転換しています。
 ただ自分なりに自分を納得させる考え方はつくってきました。・・・・・・ロシア・マルクス主義もナチズム、ファシズムも、工業・製造業(第二次産業)中心時代の思想的な双生児だと思っています。すでに先進地域はその時代を通過してしまいました。経験則的にいえば、個人の思想も自分が通過した時代の理念の枢要な部分を包括しながら行くものだと思います。


A「思想」が固まって形をとればとるほど、「理念」という形になって、底のほうではなく表面に出てきてしまうのではないか。逆に、理念がどうあろうと、思想といえるものがあるとしたら、深層に残っているものも包括してあるのではないかと思うのです。矛盾しているように受け取られるかもしれませんが、理念の表皮の深部には思想が混沌として含まれています。
 深層にあるものは、軍国主義から自由主義になったから変わってしまったというのは不可能で、決して変わらないものがあるのではないか。だから、僕の中には、理念的に天皇制を否定するからといって、天皇主義のときの深層がなくなってはいない。あると思うのです。
 果たして理念として出てきたのが思想なのか、深層にある変わらないのが思想なのか、両方ともあるものなのでしょうが、深層にある思想、それは「心」といってもいいのですが、僕は心というのは、表面に出てくる理念とは違うものがあると思っているのです。
 その両方を考えることは苦しいことですが、両方を考えることで、大転換をくぐって生きることができるのではないか、僕はそう見なしてやってきました。
 (P181−P182)

項目抜粋
2
備考







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280 絶対感情 Z わが回想1 「死」から「生」へ 談話 遺書 角川春樹事務所 1998/01/08


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オウムの問題
項目抜粋
1

@僕たち無知無能な戦争中の国民の中には、「神聖にして侵すべからざる」天皇に対して、村里の鎮守さま、生き神さまに対するような「絶対感情」といったものがありました。軍国主義時代の天皇は一種の生き神さまのように考えるのが「絶対感情」にかなっていて、だからこそ、天皇のために自分の命を差し出すという形で、戦争に行って死ぬのだという決意ができたわけです。
 いまでいえば、オウムのように出家を決めて麻原彰昇晃に殉じるといった感情は、信者にとっては一種の「絶対感情」だと思います。ですから、僕の体験からして、その「絶対感情」によって、そうなってしまったということは、教義を検討し、否定するという作業なしに軽々しく否定すべきではない。これは戦後のスターリン主義(ロシア・マルクス主義)に対する批判や否定と同じです。
    (P181−P182)

項目抜粋
2
備考







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281 情勢判断 [ わが回想2 「六〇年安保」から「現在」まで 談話 遺書 角川春樹事務所 1998/01/08


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近代主義的な輪切り概念 新しい時代に対応できるもの
項目抜粋
1

@当時すでに、日本の戦後の資本主義は大いに隆盛になっていたのです。もはや、アメリカのいうままになっていたような時代も過ぎていました。
 そういう情勢判断から、もし日本の資本主義に異を唱えるなら、六〇年安保が最後だろうと判断していたのです。それが六〇年安保で全学連に肩入れした、もう一つの要因なのです。この全学連主流派のラディカルな反安保闘争は、実効性ということのほかに、形而上的な大きな意味がありました。それは世界ではじめての国際共産党から自立した左翼運動だったということです。左翼神話は僕らの精神史のうえで、すでに崩壊していました。  (P197)

A・・・これが六〇年安保後の挫折感の中で懸命に追求した僕の思索の結果で、とうてい埴谷さんとは理念が距たっていました。・・・・・
 僕の基本的な認識では、日本の社会は消費過剰な社会に入ったということです。取り込まれて、進歩的な文学者一般の中に融けてしまったという認識でした。そこが、論争の核【註.吉本−埴谷論争】だったのです。   (P203−P204)

B拡大した日本の資本主義を肯定するにしろ否定するにしろ、日本の資本主義は栄えていく一方だという、情勢判断がありました。
 この日本の資本主義の「栄えていく一方だ」というのに陰りを示したのが、バブルがはじけたことです。消費過剰になって、少しいい気になった部分のバブルがはじけたのです。 (P206)

C六〇年代末から七〇年代になって、消費過剰社会が何をもって明瞭になってきたかということですが、象徴的な現象は次のようなことです。
 七二、三年の頃に、企業がペットボトルに天然水を詰めて売るようになってきました。これは、根本的にマルクスの経済学段階が終わったことを意味しています。
 マルクスの価値論の基本は、使用価値と交換価値ですが、空気と水は無制限にあって役に立つもの(使用価値は大いにある)だけれど、交換価値(価値)はないものだというのが基本概念なのです。

項目抜粋
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つまり、空気と水は有用なものだがタダだということです。・・・・・・  
 マルクス経済学のいっている資本主義は、消費過剰になったときに、もう終わってしまって、マルクス経済学が通じない段階になってしまった。現象としては、小さなことですが、これはとても大きな意味があります。価値の基礎概念が一次元すすんだということですから。    (P210−P211)

Dもう一つの屈折点は、九五年の阪神大震災と、オウム真理教が惹き起こした地下鉄サリン事件に象徴されるものです。これで世界史は新しい時代に入ったと思っています。この新しい時代に対応できるもの、経済でも文学でも、どういうものなのかということを明らかにしていかなければならないのですが、いまのところ、僕には解明できていません。水がタダではなくなったというように、はっきりしたことがいえればいいのですが、それがいまのところわからないのです。ただ基本的にいえることは、国家があり、その下に市民社会があり、そこで個々の市民がそれぞれ生活している、そして個々の市民は家族をつくり、家族感情を持ち、その中の個人はそれぞれ欲望を持ち、自分だけの精神世界を築いて生活している。こういったヘーゲルの『精神現象学』がやっている近代主義的な輪切り概念は通用しなくなったと思っています。大範疇から小範疇まで薄い皮膜のように共鳴したりすれば、すぐにほかの皮膜に響き合い、強いていえば世界大にまで広がる。個人と世界との間にも複数の集団の間にも共鳴盤があって、影響の通路ができてしまっている。このことはいえそうです。
  (P211−P212)

備考







項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日
283 自分の仕事 [ わが回想2 「六〇年安保」から「現在」まで 談話 遺書 角川春樹事務所 1998/01/08


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1

@僕は長い間、子供を育てる以上の仕事をしてないなと思ってきました。・・・・・・・
 自分なりに、もしかしたら、おれの仕事はいいかもしれないぜと思うようになったのは、つい近年のことです。
 それと対応するのですが、近年、こういう感覚が生じてきました。
 マリノフスキーという人類学者がトロブリアンド諸島へ行ってフィールドワークをして、そこの宗教や性風俗や婚姻制度はこうだとレポートしています。以前なら、ああ、なるほどそうかと無邪気に感心していたのです。ところが、おれもフィールドワークされている側に属しているのではないかと近年思えてきました。ですからあまり無邪気でなくなりました。西欧の偉大な本をよんでもなるほどとはいかなくなった。
 僕がいま感じたり、あるいは考えたりしている視点は、そのあたりからきている気がします。
 この考え方は自分なりに整理してあるので、やがてお目にかけることができましょう。
   (P214−P215)

項目抜粋
2
備考 註.「この考え方は自分なりに整理してあるので、やがてお目にかけることができましょう。」







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285 戦後詩 戦後史の体験 論文 戦後詩史論 大和書房 1978/09/15


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永続的なもの 現在性
項目抜粋
1

@戦後詩と呼ぶものは、戦争をくぐりぬける方法を詩のうえで考えることを強いられた詩のことであるといえば、いくらか当っている。べつの言葉でいえば戦乱によって日常の自然感性を根こそぎ疑うことを強いられた詩といってよかった。認識ないし批評をたえず感性や感覚のなかに包括しながら詩が展開されるので、日常の自然感性に類するものは、すくなくとも表面からは影を払ってしまった。それが日常の自然感性に慣れて、それを詩とみなす人々にとって難解なとっつきにくいものにした。詩に安堵感をもたらすよりも、詩に考え込むことを強いるという具合にならざるをえなかった。戦後詩はその尖端の感性的な水準でいえば詩から慰安をうけとろうとするもの、詩とはリズムに乗った言葉による解放感や快感であるとするものを、みずから拒んだ世界へ入りこんでしまったのである。日常的な生存や生理的な自然死の世界のほかにも、生や死の体験(を強いられる)世界がありうることを、詩人たちは体験し、その体験を詩的な比喩となしえないかぎり作品は成立しなかったのである。
   (P135−P136)

A中原中也や立原道造や三好達治のような詩人たちの詩は一種の大衆性を、つまり誰にでもわかる要素を詩の中にふくんでいる。また単に、大衆性をふくんでいるだけでなく詩的なもののうち、永続的なものを、つまり古代の詩から今の詩に至るまで、少しもかわらない核にある何かをふくんでいるようにみえる。これを自然の諧調に同化するところの感性といったらいいのか。自然の諧調とは、「悪い比喩」でいってみれば、樹木の枝ぶりの曲線があれば、その曲線そのままを美と感じ、草花や気象はそのままに美と感じ、政治制度や戦乱や日常生活にはそのままの在り方、つまり自然性を美と感ずる感性が虚構したものを指している。それ以外の感性的な世界は、対象の向う側に無限に吸収されてしまうことができる。もっと「悪い比喩」を重ねてみる。たんに景物や事象だけではなく観念の動きについても、初発の自然性にすべてをゆだねてしまうものを、無意識のうちに表現している。ここに大衆性の核があるあるようにみえる。この大衆性は、そのままでは現在的な意味はうすれ、過ぎてしまった歴史性になっているかもしれない。まただからこそ強固に詩概念として流通し、時代によって脱白されて強固になっているともいえる。  (P138)

項目抜粋
2

Bこういった意味からすると戦後詩のもとにある核心は逆に現在性ということで、つまり現在に生きている人々が感ずるだろう、無意識にあるいは理屈はつけられないが漠然と感じている不安とか苦しみとか、あるいはある意味の喜びであるとか、そういうものを鋭敏な形で象徴している点にあるといえるかもしれぬ。しかしこの性格の中に永続的な意味で詩的なものがふくまれているかどうかはたいへんむずかしい。この疑問を審判するのは依然として十年あとか百年あとかしらないが歴史が濾過する眼である。  (P139)

C中原中也や立原道造やあるいは三好達治などの詩が愛好者のあいだに流布され愛誦され、愛読されている仕方が詩のすぐれている標識になるとかんがえてみると、逆にひとつの疑念を生じる。これらの詩の中にはたしかに詩的なものとはこういう感性だという通念に積極的にはたらきかける要素はふくまれている。しかしその中に詩として現在的なもの、現在に生きているものが現在に対して精一杯これを感性的にうけ入れ、感性的に悪闘し、そして感性的にこれを思い悩み、という要素があるかどうかをつきつめてゆけば希薄な部分でしかそれは存在しないのではないか。・・・・・・百年たらずの一時代生き、呼吸し、そして死んでしまう、そういう同時代、つまり現在を精いっぱい感じ、思い悩み、も掻ききってゆく生きざまとしてみれば、たぶんそれらの詩は最小限度しかそれを感性の課題としていなかった。その意味では、詩のある決定的な要素を欠いていたとかんがえることもできる。詩とは何かという問いに、永続的に流れる時間的なものとそれからいわば永遠に滞留する現在的なものの二重性がいつでも生きていなければならないとすれば、どうしてもそうならざるを得ない。  (P139−P140)

備考 註.「詩とは何かという問いに、永続的に流れる時間的なものとそれからいわば永遠に滞留する現在的なものの二重性がいつでも生きていなければならないとすれば、どうしてもそうならざるを得ない。」

註.『現代詩史論』
の方法に触れて、・・・・・『読書の方法』(2001.11.25 光文社) P128−131参照







項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日
286 戦後詩 戦後史の体験 論文 戦後詩史論 大和書房 1978/09/15


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項目抜粋
1

@この詩的なものにてらして戦後詩がどういう運命にあるかは依然として未知数に属する。同時代における、つまり現在に存在するということ、生き、精一杯存在することにおいて当然感じなければならない多くの問題を、じぶんの一身にひきうけている詩人を想定してみる。そういう詩人が精一杯感じているもの、それは当然現在における多くの人々が、無意識のうちで感じているものを尖鋭な形で象徴している。そういう詩人たちの存在は、同時期の多くの人々にうけ入れられるとか、多くの人々に流布されるということにはならない。これは問題意識の尖鋭さにかかわるとおもう。同時代の人々は、無意識のうちに現在を感受していても言葉にあらわすことはできない。人々にとって同時代とは現在を、つまり自分が生まれ存在し死ぬという時間そのものである。生きざまそのことが人間はどう生きるかということである。そうしたプラスとマイナスにふりわけることのできない核というものが、人間の生涯、この百年足らずの個の生涯というものをかんがえるばあいに基幹になっている。それが無意識のうちに現在を感じている大衆の生きざまの意味だとかんがえてよい。そして大なり小なりそういう生きざまの基準から外れといかざるをえないのが人間の、つまり個の生涯の運命みたいなものである。つまり無事平穏に生きて、そして年になったならば結婚し、そして子どもを生み、それから老いさらばえて死ぬという生き方が最も価値ある生き方であって、大なり小なり具体的な個々の人間は、そうしたいにもかかわらずそれからそれて生きざるをえない。これを人々の生きざまの典型的な同時代的なありかただとかんがえれば、そこに詩的な感性が根強く培養されてゆく基盤がある。
 詩において根強く底に潜んでいる感性は価値あるものの核にほかならないが、どんな詩人も大なり小なりそこからそれ、詩において永続的なものを犠牲にして現在的なものに固執せざるをえない。これが詩を書く行為の中に当然不可避的におこってくる問題であろう。三好達治、立原道造、中原中也というような詩人たちにくらべて、戦後詩人のたれ一人として詩の愛好者たちの間に流布されていない。だが流布されていないからだめなのではない。それから流布されていないからいいのでもない。現在の重さのために詩において永続的なものからそれていかざるをえない運命を、不可避的に辿らされているのが、戦後詩人の生きざまである。そうかんがえれば大衆性のない戦後詩人とは詩において大衆性自体を尖鋭に実現しようと試みているものを指している。  (P140−P141)

項目抜粋
2

A・・・・・それはかつて立原道造も中原中也も、そして三好達治も表現したことはない詩の空間であった。あるいは外圧の強いあいだだけ存在し、瞬間の時代に消えてしまうかもしれぬものであった。強いていえば日本の近代詩はかつて、一度もこの詩の空間を定着させたことはなかった。それを戦後詩人は初めて実現した。・・・・・
 戦後詩はどこへ行ってしまったのか。戦後すでに十数年たっている。戦争とはぜんぜん関係ないところで生まれ、そして育った人々が、社会のうねりの大部をつくるように成熟している。・・・・
 戦後詩の始まりに象徴された詩的体験は平穏な日常生活に必然的に入っていった。
  (P158−P159)

備考







項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日
287 戦後詩 修辞的な現在 論文 戦後詩史論 大和書房 1978/09/15


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1

@戦後詩は現在詩についても詩人についても正統的な関心を惹きつけるところから遠く隔たってしまった。しかも誰からも等しい距離で隔たったといってよい。感性の土壌や思想の独在によって、詩人たちの個性を択えりわけるのは無意味になっている。詩人と詩人を区別する差異は言葉であり、修辞的なこだわり【註 「こだわり」に傍点】である。こういう事態をわたしたちはかつて昭和の初年にモダニズムの詩人たちにみることができた。かれらはサラリーマンであり、教師であり、非個性であった。生活から得た思想によって詩作品を測ることの無意味さはかれら自身の詩論、たとえば西脇順三郎の『超現実主義詩論』によって言明された。このことによってかれらの詩が時代の感性のネガティヴな受容器であることが云われたのである。かれらの言語はただ時代の共同性であった。詩が散文とおなじく没個体的でありうることをしめした。けれどもこれらの没個性の詩はただ流派あるいは部分的な傾向としてしか成立たなかったのは、他の傾向が流派あるいは傾向としてしかあらわれなかったのと同様である。
 戦後詩の修辞的な現在は傾向とか流派としてあるのではなく、いわば全体の存在としてあるといってよい。強いて傾向を特定しようとするれば<流派>的な傾向というよりも<世代>的な傾向とでもいえばややその真相にちかい。だがほんとうは大規模だけれど厳密な意味では<世代>的ですらない。詩的な修辞がすべての切実さから等距離に遠ざかっているからだ。どの詩人がどの場所に佇っても詩的な修辞は切実さの中心から等距離に隔たってみえるのだ。  (P172−P173)

項目抜粋
2

A   かれは目をとじて地図にピストルをぶっぱなし
    穴のあいた都会の穴の中で暮す              (清岡卓行「愉快なシネカメラ)

 こう表現したときに、すでに戦後詩の修辞的な彷徨は開始されたのではなかったか。詩人は都会のアパートやマンションの四角な窓の奥に、構えられた画一に四角い穴のような部屋つづきに生活している。・・・・・この日常性はその街の地図の任意の場所に、玩具のピストルで孔をあけてその穴の中で暮すという暗喩にもっとも適切に表現されるのではないか。・・・・・だが戦後詩の社会が一枚の地図として、あるいは一枚の地図のように画一な架空の場所として、詩の言葉、その修辞のかみに描かれることの宣言だったとみなしてもよい。 (P173−P174)

備考







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288 戦後詩 修辞的な現在 論文 戦後詩史論 大和書房 1978/09/15


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詩の修辞的な可能性 超現実主義の無意識と自動記述
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1

@

詩の修辞的な可能性をもっとも極度にまで拡大してみたい欲望がゆきつくとすればどこだろうか。この欲望は修辞的な自然あるいは修辞的な宇宙を獲得しようとする無意識な欲求に根ざしている。言葉が規範のうえにしか成りたたないことがあたえる拘束感は、社会が自然のうえに成り立っていることにくらべてはるかに重苦しいものだ。・・・・どうかんがえようと<書く>という体験ではじめて言葉は人間にとって自由なものでないことを実感することにかわりはない。このときに言葉がもしも自然のように完備(註 ルビ コンパクト)にそこに在るものとみなしうるなら、という願望がおこるのは当然である。そしてこの願望が現実の生活体験にもはや個別的に異った構造があることを認めようにも認めがたくなった詩人たちからはじまるのも当然であるといえる。このようにしてまず意味の脈絡を変更することによって言語の規範に異を立てようとする。そして異議はやがて規範の拡大につながることは予め詩の与件になっている。


A

言葉は自然のようにそこに在り、ただ拾い上げるか捨てるかが問題なのだ。そうならば詩はただ無形の<選択>に属する。このかんがえをさまたげるのは<意味>の流れが言語の掟てをふみ外すと<意味>が流れないことである。だがこれも疑う余地はある。ひとつは言語の歴史的体験という考えを否定すればよいのではなかろうか。言語の約定とか習慣とかを時間が累積してきた経験の結実とかんがえずに、人間が現実的に自由に生きられないために生じた因習、いぢけた精神の萎縮として解すればどうか。すくなくとも言語はふつういう<意味>の流れからは解放されるはずである。こういう意味で超現実主義の無意識と自動記述とは言語の歴史体験を現存性の深層構造におき代える非歴史化作用にほかならないといえよう。そしてその限界のところには<不可能>を可能なように表現しようとする動機がおかれる。いわば<不可能をする>ことによって言語の意味の日常性から脱出したいということである。   (P176−P177)


B

ほとんど無限にありうるような修辞的な類型のうちから任意の数行ずつをとりあげているというつもりではない。詩人たちが強いられている精神がいくつかの原型に集約されてゆく必然を探りたいのだ。  (P179)



項目抜粋
2
備考 註.「詩人たちが強いられている精神がいくつかの原型に集約されてゆく必然を探りたい」








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289 戦後詩 修辞的な現在 論文 戦後詩史論 大和書房 1978/09/15


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懸詞懸辞の用法 言葉の構成の内部における変遷
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1

@現在修辞的な発条として多用されているものの一部だ。これらの同音や類音に係けられた言葉は任意の詩行とつぎにやってくる詩行とのあいだの、任意の言葉とつぎにやってくる言葉の誘発剤になっている。詩の持続が言葉の慣用の意味性にたいする拒否や不協力にかけられているとすれば、同音や類音による詞と辞の連繋と微転位とは、意識の持続のゆき詰まりにたいする中休みと誘発の役割を果している。そして慣用の意味の流れから解放されているために、同音や類音をもった異質な語彙の連けいはそれ自体が詩的効果のひとつでも有りうる。イメージの途切れは音韻の同一と類縁によって代用させることができる。・・・・・・けれどもこの同音や類音による懸詞懸辞の用法は詩が持続されるための内的な緊張を一瞬繋ぎとめて、次の持続へと送り出すために言語の<意味>の自由度は拡大されうるという前提なしには成立たない。言葉は内的意識の表現として自由になったというよりも、意味論的なつながりとして自由になって、<意味>の正常な脈絡を表さなくても詩は保証される。<意味>の表現の内部での任意性が拡大したという意識をもとにおいている。・・・・・言葉が現実との関係を意図的に拒否したり、ずらしたり、不協和をつくりだしたりしたために、言葉と言葉、語彙と語彙、文節と文節のあいだに別個の関係を<意味>としてか<イメージ>としてか作りあげなければならない。また作りあげること自体が詩である。こういうことは詩を言葉で織りあげた言葉相互の構成とかんがえるかぎりある言葉の構成の内部における変遷として歴史的に何べんも繰返されたものであった。そしてその時代的な契機となるものは、あるひとつの言葉の構成法の定型が、その内部で現実との諸対応をしだいにうしなって言葉と言葉との超越的な関係を構成せざるを得なくなった過程にみとめることができる。   (P222−P223)

A詩の歴史の内部で同音や類音による懸詞縁語が意図的な修辞法にあらわれるのは『古今集』時代が始めてである。
 これは音数の定型の制度がすみずみまでゆきわたったことを意味した。詩を保証するものはこのゆき届いた定型の制度であって、現実の感性的な体験ではなくなった。

項目抜粋
2

B詩以前にすでに在るべき情緒の色合いは保証されている。詩の言葉は定型の内部でその慣性的な情緒をもとに戯れられればよい。この戯れは理智や推論を必要としたから可能性としてだけいえば言語空間の無際限な拡大としてみえたはずである。そこで現在では感性的な効果の大部分は追体験できなくなった同音や類音が意識的な手法として多用されるようになったのである。現在では語呂合せとみまがうばかりの同音と類音の誘発性、異質のイメージの並列化などの作用は、詩的な領域のはかりしれない拡大とおもわれたのである。  (P223−P224)

C自然の共同の記憶が根源のところで歌を定めているかもしれないが、本来はそこになくなっている。言葉が先にあり言葉の定型が自然を意識的に創りだしている。そして言葉の衝動としてもっともおおきなのは同音や類音によって意味の言葉が誘発されることだといえよう。・・・・・・・・
 この時代には詩歌がみんな言葉の組み上げの知的な遊びと実験に追い上げられてしまったわけではない。正統な定型よりもやや形式的な自由感を拡げたところで俗歌謡が生々しい生活感性との直かな接触を言葉にしはじめていた。そうみれば詩歌が言葉の空間の拡がりと厚みを獲得した時代といってもよかった。そのために言葉の現実的な背景を実感しなくても、言葉がその内部で自在に操作できるようになった時代であった。だがこういっただけでは疑問がのこされる。言葉の空間は時代とともに拡大してゆくばかりのはずである。そこで言葉の操作は時代とともに自在感を増大させるだけだいえる。そうだとすれば言葉の自在感に詩の表現の根拠をもとめても無意味なはずである。詩的言語の空間というのは、言語空間そのものではない。・・・・・ (P225)


備考







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290 戦後詩 修辞的な現在 論文 戦後詩史論 大和書房 1978/09/15


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無人称の何かに書かせられている <古典的>という概念
項目抜粋
1

@

詩にとって詩であることがすべてである。詩について語ることの意味はどこにあるのかきわめてわかりにくくなっている。詩について語ること自体が困難なのだ。現在、詩は詩についても語ることを困難にするように存在している。鮮やかな個性も存在しえないし鮮やかな旗印も存在しえない。また鮮やかな言葉の色彩も匂いも存在しえない。なぜ書くかという問いが詩なのではない。何ものか物象の関係の次元にあるものから書かされているから書くのだ。詩人はじぶんが書いているのだと思い込んでいるし、書かせるのはせいぜい編集者だと考えている。けれど無人称の何かによって書かされている痕跡ばかりは歴然としている。その拡がりと規模のためにかりに風俗とか大衆現象とか呼んでみてもじつは適切ではない。もっと無人称の何かに書かせられているのだ。ときにそれを古典的な感性の尖鋭な再来と呼びたい気がすることがある。風俗という言葉でいいあらわせないわい雑さを、わい雑さの古典性と呼ぶことは視線のちがいにすぎないような気がする。


A

古典的な感性の由来は基層に潜んでいる。風俗的な感性への強力な関心は古典的な感性への強力な関心の別名だといってもよい。<古典的>という言葉のさす感性は風俗的であることによってその厚みと規模とにどれだけ切実にかかわっているかどれだけ別途であるかをふりわける目安になっている。
 <古典的>という概念が伝統のなかでとりあげられるばあい、すぐに優雅で、古尚で、艶で、物哀れで、繊細でといった表象があげられる。この表象の強力なパターンは大規模な風俗の感受性によってこしらえられたものである。これらの表象にあらわされる仮構を目指すばあいに素材的な古典性と感性的な風俗性とはじつはおなじものを指しているようにみえる。風俗の現実は混乱した現代的鋭角の諸断片が無秩序に溢れているものを指しているのにその感性は、古風で、優雅で、哀れでといったものに収斂されてゆく。



項目抜粋
2

B

<古典的>ということのこのような概念はほんとうは平安期に漢風文化の強力な影響下に言語の感性がある普遍的な奥行きをもって土俗性から離脱した世界を獲得したときにはじめて成立した。だから格別<古典的>という概念が平安朝の後宮文化を覆った感性に収斂されるわけはなかった。それにもかかわらず風俗絵図として<古典的>という概念この時期の哀れや幽艶というような象徴に収斂するパターンを植えつけたのは近世以後に強力な古典理念に裏うたれたからである。そして近代になってはじめて<古典的>といえばこれを指すというように、制度化された。反<古典的>なモダニズムの理念からではなくて、<古典的>という概念をこの制度と強力な感性の型から救抜し得たという例をわたしたちは現在でもあまり確実にもっていない。たぶんそこのところで現在、<古典的>という概念がもっとも鋭敏な現代的な風俗の断片、その諸類型、言語的感性と結びついている根拠があるにちがいない。


C

詩の言葉の由来へ遡行することは<古典的>な感性への遡行を意味していない。ふたつはまったくべつのことなのだ。けれどわたしたちの詩の風俗によれば古典的な詩の言葉への視線は、<古典的>な感性への回帰と混同され、また同一視されてきた。じじつ詩の言葉の由来を尋ねはじめるといつの間にか<古典的>な感性へ見も世もなく復帰してしまうのが風俗であった。詩はこの風俗を峻拒しながら言葉の由来をたどり得たためしはない。まだ風俗のなかに何べんも回帰するがいいのだ。詩の新しい感性はただ未熟の別名にすぎず詩の<古典的>な遡行はただ老成の別名にすぎない。この風俗を誰が逃れ得たのか?そして誰が逃れ得るのか?ただ回避しているものと、必然に吸収されるように<古典的>な感性に収斂してゆくものと、このふたつを詩が拒否したことはない。
  (P243−P245)



備考
註1.「何ものか物象の関係の次元にあるものから書かされているから書くのだ。・・・・・・けれど無人称の何かによって書かされている痕跡ばかりは歴然としている。その拡がりと規模のためにかりに風俗とか大衆現象とか呼んでみてもじつは適切ではない。もっと無人称の何かに書かせられているのだ。」・・・・・【後のマスイメージ論との関わり】・・・・・・

註2.「<古典的>という概念が伝統のなかでとりあげられるばあい、すぐに優雅で、古尚で、艶で、物哀れで、繊細でといった表象があげられる。この表象の強力なパターンは大規模な風俗の感受性によってこしらえられたものである。」









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291 戦後詩 修辞的な現在 論文 戦後詩史論 大和書房 1978/09/15


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1

@【谷川雁「東京へゆくな」の引用】
 この詩がかかれたのはたぶん一九五〇年代だ。ここには言葉の風俗が思想の定型と稀にみるほど優れた形で<古典的>に融合されていた。都市のデカダンスを農村の素朴な新しい文化で包囲し、孤立させ、そして崩壊させるために、農村から都市へという文化と経済的決定論をうち砕かなければならない。そういう定型的な思想が言葉の工夫の成果によって造形されていた。すでに農村の崩壊の足音はきこえていたのだが、この言葉の内部では<古典的>な調和があった。言葉の努力はいつも第二次的なもので、どう現実を変えるかが主眼なのだという思想詩の倒錯した通念のなかで、言葉を変えることをしない思想が、どうして現実を変えられるかという態度が保持されていた。詩の言葉を思想の風俗として普遍化することで、現実がどうあろうと詩の現実は言葉のなかにどこまでも奥行きのある世界をみつけだすことができることを示し得た数少ない政治詩であった。この詩を呼びだすと思想の戦後詩の現在をはかる原型の役割を果たさせることができる。  (P256−P257)


A谷川雁の純化された農村と偽悪化された都市との対立の図式は一路崩壊と荒廃の道へと雪崩れていくのが、戦後の過程であった。  (P259)


B・・・・・・詩が思想の種子を宿しているのに解放がどこにむかっていいのか感性がつかみえない。崩壊を象徴されている都市と農村の姿は思想の現状をもっとも優れて受容しているものに属している。そしてそれは膨大な都市と農村の分厚い風俗絵図と溶けあっている。このふたつの区別しがたい<境界>の認知に重要なものが潜んでいることを詩はいやおうなく暗示する。鋭敏に感知すればするほど風俗の蟻地獄の中心に位置して思想の<意味>構成の不可能を不可能として持ちこたえざるを得なくなっているのだ。言葉だけの希望が無い方がいい。言葉だけの絶望が無い方がいいように。   (P264−P265)


項目抜粋
2
備考







項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日
293 十年やる 悪人正機 人生相談 週間プレイボーイ1999.5-2000.1 悪人正機 朝日出版社 2001/06/05

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素質 植木屋さん
項目抜粋
1
@ いつも言うことなんですが、結局、靴屋さんでも作家でも同じで、一〇年やれば誰でも一丁前になるんです。だから、一〇年やればいいんですよ。それだけでいい。
 他に特別やらなきゃならないことなんか、何もないからね。一〇年間やれば、とにかく一丁前だって、もうこれは保証してもいい。一〇〇%モノになるって、言い切ります。
 ただし、一〇年やらなかったら、まあ、どんな天才的な人でもダメだって思ったほうがいいってふうにも言えるわけです。九年八ヵ月じゃダメだって(笑い)。
 それから、毎日やるのが大事なんですね。この場合は掛け算になるんです。・・・・・・・・・・だけど毎日やらずに間を空けると、足し算になっちゃうんです。



A これについちゃ、素質もヘチマもないです。素質とか才能とか天才とかっていうことが問題になってくるのは、一丁前になって以降なんですね。けど、一丁前になる前だったら、素質も才能も関係ない。「やるかやらないか」です。そして、どんな素質があっても、やらなきゃダメだってことですね。
   (P159−P160)


項目抜粋
2
B 例えば実感に即して言えば、自分自身に物書きの素質があるかっていうと、ないって思う。才能があるかっていうと、あまりないなっていうふうに思います。それじゃ抜群の努力をしたかっていうと、そういうものもあまりない(笑い)。
 だけどまあ、とにかく一丁前というところまでの一〇年というのは、何となく続いてきてるってことだけは言える気はするんです。
     (P161−P162)

C 僕自身の才能はどこらへんにあったかって考えると、
今の仕事についてなかったら、まあ、植木屋さんですよね。ちょっと知識がある植木屋さんみたいなのになってね。例えば、木を見て、これはどこが悪いからどの肥料をやったらいいとか、そういうのがすっとわかる植木屋さんになりたかったですねえ(笑い)。そうしたら、伸び伸びして一生を送ったっていうことになれたんじゃねえか、なんて思ったりしますね。     (P165−P166)


備考







項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日
296 酸素と水素 悪人正機 人生相談 週間プレイボーイ1999.5-2000.1 悪人正機 朝日出版社 2001/06/05

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1
@ 僕の場合、情報は新聞でだいたい間に合います。例えば経済問題を例にとれば、僕は新聞の経済記事しか、分析するのに使っていないんです。というか、新聞以外は考える材料にも使ってませんね。・・・・・・・・・・
 だって、経済記者っていったら、やっぱりそれなりの専門家なわけですからね。その専門家が、かなり正確な情報を出しているわけですから、これはかなり信用していいものだし、非常にいい材料で、いい助けになると思ってます。ただ、あくまで情報として、であって、記事そのものの内容的なところとなると、これはその経済記者の力量によりますから、データとして使っている、ということですね。
  (P230−P231)


A 僕なりの情報の捉え方っていうか、方法みたいなものがあるとすれば、やっぱり出身が理工系っていうか、もっと細かく言えば、化学を学んでいたっていうことが深く関わっているような気がします。
 つまり、究極的で、しかも簡単に言うと、例えば「水は酸素と水素からできている」っていうことは、まあ、どこの国で誰が何を考えようがやろうが、そういうことになっていますよね。化学の理屈として、何か問題を分析する際に、必要な情報の中に「そういうことはあるだろう。あるって言っちゃってもいいぜ」っていうものを探して前提にすることがあるんです。
 
「酸素と水素」を見つければ、「水」ができる。
 どういうことかというとですね、要するに、水が「酸素と水素からできている」ように、分析したい問題を「水」として、「酸素と水素」にあたる情報が何なのかをうまく見つけることができれば、どこの国のどんな問題だってだいたい当たるんじゃないかっていうことなんです。
 もちろん、その問題について、たくさんの知識がなけりゃ、完全な言い方っていうのはできないんだけど、大きくハズレはしないよって思いますね。なぜかって・・・・・・そう確信してるだけで、何の根拠もありませんけど(笑い)。


B 僕の情報の見方はそういうものだから、問題の「酸素と水素」か゜探せてない時には、まだ自分は何も言えないってことになります。それに、どのへんが酸素で、どこいらが水素かってことを見誤ると、水にならねえ(笑い)。
 じゃあ、どうやって酸素と水素を探すんだってことになると、これはこうだからこうやって探せるとか、あそこを見ればわかるんだっていうことはなかなか言えないし、また、それを言っちゃうと嘘になっちゃいますから、自分なりの方法で見つけるしかないんですね。       (P231−P233)




 
項目抜粋
2

C それから、もうひとつ必要なのは、それはマルクスたちから学んだわけですけど、やっぱり「段階」っていう考え方ですよね。 【例。フランスの原爆実験の持つ意味について】
      (P233−P234)


備考






項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日
303 日本近代詩の百年 詩学叙説 論文 「文學界」2001.2月号 文藝春秋


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1
@ 七・五調と呼ばれている音数律は、『記紀歌謡』や『万葉集』時代からの韻律の決定論だといえよう。面倒な考察をぬきにしていえば、決定論だという根拠は二つだとおもう。ひとつは日本語の音声の長さとして、自然な呼吸に最適なこと、もうひとつは、どの語彙も必ず母音で終るが、この最終の母音は除くことも加えることも自在なこと、この、偶奇二つの音が同じことによっている。たとえば卵は「タマゴ」と仮名書きできるが、「タマゴ」の「ゴ」は「ゴ」で止めても「ゴォ」「ゴゥ」でもおなじ音韻とみなしてよい。これは呼吸の自然さと併せて奇数の五・七としても偶数の四・六や四・八あるいは六・八としてもおなじことになる。この音数の両義性を理由にして、詩歌の音律は奇数の云い方で七・五調を定型とみなす根拠が生じている。もちろん偶数呼びで四・六調とか六・八調といってもよいわけだ。この音数律の定型と音数の自在さは、いつも不変だと見做してよい。
      (P10)


A 音数律はこの立場からは韻律の決定論といえるし、音韻とアクセントを含んだ韻律ともいえるため、音数律を失うことは詩が
韻律要素のほとんどすべてを失うにひとしかった。日本の近代詩が複雑になった文明開化の意識を七・五調の決定論の形式に盛り込もうと試みたのは当然だった。この決定論を失うとすれば、近代詩は別種の通路を開拓しなければならないのは、いわば宿命的だった。
      (P11)


B 
文芸のうえで西欧近代の特徴は何か。要素的に考えれば単純に言うことができる。言語表記のうえの人物、その情念などは、たとえ一人称で記されていても記している作者その人とは別と考えるべきこと。そして作中人物のあいだの関わり方は、外からも内からも描写して物語化することができること。その舞台となる場は、物語とは別の次元にある地の文で行われていること。そして作品の全体を見渡せば、かならず作者の人間像を浮かび上がらせることができるが、登場する人物の像と、作者の人間像がどんなに似ているように思われるときも、短絡して結びつけることができないこと。これくらいの条件が揃っていれば、西欧近代の文芸の条件を具えていると考えていい。近代初期に詩人たちが、七・五調のなかでこれらの条件を分離した像で盛り込むことは困難をきわめたといっていい。
 近代の詩が西欧近代を文明開化として受け入れようとしたとき、詩人たちは七・五調の長歌の伝統的な形式を基にして新しい内容の叙事・叙情詩を作ろうと試みた。このことは、伝統の古典秩序のなかに西欧の近代秩序の分離された諸相をはめ込むことで、当然、
異和をひき起した。
      (P11)



C 伝統的な七・五調に西欧近代精神を盛り込もうとする藤村の試みが、どこで破たんをみせたか、どこでどんな矛盾につき当たったかを端的に示すのは、詩的喩の使い方である。西欧型の言語概念で詩的な喩が成り立つためには、言語の<意味>と<価値>とは、はっきりと分離できていなければならない。そして詩的喩は<意味>のうえで付加することがないのに<価値>の増殖の機能が成り立たなくてはならない。おぼろ気ではあるが藤村はこのことを意識に入れて、日本語の伝統的な形式七・五調のなかで詩的喩を成り立たせようとした。
      (P11−P12)



D 「直喩」や「暗喩」が成立するためには構成上まったく<意味>を加えることなしに、言語の<価値>を最大限につけくわえる二重の矛盾が成立しなくてはならない。だが『若菜集』の詩篇によく見られるところだが、「心の羽」はわが身を夕波千鳥になぞらえたために加えられた比喩、「心の宿」は住んだ宮城野の「仙台」の町を精神の住み家とした比喩としてしか成立っていない。どんな言語も音韻として七・五調の部分を成さなくてはならないために、<意味>を加えず<価値>だけを加えるという条件は、はじめからもち得ない。七・五調の部分として<意味>をもたざるを得ないからだ。そのために詩的喩としての完全な条件を求める(探す)ということができなかった。もう一つはこの詩人が近代の悩みとかんがえた自意識を分離することができず、漠然とした青春期の悩みとしてしか近代をあらわすことができなかった。藤村が惨憺たる苦心のすえ択んだ詩句は、現在からは不完全な<価値>づけしかできない曖昧な比喩としてのこされたといえる。
      (P12)


E 音数律を形式として固執するかぎり、詩歌の近代化は不可能だったと言い切れるかどうかはわからない。・・・・・・・・(略) しかし藤村が精根を費やしたような意味では、七・五調の音数律の伝統形式と西欧的近代の心事とを調和させようとする試みは失敗に帰し、七・五調の音数律は次第に近代詩から影を潜めるようになった。音数律を音韻と音声との呼吸調和とみれば、音声と音韻とを内在化して無声の音韻にすることで音数律の外在的な決定論は解体した。日本語の音韻は口の中でのつぶやきのようになり、呼吸のリズムが詩の韻律に残されることになる。音数律の決定論である七・五調を失えば、日本語の韻律は言語のアクセントの強弱高低の打ち方と音韻だけになって内在化され、記述としては無声化される。・・・・・・・・(略) 日本語ではアクセントの高低強弱は意味をなさないほど多義的になる。ここまでアクセントの多義性を容認すれば、日本語の韻律はただ音韻の呼吸による無声化だけを残すことになる。これが近代詩の宿命になり、藤村や透谷など初期の近代詩人たちが労苦したところを捨ててたどった経緯だった。
 もちろん次の時代の蒲原有明や薄田泣菫は七・五調のほかに音数のヴァリエーションを試みた。「日本韻文論」の山田美妙も音数のヴァリエーションを考え、実作も試みた。概して言えばこの種の試みは、七・五調よりも更に貧弱な結果しか生まなかった。音数律を捨て、口語化してゆくことから詩は行分け散文とおなじように方向づけられた。詩と散文との区別はあいまいになっていったが、内容的には小説作品とおなじような自在さと内面叙述を可能とした。
 もう一つ確かなことは、韻律の内在化にともなって、詩は無声の韻律だけは保ってきた。ここまできて内在的な定型律ともいうべきもので、かろうじて散文と区別されるに過ぎなくなった。
<意味>と<価値>との絶対的な分離がありうることを経験していない近代以前の日本語の音数律では、詩的な喩を作りあげるのは、はじめから困難だった。そしてこのことは、藤村などが、「乱れて熱き吾身」と表現した「乱れ」や「熱き」が形而上的にしか分離できなかったことと深くつながっている。           (P13−14)


項目抜粋
2
F 韻律からみれば、詩だと思っているから詩だ、とか、記述の呼吸にリズムがあるから詩だ、というところまで追いつめられた近代詩の概念にまるで違う<転換>の仕方を導入して活路をひらいた試みが行われた。それは近代の日本語の詩が何であるかを端的に示すものでもあった。別の言い方をすれば、近代詩は存在しない、ただ存在していると思っているだけだというのが韻律からみた不在証明だとすれば、<転換>からみた存在証明を作りあげたといってよかった。
    (富永太郎や伊東静雄について) (P14)


G 近代詩にとって詩を詩たらしめるための最後の言語技術は、詩の<意味>にできるかぎり変更を加えないで散文に比較して<価値>を増殖させて、散文からの分離と飛躍を実現させることであった。詩は散文とは異なるものだというための、言語上の試みとしては、それが最終の課題だった。
 たとえば<きみの眼は鋭い>という<意味>の言語表現は、<きみの眼は蛇のように鋭い>ということも、<きみの眼は蛇の眼だ>ということも、<きみの眼はまるで蛇だ>ということもできる。おなじ<意味>だからだ。だが<蛇のように>という直喩を加えたり、<まるで蛇の眼だ>と暗喩の表現をとることで、鮮明さ、具象性、強調を加えていることが分る。そして<蛇のように>は<鷲のように>としても<盗人のように>としても、その他鋭いことをあらわすどんな言語でおきかえても、おなじ役割を演ずる。はじめの文意は変らないからだ。この文意を変更せずに、置き換えの多様性があるとき<価値>として増殖される。詩を詩たらしめて、散文の文意から分離と飛躍を遂げ<価値>を増殖させることは、詩の言語を詩たらしめる意匠技術だといっていい。わたしたちが詩に執着をもつとすれば、これは大きな要素だからだ。

 わたしたちの意識の奥底には、どんなふうに言葉で述べても言いつくせないものが必ず残っている。また意識がどんなに言葉で表現しようとしても、その意図に従わない無意識の慾求もありうる。
この言い尽くせないものを言い尽くそうと願う精神があるかぎり、言語を<意味>でなくて<価値>で表現しようとする詩の本質にまつわる慾求が存在しうるというほかない。それが文学のような言語の表現を芸術たらしめようとする慾求に当っている。またそれが詩にとって第一義的になりうる要素だと思える。この第一義に関与しようとして、詩的な喩は成り立っている。

 詩的な喩の成り立つための言語上の技術は、相矛盾する二つの要素があげられる。ひとつは詩脈を変更するような<意味>を加えないこと。もう一つは最大限の言語上の<価値>をもたらすこと。藤村が喩としての性格をもたらすために試みたことがうまく成功しなかったのは、七・五調の音数の部分として喩の言葉もまた<意味>を与えないわけにはいかなかったことが、最大の理由だった。「心の羽」の「心の宿」もそれ自体が<意味>をもたざるを得ない。その分だけ<価値>として機能は減殺され、暗喩として中途半端で曖昧にならざるをえない。
      (P20−P21)

 わたしたちが喩法を詩の重要な要素とみなすのは奇想天外な<意味>を加えるからではなく、イメージや音韻の<価値>を加えるからだ。
 日本近代詩が七・五調の音数律を捨て去って韻律を内在化したとき、その内在の深さに見合った直喩や暗喩の喩法を成り立たせた。そして同時に言語の音韻からも解放された。これが多分、近代以後、詩が音数律を失ったいちばん重要な代償だったと思える。もちろん七・五の音数律を失うべき理由を手にしたあとでも、蒲原有明や薄田泣菫やそれ以前でいえば山田美妙のように四・七調や五・三調その他のヴァリエーションは、さまざまな形で試みられたが、さほど意味をもたないままに、失われてゆくほかなかった。
 
それならば日本語の詩とは何であるのか?また散文と異なる所以はどこで求められればいいのか?現在でも確かな相異点を指摘することはできそうもない。ただ今述べてきた延長線でいえば、言語の<意味>よりも<価値>に重点を置いて描写されるものを「詩」と呼び、<価値>よりも<意味>伝達に重点が過剰に置かれた描写を散文と呼ぶほかないとおもえる。これは日本語の不可避の運命だった。
       (P21)


H 日本の詩は七・五調の音数律を守りながら単純に<意味>を開いてゆくところから、<意味>空間を覆いつくすことで<価値>極限まで増殖しようとするところまで言語意匠を拡大していった。このあいだに失ったものは、厳密にいえば古典的ではあるが単純な音数律だった。
 音数律は七・五調の決定論からいえば、インド・ヨーロッパ語の音韻と強弱高低のアクセントの複合したものとおなじ意義をもっているといえる。日本語の詩が音数律を失ったとき詩の韻律に関与するのは、音韻だけであり、アクセントは同時に無意義になってしまう。音韻に詩と散文の区別はないから、本質的に言語表現の区別は、喩法にしかなくなっていった。そして敢えていえば、連続的な喩法だけが、詩の特色をのこすことになった。      
       (P24)


備考







項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日
305 少年犯罪 少年犯罪の影にある「真相」 論文 吉本隆明のメディアを疑え 青春出版社 2002.4.15


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項目抜粋
1

@

 いいかえれば、殺人を経験してみたくて殺した少年と同じように、確かな根拠もないままに行った精神異常に類する行為といえよう。それにもかかわらず、精神異常と断定するのが難しいのは、少年のこの種の行為には日常言われている意味では、正常と異常のあいだに明確な境界線も引けないし、いつ異常と正常が 入れ替わるかが、ほとんど偶然といった方がいいくらいだからだと思う。
 もう一歩だけ踏み込ませてもらう。正常と異常の境界を喪失させたのが現在の社会状態のあらわれだとすれば、自殺と他殺の区別をあいまいにさせているのも社会の現在の象徴ではないか。そのために、「そごう」の副社長の自殺は、本来個人の負うべきものでない社会苦を背負ってしまった老熟した人物の他殺死であり、少年たちの理不尽な老婦人の殺害は、生の意味とやり方を知らぬ未熟な者たちのじさつのこういだったのではなかろうか。      (P125−P126)



項目抜粋
2
備考







項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日
307 親鸞 親鸞の生涯 論文 今に生きる親鸞 講談社 2001.09.20


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器量
項目抜粋
1
@ 法然と叡山の栂尾の明恵のような名僧・学僧たちと何が違っていたのでしょうか。わたしたちがいちばん重要な違いと考えるのは、法然には生々しい現実社会の動きや変化の方向がよく洞察できていたのに比べ、叡山やその他の学僧たちは、自分たちをそんなこととかかわりない僧侶としての修行を志し、それを遂げればいいと考えていたにすぎない点だと思います。
 
時代の社会がはげしく動くときは、一見何の関係もない宗教や学問の修行が、生々しい現実の社会の変化と、皮膜を接触するほど接近して感じられることがあります。宗教や学問にしても、重要性を洞察し実感できることが大切な時期があるのです。
 法然は時代が貴族や武家だけでなく、一般の庶民の無意識をつき動かすようになってきたことを洞察できていたのだと思います。
    (P26−P27)

項目抜粋
2
A 【『恵信尼消息』の引用】

  これは、弘長二年(一二六二)または弘長三年(一二六三)の飢饉のことだと思われます。こうした状況の中で、ごく普通の人たち(衆生)が、こんな現世に生きていることにどんな意味があるのか、来世はどうなるのかということに悩み、疑いを持ち始めたのは自然なことです。仏教はそれに対してどう答えたらいいのか。その当時、そういう課題が切実にあったはずです。法然はそのことに何とか答えようと考え、もっぱら念仏だけを称えれば往生できるという教えを広めました。
 一方、解脱上人や明恵上人は、衆生がどういうふうに考えて、どういうことを悩み始めたかといったことを、自分の考え方の中に採り入れ、仏教の修行の中に繰り入れて、考え方を開いていくということをしませんでした。まず自分が修行して菩薩になり、仏になって・・・・・・という考え方から抜けた出ることができなかったのです。
 彼らが書いた書物を読めばわかりますが、解脱上人も明恵上人も大変優れた秀才で、修行を積んだ坊さんです。けれども、法然や親鸞とそこのところが違うのです。つまり、仏教について何も考えず、学問や知識もなく、子供を生み、老いて死んでいくごく普通の人たちが考えていることを、自分も考えたか、考えないか。それを自分の仏教の教え、思想の中に繰り入れることができたか、できなかったかという点が、法然、あるいは親鸞と、当時の優れた坊さんとの決定的な差異なのです。
 もちろん僧侶が状況にかかわりなく修行に精進することは、悪いことではありません。ただ状況の生々しい現実的なうねり【「うねり」に傍点】が、じぶんの修行を追い越して行ったとき、それに対して何を考えるかが、これらの法然を批判する高僧たちにはなかったのです。これは単に資質の違いではなく、
器量の違いです。     (P54−P56)

備考 註.上の事項との関連。
「経済学者やエコノミストたちは、現在、いちばん出番のときで、いま発信して何らかの示唆を一般国民に与えられなかったら、出番のときなど生涯ないとおもう。著作家もじぶんの著作によって死ぬこともあるとはマルクスの言葉だが、そのことがおなかのなかになければ、虚業によって生活の資をとるのはずうずうしいことだと自戒している。こういうと格好がよすぎて、わたしの柄ではないのだが。エコノミストたちは決して死なないはずだから、いまこそほんとうのことを言ってわたしたち一般国民を啓蒙してくれるべきだとおもう。」(『吉本隆明のメディアを疑え』青春出版社 P153−P154)











項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日
309 親鸞の言葉 親鸞の言葉 論文 今に生きる親鸞 講談社 2001.09.20


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教理と実感の差異 浄土という概念 浄土からの言葉,死からの言葉
項目抜粋
1
@ 親鸞の『教行信証』は、インドと中国の浄土系の坊さんが書いた重要なところを、ほとんど集大成して整理しています。「証」というのは仏教でいうと覚りとは何かといったことについて、浄土系のインド、中国の偉い坊さんが書いたものを集めてあるわけです。
 そのあいだに、突然、親鸞自身の懺懈とでもいったものが何ヶ所もでてきます。

 『教行信証』では、インド、中国の浄土門の僧と、日本では法然の『選択本願念仏集』から引用し、整理しています。また、「愚禿鸞の『正信偈』にいわく」と、自身の著書からも引用しています。教理の集大成よりも、その間にはさまれている親鸞の懺懈のほうが、より重要だと思っています。
教理からではなく、深奥から教理と実感の差異を告白しているからです。
          (P102−P103)



A 親鸞は、まず浄土の実体化を疑い、修行はするな、経文は読むなと説いてきました。そういうことを言うのはいいのですが、ではおまえはどうなんだと問われると、いや、おれはそういうふうに言ってはいるのだが、ほんとはそこへ往く気も養わないとか、往こうと思っていないまま過ぎているんだということを言わないと、口先だけで本当にならないわけです。親鸞は、そこのところをちゃんと告白しています。そこが親鸞の偉大さで、重要さだと思います。
 インド、中国の浄土系の僧や法然などからの抜き書きの間に、自分の本音を出したものがはさまれている。本音を言わなければ、坊さんというのはウソばかりついているな、ということになってしまいます。ただ理想や理念を言っているだけのことになります。自分は、ここまではいいんだけれども、ここはダメだとか、そこまで徹底しないと本当にはなりません。親鸞は、そこをちゃんと徹底している。それがまた親鸞のすごいところです。これが表白されている宗教書は『新約聖書』と親鸞の著書だけです。
          (P102−P105)
B 
仏教だけでなく、東洋の思想とか宗教は、みんな「自然の声」をどんな状態でどう聞くのか、ということが修行の一つの眼目になっています。最後の到達点は、どうも、自然に対してどこまで近寄ることができるか、あるいは、心を研ぎ澄ましたとき、「自然の声」や自然がしゃべっている言葉をどこまで聞き取れるかが、修行をどの程度積んだかの大きな目安になっていると思います。
 僧侶が修行で到達できる境地は、ほんとは心理の問題にすぎないということに最初に気づいたのが、日本の浄土教の祖師たちでした。特に、それをきっぱりと言い切ってしまったのが親鸞なのです。
 親鸞は、若いときに自分もそういう修練をしたあげくに、否定に到達するのですが、そのとき伝統的な仏教の解体がはじまったと言えます。
 結局、親鸞にどんなことが残ったかと考えてみると
、仏教のいう信と不信を人間の善と悪におきかえる倫理に転換する通路でした。親鸞ほど信仰と善悪の関わりをつきつめた人は、他に考えられないくらいです。
          (P102−P106)



C ・・・・・・あの世へ往きたくないとか、浄土へ往きたくないというのはしごく当然のことで、そういう人を助けるために阿弥陀仏はあるのだから、人間はひとりでに死ぬときがきたら死ねばいいんだ、浄土に往くべきときがきたら往けばいいんだ、と言っているわけです。
 この答え方はたいへん見事です。一見すると、逆のことを言いながら、
人間存在と生命の自然に円環していく構造を持っています。こういうことをちゃんと言える坊さんなど今でもいませんが、そのころこれだけのことを言えたのは、ものすごいことです。なんだ、誰でもそうではないかということを、一回りして言っているわけです。さんざん考えて、そういうことをスッと言ってしまう。
 いいことを言う坊さんはたくさんいますが、こういうことを平気で言える坊さんはいません。聞くほうも聞くほうで、こういうことをためらわず聞ける唯円という人もすごい人です。           (P111−P112)


 最近、テレビを見ていたら、高校生に、
「なぜ人を殺しちゃいけないんですか」
 と聞かれて、大人たちが返答に詰まっていました。この問題に、ちゃんと答えられる人は今でもいません。それほど難しいことなわけです。『歎異抄』に、似たような問題が取り上げられている箇所があります。・・・・・・・
 一般論でいえば、人を殺すのは、人間の倫理から言って絶対に悪いことになります。しかしもし、業縁、因縁があると、絶対に悪いことだって人間はしてしまう存在なんだと言っているわけです。例えば戦争になれば、百人、千人殺すこともあるかもしれません。
 自分だけは別だなんて考えるのは大間違いだ。かといって、業縁がなければ一人だって殺せない。そして、その人間は、別の人間ではない。つまり同じだ。そこの問題が解けなければ、善と悪の問題も、第一義の問題としては解けませんよということを、親鸞は徹底して言っているのです。
 唯円が、「器でないから殺せない」と言っているところを、親鸞は、「業縁がないから」という言い方に変えています。こういう言い方をすると、普通の善悪、倫理が、横の方に最大限に拡げられることがわかります。俗なことを言えば、親鸞はとても危ないことを言う人だと思います。
 
しかし、この「業縁」と親鸞が言っているものは何かと考えると、それはたぶん、親鸞が、人間と人間との関係の中で出てくる声、善悪の伝播的な機縁の中に、浄土を自然に含ませてしまったときに出てくる考えだと思います。
「業縁があれば倫理的に絶対に悪であることも、人間というのはふっとやってしまうことがありうる存在なのだ」
 という言い方で、親鸞は唯円の弁明をどんどん引き延ばしているのですが、その引き延ばされた範囲に、浄土という概念が含まれていると思います。
 
人間の世界だけの判断でいえば、親鸞の言っていることは、とんでもないことになりそうですが、浄土という概念を自然に含ませてしまえば、もっと大きな意味で、そのことがありえるということがいわれているのです。そこまで人間の善悪は引き延ばされていくということです。
          (P113−P119)






 
項目抜粋
2
D 自分は弟子というものは一人も持っていないんだ。どうしてかというと、自分が自力でつとめて善いことをし、修行を積んで信仰に達したのなら弟子も生まれたろうけれども、自分はそうじゃなくて、ただ向こうから射してくる光に計らわれて、それを信じているにすぎないから、弟子など持ちようがないんだ、と言っているわけです。
 しかし、同じ『歎異抄』の中では、
「自分は法然上人にだまされて地獄に堕ちてもいっこうに後悔はしない」
 と言っています。・・・・・・・・・
 これを読むと、この場合の親鸞は、法然を師匠と認めています。法然の弟子である自分というものも認めていることになります。
つまり、親鸞は、弟子を持たないといいながら、自らは弟子であるという、まったく相反することを言っているのです。こうした矛盾する個所は他にもあります。
 
こういうしゃべり言葉の食い違い、矛盾はなぜ起こるのかというと、しゃべり言葉の中に出てくる親鸞は、一種還相からの声というか、死からやって来る声というか、そういう声でしゃべっているところがあるのではないかとと思うのです。
   また、親鸞は、こうも言っています。・・・・・・・・・・・
 さらに親鸞は、念仏を信じても信じなくても自由だとまで言い切っています。・・・・・・・・・・
 親鸞にとっては、たぶん念仏一宗の興廃はどうでもよかったのだと思います。称名念仏によって、浄土へ往くか、地獄へ往くかはどちらでも、人間の計らいに属さない。
こういう境涯に到達した親鸞にとって、念仏一宗の命運が問題であったはずがありません。
 また、親鸞がしばしば、自分が言い出した言葉に対して、それと相反することを言っているように見える場合があるとすれば、それは親鸞のとても深い、無意識をも含めた魂のところから出てきている言葉なので、その言葉は親鸞が持っている死というものからの無意識が加担していると思うのです。
 あるいはこれを浄土からの言葉といっていいのかもしれません。正定、あるいは、親鸞がほんとの死と考えた、その死からの言葉が、無意識のうちにしゃべり言葉の中に入ってきて、それは現世的、人間的な善悪の基準とぶつかり合ったところが、あい矛盾する言葉として出てきているのだと思います。
          (P122−P127 )


E 親鸞は、悪いことをしても、ちゃんと救済されるというのが浄土教の理念である、と言っています。だから、悪いことをしたからといって、それはダメで、善いことをしたからそれはよいなんて少しも言っていません。どっちでも同じだ、悪いことをしても、善いことをしても、人間のやる「善悪」なんかたいしたものじゃない。だから、悪いことをしても浄土へ往ける。もちろん善いことをしても浄土へ往ける。そう説きました。
 しかし、それは、悪いことをすすんでやることを意味しません。あるいは、善いことをすすんでやることがよい、ということも言っていません。そんなことは、いずれにしろたいしたものじゃない。他者にたいする救済というか、奉仕というものは、もっと広漠とした規模の大きいものだ。「善悪」とは、もっと規模が大きいものだ。だから、人間のやる「善悪」でもって、善いことをしたら浄土へ往けるとか、悪いことをしたら浄土へ往けないとか、そんなことをいうのはウソだと言っているのです。
 だからといって、すすんで悪いことをしたらいいのかというと、そんなことはなおさらウソだと言っています。おのずからつい悪をしてしまったというのだったら、いたしかたない。それは誰にでもありうることだから、断罪されることはない。浄土門は、悪だからといって、そういう人を絶対断罪したりはしない。それが浄土門の立場なんだ。そう親鸞は言っています。

          (P128−P129 )

F ・・・・・・それなら、ひとたび往生を遂げて、正定聚の位に往って、それから還ってくれば、自分は仏と同じような
器量を持ったことになるから、偶然会った人だけでない、すべての人を助けおおせることができるかもしれない。こういう言い方をしているのです。
 その時々に出会った困っている人とか、苦しんでいる人とかを助けるということは、本当を言うとどうでもいいんだ。助けようと思えば助ければいいし、助けようと思わないで通り過ぎたって、そんなことはどうでもいいということなのです。救済というのは、そういうものではないということです。
 「ひとたび浄土へ往って」という言い方でいいし、「正定の位へ往って」という言い方でもいいし。ひとたび仏と同じ器量を持てるようになったら、誰でも助けられるよ、というわけです。
 
これが「還相」です。帰りがけの姿、帰りがけの道なのだという言い方をしています。究極に言えば、そういうふうにならなければ、人間は自分以外の人を助けるなどという、大乗仏教の本旨には到達しないということなのです。          (P139−P140)

G 阿弥陀如来は全然、人間の形なんかしていない。それは「無」だ。色も形もないものだ。そして人間を「おのずから」という状態にもっていける手段、あるいは姿勢、素材、媒介物が阿弥陀如来である−親鸞は、こうはっきり言っています。
 それこそが最後の最後の本音というか、仏教の本質、信仰とは何か、宗教とは何かということの、最終的な到達点です。こんなことを、親鸞のようにやさしい言葉で、見事な思想の言葉で言っている人は他にはいません。          (P144)

H 親鸞が晩年、弟子に語り、弟子が聞き書きした『自然法爾章』という短い文章があります。これは親鸞の思想的な到達点にあたる文章です。
 浄土の宿主のほうからくる光明の志向力を信じて、一ぺんでも、なんら計らうことなしに念仏を称えるという状態に自然になっていったときに、その両方の光というか、志向性がうまく行き合う。そして、行き合ったときには必ず浄土へ往けるんだ。その行き合ったときの自然の状態を、親鸞は「自然法爾」と言っているのです。          (P149)


 【『自然法爾章』を引用して】

 親鸞は、こう説いているのです。
 これは、親鸞の考えている浄土教、あるいは浄土真宗の本義というか、根本にある問題をすべて言いつくしています。親鸞は、浄土門の最後の集大成をしたのです。
 この「自然法爾」は、親鸞の最後の思想です。つまり、「おのずから」ということの理解です。心の底から阿弥陀仏を信仰して名号を称えれば浄土へ往けるという浄土教の理念とはどういうことか、親鸞は心の持ち方を含めて解釈しています。それは、自分のほうから計らわない、意図を持たないことが「おのずから」ということだと、親鸞は言います。
 それまでの僧侶は、僧院の中で座禅を組んだり修行したりして、体を痛めつけて幻覚みたいなものをつくりだす技術を手に入れることが仏教の修行だ、浄土へ往く道だと考えていました。しかし、そんなふうにして修行に励んだり、善行を積んだりして得られたものはダメなんだ、そんなことは幻覚をつくる技術にすぎないのでウソっぱちだ、と親鸞は考えました。
 そうではなく、無心というか、無心よりももっと茫漠とした光に包まれた状態、つまり、おのずからそうなった状態で名号を称えればいい。そのことを「自然」とか「法爾」の概念に充てました。おのずからそういう状態になったときに、なにか光みたいなものに茫漠と包まれた感じで信が生み出される。その光と、そのときの阿弥陀仏という名号が「自然」だ、と説いているのて゛す。
 善行しようとか、修行してひとつの境地を獲得し、それで清浄の世界へ往こうなんて考えたら絶対にだめなんだ。なにも計らわないで自然にしていて、それで光に包まれたような状態になって名号を称えるということ、それが浄土へ往くことである。そのときの浄土とは、ちょうど生と死の「中間」でもって、生のほうも照らし出せるし、死のほうも照らし出せる場所なんだと、親鸞は考えたのです。
          (P151−P153)


備考 註.









項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日
312 書物の判断基準 なにに向って読むのか 論文 読書の方法 講談社 2001.11.25


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項目抜粋
1


@

 本を読むということは、ひとがいうほど生活のたしになることもなければ、社会を判断することのたしになるものでもない。また、有益なわけでも有害なわけでもない。生活の世界があり、書物の世界があり、いずれも体験であるにはちがいないが、どこまでも二重になった体験で、どこかで地続きになっているところなどないから、本を読んで実生活の役に立つことなどはないのである。
 また、世界を判断するのに役たつこともない。書物に記載された判断をそのまま受け入れると、この世界はさかさまになる。重たいのは書物の判断で、軽いのは現実の体験からくる判断だというように。これがすべて優れた書物であればあるほど多量にもっている毒である。そこで、書物の判断は、いつもパズルを解くような反訳をしてからでないと、現実には受け入れられないようにできている。
 書物がそういうものであるとすれば、読むことの中心には、いつも、なにに向って読むのか、ということを<無>にしてしまうものがあって然るべきだ、といったほうがいい。
 あなたはなにに向って読むのか?
 こういう本質的な問いにたいして、いまのわたしは、たぶん答える資格を欠いている。学生が試験に向って読み、学者が研究に向って読み、司法家が法律に向ってよみ、実務家が利潤に向って読み、といったことと、あまり変りのない読み方しかしていないからである。そして、こういう読み方は、読書の中心にある大切なものを欠いた読み方にしかすぎない。
 図書館にゆくと、すべての書物は、誰かによって手をつけられていることがわかる。けれど、たぶんほんとうに読まれたのではなく、なにかの役にたてようとして読まれるほうがほとんどなのだ。余裕もなく、はやく結論がみつけられないかどうかと焦りながら。そして書き手もまた、読み手のせき込みに応じようとして、なにかに尻をたたかれながら書物をつくりあげたという書物が、ほとんどであるかもしれない。
   (P8−P9 )


A

 ある書物がよい書物であるか、そうでないかを判断するために、普通わたしたちがやっていることは誰でも類似している。じぶんが比較的得意な項目、じぶんが体験などを綜合してよく考えたこと、あるいは切実に思い患っていること、などについて、その書物がどう書いているかを、拾って読んでみればよい。よい書物であれば、きっとそういうことについて、よい記述がしてあるから、だいたいその個処で、書物の全体を占ってもそれほど見当が外れることはない。
 だが、じぶんの知識にも、体験にも、まったくかかわりのない書物にゆきあたったときは、どう判断すればよいのだろうか。
 それは、たぶん、書物にふくまれている世界によってきめられる。優れた書物には、どんな分野のものであっても
小さな世界がある。その世界は書き手のもっている世界の縮尺のようなものである。この縮尺には書き手が通り過ぎてきた<山>や<谷>や、宿泊した<土地>や、出遇った人や、思い患った痕跡などが、すべて豆粒のように小さくなって籠められている。どんな拡大鏡にかけても、この<山>や<谷>や、<土地>や<人>は、眼には視えないかも知れない。
 そう、じじつそれは視えない。視えない世界が含まれているかどうかを、どうやって知ることができるのだろう?
 もし、ひとつの書物を読んで、読み手を引きずり、また休ませ、立ちどまって空想させ、また考え込ませ、ようするにここは文字のひと続きのようにみえても、じつは広場みたいなところだな、と感じさせるものがあったら、それは小さな世界だと考えてよいのではないか。
 この小さな世界は、知識にも体験にも理念にもかかわりがない。書き手がいく度も反復して立ちどまり、また戻り、また歩きだし、そして思い患った場所なのだ。かれは、そういう小さな世界をつくり出すために、長い年月を棒にふった。棒にふるだけの価値があるかどうかもわからずに、どうしようもなく棒にふってしまった。そこには書き手以外の人の影も、隣人もいなかった。また、どういう道もついていなかった。行きつ戻りつしたために、そこだけが踏み固められて広場のようになってしまった。
 じっさいは広場というようなものではなく、ただの踏み溜りでしかないほど小さな場所で、そこからさきに道がついているわけでもない。たぶん、書き手ひとりがやっと腰を下ろせるくらいの小さな場所にしかすぎない。けれどそれは世界なのだ。そういう場所に行き当たった読み手は、ひとつひとつの言葉、何行かの文章にわからないところがあっても、書き手をつかまえたことになるのだ。
   (P10−P11 )


項目抜粋
2

B

 わたしは、なぜ文章を書くようになったかを考えてみる。心のなかに奇怪な観念が横行してどうしようもなくもて余していた少年の晩期のころ、喋言【ルビ しゃべ】ることがどうしても他者に通じないという感じに悩まされた。この思いは、極端になるばかりであった。・・・・・・・中略・・・・ そうして、喋言ることへの不信から、書くことを覚えるようになった。それは同時に読むようになったことを意味している。
 私の読書は、出発点でなにに向って読んだのだろうか。たぶん、自分自身を探しに出かけるというモチーフで読みはじめたのである。じぶんの思い患っていることを代弁してくれていて、しかも、じぶんの同類のようなものを探しあてたいという願望でいっぱいであった。すると書物のなかに、あるときは登場人物として、あるときは書き手として、同類がたくさんいたのである。
 自分の周囲を見わたしても、同類はまったくいないようにおもわれたのに、書物のなかでは、たくさん同類がみつけられた。そこで、書物を読むことに病みつきになった。深入りするにつれて、読書の毒は全身を侵しはじめた、といまでもおもっている。
 ところで、そういうある時期に、わたしはふと気がついた。じぶんの周囲には、あまりじぶんの同類はみつからないのに、書物のなかにはたくさんの同類がみつけられるというのはなぜだろうか。
 ひとつの答えは、書物の書き手になった人間は、じぶんとおなじように周囲に同類はみつからず、また、喋言ることでは他者に通じないという思いになやまされた人たちではないのだろうか、ということである。
もうひとつの答えは、じぶんの周囲にいる人たちもみな、じつは喋言ることでは他者と疎通しないという思いに悩まされているのではないか。ただ、外からはそう視えないだけではないのか、ということである。
 後者の答えに思いいたったとき、わたしは、はっとした。わたしもまた、周囲の人たちからみると思いの通じない人間に視えているにちがいない。
 うかつにも、わたしは、この時期にはじめて、じぶんの姿をじぶんの外で視るとどう視えるか、を知った。わたしはわたしが判ったとおもった。もっとおおげさにいうと、人間が判ったな気がした。
 もちろん、前者の答えも幾分かの度合で真実であるにちがいない。しかし、後者の答えのほうがわたしは好きであった。眼から鱗が落ちるような体験であった。
 わたしは文章を書くことを専門とするようになってからも、できるだけそういう人たちだけの世界に近づかないようにしてきた。つまり、後者の答えを胸の奥の戒律としてきた。
 もし、わたしが書き手としてすこしましなところがあるとすれば、わたしがほんとうに畏れている人たちが、ほかの書き手ではなく、後者の答えによって発見したじぶんをじぶんの外で視るときのじぶんの凡庸さに映った人たちであることだけに基いている。

   (P11−P14 )

※ 関連 「書物の評価」(P42−P49)


備考







項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日
316 総合性 私の文学―批評は現在をつらぬけるか インタヴュー 「三田文学」 2002.夏季号


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三木成夫
項目抜粋
1

@

 『言語にとって美とはなにか』の後、僕が進んでいるのは本格的にはそこだけですね。つまり言語、あるいは文体、あるいは文法というものを生理的な人体の動き、感覚的な動きや内臓的な動きと結びつけることができると考えて、それを断片的に書いていますけれども、何か自分なりの言語学の体系みたいなものができたと思えた。そこら辺がその後進んだ部分です。あんまり大した勢いはないけれども。(笑)


 【 田中 そうやって言語論の完成に向かわれた一方で、『言語にとって美とはなにか』の後に『共同幻想論』や『心的現象論序説』に至る筋道があったと思うんですけれども、それはもともと何かそういう見通しをもっておられたんですか。(註.インタヴューアー : 田中和生) 】


 いや、そうじゃないんです。今言いましたように、
三木成夫さんの解剖論・身体論と結びつけて考えることができるようになったときにも、もし僕が一つの体系として一冊の言語論みたいなものを書くとすればどうなるかと考えていて、実は「心的現象論」なんかも含めて個々にやってきたことを総合して書けるというふうに思えてきた。
 つまり別々にやっていたけれども、本当を言うとそうじゃなくて、全部ひとまとめにした言語論じゃないと総合的にならないと思っていたから、『心的現象論序説』とか『言語にとって美とはなにか』とか分けてやっていたものを、全部そこで総合できると思ったんです。


 【 田中 『共同幻想論』も含めて、ということですか。 】


 それも含めてそう思ったんですね。・・・・(略)・・・・・・僕が総合的な言語論をやるとすれば『共同幻想論』で触れたことも全部入ってくると思っていたので、それは『言語にとって美とはなにか』以後の言語論の展開に含まれているんです。


 【 田中 そういう感触をもたれたのは、三木成夫さんの著作がきっかけだったわけですね。】


 そうですね。これで終わりというか、僕なりの言語論はこれで完成するという感触でした。
          (P152−P153 )



項目抜粋
2

備考 註.






項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日
317 1971,2年 私の文学―批評は現在をつらぬけるか インタヴュー 「三田文学」 2002.夏季号


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項目抜粋
1


@

 政党に対しても文学に対しても、これはもっと言うと純文学の問題ということにもなるでしょうけれど、僕は純文学というのは必ずしもいいとは思わない。たとえば一九七一、二年より以前の僕は、純文学を純文学のとおりに扱っていて、これではだめだという反省もあった。だから
広場へ出ようというのは、自分の考え方の発展のなかに大衆的な感覚や大衆的な思想を繰り込んでいなければならないという意味で、僕の思想の変化から来ているわけです。
   (P154)


項目抜粋
2
備考






項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日
330 『言語美』、『心的現象論』を
もって自己カウンセリング

<個>としての病理現象  対談 時代の病理 春秋社 1993.5.30

対談者 田原克拓

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無意識の核のところまで遡って
項目抜粋
1

@

 『言語にとって美とは何か』、『心的現象論』をもって自己カウンセリング 【註.小見出し】

 そこで『言語にとって美とは何か』でとったぼくの考え方は、文字を媒介にした言語表出というところからはじまっていますが、それをもっと非言語、非文字という領域まで拡大してみたいという考え方が、言語の問題としても、心的な問題としてもあります。それは『言語にとって美とは何か』と『心的現象論』を拡張するといいますか、原型のところまで遡ってそのふたつをいっしょに解いてみたいという考えがあるんです。だから田原さんのやられている方法にはとても関心があります。できるだけ具体的に聞けたらいいなというふうにおもっているわけです。
 
それからぼくは、いまでも「対人恐怖」ですが、思春期前後のころは、ひとを正視して話をする、とくに女のひとと話をするということができなかったんです。それから「赤面症」も、思春期に入る前後のころは極端にそうだったんです。いまは摩耗しているというか、それほどじゃないですが、そのころは意識すればするほどそうなっちゃう。べつにひとからみて顔が赤くなっているかどうか、それこそ田原さんのいわれるとおりわからないですが、カッーと耳までも熱くなっちゃう。一時期それにずいぶん悩まされました。悩まされたというのはだれでもそうなのかもしれませんが、それを悩みとしたということなんだとおもいます。これなんかはいまでもあるわけですが、なんか階段を昇り降りするとき、右足から第一段目を上がらないと今日は縁起が悪いとか、そういうのって思春期前後には極端にありました。それでじぶんのことをいうと、『言語にとって美とは何か』と『心的現象論』をもっと無意識の核のところまで遡って自己カウンセリングしてやろうみたいな問題意識があるんです。
                (P47−P50)



項目抜粋
2
備考 註.参照「ユリイカ」1974.4月号 「吉本隆明の心理を分析する」・馬場礼子







項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日
332 人類という絶望的な存在
<個>としての病理現象  対談 時代の病理 春秋社 1993.5.30

対談者 田原克拓

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平均性
項目抜粋
1
@ もうひとつは、基本的な疑問ということになってしまうわけですが、もし人間の性格とか心理の動かし方に、カウンセリングの対象になる異常性とか正常性があるとして、正常性はカウンセリングの対象にならない。しかしこの正常性を正常性と解さないで「平均性」と解すると、この「平均性」からのなんらかの意味での逸脱といいますか偏りは、いってみれば全部のひとが免れがたいことで、その偏りに対応するだけのべつな意味での特色というか個性がある。つまり偏りなしには文明とか文化は展開したり発展したりしてこなかったんじゃないかとかんがえますと、もうちょっと普遍的な絶望性みたいなものにつながるわけです。要するに人間は異常とか逸脱、あるいは変質とか偏向ということによって文明を築いてきたんだから、これはどうしようもない普遍的な情況をもっている存在なんです。とくに、子どもをもっている男子、つまり父親という場所で男性をかんがえたとき、人類というのは、どうしようもない絶望的な存在なんじゃないかという普遍的な考え方になります。
 
そうすると、この普遍的な絶望は、なにが解決するのかといえば、おおきな射程で描かれた時間とか時期を遮二無二でも通過するほかないんだとかんがえます。じぶんで気づいていないのはもちろんのこと、母親も気づいていないかもしれないみたいな、胎児とか乳児期のところまでかいくぐっていかなければ絶対治らないよという、正常にいくらカウンセリングしたって、治らないよとおもわれるひじょうにむずかしい病気もふくめて、ある時間といいますか、時期といいますか、時代といいますか、そういうところを遮二無二でも、治らなくても、異常のまんまでも、倒れようとどうしようと、とにかくそこをくぐっていかないと、人類はどうすることもできない、だけども、それはやっぱりくぐるということで、その時期を通ってしまえば、もしかすると希望をもてる時代とか、時期がくるかもしれないという考え方を、ぼくはとりたいわけです。


A いつからそんな時代に入ったのかといえば、いわゆる西欧の文明が近代という時代に入ってからだとおもいます。近代資本主義といってもいいんですが、その前までは、いまでいえばどんなにカウンセリングを必要とするような、あるいは一日二十四時間の生活をまともにやっていけないようにみえるばあいでも、まあ大過なくやっていた。だけど近代以降はどうしても、異常、病気となってくると、カウンセリングを必要とするか、あるいは病気そのものとなって死んでしまうか、朽ち果ててしまうか、そういう人たちを放り出して、そのままにして累々たる死体をそこに眺めたまま、遮二無二そこを通らなきゃならないようになってきて、いつ人間はここを抜けられるのかは、いまのところぜんぜん見当もつかないとおもえるんです。でもいつかは、遮二無二やっているうちに、抜けたということになるんじゃないか、そういう意味では
希望はないこともないというふうにはおもいます。
 でも人間というのは、どうしようもない存在なんだというのが一方にありますね。とくに親子の関係における男という場所を設定した場合に、これはどうしようもない存在で、どういったらいいんでしょう、これは人間じゃないものであったほうがまだ牧歌的だったんじゃないかという感じがあります。たぶんどの父親でもほんとは潜在的ににはあるのに気がついてないんで、そういうふうにおもっているところはあるんです。だけどそれはもっと狭い、今日この時をどうするのだというふうにいえば、遮二無二カウンセリングをしても、ひとに頼っても、薬で弾圧しても、なにしてもいいから、とにかく遮二無二ここを通らなきゃならない。できるなら、まともに近いところで通りぬけなければいかんと、そういうふうな感じがするんです。
  (P51−P53)


項目抜粋
2
B それで、田原さんがさっき新しい時代といわれたことと関連していえば、日本はとくにここ四、五年来、急速に変化しつつあるような気がするんです。つまり、バブルが弾けようと弾けまいと、とにかく日本の社会をみると、だいたい九割のひとがじぶんは中流の意識をもっているといいます。中流の意識をもっているということは、中流の無意識をもっているということとおなじです。そこで九割の中流の無意識が病気であるとすれば、だいたい九割の人間はカウンセリングを必要としている。すくなくとも二十四時間の内、ある時間帯をとってくれば、九割までは日本の社会人はカウンセリングを必要としている。そんなふうになっているとおもえるわけです。これは「赤信号みんなで渡ればこわくない」という流儀でいえば、この九割は正常と決めようじゃないかっていえば、あと一割を異常というふうにかんがえればよろしいわけで、いずれはどちらかの時代なんだということは、ものすごくたいへんな時期のようにおもえます。
 ぼくにはもうひとつのデータがあって、たとえば五分位で社会的な条件、つまり経済条件とかそれに付随する条件を五段階に分けるとすれば、日本のばあいにはほとんど中間の段階に収まって、いちばん経済的に不都合であるというひとと、いちばん有利であるひととの落差が世界中でもっとも少ない社会なんです。きわめて奇形といえば奇形、異常な社会になっています。これが数年来の新しい社会とかんがえれば、ここで九割のひとが性格教育センターのカウンセリングを必要としているか、そうでなければ、もうこれは正常としようじゃないかと決めるしかない。どっちかになっているというのは、たいへん新しい時代なんじゃないでしょうか。ちがう言葉でいうと、<無意識の均質化>だといえるようにおもいます。だから無意識までふくめて全部カウンセリングの対象とかんがえると、九割はカウンセリングの対象だというふうになりますし、また九割の無意識が均質化されているならば、無意識ということはあまりかんがえる必要はないというふうにいえます。あとはすくなくとも遺伝子の問題だけしか残らないと。だからそのへんをどうかんがえたらいいのかという問題があります。

  (P53−P56)


C そうすると、心理的カウンセリングで距離感をおおきくとってしまえば、いまの新新宗教になるとおもいます。そこでなにが特徴かといいますと、「幸福の科学」から「オウム真理教」、「統一教会」にいたるまで、けっきょく全部、心理的にいえば、「表層」の部分とその「中間」の部分との両方の心身相関の領域ですね。そこでの悩み、問題のカウンセリングだとおもいます。だから距離感をうんととればいまの新新宗教になっているということです。新新宗教の教祖になっているひとは、じぶんがまえにそうであって、それ【註. 「いってみれば、心の「中間」領域と「表面」領域のところでカウンセリングをみずからも必要とした」 】を克服するために超人的な精神集中の修練をした人たちなんです。


 だけどほんとのカウンセリングというのは一対一のカウンセリングまでいくよりしょうがないんだということになってくると、いまの新新宗教では間に合わない、なかなか実施できない。集団的な治癒というのは不可能じゃないけど一対一のカウンセリングを必要とする場面になってくると、あまり有効性はないということになります。そこでのカウンセリングの問題がひじょうにたくさん出てくる。それもとくに若い年代のところと、ある意味で若い年代から子どもの年代に逆行しつつある一種の老齢期のところと、ふたつのところでカウンセリングを必要とする時代になっているのではないかという感じがします。それはいろんな言い方があって、ポストモダニズムとか、超近代以降とか、現代以降とか、脱資本主義でもいいんですが、そういう時代になってきた。そういう事態にどう対応するかということがあまりうまくできていないし、分析もできていない。そうすると、徒労感と重圧感だけが重なるばっかりです。どこからくるかわからないばあいでも、それは重くなるばかりで、それでもカウンセリングを必要とするという段階に、いま九割のひとが潜在的には入りつつあるわけだし、顕在化している部分も多くなりつつある、そういう事態になっているんじゃないでしょうか。ぼくが現在、おおよそ描いている心的な社会像の姿なんです。それにどうやって対処していくかということのような気がします。
        (P57−P58)


備考 註.1








項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日
334 閾値
<個>としての病理現象  対談 時代の病理 春秋社 1993.5.30

対談者 田原克拓

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項目抜粋
1

@

 ぼくのイメージはいくらかそれとちがって、神経が異常になるとか、体の内臓や脳の働きが異常になるとかいうことではなくて、なにか目に見えない閾値といいましょうか、それが低くつくられちゃうか高くつくられちゃうかという、その違いのようなイメージをもっています。だから神経とか内臓とかいうことと直接に結びついているというのではないんです。目に見えない境目が低く、たやすく越えやすいかしにくいかという、そういう目に見えない壁がつくられるかつくられないかというイメージが強いです。
 ・・・・(略)・・・・それを生理といいましょうか、人間の身体的な成り立ちと関連づけるとすれば、そ
れは内臓の動きと関連づけられるとおもいます。内臓の動きってそんな深刻な意味にとらなくてもいいですが、たとえば、アッとびっくりしちゃったときには心臓の動きが意識しなくても速くなっちゃうとか、なにか考えを集中しようとするとひとりでに息をつめていって肺呼吸を止めていたりとか、そういうことがありますね。そういう動きとの関連はかんがえられるんじゃないでしょうか。べつに直接短絡するわけじゃないですが、そういうことと閾値と、壁が低いか高いかというのは関係があるようにおもいます。・・・・(略)・・・・母親がびっくりすることとか不安なこととかが多ければ多いほど、乳胎児は不安な状態が多いわけで、多くなればたぶん閾値は低くなるんです。つまり不安に陥りやすい通路ができているわけです。もしその通路を内臓の動きというならば、それと関係があるだろうとおもいます。母親の内臓の動きが全部写し込まれるとかんがえたほうがいいので、それれも微細なところまで写し込まれるとかんがえたほうがいいとおもいます。他の生物でもそうでしょうが、それと比較にならないくらい微細です。
                (P85−P86)


項目抜粋
2

A

 それとおなじように、性格とか精神構成というものの構造もひじょうに初期に母親と分れるか分れないかのころ、決定されてしまっているという要素があると理解したほうがわかりやすい。それを勘定にいれないと、「分裂病」はわからない。治らないのにむりに治る治るといっているだけで、ほんとは並みたいていのことでは治らない。
母親の胎内にいる時とか胎外に出て一歳未満の時の、ほんとは無意識の「核」にちゃんと収まっているはずの要素が、バッーと表層に出てきちゃったものが「分裂病」だというふうに理解しないと、これは治るというふうにいいえないんじゃないか。かろうじて、絶対治るんだというためには、母親とご本人をカウンセリングするのはもちろんですが、通常のコミュニケーションの方法では絶対ほんとのことをいわないであろう母親に、とにかくほんとのことをフワーッといわせることができて、全部が開いたかたちで出てきちゃったというふうにカウンセリングがやれて、それが「分裂病」の患者さんに了解せられるならば、たぶん治るという可能性がいえるんじゃないかとぼくにはおもえます。それ以外の可能性はないとみたほうがいいような気がします。
                (P93)


備考






項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日
337 児童期
<社会>問題としての病理現象  対談 時代の病理 春秋社 1993.5.30

対談者 田原克拓

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ヘーゲル
項目抜粋
1


@

 
この「児童期」ないし「学童期」が絶対必要なんだとはっきりと言いきっているのは、ヘーゲルだけじゃないかとおもいます。ヘーゲルは、この時期に人間は弾圧しなかったら、つまり、人工的な規律と知識と集団性を植えつけなかったらろくなものにならないといっています。そのほかにぼくが知っているかぎりはいないような気がします。胎児から乳幼児までに、すくなくとも内コミュニケーションとしては母親の性格に関与する性の体験とか心の体験とか全部、かなり豊富に受けとっているはずなのに、「学童期」とか「児童期」になってきますと、それらを全部弾圧してしまうわけですが、それはほんとに必要なのかそうでないのかは、そうとう根本的に問うていかないといけないような気がします。
 そうすると、この前段階の幼児教育の三歳〜五歳という範囲で、どういう細目をたてられて、どういうふうにつぎの「学童期」ないし「児童期」にたいして意味をもつかということが、どれだけきちっとできているかがそうとうおおきな意味をもつだろうとおもいます。・・・・(略)・・・・いままでは、ヘーゲルほど徹底的にかんがえられているわけじゃないし、まして、全部解放するほうにいけばいいというわけでもなくて、
中間的なさまざまな色合いでなされている段階ですから、これがきちんと問題として出てきてちゃんとやれるといったら、これはたいへんな新しい仕事であるし、また出来事でもあるようにおもいます。
                (P157−P158)


項目抜粋
2

A

 日本の社会で「登校拒否」が起こるのは思春期前期です。ほんとならばこの時期に、幼児段階で一度押し込めてしまった母親から受けとった無意識の豊富な体験が、またもう一度表に出てくるはずなんです。ところが教育制度の問題で、中学へ行くとそのつぎにまた高校へ行かなきゃいけない、高校にもいろんな等級があって、高校の等級で大学の等級が決まってしまうみたいなことになってしまっている。本来は幼児期に意識下といいますか、規範のもとに押し込めたものが、またそこで解放されてしまうわけですが(その解放は人為的に押さえることができない解放だとおもいますが)、そういう時期なのに、いまの現状の教育制度ではいちばんそこが隘路になっている。そういう問題は、日本の教育制度には肉体の発達段階との隘路ということでいえば、固有かもしれないけど、あるいは普遍的なものだといっていいのかもしれません。この「登校拒否」の問題は、幼児期に抑圧下に入れた母親から受け継いだ性体験の内的なコミュニケーションの問題というふうにかんがえれば、これが解放されるされ方にはそれぞれちがう問題がふくまれているんだという気がします。


 そういうふうに乳胎児の時からもふくめてそれぞれの育て方の固有性にかかわってくると、ずいぶん様相がちがいます。それぞれの地域とか、国とか、風俗習慣でもって様相がちがってくるということが起こりえます。そこの問題はうんときめを細かくしていんないといけないでしょう。そうすると「登校拒否」の問題は、日本のばあいには「家庭内暴力」と通底する、おなじ問題に入っていっちゃう面もあります。
                (P160−P162)


備考






項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日
342 自己イメージ
芸能人  見えだした社会の限界 コスモの本 1992.2.20


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ひとは誰でも年齢をとるにつれて、自分がイメージしている通りの表情や振る舞い方になってしまうものだ。 俺は何でもないという表情や振る舞いをするように自己イメージを作ろうとしてきた。
項目抜粋
1

@

 わたしもだいぶ年齢を喰べてきたからわかってきたが、
ひとは誰でも年齢をとるにつれて、自分がイメージしている通りの表情や振る舞い方になってしまうものだ。インテリはこんな態度や振る舞いをするはずだとおもってイメージしていると、そんな風になってしまう。会社の重役や社長はこんなはずだとおもう通りに、そんな風采になってゆく。政治家も役者もサラリーマンもおなじだ。できるかどうかわからないが、わたしは俺は何でもないという表情や振る舞いをするように自己イメージを作ろうとしてきた。そんな理想からいうと、勝新太郎や森繁久彌は自己イメージを誇大にとりすぎているようにしかみえない。
 (P123−P124)








 (備考)

この自己イメージには、吉本さんの資質的なものの自然さとともに今まで歩んできた(生活)思想の自覚過程が込められている。








項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日
352 重層的非決定 はじめに  対談 だいたいでいいじゃない 文藝春秋 2000.7.30


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文学の実状 消費過剰に高度化した現在の社会情況にたいするわたし自身の判断に基づいていた
項目
抜粋
1

@
 以前にわたしは「重層的非決定」という
訳のわからぬ言葉を使ったことがある。主旨は第一に、純文学と大衆文学といった二分法で文学作品を割りつけるのは、もはや不可能で通用しない、幾重もの層の重なりを純文学と大衆文学という二分法の代わりに採用しなければ、現在では文学の実状に迫りえない時代になったという意味を持たせた。第二には、じぶんは純文学者でも大衆文学者でもなく、累積された場所を決定せずに作業するだろうという私的な宣明を意味した。たしか純文学中の純文学作家ともいうべき埴谷雄高さんとの論争の途次だったとおもう。その考えはじぶんの資質から出たものだと同時に、消費過剰に高度化した現在の社会情況にたいするわたし自身の判断に基づいていた。 ( P3 )












 (備 考)

「重層的非決定」という訳のわからぬ言葉を使ったことがある、とあるが、原生的疎外や純粋疎外、自己表出や指示表出などなど吉本さんはよくこういう言葉、概念を生み出し使ってきた。それは理系的な修練の中で育まれた手法のように思われる。世界の把握、考察の手がかりとして、吉本さんはそのような基軸となる概念をいくつも生み出してきた。

ここでは、文学のことが取り上げられているが、当然のこととして、この「重層的非決定」は、「現在」のあらゆる領域や対象に対して同じように考えられている。







項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日
354 消費とは時間と空間がずれた生産 第二章 精神的エイズの世紀  対談 だいたいでいいじゃない 文藝春秋 2000.7.30


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境界地点 発想の転換
項目抜粋
1

@

 そうすると、これは先ほど【註 P98】言いました、
消費とは時間と空間がずれた生産なんだという観点からいきますと、こうだと思うんですよ。
 もう少し微細に言ってみます。たとえばコーヒーカップならコーヒーカップがある。これはどこそこの工場で何月何日につくられた。こいつはどこかの卸屋さんに行って、それから小売店へ行って、その店先に並んだ。で、誰かがそれを買った。工場でつくった日付と買った日付を逆算してみれば、何ヶ月か遅れてこれが生産に結びついた、ということになる。つまり精神を整える作用をもつ飲料を飲むこと、それは一種の生産です。だから、何ヶ月か時間的に遅れて、また空間的に拡がってこれは生産に変わった。それが消費なんだと言えると思うんです。
 けれど、ものによって、場所によって、それから時間によって、ある範囲以上の空間的距離に移動した場合には、それは
時間の遅れた、あるいは空間の拡がった生産なんだということが言えなくなる限界点があると思うんです。そうすると、限界点から向こうにあるものは、やっぱり消費にしか見えないっていうことがあると思うんです。どうしたって生産とは関連づかないということがある。これは時間的にもそうですし、空間的にも、もう半年も一年も遅れちゃってこのものが誰かの手に入ってというんだったら、それはちょっと生産とは結びつかないということになる。
 ですから、ものによっては消費にしか見えないものもあるし、ものによってはやっぱり生産と結びつくということになると思うんです。そして、その境界点というのは、モノそれ自体、あるいは事柄それ自体によってだいぶ違ってくると思うんですね。つまり、これは消費なんだけど、ほんとは生産が消費の仮面を被ってるんだよっていうふうに言えるところがどこなのか、そういうことっていうのは援助交際の場合はこうなんだ、別の事柄の場合、事件の場合にはこうなんだと、それぞれ異なるかたちできちっと掴んでいかないとだめなんじゃないでしょうか。
 
たとえば宮崎勤の場合と、神戸の首切り少年の場合と、それからオウムの場合と、これは何が違うのか。何かしらは共通だよ、同じだよと思えるところがある。だけど違うっていった場合には、それぞれかなりな程度違う問題が出てくるわけです。それはきちっと、これはこうだ―たとえば神戸の少年のやり方が、もう少し時間的な領域が拡がっていったらこれは宮崎勤と同じことになるよとか、宮崎勤のケースも、もう少し範囲を拡げていったらこうなるぜというようなこと・・・・・。オウムならオウムの場合でも、ここで規模をこうすればこうなるぜ、同じことになるぜとかっていうことは、境界地点をはっきりさせるとだいぶ分りがよくなると僕は思うんですね。

 そうすると、大塚さんの言われた、なんかわけの分らない―つまり欲望がないのに、べつに消費するつもりもないのに、やっちゃってる。でも働いた所得の半分以上は消費に回っているんだから仕方ないよという言い方で、ある程度は納得できる。けれども、その仕方がないよというのが問題になるわけで、どうしてもそれをやめにしようという場合には、意志力を働かさなきゃならない。せっかく苦労して稼いで、半分以上は消費に使われちゃっているってことは仕方がないんであって、必然的に伴うわけなんだと、そうなります。でも、必然的に伴う中にも、選べるやつと選べないやつ、つまり欲望の濃淡といいましょうか、大小といいましょうか、多少濃淡が欲望によってあるんだよというやつと、欲望もへちまもない、それは使われちゃうんだからという部分とがあるわけです。とにかくそれは必然的に使われちゃう部分です。伴っちゃうんだから、これは欲望の不在ということと関係なく必然なんだという部分と、いや、欲望のあるなしで、首を切ったりしない人たちもいるし、宮崎勤みたいに女の子を殺したりしない者もいる、するやつもいると。しかしその両者が違うというわけじゃないんだということです
。ただ濃淡が違うっていうだけで、違うっていうわけでもない。そんなふうになっちゃってる状態というのは、いちいち行き来といいましょうか、境界点を確定していくということをやらないといかんことになっちゃってるんじゃないか、という気がするんです。特に経済問題の方面から言うそこが、いちばん引っ掛かります。

 僕には疑わしくなる個所があって、山一證券の廃業を例にとると、何千人かとにかく社員をリストラしちゃう。そうすると僕はどう考えたって、そんなことにはならんはずで―ならんはずでというのはおかしいんですけど、経済的観点のみから言うなら、社員のほうが山一證券という企業体をリストラしちゃう。あるいはリストラするという範囲を、もし社員のほうがもう少し証券会社の世界全体に視野が届くような見方をもっていると仮定すれば、逆に社員のほうが証券会社をリストラして、整理しちゃう。それで贅肉を持ってるやつは全部排除しちゃうというような、そういうことはだいたい社員の側がやらなければならんのだということになっていると僕は思います。
どう考えたって経済はそうなってるはずなのに、現実には逆になっているように見える。
・・・・(中略)・・・・・それは何かが狂ってるんだ、何かが違うんだというのは、たぶんリストラされてるんだというふうに、リストラされるほうの証券会社の社員がそう思っているから、ただそれだけの理由からなんですよ。俺は他に就職しなきゃならんなんて思って行動することは、生活習慣上やるだろうと思いますけど、
それはいままでの古典主義的な考え方であって、ほんとならばそこでリストラされる対象になっている証券会社の人たちは、自分たちのほうでこんどは逆に証券会社をリストラしようじゃないかっていうふうになっていく、そういう発想をするのが本当だっていう気がするんですね。
 
その発想の転換は、経済的なことでいえば、消費と生産―つまり消費というのは生産なんだという発想の転換をすることと同じことです。そういう発想の転換をする必要がある。実効性があるかどうかは実際問題さまざまな現実によって条件があります。ただ精神的条件としては、「俺リストラされちゃった」「クビになっちゃった」っていうんじゃなくて、「俺、クビにしちゃったよ、会社を」と、そういう発想がとれるだけの基盤があると思うんです。
                ( P116−P120)



項目抜粋
2


備考







項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日
355 精神的エイズ 第二章 精神的エイズの世紀 対談 だいたいでいいじゃない 文藝春秋 2000.7.30


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ジャック・ラカン
項目抜粋
1

@

 僕ね、メディア関係の本で面白かった唯一の本は、
ジャック・ラカンの『テレヴィジオン』で、やっぱりこの人は徹底的な人だなと思った。前回にも話しましたけど、女性とは何か―その本質は「気ちがいになること」だって言ってるんですよね。それで男性っていうのは何かっていったら、女性になることだって言ってるんです。これはもうニュアンスを何か言ったってしようがない。徹底的にそう言っちゃってますね。だから、そこまで言うんなら徹底的にやっちゃってくれってことです。つまり男性原理的な主張をしている人たちも、フェミニズムの女性の人たちも、そこまでやっちゃってくれと、そうなりますね。
 だから一口で言って、まともなやつっていうのは精神的に性の問題というのは要らなくなっちゃってるし、なくなっちゃってるんだと。
 身体のエイズだったら、フーコーがイメージした「単独者」っていうことになるわけでしょうけども、そうもなれなくて、これはやっぱり精神のエイズだから、こういうかたちになるよりしようがないんだよと。それで精神のエイズだけがまともなんだよ、あとはみんな気ちがいだよというか、気ちがい過剰か、正気過剰か、そういう感じになっちゃってるんです。あとはもう精神的エイズだけは正気なんだよと。これをどうしてくれるんだ、という場合に、頼るべき専門家というのはいないわけですよ。つまり精神医学者には頼れないし、弁護士にも頼れないし、イデオロギストにも頼れない。文学者にも頼れない。頼れる人いないじゃないですかっていうのが
免疫不全の、免疫がきかない現在の情況として、あると思うんです。われわれはけっこうそこに紛れ込んで生きているんだけども、紛れ込めなくなったときに、僕らが感ずるやり場のなさというか、行き場のなさ、僕はそういう気がするんですよ。誰に頼って、誰が言ったことを信用したらいいんだとか、誰がやったことを規範にしたらいいんだっていう場合、それは何もないじゃないか、免疫不全だよって。みんなどっかおかしいよ、どっか過剰すぎるとか、過少すぎるとか、何かでありすぎるとかっていうふうになっちゃってて、正気なのは精神的エイズのやつだけじゃないかという感じがして、こんなだったらちょっと行きようがないじゃないかと。だから少なくともどっかにはみ出していくというやり方でもしない限りは、規範とか倫理とかいうものを見つける手段さえもないよという感じに、いまなっているような気がするんですね。
                ( P138−P140)



項目抜粋
2

A

 
人間というのは性を介在すれば男性か女性しかいない、もうそのどっちかだと自分も思って、そういうふうに決めている。そういうふうになっちゃってて、エイズだけが正気だぜと言っても、エイズになれるかっていったらなれもしないと。そしたらどうしたらいいんだということについて解答がほしいとなれば、それはもうわけも分らないけれども、とにかくはみ出していく以外にないんだというふうな感じを、どうしても持たざるを得ないですね。そうすると、もうしようがねえや、何か言ってもしようがねえやというのが一面ではあって、それがいちばん根底的な実感にどうしてもつきまといますね。
 たとえば三島由紀夫と麻原彰晃と、本質的な意味でどこが違うんだと言ったら、三島さんはやっぱり男だろう、男っていうことが原理だったんですよね、原理たり得るというふうにあの人にはまだ考えられたんですね。だけど、麻原なんか、考えようによっては、人間であることもだめみたいにしか考えられてないんです。人間であることがだめなんだと言えばもう終わりなんだけど、ただ男と女というふうに言うならば、男性原理でも女性原理でも本当はだめだからというふうに、僕にはそう思えるんですよね。
 じゃあ、中性の原理と言ったって、中性とは何なのかというと、これは精神の同性愛みたいなものから肉体の同性愛まで含めて、それは一つの性の原理だと言うならば、まず精神のエイズだけしか残ってないんじゃないかという感じがするですよね。これを正気だっていうなら、これは正気だ。あとは正気じゃない。正気じゃないのはどうしてくれるんだというのをひもといていく以外にやりようがないと、僕にはそういう感じがしてしようがないですね。そこはぎりぎり限界のところで、そうなりますね。そうじゃなければ死んでしまうか・・・・・。
 西欧文化から影響を受けている日本の人たちは、なんとなく成り立って生きていけるように思っているけれど、その人たちは小児化するというか、幼児化するというか、あるいは少年化するから辛うじて保てているんだと僕らは思うんですよ。本当は事態はもっと怖いところに行っちゃってると思うんです。怖くないところで、分りやすくて、しかもわりあい堂々たる原理を持って、というのは、たとえばサルトルぐらいまでであって、それ以降は、フーコーもそうだけど、フーコー以降だったらなおさらそうで、ほんとは怖いところがあって、この怖さがいやだったら、やっぱり少年化するとか、幼児化してこれを受け取るよりしようがないんじゃないかと。

                ( P140−P142)


B

 ・・・・(中略)・・・・・これは少なくとも西欧の思想っていうのは、とことんまでやって、死んじゃうか生きているかどちらかしかないよ、生きているなら徹底的なことを言っちゃうよりしようがないよ、みたいな、そういうところに行っちゃってる気がするんです。
 日本だったら、まだ少し何かがあるんですよ。それが何だっていうのは難しくてなかなか言えないんですけど、何かがあると思う。


 
西欧と日本で、何が違うのかっていえば、経済的に言えばいちばん簡単であって、要するに中流が多い。規模は小さくても、日本の社会は大部分が中流なんですね。九割何分というのが中流なんです。それで大金持ち、大貧乏というのが極めて少ない。これはちょっと西欧では考えようがない。この特徴だけはもう完全に日本の特徴なんですね。
 西欧ではそれはないですね。大金持ちは大金持ち、そうじゃないのはそうじゃない。俥屋さんは俥屋さんと決まっていて、それ以外にはなりようがないよと。これはちょっとやり切れねえし、また教育もそうなっていて、こんなもの日本で真似されたらたいへん困る。よくあるでしょう。細分化された学歴の資格があって、ここを出たやつはこれには絶対なれないんだとか決まっていたりして、もうどうしようもない社会ですよ。
日本は、そこはまだ漠然としていて、しかも貧富の差が世界一なくてというふうに―僕のデータではそうなります―なってますし、これはまだ何かやれるぜ、まだいろんなことが考えられるぜという気がするんですね。僕は、それが唯一の頼りだと思うんですね。
 あとはもうほとんど頼るところがなくて、日本で希望を持てるところは何もないというくらいまで、ひでえもんだなというふうに思いますね。これはもうどこかの国をモデルとして、そのあとを追うより仕方なくなっちゃってるなと思うけど、そこのところだけは西欧とも違いますし、またアメリカとも違います。
 これはやっぱり一つのとてつもない社会で、このとてつもない社会というのは、たとえば十九世紀後半の、アメリカ大陸がそうでした。


 まあほんの少しだけ僕は、西欧の後追いも、アメリカの後追いもしなくていいみたいなところが日本にはあるんじゃないかなあ、という気がしてしようがないんです。
                ( P143−P145)


備考







項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日
357 純文学 第三章 天皇制の現在と江藤淳の死  対談 だいたいでいいじゃない 文藝春秋 2000.7.30


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消費者本位 サブカルチャー
項目抜粋
1

@

 僕は反対で、こういうサブカルチャー的なものが旺盛になって種類も多種類になってきたことは当然だと思います。社会的に言うと資本主義が消費者本位、読者本位になっていく傾向が資本主義の発展の一番高度な過程だとすれば、それはやはりサブカルチャー的な場所、読者が沢山ついてまた新しく活字の中に入ってくる読者も増えてくるところに
主たる経済的根拠を求めるのは当然なんじゃないか。だからサブカルチャー的なものの中を意識的に探したら、かつての純文学の作品と同じような高度な作品が必ずあるに違いないと思います。消費者本位ということは読者本位ということで、辛気くさい純文学は読む人が少なくなるし、そうすると力を入れる出版社も少なくなるというのは当然じゃないでしょうか。・・・・・(中略)・・・・・・・
 それでも純文学を固守したいのなら、読者が段々少なくなってもいい、極端に言えばいなくなったってかまわないという覚悟を持たないと、いい作品はとても出てこないと僕は思います。それでいい、俺は書いていくんだという人がいれば、その人は
文芸の高度化の最短距離にいると思います。・・・・・(中略)・・・・・・・
 
資本主義が商業主義的な段階では、純文学でも純音楽でも純芸術でも、資本が応援してくれると思っていたわけです。ところが資本主義が消費本位になってきたら、消費者、読者を応援はするけれども、高度そうな作品に対してはちっとも応援しなくなります。そのことを純文学系の人は考えないで、ただ読者の程度が低くなったということで済ましていると思います。
                ( P164−P165 )



項目抜粋
2


備考







項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日
363 女性の本質 マルクス者とキリスト者の対話(1)   インタヴュー マルクス―読みかえの方法 深夜叢書社 1995.2.20

「止揚1」1970.12月

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巫女 ヒットラーや天皇 対象を取り上げる軸、抽象のレベル
項目抜粋
1
@ 【『共同幻想論』の「巫女論」にある、女性の本質について】

 「フロイトは晩年の円熟した時期の講話(『続精神分析入門』)のなかで<女性>を簡潔な言葉で規定してみせた。かれによれば<女性>というのは、乳幼児期ににおける最初の<性>的な拘束が<同性>(母親)であったものをさしている。そのほかの特質は男性にたいしてすべて相対的なものにすぎない。身体的にはもちろん、心性としても男女の差別は相対的だが、ただ生誕の最初の拘束対象が<同性>であったことだけが<女性>にとって本質的な意味をもつ、というのがフロイトの見解であった。この見解は興味ぶかく、また暗示的である。フロイトにならっていえば、最初の<性>的な拘束が同性であった心性が、その拘束から逃れようとするとき、ゆきつくのは異性としての男性か、男性でも女性でもない架空の対象だからだ。男性にとって女性への志向はすくなくとも<性>的な拘束からの逃亡ではありえない。母性にたいする回帰という心性はありうるとしても、男性はけっしてじぶんの<男性>を逃れるために女性に向かうことはありえないだろう。

 <女性>が最初の<性>的な拘束から逃れようとするとき、もしもし男性以外ののものを対象として措定するとすれば、その志向対象はどのような水準と位相になければならないだろうか?

 このばあい<他者>はまず対象から排除される。<他者>というのは<性>的な対象としては男性である他の個体か、女性である他の個体のほかにありえない。するとこのような排除のあとでなお残される対象は、自己幻想であるか共同幻想であるほかはないはずである。ここまできてわたしなりに<女性>を定義すればつぎのようになる。あらゆる排除をほどこしたあとで<性>的対象を自己幻想にえらぶか、共同幻想にえらぶものをさして<女性>の本質とよぶ、と。そしてほんとうは<性>的対象として自己幻想をえらぶ特質と共同幻想をえらぶ特質とは別のことを意味してはいない。なぜならば、このふたつは女性にとってじぶんの<生誕>そのものをえらぶか<生誕>の根拠としての母なるじぶん(母胎)をえらぶことにほかならないからである。

 たんに男<巫>にたいして女<巫>というとき、この巫女には共同性の権威は存在していない。しかし自己幻想と共同幻想がべつののものになっていない本質的な巫女は共同性にとって宗教的な権威をもっている。そして人間(史)のある段階ではその権威が普遍的な時代があったとかんがえることができる。」   (P93-P95) (『共同幻想論』の「巫女論」)

 ふつう「あらゆる排除をほどこしたあとで・・・・」とはどんなことかといえば、ある女性がある特定の男性を好きだとか、父親が好きだとか、従兄が好きだとか、また好きだけれども経済的理由で貫徹できないとか、現実社会では女性はいろいろな条件や要因で具体的【「具体的」に傍点】にはさまざまでありうるわけです。そういうことをいっさいとり去ってしまって観念として【「観念として」に傍点】<女性>を規定していったなら、そうなる以外にないという意味です。けっしてそういうばあいもありうるというような意味あいでいっているのではなく、それ以外にないのだという意味あいでいっています。観念としての<性>のことをなぜいうかといえば、生理として女性というふうにいうことはほんとうは意味がないからです。つまり、生理として女性であるか男性であるかということは、実はまったく相対的なことで、人間は生理的には大なり小なり女性であったり男性であったり、またその混合であったりというだけです。生理的あるいは身体的な意味で<性>をことさらいうのはあまり意味がないのです。そんなことがもともとぼくの根本的な考え方のなかにあるわけです。
                ( P21 )


 【註.フロイトやエンゲルスの、どういうレベルで<性>といっているか、曖昧さがあると述べて、】
 だから<性>というものをほんとにかんがえるつもりなら、生理的にあるいは身体的にあるいは自然としての人間(つまり有機的な自然)というような意味で<性>をかんがえているのか、それとも観念としての<性>をいおうとしているのか、ということは少なくともはっきりさしなければという考え方がぼくの根本にあります。そんなふうにはっきりしなければいけないとすれば、観念とか幻想としてかんがえられた<性>がたいへん問題になるとおもいます。今の例でいえば巫女の本質をかんがえていくのに、なにがいちばん問題かといえば、観念としての<性>だとかんがえられます。なぜなら、宗教が観念であるように巫女さんが巫女さんであるという由縁は、まったく観念的な意味をもつわけですから。だから、<性>を具体的な現実でおこるさまざまな条件を全部とっぱらって、観念としての<性>のところでかんがえていけば<女性>とはやはり自分自身を愛するかあるいは共同性を愛するか、そのどちらかであるという規定になっていきます。
 観念としての<女性>とかんがえたときそう規定できるので、現実の女性はべつに観念としてだけでなくて、生理的にも女性としてあるわけです。またそういう意味も全部ひっくるめて、社会的に女性として生きているわけです。じっさいはさまざまな条件に左右されますが、少なくとも巫女のように宗教にむかう女性をつきとめようとすると、いろいろな条件をどんどんとり除いて、自分を愛するか共同幻想を愛するか(あるいは共同性の象徴を愛するか)、そのどちらかだと規定されるということです。
                ( P22 )



 ところが、そうじゃなくて、男性が共同性の象徴であるというばあいがあるわけです。たとえば戦争中のヒットラーがそうです。とても強力な共同性のなかのひとつの象徴です。そういうばあいに、ヒットラーとかその集団とかにとけこめる人間はどういうとけこみ方をするかというと、大なり小なり性的なようにおもえます。それも、具体的に同性愛だとか異性愛だとかそんなことではなくて、とても広義の性的観念というものが、たとえばヒットラーを象徴たらしめているし、天皇を象徴たらしめてきた要素だとおもうのです。だから、そういうばあいには、べつに”対幻想の対象を共同性にえらぶものを<女性>という”というふうにいわなくたって、それは<男性>だってそうではないかという意味でいえばそうなのです。しかし、自己が自己を観念的な<性>の対象とするというような要素が、もうひとつの<対極>にあるという要素は<男性>のばあいにはあまり本質的にはない。そういうところでどんどん追いつめていけば、どうしても自分自身をえらぶか共同性をえらぶかそのどちらかになってしまう。あるいは<両端>になってしまうという存在を、どうも排除をほどこしていけば<女性>といったらいいんじゃないかというふうになるわけです。
 <男性>だってもちろん自己自身を愛するというふうに観念をもちますし、また広義の性的といっていいような観念で共同性のなかにはまりこんでいくというようなこともあるわけです。けれども、そのばあいの観念的な<男性>というやつは、観念的な<男性>の部分のなかの小部分の女性部分でそうしているということです。だから、具体的にあなたは女性でありあなたは男性であるというようなそういういい方は、ほんとうに厳密にはあまりできないのでしょう。・・・・(中略)・・・・たいへん広義に観念としての<性>ということをかんがえるということで、そういう考え方のなかで<女性>というのをなおかつ本質的に規定しようとおもえばそうなるんだということです。具体的な女性がいつもそうであるとか具体的な男性がいつもそうでないとかいうこととは、ほんとうをいえばまったくちがう軸から切っているわけですから、関係ないといってもいいくらいです。そういう意味あいで受けとってくれればいいとおもうのです。巫女さんというばあいもそうで、男性がたとえば巫女さん的な役割をするということももちろん具体的にはたくさんあるし、ありうるわけです。だから<女性>がそうであるというばあいにも具体的な女性とあまり関係ないとおもうのです。ぼくのいっているつまり
観念としての<女性>というのは。
                ( P25−P27 )


項目抜粋
2
備考 註.関連、性について。
「性同一性障害」の問題については、最近どっかで、まだよくわからないと述べてあったとおもう。







項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日
367 死ねば死にっきり マルクス者とキリスト者の対話(2)   インタヴュー マルクス―読みかえの方法 深夜叢書社 1995.2.20

「止揚2」1971.11月

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<死んだら死にっきり><生きたら生きっきり> <生きているあいだはせいいっぱい>
項目抜粋
1

@

 あの、ところでみなさんのなかでも<死にゃ死にっきりよ>というふうにおもっているひとばかりいるかどうかは、すこぶる疑問です。やはり大なり小なり<死にゃなんとかなるんじゃないか>というふうにおもうんじゃないでしょうか。たとえば、おもっているひとは、員数でいえば、いまだって大多数じゃないのかなとおもうのです。それから、まあ、そういうかたちをとらなくても、たとえば自分が腹を切れば即座に日本の社会に流布されているある観念をかえることができると信じて死ぬということもありうるわけですよ。それはひじょうに高度に知的なひとでも、やはりそうおもうということはあるわけです。それからおれが死にゃ革命ってものは成就するんだというふうにおもっているひとはいるかどうか知りませんが、やはりそういうかんがえはあるとおもいます。つまり大なり小なり<おれがこうなりゃこうなるはずだ>というとこで信じているということは、現在でもひじょうに大多数の人間において、たとえそれが宗教的とか迷妄的なかたちはとらなくても、やはりあるようにおもいます。それからまた、<おれが死んだっておれの書いたものは残るさ>というふうにおもっているひともいるとおもうのです。
それだってやはりかたちをかえた<死ねば死にっきり>という観念ではなくて<死にゃなんとかなる>という、どこかになんとか下駄を預けられるという観念だろうとおもいます。それのひとつのかわったかたちとして、そういうのはあるとおもうのです。そういうふうになってくると、これはそうとう大問題だぜということになるのですね。つまり、それが《他界》という問題ですよ。たとえば、”この共同体がもしつぶれたとしたら、もっとすばらしい共同体ができるにちがいない。あるいはできる歴史的必然をもっている”とかそんなことをおもっているやつはたくさんいるわけですよ。
だから、そこのところで<死にゃ死にっきり>ということから、さらに<共同体というのは究極的には、終わっちゃわなきゃいけないんだ><それこそが理想なんだ>と、そこまで徹底的にかんがえるかどうかということが、とても重要だとぼくにはおもわれます。つまり、大なり小なりいまの共同体というのは駄目だから、これをぶっこわしてある操作をほどこせば、もっと理想的な共同体ができるんだというような観念に支配されている者は、たくさんいるとおもうのです。しかし、そういう共同体といえども、またすぐに転落し堕落するものだ、というのがいまの現状です。もちろん、”堕落しない共同体だってまたつくりだせるぞ”という考え方もあるとおもいます。だけど、それはおそらくは、過渡的な考え方なので、究極的にはどうしたって、共同体あるいは共同体を観念的に支配する共同的な幻想というものは、結局は全部なくならなきゃ終わらないんだということだとおもいます。つまり、考察はそこまでいかなくてはいけないわけです。しかし、個々具体的にいえばなんらかのかたちで、<死にゃ死にっきり>ということではなくて、やはりどこかに<自分が死んだってどうにかなる>というようなのがあって、そういう下駄をどこかに預けたいという気持ちはなかなかおさまりがつかないのですよ。そこのところがいちばん問題になるとおもうのです。だけど究極的にはそうなるので、いかに理想的なものであろうと、共同性というのは結局なくなっちゃわなきゃ駄目なんだ。つまり下駄を預けるという観念は人間からなくなっちゃわなきゃいけない。つまりおれが<死んだら死にっきり><生きているあいだは生きっきり>ということはもうはっきりさせなきゃいけない。はっきりそういうふうにならなきゃ人間の歴史は終わらないんだ、ということをかんがえなくてはいけないとおもうのです。ところが、中途半端なところで、これよりもこれのほうがよりよい共同性だろう、というところである共同性についての観念が終わるならば、それはまったくつまらない考え方だとぼくにはおもわれます。だから、よりよい共同体であろうと理想的な共同体であろうと、そんなものは究極的にはなくなってしまわなくちゃいけない。それから人間というのはつまり自分が<死んだら死にっきり><生きたら生きっきり>そのかわり<生きているあいだはせいいっぱい>というように、徹底的にそういうところへいけなきゃ嘘です。あるいはそういう社会になっていかなきゃうそなんだっていうふうにまでいきたいわけですよ。
 結局、具体的なイメージにまで還元しますと、そんなことになってしまうので、書いてるご当人のほうではあまり疑問を生じないわけなんです。けれども、それに普遍性があるかどうかということになると、つまり「移行」という概念と、「浸透」という概念をどう区別し定義づけて使っているかというふうにいわれてしまいますと、それはまったくちがう接近の仕方をしなくてはいけないように、ご当人のほうではなってしまいますね。だけど、「移行」といい「浸透」といい、ぼくがそういう言葉を使うことについて、具体的なイメージあるいは体験的なイメージとしては、きわめて明瞭であるのです。
                ( P61−P64)



項目抜粋
2

A

 ただね、こうおもうんですよ。<死にゃ死にっきりだ><生きるのは生きっきりだ>ということで、それじゃ万人がそうなればいいのか、そこに天国は出現するのかということになってくると、ぼくはそこがいちばん問題になるとおもうのです。結局、とても現実的にかんがえて、ひとりひとりに<お前、死にゃ死にっきりだぞ>って説いてまわると、それでいいじゃないかということになっちゃうけど、ぼくはそうおもってないのです。つまりそういうふうに人間がなっていくには、やはりさまざまなプロセスをそれぞれが経過していかなければいけない。個人の原理の問題じゃないかということで、個々人がそういうふうに目覚めていくとそうなるはずじゃないかという観念をぼくは信用していないんです。そうではないので、
究極的に想定されるものと、どうしてもそこにいくために経過せねばならない過程を考えることとは、まったくちがうとぼくはおもうのです。そこのところがまた分岐点になるのです。現在、<死にゃ死にっきり>というふうに大多数のひとがならないのは、ある必然的な根拠があるとぼくはおもっているわけです。その根拠自体をほっくり返さない限りいくら個々のひとを説いたって絶対にそういうふうにはならないはずだとおもっています。そういう根拠を掘ることは、たいへんなことで、これは人間の歴史がいろんな過程をふんでいくということに対応するわけです。
                ( P65−P66 )


備考 註.1 @の終わり部分の関連 No366





項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日
371 社会の主人公 資本主義の死に立ち会える思想 インタヴュー マルクス―読みかえの方法 深夜叢書社 1995.2.20

「抒情文芸」1992.7月号

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「大衆」をどれだけ解放したか 無意識の「大衆」 「一般大衆」が、この社会の主人公だという理念
項目抜粋
1
@ まず、何を規準にして「敗戦」といえるか、についてお答えしますね。ぼくは、「大衆」をどれだけ解放したか、どれだけ経済的に豊かにし、思想的に自由にしたかが規準だとおもうんです。その点で、ロシア・マルクス主義を信奉してた国っていうのは、高度資本主義に破れたとおもいます。そして、このことを確認することは、いまとても重要なことなのです。
 高度資本主義は、日本の現状でいえば、だいたい九割の人が自分は中流だとおもっているくらいに、「大衆」を経済的に解放した。思想も自由っていえば自由だ。この点で、社会主義国に比べて資本主義は解放したといえる。だから、民衆の解放ってことで社会主義国は負けたよなあっておもうわけです。

                ( P172 )


A ええ。いまぼくらにはふたつの思想的課題があるとおもいます。
ひとつは、資本主義の死に立ち会える思想は、どうやったらつくれるか。およばずながら、それをつくりますよということがあります。もうひとつは、先程からもいっているように、ロシア・マルクス主義的な左翼性がまだ通じるとおもっているやつらを徹底的に批判することです。なぜなら、ロシア・マルクス主義が、資本主義の死に立ち会える思想ではないということは歴然としているからです。
 では資本主義の死に立ち会える思想は、どうやったらつくれるか。ぼくはさかんに
現在を分析しなければならないということをいっています。わかんないことはたくさんあるわけです。それでも、「ここまで来たら世界はつんのめるよ」と、わかっていることがあるんです。そのひとつが軍隊ですよ。政府が自由に動かせる軍隊をもっていいということ、これはダメなんです。ここで世界はつんのめってしまう可能性がある。だから、「一般大衆」の無記名の直接投票でね、軍隊の出動を決める。それで過半数を占めなきゃ軍隊は動かせない。そういう規定を作ることが大切です。こうした規定があれば、過半数をとって軍隊が出動するときは、比較的それは正しいときだろう、やむを得ないときだろうとおもいます。
 それからもうひとつあきらかなことは、やはり「一般大衆」の無記名の直接投票でね、過半数がダメだといったら政府は交代しなければならない―そういう法律をつくれたら、世界は変わるとおもいます。
 この二点は、いまのところ実現不可能だけれど、いずれはそうならなければ嘘だよと、いまわかっていることなんです。

                ( P174−P175 )


項目抜粋
2
B ぼくがいう「大衆」は、共産党とか社会党が大衆路線というときの大衆や、自民党が自分は大衆の支持を得ているから政権を取っているんだというときの大衆とは、違うものです。そういうときの大衆っていうのは、無意識の「大衆」なんですよ。ぼくが世界史の当面の課題だよっていっているのは、「大衆」という理念をつくらなければダメだっていうことです。つまり「一般大衆」が、世界の主人公であるっていうことを示す理念をつくらなけりゃダメですよ、ということをいっているんです。この「大衆」っていう理念をつくることと、資本主義の死に立ち会える思想をつくるこということは、まったく同じことなんだとぼくはおもってます。
 資本主義は、日本の場合、九十%近くの人が、中流意識をもてるまでに「大衆」を解放しました。もちろん、中流にも上中下があって、ちっとも平等じゃないわけですが、中流っていうのは、もうそれ以上金持ちに成りたくなければそれで十分だという意味ですから、高度資本主義は、ずいぶん「大衆」を解放したといえばいえるわけです。けれど、それは無意識の「大衆」であって、それはいいこともするけど悪いこともする。政権を取った政府の言いなりになって、政府が軍国主義っていえば、軍国主義になりますしね。それはあくまで
無意識の「大衆」です。そうじゃなくて「大衆」の理念が、つまり、「一般大衆」が、この社会の主人公だという理念が、どんな条件のもとで成立するのか。このことが重要であり、今後の課題になるんじゃないでしょうか。


C 
 マルクスにおいて「プロレタリアート」というのは、現にいる労働者と異なる、ひとつの階級性を示す理念でした。それと同じ意味で、吉本さんは、「大衆」を理念化しようとなされておられるわけですね。【註.聞き手】

 そうですね。それに似ているものだとおもいますね。

 これが「大衆」の理念の規定になるだろうというものは、現在、吉本さんご自身はおもちなのでしょうか。【註.聞き手】

 実際問題として、日本人の九割近くが中流意識をもっています。無意識のうちにそんなふうにできています。でも中流意識をもった人たちが、自分たちがこの社会の主人公だっていう振る舞いをしているわけではありません。また連帯をしているわけでもない。主人公だっていう自覚とか理念は、もっていない。
 ただ、客観的に見ればあきらかに彼らは主人公です。でも、自覚的でないから、やることやかんがえることが、ちっともそうなっていない。そこで「この社会の主人公っていうのはどういうことなのか。おれはこうおもうから、こう振る舞うんだ。だから、お前もこう振る舞おうじゃないか」っていう理念をきちんとつくることが必要です。それは、まだまだできないだろうけど、資本主義の死に立ち会うことのできる思想があるとしたら、それしかないだろうなっておもいます。それがいまのところ抱いている漠然とした骨組みですね。

 その基底には「大衆」の従うべき論理として、もはや欠乏ということをもってくる必要がないということがあるとおもうんです。つまり、吉本さんの著作の言葉でいえば、選択消費が五〇%以上だということ。自分の収入の五〇%以上を自分の好きに使えるという現状があるわけですよね。もしこうした選択消費が五〇%以上という現状がなかった場合でも、「大衆」の理念化、主人公という意識化は可能なのでしょうか。
   【註.聞き手】


 「大衆」の理念は、それがなくても可能でしょう。日本の高度な資本主義社会が、一応、選択消費が五〇%以上にしちゃってくれているわけですから、これを「大衆」が本当に武器にできたら大変なことだとおもうんです。たとえば、もし「大衆」がそろいもそろってみんな、選択的に消費できる五〇%をガードを固めて使わないとしたら、これはバブル崩壊ぐらいじゃすまないんですよ。予算は全部四分の三から半分になっちゃうわけですから、もう大恐慌ですよ。つまり、無自覚な武器をもっている状態です。
                ( P176−P178 )



D いま本格的に、それをいうことはできないんです。なぜなら、食うために働いているんじゃないときに、つまり、選択消費が五〇%以上になったときに、いったいどういう倫理が可能なのかということについて、本格的な解答をまだぼくはもっていないから。
 ひとつにはボランティアっていう選択肢があるとはおもいます。
 でも、ボランティアっていうのがほんとにいいのかっていう問題もある。食うに困らなくなったし、子供も独立して手がかからなくなった人が、せめて困っている人のためにいいことを無料でしてやるんだっていうのは、贈与の一種なんですよ。だけど、贈与に理念というものをつくらなくちゃいけない。いまのままだと、何となくボランティアっていうのは、ウサン臭いなって気がしなくもないんです。

                ( P182−P183 )


備考







項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日
372 消費社会 ポスト消費社会に突入した日本 インタヴュー マルクス―読みかえの方法 深夜叢書社 1995.2.20

「消費の見えざる手」1992.9月

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生産と消費の遅延 消費社会とマルクスの経済学 マルクスの価値概念 贈与価値論
項目抜粋
1
@ 生産と消費の遅延がまったくない状態をかんがえてみたらどうでしょうか。農業というのはその状態に近いのですが、農耕を始める以前の時代、獣を捕まえて食べたり、森の木の実を食べていた頃は生産と消費の遅延はゼロだったといえます。捕ったり拾ったりする生産行為は、すぐに食べるという消費の行為に直結していたわけですから。つまり、自然産業のばあいは生産=消費で、その分離がないという意味で遅延ゼロだとみることができるのです。ところが、農耕を始めると種子を蒔いて、ある一定期間待つ。つまり、時間的な遅延が発生する。自給自足では、それでも自分でつくって自分で食べるわけですから、空間的な遅延はゼロです。ところが、さらに進んでくると生産者は必ずしも消費者ではなくなり、生産者と消費者が分かれる。空間的な遅延が発生します。
 
産業が高度になってくると、その遅延はますます拡大していきます。時間的にも空間的にも遅延が拡がっていって、どのくらい遅延しているのかさえもわからない状態にまで進んでいく。産業を第一次、第二次、第三次と分類すると、次元が多くなるにしたがってその遅延は拡大します。製造業などの第二次産業では、生産と消費が時間的、空間的に遅延しますが、具体的な商品「生産物」が目に見えるのでその遅延の度合いを確かめることはできます。ところが、サービス産業などの第三次産業になると、誰がいつ何を生産し、その生産品をいつ誰が消費しているか、ほとんどわからない状態になってきます。遅延の度合いが測れなくなるのです。
 確かに遅延の度合いは測れなくなりますが、そのばあいの消費が必需的な消費であれば、それでもいまいったような遅延された生産という面ではわかりやすいわけですが、選択的な消費となると、この遅延構造はさらに複雑になってきます。選択的な消費は、その消費が発生する機会は消費する側の意思にかかわってきます。意思によってどうにでもなるという意味で、遅延は人工的に操作できるようになります。消費者の意思によって時間的にも空間的にも遅延が変動するわけです。第二次産業ではまだ必需的な消費の割合が高いのですが、第三次産業では、選択的な消費の割合はかなり高くなります。したがって遅延という面でみると、その構造は
網状組織になっているといえます。遅延が一種ネットワーク的になっているというようにみなすことができるとおもうのです。

 
ところで、消費社会をどう定義するかということですが、わたしは単純に消費支出が所得の半分を超え、全消費量のうちでは必需的な消費よりも選択的な消費が割合としておおい社会が消費社会といえるとかんがえます。選択的な消費が五〇%を超えて、意思的に遅延を変化させることができる社会、これが消費社会だろうとかんがえているのです。産業構造で見れば、第三次産業が五〇%を超えた社会です。

 マルクスの経済学では、消費が生産と組み込まれた構造になっていますが、消費社会はその構造が崩れてくるとなると、マルクスの理論では消費社会は解けないということですが。

 マルクスはあくまでも生産とセットさせた形で消費をとらえていました。そのばあいの消費は必需的な消費のことである限りにおいて、選択的な消費が五〇%を超えた社会に対しては適応は不可能だろうとおもいます。私はマルクスから多く学びましたが、この問題に関してはどうしてもその理論では解けないのです。
 『資本論』の中心課題は、端的にいえば価値形態論です。価値形態論というのは、ようするに商品というものを労働時間という価値で測る形の変化で展開されていますが、遅延された生産が半分以上、またその遅延が意思的に操作可能な社会において、その商品を労働時間の価値で分析することは不可能です。その意味でマルクスの経済学では、現代の消費社会は分析できないだろうとおもっているのです。

 ―消費社会かどうかという分析は、選択的な消費の割合がどの程度になったかがひとつのメルクマールになるわけですね。

 消費社会、あるいは高度消費社会分析にはふたつのポイントがあるとおもいます。
遅延というものにはおそらく閾値がある。マルクス流に生産とセットさせた形で消費をかんがえれば、現代の消費は遅延された生産であるという理解ですが、もはやそうした図式が通用しないような閾値があるようにおもえるのです。遅延という概念を使ってどうにか現代の消費を分析したいわけですが、それとは切れてしまうような閾値が存在するだろうと。その閾値をみつけだすことが、消費社会、あるいは高度消費社会分析の重要な役目だとおもいます。もうひとつは、現実的にそうなるかどうかということはべつですが、第一次産業がついにゼロとなる限界点があるだろうということです。すなわち、天然としての自然相手の産業、農業漁業がゼロになって一種の限界点に達したとき、これは消費社会といういい方でも適切ではないとおもいますが、そうした社会が生まれる可能性があるということです。
 マルクスの価値論を形成する前提は、交換価値という概念です。交換価値をマルクスは価値だといっているわけですが、第一次産業がゼロになった社会というのは、マルクス流の交換価値=価値という価値論が消滅する点だとわたしはおもうのです。

 
交換価値という概念が通用しないということですか?

 事実、いまそういうことでは理解できないことが少しずつおこっています。身近な例では「六甲の水」「秩父の名水」といった水を売っていますが、天然の水に交換価値をつけて販売するわけです。これはマルクスのかんがえるような価値概念では理解できない価値だろうとおもいます。マルクスの労働価値ということをかんがえればわかりやすいのですが、ようするにマルクスは人間がなんらかの行動を起こしたとき、あるいは外界に対して働きかけをしたとき、そこに価値領域が生じるといったわけです。その価値領域から生まれた具体的なものが全部価値化するというのがマルクスのかんがえです。ですからたとえばその価値化された領域にコップというものがあれば、そのコップには価値が発生するわけです。いい換えれば、マルクスにとっては生産=消費という概念と価値は切り離してかんがえることはできないとおもいます。
 ところが、いまいったような名水は、自然物ですが、第一次産業の対象になるような天然物としてはとらえられません。この名水は純粋な意味で天然自然物として存在しないという意味と、使用価値だけでなく、本来ないはずの交換価値という価値が生まれていることを意味しています。

 ―価値概念を拡張する必要があると。

 
価値というものを商品や製品といった実体のあるものとして限定しないほうがいいのではないでしょうか。時間的、空間的遅延というものが消費と生産の間に起こっていることと同様に、価値という領域にも同じような構造をもった価値概念が生まれているのではないか。つまり、時間的、空間的遅延の発生するところで新しい価値が発生している。そういう価値概念を考え出す必要があるのではないかという考え方をもちます。そうでないと、第三次産業が五〇%を超えたような社会が、どういう社会か正確な分析ができない気がします。
 そこで
わたしがかんがえているのが贈与価値論です。新しい意味での贈与を根源においた価値論が必要だろうとおもっています。

 ―贈与価値論・・・・・。マルセル・モースやジョルジュ・バタイユが概念化した贈与を価値論に据えるというわけですか。

 
なぜそんなことをかんがえたのかというと、結局のところそれは目に見えない無形の価値だからです。よくわからないかたちでうまれてくる価値で、贈与価値とでもいうほかないものです。遅延された時空が交錯するようなところでうまれてくるような価値が存在するというのであれば、こうした贈与といった目に見えない価値をかんがえてみるしかないとおもいます。
 贈与というのは簡単にいえば、未開社会の例にあるとおり、ある部族がもう片方の部族に一方的にものをあげてしまう儀礼のことです。交換価値があるものをあえて無償で提供してしまう。もらったほうは少なく返礼することになっている。そこには物理的な落差、差額というものが生じるのですが、それはいわば精神的なもので補う。精神的な贈与というものでその差を埋めるというのが、未開社会の贈与というものです。
いわゆる交換価値からは、こうした贈与の儀礼は解けません。
 これは文字どおり無形の価値ですから一種の精神価値でもあります。
マルクスの経済学には、いわゆる内面論とか内在論といったものはまったく排除されています。・・・・・・・(中略)・・・・・・・・
 贈与価値をかんがえた理由はもうひとつあります。産業の高次化が進んで、天然資源を相手にするような第一次産業が限りなくゼロになってしまった地域がでてきたからです。第一次、第二次、第三次といった産業の構成比でみると、いま第一次産業がイギリスが二%くらい、アメリカが七%、日本が九%くらいですが、天変地異でもない限り早晩その数字はもっと小さくなってくるでしょう。では第一次産業はどこが担うのかといえば、いわゆる第三世界といった国々です。好むと好まざるとにかかわらず、現実にそうなってしまっているわけでが、そうなると大きな問題が生まれます。第一次産業がゼロになってしまった地域と、第一次産業を担当せざるをえなくなった地域間には、必然的に経済的な格差が生じます。第一次産業に携わるということは、すなわちある限界内で貧困を受け入れるということです。これは生産論における一種の公理だとおもいます。これを解決する方法は、交換価値の範囲では無理です。いくらそれを拡張してもその貧困と格差を解消することはできません。
 
この不均衡を解消するには、贈与という価値を据えるしかとりあえずはないとおもうのです。第一次産業を担う代わりに、なんらかの贈与を受け取る。貧困の代償に贈与を受け取るというような贈与価値というものを基盤にした価値論がどうしても必要になる気がします。そしてその問題はもうすでに出てきているとおもうのです。では贈与は具体的には何かということになりますが、それはいろいろなことがかんがえられます。精神的なのかもしれませんし、あるいは貸借のないつまり返済期限がないような貸与かもしれません。いずれにせよ、それらは交換価値論からはでてこない価値であり、贈与価値論の中に含まれる新たな価値だとおもいます。


A イギリスという国はマルクスの時代もそうでしたが、ある典型的な状況がでてくる場所です。消費社会ということをかんがえてみた場合にも、まずイギリスがひとつのモデルになるとおもわれます。もちろんアメリカや日本もすぐにイギリスのような状況になるはずです。ある意味ではこれらの地域は、
消費が遅延された生産だとは、もういえないような状況になっているということもできるでしょう。消費と生産という組み込みが、すでに切断されて浮遊し始めているという傾向が出てきています。そういう意味でいうならば、消費社会から次の社会へ、すなわちポスト消費社会といっていいような新たな社会としてこれらの地域をみる必要があるのかもしれません。贈与価値論による新たな消費と生産の概念から分析する段階にきているといえます。
                ( P187−P194 )


項目抜粋
2
B 
 ―最後に、これまで第三次産業がもっとも遅延、すなわちもっとも高次化した産業ととらえられていますが、これは第四次、第五次・・・・・というようにさらに高次化していくでしょうか。

 もちろんありえるとおもいます。現代の第二次、第三次産業には、第一次産業の影みたいなものがちゃんと内包されています。しかし第三次産業がこれからさらに高次化していくことによって、第一次産業の影は払底していくでしょう。それは同時に、第一次産業の消滅ということと軌を一にしています。、一次産業が消滅するといってももちろん農産物、食糧は人間にとってのエネルギー源ですから、なくなってしまうということではありません。ようするに高次化することです。バイオなどにとって代わられていくということです。

                ( P195−P196 )
備考 註.【関連】別のとこ(?)で述べられてた、マルクスの価値概念の息苦しさについて。








項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日
373 消費資本主義 消費資本主義の終焉から贈与価値論へ インタヴュー マルクス―読みかえの方法 深夜叢書社 1995.2.20

「FiLo1」1992年 15,16,17号  聞き手 中田平、石塚雄人

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項目抜粋
1

@

 日本の一次産業、農業みたいなものは、だいたい全産業の九%ぐらいだとおもうんです。専業の農家は九%のそのまた一四%ぐらいです。日本の農業は兼業農家になってるということです。もうひとつは産業の重点は第三次産業に移っています。流通とかサービス業とか、そういうところに
重点が移ってしまっている。六〇%ぐらいだとおもいます。こういう産業段階にあるっていうのは、世界でいえば日本とアメリカとそれからフランスなどECで、それが先進資本主義っていわれているなかにはいっているとおもいます。この段階の特徴は何かっていったら、ぼくは消費資本主義っていってるんですね。
消費資本主義っていうのは定義しますと、個人所得でも法人所得でもどっちをとってもいいんですけど、その所得の半分以上が消費に使われている社会っていうこと、それからもうひとつ、消費支出のうち五〇%以上が選択消費っていいましょうか、つまり必需消費ではなくて、選んで使える消費ってのが五〇%以上になっていることです。このふたつの条件があれば、消費資本主義って呼べるとおもいます。要は第三次産業が主なる産業になってる段階だとおもうんです。ぼくの理解の仕方では、それはマルクスなんかが分析しなかった未知の段階です。だからこれは分析しなおさなくちゃならない。そういうより、マルクスがいま生きていたら分析するだろうように分析しなければだめなのじゃないですか。つまりいままでのマルクス主義ではだめということです。ここでの問題は、消費とは何かってことになるわけです。マルクスのいい方をすると、消費とは遅延された生産だってことです。いちばん簡単なのは、いまここで天然の木の実があって、とってこれを食っちゃえば、生産と消費とは同時性があるということになりますね。そうすると、消費社会、消費資本主義とは何かっていったら、遅延された生産が閾値以上になってしまっている、つまり生産の遅延、遅れってことが空間的にも時間的にもある段階以上になってしまった社会なんだということです。閾値があって、マルクス的に、消費は遅延された生産だっていう理解の仕方で分析できる段階に、境界点があるとすれば、その限界から向こうにいっちゃうと、消費は消費としての浮遊状態にあり、生産は生産でまったく別だっていうことを想定しなければならないことになります。消費ってのは遅延された生産だっていえるある閾値を超えっちゃったら、消費資本主義だっていう以外ない。それがいちばんてきめんに現れるのは第三次産業なんです。それはまったく未知の段階で、本格的にいうと、誰もがうまく分析したり説明したりできないでいるっていうのが、現状だとおもいます。ここで生じてくる問題は、予想外のことが、どんどん突発的におこってくることです。そこでは、欠如とか欠乏を基準に考え組み立てていったら、だめなんじゃないかとおもうんです。もちろん分析の組み立てもそうですが、倫理の組み立ても、欠乏を元にした倫理はだめなんじゃないかとおもいます。そうすると、段階っていうのだけが問題なんだとおもいます。消費資本主義は大衆の窮乏、欠乏をだいたいにおいて解いてしまったわけです。でも段階はこれで解けないだろうとおもいます。段階っていうのは、彼が所得百万なのに彼は二十万だったとかっていうこの段階のちがいだけは、資本主義ではどんなに高度になっても解けないんじゃないかっておもいます。それで、これが解けないってことが明らかになった時に、たぶん資本主義っていうのは本当にピンチを迎えるだろうとおもいます。
                ( P197−P199 )


A

 それからいまおっしゃった農業の問題ですが、・・・・(中略)・・・・・農業っていうのはイギリスでいえば二%、東京をモデルにすれば〇.二%、極端にいえば農業ゼロっていう段階にいくのが、理論的にはあるとおもってます。つまりそこがどうかんがえても、資本主義の終焉、つまり資本主義がほんとうのピンチ、内在的なピンチを迎えるというふうにぼくはおもってます。そうすると、その時どういうふうになるだろうかっていうと、消費社会を世界的な規模で、アメリカ、日本、フランスなどEC、西欧をモデルにとれば、そこだけが農業ゼロに限りなく近づいていく。そうしたら、世界はどうなるかっていうと、第三世界、それとアジアのある一部が農産物担当地域になる。かたっぽは農業ゼロに近くなっていくというのが、自然な見通しになります。近未来っていうのは、そうなるでしょう。経済学の公理みたいなもので、つまり天然自然を相手にしている限りはその産業者は、貧困から脱出できない。残念ですけど、公理みたいなもんですね。そうしたらどうなるかっていったら、農業ゼロに近づいた先進地域は農業地域に対して
贈与するしかない。

 そうなんです。無償で贈与しちゃう。そしてこっちは必然的に農産物、世界の食糧生産物担当地域になっちゃって、かたっぽは農業ゼロに近づいているっていう構図になって、
その不均衡はどうなるんだっていったら、こっちが贈与するしかないって、ぼくはおもってます。それは近未来にかんがえられる構図じゃないか。そうすると、その時は何が問題になるかっていったら、価値が消滅するってことなんですね。価値ってのは交換価値ですね。交換価値っていう概念は消滅する。贈与価値なんですよね。贈与価値っていうのが問題になってくるだろう。ぼくらがかんがえる消費資本主義っていうものの分析は、交換価値っていう概念じゃなくて、贈与価値っていう価値が、どういうふうに何が本質なのかって、それを基盤にしなければ、価値論を形成できないでしょう。それを武器に分析し論理をつくる以外ない。でないとこの分析は不可能だと、ぼくはおもいます。ぼくがポイントポイントでかんがえている近未来の構図は、そうです。
                ( P200−201 )


項目抜粋
2

B

 そうおもいます。たぶん資本主義の高度化っていうのが、ひとりでに世界を単一化する方向に力をはたらかせていて、国家の枠が、だんだん連続的に壊されてくみたいな形で広がってる。それはいろんな形でいえるんだとおもいます。また具体的にいえば、実質的には贈与っていえばいえるほど、日本もアメリカも第三地域とかアジア地域とかにお金を貸しているけど、ちっとも返してもらってないです。だからそれは累積するばかりになってきてるわけで、実質上はもうすぐ限度を超えた交換ってことで、もう贈与と同じだよっていう境界に近づきつつあるとおもいます。だから中田さんのいわれるとおりじゃないんでしょうか。ぼくの中でマルクスの考え方が生きてる、あるいは生かしてるっていうようにおもえるのは、価値形態論でいくのはやめようじゃないか、生産論、再生産論でいこうじゃないかみたいなことです。もうひとつは
マルクスは、消費ってのは遅延された生産なんだ、べつのものじゃないんだってことを、「経済学批判」の序説のとこでいってるんだけど、その遅延っていう概念がどこまで時間的、空間的に伸びきったら遅延以上になっちゃったよっていえるだろうかっていうことを解明すれば、だいたいいけるんじゃないかとおもうところがあるんです。
                ( P209−210 )


備考 註.マルクス「経済学批判」の序説から、該当箇所を引用。
   「                         」







項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日
376 消費税 「転向論」の解体 インタヴュー マルクス―読みかえの方法 深夜叢書社 1995.2.20

「海燕」1993年 12月号  聞き手 笠井潔

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項目抜粋
1
@ ・・・・・・(略)・・・・・・・それこそ、いまの社会主義協会みたいなところの影響力のある人たちは、共産党も含めて、消費税というのがあって、その消費税というのは大衆税だから反対だとこういってるんですね。だけど、消費が所得の半分以上を占めてしまったところでは、大衆税だから反対だっていうんじゃなくて、大衆税だから、そこで使わなければ税金も取られないということで、いくらでも調節できるということになるんです。消費する部分が少なければそれはできないんだけれど、半分以上を占めちゃってるところでは、もうそこで調節できるわけです。ですから、いかようにも市場の様相を変えられるっていうふうに、ぼくはおもいます。消費税に反対するっていうのはアホじゃないかっておもってます。
 つまり、なにはともあれ、近代国家、国家を介して何事もという発想だとおもえるんです。なにをするにも国家を介して、経済政策も国家を介して、あるいは国家の力を借りてとかっていう発想だけは、左右を問わず、つまり、マルクス主義であろうが反マルクス主義であろうが、古典派であろうが新古典派であろうが、全部そういう発想ですね。これは国家というのが先進地域ではちょっと違うことになってるんだよ、ということを前提とすれば、全部通用しないとおもえるんです。
               ( P263−P264 )


項目抜粋
2
備考







項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日
377 存在倫理について 存在倫理について 対談 「群像」2002.1月号 講談社

対談 2001.11.1 対談者 加藤典洋

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旅客機をハイジャックして、その旅客を道連れにしたということ 地下鉄サリンだけが残ってくる
項目抜粋
1
@ 結局、こういうのを設定する以外にないんじゃないかと僕が思えるのは、社会倫理でもいいし、個人倫理でもいいし、国家的なものの倫理でも、民族的な倫理でも、何でもいいんですけれども、そういうもののほかに、人間が存在すること自体が倫理を喚起するものなんだよ、という意味合いの倫理、「存在倫理」という言葉を使うとすれば、そういうのがまた全然別にあると考えます。それを考慮しないと、この手の手前味噌な言い方とやり方は理解できないんじゃないかという感じ方になっちゃうのです。「存在倫理」という倫理の設定の仕方をすると、つまり、そこに「いる」ということは、「いる」ということに影響を与えるといいましょうか、生まれてそこに「いる」こと自体が、「いる」ということに対して倫理性を喚起するものなんだ。そういう意味合いの倫理を設定すると、両者に対する具体的な批判みたいなのができる気がします。そういう意味合いの論理【ママ】を設定しないとダメなんじゃないか。

 加藤 吉本さん、今おっしゃってることは、本邦初公開として今初めていっているんじゃない?

 今初めていっているわけ。(笑)つまり、今度のテロで、発明したわけなんですよ、どういうふうに考えればいいか。
 例えばこの問題は、「存在倫理」を設定しないと、両方とも自分の立場でいっちゃえば全部成り立って、相手はもちろん悪であって、おれのほうが善だ。両方でそういうことが成り立っちゃう。

 加藤 『アフリカ的段階について』に「史観の拡張」という副題がついているでしょう。それでいうと、いまいわれているのは「倫理観の拡張」と      いう話だ。

 それは種はもちろんあります。(笑)量子力学、量子論とかいうことでもいいんですけれども、そこは歴然と、電子であろうと、中性子であろうと、原子核であろうと、それが「ある」ということは、「ある」ということに影響を与える。つまり、「ある」ということは、「ある」ということの影響をこうむることを抜きにしてはいえないという物質観みたいなのがあるわけです。結局、生まれちゃったとか、生まれて存在していること自体が、存在していること自体に対して倫理性を喚起するということを設定すれば、何かいえそうな気がするけれども、それ以外は両方ともいいたいことをいっているだけで、どうしようもない。

 そうなんです。村とは何かとか、町とは何か、都市とは何か。それは一高層ビルよ、ということになります。それは産業段階における一番重要なことで、ここをつぶせば全部つぶれたと同じだ。これに狙いを定めると、どんな小さな集団であろうと、小さな勢力であろうと、あるいは小さな軍事力であろうと、それはどんな大きな富と軍事力を持った集団あるいは国とも平等に戦うことはできますよ。今度、そういうことが明らかになっちゃったということだと思うんです。
 
その場合、「存在倫理」からいくと、ビルの中で巻き添えを食って死んだ日本人も二十何人いるし、アメリカ人なら数千人いるわけですが、そういう人と、旅客機をハイジャックして、その旅客を道連れにしたということは、とても微細なように見えても、まるで区別しないといけないと思えます。片っ方は、従来の社会倫理とか、戦争の場合だったら、戦闘員と非戦闘員は区別しなきゃいけないとかいう程度の社会的、集団的なことに対する倫理があれば、それは解けちゃうわけです。
 だけど、今度の場合に関係しているのは、旅客機の乗客は同じアメリカ人であろうと、同民族の人間であろうと、さしあたって金融中枢と軍事中枢に対して打撃を与えたいというモチーフからは全然関係ないということになると思うのです。これは地下鉄サリン事件と同じで、偶然そこに乗り合わせたという以外ない。そうすると、これは無関係だ。無関係な者を道連れにすることはいいのか。これは非戦闘員を道連れにしたという、いわゆる従来の型の戦争とちょっと違う倫理を行使しないと、それはいえないぞと考えます。
 
「存在倫理」みたいなものがあると仮定すれば、あるいはそれを無意識のうちに認めるならば、乗客を道連れにするのは絶対的な悪であるということがいえそうな気がするんですよ。
                ( P208−P210 )


項目抜粋
2
A 先ほどの「存在倫理」と関連していて、つまり、親に内緒で子供がある場所を設定することと関係があって、その根本的理由は、芹沢俊介さんがいつでも前提にしていっているように、子供の方から見れば、別におれはこの世に産んでくれとか、生きたいとかいった覚えはないのに生まれた。だれから生まれたかというと、両親から生まれたことは確実なんだけれども、「存在倫理」といいましても、生まれてきたことに対しては半分しか責任は負えない。あとの半分は、自分のせいじゃない。自分が生きているのも死ぬのも、自分のせいじゃないという箇所が・・・・・。

 加藤 「存在倫理」というと、そういうふうな問題も入ってくる。

 その問題を埋めるのは何なんだというと、父親と母親の前には、父親と母親の父親と母親がまだいてと、ずっとお猿さんのところまでさかのぼっていけば、全部埋まっちゃうわけですよ。おれの意思で生まれたんじゃないし、産んでくれといった覚えはないとか幾ら主張したって、無限に上の以前までさかのぼっていっちゃうと、その空白な部分はみんな埋まっちゃう。生死の内在性としてといってもいいし、遺伝子がみんな満ち満ちちゃって、おまえだけのなんていうのはなくなっちゃうんだよ、でもいいわけです。

 加藤 おまえの取り分はない。(笑)おまえの取り分は無限小。

 
無限小になっちゃうようなところから続いてきた一種の信仰性とか、信念とかいうものの前には、おまえの存在なんて大した意味はないんだから、そんなものは捨てちゃっても構わないんだみたいな観念が出てくるのは当然であって、古い宗教的な心理状態とか精神状態をどこまでもさかのぼっていけば、どうしてもそうなります。おまえの存在、おまえが生まれたいという意思とか、産んでくれとかいうところから出てきたものは何もなくて、ただ、無限に遠い以前からちゃんとそういうふうに考えると、おまえの分は何もないんだから、生命と取りかえっこ、存在と取りかえっこすることは、いってみれば、倫理の最も根本のところに点として、核としてあるものであって、宗教的なものとは取りかえられるということが出てくることはあり得ますね。
 だから、そういうことは、現在における知的レベルとか文明的レベルはどこにあるかということとは全く関係ないんですよ。
 全く関係ないといっちゃうといけないかもしれないけれども、僕もそうだったけど、生き神様があれば、それが存続していくんならばいいんだよという観念に達したときだって、おれ、別にバカだったわけでもないんですよ。かなり知識もありましたし、(笑)科学的でもありました。ほかのことだったと結構そうなくせに、そのことに関しては無限に迷妄だということは可能なわけですよ。、

 加藤 それは今後もそうだということですね。

 ええ、それは戦後になっても、日本で、そのとき、科学的ということがどうして働いてこなかったのかとか、そういうことはすこぶる疑問で、おれはそれほどバカじゃなかったんだけどなと思います。そこだけ取り出されてきたら、これはどうしようもない迷妄です。迷妄だよというのはバカということかと考えると、いや、そうじゃない。
 そうすると、「自由」とはいいましたけれども、「自由」という言葉でなくてもいいんです。自分がここに存在していることをさかのぼって先までたどると、おまえのものなんかどこにもねえよというのも本当だし、父親母親からも全然無視すれば、全部おまえのものだよという考え方にも到達できるし、どちらだって同じことをいっているんだよみたいになってくるという気がするんです。今度のテロ問題でも、やっぱりそこが一番かなめのような気がして。
                ( P215−P216 )



B 僕はそう思いますね。僕がオウムの地下鉄サリンのときの問題について、ほかのことは別にあり得ることだしみたいなことをいったら、そのあり得ることというのが一般的には気に入られなかったらしくて、いろんな投書とか何かでさんざっぱらやられたのは、結局、そうなんです。おまえは応援しているんだろうとか、こういう論理になるわけですね。
 だけど、僕は、敵対している相手を刺しちゃうとか、殺しちゃうとか、内ゲバで違うやつを規律にそむくとかいって殺しちゃうとかいうことは、決して良いと思いませんが、従来でもあり得たことだし、また、あり得ることだし、まかり間違えば自分だってそういう場面に到達したら、そういうふうにしないことはないかもしれないと思うと、それは大した問題じゃねえんじゃないかという論理がどうしても出てくるんですよ。
 そうすると、その大したものじゃないんじゃないかという論理が、一般的な社会倫理観とかヒューマニズムからいうと、そのこと自体が問題になってくるわけですね。だけど、そういう社会倫理よりも、法的な、あるいは国家原理よりも、もっと根本といえば根本、小さいといえば小さいかもしれないけれども、存在の倫理を設定すれば、ほかのことはあり得ることだから、
そのことについて文句をはたからいうのはおかしいよと思えます。そうすると、地下鉄サリンだけが残ってくる。どういう立場の人から見ても許しがたいということが残るのは、ここだけだよという論理になるんですね。それを強調すると、やっぱり大目玉を食らっちゃうということになるのね。
                ( P218−P219 )


備考







項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日
378 存在倫理について 第一章 アメリカでの同時多発テロ事件を読み解く インタヴュー 超「戦争論」 上 アスキーコミュニケーションズ 2002.11.21

インタヴューアー 田近伸和

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全き自由のイメージから 自由と迷妄 順次生 現在における「新しい倫理」とは何か
項目抜粋
1
@ 「自由」ということについていいますと、ヒトラーのナチス・ドイツも、ムッソリーニのファシズム・イタリアも、マルクス主義を国家理念としたソ連も、いずれも「自由」に対して迷妄だったなと思うんです。太平洋戦争の反省を踏まえて、そう思います。そういう反省が、僕にはあるんです。いくら「自由」を唱えても、そこに迷妄が伴っていれば、それは、薄っぺらな「善」を唱えることになってしまいます。そういう薄っぺらな「善」を唱えても仕方ありません。
 
そうした反省も踏まえて、現在、僕が「自由」というときの「自由」というのは、「全き自由(完全な自由)」ということを頭に描いて、いっているわけです。「全き自由(完全な自由)」が実現した社会というのは、差別も抑圧もない社会のことです。それは、個々人がいかに自由にふるまっても、相手の自由を侵害しないような社会であり、かつ貧富の格差などが問題にならないような社会です。
 そうした観点からいえば、アメリカ社会だって、もちろん、「全き自由(完全な自由)」は実現していないわけです。黒人問題に見られるような差別も、アメリカ社会には厳然としてありますからね。
 ブッシュ大統領もそうですが、アメリカの指導者たちは「自由」という言葉をよく口にしますが、彼らがいう「自由」は、あくまで建前としての「自由」であり、競争に勝った者だけが享受できる「自由」であって、競争に負けた者を保護しうる「自由」ではありません。「全き自由(完全な自由)」とは何かとか、あるいは「全き自由(完全な自由)」が実現した社会とはどんな社会なのかとか、そうした社会を実現するにはどうしたらいいのかとか、そういったことをよくよく考えていないんです。つまり、「自由」とは何かということについての省察や省察力が、ブッシュをはじめとするアメリカの指導者たちには不足しているんです。


 ブッシュがいっている「自由」というのは、せいぜい「競争の自由」にすぎません。でも、国家同士の競争ということでいえば、各国の置かれている状況は、歴史の発展段階に応じて違うわけですから、「競争の自由」があるといっても、競争の条件だって、もともと違うわけです。戦争をすれば、軍事的に優位な大国が勝者になり、そうじゃない小国は敗者になるというだけのことです。ブッシュがいっている「自由」というのは、大国や勝者にとって都合のいい「自由」なんです。
 それからまた、アメリカはすでに消費を主体とした「超資本主義社会」になっていますが、資本主義である限り、必ず差別が生ずるという問題はどうするのかということや、従来の資本主義と超資本主義の違いはなんであるかということ、あるいは超資本主義国家が直面している課題、先進資本主義国家が直面している課題とはなんであるか―それは、一つには国民国家という枠を超えて、国内に対しても、国外に対しても、「国家を開いていく」ということですが、そういう課題について、ブッシュをはじめとするアメリカの指導者たちは、よく考えていないということもあります。
 ですから、ブッシュがいくら「自由」ということを強調しても、「そこには迷妄があるよ」っていうことになっちゃうんです。
                ( P56−P58 )


項目抜粋
2
A ・・・・(略)・・・・ところが、当面の目的とは全然無関係であることが最初からわかっている旅客機の乗客たちを降ろさずに、そのまま道連れにして、世界貿易センタービルなどに突っ込んじゃったということは、それとはまるで違う行為です。その行為は、人間が存在しているってこと自体に倫理があるとすれば―つまり、人間は存在しているってこと自体によって倫理を負っていると考えるとするならば、そうした「人間の『存在倫理』」に反する、ということなんですよ。
 なぜ、僕が人間が存在すること自体に倫理の根源を考えるかというと、簡単にいうと、こうなります。人間は、「なぜ、自分はこの世に存在しているのか?」「自分がこの世に存在しているのは、誰の責任なのか?」と自問する生物です。生物の中で、ひとり人間だけが、そうした問いかけをする能力をもった生物です。
 そうした問いかけを自分にすると、自分がこの世に生まれてきて、現実に自分がこの世に存在していることについては、自分の意志ではなく、偶然である、ということになります。僕らは、自己の存在根拠を自己に負わすことができないわけです。そこで、自分がこの世に存在することの直接的な責任は親にある、というふうに考えます。しかし、その親にはまた親がいてというふうにさかのぼって考えていくと、簡単に「親に責任がある」というふうにはいえなくなってきます。
 それで、結局、自己の存在根拠というものは、ずっと昔の先祖の世代から連綿と転移されてきたものである、そしてその転移されたものは、自分の子の世代や孫の世代に転移されていく、というふうに考えざるをえなくなってくるわけです。そういうふうに存在根拠が転移され、累積されていくという人間存在の在り方を充足的に考察するためには、「人間の『存在倫理』」というものを考えるほかない、ということなんですよ。
 前世代から後世代に生命が継承されていくというのは生物一般がそうですが、「人間の『存在倫理』」というのは、自分の存在の意義を自問するという能力をもった人間だけがもつ、生命だとか実存だとかに関する倫理である、というよりほかに仕方がないものだとおもいます。僕らが、「法」とか「政治」とか「社会」とかの倫理性というものを相対化するとしたなら、この「人間の『存在倫理』」という観点から行うほかないと思います。
 今回のテロ事件は、「新しい戦争」の形態を提示しましたが、その一方で、
現在における「新しい倫理」とは何かをも問い直させました。何が「善」で、何が「悪」なのかということを判断するための「根源的な倫理とは何か?」ということを問い直させたのです。「根源的な倫理」を問うために、僕は差し当たって、「人間の『存在倫理』」という言葉を用いた、ということなんです。
                ( P72−P75 )


B 「人間の『存在倫理』」にのっとっているとか、「人間の『存在倫理』」に反しているとかといった考え方は、東洋的といえば、東洋的な倫理観であるといえます。そこには、儒教的要素、仏教的要素、神道的要素がいろいろ混ざっています。
                          ( P76 )


 【 註.宗教と家族との関係に触れて 】
 ただし、親鸞とキリストとでは、理屈の立て方がちょっと違っているんですね。キリストの場合は、神を主体とした人間の在り方ということを問題にします。そこで大事なのは、神と個人との関係であり、そこに父母兄弟といった肉親の関係なんか、入る余地なんて全然ないわけです。
 それに比べると、親鸞の場合は、『歎異抄』の中では
「順次生」という言葉を使っていますが、祖先のほうまでさかのぼって考えるわけです。親と子の連鎖、生命の連鎖というものを考えます。親鸞は理屈として直接述べているわけではありませんが、親鸞の言葉づかいから僕なりに推測すると、親鸞はだいたいこんなことをいっています。・・・・(略)・・・・

 つまり、一代だけを考えると、自分が生まれた責任は父母にあるという言い方もできるけど、その父母にも、同じように父母がいて、というふうに親と子の連鎖というものを、どんどんさかのぼって考えていくと、責任を簡単に問えなくなってくるわけです。自分がこの世に生を受けた、この世に存在してしまったということについての責任を、自分の父母に簡単に責任転嫁できなくなってくるということです。誰かに責任転嫁をするということができなくなってくるわけです。
 それでよくよく考えていくと、めぐりめぐって、この世に自分が存在してしまったということについては、結局、自分が全面的に責任を引き受けるしかない、ということになってくるわけです。
 つまり、自分がこの世に存在してしまったということ、そして、そのことによって、おのずと派生する「人間の『存在倫理』」というものを、自分で全面的に引き受けるしかない、ということになってくるということです。先祖から代々、そうした「人間の『存在倫理』」というものを、かわりばんこに引き受けていくみたいなことになってきてね。親鸞なんか、そういう考え方をしていると思います。

                          ( P77−P79 )


C 「人間の『存在倫理』」という言葉でいっていることの意味は、この世に存在してしまったということ、そのこと自体によって、必ず自己と他の存在に影響を与える、与えてしまうことがあるよってことなんですよ。「それは、免れないよ」っていうことなんです。
 唯物論的にいえば、自分がこの世に生まれてきたのは父母の性的行為が原因である。そして、それ以前の歴史を、さらにずっとさかのぼっていけば、自然の偶然的作用によって生命が生まれただけのことである。だから、自分がこの世に生まれてきたことについては、自分には責任がないっていうことは、ひとりでにいえちゃうようなところがあるわけです。
 
でも、実際問題として、自分に責任がないってことをいえるか、それで成り立つかっていったら、「やっぱり、それは不可能ですよ」ってことになるんじゃないでしょうか。つまり、この世に自分が存在してしまったってことは、もう、その人間が地球のどこかに場所をおのずと占めていることであり、また、自分の生命を持続するために日々の糧を必ず必要とするということでもあり、要するに、この世に自分が存在してしまったってこと、それ自体によって、自己と他の存在に必ず影響を与えてしまっているということがあるわけです。
 それは、家庭ということで見ても、社会ということで見ても、そうです。実際問題としていえば、自分がこの世に存在してしまったということと、そこからおのずと派生してくる「人間の『存在倫理』」というものは、父母であれ誰であれ、他人に責任転嫁できないものであって、結局は自分でその責任を引き受けるしかない、ということになってくるんじゃないでしょうか。
 ところで、なぜ僕がそうした「人間の『存在倫理』」という観点を持ち出すか、そういう枠組みを設定するかといいますと、政治倫理的な枠組みや社会倫理的な枠組み、あるいは法律的な枠組みなどで物事を判断するやり方は、相対的なやり方にすぎず、脇が甘いために、たくさんの矛盾を起こしていると思うからなんです。
 特に、
最近起きている犯罪なんかを見ていると、そう思います。
                ( P82−P83 )


D ある種の宗教が「人間の生命を奪ってもいい」という考え方をいまだに引きずっているのは、その宗教が生まれて時代にまでさかのぼれば、そういう考え方に対応する時代状況が、そのとき、そこにあったからである、ということになります。僕はイスラム教については、それほど詳しくはありませんが、たとえば仏教の経典―天台宗などの聖典である法華経には、「法華経をないがしろにしたり、貶めたりする者は、刀杖をもってやっつけてもいいんだ」と書かれていたりしますからね。
 
昔にさかのぼれば、共同体の民衆を支配している王様が、共同体の民衆に対して、「贈与」という形で無償の恩恵をもたらす、その代わりに、王様はときには民衆に生命を差し出せということも要求する、ということがありました。王様のほうは、「そのくらいの世話はしている」と思っているわけです。そういう考え方が、共同体の中で流布していた時代というのはあったわけです。
 たとえば古代ローマの時代には、皇帝の主催によって、皇帝が経費を負担する形で、円形劇場において人間の剣士と猛獣とを闘わせるということが行われていました。皇帝も、それを見学する民衆も、共に楽しんでいたということがあったんです。
 その際、主催者である皇帝にしても、別に残虐で悪いことをやっているとは思っていなかったわけですし、民衆にしたって、剣士が猛獣に食い殺されたって、別に「かわいそうだ」とも思わなかったわけです。また、民衆は皇帝に対して、「悪いことをしている残虐な支配者だ」とも思わなかったんです。人間の生命が軽視され、そういうことが社会的に平気でなされていた時代というのがあったんです。
 それは、日本の古代を見てもそうです。天皇が死ぬと、天皇の墓のまわりに男女が生き埋めにされた、ということがありました。首から上だけは地上に出して、首から下を土の中に埋めちゃうんです。それで、生き埋めにされた人たちは、みんな泣き叫ぶ。その様子があまりにも悲惨なので、人間の代わりに埴輪を埋めるという風習にかわっていったということがありました。『古事記』や『日本書紀』を読むと、そういう記述があります。
 そういうことは、歴史をさかのぼれば、世界の至るところであったわけです。王様には絶対権力があって、王様は支配下の共同体の民衆に対して生殺与奪の権利をもっている。それで、自分が死ぬと、墓のまわりに、殉死ということで人間を生き埋めにしちゃうといったことなんかも平気でやったりしていたんです。そうした世界史の発展段階、人類史の発展段階では、人間の生命よりも、王様への信仰や神への信仰といった宗教的信仰のほうが大事とされていたわけです。
 今回のテロ事件を起こしたのはイスラム原理主義者たちであると報じられていますが、イスラム原理主義という宗教には、そうした時代の名残がいまだあるのだと解釈すれば、テロリストたちがなぜ人命を軽視したのかということも理解できます。

                ( P87−P89 )


E 思想の言葉として、ということでいいんですけどね。要するに、どういったらいいんでしょうね。「人間の『存在倫理』」というものは、「人間がそれぞれに負っている一つの思想だよ」って、いえるんじゃないでしょうか。
 「人間の『存在倫理』」という人間の一番奥底にある問題まで捉えてモノをいわないと、ブッシュに対しても、イスラム原理主義のようなラディカルな宗教的な考え方に基いてテロを起こすテロリストたちに対しても、ちゃんとしたことはいえないよって僕は思います。
 法律違反であるとか、精神異常による「狂気のさた」であるとかいった観点から、子のテロ事件を裁いても、本当の解決にはならないと思うわけです。
「人間の『存在倫理』」というところにまで観点を深化させることによって初めて、両者のやっていることは、いずれも「人間の『存在倫理』」に反していて、間違いであるということが、いえるんじゃないかと思います。
                ( P95 )


F 事実認識の問題になるように、今回のテロ事件を引き合いに出していえば、こうなります。政治認識における倫理、社会認識における倫理、法認識における倫理など、人間を取り巻くさまざまな倫理的要因というものがあります。しかし、そうした倫理的要因に基づく観点からは、国民国家が行う戦争は永久の「善」であり、イスラム原理主義のような未開社会の時代と伝統につながった宗教を信じるテロリストたちが行うテロは「悪の権化」であるという事実認識しかでてこない、と僕は確信します。
 
両方共、「悪」であるといい切るためには、根源的な次元で、人間存在自体に由来する「人間の『存在倫理』」とでも名づけるしか仕方のない倫理的要因を考えの根底に入れなければいけないと僕は思います。
 歴史的に見れば、国民国家というのはけっして恒久的な存在ではなく、過渡的な存在形態にすぎませんし、そうした国民国家の特殊性に局限されたところから派生する政治的倫理、社会的倫理、法的倫理などは、すべて相対的なものにすぎません。だから、それとは違う根源的な次元で論じなければいけないということなんです。唯物論でもなく、観念論でもない、人間存在の倫理を根底から問う”根底倫理”を必要とする時代に入ったのではないか、といいたいのです。
 「人間の『存在倫理』」というところにまで観点を深化させて発言しないと、発言がすべて相対的になって、不徹底になってしまい、世の中で起こる犯罪や事件を解決するには、それこそ、法律家と精神科医とがいればいいということになっちゃいます。実際、欧米諸国や日本では、そうなりつつあるといえるような情勢になってきていますが、「それじゃあ、どうしようもねえよ」っていいたい気がします。

                ( P96−P97 )


G 従来だったら、「これは不道徳である」とか「反倫理である」とかいうことで裁けたものが、そういう倫理的なレベルではもう裁けない時代になったし、そういう倫理的なレベルでは、事件とか社会的現象とかをもう解釈できない時代になったということ、その象徴として、あのテロ事件があると思います。
 二一世紀になって、これから、いろいろな「新しい反倫理」というものが社会にどんどん現れてきます。それは、人類がこれまでに経験したことがない「反倫理」であって、それにどう対応したらいいかという処方箋がない。その処方箋を見つけることが、二一世紀の大きな課題だと思います。

                ( P126 )


H 日本の一般国民の一人であるという自分の居場所に固執する限りは、他国であるアメリカがこうすべきであるということについては何もいうべきことはありませんが、テロも「悪」であり、国民国家がやる報復戦争も「悪」であるという僕自身の考え方に基づいて、あえていえば、アメリカは段階を踏むべきだったと思います。
                ( P99 )



備考 註.Bについて 親鸞 『歎異抄』
  「親鸞は父母の孝養のためとて、一返にても念仏まふしたることいまださふらはず。そのゆへは、一切の有情はみなもて世々生々の父母兄弟なり、いづれも【繰り返し記号】この順次生に仏になりてたすけさふらうべきなり。わがちからにてはげむ善にてもさふらはゞこそ、念仏を廻向して父母をもたすけさふらはめ。たゞ自力をすてゝ、いそぎさとりをひらきなば、六道四生のあひだにいづれの業苦にしづめりとも、神通力をもてまづ有縁を度すべきなりと云云。」







項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日
381 守備範囲について 第1章 政治家やマスコミ知識人の「テロ・戦争論」を批判する インタヴュー 超「戦争論」 下 アスキー
コミュニケーションズ
2002.11.22


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項目抜粋
1
@ そうした危機管理の具体策については、専門家がちゃんと議論すべきです。もし仮に、自分が職業柄、危機管理の具体策を考えなければならない立場にあれば、当然そのことをちゃんと考えるでしょうし、それは、そうした任にあれば、誰だってそうするし、そうしうるという意味では、別に特別な能力は要らないことだと思います。
 でも、僕なんかは、一般国民の一人にすぎず、しかも、そんなことに関してはまったくの門外漢ですから、初めっから口を出さないというか、議論をしない、ということになりますね。そういうことについては、僕はハッキリとしているんです。
 
僕は官職にあるわけでもないですからね。僕は、あくまで一国民として、一人の民衆として、自分に直接響いてくることについては問題にもしますし、議論もします。でも、一生かかったって、自分が口を出すような場所にはいかないだろうという類の問題については、「俺の関与することじゃない」ということになっちゃいますから、論じない。論じると、自分の居場所から逸脱しちゃって、必ず、見当違いのことをいうような気がします。
 ただし、想像力は働かせますよ。想像力を働かせるのは自由ですからね。だから、想像力を働かせれば、どんな議論だって自由にできるじゃないかってことになるわけですけど、想像力を働かせた議論にしたって、一人の民衆を逸脱した場所にまではいかないし、また、いく必要もないと思います。その意味では、想像力を働かせた議論というものにも、当然、限度というものはあるわけです。
 自分の目で見られる範囲、自分の想像力が及ぶ範囲、自分が入手できる情報の範囲、そうした範囲の中で、モノを考えたり、モノをいうということを、僕は割合厳密にやっているつもりです。自分の居場所を外さない、といいますか。
                            (P64−P65)


項目抜粋
2


備考







項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日
382 資本主義の全体的地盤沈下 第1章 政治家やマスコミ知識人の「テロ・戦争論」を批判する インタヴュー 超「戦争論」 下 アスキー
コミュニケーションズ
2002.11.22


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デフレ
項目抜粋
1
@ 「デフレはよくない」というためには、古い資本主義の時代の経済理論が今なお通用して、資本主義が磐石であるということが前提としてなければならないわけですが、今は、その前提がくずれているんです。「インフレはよくない」というのも、同じです。・・・・・・・・・・・・・・・・・略・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

でも、消費を中心とした現在の超資本主義社会では、デフレとかインフレとかいう言葉で表現されていた概念の境目がなくなってきているんです。かつて通用した概念は、今は通用しないということです。消費者からすれば、「デフレになると商品の値段が下がるんだったら、デフレのほうがいいじゃないの」「安けりゃ、いいじゃないの、生活が大いに助かるんだから」ってことになっちゃうわけです。
 デフレになって困るのは、政府の首脳とか、金融業界をはじめとする経済界の首脳だけであって、一般国民には不利益はないよってことになっちゃいます。もっとも、政府がつぶれて社会が混乱すると、一般の国民にも害が及ぶかもしれませんが、現状では、そんなことは起こりません。   (P73−P74)


項目抜粋
2
A デフレとかインフレとかいったように、かつての古い資本主義の時代には、その概念の境目が明瞭であったものが、今は、その概念の境目が明瞭でなくなったということですね。それは、大部分の経済法則についていえます。
 
今なお、通用する経済法則は何かといえば、経済的な好況であれ不況であれ、経済的な発展であれ衰退であれ、それは、必ず先進国からはじまって、その影響が開発途上国のほうに及んでいくということです。その逆は、ありえないということです。これは、数学でいえば公理のようなものであって、これだけは経済法則として、今なお、通用すると思います。
 消費を中心とした現在の消費資本主義社会では、景気を左右する最大の要因は個人消費です。つまり、現在の超資本主義社会では、一般の国民の経済的な役割が非常に大きくなっているのです。それが、昔と違う点ですね。
 だから、不況が高じても、かつてのように「恐慌」が起きるというふうにはならず、景気の後退程度で済んじゃうんです。今、日本は不況で、経済状態が非常に深刻だといいますが、その意味では、マスコミが煽るほど深刻ではなく、僕なんかは、深刻だというのなら、別の意味で深刻なんじゃないかと思います。
 それは、今、世界の資本主義が、だんだんと全体的に地盤沈下しつつあるんじゃないかってことなんですよ。それは、どんなにがんばったって防げない潮流としてあるんじゃないかってことなんです。そういうふうに考えると、ちょっと怖いことが起こるかもしれないよって思います。その兆候は、けっしてないことはないと思うんです。
 つまり、アメリカが不況に入って、日本もそうで、ヨーロッパなんかは万年不況ですよね。地球規模で見ると、経済的赤字が全体的に大きくなっています。そういうふうに、経済的赤字が全体的に大きくなる形で資本主義がとことんまでいくと、世界の資本主義が全体的に地盤沈下していくんじゃないかということです。その可能性があるということは、どこか頭の片隅に入れておかないといけないような気がします。  (P74−P76)

備考







項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日
383 自己相対化の視点 第1章 政治家やマスコミ知識人の「テロ・戦争論」を批判する インタヴュー 超「戦争論」 下 アスキー
コミュニケーションズ
2002.11.22


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内ゲバ問題に触れ 東ティモール内戦に触れ 外側と内側との両方から事柄を見る
項目抜粋
1
@ 田中康夫のような進歩主義的な人たちもそうですし、柄谷行人とか浅田彰とかいった左翼的な人たちもそうなんですが、この人たちに共通するのは、「自己相対化」ができていないってことなんですね。「自分は必ずしも正しくないかもしれないぞ」というふうに考えて、自分を相対化して眺める視点がないんです。共産党もそうです。
 自分を相対化できないと、「いつも自分は正しくて、自分がいっていることはいつも正義である」というふうになっちゃうんです。それで、結局、自分については本当のことを何もいわない、ということになっちゃうんです。そうすると、自分がいっていることと、本当の自分というものとが、どんどん乖離しちゃうわけです。
 もちろん、それは、誰にだってあることです。僕だってそうです。ついカッコいいことをいってしまって、あとから反省して、心の中ではその発言は訂正しなきゃいけないと思っているのに、今さら、そんな訂正はみっともなくてできねえ、ということが僕にもあります。そういうことは、普段、適当にお茶をにごしているようなところがあります。
 でも、本気になって、本格的にモノをいうときには、僕はやっぱり、自分に対しても、他人に対しても、自己相対化ということを意識しますね。「自己相対化されていない主張には、俺は同意しないぜ」っていうふうになっちゃいます。
                            (P101−P102)


自己相対化ができないエリート意識というのは、支配者の論理につながっていきますね?(インタヴューア)

A そうなんです。いずれ、そういうことになっていきますね。自己相対化ができないということは、違う言い方をすれば、事柄を一方的な方向からしか見られないということです。でも、事柄というのは、それを外側から見ている場合と、内側から見ている場合とでは、見え方が違うわけです。だから、外側から事柄を見る目と、内側から事柄を見る目、その両方の目がないと、事柄はちゃんと見えないということになります。外側と内側との両方から事柄を見ないと、正当な判断はできないということです。 (P104)

項目抜粋
2
備考







項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日
389 好きなこと W 家庭生活をめぐる料理考 インタヴュー 吉本隆明「食」を語る 朝日新聞社 2005.3.30

聞き手 宇田川 悟

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手を合わせるというのは人と同じように
項目抜粋
1

@

 この辺の神社の縁日というかお祭りなんかは、ほとんど欠かさずに行っています。そういう、なんて言うんでしょうか、カッコをつけて言うと、知らない人がいっぱい集まっている中でぽつんといるみたいなのは、子どものころから好きだったですけど。
             (P157)


項目抜粋
2

A

ー吉本さんが観音様にお祈りしてなにかお願いしているという姿は想像つかないんですけど、どんなことを願っているんですか。

 いえ、願はなにもかけないですけど、一応見かけ上はちゃんと(笑)。なんとなく、みんなが手を合わせているから、やらないとおかしいだろうなっていう感じで、信仰なんかは全然ないんですけど、手を合わせるというのは人と同じようにやってますね。そういうのがだんだん慣れてきて、わりあいに平気で。

ーでも、願いごとはしない。

 べつに意識して願をかけないわけじゃないんだけど、全然そんなものも浮かばないで、ただ手を合わせてる。要するに、なんにも考えたり感じたり願ったりとかしないっていう、まあ、言ってみれば無念無想なんだよって、そういう感じですね。だけど、周りのほうが楽しいから行くんだというのが本音ですね。
                             (P159−P160)


備考







項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日
390 十年で一人前 W 家庭生活をめぐる料理考 インタヴュー 吉本隆明「食」を語る 朝日新聞社 2005.3.30

聞き手 宇田川 悟

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手で考えるっていうこと
項目抜粋
1

    「文章修行の方法論」

@

 才能の問題で言えば、文学の便利なところは、誰でも十年書いていれば一人前になります。それは才能は関係なく、一般論として言えることだと思うんです。書けても書かなくても毎日のように机の前に原稿用紙置いて座って、今日はなにか書くことあるかなって、なんでもいいんですけど、ただ机の前に座って、筆さえとれば書けるっていう準備だけはちゃんとして、だけど今日は全然浮かばねえとか、浮かぶ日は徹夜してでも書く、そういうことはどっちでもいいんですけど、要するにとにかく何分間であろうと何時間であろうと毎日机の前に座って準備している。それを毎日やれば、十年で完全に間違いなく百パーセント、一丁前の作家になりますよ。だけどそこまでだったらそれでいいわけで、それから後のことですね。そのときに、初期に書いたものというのが物を言ってくるんです。
 結局誰でもそうだって思うんですけど、いちばん初期っていうのは書いたものを他人に見せたくないんですよ。見せたくなくて、でも大事なんです。書いていること自体が非常に大事なことで、うまく書くかどうかはべつで、自分の一番大事な秘め事みたいな感情を書く。それは、他人に見せるのは嫌だ、もったいないって感じで、大事にしまっておいたほうがいい。それから次の段階になってくると、だいたい自分の書いたものをほめてくれる人とけなす人と両方出てくるわけです、かならず。でも自分にとってはほめられてもけなされてもそれほどこたえない、まあ、ほめられたほうがいいし、けなされると面白くないと思ったりするけど、どちらであってもそれほど自分にとって致命的だっていうほどではない。そういうふうになったら、他人に見せたらいい、世間に発表したらいい。そして、そうやって自分の形というのが文体的にも内容的にもおおよそ筋が決まってきた、筋肉が決まってきたとなったら、今度は一等初めに書いた、つまり初期のころ他人に見せるのも億劫だ、もったいないと思ったものが、物を言ってきますね。その書き方自体は、初めだからそれほど成熟しているわけでもないし巧みだってわけでもない、幼稚だって言えば、初期に書いたものは誰だって幼稚なわけですけど、それはどうってことない。要するに書いている内容が大事なわけで、大事なことを書いている。
 それはある程度自分から離してもいいやって思えるようになったら、そのときは自由になんでもいいから、他人に見せるように発表したらいいんじゃないでしょうか。それが、その人の領域を大きく広げていくってことの種になるんじゃないでしょうか。それは絶対に才能の問題ではないです。・・・・・・・・・・・略・・・・・・・・・・・・・・
  
だから、手を動かして、手で考えるっていうことに慣れるためには、極端に言えば毎日、書く場所には毎日向かって向かっているということにすると、手を動かせばだいたい考えが出てくるっていうふうに、手と感覚がつながるようになります。それ以外の方法はない。頭がいいとか書く環境をよく作るとか、そんなのは全然問題にならない。どんな環境でどういう状況でも机の前に座るっていうのを十年間はやったら、少なくとも文学だったら二十歳から始めようが五十歳から始めようが同じ、大丈夫です。
 これがだめなのは、サイエンスで言えば、数学、芸術で言えば音楽だけですね。
                               (P139−P141)


項目抜粋
2
備考







項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日
393 世界性 X 老年を迎え、今、思うこと インタヴュー 吉本隆明「食」を語る 朝日新聞社 2005.3.30

聞き手 宇田川 悟

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国文学者 折口信夫
項目抜粋
1

@

 
僕の考えはいつも自分の専門分野からの類推ですけど、文学のほうでもそうなんです。国文学者というのがいるでしょう。日本の古典ばっかり研究したり、調べたりしている。そういう人たちは、なにがだめかというと、日本だけなんですよ。そういう閉じられたところで国文学を研究して、学会を作ったりして、詳しくは研究するんでしょうけど、日本人にだけしか通じないというものだから、外国人が読んだら、そんなことは関係ないよと思うでしょうし、僕らみたいな素人が読んだら馬鹿馬鹿しくて読めないわけですよ。日本の国文学者はほんとうに通用しない。ほかの国の人が日本の国文学に関心がないように、ほかの国の文学とか、そういうのになにも関心がないで、国文学だけを、古典だけを研究してるわけですから。それは僕は不服である。
 つまり、古典というものを、固有の文学としてもう少し掘り下げて、そしてその方法というのが国際性、
世界性というものと共通であるというようなところに行ってくれりゃいいなあというふうに思う。今よその国に行けば、日本文化のご自慢みたいなのしかできない、そういう程度だろうけど、いつかは固有文化を今よりももっと掘り下げて行って、そのこと自体が国際的に通用する、わかるというところまで行きたいみたいなことはあるわけです。・・・・略・・・・・
 唯一、ただひとり、折口信夫という人は、日本の固有のことばっかりやってるんですけど、だけど、この人の書いているものはちゃんと、どこの国の人が読んでも通用するよというものを書いていた。それは折口信夫という人だけなんですよ。彼がどういう西洋の本を読みふけって影響を受けたかとか、どこからその方法を獲得したかというのは僕は一切わかりませんけど、僕らにもよくわかる部分だけ言えば、国文学者は日本の古典というと、「古事記」とか、「万葉集」から始まると思っているわけですよね。だけど、折口さんという人は、記紀みたいなものよりも以前のことを研究しているんですよ。文学の歴史というのは縄文時代もありますから。でも農耕以前のものというのは、日本の古典で少ないんですね。唯一今残ってるのは、御殿を建てたりする儀式のときの祈りの言葉、祝詞ですね。それが天皇制以前の時代から引きずっているいちばん古いもので、そういうのを折口さんは研究してるんですよ。
 そうすると、「古事記」「万葉集」にはない日本語の使い方とか、日本語の言葉というのが出てくる。それはもう万葉仮名以前なんですよね。つまり文字に直そうとすると漢語しかないんです。日本語では当てる文字がなくて、中国語の文字しかない。それで、日本語というのを中国語に訳すと、こういうふうになるね、こういう意味だねと、そういうのを折口さんは一生懸命研究したんですよ。それでだいたいわかったというか。たぶんそれをもって国際性というものがひとりでに出てくるということを、獲得したんだと思うんです。
                               (P216−P218)


項目抜粋
2
備考







項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日
402 宗教 第三部思想
第一章宗教
インタビュー 老いの超え方 朝日新聞社 2006.5.30

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宗教は万事の元 日本の法律
項目
1

 
ー生、老、病、死という言葉があります。宗教は老いに対して、どのような構えや考え方を持っているのでしょうか。


@

 こういうことではないでしょうか。僕たちの世代は、特に僕は、宗教を宗教の形では持っていません。でも、宗教的なものというのは、非常に大きな考察の場だと思っていますので、絶えずよく考えているつもりです。つまり、宗教というのは大切で、もともとこういうものだ、こういうものであるべきだということについての考察をやめると、国家や国家の動静、あるいは司法の独立、そういうことについての考え方が狂ってしまいます。国家や法も元はどうせ宗教ですから、宗教に対する考察は重要だし、考察があって、しかもそれは真理というものがあるかどうかは別として、真理に近いほどいいと思いますが。


A

 ・・・・・略・・・・やはり宗教は強い、万事の元であって、
僕は食べることもほとんど宗教起源だと思っています。大昔に宗教から分離・発達してきた、国家も、法律も学問もそうだと思います。知識めかしていて、全然関係ないように見えても、本当はそうです。ですから、この宗教というのはすごく考える余地があると思っています。
                         (P186−P188)


項目
2

B

 ・・・・・略・・・・。東洋はみんなそうかと思いますが、いろいろなものが混じっています。一番初めの聖徳太子の十七条の憲法、あれにも「和を以って貴しと為す」とあります。これは
社会倫理だけれども法律ではない、日本の法律はみんな倫理を引きずっている。倫理も何も区別が付いていないとなっています。それは西欧でははっきりしていて、法律は法律で、倫理は倫理だ、倫理学や宗教学は別だとちゃんとできています。日本の場合は、憲法といえどもそうだ。明治憲法も同じで、「天皇は神聖にして侵すべからず」、何を言っているんだと思いますが、それは宗教で、明治憲法の中に入っていて近代まで通用していた。
                         (P192−P193)


備考







項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日
403 第四部 死
第一章見方
インタビュー 老いの超え方 朝日新聞社 2006.5.30

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同行二人」 高村光太郎の自然観
項目
1

@

 そうなってくると、フーコーもそうですが、
親鸞の、誰が、いつ、何の病気で、どう死ぬかは全然分からないことだ、こんなことをあらかじめ想定するというのはおかしいという考え方のほうが、僕はいいと思います。
 なぜいいのかというもう一つの根拠は、浄土宗というのは死ぬと浄土に行きます。浄土宗系統の仏教でも、ホスピスみたいなことをやっています。『往生要集』の源信という偉い坊さんが、今の医者で言えばホスピスみたいなものを、危篤状態の人の部屋を作ってやっています。・・・・・・略・・・・・・・・
 浄土宗系で言えば、法然がそれに継ぐ偉大な坊さんで、法然はこれはちょっとおかしいと感じてしなかった。でも、臨終のときは念仏を唱えながら亡くなると浄土に行きやすいという考え方をしています。・・・・・・略・・・・・・・・
 親鸞まで来たら、そんなことは全然当てにならない、誰が、どうして、いつ死ぬかということも分からないのに、そんな臨終のことを言うのはおかしい。病気によっては臨終の念仏が唱えられないということもあり得るわけだから、そういうことは間違いだとやった。結局、死というのは、そういうふうにはたから判断することは一切成り立たない。


A

 親鸞が死をどう考えたかというと、くたばることを死と言うのではないと言っています。亡くなった場合にどこへ行くのかというと、浄土に行くことは決まっている。親鸞は四つぐらいのたとえ話をしますが、一つは、皇太子の位に就けば次に天皇になることは決まっている。天皇になるということが死ではなくて、皇太子の位に就くことが死だと考えています。だから、あの世だとは言っていません。
この世に生きている状態で死を設定しています。普通の人が死と言っていることは本当はくたばることではない、くたばることが死ぬことだと考えると、その次に実体として浄土があると設定する以外にないとなります。それは浄土教でも、キリスト教でも同じです。


B

 もう少し続けますと、例えば、ホスピスみたいに安楽に死ねるようにとか、病気で死にそうなら楽しそうなことをやってやるのがいいという意味合いの救済は駄目だ。それこそ、目の前に飢えた人が倒れているのを、自分が助けようと思えばその場で助けられるけれども、その人を本当の意味で救済できるかどうかは別で、その瞬間は救済しているように見えてるだけで、本当は分かりません。救済と言うのは何かというと、つまり天皇の位を精神と肉体全部の死として、そして浄土に行ける状態だと考えると、そこに必ず行くに決まっているけれどもそこではない、
比喩で言えば皇太子の状態が本当の死だと、親鸞はそう言っています。つまり、浄土に行くに決まっている肉体と精神の死ではなくて、そこへ必ず行けるという皇太子の位に該当するところが死だというわけです。
 そこへ行ってからもう一度帰ってくることができれば、それは人を救済する、仏教で言えば菩薩、人間以上の人間になることで、多くの人を救済することができる。しかし浄土というのを実体化して、そこへ行くには仏像の五色の布を握っていればいいというようなばかなことは駄目だ。・・・・・・略・・・・・・・・
 要するに、本当の皇太子に該当するそこまで行って、帰ってくる過程に入れたら初めて人間を救済する、命も生涯も社会的地位を含めて救済できる。
人間の不条理というのを救済できるのは、そこから帰って初めてできるというふうに設定しています。僕は、これは相当完璧に近い死についての考え方だと思っています。フーコーの考え方もそうですが、僕は宗教家でもないし、宗教もないので異論はありますが、異論といってもそんな大きなものではなくて、死についての考え方はこれでいいと思っています。

 −つまり皇太子の位になるということは、死という観念について恐怖心がなくなるというところまで行くということでしょうか。


C

 そういうふうに言われたほうがいいと思いますね。死の観念自体もなくなる、そういうふうに言われたほうが。それは危篤で口もきけなくなったからという意味でもありません。生態が死ぬ直前の状態と、思想的と言いますか、哲学的な言い方というのと混合して考えるとそうなります。死とはどういうことかと考えても仕方がない。今おっしゃった、そういう死がどうだとかという気持ちがなくなることだろうというぐらいの認識が、一番当たっているのではないでしょうか。
 つまり、親鸞は、がんだったのではないかと思いますが、苦しみながら死んだという伝説があります。そういうこととは別で、境地として、
精神状態として死というのは怖くないという状態になれればいい。そのことを悟りとは言いませんが、それに該当する、そこまで行けばすぐ悟りに行ける状態だという、形而上学的な意味でそれを理解しないとしょうがないのではないでしょうか。
                         (P237−P242)


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 −千石さんは一緒に死んでくれと言われたらいいよと言うわけですね。それは、もし本当に死ぬときには死ぬ覚悟があるということでしょうか。



D

 それは覚悟ではないんですよね。要するに、死という概念がないのです。例えば、フーコーは死を生と違う次元に置いたということが理屈としてはすごくよく分かる。いつ死ぬか,どう死ぬかというのは分からないのに、浄土を実体化してそこへ行くみたいなことを言うのは間違いだという親鸞のこともよく分かります。でも、そういうところで生死についての思想を打ち止めとすると、どうしても自分とは差し当たり関係ないからそういうことを言えるんだというふうになってしまいます。ですから、宗教家として非常に優れた人は「同行二人」とか、「一人で喜んでいるときには二人で、おれもいると思ってくれ」というふうに言う。



 −そうすると、アメリカのその詩を書いた看護師さんはいい線いっていたということですか。


 そうだと思います。つまり、その人は宗教家よりも立派な人ですね。そのことについては立派な人で、そういうことについて相当よく分かっている人ではないでしょうか。そういうことはしばしばあり得ることです。本当は分からないので偉そうなことを言えないとなりますが、黙っていないで何か言えというなら、宗教家で極限に言えることは「同行二人」、「一人で喜ぶは二人と思え」という言い方ではないでしょうか。僕らは宗教家でもないから、そこでお説教をしてはキリスト教の宗教家やキューブラー・ロスと同じで、お説教で救済に近いことができるみたいなことになります。でもそんなのはうそで、そういうことはありません。だから、黙っているしかないということになりましょうし、宗教家なら同行二人おれはいつでもいるよと言えるでしょうけれども、僕は宗教家でもないのでそれも言えない。


 −吉本さんはしばしば好きな言葉として、高村光太郎の「死ねば死にきり」というのをあげられていますが、これは要するに人間は死ぬものだと、従って死のことなんか考えなくてもいいんだというようなこととは違うわけでしょうか。「死ねば死にきり」というのはどういう意味かちょっと。


E

 要するに、一つはもちろんあの世とか浄土、天国、そういうものはないよということが重要なことではないでしょうか。「死ねば死にきり 自然は水際立っている」という二行で、後の自然は水際立っている」というのが、とても高村光太郎の自然観、自然概念の重要なところではないでしょうか。
つまり、毛沢東流に言えば自然には勝てませんと言っているのと同じで、浄土で再び生きるというようなことは一切無用であるし、ない。そういうことに対して自然がそういうふうにできているということを、「自然は水際立っている」というもう一行で言っています。これは奥さんが亡くなったときのものですが、そういうことを言っています。それは宗教家でもない認識にとっては重要な、大変いい考え方ではないかと思います。

                         (P247−P249)










項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日
406 数百万年の人類史 第四部 死
第二章対処
インタビュー 老いの超え方 朝日新聞社 2006.5.30

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数百万年の人類史
項目
1

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 なぜそういうふうに考えるかというと、結局、病人の表情や態度を見て、結局、病人の表情や態度を見て、苦しんでいると思ったとしても、その思い方は簡単な客観性のお手本みたいなもので、そんなことはおまえに分かるかと言うと、それは分からないと思います。いかに医者だといえども、もう医学的にやることはないということは専門家だから分かっていますが、安楽死という生死の問題に関与すると間違うと、僕はそう思います。科学的と称しても、そういう科学的は本当の科学的ではないと理解します。
人間の生死に余計な介入をしないほうがいいと考えます。
 でも、歴史的にたどっていくと、だんだん駄目になっています。つまり、原始キリスト教や原始仏教の聖書や仏典は、今でも読むと立派なものだ、到底われわれにはこういうことは考えられないみたいなことが書かれています。
仮に、文明史というのを歴史というのではなくて、もっと広く数百万年の人類史ということを考えた場合に、これは相当堕落しています。現世の聖人君子が編み出した宗教というのは、かなり堕落しています。われわれから見ると大変なものだと思いますが、人類史全体から見ると、相当堕落した考え方です。
 もっとすごい、例えばメキシコでもインドでもいい、そこの修行者みたいな宗教家の死生観はすごい、これが本当だと。今の観点から本当というのではなくて、このほうがすごいというものです。仏教では輪廻転生という考え方があって、魂は死んだらどこか近くの島なら島にとどまって、水浴びしている女の人のおなかの中に入ってまた子どもが生まれる、それがジュニアだと考えています。そうすると、輪廻転生といってもこの世ではちっともいいことがないではないかというのがあって、それを断ち切るために、輪廻転生しないで死ねばすぐ浄土というふうに考えるべきではないかというのが出てきて、それが原始仏教の元になっています。キリスト教でも同じです。
 でも、もっと前までさかのぼったときの考え方は素晴らしいですよ。そういうのを研究した人は日本では、例えば中沢新一という人がいます。・・・・・・・略・・・・・・・・・
人類史は、猿から分かれて数百万年の歴史がありますが、そこから人類史を考えると、文化史を歴史と考えるよりもはるか以前の状態から伝統的に受け継いで、そのときの精神状態から繰り返し修練でやっている宗教家がいる。そういう人のところへ文明国の人間が行って話を聞いても野次馬みたいなもので、客観的なだけです。ともかく初歩的なことからやってみろとやらされる、それ以外に知る方法がないのでやってみる。
 そうすると、死が怖いか怖くないかというのは人間の死とは何かというと、あるときぴょんと跳躍した世界で生きるという言い方をしています。救済などは全然考えていませんが、死ぬということはぴょんと跳躍して別の世界に移ること、つまり少しも死という概念が入ってこない。そのほうが、人類史をさかのぼるほど立派でいいなと思いました。そういう研究はヨーロッパのほうが先で、日本にも三冊ほど翻訳書が出ています。中沢新一の『チベットのモーツァルト』にもそういうことが出ています。
宗教の発生や聖人君子の発生は文化史の問題で、そういう歴史の問題、人類史の問題ではないと思えるほど、見事なものです。 ただ知識として教わってもしょうがないし、向こうも教えない、ちゃんと修行しろと言われる。どんな修行をしているかというと、例えば人間の目は百八〇度をちょっと超えるぐらいまでは見えても、あとは見えないと思っているのは大間違いで、全部見えるような修行とかです。そういうあらゆる感覚が拡大して、それでも死や生とは言わない、生死の概念はありません。文化史時代の宗教の元祖が生死の概念を作る以前のほうが、はるかにすごくて、これは本当だと思わせます。
 そういうことを考えると、ホスピスや安楽死というのは、もう下の下、堕落の極地(
ママ)みたいな考え方だと、どうしてもなります。医学が介入すべきではない。科学というのは一番新しい宗教ですが、正確に科学的に言えるものは大変少なくて、たいていは医学のある分野で専門家だというだけで、人間全体についての専門家ではありません。ましてや、人間が消滅するかどうかということについて医者が出張ってくるというのは、今の科学宗教の結果です。それが法律と関係するとそうなっている。でも、死はそんなちゃちなものではないみたいなことは言えます。

                         (P256−P259)







 (備考)









項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日
408 自己表出と指示表出で織られた言葉 第一章
 言葉と情感
論文 中学生のための社会科 市井文学 2005.3.1

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暗記不要の国文法 国際的にもどこの言葉にも使える文法 言語はすべて自己表出と指示表出の両者の織物で、その度合いが違うだけだとみなす
項目
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 暗記しなくてもいい国文法であり、国際的にもどこの言葉にも使える文法は作れないかといつも考えさせられた。わたしが考えた
暗記不要の国文法の入口のところだけをやさしく述べてみよう。もちろん国文法だけでなく、どこの種族語、民族語にも使えるし、中学生にも専門の文法学者にも使えるはずだとおもっている。
 まず、
すべての言葉は、「自己表出」と「指示表出」をタテ糸とヨコ糸として織られた織物だとみなすことにする。少し説明する。ここで「自己表出」というのをやさしく解説する。
 例えば、きれいな花が咲いているのを見て「きれいな花だ」とか「ああ、きれいだ」と思わずつぶやいたり、心のなかだけで言葉にならず感嘆したとする。もちろん大声で叫んで傍にいる人々が視線の方向を見た場合でもいい。この場合、
他人に伝達するために「きれいな花だ」といったのではなく、思わずその言葉を発したり、内心にいいきかせたり、つぶやいたりしたことだけは共通で確かなことだ。言葉のもつこの側面を「自己表出」と名づける。
 「指示表出」というのはこの場合、自分だけにしかわからない場合も、傍にいる人々に花の方に視線を集めさせた場合も、自分または他人に花を指示させたことは確かである。言葉のもつこの側面を「指示表出」と呼ぶ。
するとすべての言葉は「自己表出」と「指示表出」の度合いに違いがあるが、「指示」の目的が多くて「自己表出」の度合いはそれほど大きくないとか、その反対だとかということができる。
 極端に考えると、数字は「指示表出」だけ。胃が痛いのを「痛い」とおもっただけで他人には全くわからなかった場合には「自己表出」だけと考えられるかもしれない。
けれどこまかく見れば「3プラス5は8」を暗算するのと、声に出すのと、ノートに記すのとは「自己表出」の度合いが違っている。胃が痛いと内心でつぶやくのと、沈黙のままでいるのとは「指示表出」の度合いが違う。だから言語はすべてこの両者の織物で、その度合いが違うだけだとみなすのが妥当だといえよう。するとすべての言葉は「自己表出」をタテ軸に「指示表出」をヨコ軸にとると次のように表すことができる。


   (註 『言語にとって美とはなにか』に掲載された図表と異なっている)

 助詞(てにをは)の場合はどう考えるべきだろうか。例えば、

      私は掃除した。
      私が掃除した。

 この二つの文を比較してみよう。「私は」「私が」の助詞「は」と「が」はどう考えたらよいか。二つの助詞の相違はよくわかるとおもう。「私は」の場合やさしい言い方では他の人も掃除したかもしれないが、何はともあれ自分は掃除したという意味にとれる。「私が」の場合は、掃除をやったのは自分だということを特に強調した意味にとれよう。助詞「は」と「が」は品詞としては
おなじ「自己表出」の位置にありながら「指示表出」としてははっきり違う意味を与えている。
                         (P51−P56)









 (備考)

上の品詞の図表では、『言語にとって美とはなにか』掲載の図表と違って、「動詞」が上の方にくり上がっている。

自己表出と指示表出を二つの基軸とする言葉の捉え方は、どこの地域の言葉にも適用できることが言われている。このことは、『言語にとって美とはなにか』が人間の言葉の発生(起源論)から始められているから、当然の帰結ではある。


「極端に考えると、数字は「指示表出」だけ。胃が痛いのを「痛い」とおもっただけで他人には全くわからなかった場合には「自己表出」だけと考えられるかもしれない。けれどこまかく見れば「3プラス5は8」を暗算するのと、声に出すのと、ノートに記すのとは「自己表出」の度合いが違っている。胃が痛いと内心でつぶやくのと、沈黙のままでいるのとは「指示表出」の度合いが違う。だから言語はすべてこの両者の織物で、その度合いが違うだけだとみなすのが妥当だといえよう。」という言葉は、わたしたちにいろいろと具体的に考えてみる材料を提供している。











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