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1 | 転向 | 282 | 大衆的な課題 | |
2 | 転向 | 301 | 旅の概念 | |
7 | 地下鉄サリン事件 | 304 | 同時多発テロと戦争 | |
9 | 1972年の大転換 | 306 | デフレはわるいことじゃない | |
10 | 超資本主義 | 311 | 太宰治 | |
50 | 大衆 | 318 | 大衆 | |
52 | 大衆の原像 | 321 | 大修正 | |
59 | 大衆の原像 | 322 | 太宰治 | |
60 | 党派性の止揚 | 339 | 第三次産業病 | |
65 | 治療方法 | 341 | 愉しいこと | |
66 | 沈黙 | 365 | 大衆の原像 | |
67 | 沈黙の有意味性 | 370 | 中流意識の理念化 | |
68 | 沈黙の有意味性 | 375 | 転向 | |
78 | 大衆 | 385 | 「段階」という概念@ | |
85 | 大衆の原像 | 386 | 「段階」という概念A | |
99 | 沈黙の言語的意味 | 391 | 大家について | |
100 | 道徳の発生 | 392 | 食べ物 | |
151 | 超概念 | 396 | 沈黙 | |
154 | 抽象 | 397 | 超人間 | |
160 | 地平線 | |||
224 | ただ未来にむけて放つこと | |||
228 | 知的な部分をどう越えるか | |||
230 | 知識と大衆 | |||
236 | タブーの起源 | |||
277 | デカダンス |
項目ID | 項目 | 論名 | 形式 | 初出 | 所収 | 出版社 | 発行日 | 抜粋したテキスト |
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1 | 転向 | 転向論 | 論文 | 芸術的抵抗と挫折 | 未来社 | 宗教の最終のすがた |
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総体のビジョン | 「段階」という概念 | 認識に即した思考変換 |
項目抜粋 1 |
@ わたしの欲求からは、転向とはなにを意味するかは、明瞭である。それは、日本の近代社会の構造を、総体のヴィジョンとしてつかまえそこなったために、インテリゲンチャの間におこった思考変換をさしている。したがって、日本の社会の劣悪な条件にたいする思想的な妥協、屈服、屈折のほかに、優性遺伝の総体である伝統にたいする思想的無関心と屈服は、もちろん転向問題のたいせつな核心の一つとなってくる。 (P42) |
項目抜粋 2 |
@芹沢俊介 ●さてその転向概念ですが、まず五五年ごろの「転向論」では、社会概念を総体のヴィジョンとしてつかまえることに失敗したときに生じる思考転換を「転向」と呼びました。非常に単純化していうと、総体のヴィジョンというのは、自己を勘定に入れないで(疎外して)社会を外側から見たばあいと、自己を投入したばあいの二つの社会ヴィジョンのことです。この間の誤差をどう認識するか、という問題が吉本さんの重要なテーマになっていました。 たとえば村山首相は、この型の「転向」の典型的な例といえます。 ●これにたいして、九〇年に出された「世界転向論」では、吉本さんは「段階」という概念を重視されています。現在がどういう段階にあるかということがきちっと認識できていれば、そこのところではむしろ、認識に即した思考変換が完了していなくてはならない。つまり、思考転換を推し進めなくちゃいけないということを主張されているわけです。 そうすると、「段階」をどうとらえるかで、個人のレベルから党派のレベル、あるいは国家のレベルまで全部、「世界転向」のなかに入ってしまいますね。つまり社会構造を総体のヴィジョンとしてつかまえるという古典的な転向概念は、「段階」をどう認識するかというところへ吸収できるということになりますね。 (「宗教の最終のすがた」 春秋社 1996.7.20 P43-44) |
項目ID | 項目 | 論名 | 形式 | 初出 | 所収 | 出版社 | 発行日 | 抜粋したテキスト |
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2 | 転向 | 世界転向論 | 論文 | 大状況論 | 弓立社 | 宗教の最終のすがた |
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段階概念 | 西欧的とアジア的とアフリカ的という三つの段階概念 | この段階概念に対応するのは |
項目抜粋 1 |
@もし現在この「転向論」の概念をひろげて、昨年来のソ連・東欧などの社会主義圏でおこっている根本的な激動とアクシス喪失現象のあとでも、そのまま通用できる転向の概念をつくるとすれば、「日本の近代社会の構造」の代りに「現代の世界の構造」を置きかえればよいことになる。そして現在、ソ連や東欧をはじめ世界の社会主義圏や資本主義圏で共産主義者や共産党員や同伴のインテリゲンチャのあいだにおこっている思考変換や思考の無変換、耻しらずな居直りなどは、転向の特殊な一形態だとみなせばよいことになる。わたしは旧稿で「封建的な遺制」とか「優性遺伝の総体である伝統」とかいう言葉をつかっている。現在の世界の構造をいうばあいには、西欧的とアジア的とアフリカ的という三つの段階概念におきかえることが、さしあたり必要になってくる。そしてたしかでない心理的モチーフなどを排除したあとでこの段階概念に対応するのは、第一次産業(農業・漁業・林業など自然を整序することで成り立つ産業)、第二次産業(製造業・建設業など自然を加工変成することで成り立つ産業)、第三次産業(サービス業・流通業など物の生成や加工変成とかかわりない物の扱い方自体の産業)のうち、その社会の主要部をなす産業がどれか、あるいは第一次産業以前の第零次産業(採集生産)を主要部とするかどうかといった配置だということができよう。 (P43) |
備 考 |
参考のため、時間を入れておくと、 ・吉本隆明「転向論」1958年12月 ベルリンの壁の崩壊 1989年11月 ソ連邦の崩壊 1991年12月 ・『宗教の最終のすがた』1996年7月 |
項目ID | 項目 | 論名 | 形式 | 初出 | 所収 | 出版社 | 発行日 | 抜粋したテキスト |
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7 | 地下鉄サリン事件 | 親鸞の造悪論 | 講演 | 宗教の最終のすがた | 1996/07/20 | 宗教の最終のすがた |
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無関係である人たちを殺傷する | 殺し方 | オウム-サリン事件のいちばん重要なところ |
項目 抜粋 1 |
@ この地下鉄サリン事件(註.1)は宗教的、イデオロギー的、あるいは政治的対立のなかにまったく無関係である人たちを殺傷するということです。つまり、殺すかもしれないということを前提として、あの地下鉄にサリンを撒いたということです。ぜんぜん罪もなにもないという人は、たまたまその地下鉄に乗り合わせたために殺されちゃった。そのことがいちばん重要なんです。つまり、殺戮といいますけど、人を殺すという、あるいは人を憎悪する果てに殺すというばあいのその殺し方を、原子爆弾とおなじような次元に、つまり無関係な人がかならず殺される範囲に入ってくる、そういう規模をもたらすような殺傷といいますか、殺し方をやっちゃったということが重要なんです。そういうことがほんとはオウム-サリン事件のいちばん重要なところです。(P199) |
備 考 |
(備考) (註.1) 「地下鉄サリン事件とは、1995年(平成7年)3月20日に、東京都で発生した同時多発テロ事件である。」(『ウィキペディア(Wikipedia)』) この「政治的対立のなかにまったく無関係である人たちを殺傷するということ」は、たぶん持続的に考え継がれて、地下鉄サリン事件と同質性を持つ2001年9月11日のアメリカでのテロ事件の後、吉本隆明・加藤典洋の対談「存在倫理について」 (群像 2002年1月号) (対談日は 2001 年 11 月 1 日)で〈存在倫理〉という概念として湧き出てきたものと思われる。 |
項目ID | 項目 | 論名 | 形式 | 初出 | 所収 | 出版社 | 発行日 |
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9 | 1972年の大転換 | わが「転向」論 | インタビュー | 文藝春秋1994年1月号 | わが「転向」 | 文藝春秋 | 1995/02/20 |
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大衆の原像ということが年来の思想のカギでした | 「大衆」と呼ばれてきた層が、日本の社会の中枢を占めるようになったのではないかという認識 | 「マス・イメージ論」や「ハイ・イメージ論」 |
項目 抜粋 1 |
@ 僕らはそれとは逆で、大衆の原像ということが年来の思想のカギでした。僕が旧来の「左翼」思想と訣別したところがあるとすれば、「大衆」と呼ばれてきた層が、日本の社会の中枢を占めるようになったのではないかという認識から始まった、と単純化していっていいぐらいです。 八〇年代に入って、六〇年から八〇年のどこかでとても顕著な日本社会の大転換のピークがあったと思えてきました。どこでどんな変化をしたのかはなかなかわからなかったのですが、この変化が社会・文化・経済といったものを根底から変えたのではないか、という考え方が頭をもたげてきました。それがはっきりしだしたのは、いまから六、七年前でしょうか。 具体的なきっかけになった兆候はいくつかあります。文化面でいえば、評論の泉麻人、小説の田中康夫、高橋源一郎といった、いわゆる「新人類」的とよばれた人たちが出てきたことですね。 ・・・・彼らのかいたものは軽文学と言ったらいいか、深刻なところが何もないし、もちろんイデオロギーには固執するほどの関心もなく、スイスイ感覚をひろげている。 しかも文字表現を主体にした知識や教養と、映像や音楽に基づく知識や教養がほぼ同じ重さに扱われていたことも不思議でした。 ・・・・文学、映画、テレビと、全てにわたって軽さ、明るさの感性が充満してきた、こうした新しい世代が発生した理由をどうしてもつかめませんでした。彼らがどんどん出てくるような社会の基盤はいったい何か、ということが気になってきたんです。 ・・・・それまで僕は、太宰治の小説「右大臣実朝」にある「人間というのは暗いうちは亡びない、明るいのは亡びの姿だ」という言葉が好きで、それに固執し、そこを掘り下げていけば大丈夫だと思っていました。しかし彼らの明るさ、軽さを「亡びの姿」で片付け、きちんと分析をしなかったなら、この時代では使いものにならないようにおもえてきたのです。 そこでまず彼らが出現するようになった時代の変化とは何かを、文化的にだけでなく、経済、社会的な面からも考えようとしました。 旧来のロシア的「左翼」の出発点と重点は、ひと口に要約すれば「都市と農村の対立」「農業と工業の対立という着眼点に帰着します。(P14-P17) |
項目抜粋 2 |
A 七二年が一つの転換期だときづいたことによって、僕の仕事の方向もはっきりしてきました。 一つは大衆文化を本気に論評しようということ、もう一つが都市論をキチンと考えようということです。 ・・・・さきほど申しましたように、いまの都市は工業都市ではなく、第三次産業都市というか、「超都市」になっています。この、都市から超都市へ移っていく過程をキチンと論評しなくてはいけないと意識し始めたんですね。僕の著書としては、大衆文化論にあたるのが「マス・イメージ論」であり、超都市論は「ハイ・イメージ論」の中で、これはまだ完結していませんが、正面から論評してみようと試みたわけです。これらは、「共同幻想論」の続きとなっており、「共同幻想論」が、共同体のあり方を過去に遡って論じてみたとすれば、「マス・イメージ論」や「ハイ・イメージ論」は、現在から未来への共同体のあり方を把握しようとしたものです。 多分、そこが旧来の左翼と僕らの分かれ道になったのです。 ・・・・ですから、僕は「転向」したわけでも、左翼から右翼になったわけでもない。旧来の「左翼」が成り立たない以上、そういう左翼性は持たないというだけです。(P19-P21) ・・・・極論すれば、「左翼」という言葉自体も必要ないんじゃないか。(P25) |
備 考 |
(備考) @、現在から振り返れば、おそらく、社会の大きな変貌が、若い世代の感性や行動の無意識的な自然性と吉本さんの世代の古い感性や行動の無意識的な自然性とを対立させるように、大きな軋みを立てていたのだろうと思われる。 A、全共闘以後の世代であるわたしたちの世代にとっては、おそらく「左翼性」ということは何ほどのことでもなかったと思われるが、吉本さんは「超左翼」と言ってみたり、「究極の左翼性」と言ってみたり、なかなか「左翼性」ということをふっきられないなと思ったことがある。ここでは「左翼性」の無化が示唆されている。吉本さんのこの「大転換」の認識は、例えば吉本さんの今までの明るさ暗さの認識も無効化するほどのものであり、吉本さんの社会総体のイメージの獲得にとっても、大転換であったように見える。 |
項目ID | 項目 | 論名 | 形式 | 初出 | 所収 | 出版社 | 発行日 |
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10 | 超資本主義 | 日本における革命の可能性 | インタビュー | 週間プレイボーイ1994年11月 | わが「転向」 | 文藝春秋 | 1995/02/20 |
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日本で言えば一九七二年前後から | 産業の構成の大きな変化 | 消費資本主義 |
項目 抜粋 1 |
@ ところで、日本で言えば一九七二年前後からですが、産業の構成に大きな変化が起こったことを前提にしなければ、とらえにくい段階に世界の先進資本主義は入ってきました。それは第三次産業ー流通、サービス、教育、医療など、つまりモノを実体的に作りだす側の産業ではなく、モノを消費していく側の産業が、国民総生産の五〇パーセントを超え、またその就業者数も、全体の労働者やサラリーマンの半数以上に達するという事態が起こったことです。 そしてもう一つ、個人消費が国民所得の六割から七割の間を占めるようになりました。しかもその個人消費のうち、半分以上が、光熱費や家賃といった日常不可欠のひつ必需消費ではなく、その都度の嗜好にあわせて買っても買わなくてもかまわないという、選択消費にあてられるようになりました。 この変化がいったい何を意味するのか?それは、従来の資本主義が生産本位のものであったのに対して、現在の資本主義はむしろ消費本位とも言うべき産業形態に再編され、高度化した、ということではないかと思います。この高度化した資本主義を、僕らは超資本主義、あるいは消費資本主義と名づけることにしています。(P35-P36) ・・・・しかし、現在では、製造業に従事する人たちの数は、労働人口全体の半数以下、三割程度にすぎないのです。 (P37) |
項目 抜粋 2 |
A 個人消費が回復しなければ、不況からの脱出は不可能だと言えます。 ・・・・個人消費が経済を支えると言う点から見れば、バブルは日本経済に貴重なおみやげを残していってくれたと言っていいでしょう。 ・・・・ところが、バブル以降、実体的な価格の信憑性か失われてしまった。製造過程から決まってくる値段には、一定の限界があるはずだったのに、それを超えていくらでも高くできるし、安くもできるということに、初めて消費者は気づいてしまった。 ・・・・マルクスが言ったように、価格は製造過程や労働価値から決まるというのではなくて、いわば消費過程によって価格が決定できるようになった。この変化が重大です。これもまた消費資本主義、超資本主義の段階に突入したことの、一つの証左ですね。(P40-P42) B したがって表現を変えますと、僕らはいつでも政府をリコールできるということです。気にくわない政府なら、いつでもぶっつぶせる。無駄遣いを一時的にやめればいいだけの話なのですから。(P45) C 今必要なのは、消費資本主義の段階にふさわしい、新しい善悪観、倫理観をつくることです。 (P68) |
備 考 |
(備考) 以上のような吉本さんが指摘し露出させた社会の大変貌と対応するように、わたしたちは、慌ただしく、余裕のない社会を生きているなという気がする。わたしたちや社会の無意識的な層がどうなっているかという問題と関わりがあるはずだが、現象的には痛ましい家族関係の事件などが表面化している。おそらく、社会関係の負の圧力が以前にもなく高まってきているせいも大きいのだと思う。 Bは、自分あるいは家族の「生活防衛」という形で、大衆の無意識的な行動として実践されている。これを意識的なものとして打ち出すのは、大変だなという気がしている。なぜなら、そのことに先進国のどこも気づかないような現状であり、また、社会運動の中の古びた組織論や運動論などを吹っ切って、新たな「消費資本主義」社会の事態に対応する新たな場に立とうとすることが必須だからである。 |
項目ID | 項目 | 論名 | 形式 | 初出 | 所収 | 出版社 | 発行日 |
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50 | 大衆 | 海老すきと小魚すき | 論文 | 「民話」1959.9 | 吉本隆明全著作集4 | 勁草書房 | 1969/04/25 |
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大衆のコトバ | 大衆の思想の運命 |
項目抜粋 1 |
@ 大衆のコトバはその生活過程で思想を形成しても、表現のほうへはゆかずに、現実の生活過程のほうへかえってゆくこともある。大衆の思想の運命は、いつも表現にならずに現実の生活過程にかえっては、ふたたび生活をおしすすめるところに本性がある。 (P565) |
項目ID | 項目 | 論名 | 形式 | 初出 | 所収 | 出版社 | 発行日 |
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52 | 大衆の原像 | 文芸的な、余りに文芸的な | 論文 | 「三田文学」1968.5 | 吉本隆明全著作集4 | 勁草書房 | 1969/04/25 |
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生活者の眼 | 実在の生活者とはかかわりない |
項目抜粋 1 |
@ わたしにとってわたしの文学をたえず批判しているものがあるとすれば、・・・・じつに文学とは何のかかわりもない、ましてやわたしの書くものなど読んだこともないという条件によって区別された生活者の眼である。こういう生活者の眼はもちろんわたしが勝手に想定したもので、実在の生活者とはかかわりないと云ってもいい。こういう生活者の眼はわたしに何を囁きかけるか? わたしはその囁きは窮乏を奨めているように聴える。窮乏というのは文芸的に、あまりに文芸的に云えば<関係>の窮乏ということで、物質的な窮乏か否かを指してはいない。<モシオマエガ文学ヲヤルナラ関係ノ貧シサニ耐エルベキダ、ソウデナケレバオマエハ失ウベキ何モノカヲモツコトニナル> なぜ、生活者の眼はこういうことをわたしに囁くのか。これにはたくさんの由緒があるが、そのうちのひとつは、窮乏ということが人間を苦しめるとすれば、金銭や食物の飢えという即物的なこともさることながら、関係の飢えや窮乏であるということを信じているからである。(P666) |
項目抜粋 2 |
項目ID | 項目 | 論名 | 形式 | 初出 | 所収 | 出版社 | 発行日 |
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59 | 大衆の原像 | 思想の基準をめぐってーいくつかの本質的な問題ー | インタビュー | どこに思想の根拠をおくか | 築摩書房 | 1972/05/25 |
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社会的存在としての自然基底 | 歴史の究極のすがた |
項目抜粋 1 |
@ 大衆は、その<常民>性を問題にするかぎり、その時代の権力に、過不足なく包括されてしまう存在です。だから大衆的であること自体はなにも物神化すべき意味はないとおもいます。そしてこのような存在であることは、そのままその時代の権力を超えてしまう可能性に開かれている存在であることを意味しています。つまり権力に抗いうる可能性というよりも<権力に包括され過ぎてしまう>という意味で、権力を超える契機をもっている存在だということです。だからあらゆる<政治的な革命>は、大衆の<され過ぎてしまう>から例外なく始動されてゆきます。終りを全うするか、<過不足なく包括される>ところに還ってしまうかは、このような大衆の存在自体からはなにも出てこないこともあきらかなのですが。(P9-P10) A このような大衆の存在可能性を、<原像>とかんがえれば、そこに価値のアルファとオメガをおくよりほか、ありえないとおもいます。一般にこのような価値観が存在権をもちえないのは、いくつかの理由があります。ひとつはこのような大衆は、知識を与えるべき存在とみなされているからです。政治的に扱われても、文化的に扱われても、このような大衆は啓蒙さるべき存在とみなされています。・・・・なぜならば、人々はずっと以前から、このような過程を、大衆の<造りかえ>の過程とみなしてきたからです。しかし、これは何ら<造りかえ>の過程ではなく、人間の観念作用にとっては<自然>過程にしかすぎません。つまり、ほっておいても、遅かれ早かれそうなる過程という以上の意味はありません。人間の観念にとって、真に志向すべき方向への自覚的な過程は、逆に、大衆の<原像>(社会的存在としての自然基底)を包括すべく接近し、この<原像>を社会的存在としての自然な基底というところから、有意味化された価値基底というところへ転倒することにあるようにおもわれます。(P10) |
項目抜粋 2 |
B 人間の生き方、存在は等価だとすれば、その等価の基準は、大衆の<常民>的な存在の仕方にあるとおもいます。しかし、この大衆の<常民>性を、知識の空間的な拡大の方向に連れ出すのではなく、観念の自覚的な志向性として、この等価の基準に向かって逆に接近しようとする課題を課したとき、この等価の基準は、価値の極限の<像>へと転化します。これは実感的にも体験できます。一般的には、生まれ、成長し、婚姻し、子を生み、老い、死に、その間に風波もなく生活し、予め計算できる賃金を獲得し、子に背反され老いるという生涯について、人々は<空しい生>の代名詞として使おうとします。けれど、経験的には、こういう云い方は虚偽であることがわかります。人間の生涯の曲線は、どんな時代でも、こういう平坦な生き方を許しません。大なり小なり波瀾はどこにでも転がっていて、個人の生涯に立ち塞がってきます。だから、人間は大なり小なり平坦な生き方の<原像>からの逸脱としてしか生きられません。この逸脱は、まず、生活圏からの知的な逸脱としてあらわれ、また、強いられた生存の仕方の逸脱としてあらわれます。そうだとすればねかってどんな人間も生きたことのない<原像>は、価値観の収斂する場所として想定してよいのではないでしょうか。(P11) C 歴史の究極のすがたは、平坦な生涯を<持つ>人々に、権威と権力を収斂させることだ、という平坦な事実に帰せられます。しかし、そこへの道程が、どんな倒錯と困難と殺伐さと奇怪さに充ちているか、は想像を絶するほどです。(P11) |
項目ID | 項目 | 論名 | 形式 | 初出 | 所収 | 出版社 | 発行日 |
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60 | 党派性の止揚 | 思想の基準をめぐってーいくつかの本質的な問題ー | インタビュー | どこに思想の根拠をおくか | 築摩書房 | 1972/05/25 |
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人間の観念がうみだす総体の世界 | 思想 |
項目抜粋 1 |
@大衆が国家を<棄揚>するためには、知識人を模倣することをやめるほかないとおもわれました。知識人を模倣することをやめた大衆は、その知的な関心をどの方向に向ければよろしいのでしょうか。いうまでもなくその<生活圏>自体の考察へであって、どんな政治的な、あるいは知識的な上昇へ、ではありません。 「党派性の止揚という問題」に関連して、わたしが考えたことは、おおざっぱにいえばふたつの方向がありますが、そのひとつは、いま申述べたところに帰します。この方向をつきつめていったとき、どんな問題がでてくるのでしょうか。<閉じられた>共同性から、たえず<大衆の原像>を繰りこんだ<開かれた>共同性へ、ということです。もうひとつは、「価値」そのものの転倒が、<大衆の原像>を志向するというその思想性にあります。この現実的な意味について、あらためて述べることはいらないとおもいます。(P16) Aところで「党派性」の「止揚」ということについて、さきに、ふたつの方向にかんがえていったと云いましたが、先程とちがったもうひとつの方向は、人間の観念のうみだす総体の世界をおさえ切るということでした。・・・・人間の観念がうみだす総体の世界をおさえ切るということが、それだけで人間を救済するわけではないでしょう。しかし、<結節点>においてそれぞれ異なった次元を構成する観念の総体をおさえるということは、それをのっぺらぼうの世界とみなすことからくるすべての錯誤から、人間を脱出させることは確かです。そして錯誤から脱出するということは、すくなくとも現在の課題としては、ほとんどすべての課題の発端であるとおもいます。(P19-P20) |
項目抜粋 2 |
Bもともと<思想>という言葉は「日常」生活にまつわる思想のレベルから、世界にたいする思想のレベルまでを包括する概念に対応します。<党派性>という概念は、ただ<場所>に<深さ>を収斂させたときに考えられるものでしょう。だからあらゆる<党派性>の核心をなしているのは、<信念>というような曖昧なところに収斂しやすいのだとおもいます。それだから、人間の幻想領域の次元の異なった位相を<認識>するということは、それだけで<党派性の止揚>になっている<党派性>であるとは云えないでしょうが、<信念>というような曖昧なものに収斂してしまうものを、<認識>に転化させるという意味では、<党派性>の<止揚>への<開かれた可能性>をもつとだけはいえるのではないでしょうか。 Cところで<思想>が個人によって担われる場合は、政治思想であれ、文学思想であれ、事情は少しくちがいます。かれは<間違える>ことを許されない微かな道を、いつも開拓するほかないのです。もちろん、思想の<変化>は許容されるでしょう。しかし、その<変化>の過程は、明瞭に客観的にたどれるものでなければならないのです。(P21) |
項目ID | 項目 | 論名 | 形式 | 初出 | 所収 | 出版社 | 発行日 |
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65 | 治療方法 | 性についての断章 | 論文 | 「人間の科学」1964.5 | 吉本隆明全著作集4 | 勁草書房 | 1969/04/25 |
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心的な過程の追体験 |
項目抜粋 1 |
@もしわたしが、神経症の症候をフロイトのように治療方法にむすびつけるとすれば、やはり一種の心的な過程の追体験を、きわめて<自然>の意識によって自己追跡させるように誘導するという方法を妥当とみとめざるをえないだろう。なぜならば、何ら自己の意志や責任なしに、すでにある社会のある環境のなかに生誕してしまった個体の過去史の病因は、ただ、これを<自然>の意識として追体験させることによってしか救抜されないことは、自明だからである。ただし、この方法が成立するためには、人間の<性>における<自然>と<存在>とのあいだの「構造」が、まったくばらばらで個人によって異なっているものであるというフロイトの思想が意識しなかった前提がひつようなのである。わたしならば、ひとつの時代症候の項をぜひともこの追体験の心的な過程に挿入するだろう。しかし、エンゲルスのようにではなく、この個体の心的過程と時代症候の心的な過程との切点においてのみ、神経症の心的過程を再現し、一時的に、だがくりかえして追体験させようとつとめるだろう。(P432) |
項目抜粋 2 |
項目ID | 項目 | 論名 | 形式 | 初出 | 所収 | 出版社 | 発行日 |
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66 | 沈黙 | 沈黙の有意味性について | 論文 | 「ことばの宇宙」1967.12 | 吉本隆明全著作集4 | 勁草書房 | 1969/04/25 |
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マタイ伝 | <発語>という水準 |
項目抜粋 1 |
@<沈黙>のもっている意味の重さをかんがえるとき、わたしはすぐにマタイ伝のなかのひとつの挿話をおもいおこす。(P434) Aペテロが前日、師イエスにむかって、わたしはあなたを裏切るようなことはありませんと告げたとき、ペテロはたんにイエスにたいする信仰を告白したにすぎず、ペテロの言葉をとりまいている情況は<無>にひとしいものであった。しかし人間が喋言ったこととちがうことを実現してしまうためには現実の方からある必然の契機が加担しなければならない。そしてある意味からは、人間はかならず語ったことばとは別のことを実現してしまうような存在本質である。(P435-P436) Bしかし、<言語>という概念をある特定の個体が表現したもの、いいかえれば<発語>という水準でかんがえたばあい、<沈黙>とはただたんに<なんでもないこと>ではなく、ある意味をもって存在しているとかんがえなければならない。いいかえれば、<言語>を<発語>という水準でかんがえはじめるやいなや、<沈黙>は有意味化される。このことは見やすい道理である。たとえば、わたしたちがある<行為>について他人から面罵されているとき、切りかえすべきたくさんの理由をもち、衝くべき反駁の言葉をもちながら<沈黙>していたとすれば、このばあいの<沈黙>は意味によって充たされている。また、ある<社会的事件>について大衆が言うべきたくさんの言葉をもちながら、社会的<沈黙>としてしかみえないとしたら、この<沈黙>には社会的な意味があるとかんがえることができるものである。・・・・しかし、思想家は啓蒙家とちがって<沈黙に耳を傾けうるもの>あるいは<沈黙の意味を了解するもの>である。だから真の思想家であるための最小限度の資質は、大衆の<沈黙>を了解し、これを組織しうるものであるということができる。(P436-P437) |
項目抜粋 2 |
項目ID | 項目 | 論名 | 形式 | 初出 | 所収 | 出版社 | 発行日 |
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67 | 沈黙の有意味性 | 沈黙の有意味性について | 論文 | 「ことばの宇宙」1967.12 | 吉本隆明全著作集4 | 勁草書房 | 1969/04/25 |
検索キー2 | 検索キー3 | 検索キー4 |
了解の時間化度 | 関係の空間化度 |
項目抜粋 1 |
@ 彼は沈黙している。 はじめにこの<発語>が成立するために、<彼>からはじまって<る>にいたるまで一定の自然的時間(三秒か四秒)がながれるとかんがえることができる。しかし、この自然時間の流れはけっして単色ではない。人称名詞<彼>と助詞<は>のあいだにも、<は>と抽象名詞<沈黙>のあいだにも・・・・・・<句切り>としての緩急の異った時間が介在している。・・・・ Aつぎにこの<発語>脈を内的意識のもんだいとしてかんがえてみよう。 「彼は沈黙している。」という<発語>脈が成立するためには、<発語>した個体のなかで<彼>という概念の水準と<は>という概念の水準と、<沈黙>という概念の水準と、・・・・・・が、いいかえれば、それぞれの<詞>と<辞>がそれぞれ異った位相にあるものとして<わたし>に了解されていなければならない。このそれぞれの概念の水準は計量的でないかもしれないが、それぞれ異っているということだけは疑いようがないのである。 それと同時に<彼>と<は>のあいだ、<は>と<沈黙>のあいだ・・・・・・の<句切り>の意味は<沈黙すること>という概念に有意味的に転化される。いいかえれば、 沈黙 沈黙 沈黙 <彼>ーーー<は>ーーー<沈黙>ーーー・・・・・・ というように、意識の時間は変化して流れる異質の時間として了解されていなければならない。そして、わたしの言語理論からは<彼>という発語の概念と、<は>という発語の概念と、<沈黙>という発語の概念と、・・・・・・は、それぞれ異質の心的な了解の時間化度を根源として、<発語>されるものとされるのである。そしてこのばあい<句切り>の間にある<沈黙>の概念は、<沈黙>の言語的意味の根源をなすもので、おそらく<わたし(発語者)が現にここにいる>という自己了解の概念の心的時間化度に発祥している。 (P438-P439) |
項目抜粋 2 |
Bしかし、すぐにわかるように、これだけの理解からは<彼>のあとになぜ<は>がやってきて<沈黙>がやってこなかったか、という<順序>の意味を了解することができないだろう。言語学者は、そんなことはあたりまえで<彼>のあとに<沈黙>がやってきて、そのあとに<は>がやってきたら、文法的規範(いいかえれば民族語の共同習慣の習いおぼえ)に違反するからだとこたえるかもしれない。しかし、こういう答えは言語学的な答えになっていても、<発語>(表現された言語)にたいするこたえとはならないのである。なぜならば<わたし>を<現にここにあるもの>と解するかぎり<わたし(発語者)>にとって、本来的には<彼>のあとに<は>がやってくるべきではないという制約は存在しえないからである。だから精神病者の<発語>はしばしばこのような制約をはじめから受けつけない。 わたしたちはここでどうしても<発語>における心的な自己関係づけという概念を導入せざるをえない。いいかえれば、じぶんに対するじぶんの関係の空間化度ということである。この空間化度もまた計量的ではないとしても、<わたし(発語者)>の<彼>という発語、<は>という発語、<沈黙>という発語・・・・・・にたいする心的な空間化度はそれぞれ異っているとかんがえることができる。そしてこの対称的な空間化度は、<わたし(発語者)がここにある>というわたしのわたしにたいする場所的な空間認知に発祥しているために究極には言語にたいする心的な規範を成就させるということができる。このばあい<句切り>のあいだにかんがえる<沈黙>の心的空間化度は、ただ<わたしがここにある>という場所的なわたしの意識のわたしの存在にたいする関係づけの空間化度に根源をおいている。 そしてこのようにしてはじめて「彼は沈黙している」という発語が可能になるとかんがえられる。 こういう考察は、わたしたちに<沈黙>の言語的な意味がどこからやってくるかをおしえる。それは根源的には<わたし(発語者)が現にここにある>という時間の自己意識と、<わたし(発語者)がここにある>という空間の自己意識が同致(シンクロナイズ)されるところからきているようにみえる。(P439-P440) |
項目ID | 項目 | 論名 | 形式 | 初出 | 所収 | 出版社 | 発行日 |
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68 | 沈黙の有意味性 | 沈黙の有意味性について | 論文 | 「ことばの宇宙」1967.12 | 吉本隆明全著作集4 | 勁草書房 | 1969/04/25 |
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<発語>と<沈黙> | <沈黙>という反作用 |
項目抜粋 1 |
@<沈黙>の言語的な意味はあきらかに人間の個体が、現にここにあるという存在の仕方の根源からやってくるのだから、現にここにあるという人間の存在の仕方が有意味的であるならば、<沈黙>の言語的な意味も有意味的である。もちろん<発語>も<沈黙>とおなじところから根源的に発祥している。そうだとすれば<発語>と<沈黙>とは本来的にはおなじことではないのか。もちろんおなじことである。わたしたちは<発語>するばあいかならず<沈黙>を有意味に転化するという心的な反作用なしには<発語>自体が不可能であることを経験的に知っている。 A発語という概念はいままでみてきたとおり、個体の存在という前提をはなれては、概念自体として存在しえない。<沈黙>の言語的な意味も、まったくおなじことである。しかし、わたしたちは人間という概念をさまざまな範疇で存在しうる綜合的な存在としてつかいたいという欲求をもっている。 <発語>が個体をはなれて共同性の水準でかんがえられるとき共同規範の問題に転化する。それは民族語の文法的、音韻的などの共通性として分化や習俗や習い覚えの全体にかかわってくる。そしていわゆる<言語>学の問題が登場する。そしてこの共同規範は、<性>としての人間の関係、いいかえれば男・女の関係をかならず通過してゆくのである。ここで<発語>の共同性を<沈黙>の共同性と相伴う概念としてかんがえれば、共同規範も二重性を帯びてかんがえられてくる。(P440-P441) B・・・・なぜならば、いずれにせよ一対の男・女は、もし<発語>と<沈黙>とが相互基底的であるとすれば、いずれか一方が<発語>を背負うとすれば他の一方が<沈黙>を背負う以外にありえないというにすぎないからである。この相互関係の秘密は、乳幼児がはじめの何歳かのあいだ<発語>することができず、ある時期からきじめて<発語>が可能になるという人間にのみあらわれる存在の仕方の最初の段階にかくされているとおもえる。そして<性>としての言語はあたかも自然そのものが<沈黙>の有意味性をもっているとおなじように、おなじ程度に<沈黙>の有意味性に徹底的に近づこうとする傾向にあるということができよう。それはほとんど絶対的な<沈黙>という概念を目指しているようにさえみえる。そして人間はこの自然のような徹底的な<沈黙>の有意味性に耐ええないために、桎梏であることがわかっているの<社会>の次元に、<発語>と<沈黙>の意味を解き放とうとし、それによって必然的に自らつくった<言語>の共同性から復習それるようになったということができよう。これをもっとも露わに象徴しているのは<法>的な言語であろう。(P441-P442) |
項目抜粋 2 |
C共同規範としての<発語>と<沈黙>の関係は、<法>的な言語によってもっとも象徴的にあらわれている。だから、<法>的な言語、いいかえれば法律語の概念の水準とその拡がりを根源的に考察することによって、ある共同幻想体(たとえば国家)の水準を想定することができるものである。 このばあい、<法>的な<発語>を<沈黙>の有意味性として受けとり、体現するものは誰であろうか? それは原像として想定される<大衆>であって、それ以外のなにものでもない。原像としての<大衆>は、<法>的な発語を、いわば<沈黙>という反作用としてささえているものをさしている。この想定された<大衆>は、共同幻想の<法>的言語にただたんに服従しているのではなく、<沈黙>の有意味性として服従しているのである。だから、このような原像としての<大衆>の<沈黙>の有意味性を理解し逆倒する契機をしりえないかぎり、いかなる共同幻想も逆倒されないという課題は先験的である。 (P442-P443) Dひとはなぜ、なにによって文学者なのだろうか? わたしには、それが<沈黙>の言語的意味を理解することによってであるようにおもわれる。(P443) |
78 | 大衆 | 日本のナショナリズム | 論文 | 「現代日本思想体系4ナショナリズム」1964.6 | 吉本隆明全著作集13 | 勁草書房 | 1969/07/15 |
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吉本隆明全著作集13 政治思想評論集
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大衆と知識人 | ナショナリズム |
項目抜粋 1 |
@ 「大衆」を依然として、常住的に「話す」から「生活する」(行為する)という過程にかえるものとしてかんがえる。また、「大衆」が、この「話す」から「生活する」(行為する)という過程を、みずから下降し、意識化するとき、権力を超える高次に「自立」するものとみなす。・・・・かくして、「大衆」の原イメージは、けっしてマス・コミ下に登場しない、「マス」そのものをさす。 A このようにして、大衆のナショナルな体験と、大衆によって把握された日本の「ナショナリズム」は、再現不可能性のなかに実相があるものと見做される。このことは、大衆がそれ自体としては、すべての時代をつうじて歴史を動かす動因であったにもかかわらず、歴史そのもののなかに虚像として以外に登場しえない所以であるということができよう。しかし、ある程度これを実像として再現する道は、わたしたち自体のなかにある大衆としての生活体験と思想体験を、いわば「内観」することからはじめる以外にありえないのである。 大衆の現実上の体験思想から、ふたたび生活体験へとくりかえされて、消えて行く無意識的な「ナショナリズム」は、もっともよくその鏡を支配者の思想と支配の様式のなかに見出される。歴史のどのような時代でも、支配者が支配する方法と様式は、大衆の即自体験と体験思想を逆さにもって、大衆を抑圧する強力とすることである。(P190) B このような問題意識にたいして知識人とは、大衆の共同性から上昇的に疎外された大衆であり、おなじように支配者から下降的に疎外された大衆であるものとして機能する。わたしたちは、日本の「ナショナリズム」を、この大衆「ナショナリズム」と、そこから上昇的に疎外された知識人の「ナショナリズム」と、大衆「ナショナリズム」の逆立ちした鏡としての支配者の「ナショナリズム」に区別した位相で、つねに史的な考察の対象としなければならないのである。このような位相からは、ある時代のある文化のヒエラルキーは、大衆そのものからの、彎曲を意味している。ただこの彎曲をとおしてしか、ある時代の思想は、すすめられることはないのである。文化を主軸とすればもちろん、歴史体験を主軸とするとき、つねに大衆それ自体は、決して舞台に登場することのない主役としての存在であろうか?この問いは切実である。 歴史の動因でありながら、歴史の記述のなかにはけっして登場することのない貌が無数にある。 (P191) |
備 考 |
(備考) |
項目ID | 項目 | 論名 | 形式 | 初出 | 所収 | 出版社 | 発行日 |
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85 | 大衆の原像 | 情況とはなにか | 論文 | 「日本」1966.2-7 | 吉本隆明全著作集13 | 勁草書房 | 1969/07/15 |
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<家>の問題 | 大衆の<家>と知識人の<家> |
項目抜粋 1 |
@ もちろん、わたしはここで思想としての大衆の原像の問題は、その本質的な部分で<家>の問題に帰着するということに触れようとしているのだ。(P398) A ・・・・もしそうだとすれば、戦争時代の大衆が出征にさいして町会の面々の前で、剛毅な紋切り型の挨拶をやったということは、大衆の<家>が露に社会的な規範力のまえに、はじめて登場したことを意味するはずである。なぜならば、大衆の<家>は、軍事型の社会であろうとなかろうと、もともと国家の規範力の前に露にされることはありえないからだ。家族法や規範のまえに直にさらされるのは、いつの時代でも知識人の<家>である。おそらく、戦争時代に、内心の思いとは裏はらに、紋切り型の挨拶によって国家の規範力に形式的に応じたのは、知識人のほうであり、大衆の紋切り型の挨拶のもつ意味は、これとはちがっていたはずである。大衆が、<元気で御奉公してまいります>といった体の挨拶を見送りの町内会の面々にむかってやってのけたとき、それは、国家の規範力に対応する形式的な意味での紋切り型ではなく、<家>そのものの全重量と水準とを国家の規範力に同化させようとする悲劇性を意味していたようにおもわれる。それゆえ大衆の出征にさいしての紋切り型の背後に個人的な哀切さをみようとするのは知識人的な感傷であって、哀切な大衆の<家>そのものが紋切り型の挨拶によって国家への象徴同化作用をうみだしたのが事実であったというべきである。 (P399-P400) B たしかに、大衆の<家>は、川島武宜のいうように、近代的=民主的とはいえないし、人情・情緒が決定的であるだろう。しかし、また、明治以後、ただの一度も「封建的・儒教的」な民法と、真の意味で接触したこともないのである。この処女性こそは、また、近代的=民主的なイデオロギーを棄揚するための真の基盤であるということができる。それは、大衆の<家>が、その幻想対の共同性において、国家の幻想的な共同性と不可視の火花を散らしながら、<法律>の規定内に低い水準で存在したという矛盾を意味しているからである。(P402) |
項目抜粋 2 |
C 大衆の社会的な共同性は、いまも昔もこれとはちがっている。大衆のいとなむ<家>の理念は、社会的共同性に延長しても、けっして、人情や情緒を拒否するか拒否しないかという選択の恣意性をあたえられていない。そこでは、それ以外にとりうる現実がないために、情緒的であり人情的であり、ある場合には非人間的であるにすぎない。そこでは、依然として公共性についての問題でさえも、私感情によって表明されるかもしれない。だが、知識人の社会的共同性とはちがって、友愛的な<家>の理念を拡大した個人主義的な感情によってではなく、注意ぶかく、このばあいには大衆は自らの<家>の理念をとっておきにしまっておいて、孤立した個人として私感性を行使するのである。(P406) D しかし、事実はまさに逆である。人間は<家>において対となった共同性を獲得し、それが人間にとって自然関係であるがゆえに、ただ家において現実的であり、人間的であるにすぎない。市民としての人間という理念は、<最高>の共同性としての国家という理念なくしては成り立たない概念であり、国家の本質をうたがえば、人間の存在の基盤はただ<家>においてだけ実体的なものであるにすぎなくなる。だから、わたしたちは、ただ大衆の原像においてだけ現実的な思想をもちうるにすぎない。 (P407) E しかし、わたしたちは、はっきりいっておく必要がある。<家>の共同性(対共同)は、習俗、信仰、感性の体系を、現実の家族関係と一見独立して進展させることはあっても、決して社会の共同性をまねきよせることも、国家の共同性をまねきよせることもしないと。<家>の共同性が、社会や国家(このふたつは相互規定的である)をまねきよせるものとしたら、それは社会や国家がただ家族の成員の社会的幻想表出を、ちょうどヴェールをはぎとるように、かすめとってゆく点においてだけである。大衆の原像は、つねに<まだ>国家や社会になりきらない過渡的な存在であるとともに、すでに国家や社会もこえた何ものかである。(P407-P408) |
項目ID | 項目 | 論名 | 形式 | 初出 | 所収 | 出版社 | 発行日 |
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99 | 沈黙の言語的意味 | 幻想としての人間 | 講演 | 1967.11.12花園大学 | 吉本隆明全著作集14 | 勁草書房 | 1972/07/30 |
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自己関係つけの意識と自己抽象つけの意識 | 反作用 |
項目抜粋 1 |
@さきほどいいましたように、自己関係つけの意識および自己抽象つけの意識というもののいわば錯合したひとつの構造というものを、人間存在にとってひじょうに本質的なものであるとおもっております。こういうかんがえ方は、知覚作用というものとすぐには結びつかない。つまり、一部分としてしか結びつかないので、こういう作用は、ほんとうはなにに結びつくかといいますと、言語というものに結びつきます。ある空間化の度合で自己関係つけの意識というものが生じたときに、それを心の規範というふうによびます。それから、自己抽象つけの意識というものがある水準の時間性の度合をもったときに、それを概念あるいは心的な概念というふうによんでおります。この心的な概念それから心的な規範というものを人間の心の外においたときに、つまり外にかんがえたとき、わたしたちはそれを言語とよんでいるわけです。外におくこと、つまり発語ですね、言語を発すること、あるいは言語を表現すること、そういう次元で言語というものをかんがえると同時に、逆に言語というものが発語されたときに、反作用として人間の心にその発語自体がまきおこす反作用、心の反作用というものを、いわば心的な規範あるいは心的な概念というふうによんでいるわけです。そして根本にあるのが、さきほど申しましたように、自己関係つけと自己抽象つけとして存在している人間であるというふうにかんがえております。 Aこういうふうにかんがえていきますと、どういう問題がでてくるかといいますと、・・・・沈黙ということの言語的な意味はなにかということが問題となってくるわけです。・・・・わたしどものかんがえでは、これは沈黙それ自体が言語的な意味をもつというふうにかんがえたいわけです。 Bところが、いったん言語というものを、発語あるいは表現、つまりある心がそれを表現したものという次元でかんがえると、その反作用として沈黙なるものは言語的意味をもつというふうにかんがえることができます。 (P254-P255) Cそうすると、この沈黙なるものはなにを意味するかといいますと、いまいいましたように発語あるいは言葉を発する、あるいは言葉を表現するという次元で言葉をかんがえるかぎりは、単なる空虚なる沈黙ではなくて、なんといいますか、言葉を発しないために意識のほうではいっぱいになにかが詰まっている状態、つまりなんか意味が詰まっている状態がここにあるということ、だから<わたしはばかです>というふうにいいたいのに、<わたしは>というふうにいったところであとがいえなくなってしまう。そのいえなくなった状態というものは、逆に心の状態としてはいっぱいなにかが詰まっている状態というふうにいうことができます。 (P258) |
項目抜粋 2 |
項目ID | 項目 | 論名 | 形式 | 初出 | 所収 | 出版社 | 発行日 |
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100 | 道徳の発生 | 幻想ーその打破と主体性 | 講演 | 1967.11.11愛知大学 | 吉本隆明全著作集14 | 勁草書房 | 1972/07/30 |
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反作用 | 国津罪と天津罪 |
項目抜粋 1 |
@まずみなさんが倫理とか道徳とかいう場合には、これは漠然として個人個人がいわば個人の内部で自己規制する道徳律であったりあるいは社会がなんとなく強制するといいますか個人を規制する道徳であったりというふうに道徳がかんがえられておるわけですけれども、また、そういうふうにかんがえざるをえないわけですけども、最初の国家の発生段階における倫理あるいは道徳というものはもともと個人道徳あるいは社会的な道徳、あるいはカントのいう内なる道徳律ってものはそういうような道徳律としては発生しなかったわけです。最初の道徳律はどういうふうに発生したかといいますと、氏族的または前氏族的な共同幻想がなんらかの形式で部族的な統一国家的な共同幻想性へ転化していく、つまり断絶しそして飛躍していく、氏族的な共同幻想性が習慣的な低地へ蹴落とされ、いわば反作用みたいにして部族国家における共同幻想性が出現していく、そういう蹴落とされかつ飛躍するというそういう段階の裂け目に最初に倫理あるいは道徳というような問題が発生したわけなんです。だから、国家の発生段階における倫理あるいは道徳というものは、まさに現段階における共同幻想性とそれからそのあとに発展段階としてできた統一部族国家における共同幻想性との断層をそこで蹴落とされ反作用が起こるというような、そういう断層のよじれというようなもの、そういうもののなかに最初に道徳の発生の問題あるいは倫理の発生の問題という問題が、あらわれてくるわけです。 (P277) Aところで、もうひとつは法というもの、法的形態あるいは共同的な規範というものですけれども、共同幻想の意志的な表現としての法、あるいは法律というようなものの発生基盤というのはどこにあったかというふうにいいますと、やはり、ここでいう前段階における社会というものと後段階における社会というもの、そういうものがいかなる様相で転化したかというような問題のなかに、原始的な段階では刑罰的なものが最初にくるわけですけれども、法的な問題というものが最初にあらわれてくるわけです。(P279-P280) Bこれは日本の神話でいいますとだいたいふたつの範疇にわけられます。ひとつは<天津罪>というふうによばれています。それからもうひとつは<国津罪>というふうによばれているものです。 |
項目抜粋 2 |
Cぼくはべつに実証的な古典学者でもなんでもありませんから、ただ理論的に必ずそうなるはずだという問題としてみるわけですけれども、理論的にかんがえていった場合には国津罪という概念に包括される主として近親相姦の禁止というようなもの、それからまじないで人を殺したりけものをたおしたりすることを禁止するとかそういうような意味でかんがえられてくる国津罪の概念ですね。前氏族的な段階におけるこれはそうとうさかのぼってもいいわけですけれども、数千年もさかのぼってもいいわけですけれどもそういう段階における共同体の共同幻想性のうちでつぎの農耕的段階へ、天皇族、大和朝廷支配の段階へですね、そのまま転化しうるものを転化させですね、そういう意味で発展させ、そしてのこされたものをなんといいますか蹴落とすといいますか、いわば家族集団のなにか規制する習慣法みたいなそういうところに、あるいは習慣的な掟みたいなところに蹴落としたというようなそういう蹴落とされたものというものは、だいたい国津罪という概念に相当するってふうに理論的にはそういうふうに想定されます。 そういうふうに想定した場合に農耕社会、部族社会、つまり農耕としての土地所有を基盤にする最初の統一国家における共同規範というもの、法というものが天津罪という概念に含まれ、その概念のなかにはおそらくまえの段階における共同幻想性のうち対応しうるもの、つまりくりこみうるものが発展の形態として存在していること、そしてくりこみえないものがだいたい家族的な慣行律といいますか家族を取り締まる宗教的行事であるとか規定であるとかそういうものに蹴落とされたもの、それが国津罪という概念であるということが理論的には想定されます。つまり、そういうふうに想定してしていきますと日本なら日本における最初の法的な概念である天津罪および国津罪の概念をきわめてはっきりと解くことができます。(P281-P282) |
項目ID | 項目 | 論名 | 形式 | 初出 | 所収 | 出版社 | 発行日 |
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151 | 超概念 | 7超概念 視線 像 | 論文 | 1989.6 | 言葉からの触手 | 河出書房新社 | 1995/07/25 |
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起源が具象的な実在の視覚像であるものが「概念」だ | 「概念中間体」を仮定 | 「超概念」をつくっている逆照射(垂直照射) |
項目抜粋 1 |
@ 意味ある抽象体のレベルにあって、起源が具象的な実在の視覚像であるものが「概念」だ、としかいいようがない。わたしは苦しまぎれに、その実在物の含んでいる生命の糸が巻きこまれ、折り畳まれて詰めこまれたものが「概念」だとどこかで述べたことがある。(註.1)しばらくそれで我慢しておくことにする。ここではべつのことにむかいたいのだ。 ここで「概念」の起源にある実在物の視覚像というとき、この視覚像は無造作に、実在物にたいして人間の眼の高さで地面に平行する視線を前提にしている。人間の眼の高さが、高層ビルディングや航空機や丘陵地によって高さを加算されていても、地面に平行する視線を前提としていることにかわりない。・・・・そこでいま、実在物の地面に平行な視覚像をもとにして「概念」の像(ルビ イメージ)をつくりたいわけだ。あるいは「概念」を像(ルビ イメージ)に変換したいといってもいい。(P51-P52) A まず、じっさいには不可能だが「概念中間体」を仮定してその像(ルビ イメージ)をつくってみる。それは簡単そうだ。たとえば「海辺の草花」の「概念中間体」は、像(ルビ イメージ)に変換すれば<浜かんぞう、せんだい萩、はまゆう、つばな、ふじなでしこ・・・・・・など海辺に咲く無数の草花の、地面に平行な視覚像がいっぱいつまったもの>を意味している。この草花の視覚像がいっぱいつまった、じっさいには存在しない「中間体」から、どうやってほんとの「概念」そのものの像(ルビ イメージ)に移行できるのか。 まず「中間体」につめこまれた<海辺の草花の地面に平行な視覚像>は「概念」のレベルでは<海辺の草花の客観的に視られた生命の線条>の像(ルビ イメージ)に変換される。また中間体につめこまれた<いっぱいつまった無数>という意味は、<無数回折り畳まれた>という像(ルビ イメージ)に変換される。そこで「海辺の草花」の「概念」として、最終的にえられる像(ルビ イメージ)は<海辺の草花の客観的に視られた生命の線条が、無数回折り畳まれたもの>ということになる。 (P52-P53) |
項目抜粋 2 |
B ところでここで「概念」の像(ルビ イメージ)のたいせつな性格はそのさきにある。視覚像が地面に平行な視線によるだけでないことは、瀕死者、宗教家、神秘主義者によって、しばしば語られたり、信仰されたり、体験報告されたりしてきた。かれらの体験した視覚像は、つづめていってみれば、かれらが地面に平行な視線と地面に垂直な上方からの視線を同時に行使した高次視覚像だということがわかる。そしてこのばあいの地面に垂直な、上方からの視線は、ある限られた高さでなければ、地面に平行な視線と同時に行使されないことを、かれらの体験は語っている。・・・・ただここまでかんがえてきたうえは、「超概念」 と「超概念」の像(ルビ イメージ)を、あらたにかんがえに加えるべきだと提案されているとみなしたいのだ。「海辺の草花」の「超概念」の像(ルビ イメージ)は<海辺の草花の自己客体視された生命の線条の無数回フラクタル曲線>ということになる。ここでいわば「概念」が「概念」の死の像(ルビ イメージ)からの逆照射(垂直照射)をうけて「超概念」をつくりあげるようになる。 この「超概念」をつくっている逆照射(垂直照射)には、現在さまざまな理念の客観像がぶらさがっている。緑の理念は植物に固有な客観像に、ヒューマニズムは人間の視線に固有の高さの鳥瞰像に、無機物の理念は、超高度の客観像に、それぞれの理念の像(ルビ イメージ)の根拠をおいている。 (P53-P56) |
備考 | (註.1) このことは何度が出会ったことがあるが、初めて出会ったのはどの文章だったろうか。 Bの「「超概念」 と「超概念」の像」について語られているところは、特にわかりにくい。数学の「フラクタル」(自己相似)という概念も使われている。次の終わり三行が少しその理解の助けになるように思う。 吉本さんの抽象度の高い言葉を追っていく場合にも大切なのは、わたしたちの日常的な生活実感である。わからない実感の場合もあるが、わたしはその実感に照らし合わせながら読んでいる。わたしたちの日々の人間的活動が抽出され、概念や論理として構成されているはずだからである。 |
項目ID | 項目 | 論名 | 形式 | 初出 | 所収 | 出版社 | 発行日 |
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154 | 抽象 | 10抽象 媒介 解体 | 論文 | 1989.6 | 言葉からの触手 | 河出書房新社 | 1995/07/25 |
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そのままが存在であるようなもの |
項目抜粋 1 |
@あるひとつの抽象を、べつのひとつの抽象に関係づけたいとき、かならず具象物を媒介にしなくてはならないようにみえる。・・・・だがもうひとつどうしても容認した方がいいことがある。すべての具象物は語幹のように、いつもおおきな共通性のうえに存在していることだ。この共通性を「物質」性といってしまうのは、ふたたび抽象化することにしかならない。この共通性はそんなものではない。もちろん分子や原子や素粒子の集合体ということでもない。そのまま【傍点アリ】が存在であるようなもの、あるいはそのままがそのままであるようなもの、それがこのばあいの共通性だ。そのままが存在であるようなもの。わたしたちは究極の深層のところで、この共通性を納得しているため、あらゆる抽象とそれをうみだす操作と、それがもたらす結果を積み重ねてきたし、その恩恵を安堵して受けいれてこられた。だがさしあたってそれは考えの範囲の外におくことにしよう。ここでそのままが存在であるようなものは、わたしたちの無意識の究極のところで容認されているため、しょっちゅう眼の前にとり出してみせる必要もないし、そう簡単にとり出せるものでもない。だからこそことさらに意識にのぼらないのだ。そう言ってみたいのはやまやまだが、ほんとはそうではない。すべての抽象とその操作を剰余【太字】とみなすとき、抽象を剰余【太字】にしているものが、このそのままが存在であるようなものだ。 (P74-P76) A抽象が感性の色あいに染めあげられているばあい、本来は感性的でもなければ有効でもない抽象化は、ある目的との対応にむかって運動をはじめたことを意味する。そしてこのばあいに媒介になるものは、抽象それ自身がもっている非目的性である。どうして非目的性が、抽象をある有効さにむかわせる運動の媒介になりうるのか。非目的性が自身を反対(否定)方向にむかって運動させる機能をもつからである。非目的性は目的を否定し、目的性に反対することを意味するだけではなく、非目的性という目的をもつことを意味する。だから反対(否定)方向にむかう運動をもつことができるのだ。媒介【太字】、それは反復のことであるとともに、非目的の目的だといえる。それ自身の出発点から遠ざかる運動(否定運動)をもつことができるものは、すべて抽象的だ。人間もまた。ただこの運動が成り立つためには、そのままが存在であるようなものが走る軌跡に、抽象自体がはいりこめなくてはならない。なんとなれば、そのままが存在であるようなものが走る軌跡は、ほんらい万能の軌跡、普遍性の軌跡だからだ。いったんこの軌跡にはいりこむことになれば、すべての抽象は、いいかえれば自身のなかに自身の反対物を含むものは、自身とその反対物とに分割される。わたしたちの内省のなかに、ときどき後悔の色あいがじぶんで視えることがあるが、それはこの軌跡を内省が走っているときだ。 (P77-P78) |
項目抜粋 2 |
Bすべての抽象は、それぞれの抽象に固有な解体【太字】の場所と時間をもっている。・・・・それを具体的に指定することも予言することもできない。だが解体がどんな状態でおこるかは指定できる。あるひとつの抽象が、自身とその反対物とに分裂する運動をどこまでも展開して、解体という強力な総合作用以外では、抽象自体が自壊してしまい、もう、成り立たなくなる時間と場所が、解体の時間と場所だということはたしかだ。すべての抽象には解体が唯一の存立の根拠である時間と場所がかならずある。(P79) |
項目ID | 項目 | 論名 | 形式 | 初出 | 所収 | 出版社 | 発行日 |
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160 | 地平線 | 16指導 従属 不関 | 論文 | 1989.6 | 言葉からの触手 | 河出書房新社 | 1995/07/25 |
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どんなに力能をふるっても意識化できない無意識 |
項目抜粋 1 |
@現在では手段の分野が発達し、システム化しているので、意識化できる無意識はほとんどみんな意識化されてしまっている。どんなに力能をふるっても意識化できない無意識、それが指導の装置を組みあげているのだ、とおもえる。わたしたちは、天使たちが戸惑いの表情をみせはじめたところで、かれらを見捨てる。地平線はもっと向こうにみえるのだが、そこへゆく道はそれほど分明にはたどれない。べつに天使が戸惑ったからではない。黄昏の気配だけが確かにあって、あたりをうす暗くしているからだ。わたしたちはたくさんの休息の方法と、無意味に振舞う仕方と、また無駄遣いの対象をさがして眼のまえにおく手段と、巨大な徒労の衝撃に耐える方法を、この世紀にかけてずっと学び、身につけてきた。いまあの地平線にたどりつく道を照らしだしてくれるのは、概していえば大文字の無意味【太字】を行使することだという気がする。(P119-P120) Aそれ以外のやり方では、ひとつひとつの振舞いに意味【太字】という烙印がおされ、あの装置からの声の虜になる。いままで聞えなくて不関的だったひとまで、声が聞こえるようになり、はじめての稚拙な音階でその声を復唱したりしはじめる。そもそも生活に飽満した途端に窮乏の歌を好みはじめるというのは一面の真理ではあるが、そんな倒錯した心理があの装置をうみだし、装置の声を聞えるようにし、わたしたちを指導部へ案内しはじめたのではないか。 ・・・・ わたしたちはわたしたちの影を踏んで歩く。それは以前から歩行がたくさんの岐路にたったあとでやった方法だ。それに頼らざるをえないだろう。それはそれでいいのだが、自戒はいつもつきまとう。もう地平線の薄明にとりついたとおもったのに、ほんとはつぎの巨大都市の膨大な建物たちのシルエットにすぎなかった。そんなことはありうるのだ。でも徒労とみえる歩行が信じられるのは、地平線がみえること、それから徒労の影も天使の影も見捨てて、確かに歩いてきたからだ。 (P120-P122) |
項目抜粋 2 |
項目ID | 項目 | 論名 | 形式 | 初出 | 所収 | 出版社 | 発行日 |
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224 | ただ未来にむけて放つこと | 停滞論 | 論文 | 1982.4「海燕」4月号 | 「反核」異論 | 深夜叢書社 | 1982/12/20 |
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『窓際のトットちゃん』と『アブラハムの幕舎』 | 「ヨーロッパ」 |
項目抜粋 1 |
@わたしたちの言語が、いま倫理的に振る舞っているのは、現在の停滞のいちばん露骨な形式に、身を置いたじぶんを肯定しているか、政治的な言語を退化させて、倫理の言葉で代償しているかどちらかなのだ。たしかにそこは政治に自信がが無くなったソフト・スターリン主義の言語と、現在の華やかな空虚の言葉に耐えられなくなった文学の言語とが、折合いをつけて陥込んでいる場所である。 (P9) A現在わたしたちが「ヨーロッパ」というとき重層的な意味をもっている。ひとつは、さまざまな意味で<マルクス主義>が無化(無効化)したあと、中心を喪って、活力をアメリカにもとめざるをえなくなって、深く混迷と模索の過程をつみ重ねつつある地域としての「ヨーロッパ」である。だが「ヨーロッパ」はもうひとつの意味をもっている。世界史のいちばん高度な段階から必然的に国家を超えられて、欧州共同体として振舞わざるを得なくなった、いわば普遍的な「ヨーロッパ」とである。この後者の普遍的な「ヨーロッパ」は、現在もまだ世界史の鏡である。そこから眺望されるソ連官僚専制国家の姿は、かつて人類が視たことのない普遍的な意味をもっている。 (P12) Bどうしてかれらは(いなわたしたちは)非難の余地がない場所で語られる正義や倫理が、欠陥と障害の表出であり、皮膚のすぐ裏側のところで亀裂している退廃と停滞への加担だという文学の本質的な感受性から逃れていってしまうのだろう?かれらを(わたしたちを)古き懐しき日々【ルビ グッド・オールド・デイズ】への回想でしかない思想の図式的な光景へゆかせる退化した衝動が、現在、倫理の仮象をもってあらわれるのはどうしてなのだろう。 (P13) C「人間性」という概念も「人間」という概念も、そう簡単に消滅するとはおもわれない。だがその実体は不変なものではないにちがいない。高度に技術化された社会に加速されたところでは「人間性」や「人間」の概念は「型」そのものに近づいてゆくようにおもえる。そして現在わたしたちが佇っている入り口がそこにあるような気がする。「人間性」や「人間」を不変の概念だとみなせば、わたしたちは過去の「人間」や「人間性」の風景への郷愁に左右されて停滞するのではないだろうか?けれどわたしたちは<停滞>の意味を情緒的に曖昧にしないで、はっきりさせておかなくてはいけない。わたしたちが<停滞>というとき、起源的な概念でふたつの意味をあたえている。ひとつは農耕的な共同体の意識形態にまつわるものなのだ。もうひとつは現在の諸産出の物質的な形式に附与されるイメージに関するものなのだ。わたしたちの現在は<停滞>している。そうだ。その停滞は共同的な意識としてか、あるいは物質的な形式のイメージとしてか、何れかを指しているのだ。中野孝次らの「声明」が停滞しているのは、田園的な理念の共同性を現在に対置させようとしているからだ。 (P15) |
項目抜粋 2 |
D『窓際のトットちゃん』という作品が、膨大な読者をとらえた魅力(魔力)は、作者のなかに強固に貯蔵された戦前の「トモエ学園」のまったき自由教育の理念と、豊かで恵まれた自由主義の庭訓を、わが子にひとりでに与えられた家族の雰囲気への郷愁のような記憶にあるといっていい。作者は幼児に退化して、理想的な自由の雰囲気をもった親たちと師のあいだに、マユのように籠ってみせている。そのイメージの場所は、現在では経済的な基礎だけでいえば、すべての親や教師や子供たちの手のとどくところにあるといえる。だがじっさいには流動的で不安な現在の市民層には、まったく不可能な雰囲気にしかすぎない。そこで現在の<停滞>が膨大な読者に振り返らせる理念の郷愁として、この作品は存在するといえよう。 (P21) E【大原富枝『アブラハムの幕舎』】この主人公は作品のなかでいくつかの現在の崩壊しかかった家族の人々に出遇う。そういうよりも崩壊以外にはあり得ないような、現在の家族の普遍性につきあたっているといっいもよい。 (P22) Fわたしたちは現在の停滞を過去の光景に収斂することを許されずに、ただ未来にむけて放つことだけをゆるされているとおもえる。 (P26) |
備考 | 「後註」より 「この「停滞論」は、雑誌「海燕」誌上に連載されている『マス・イメージ論』から一回分を抽きだしたものである。この論稿が、今度の「反核」にふれた最初の文章にあたる。もともと論稿の主旨は、現在の停滞を映す鏡を見つけ出すことにあった。そこで停滞を象徴するひとつり現象として文学者の「反核」声明の主旨がとりあげられた。」 |
項目ID | 項目 | 論名 | 形式 | 初出 | 所収 | 出版社 | 発行日 |
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228 | 知的な部分をどう越えるか | 『マス・イメージ論』その後 | インタビュー | 大衆としての現在 | 北宋社 | 1984/11/05 |
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知的な部分をどう越えるかという大衆の課題 |
項目抜粋 1 |
@活字の世界とか言葉表現の世界とか、そういう知識の世界とかにね、まったく登場しない大衆っていうものを自分の中に原型として置いて、それとのいわば対立関係っていうものを自分のその表現のバネにしますしね。また、大衆っていうもののイメージを描く場合には、僕がその考えてきた考え方も、安達さんがその時に、もう感じられておられたようにね、僕の中で危くなっていたわけだけども。何が危うくなったかというと、活字にとか、文字に登場しない大衆っていうのを想定するのが難しくなってきているような気がしてるわけです。それは何故かっていうと、さっき言いましたように、大衆のイメージが、もう質的にも量的にも社会全体の文化現象の半分以上のところに、手がとどきつつある。・・・・そこのところで僕のいう活字や映像の世界に登場しない大衆のイメージは実像として危うくなっちゃったとおもうんです。だから大衆自体が浮かされてきたと同時に、自分の考え自体も自分の存在感とか表現の根底になったものも浮かされてきた。根底が崩れてきたって、僕自身が感じた要因はそこだという気がします。そこでね、現在の大衆のもつ課題があるとすれば、知的な部分をどう越えるかっていうところに当面するとおもいます。 (P68-P69) A問題は何かっていったら、現在すでに社会全体の文化でも経済でも、政治的課題でもいいですが、自分たちの課題が、全体の課題のもう半ば以上を質、量ともに占めるようになってきたっていう認識について、大衆は自分たち自身で気づいていないっていうことです。・・・・この保守や進歩の知識人たちが相互に口ごもっていえないことは、アメリカの核軍備に反対、ソ連の核軍備に反対って、これだけのことで、これを大衆が声にだして言ったら、知識人を越えたことなんですよ。ところがそれがなかなか大変なことだと僕はおもいますね。それを可能にするのは、やっぱり知的な部分を大衆が越えることだとおもう。これは、文化現象についても思想にしてもやっぱりおなじ課題なんです。またそういう課題を大衆は完全に持ってるとおもうんです。 (P70-P72) |
項目抜粋 2 |
Bとことんまで言っちゃえばね、知識っていうのは本質的に不可避だとおもうんですよ。不可避力としての知識っていうのは、高度化していく一方です。・・・・だけども、知識の高度化は現在ではもはや知識の一般的な課題ではないということです。そういう意味で、知識の高度化っていうことは、だいたい悪の領域に入ってきたぞ、悪の影が見えてきたぞ、っていうふうに言いたかったわけです。不可避力としての知識っていうのは、誰が止めようにも止めようがないとおもうんです。・・・・ただ、大多数の課題たり得るかっていうと、その課題としてはもうなくなるだろうっておもいます。 (P73) |
項目ID | 項目 | 論名 | 形式 | 初出 | 所収 | 出版社 | 発行日 |
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230 | 知識と大衆 | 資料 表現者にとっての現代 | インタビュー | 1979.5『写真試論1号』 | 大衆としての現在 | 北宋社 | 1984/11/05 |
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<疎外された第三の場所> |
項目抜粋 1 |
@ 一般的に言葉がかなめになってほかの表現がある、たとえば音楽の表現がある、絵画や写真の表現がある、ということがね、なくなっているとおもうんです。<かなめ>が取りはらわれたところに、ほかの全部の表現が並列していて、どの表現に必然性があるとか、どの分野に必然性があるかっていうことがなくなっている現象があるとおもうんです。善悪とか倫理的判断をぬきにすれば、このことは本質的に認めざるを得ないとおもうのです。そのことをどう判断するか、というとこれはおのずから別の問題になるとおもうんですが。それはかなり難しいことではないかな。その現象を否定的に判断するのか、肯定的に判断するのかというと、どちらも断定するのはすごくむずかしいことなんですね。 (P170) A 表現に登場しない大衆というのが何か危なくなってきたなということです。危なくなってきた、というのはこっちが浮いてきたのか、それとも大衆が、生粋の大衆なんてかんがえられないというふうに表現の世界に浮いてきたのか、どちらであるのか、どちらかであるのかそれとも両方であるのか、想定できません。・・・・だが、ぼくがね、表現というものにいかなる意味でも登場してこない大衆を原型としていたのが、それ自体ちょっと危なくなってきたということをね、自分でどうかんがえたらいいか、というところ辺りが、知識の問題、ぼくにとっての知識の問題になっているという気がするのです。 それは大衆というばあい、知識とか表現というものをそれとは対立的に扱ってきたし、あるいはそれに対抗するんだということを、表現者としてかんがえてきたのですが、そのときの大衆というのが危なくなってきた、ということだとおもうのです。 (P171−P172) B それはいわば、従来通りのパターンでの表現者の場所でもなく、従来通りの受け手という場所でもなく、そうではない両者からともに隔てられたある場所を想定すれば、そこでしか問題は相対的には把えられないんじゃないか、というときにね、<疎外された第三の場所>というふうな言い方をしたわけです。その場所をみつけることと、その場所から見渡すことと、それが現在の表現者の問題として基本にあるんじゃないか、とおもうのです。それはばく然とそうかんがえているので、どんなふうに具体的に把えられるかというと、なかなかよくわからないねえ、というのが正直なところでしょうか。 (P173) |
項目抜粋 2 |
C 結局、主題とかモチーフをどんどん狭めることと、やみくもに行っちゃうことしかないんです。それでその全体は何か、ということは反省的な論理のなかではじめて出てくるものなんです。すべての時代を通して、本当の表現者はそういうふうに行った、という気がするんです。はじめから大衆を顧慮した表現者っていうのは、長く持続はできないだろうっておもうんです。そしてそれでもって大衆化現象のようなものに、かろうじて拮抗してきたんだとおもうのです。で、ぼくにとってはそういうことは、自明のことのような気がするんです。(P174-P175) |
備考 | 註 Cに関連して、新古今時代の和歌の状況をそのようなものとして、どこかでふれていた。 |
項目ID | 項目 | 論名 | 形式 | 初出 | 所収 | 出版社 | 発行日 | 抜粋したテキスト |
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236 | タブーの起源 | U タブーの構造 | 対談 | 1993.7.11 | こころから言葉へ | 弘文堂 | 1993/11/15 | こころから言葉へ |
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項目抜粋 1 |
@フロイトは、タブーの起源としてトーテムを作ることと関連させて言っていますね。トーテムをその種族の象徴として、あるいは尊重すべきものとして作るところからタブーが生まれて来ると言っているように思います。この点について私自身はちょっと異論がございまして、タブーの起源は、もっと内在的なものではないかという気がしています。北山さんがいま、それは身体感覚的なものに根差すとおっしゃったのに近いのではないか。ですから抑圧と禁止という観点からみると、関係はあるにしても、抑圧があるところに禁止があるというように単純なものではないんじゃないか。タブーはより内在的なもので、必ずしも制度や抑圧を前提としていないというふうに理解したほうがいいんじゃないかと思います。 (P77) Aタブーと制度の発生が関係あるとすれば、それはたぶん母系的氏族社会の問題につながるのだろうと思います。母系社会では、子どもとその母親は同じ氏族の一員ですが、父親は他の氏族に属していて直接的なつながりがない。つまり異質なものです。また、もうひとつタブーが生じる根拠として、母親が子どもを生むということと、性行為が直接的につながらないということが、タブー発生の外因ではないかと思うのです。 (P78) B種族とか氏族とかを越えてタブーにある共通性があるとすれば、人間は乳児のときの母親との関係以外のことは全部タブー、異物にしてしまうのではないかと思うんです。オッパイをもらう母親との関係が全世界で、それ以外はどこかで境界線を引いて、「これは違うぞ」ということになってしまう。可能性としてはすべてタブーになってしまうんですね。 (P80) |
項目抜粋 2 |
項目ID | 項目 | 論名 | 形式 | 初出 | 所収 | 出版社 | 発行日 |
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277 | デカダンス | Y 文学について | 談話 | 遺書 | 角川春樹事務所 | 1998/01/08 |
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項目抜粋 1 |
@大江さんや三島さんにない面なのですが、それは「デカダンス」です。大江さんや三島さんは退廃を知らないと思えます。二人とも、どこかで文学でないものを文学に入れて、そこに救済を見いだしているという気がするのです。それに対して、村上春樹や村上龍は、微弱なりとはいえ、デカダンスの表現を知っているという気がします。デカダンス、精神の破れかぶれ、悪の華の許容が文学や思想にとって、重要です。 自由、無制約、奔放さといった身体と精神の可能域が、習俗の問題から離脱して「意味」の方向に向かうためには、仲介としてそれが必要だからです。そうでないと文学や思想は放逸と厳格な規範の間を、習俗的に往復して振子状になるだけです。 (P139−P140) |
項目抜粋 2 |
項目ID | 項目 | 論名 | 形式 | 初出 | 所収 | 出版社 | 発行日 |
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282 | 大衆的な課題 | [ わが回想2 「六〇年安保」から「現在」まで | 談話 | 遺書 | 角川春樹事務所 | 1998/01/08 |
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大衆の課題が何なのかのイメージ |
項目抜粋 1 |
@インテリがインテリでなくなったり、文学者が文学以外のことをしたりという考えは、全然意味がないと考えています。「自分のいる場所」−それは知識の場所とか文学の場所とか政治の場所でもいいのですが、逆に、そういう自分の場所に、大衆がいま何を考えているのか、大衆の課題が何なのかイメージを入れてみなければ駄目ではないか、と考えているのです。 つまり、資本家は「資本」の場所にいればいい、経営者は「企業体」の場所にいればいい、文学者は「文学」の場所にいればいいのです。その自分の場所から見ることができる社会と、その場所にいる課題を追求していけばいいのです。ただしそこで、大衆は大衆の場で何を考え、何を課題にしているのかを、自分の場所に翻訳してもってきて、繰り込んでいけなかったら、どんな場所にいても、それは先細りになってしまうのではないか、ということです。 A自分で大衆の場所に行くとか行かないというのが問題ではないのです。つまり、無理に大衆に同化する必要はない。ただ、違う場所の問題も含めて、自分の場所での課題に、あるべき大衆の課題をイメージとして繰り入れていかなければと思うだけです。 大衆的な課題というのは、それぞれの時代や国家や社会の情勢の変化で違ってくるものです。しかし、その課題を繰り込んでいくということでは、いつの時代でも変わることはありません。 だから僕は、自分の場所から、自分の場所の課題に大衆的な課題を繰り込んで、追求していきたいわけです。それによって、現在の閉塞した雰囲気の突破口が開けてくるという考えです。 (P212−P213) |
項目抜粋 2 |
項目ID | 項目 | 論名 | 形式 | 初出 | 所収 | 出版社 | 発行日 |
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301 | 旅の概念 | 日本近代文学の名作 | 聞き書き | 日本近代文学の名作 | 毎日新聞社 | 2000/09/14 |
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項目抜粋 1 |
@ 田山花袋は、日本ではじめて旅の概念を近代的に新しくした作家だ。それまで、単に精神的な動機から旅をした日本人はほとんどいなかったといっていいだろう。 西行や芭蕉の名前がすぐに思い浮かぶが、本当に彼らは目的を持っていなかったのかどうか、わからない。西行には高野山への寄付を集めるという用件があったのではないか。芭蕉は日本各地の俳句の愛好者に呼ばれ、指導したのだと思う。二人とも、実際的な目的があってたびをしたとも考えられる。 田山花袋は、近代の鬱屈から逃れ、精神的な解放感を得るために旅をした。花袋の近くにいた北村透谷や島崎藤村、柳田國男たちも花袋から近代的な旅を教わったといっていい。 (P164−P165) |
項目抜粋 2 |
項目ID | 項目 | 論名 | 形式 | 初出 | 所収 | 出版社 | 発行日 |
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304 | 同時多発テロと戦争 | 談話 |
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項目抜粋 1 |
【1.「同時多発テロと戦争」 「文學界」2001.11月号、文藝春秋】 @ 九月十一日に起きた同時多発テロ事件はテレビの臨時ニュースで知りました。臨時ニュースの字幕が出たところで、戦中派の言い慣れた言葉でいうと、「あ、特攻隊だな」と思いました。 A このテロ事件の当事者であり、現在の世界の経済的、軍事的指導国だと自任しているアメリカ合衆国の最高責任者ブッシュ大統領は、「これは新しい姿の見えない敵との戦争である。」といち早く発言しました。その判断はブッシュ大統領の一種の洞察力から生まれたと思います。これまでは国民国家相互の交戦しか戦争と考えられていなくて、あとは内戦に分類されていましたが、ブッシュの認識にしたがうと、戦争の概念が広がったことを意味します。これは相当重大な認識であって、戦争の範囲がすごく拡大してしまったことを意味します。 そのような認識がなされた理由は、もちろん、六千人を越えると言われる犠牲者が国の中心であるニューヨークで出てしまって、それに驚愕したことにあると思います。ただ、それは表面的なことで、根本的には旅客機をハイジャックして、旅客を降ろさずに道連れにして、ビルに突っ込んでしまったことにあります。 (P210) B ところが、旅客を道連れにして突っ込んでしまったことについては、どんな思想の持ち主、宗教の持ち主だろうと、あるいは深刻な敵対関係があったとしても、誰が見たって「それは人間的倫理に反するものでおかしいよ」という判断を下すと思うんです。それは人命に対して許しがたい行為だと言わなければならない。ブッシュが「これは新しいかたちの戦争だ」と発言した根拠は、たくさん死んだとか殺したとかではなくて、直接目的に対して無関係な人々を、有無を言わせずに道連れにして突っ込んじゃったことで、それはどの立場からも許しがたいぜ、弾劾に値するぞ、という判断がなされたことにあると僕はかんがえています。 (P211) C オウム真理教が引き起こした地下鉄サリン事件にも同様のことが言えます。僕は終始一貫、麻原は現存する宗教家としては相当優秀だと評価していますが、彼らは直接関係のない人々を偶然その地下鉄に乗っていただけで殺してしまった。これはどんな立場から言っても、原理的に許しがたいということになるはずです。このことと麻原の宗教家としての資質云々とは切り離さなきゃならない。地下鉄サリン事件以外の犯罪、例えば敵対していた坂本弁護士一家を殺害したり、内ゲバで同信者を殺害したことは、よくはないけれども、あり得てきたことでしょう。同じ信者を内ゲバで殺してしまったということも日本の左翼がよくやってきたことだから、オウム真理教だけに文句を言うのは、よくないと思います。 ブッシュが「姿の見えない敵との戦争」だとの認識を示して、戦争という概念を拡大したことがなぜ重大かと言えば、必ず真似をするやつが出てくるからです。僕は地下鉄サリン事件のときに「これは大変だ。新しいテロのかたちを示してしまったな」と思いました。今回のテロ事件も地下鉄サリン事件や戦時中の日本の特攻隊の真似をしたと言えなくもないのですが、真似するやつが必ず出てきます。 D 今回のテロ事件で強い軍事力、経済力を持つ豊かな大国と少人数で対等に戦争するにはどうしたらいいかということがわかってしまった。いかなる敵対関係の間でも、少人数対大人数でも、富める国対貧しい国でも戦争ができることが明瞭になりました。原爆を何百個保有しているとか、経済力があるとか、兵隊がたくさんいるとか、そのようなことは問題にならないということが示された。これは地球上ではもうほとんど安全な場所がない、安全な人間はいないというところまで、戦争の概念が拡大したことを意味するわけです。ブッシュの発言を聞いていると、アメリカの大統領なるものはそのことを非常によく洞察していると思います。だから、ブッシュは本当であれば、テロリストたちが隠れている場所に隠密の暗殺集団を派遣して、根絶やしにしてしまいたいと思っているはずです。 でも、今アメリカがやろうとしている報復行動だと、無関係な非戦闘員を一緒に殺すことになります。それはアメリカがまだのぼせている証拠です。・・・・・・・・民主主義では全体の意思が尊重されるべきですから、投票で「賛成」ということになれば、僕もそこにいればそれに従います。大勢が賛成であれば,反対であるけれども,やむを得ないということです。ただ言う機会があれば、僕は何度でも自分の意見をいいます。「報復」には、無関係な人が一緒に死ぬぞということがその中に含まれちゃうわけでしょう。 (P211−212) E 日本の政府がまず初めに言うべきだったのは、貿易センタービルの金融機関で働いていた人たちや旅客機に乗り合わせた人たちを、最小でも二十数名の自国の人々がテロの被害を蒙ってしまったことです。テロを指令した人間を名指しできなくても、今回のテロを起こした者たちは日本に謝罪と賠償をしなければ到底許しがたい、けしからんということを真っ先に言わないと話にならないと僕は思いますよ。 ところが、そのことは政府もマスコミも有識者も言わない。これは、おかしいよ、と思いました。聞いていると、二の次の話題のはずである後方支援をするかしないか、それは憲法違反かどうか、という議論を夢中になってしている。何を言ってやがるんだ。これが僕は不服です。 (P213) F とにかく、アメリカは中近東との問題に関しては湾岸戦争のときも思いましたが、うまく対処していない。その原因は、アメリカが文明的に最も発達したと考えている欧米的な認識から見れば世界はお見通しだということを疑っていないことにあります。だけど、僕らに言わせれば、それは違う。疑わないといけない。イスラムの国家がどのような動き方をするかをあらかじめわかるためには、自分の目の高さから見ないで、イスラムの目の高さまで自分たちを移動させなければ本当のことは見えないということです。 (P214) G 中近東とヨーロッパの対立の根深さについては、僕は得意な分野ではありません。なぜなら、僕らのいるインド・アジア・オセアニアとは倫理的にも宗教的にも少し違うからです。僕らの地域ではヨーロッパのユダヤ・キリスト教とイスラム教の対立のようなものはなくて、儒教や仏教やイスラム教があり、日本的神道もあります。日本的神道はアフリカの宗教と同じで、土地=神様、自然が神様だということです。これは、僕の言い方をすれば、日本に残っているアフリカ的な段階での宗教性です。 しかし、ヨーロッパはそうではない。ヨーロッパは神があって、それが万物を作ったと考えますから、唯一神です。神が中心にあって、それが自然を創造したというのが、ユダヤ教からキリスト教への伝統です。 H それに対して、イスラム教はユダヤ教的なもの、つまり中近東的な宗教性に戦闘性がプラスされている。その戦闘性なるものが、原理主義には非常にラディカルに出てきます。その戦闘性だけが、キリスト教と違うところだと言ってもいいくらいです。 だから、キリスト教徒イスラム教の対立は、近親憎悪的なものも含めて、かなり根深い。それが軍事的な対立や経済的な対立になる。それがどのくらい根深いかに関しては、僕の得意な分野ではありませんが、原則的にはそういうことだと思います。 (P216−P217) I 僕らには戦争、無条件降伏、敗戦となって、焼け野原で学校はどうなるのかわからない、強制労働させられるのかもわからない、という状況に置かれた経験があります。そういうときに僕は例えば好きで一生懸命追いかけていた小林秀雄に何かを間違ってもいいから言ってほしいと思いましたが、何も言ってくれなかった。そういう経験がありましたから、少なくとも僕は自分が思ったことを間違っていたとか、訂正せざるを得ないということになっても、何でも「こう感じた」ということを言ったほうがいいと思っています。自分が読んできた複数の人が発言してくれれば、自分の考える材料ができますから。 J 戦争が終わるまでは、文学というのは要するに無償の行為であって、有効性もないが、そのかわり制約は何もないと考えていました。要するに悪であろうと何であろうと、文学的によければいいと思っていましたが、戦後、自分が原因でないのに、外から価値観がひっくり返ってすべてが虚しかった。この虚しさは何なのかを考えました。結局、要するに文学の外のことは関係ないだろうということで、世界や社会のことを考えてこなかったら、こういうことになってしまった、というのが僕の結論でした。だからその都度間違っていてもいいから、自分の感じたことはいつでもちゃんと言うようにしました。そうしないと、文学を安泰にできない、とずっと思っています。 世界のこと、民族、国家や宗教や理念のこと、社会や事件のこと、これらを認識し、洞察することは、普遍文学の要素で、「政治と文学」とか「ポピュリズム」とは関係のない考え方です。 (P217) |
項目抜粋 2 |
【2.「吉本隆明インタヴュー」 「SIGHT」同時多発テロ緊急特別号2001.11月号、ロッキング・オン】 @ ・・・・・・・第一番にやることは、日本人にもテロの犠牲者がいたわけですから、それは日本国の政治責任者として、こういうけしからんことを自分らもされたんだから謝罪と賠償をただちにしないかぎりは自分たちの行動も保留にするぞっていうくらいの声明は一番最初にしなきゃいけないんですよ。大体、日本国の責任者が、日本国の一般国民のテロ犠牲者も報道されてんのにさ、なんにも触れないで、それでわたしはあんたたちに協力しますみたいなことを言うっていうのは本当に馬鹿だと思いますね。つまりそんなことを言うのはあとでもなんでもいいんで、日本としても犠牲者が出ているわけだから、こういう方針でいくぞっていうことをまず姿の見えないテロ容疑者にも、それから世界にもちゃんと声明を出すっていうのが第一だと思うんですよ。それをやらなきゃ、日本国って何なんだ?っていうことになるわけですからね。つまり国家としての独立的な意味合いっていうのは何もないっていうことを自ら明かしてるようなもんで、それはもう、間違っていたと思いますね。それから要するに、協力についての話し合いの問題になるわけです。つまり同盟国家同士の間の話し合いになるわけです。だけどそういう手続きを踏まないでやってしまったというのは、本当に阿呆だったですよね、日本っていうのは。 (P17) A 僕は平和憲法っていうのを次のように考えています。よく憲法九条が現実に合うとか合わないとかやってますけど、その論議自体に意味がないんですよ。当たり前の話なんですけど、平和憲法っていうのは理想主義に決まっていて、現実離れしているのは当然なんです。だから、修正して現実に近づけるなんてことはナンセンスであって、日本は世界中の民族国家で理想主義を掲げている唯一なところですから、その唯一性っていうのを、あくまで理想主義として理解しなきゃいけないんですよ。・・・・・・・・今おっしゃったように戦争の形態も変わってきていますし、もう少し近づくともう戦争はやめたって、馬鹿馬鹿しくてっていうふうな認識になるかもしれないし、そこまでは今の九条でいけると思いますよ。 (P17) B 僕はよく言うんですけど、1972〜1973年以降、今に至るまでの日本はいわば第二の敗戦期だと思うんですよ。その場合の敗戦って何かっていうと、それはもう経済戦争であったり、産業の戦争であったり、あるいは精神の戦争であったり、全然従来と違う戦争なんですけど、要するに、アメリカ型社会というか、高度資本主義社会化という部分でずっと追従してきたわけで。そういう意味で新しい戦争っていうか、日本は戦争に負け続けてきていて、今第二の敗戦期を経験しているわけですね。そして、アメリカからは、お前、不良債権をよくしろとか言われちゃって、それはそれなりに従ってのそのそやってるみたいなね。つまり経済的なことから産業的なことから精神的なことまで、敗戦処理を今やってるんだよっていうことですよね。・・・・・・・・・ そうでしょうね。それからどうしてそうなっちゃうかっていうと、もうひとつの原因は、やっぱり文明開化の持っている歴史と言いますか、たとえば、不良債権をなくして、銀行や産業をもっと整理しろっていうような、アメリカが日本に言ってくることに、今の時点では普遍性があるっていうことじゃないでしょうか。だから言われると言うことを聞く以外ないよっていうですね。少しでもそれに遅れてる後進的な国の自分たちとしては、言うとおりにするしかないよっていう感じですよね。それで日本人も言うとおりにすることが、決して悪いことじゃないよっていうのを大体わかっていて。それでやってるんじゃないですか。・・・・・・・・・・・・・・・・逆にイスラム圏の国なんかになると、ちょっとアメリカの理念とか、キリスト教的な観点とか、それから社会的な機構の在り方から距離がありすぎて、アメリカのやり方がいいやり方だよなと思えるとこまで届かないってことになるわけですよ。その距離というのが、テロでもなんでもいいからもうやっちゃえっていう形で今、現れているわけですよ。 (P21) C ・・・・・・だけど、19〜20世紀、一番いいと思われて疑われなかったユダヤ教やキリスト教の文明が必ずしもいいとは言えないぞみたいなことは、やっぱり日本みたいな立場の国が一番気づきやすいと思うんですよ。ちょうどその中間のところにいるわけですから。だから、ある意味では、そこで新しい何かができる可能性があるのかもしれないんですよね。高度な文明っていうのはどうなんだっていうことも大体よく分かっていて、ユダヤ教やキリスト教以外の世界観っていうのもよく知っているという。だから、高度資本主義社会としては二番手なんですけど、逆に言うといろんな国の文化の問題っていうのを割合によく見えるところはあるんでしようねえ。 (P21) 【3.現在への発言「アメリカ同時多発テロ」 吉本隆明+山本哲士 「吉本隆明が語る戦後55年 F】三交社 談話収録2001.9.17 |
備考 | 註.1 【1】のIJは、今までに何度か出会った表現。 |
項目ID | 項目 | 論名 | 形式 | 初出 | 所収 | 出版社 | 発行日 |
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306 | デフレはわるいことじゃない | エコノミストが語らない「真実」 | 論文 | 吉本隆明のメディアを疑え | 青春出版社 | 2002.4.15 |
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項目抜粋 1 |
@ 平成十三(二00一)年三月、アメリカのハイテク産業の業績の悪化が引き金で株安が始まり(ナスダック総合指数二000ポイント割れ)、すぐに日本に波及し、世界市場全般に影響を及ぼした。不況中で株安とデフレの傾向を克服できない日本の経済政策の不手際に世界中の批判が集中した。 A わたしは経済的に一般国民の水準にあるから、その立場ではっきり言ってみたいことがある。 すでに政府が認定したように、当時から日本経済はゆるやかなデフレ傾向に入っていった。衣料品から始まり全消費財まで、言い換えればファッションから牛丼まで、ことごとく半値に近いような安値で卸売りと小売りとに波及していた。これは一般の国民にとっては望ましく、悪くないことだとわたしはおもう。 一般の国民が我慢の限度まで消費を節約すると仮定すれば、それだけで国民総生産は八割に減少するという試算がある。これに耐えうる政府は保守勢力であろうと進歩勢力であろうと存在しえないとおもう。この怖さを政治、金融、企業の首脳はよく自覚すべきではないか。 B わたしの考え方では、保守政党と進歩政党(以前の革命政党を含めて)の距離は経済政策にかんする限りは現在の家庭の親と子の距離よりもずっと小さいとおもっている。言い換えれば、どんな政党が政権を担当しても変わりばえはないということだ。デフレ傾向に落ち込みつつある経済状況は、政府、金融、企業の首脳と一般国民の消費節約との我慢比べを指しているから、けっして悪くないと考えている次第だ。国民は完全失業率が五・五%に至るまで流血の負傷者を出している。平常ならば四%程度になっているはずだ。 金融機関や企業の合同が行われるたびに、リストラによる負傷者は増加する一方だ。アメリカに尻を叩かれなければ、素知らぬ顔で国民の負傷を楯にしてやり過ごそうとする政治家をおもい浮かべると、これらの負傷者が全快して社会の戦線に復帰する望みは、全く考えられないと言っていい。 デフレ傾向はただ政治経済の一現象として起こっていたのではない。国民やその負傷者の消費節約の忍耐力で起こるのだ。公認政党の政治家たちは、国民の潜在的な忍耐力を「なめたらあかん」と思う。経済問題にかんする限り、すでに主動力は一般の国民の手に移っているのが高度化した資本制の段階だと、わたしは信じている。 (P148−P151) |
項目抜粋 2 |
註.デフレは悪だとか、ターゲットインフレを導入せよとか、政治家やエコノミストらがさかんにまくし立てていたが、わたしは一消費者としてデフレは歓迎、いいことじゃないかと判断した。はじめどう判断したらよいかよくわからなかったが、吉本氏の思想の基準(例えば、公と民では、民を優先せよ)と日常の実感でそう判定した。ただ、吉本氏ほどの深い読みはできていない。ほんとにやつらはどこを拠り所にものを言ってやがるんだ? |
備考 |
項目ID | 項目 | 論名 | 形式 | 初出 | 所収 | 出版社 | 発行日 |
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311 | 太宰治 | 文学者の言葉 | 論文 | 読書の方法 | 光文社 | 2001.11.25 |
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項目抜粋 1 |
@ 戦争中、太宰治の作品はじぶんのアドレッセンス初葉そのものといってよかった。がさつな戦時体制下に、じぶんもそのがさつさを盛上げるのに加担しながら、いや、加担していたがゆえに、いつも狼狽し、へどもどして、優しい恥をさらしているような太宰治の世界に、心は吸い込まれていった。 この逆説的な体験は、わたしに文学が、いつも後ろを向きながら前へすすむ由縁を、おしえてくれた。太宰治の作品がなかったら、戦争は明るい荒廃と暗い健全の世界に似ていた、と思う。また、彼の作品が、生きて歩んでいったので、敗戦後の明るい健全と暗い荒廃を歩むことができた。 太宰が、デカダンツの人として、じぶんを負の十字架上に処刑したとき、わたしのなかで何かが死ぬのを感じた。それからあと、なぜ、生きてこれたのか、じぶんでもよくわからない。いまも、たくさんの死臭を掻きわけながら生きているという思いの奥底に、太宰治の作品が問いかけているような気がする。 (P271−P272 ) |
項目抜粋 2 |
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備考 |
項目ID | 項目 | 論名 | 形式 | 初出 | 所収 | 出版社 | 発行日 |
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318 | 大衆 | 私の文学―批評は現在をつらぬけるか | インタヴュー | 「三田文学」 | 2002.夏季号 |
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大衆の繰り込みということは、そういうふうに考えることと同じなんですよ |
項目抜粋 1 |
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項目抜粋 2 |
A あの人たちの書いたものを読むと、今の学生は程度が落ちたと一様に言っていて、こういうことを言おうとしているんだなということは僕にもよくわかるんだけれども、程度が落ちたとは思えないし、上がっているに決まっている。その上がり方というのは、今まで活字のなかに入ってこなかった、新聞もろくに読まないし週刊誌も読まなかった大衆が、だんだん週刊誌を読むようになったというふうに上がってきただけなんですよ。・・・・(略)・・・・・・つまり、大衆の繰り込みということは、そういうふうに考えることと同じなんですよ。 (P158)
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備考 | 註.「試験」ということと試験選抜の対象として「学生」を読むということに関して言えば、 昨年くらいから、大学生にテストをして、今の学生は常識力や学力がないなどと学者、教育評論家などが騒ぎ立て、大学入試センター試験科目もH16年から増える結果となった。せっかく入試科目が減少に向かっていた流れを、修正させ、高校生に心理的圧力や負担をかけるという犯罪性に、ノーテンキにもかれらは気づかずはしゃいでいる。また、H14年度から学校が土曜休みになったにもかかわらず、土曜の補習実施とかに心理的支援を送ったことになる。(H14.8.1) |
項目ID | 項目 | 論名 | 形式 | 初出 | 所収 | 出版社 | 発行日 |
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321 | 大修正 | 私の文学―批評は現在をつらぬけるか | インタヴュー | 「三田文学」 | 2002.夏季号 |
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ヘーゲル・マルクスの段階という考え方 | 国家というのは宗教の最後の形 |
項目抜粋 1 |
@ 大きな声で言うと、おまえはマルクスの思想を逸脱したと言われちゃう。けれども自分ではあれ自体にはまだ続きがあって、もう少し完成に近いところにもっていかなきゃいけないのに、論理がそうならない。要するに僕は、ヘーゲル・マルクス流の考え方をちょっと修正したというとおかしいけれども、別個に考えるというか、おれは違うように考えているということなんですね。本当は「アフリカ的段階」というのがもう少し完成に近づいたら、そういうことをあからさまに言ってやろうと思っているわけですけれども、今のところ声を大にして言うだけの論理的裏づけがないよなあと思っているから言わないんですが、本当は大修正を意味したいわけです。 |
項目抜粋 2 |
B ・・・・(略)・・・・・・極端に言うと、国家性あるいは地域性というものと、普遍性あるいは世界性というものは、いつまでもくっついたまま、相当先まで行くと思っています。・・・・(略)・・・・・・結局、国家とは何だと言ったら、宗教の最終形態なんですね。だから、いわゆる左翼の人たちと僕が違うと思っているところは、そこにもありますね。国家というのは宗教の最後の形だから、そんなに簡単に普遍性とか世界性という言葉を対置させて言っても、それでは通用しないと思います。 【 田中 言ってみると、マルクス・ヘーゲル的な世界像だと国家の問題は解決しないので、「アフリカ的段階」のようなものを想定されようということですか。】 そうです。それが文明社会のなかに既に入ってきつつあって、この次はもっと完全に入って、もう少し経つとそうなるでしょうけれども、そういう形態の国家というものはアフリカだけにしか残っていないという状況になる可能性は多い。 だから、その地域性と段階の二重性というのは、よくよく考えないとだめだと僕なんかは考えるから、国家というものはそんなに簡単になくならないよということと、国家というものを政治的なものとして考えていたらそれもちょっとちがうよ、宗教の最後の形態だよということを考えないといけないと思います。そういう問題を割合に完成に近い形で展開したいわけですけれども、今のところ、初めのところだけですね。 (P164) |
備考 |
項目ID | 項目 | 論名 | 形式 | 初出 | 所収 | 出版社 | 発行日 |
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322 | 太宰治 | 私の文学―批評は現在をつらぬけるか | インタヴュー | 「三田文学」 | 2002.夏季号 |
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項目抜粋 1 |
@ それから「広場に出る」ということを言ったついでに言えば、わかりやすい言葉で高度なことを言うのは大変なことだと身にしみて感じていますから、そういうことがちゃんとできているなということも含めて、この人はやっぱり滅びないで古典として残るのではないかと思っています。 |
項目抜粋 2 |
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備考 |
項目ID | 項目 | 論名 | 形式 | 初出 | 所収 | 出版社 | 発行日 | 抜粋したテキスト |
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339 | 第三次産業病 |
転換期における病理の行方 | 対談 | 時代の病理 | 春秋社 | 1993.5.30 | 時代の病理 |
対談者 田原克拓
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マルクスの分析 |
項目抜粋 1 |
@ マルクスは一所懸命分析して、そこで困っている人々を困らないようにするにはどうしたらいいのかというモチーフで、十九世紀末の資本主義経済の分析をやったわけでしょう。つまり、小なりといえども、おなじことをいまの資本主義の現状についてできるだけわかりたいというモチーフが、ぼくのモチーフなんです。それは抽象というのも理論としては重要なんでしょうが、それよりもそれこそ眼の前にある現象でどこを掴んだらいいんだということがものすごく重要だとおもえるんです。ぼくの掴み方はそういうことになります。 その基本にある考え方は、マルクスの時代でいえば、農業とか鉱業とか漁業とかと製造工業との対立、あるいは農村と都市との対立がまず資本主義興隆期の大問題で、ここでの公害問題は工場労働者の都会における肺結核であったわけです。そうすると、いまの資本主義はどうなっているのか。ぼくは、製造業と農業との対立より製造業と第三次産業、つまり流通業とかサービス業とか、医療もそこに入りますが、その対立のほうが、働いているひとの人口も多くなっているし、もちろん生産額も多くなっている。主たる経済問題はここに移行した。ということは、ここに焦点を据えて分析するのが妥当なんじゃないか、というのがぼくの考え方です。 もうひとつの考え方は、ひとが承認してくれるかどうかはべつですが、民衆というか大衆という場所が重要なんです。大衆というのはなにかというと、日本で具体的にいえば、八九パーセントから九一パーセントのひとが、じぶんは中流意識をもっているといっているわけです。この八九パーセントから九一パーセントという大多数の人たちを企業の中堅のサラリーマンとか中堅の働き手からいかに社会の主人公になりうるか、ということが課題の中心におくべきなんです。それがマルクスの時代は、中流じゃなくて下流意識をもっていて、市民社会から疎外されていたプロレタリアートを中心に据えなければおかしいじゃないか、というのがマルクスの考え方だとおもいます。いまはみんな市民社会のなかに入ってしまって、そんなのはいないんです。八九パーセントから九一パーセントの中流意識のなかの中流の下とおもっている人たちがそれに相当するんです。それもふくめて中流の人たちがどうなればいいのかということが課題だから、そこに視点を据えなきゃいけないし、現状分析および公害問題のほうは、もう製造業と第三次産業のあいだに起こる問題というふうにかんがえないとだめだろうという原則に立って、ぼくはやってきているわけです。 そうすると、八九パーセントから九一パーセントの中流意識をもった大衆とはなんなんだということになります。それは消費の場面に転換した労働者という言い方をしてもおなじだとおもいます。中流意識をもった大衆といっても、消費の場面からみた労働者といっても、それはイコールだとおもいます。どうしてそれはおなじになるのかといえば、いま申しあげましたとおり、先進的なところでは所得の半分以上を消費に使っているわけですから、そういう人たちはみんな、消費の場面に焦点をあてるのは当然なんです。つまり経済分析を主体とする社会分析をするばあいには、生産の場面よりも消費の場面に目をあてるのは当然なんだというのがぼくの理解のしかたです。そうすると八九パーセントから九一パーセントという一般大衆に視点をあてるという分析のしかたになってきて、そこでの公害問題は、疲労、過労の問題とか、それこそ田原さんたちの専門的な精神的な問題がますます多くなってくるとおもいます。いまでも潜在的に多いんでしょうが、それは多くなる一方だとおもいます。なぜならばそれは、製造業などの第二次産業とサービス業などの第三次産業とのあいだで起こっているからです。むしろ<第三次産業病>といってもいいくらいです。 (P222−P225) |
項目抜粋 2 |
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備考 |
項目ID | 項目 | 論名 | 形式 | 初出 | 所収 | 出版社 | 発行日 | 抜粋したテキスト |
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341 | 愉しいこと |
上野公園の冬 | 見えだした社会の限界 | コスモの本 | 1992.2.20 | 見えだした社会の限界 |
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自己治療 |
項目抜粋 1 |
@ ここ数年、冬から春にかけてうまく早起きができると、二十四時間営業のチェーン・ストアやセブン・イレブンなどのストアで、ポップ・コーンを二、三袋買って、寒さのきびしい上野の不忍池に、何度も立ちよる習慣になっていた。 折れ蓮の茎が一面におおう池水のたいだや、寒ざむと貸ボートがつないである水面に、何種類ものカモやアヒル泳いでいる。ポップ・コーンをばら撒いてやると一斉によってきて、きそって食べるのを眺めるのが愉しいのだ。 なぜ愉しいか理由をいくつかあげてみる。第一にあげたい理由は、水鳥たちはポップ・コーンさえ撒いてやれば、無条件によってきて、きそって食べる。こちらが善意をさしだすとかならず好意をもって応じてくれる鳥たちとの関係が愉しいということになる。これは、わたしの勝手な思いこみで、水鳥たちと人間の関係を擬人化しているわけだ。カモやアヒルは食の本能で撒かれたポップ・コーンにあつまってきて食べるだけだ。瓢湖の白鳥や、どこそこの白鷺などに、無報酬で餌を撒いてあげているおじさんや、収入のほとんどすべてを野良猫の餌代に費やしても、たくさん家に飼いあつめているおばさんが、時どきテレビ番組の画面に登場する。なぜそんな無償の行為を毎年繰りかえしているのかと訊ねられたら、きっとわたしとおなじ理由を第一にあげるにちがいない。上野の不忍池にも、冬のあいだ餌になるせんべいやパンの屑などをそれぞれもって、カモやアヒルに撒いているおじさんを、いくつか見かけた。たぶんその心理はわたしとおなじだ。 そのうえ第二番目の理由をあげると、カモでもそのほかの水鳥でも餌にあつまってきて、きそってついばんでいる様子を、つくづく観察していると、両手を縛られたまま飢餓を充たすような罰をうけた人間の姿といった連想が浮かんでくる。そして他人ごとではなく、おれも地獄の飢餓道に堕されるとあんな姿になるにちがいないと空想したりする。これもわたしだけの思いこみではない。神話や仏話のなかに水鳥は生まれかわって、池にたむろしたり、空を渡ってとんでいったりする人間の化身の説話がでてくるのは、そんな連想がおこりやすいせいだという気がする。系統発生的にいえば人間は進化の途中で鳥類を通過した可能性はない。だからなおさら連想と空想が願望につながって、伝承されることになったのかもしれない。 A カモやアヒルなどの水鳥は、餌を撒いたときだけきそってよりあつまってくるが、ゆきずりにちかい餌蒔きじさんに可愛い親愛の情をしめしているわけではない。餌を食べつくすと「はい、さようなら」といったあっさりした風情で散ってしまう。 これに比べると野良猫はちがう。わたしは時どきデパートで買った焼とりなどを、上野公園に棲んでいる野良猫にちぎってやることがあるが、はじめの警戒心がとけるとよりあつまってきて懸命に食いちぎるように食べ、親愛の情をしめして、撫でさせたり、ころんと転んでみせたりする。公園には野良猫があつまってくるいくつかの場所があり、やはり袋に猫の好物をもったおばさんが、ひとりでによってくる猫たちに、それを与えているところに出会うことがある。たぶんこのおばさんは毎日おなじ時間におなじ場所へきて、猫たちに餌をやっているにちがいない。このおばさんは猫好きなのはいうまでもあるまい。でもすぐにおばさんの孤独な日常生活の姿を空想してしまう。いや、ほんとは賑やかな楽しい生活をしていて、子供たちの声援におくられて、野良猫を養いにきているのかもしれない。 (P10−P12) |
項目抜粋 2 |
【 『こころから言葉へ』北山修との対談 】 B 北山さん、これはやっぱり自己治療ということから話すのがいちばんいいから言いますと、現在、日常生活のなかで、いちばん多く同じパターンを繰り返していて、そのなかできつくなったとき、僕はポップコーンか何かを二十四時間のストアで買って、散歩のついでに、朝、家から不忍池ぐらいまで歩いていって、そこでポップコーンを水鳥にやるんですね。それは自分の一つの治療法なんですね。そうやっていると、ほかにもおじさんがやっぱりパンの屑をもってきたりして、やっているんですよ。そのおじさんと俺とどこが違うかというと、自分でもよくわかるんですけど、僕のほうは、やりながらあくせくしている気分がのこるというか、やっているんだけどちっとも安心してないのですね。そういうのはおじさんと違うんですよ。それを感じるんです。でもやっぱり自分は治療しなきゃいけないとだけは思ってやっているというのは、ましと言えばましなわけです。 だけど一つ弁解させていただければ、僕は人類の歴史あるいは自然史の必然から追い立てられるということは、いくら病気だと言おうが何しようが、まぬがれることは出来ないんだよと思っていることです。だからそれに対して抵抗することは全面的には出来ないで、どうせ負けるんだけど、でもどこかで少しずつでも抵抗しなきゃいけないみたいなことでやっていると思うんです。だけど僕の理解の仕方では、どんな人だって歴史あるいは自然史の必然から逃げることは不可能だというのが根本にあるんです。それについて僕は、マルクスからいちばん学んだことのような気がするんです。それは僕から抜けていかないで、この必然からは絶対に誰も逃れられないと考えます。だからどういう抵抗をするかということだけなんだ。抵抗も、大きな声で抵抗したってしようがないので、ひそかな自分の営みでごまかすというか、だめなまでもそうしなきゃいけないという、そういうところでしか個人は抵抗できないんじゃないかなというのがあるんですね。 だから北山さんのおっしゃる、大学教授に多いタイプの人たちと違うのは、不忍池でちゃんとポップコーンをやっているんだぞということだけですね。やっているからどうっていうんじゃないけど、そういうところで自己治癒と言いましょうか、自己慰安と言いましょうか、そういうのはわかっているんだよ、みたいなことですね。要するに頭がいいなんていうのは社会的には目立つエリートでしょうけど、そういうのはやっぱり広い意味で病気だと思うんですね。だからどこかで治すやり方を自分であみ出す以外にないんじゃないかとおもうんです。 僕はそう思っていますから、病気にすぎないのを自慢している奴がいると、「冗談じゃねえや」という思いはあるんです。 (P49−P50) |
備考 |
項目ID | 項目 | 論名 | 形式 | 初出 | 所収 | 出版社 | 発行日 |
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365 | 大衆の原像 | マルクス者とキリスト者の対話(1) | インタヴュー | マルクス―読みかえの方法 | 深夜叢書社 | 1995.2.20 |
「止揚1」1970.12月
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権力の網の目 |
項目抜粋 1 |
@ だから、おれは生活者であって生活範囲だけでかんがえて、あすどうなるかということだけ心配してそれで食っていければいいんだ、というものを「大衆の原像」として想定したとしても、ほんとうは目に見えない権力の網の目のなかにスッポリはいっているそういう大衆ですよね。なにもそんなものを物神化することはないということです。そういう大衆だとおもいます。 その大衆の可能性としてもっている範囲をかんがえますと、それは普通スッポリと権力の網の目のなかにはまっているわけですが、現実的には常に両面をもっているということだとおもいます。そのひとつは、もし政治力か゛身近までスーッとやってきたばあいには、たいていいままで無自覚にはいっていたけれど、今度は自覚的にスッポリはいって、なおさらそれを自分で受け入れてしまうという面です。それから、もうひとつは逆の面、逆の可能性だとおもいます。つまり、そういう人は、あまりいい例としてとらなければ、なにか自分の生活範囲のなかに、政治力みたいなのが直かに肌にさわってくれば、そうとうむちゃくちゃなことをやるかもしれないのです。だから、それがさわってこなければ、スッポリとはまっていて、さわってくれば、やりすぎるほどやるかもしれんということです。 ( P44−P45 ) |
項目抜粋 2 |
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備考 | 註.柳田國男の<常民>と吉本さんの<大衆の原像>との一致点と、一致してない点について。・・・・・( P43−P44 ) |
項目ID | 項目 | 論名 | 形式 | 初出 | 所収 | 出版社 | 発行日 | 抜粋したテキスト |
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370 | 中流意識の理念化 | 社会主義国家体制の崩壊と一般大衆の理念 | インタヴュー | マルクス―読みかえの方法 | 深夜叢書社 | 1995.2.20 |
「オルガン9」1990.6月号 聞き手 小阪修平
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項目抜粋 1 |
@ そうなるとおもいますね。それが間違いなんだというよりも、その段階は終わったといったらいいとおもうんです。知識人がつくりあげたプロレタリアートの像、プロレタリアートの解放の像、知識人が密教的につくりあげてきた理念というのは、段階として終わっちゃったよということで、解放の問題は一般大衆の地平線のところで、おおっぴらにこれはいいとかこれは嫌だとか論議したり、ジグザグしてみたりということをやっていける。つまり密教じゃない段階にようやくきたんだ。だからそれ以前の段階は間違っていたには間違っていたんでしょうが、それは終わったんだ。間違っていたとしたら、その段階がすでに終わっているということに知識人が気がつかなかった。それはやっぱり間違っていたのかもしれない。段階としてはある意味でやむをえなかったかもしれないとおもいます。 その段階が終わってしまったんだということに気がつかないところでは、一種の挫折感になるわけですし、ある意味ではぼくにもあります。上半身か下半身か分かりませんけれども、無駄なことしやがってというのがありますから、挫折感ありますけどもね。 ようするにおまえはバカだから挫折したんだといってもいいですし、間違っていたんだと自分にいい聞かせてもいいんですが、少し救済措置をとるとすれば、そういう段階もあったけど終わったんだ、違う段階にきた。一般大衆的次元で問題が考えられる段階にきた、そういう徴候がでてきたといっていいんじゃないかなあとおもいますけどね。 そうしたらばそうなんです。ごく普通のことなんです。大衆が自分でそれなりに判断していけばいいんだというのは、大原則だとおもいますね。ただ、なぜそれが理念でありえるかといえば、これが大多数だからとおもいます。中流意識の大多数が層をなしていますから、理念化の問題がそこで社会的通念になったり、政治的理念になったり、問題となりうるんだとおもいます。ただし原則は中流の上のやつは上のやつで、中のやつは中のやつで自分の判断どおりいけばいいじゃないか、これでいいとおもいます。 ( P168−P170 ) |
項目抜粋 2 |
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備考 |
項目ID | 項目 | よみがな | 論名 | 形式 | 初出 | 所収 | 出版社 | 発行日 | 抜粋したテキスト |
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375 | 転向 | てんこう | 「転向論」の解体 | インタヴュー | マルクス―読みかえの方法 | 深夜叢書社 | 1995.2.20 |
「海燕」1993年 12月号 聞き手 笠井潔
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思想というのは体験思想としていえば全部引きずる |
項目抜粋 1 |
@ ・・・・・・(略)・・・・・・・これだったら、ぼくはあまり関心がないし、なんかもう少し、その問題を<広場>にもっていけないかとおもいました。『転向論』(一九五八)でいえば、現存する社会全体に対するイメージに誤差が生じたという事実と、それから誤差を生じたということの内省とか、自覚とか、そういうのがふたつに相まって思考変換がおこる。そのことを転向といえば、やや広場にもっていけるんじゃないか、そう考えました。 それからもうひとつ、ぼく自身の理念に対するひとつの考え方に特徴があるとすれば、戦争中、軍国主義に肯定的で、敗戦のときにワーッと一挙に崩れ去って、どうして生きていったらいいかわからないっていう状態を体験しました。そこから徐々に自分なりに回復していくということがあって、それじゃ、軍国主義的な思想を全部捨てちゃってというふうになってるかというと、ぼくはちっともなってないようにおもうんです。戦後になってからもいろいろあるわけです。ぼくは企業の労働組合みたいなのにタッチしてたこともありますし、またそういうことを何回かやらないと戦後がすごしてこられないみたいなことがあります。現場をはなれてしまうということも、また離れてしまえば考え方も違ってしまうということも含めて、やっぱりそれもまた思考の変換だとおもいました。その体験も転向の概念にはいってきます。 そういうことで、例えばAという思想からBという思想に移行したとして、Aという思想のなくならない部分は引きずってあるべきだといったらおかしいでしょうか。つまり、まずまるまる捨てるということはありえない。しかし、消えていくとか少ない部分になっていくとか陰に回っちゃうとか、あるいは潜在意識のなかだけの問題になっちゃうとかっていうことはありえます。全部引きずられているというのが、理念としてはいちばん妥当な姿だ、正当なんじゃないかなとという考え方があります。 加えて、たとえば軍国思想のなかで妥当だといいますか、この部分は捨てなくていいんだという部分があるとすれば、それは信条であれ理念であれ、捨てないで保存されて、Bなる思想のなかにその要素が溶けこんでいれば、そのほうがいいんだとかんがえます。思想というのは体験思想としていえば全部引きずるというのが妥当です。 だから、極端にいえば転向という概念を壊したいというモチーフを資質的にももってるし、実際、経験としてそういうふうにかんがえているとおもうんですよ。そういうことが転向をかんがえるのにとても重要だった気がします。 ( P238−P240 ) |
項目抜粋 2 |
A 大量というイメージが九割九分の人が、自分は中流だといいだしたら、まず、相当深刻なことになるよというふうにおもうんですね。そこまでいけば、だれにでも明瞭なように、党派的な思想は成り立たないし、転向、非転向も成り立たないし、なんかちがうことなんだよということがどうしてもリアルにでてくる気がします。 そこが、いまの大量生ということのいちばん飽和したイメージで、そこのところでいつでもおもい浮かべるんです。そのときに、なるようになっちゃったということではなくて、もしなにかいえることがあるんならば、いえる柱みたいなのがちゃんとつくられて、かんがえられてなければ嘘なんだとおもいます。、 ( P259−P260 ) |
備考 |
項目ID | 項目 | よみがな | 論名 | 形式 | 初出 | 所収 | 出版社 | 発行日 | 抜粋したテキスト |
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385 | 「段階」という概念@ | だんかい | 第2章 21世紀の「世界の行方」を読み解く | インタヴュー | 超「戦争論」 下 | アスキー コミュニケーションズ |
2002.11.22 |
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「段階」という概念の主体をなすのは経済 | 超資本主義 | 「段階」という観点は偶然性を排除する |
項目抜粋 1 |
ー西欧的段階、アジア的段階、アフリカ的段階の三つの段階という観点から、世界の構図をつくれるということを述べられたわけですが、そこでいう「段階」というのは、何を基準にしているのでしょうか?主たる基準は、経済の発展段階ということでしょうか? @ そうです。「段階」という概念の主体をなすのは経済です。特にマルクスはそうで、主に経済制度とか経済構造とかいう観点から段階ということをいっています。 土器なら土器といったモノと、経済制度や経済構造などをはじめとするその時代の制度や構造とのかかわりに注目したのがマルクスです。そこがヘーゲルとは違う点で、ヘーゲルだったら、たとえば土器の例でいえば、土器の文様の違いでもって、縄文時代とか弥生時代とかいった時代区分をして、そこに段階の違いを認めるわけです。僕なんかは、そういうヘーゲルの段階の考え方というのは、「不満だなあ」というふうに思っていました。 マルクスはそうじゃないんですね。たとえば土器に縄目の文様が付いていたなら、その縄目の文様というのは呪術性の現れであって、その時代において、呪術が宗教的にも政治的にも重要な役割を果たしていることを物語っているというふうに捉え、呪術を重視するその時代の制度というものに着目して、時代を区分していき、段階というものを考えるわけです。 道具の模様の違いとかといった表層的な違いによって、段階を区分するのではなく、その道具の模様が、その時代の経済的制度とか社会的制度とか、政治的制度とかいったものと、どう関連していたかということにマルクスは着目したわけです。 僕は、そういうマルクス的な段階の考え方のほうが本質的だと思います。マルクスの段階についての考え方というのはそうで、マルクスは世界史の段階ということを、主として経済制度とか経済構造とかいう観点から分析したわけですが、各段階には、もちろん、それに応じた宗教というものがありますから、宗教という観点からも、段階ということはいえるわけです。 各段階の特徴を述べると、アフリカ的段階というのは、もっぱら採取経済に終始している原始・未開の段階ということになります。・・・・・・・ 宗教という観点からいえば、アフリカ的段階というのはアニミズムです。「雨乞い」なんかそうですが、お祈りをするとかして、人間が熱意を込めれば、自然を動かせると考えるわけです。 さて、次にアジア的段階の特徴について述べますと、アジア的段階というのは、経済的には農業が主体です。そして、政治体制ということでいえば、アジア的専制制度ということになります。大様に近い立場の者が経済を司っていて、民衆は与えられた土地を耕しているといった形態ですね。 また、宗教という観点からいえば、アジア的段階の特徴は自然崇拝ということになります。人間の意志によって自然を動かすことはできないと考える点は、アフリカ的段階と違う点ですが、自然の至るところに神が宿っていると考えるわけです。岩とか木とか、あるいは土地とかといった無生物にも神が宿っていると考える。「八百万の神」への信仰、多神教ですね。 西欧は、東洋に比べて内陸が狭いですから、東洋ほどには農業を主体とした時代が長くは続かず、農業社会からすみやかに脱して商工業社会に移行したわけですが、西欧にしたって、こうしたアジア的段階を通過してきているんですよ。 そこで西欧的段階について述べますが、西欧的段階というのは、経済的にいうと、資本主義ということになります。西欧的段階がいつからはじまったかということについては、人によって見解が違っていて、十七世紀からはじまったという人もいれば、本当の近代社会になった十九世紀からはじまったという人もいます。このあたりの区分けは大ざっぱですが、まあ、十七世紀から十九世紀の間に西欧的段階がはじまったと考えておけばいいんじゃないかと思います。それから宗教という観点からいえば、西欧的段階というのはキリスト教の新教であるプロテスタンティズムと対応する、ということになります。 A ーナショナリズム(国家主義)は、西欧的段階の産物ということになりますか? はい、そういうことになりますね。 ー日本もそうですが、現在の先進資本主義国は、第三次産業が主体となった消費中心の高度な資本主義になっています。そういう高度な資本主義のことを、「超資本主義」と名づけて おられるわけですが、超資本主義というのは、西欧的段階の枠の中に入るのでしょうか?それとも、西欧的段階の枠を超えた、次の新しい段階の現われなのでしょうか? そこが一番問題だということになるんでしょうが、あまり性急に結論を出しちゃうと、たいてい間違っちゃいますからね。僕は、超資本主義というのは、一応、西欧的段階の枠組みの中に入るんじゃないかとは思っています。でも、現時点では、そこは断定しないほうがいいような気がします。 超資本主義というのは、マルクスが考察した十九世紀の資本主義と比べれば、まるで質が違う資本主義であって、その意味では、資本主義という名称を使わずに、別の名称を使ったほうがいいとさえ思うくらいですが、それを、資本主義を離脱していく過程であると見るか、資本主義が非常に高度化しただけであるっていうふうに見るかによって捉え方が変わってきます。 (P174−P178) |
項目抜粋 2 |
B ー結局、「段階」という観点を導入することの利点はなんだ、ということになるのでしょうか? 「段階」という観点を導入することの最大の利点は、要するに、偶然性を排除できるということですね。世界の各国、各地域には、それぞれの地域性があります。各国、各地域によって、自然の風土とか気候とかが違いますし、あるいは種族とかも違うわけです。地域性という言葉は、偶然性という言葉に置き換えることができますが、地域性−つまり、偶然性ばかりに目が奪われていると、違いばかりが見えてきます。 ところが、段階という観点を導入すると、共通性、普遍性が見えてくるんですね。今回のテロ事件にしたって、イスラム原理主義が野蛮な宗教であるかのように報じられたりして、イスラム教とキリスト教との違いということが 強調されていますが、段階という観点から眺めれば、イスラム教とキリスト教との共通点がいろいろ見えてきます。 また、日本の天皇制というものにしても、「生き神様」信仰に基づくものであるという点では、チベットにおけるダライ・ラマに対する民衆の信仰と同じであって、それらは同じ段階にある、ということなんかも見えてくるわけです。いずれも、アフリカ的段階や、アジア的段階におけるアジア的専制制度の下で見られる宗教形態です。 ヨーロッパでは、アフリカ的段階を残した地域とか種族とかというのは少なくなっていると思いますけど、アジアにはアフリカ的段階が払拭できないくらい、たくさん残っています。 C ー時代区分的にいうと、日本では縄文時代がアフリカ的段階に相当し、弥生時代がアジア的段階に相当するということになるのでしょうか? そうです。それでいと思います。縄文時代というのは採取経済で弥生時代というのは農業が主体ですからね。でも、縄文土器とか弥生土器とかいった古代の器としての土器などの文様の違いで時代を区分しても、それは、ここでいう歴史の「段階」の違いにはなりません。制度の違い、宗教の違い、種族の違いといったことなどがそこに含まれていないと、歴史の「段階」の違いにはならないわけです。 (P183−P184) |
備考 |
項目ID | 項目 | よみがな | 論名 | 形式 | 初出 | 所収 | 出版社 | 発行日 | 抜粋したテキスト |
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386 | 「段階」という概念A | だんかい | 第2章 21世紀の「世界の行方」を読み解く | インタヴュー | 超「戦争論」 下 | アスキー コミュニケーションズ |
2002.11.22 |
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自由ということ | 過渡的 |
項目抜粋 1 |
@ ヘーゲルやマルクスがいう段階等のは、大きな括りであって、ある意味では大ざっぱな括りです。そういう大きな括りだからこそ、段階という観点を取ると、歴史を俯瞰できるというか、歴史の本質が見えてくるわけです。細部に気を取られて、あまりにも近づき過ぎて物事を眺めると、本質や全体像が見えなくなってしまいます。歴史もそうです。 (P219) A ヘーゲルのその歴史観、世界史観は、今でも有効だと思います。有効だという以上に、僕なんかは、その点は、ヘーゲルの真似をしているといってもいいほどです。 精神史というものも含めて、過去から未来に向けて段階的に進んでいく歴史的な過程というものと、もっと空間的というか、人間が現に生きている社会の地域性、特殊性というもの、その両方を重ね合わせながら、僕は世界なり、世界史なりの構図をつくっています。 そして、そういう世界なり、世界史なりを成り立たせている一番核にあるものは何かといえば、自由ということ、つまり自由を求める精神だと思います。別の言葉でいうと、理想主義っていうことになりますね。 人間というのは、誰しも、「こうなったらいい」という理想を胸に抱いていて、それを実現したいと思っているものです。人類の歴史というものを考えた場合も、同様のことがいえると思います。人間の社会は、今、こういうことでもめているけど、そんなもめ事はなくして、もっと住みよい社会をつくったほうがいい、もっと自由で平等な社会をつくったほうがいいーそういうふうな方向に向かって、人類の歴史は動いていると思います。 (P223) |
項目抜粋 2 |
B でも、資本主義が、本当に自由な社会を実現しえているかーつまり、個々人がいかように自由にふるまっても、相手の自由を侵害しないような形で自由を行使できるという、そうした本当に自由な社会を実現しえているかといえば、そんなふうには全然なっていません。今の資本主義社会では、自由競争という名目の下、その自由競争に勝った勝者はいい目にあうけど、自由競争に敗れた敗者はいい目にあえない、というふうになっています。そういう自由というのは、あまり意味がないというか、僕は本当の自由ではないと思います。 そういう点からいえば、今の資本主義というのはまだ過渡的なんだという言い方もできるかもしれませんが、段階という観点がないと、「今は過渡的である」という考えすら出てきません。 (P233) |
備考 |
項目ID | 項目 | よみがな | 論名 | 形式 | 初出 | 所収 | 出版社 | 発行日 | 抜粋したテキスト |
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391 | 大家について | たいかについて | X 老年を迎え、今、思うこと | インタヴュー | 吉本隆明「食」を語る | 朝日新聞社 | 2005.3.30 |
聞き手 宇田川 悟
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時代の問題 | たそがれ |
項目抜粋 1 |
@ なんと言うか態度からしても大家だっていう感じで、実質上もちゃんと大家だ、この作品がこの作家の代表作だとか、この作家の老齢でなければ書けない成熟した作品だ、たいしたもんだと思える作品があったんです。・・・・・・・略・・・・・・ 僕らにはいっこうそういうのがなくて、これがあいつを代表する著作だっていうものはないし、いつまで経ったって同じじゃねえかって、それでなんかつまんねえ。それからどう言ったらいいんでしょうね、批評文でも、小刻みになっちゃった、部分的な刻まれたようなものしか書けねえじゃないかって言われたら、完全にその通りだなあって思います。自分に安心できる、これ見てくれれば俺はいいんだ、大丈夫なんだ、これで象徴的にいえるんだっていう作品が未だにできていないなって自分でも思いますし、これは高齢化社会の良い面と悪い面と両方、表裏で、良い面と言えば、あいつまだ元気そうな少なくとも様子をしているじゃないか、書いているものもなかなか元気そうじゃないかってなるかもしれないけど、裏っ返せば、ちっとも大家らしい代表作がねえじゃねえか、小粒だって言われたらその通りで。まあ能力の問題もあるでしょうけど、べつの面から言うと、時代がちょっと違ったぞ、時代の問題だなって感じがあります。 A 日本だって僕らが鬱然たる大家でありえないのはそれはごもっとも、しょうがないよ、それは時代のせいだよ、時代の社会のせいだよっていう気がするんですね。それはなんでかって自分なりには考えますけど、少なくとも今の政治体制、経済体制というのは社会主義と言おうが資本主義と言おうが、どちらも同じように、全部 ”たそがれ”じゃないかな、いちばん大きな要素は、なにかがたそがれているんだよっていう感じはありますね。だいたい世界的にそうなっている。 (P202−P204) |
項目抜粋 2 |
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備考 |
項目ID | 項目 | よみがな | 論名 | 形式 | 初出 | 所収 | 出版社 | 発行日 | 抜粋したテキスト |
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392 | 食べ物 | たべもの | W 家庭生活をめぐる料理考 X 老年を迎え、今、思うこと |
インタヴュー | 吉本隆明「食」を語る | 朝日新聞社 | 2005.3.30 |
聞き手 宇田川 悟
検索キー2 | 検索キー3 | 検索キー4 |
「段階」という概念の主体をなすのは経済 | 超資本主義 | 「段階」という観点は偶然性を排除する |
項目抜粋 1 |
「味について」 ー 吉本さんは、料理を作るときの手際の良さとかスピーディさは、ご自分でおありだと思いますか。 @ それは、始めたころと終わりのころではだいぶ違うぜって感じですけど、うちの上の娘なんか見てると一遍にふたつもみっつもいろんなことをやって平気ですけど、僕はそういうことはできなかった。ぶきっちょだからだめだということもあるんだけど。 ー 一般的に言うと、料理の手際のいい人というのはわりと頭がいい人が多いんですよ。吉本さんはものすごく頭がいいから・・・・。 いいえ、全然良くないですよ、僕はもう(笑)。ひとつのことをやってると、なかなか次にいけない。それはもうひどいもんですね。 (P128) A 結局、人間の感覚の中で鋭敏な感覚と言えば、普通は目と耳ってことになるわけでしょうけど、僕は基本的にはもっと追求しちゃうと、味っていうことになるんじゃないかと思うんです。味っていうものの中にはいろんな感覚が入っているんじゃないでしょうか。よく鮭が生まれた川に帰ってくるのはなぜかって言うけど、学者たちに言わせると、同じ塩の味覚によって生まれた川を判別するという説と、生まれた川に含まれるプランクトンとか藻とかを嗅覚と触覚によって判別して戻ってくるんだという説と、主にふたつ説があって、どっちが正しいかというのはわかっていない。だけどほんとう言うとそうじゃなくて、魚の側から考えてみれば、水の流れ方の速さの触覚とか、口の中にプランクトンが入ってくる味覚とか、人間で言えば匂い、匂いの感じっていうものが水によって違うから、それで判別すると考えるのが妥当だと思うんです。 魚というのは、生物の発達史上で、どういう位置にあるかというと、水生動物から両生類、哺乳類という発達の経緯を考えると、いつでも中心点は魚にある、つまり、魚っていうのは、感覚の分かれ道、いちばん基本的なところにいると考えるとわかりやすくて、そういうふうに考えてくると、じゃあ味っていったいなんだろうというと、僕らが五感と言っているものが全部、部分的に入っているんですね。目の感覚、耳の感覚、味、口の中の触覚。逆に言うと、それらの感覚は根源的にはもとは一緒なんじゃないか、それがそれぞれ分化して味の一部になったんだと。 (P130−P131) |
項目抜粋 2 |
@ 結局僕は、食べ物で、ああ満たされたというのを考えると、どうしても、母親が作った味みたいなのに還元されてしまうわけです。すると、これは怪しいぞという、僕がうまいと言っているんじゃなくて、母親のことを思い出すということがうまいんだという、結局それじゃないかという結論になっちゃうんですけどね。 (P212) |
備考 |
項目ID | 項目 | よみがな | 論名 | 形式 | 初出 | 所収 | 出版社 | 発行日 | 抜粋したテキスト |
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396 | 沈黙 | ちんもく | 第一部 身体 第一章 身体 |
インタビュー | 老いの超え方 | 朝日新聞社 | 2006.5.30 |
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項目 1 |
<身体をとりまく嗜好> ー言葉 @ 沈黙じゃないでしょうか(笑)。仏教で言うと無言の行というのがありますね、それなんですよ。それは、中だけ言葉をいっぱいにする修行だと思います。外には出さない。 (P25) A 無言の行というのは、要するにしゃべらないことで内部を内面的な言葉でいっぱいにしてしまうということですね。多分、そういう修行だと思います。老人ならなおさらそうですが、妄想から空想、イメージがいろいろといっぺんにわいていますが、それを自分で外に発しないで整理してし秩序付けてしまうという修行だと思います。 人にそれがどういう状態かわからない。この人は黙っているけれども、何を考えているんだとか、何も言うことはないのかとか、ぼけているのかとか、いろいろ外からは判断が付きにくい。ご老人だったらなおさら顔はぼけていますからね、たいてい筋肉が下がるからぼけたようだけど(笑)、本当にぼけているかどうか分からない。でも、そういうふうに無言でいるようなときに充実する、これは言葉の価値という概念、ヨーロッパ流に言うと価値概念に該当します。 だから、充実させるには黙っているに限るとか、僕らだったら商売柄、それは書くに限るということですね。しゃべるのではなく書いているときの充実感というのがあって、書きながらしかものは考えられないものだと、そういうふうにしてしまっていますから。僕らは、もちろんしゃべるよりも書くのがいいし、言葉があるよりないほうが価値が、体の中に充満するような感じになります。 これは学者さんと違うところで、学者さんは頭で考えて、頭で進めていきますが、僕らは書かなくては思い起こせないということもありますし、書くから解決が出てきたということもあります。そういうのがちゃんと文章の中に入っていなかったら、学者さんの文章になってしまいます。だから、僕らは手で書き、手で感じるというふうになっているんですね。 (P26−P27) |
項目 2 |
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備考 |
項目ID | 項目 | よみがな | 論名 | 形式 | 初出 | 所収 | 出版社 | 発行日 | 抜粋したテキスト |
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397 | 超人間 | ちょうにんげん | 第一部 身体 第一章 身体 |
インタビュー | 老いの超え方 | 朝日新聞社 | 2006.5.30 |
検索キー2 | 検索キー3 | 検索キー4 |
項目 1 |
@ 老人になると医者が言うように運動性は鈍くなるし足腰は痛くなる。それは確かにそうです。だけどそれは通り一遍の理解の仕方ですね。それに精神を加えるとそれらの状態が極端に出てくることを実感するんです。要するに老人とは何かというと、人間じゃない、「超人間」だと理解するんです。動物と比べると人間は反省する。動物は反射的に動く。人間はそうではない。 確かに感覚器官や運動器官は鈍くなります。でも、その鈍くなったことを別な意味で言うと、何かしようと思ったということと実際にするということとの分離が大きくなってきているという特性なんですよ。だから、老人というのは「超人間」と言ったほうがいいのです。 A 意思と実際の行動の分離が拡大することを鈍いと解釈すると、そうなってしまう。そうではなくて、それは「超人間」的に分離したと解釈すると、両方で納得できるわけです。 (P40−P41) |
項目 2 |
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備考 | 註、Aの意味について |