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ID 項目 ID 項目
427 段階
458 天皇制
462 第二の敗戦期      
464 短歌・俳句・詩・物語の通路      
478 超人間      
483 大衆の原像を繰り込む      
486 神話への入り方      
496 天才領域      
         





項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日
427 段階 日本人の宗教観―宗教を問い直す 対談 『中外日報』2006年 吉本隆明資料集165 猫々堂 2017.5.25

対談者 笠原 芳光

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段階
項目
1
@
吉本 宗教的に言うことは僕の力ではないですけれども、要するに西欧の文化から一般的な日本人の考え方、思想や傾向をどういうふうに見るかというと、より情緒的、より情感的というふうに見えるんじゃないかと思います。

笠原 そうでしょうね。

吉本 西欧ではもっときっぱりと合理的に割り切れるはずのものが割り切れないというようなことは、日本人の情操過多というか、情緒過多、あるいは感情過多、そういうことからくるんじゃないでしょうか。日本人の倫理というのもそういうところからくるのではないかと思います。日本人は何かというと感情的、情緒的になって、論理が通らなくても通すとか、そういうふうに西欧からは見えるという要素がありますが、僕は日本人のそういうところというのは悪いことではないと思っています。
            (P80)
項目
2
A
吉本 西欧では、旧約聖書の「ヨブ記」などは典型的にそうだけど、神様とヨブとが問答するところで、神様がヨブに対して、お前は山をこちらからこちらへ移すことができるか、できないだろう、俺はできると。自分は自然さえも支配できるということを言うでしょう。それでお前にはできないだろうというのが非常に大きな要素になっている。要するに神は万物を創造したと。
 だからもちろん、自然をあっちからこっちへ動かすことは大丈夫なんだという考え方というのがヨブ記の中にはあると思います。
 
けれども、僕の造語した「アフリカ的段階」では、やはり人間は自然を動かせるものだと。一番典型的なのは雨ごいのようなものですね。乾期になれば、雨ごいをして雨を降らし、旱魃を解消する。それは最も古い信仰の形態としてあるという考え方です。これはその次の段階にくると、日本の場合でいえば、神様というのは物質的な自然そのものの中にどこにでもあるんだというふうになって、それはちょっと多神教的になる。


笠原 アジア的段階ですね。

吉本 一方、キリスト教の一神教というのは、そこのところをあまり大修正せずにずっとキリスト教の信仰を保ってきたというのが特色ですね。
 僕は一神教かそうじゃないかという分け方をあまりしないで、要するに段階が違うんだよと。
 段階によっていろいろな宗教が生まれてくるのであって、それは社会的な習慣、あるいは宗教性の中にも残っていて、やはり日本にも雨ごいをやった形跡がありますし、さればといって一神教かといえばそうではなくて、自然そのものの中に神が宿っているというような感じが普遍化して多神教的になっている。きっと仏教の一如とか、主観・客観区別できないというような問題は、どちらかの段階の名残が残っていることの証拠であると。

 それは、段階という言い方だとすこぶる言いやすい。その段階のたどり方が西欧と日本、東洋とはだいぶ違っているんですね。
            (P80−P81)

備考





項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日
458 天皇制 「まだ考え中」 インタビュー 2007.4 吉本隆明資料集169  猫々堂 2017.10.15 

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民族国家
項目
1

―― 先ほどからおっしゃっている自己問答と国家、社会の問題はどうつながっていくのでしょう。

吉本 社会は良くなった方がいいし、国家は豊富になった方がいい。でも国家はだいたいこれで終わりになると思ってます。
日本国のことだけを言えば、日本国というのは国家形態がきちんとできたのは平地で農業や漁業をやるようになってからですからね。それから考えたら、平地での農業が終わった時に今の国家形態は終わる。これで天皇制が続いたらおかしいですよ。いや、おかしかないか(笑い)、あった方がいいと思っている人が多ければ続くわけですけど、農業が終わったら終わり。あとの人はやることがないんだから、好きなことやって遊んでた方がいい。
 
民族国家が終わるときには、レーニンの言いぐさじゃないけど、世界のどこでも国家が終わる。西欧なんかはもう相当その段階に食い込んでいる。通貨が統一されるということは国家としてはもう終わり始めているということでしょう。
 (インタビュー「まだ考え中」P15-P16『論座』2007年4月号、『吉本隆明資料集169』)











[備考]

民族国家の行く末については、今のところよくわからないからわたしの註は保留する。


 最近「内田樹の研究室」で自分の天皇観について述べたり、また『街場の天皇論』という本をまとめ上げて出したりしている内田樹が、天皇について述べた文章に出会った。


けれども、長く生きてきてわかったのは、天皇制は(三島が言うように)体制転覆の政治的エネルギーを蔵していると同時に、(戦後日本社会が実証して見せたように)社会的安定性を担保してもいるということである。天皇制は革命的エネルギーの備給源であり、かつステイタスクオの盤石の保証人であるという両義的な政治装置だ。私たち日本人はこの複雑な政治装置の操作を委ねられている。この「難問」を私たちは国民的な課題として背負わされている。その課題を日本国民は真っすぐに受け入れるべきだというのが私の考えである。
 
ある種の難問を抱え込むことで人間は知性的・感性的・霊性的に成熟する。天皇制は日本人にとってそのようなタイプの難問である。
 (「日本人にとって『天皇制』は何を意味するのか―「ポピュリズム」に対抗する政治的エネルギー」内田 樹 2017年10月06日 http://toyokeizai.net/articles/-/189766 )
 


 わたしは内田樹をすぐれた批評家として内心で一定の評価を持ってきたが、もちろん疑問やそうじゃないだろうという思いもある。内田樹の批評の言葉の射程は主要には近代以降のものと見える。また、生活世界の普通の人々の感覚をどこか忌避しているような印象を持つ。ここでの内田樹が天皇を「政治装置」として捉える見方は先の敗戦でもはや終わっていると思う。だから、何をいっているのだとしか思えない。

 近代に特異な位置に祭り上げられた天皇、天皇制であるが、明治維新の天皇の政治利用は、年季の入った天皇を名誉会長的な位置に据えることで自らの維新勢力の正当化を図り、自らの勢力の安全保証とした。これは官僚の振る舞いや政治でだれかに責任を預けることで責任の所在をあいまい化するという現在的な問題でもあるが、鎌倉時代の二重権力(武家と天皇)にも見られるなど、この列島の伝統的な政治手法でもあった。結果として、明治維新の争いで互いの血を流すということは少なくなったのかもしれない。

 天皇制(象徴天皇制)が今なお持続している背景には、こういう風に内田樹のような思想家に限らず、それを支えるさらに強力な大衆レベルの受容と支持があるからである。この受容と支持は、もう少し一般化すれば、遙か太古より続く聖なるもの強力なものに対する人間の畏怖と尊崇に根ざしている。それは、始まりは慈愛と猛威を併せ持つ〈大いなる自然〉に対するものだったろう。それが、人間世界に持ち込まれて、今度は〈貴人〉に対する人々の畏怖と尊崇に変貌してきたのだろう。平地農業とともに始まった天皇制は、農業の終わり、つまり未来性を持つハイテク農業ではなく旧来の一次的な農業が担い手としても形態としても生き延びることができないようになると、その出発の動機の喪失によって、天皇制も終わるのだろう。ちょうど、動画などのネット配信が普及すれば、それまでの地域にあるビデオショップが消えていくように。

 しかし、現在の俳優や歌手やスポーツ選手などの〈貴人〉に対する人々の受容と支持が続いているように、依然として天皇への支持は生き延びていくように思われる。天皇制(象徴天皇制)が終わりを告げても、その余韻のように天皇の存在も一般化すれば天皇的なるものとして現在的な〈貴人〉と同じようなレベルでもっとながく生き延びるのかもしれない。それは、人間の始まりと共にあるような〈聖なるもの〉の意識や感情に根ざしている根深いものだからである。

 ともかく、天皇制や天皇に関するわたしの考えは簡単ではっきりしている。わたしたちがこの社会でほんとうに平等を実現しようとするならば、その重要なきっかけとして天皇という特別存在(特異点)は矛盾だから、わたしたちと同列の普通の人になった方がいいという考えである。





項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日
462 第二の敗戦期 「日本の家族を蝕む"第二の敗戦"」 対談 『中央公論』2007年9月号 『吉本隆明資料集169』 猫々堂 2017.10.15

※ 内田樹との対談

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退行現象 乱世 「世界で通用している概念が敵」という敗戦 理想の勘所
項目
1

@
吉本
子どもが母親に薬を飲ませて徐々に弱らせるだとか、子どもが母親を殺した後、その母親の首を持って自首するだとか、そういう話を聞くと
僕はすぐ歴史的に考えてしまいます。戦国時代に、合戦に参加して敵の首をとって自軍に持っていくと褒賞をもらえたという話や、斎藤道三の娘の濃姫が、織田信長のお嫁さんになって、隙あれば信長を殺そうとしていて油断ならなかったという話を思い起こします。
 
一種の退行現象とも思います。平和に見えるけど本当は、今急激に乱世になったと言えるのではないでしょうか。
 そして、その現在の社会的な移り行きの急速さを、僕ら軍国少年の感覚で言うと、"第二の敗戦"と言えますね。敗戦と言っても、敵国を想定できない。強いて言えば、
「世界で通用している概念が敵」という敗戦です。
 僕からすれば、イラク戦争はアメリカが起こしたテロというより仕方がない。アメリカはグローバル・スタンダードと言うけれど、英語は地域語にすぎないし、アメリカの思想も地域の思想にすぎない。それをスタンダードで通しているのは、文化でも、言葉でもなくて、軍事力や財政力です。その他に何もない。今は、そういう全体の概念を敵とする第二の敗戦期なんです。


A
吉本
 一つ一つの事象について細かく分析していくのも悪くはないと思いますが、ときどきは、「概念が敵」というくらいバッサリと大きく物事を切り取って考えるのも必要だと思います。
 年寄りの問題も細かく考えていても何も解決しません。今の日本には国営のものから私営のものまでさまざまな老人ホームがあります。老人をその老人ホームに入れて介護士たちが面倒を見ているわけです。だけど実感をまじえて言うと、そんなのはナチスがユダヤ人をガス室に入れて殺したのと同じだよと。ナチスは十分に自覚的に殺しているけど、お前らの場合はいいことしているつもりでしているからなおさら悪いんだぞと言いたいですね。
 今の日本に
理想的な老人ホームなんてないんですよ。要するに、いいことを言って、金を儲けたいだけ。今の老人ホームとか、老人相手の医者のふるまい方を見ればすぐにわかります。
 一方で、直接僕が見たわけではなくて、間接的に聞いただけなのですが、北欧で行われている老人に対する社会のふるまい方は、それが本当に行われているとすると、
僕ら老人の実感として、ほとんど理想的だと思いますね。
 確かにその国では、若い人はたくさん税金をとられていますし、主たる財源として、武器を輸出することで補いをつけているという問題はあります。しかし、相対的にどこが一番、
人間性を尊重しながら生涯をまっとうせしめることを主眼にしている進んだ社会なのかと考えると、それは北欧でしょう。
 日本は勘所が違うんですよ。老人の問題も、社会主義についても、
理想の勘所が違う。だからよくならない。

 ※@とAとは、連続した文章です。
 (「日本の家族を蝕む"第二の敗戦"」内田樹との対談 P119-P120『吉本隆明資料集169』猫々堂)





この吉本さんの「第二の敗戦期」という状況把握の根幹には、当然ながらこの列島の生活者大衆の自立という思想的な主流がある。

日本の老人ホームについて、「だけど実感をまじえて言うと、そんなのはナチスがユダヤ人をガス室に入れて殺したのと同じだよと。」という吉本さんの言葉は過激な比喩に見える。わたしは老人ホームの現状についてよく知らないから何とも言いようがないが、学校教育での子どもの処遇などを見てきた体験や実感から類推すれば、この国の、この社会の「人間性を尊重」の度合がまだまだ迷妄に彩られているということはよくわかる。
「勘所」は、例えばここでは「人間性を尊重」という本質的なところなのに、細分化された事象にばかりしか思考や実行の触手は届かない。もちろん、細分化された事象への思考や実行にも当事者たちの本質的なところへの思考が潜在している。

※ この「第二の敗戦期」に関しては、吉本さんへのインタビュー(2008年5月から6月)を構成した『第二の敗戦期―これからの日本をどうよむか』(2012年10月)という本が出ている。





項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日
464 短歌・俳句・詩・物語の通路 「討議近代詩 日本語の詩とはなにか」2007年5月 鼎談 『現代詩手帖』2007年7月号 『吉本隆明資料集169』 猫々堂 2017.10.15

出席者 野村喜和夫・城戸朱理・吉本隆明

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そのままのかたちではちょっと無理 俳句は主観的な表現と客観的な表現の問答歌 短歌形式のまま詩として通用する道 物語性の起伏は面
項目
1

@
   散文と詩を繋ぐもの(引用者註.小見出し)

吉本
いまのたとえば
短歌の作者や俳句の作者も、そのまま直接にいまの詩に近づけようとしているところがあって、それにいちばん直接立ち会っているのは岡井隆さんだと思います。俳句のひとにはあまりいないように思います。角川春樹さんが俳句は「魂の一行詩」と言って、俳句も内面性の詩には違いないということを言おうとしているんだと思いますが、そのままのかたちではちょっと無理ですよと言いたい。岡井さんみたいに考える以外ないんですよ。岡井さんは道をつけていると思うけど、俳句のひと、中村草田男以降の俳句はちょっとそうはいかないなあ。なのに「魂の一行詩」なんて言う。それは錯覚だと思います。もとから辿っていくと、いまの俳句のひとは考えていないだろうけど、芭蕉は意識してやっていることで、俳句は主観的な表現と客観的な表現の問答歌で、それをひとりの作家がやるってことなんですよ。芭蕉の俳句でいい俳句はちゃんと受け身のかたちで客観性を持たせている。それで主観性の五と客観性の五が違うとか、主観性の七と客観性の七が違うとかということを一所懸命やっています。それはいい俳句ほどやっていますね。いまの現代の俳人はのっぺらぼうにしちゃって五七五で現代の詩と同じものを作り上げようとする。季節さえ失いそうになりつつある。それはやっぱりちょっと違う。芭蕉はじつに見事にさりげなく、主観的な言葉と客観的な言葉を交互に出して、問答歌にしている。それは見事です。その二つが俳諧のほんとの姿なんです。これは詩としての俳句がどうであるかということよりも意味のあることで、そこに俳句の特徴があるのにいまの俳人は一行の詩とか一行の精神のこもった短詩であるとかしちゃう。それはちょっと違うんじゃないかな。このひとたちが現代詩と同じ道を見つけるのはまだ相当難しいんじゃないかと感じますよ。短歌については岡井さんはしょっちゅう七を三と四に分けたりとかそういう音数の試みをしたり、音数をなくしてみたり、それから内容的に短歌をそのまま詩と同じようにするために凝縮度を究めて、五七五七七で違うようにしたり。若いときからそうでしたけれども現在にいたるまでそれをやってきたのを見て、このひとはよくやるなと思った。最近のものを読んで、これはほとんど完成に近いと思いました。すぐに短歌形式のまま詩として通用する道をこのひとはちゃんとつけている。
 (「討議近代詩 日本語の詩とはなにか」2007年5月 P91-P93『吉本隆明資料集169』猫々堂)


A
吉本
 それがいま詩を書いているひとの詩とどうつながるのかはぼくにはわかりません。
ぼくらの発想はいまの俳句のひとと同じで、ここから言語の力を、あるいは文体を凝縮していけば詩と散文を繋げることができると、散文詩みたいなものを中間において考えてきた。散文と小説と詩との違いはいま言っているようなことで取っ払えるに違いないと思ってきましたが、たぶんこれはある一面にしか過ぎないのでぼくらが考え損なっているといまは思っていて、これだけでは散文と詩を直通路で繋げるのは無理じゃないかと。ぼくらも前から考えてきたのはいまの俳人と同じで、どこかで繋げられるんじゃないかと思って、苦心をしてきましたけれども、それはあんまり有効じゃない。もうひとつ何か足りないものがある。それが何かはわからないんだけど、物語性の起伏みたいなものをグラフで言えば線の山と谷のように考えていたんだけど、ほんとは線じゃなくて、物語性の起伏は面なんですよね。それを面として考えることができれば、散文の物語性と詩を接続することができると思うんです。そう考えてこなかったのがぼくの現在の反省点なんです。でも、いつかはそこを通るに違いないとは思っています。そこの問題をうまく考えられたらどういう形式になるかはわからないですけど、物語と詩が文体的にも内容的にも直通できると思います。
 (「同上」P93-P94) 


吉本
詩の場合も散文と繋げようとしてもだめだし、西欧における詩と繋げようとしてもいまのところどうしても片手落ちになる。これはほんとは工夫して乗り越えないとどうしようもない。いろんな分野でそういうことがつっかえてるという感じで、そのつっかえをどこから取っても、だれが取ってもいいわけですから、取ってくれるひとが出てこないかなと思っているんです。いちばんつっかえが著しい和歌からは岡井さんなんかがやってるじゃないのと。・・・中略・・・詩の場合、足りない要素というのはさっきも言いましたけど、物語の起伏を線として考えないで、それを含む面として考えないとだめなんじゃないかということなんだけど、どうすればそうなるのかはぼくにはわかりませんそれはもうお願いしますと言うしかない。
ぼくがいちばんつっかかっている問題はそこのところのような気がします。
 (「同上」P96-P97) 


B
 この日本の詩歌の三種、近代詩、短歌、俳句の発想の異質さは、何によるのだろうか。第一は、発生史的な相違による。古代社会に古代人の意識の産物として生れた短歌と、封建社会に町人ブルジョワジイの意識の産物として生れた俳句と、近代社会に近代的インテリゲンチャの意識の産物として生れた近代詩の、意識(主として感性と漠然と呼ばれている要素が関係する)と下部構造との関係の相違によるのである。第二に、第一の問題から派生する定型と非定型が文学的内容と関わる、かかわりかたがちがうのである。
 この二つの日本詩型の発想上の異質さは、ヨーロッパ近代詩における、自由詩と押韻詩との相違と同日に論ぜられない、断層があるのである。この断層を、本質的に規定しているのは、わたしの理論では、下部構造によって規定され、下部構造を規定し返すところの詩型に含まれる感性の構造の断層である。もし詩に関することでなければ、もちろん「感性」というコトバの代わりに「意識」というコトバを用いるべきである。
 わたしが、この理論をもとにするかぎり、
日本の現代詩歌の課題は、この近代詩と短歌と俳句との間にある発想上の断層を、解消する条件を見出すことにかかってくる。この条件が見つかれば、詩と短歌と俳句とは、たんに非定型長詩と定型短詞(引用者註.ママ)との相違にすぎなくなるのである。
 (「番犬の尻尾―再び岡井隆に応える」『吉本隆明全集4』P438-P439 初出 1957年8月)


 
わたしが、日本の詩歌の現状を基にするかぎり、このような段階における日本の詩歌の発想を統一する原型は、文学的内容、いいかえれば、詩歌におけるコトバの文学性に求めざるをえないのだ。そして、この文学性は、散文(小説)的発想からする文学性とまったく同一なものを指している。実例をもっていいかえれば、短歌の将来は岡井の作品を口語自由律に直した、

  どの論理も〈戦後〉を生きてきて
  肉が厚いから
  しずかな党をあなどっている

  (引用者註.岡井隆の元の作品は、
  どの論理も〈戦後〉を生きて肉厚き故しずかなる党をあなどる)

 このもの自体が優れた文学的内容をもち、コトバの芸術性をあわせもつ、そういう方向に行くべきなのだ。わたしの理論が、必然的に指向する日本詩歌の未来の統一図のイメージのなかでは、岡井が固執する意味での定型短歌は滅亡してしまう。
しかし、短歌的発想ではなく、散文(小説)的発想からする定型詩は滅亡しない。また能、カブキ式短歌は遺物として残る。
 わたしは、岡井の作文から、意味のありそうなところを取りあげながら、
詩、短歌、俳句の発想上の断層を、散文(小説)的発想をもとにする意味の文学性によって統一的に考察すべき必要を概説してきた。


 
日本の近代詩が、日本文学全体への影響を失って分裂したのは、わたしの実証的な考察によれば、有明、泣菫らの象徴詩運動以後である。すくなくとも、新体詩から藤村までは、日本の文学において詩の問題はいつも文学全般の問題にさきがけて提起され、さきがけて新たな課題を解決してきたのだ。では、何故に、有明、泣菫らを主導者とする象徴詩において、近代詩は日本の文学における主導性を失ったのだろうか。それは、象徴詩が、詩の思想性というものをコトバの格闘によって表現しようとし、形式上の格闘と文学的内容上の格闘を分裂せしめたからであった。詩における文学的内容上の格闘は、いうまでもなく、詩人の内部世界と現実との格闘によってしか生れない。ところが、象徴詩人たちは、漢語の視覚と音響効果および七・五調の複雑化によって詩の思想性の複雑化を企てようとした。象徴詩は、第一に形式と内容との分裂によって、第二に文学的内容を軽視してコトバの格闘におもむくことによって、日本文学全般の主導的な位置を転落したのである。・・・中略・・・
 象徴詩の転落した時期は、おそらく、
子規、左千夫、節、赤彦らに荷われたアララギ派の古典的レアリズムが、おおきな意味をもった唯一の時期であった。彼らは、岡井のように新しがらずに、古代社会に発生した短歌形式と発想をそのまま守ることによって、つまり自然物を相手にして生活した時代の古代人が、当然、自然と面し、そこに内部の世界をかかわらせることによって作りあげた方法を、そのまま延長するという逆手によって短歌的発想の効果を最大限に発揮したのである。即ち、かれらは、短歌的感性を変革しようとする企図によってではなく、短歌的発想を逆用することによって、短歌形式を復活せしめたのである。
 (「同上」441-P442 初出 1957年8月)






(備考)
Aの吉本さんの「現在の反省点」に関わる若い頃の考えは、Bに引用している。「物語性の起伏は面」ということは、よくわからないし、短歌、俳句、近代詩、物語と細分化された文学表現の間にどのような通路がつけられるのかはわたしは目下のところよくわからない。

まず、超太古の人間の無言語の段階から言葉が生まれかたち成す段階のことを想像するのと同様に、遙か超未来の現在の言葉を超えた超言語というものを想像してみる。柳田国男が「火の昔」で人間社会にとっての火の変遷を記しているが、主に江戸期までの焚き火のような灯りの状態から明治期の電灯という新しい「火」を想像することは不可能に近い。それと同様に、超太古の無言語や言葉のような状態や、遙か超未来の超言語の状態を想像することも不可能に近い。したがって、いまのところ超未来の超言語を想像してもほら話に過ぎないような無意味さに包まれる。ただ、人類が生存していたとして超未来では、現在の細分化されている芸術表現は、統合されてあらゆる感覚が総合された人工的なホログラフィー表現のようになっているのかもしれない。しかし、そんなことを想像しても現在のところ無意味に近いから、わたしたちは現在からの視野で細分化された現状の行く末をわたしたちの生涯に対応する短い時間尺度で考えることになる。

この問題は、短歌、俳句、近代詩と細分化された文学表現の現状であるが、といってもそれは、上のBで「発生史的」に述べられているように各々の時代性によって生みだされた文学的な形式が、変貌しつつ依然として現在にまで生き残って併存しているという問題でもある。そして、わが国の日本舞踊やバレーや舞踏やダンスと呼ばれるものの併存している現状と同じく、短歌、俳句、近代詩、物語と細分化された文学表現の併存が、すぐにひとつに統合されるということではないだろう。細分化は、その始まりが無自覚的な自然な表現ではじまったとしても、従来の形式へのなんらかの異和があったはずである。そうして、細分化を上り詰めることでそれぞれがさらに異質な世界を築いてしまっている。いつかは、細分化されたものを統合するような表現の形式が生みだされるのかもしれないが、ここで問題にされていることは細分化されたもの同士の間に閉鎖性を取り払って自由に行き来できる〈通路〉を作り出すということだと思われる。

短歌、俳句、近代詩、物語と細分化された文学表現は、現状ではそれぞれが直通で行き来できない閉鎖域を持っている。しかし、上空から眺めれば、それぞれ形式は違って互いに閉鎖的であるとしても、人間的な精神活動の点滅であるという点では同一である。この視線を直ちに行使しても無意味だけれど、つまり、現実の具体的な表現活動をしている人々にはなんら説得性を与え得ないけれども、人々の表現活動の芯にはそのことが内在すべきであると思う。

最後に付け加えると、この細分化された文学表現の間に通路をつけるという問題は、他の芸術表現についても同様だし、さらには人間社会の組織や思考においても該当するような、普遍性を持っているように思われる。





項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日
478 超人間 「老人は死を前提とした絶対的な寂しさを持つ」 インタビュー 『ロング・ターム・ケア』第55号2007年7月 『吉本隆明資料集171』 猫々堂 2017.11.30

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その実感 通説的、常識的な考え方 人間をわかることの骨幹にあること
項目
1

@
 私が言った「超人間」という言葉は、できるだけお医者さんや看護師さんなどの医療の領域に入らないようにしたいということです。患者ではないのですが、年寄りなので
その実感が出てきました。
 老人に対していろいろな考え方があるのでしょうが、自分自身の原形も含めて老人たちが元気になられるよう、人間は青年期、壮年期を過ぎたら衰えていく一方なのだという
通説的、常識的な考え方をどこかで破るような言葉はないだろうかと考えまして、超人間としたのです。本当のところ、老人がどのような生活をして、何を考えていくのかについて、日本ではあまり触れたものがありません。人間をわかることの骨幹にあることを何となく言いたかったのです。

 (「老人は死を前提とした絶対的な寂しさを持つ」P54 『吉本隆明資料集171』猫々堂)





 (備 考)

「私が言った『超人間』という言葉は、できるだけお医者さんや看護師さんなどの医療の領域に入らないようにしたいということです」というのは、医療の領域という舞台に載せられ、医療の領域の現在的な視線から見られる老人という負のイメージを伴った心身の存在ではなく、自分の老人としての実感を踏まえて老人、すなわち人間というものをその「骨幹」から総体性として捉え直したいということだろう。

このことは、老人に限らず、もっと普遍的な問題を喚起する。例えば、子どもでも青年でも、発達心理学者などが捉える枠や概念に収まりきらないものを持っているはずである。





項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日
483 大衆の原像を繰り込む 「サブ・カルチャーと文学」 鼎談 『文藝』1985年3月号 『吉本隆明資料集171』 猫々堂 2017.11.30

※ 笠井潔・川村湊・吉本隆明

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知という観点 大衆の原像を繰り込めない知 僕の理念的な反省の仕方
項目
1

@
吉本 笠井さんのいまの話を聞いていて、『テロルの現象学』を読んだときもそうですが、埴谷(引用者註.埴谷雄高)さんと同じで、笠井さんの観点は、
知という観点のような気がしてしょうがないないんですね。と僕はそういう言い方を、たびたび繰り返してきたんですが、大衆の原像を繰り込めない知は結局は、党派として無限に閉じられていくことを避けることは出来ないのではないでしょうか。
 大衆の原像を繰り込めていない理念的な閉じ方は、あるいは知識の閉じ方は、駄目なんじゃないかというのは、それに対する僕の理念的な反省の仕方です。
 
すると自分自身も、知のところに入っていきますと、どうしても信条が党派的になってしまいます。集団を考えなくても、僕対世界とか、自分一人対その他大勢とかいう観点の党派にどうしてもなっていっちゃうんです。自分が知のなかに入っているときはそうなんです。
 これの防ぎ方は、まずないので知というのは、知でないものを繰り込めない限りは、どうしても党派性を避けがたい。それが、前から繰り返してきた処方箋なんです。
 そこからいくと笠井さんがはじめから持っている場所とか、埴谷さんがはじめから持っている場所は、僕にはどうしても不満となっちゃう気がするんです。
 つまり笠井さんの観点、あるいは埴谷さんの観点を、それじゃ無限に詰めていったらどうなるんだ。埴谷さんの場合には、要するに反政治的な存在として、とにかく現実的に生きるとか、生活するという感じになって、文学に対する政治性、文学の政治学とか、あるいは真理に対する政治学とかいうものは、作品自体のなかで実現していくことになります。現実の自分が無限に反政治的存在、あるいは非政治的存在というふうに、どうしても収斂していくわけですね。
 
その収斂の仕方がどこかでちょっとまずってしまえば、埴谷さんの今度の反核へのコミットみたいになっていく気がするんです。埴谷さんの曖昧さ、まあどうってことないルーズさでそこへ入っていちゃった(ママ)ということで、埴谷さんが厳密に自分を詰めていけば、政治的な存在に対して、反政治的な存在とか、政治的に無意味な存在というところに収斂すると思うのです。
(「サブ・カルチャーと文学」P131-P132『文藝』1985年3月号 『吉本隆明資料集171』猫々堂)
 ※ 笠井潔・川村湊・吉本隆明の鼎談 
 
 
A
吉本 
僕は自分の観点を収斂したら、谷川雁さんなんかが以前批判してましたけど、庶民ですね。そこへ僕は収斂していきますよ。つまり脱理念であるし、脱知識であるし、なんていうことはねえやというところに僕は収斂していくと思います。
 この収斂の仕方がいいとか悪いとかじゃなくて、僕の理念を詰めていけばそうなりますね。それ以外に党派性という問題に対して、防ぎようがないんじゃないかというのが、僕なんかのやってきた考え方なんです。

 僕はいまでもそれを修正する必要はないので、ただ僕は
大衆の原像と言ったときには、それはぜんぜん知的な場面とか、活字とか、そういうところに登場してこない大衆というものを想定したわけだけれども、現在みたいな高度な情報社会になって、実体としてそういう大衆を想定することは出来ないですね。全部もう活字のなかに入り込んできています。また言説のなかに入り込んできている。
 
そうするとその意味では、もう変わっているけれども、ただ大衆の原像というものを、どうしても繰り込む以外にないんだということは、修正する必要はないだろうと思っているわけです。
 そこのところが、ほんとうは僕にとって詰めていくべきことなんだけど、いまの自分はただそこのところが
分裂しているだけで、実生活では大衆、庶民そのもので、なにもないというふうに生活していて、それは書くことのなかでは、けっこうおまえも知的な収斂の仕方しかしないようなことをやっているじゃないかということになってきます。そこが分裂なんで、ほんとうはそこは詰めて曖昧にしないできちっとしていこうみたいなことがあるんです。方向はそうなんです。
 そうすると埴谷さんにも不満だし、笠井さんにも不満だし、柄谷君とか蓮實君とか、ああいう人にも不満なんです。それは信じてないよ、どうしてもあれは党派に行くよと言いましょうか。知の党派であったり、政治の党派であったり、いろいろあるでしょうが、しかし、党派に必ず行くんじゃないかな、そこがどうしても違うなという感じがするんです。
 (「同上」133- P134 )
 ※@とAは、ひとつながりの文章です。






 (備 考)

「大衆の原像」について、二人の証言

川村(湊) ・・・・じゃあ僕のほうにそういう大衆の原像みたいなものを持っているかとかいうと、そういうのがあまりないわけですね。
 (「同上」 P134 )

笠井(潔)・・・・つまり吉本さんが、大衆の原像というふうにおっしゃって、僕も吉本さんの本はたくさん読みましたから、ずいぶんそういうことを考えたわけだけれども、よくよく考えると、やっぱり分からないんですね。
 というのは、吉本さんのお父さんというのは、僕のおじいさんの世代にあたるわけですけれども、おじいさんというのは、僕の思想の根底を作る生活の実体験としては、お正月にお年玉をくれる人だったという程度のものですね。
 (「同上」 P139-P140 )


2018年現在、ともに60歳代の終盤に属する笠井潔と川村湊が、どういう生活環境で育ってきたのかはわからない。しかし、「大衆の原像」ということがよくわからないと述べている二人とも、おそらく中流の会社員などの家庭に育ったのかもしれない。つまり、彼らにとっては、生活地域に個々にバラバラの家族があり、ひとつの地域の中での人々の生活するイメージというよりも、個々のバラバラな生活イメージが断片的にとしてしまい込まれているだけなのかもしれない。彼らより少し若いわたしの場合は、まだ農業が多く占めるような地域の兼業農家に育った。そして、ひとつの地域の中での人々の生活するイメージというものがあった。どうも知的なふんい気の家庭に育ったとかの階層的なものによって、あるいは育ち方によって、「大衆の原像」ということが、わかりやすい、わかりにくいということが、どうしようもなくあるような気がする。

しかし、この「大衆の原像」というのは、どんな出身階層であるかに関わらず、生活世界に日々生きるわたしたちの有り様が抽出されたイメージである。ある抽象度を持った本質イメージとして把握されたものである。

おそらく上のような二人の発言踏まえて、吉本さんは次のように説明している。
吉本 大衆の原像というのを、こう言ったらわかってくれるかな。高度なところを頂点として、知識の秩序とか系列とかが全部を覆っているイメージを想定するとします。僕にはどうしてもどこかに知識の空隙、あるいは亀裂みたいな空間を生んじゃって、そこだけは知識の系が覆いきれない個所が存在すると思うのです、空隙を残さなければ、知識はいくら発達しても世界を覆ってしまうというふうには、ならないんだと考えると、その空隙が、大衆の原像というようなものに該当する気がするんです。そこでは、知識でないものが息をついている。その空隙は不可欠だという気がするんです。
 自分のこととしても頭のてっぺんから足の爪先まで知識を充填するイメージを自分で想定できないです。どこかでぼやっとしちゃっているとか、休んじゃってているとか、ダラッとしているということなしに、知識が自分の身体のなかに存立しうると、どうしても思えない。感覚的にいえば、ダラッとしている部分が、たぶん僕のなかにある大衆の原像に該当するんです。個のなかでも、社会のなかでもそれはありうるのではないのか、そこから見ていく見方が、知が収斂するしていくことに対する、歯止めになっている。
 (「同上」 P143 )


吉本さんのこの「大衆の原像」は、わたしたちの日常世界においてどのような場や様相として現象しているかとして比喩的に説明されている。いくつかの捉え方があり得るように思う。わたしの捉え返しとしては、次のようになる。人間の初源においてちいさな集落の日々の生活が知識や知識世界を生み出してきたのだから、知識や知識世界は、集落での生活世界を出身母体としている。つまり、それと切っても切れないつながりを持っている。別の言い方をすれば、人間を起源的に見ても知識や知識世界の肉体として生活世界があるということになる。したがって、知識や知識世界にとっては、その身体性を時には意識したり内省したりすることが大切になる。

知識や知識世界は、もはや太古の単純さではなく、知識独自の世界を築き上げてきたから、人が自らの赤ちゃん時代を忘れ去るように、自らの出身母胎とのつながりを忘れることはあり得る。そこで、上の吉本さんみたいに現在的な人の有り様からわたしも別の比喩として語ってみる。例えば、大人の会議でも言えることだけど、学校のクラスで子どもたちが話し合いをしているとする。そこでは、ある問題についての対応策として対立的なあるいは類似的な二つくらいの意見に集約されていくはずである。しかし、クラスの中のひとりひとりはそれらの二つの意見に対して、最終的には賛成か反対か保留かに絞られていくとしても、内心にはさまざまな絞り込むことのできない思いが渦巻いているはずである。ここで、「二つに絞り込まれた意見」を「知識」と見れば、「内心に渦巻くさまざまな絞り込むことのできない思い」が知識の肉体に当たる「大衆の原像」と見なすことができると思う。二つの意見から絞り込まれ一つに決定されたもの(知識世界の動向)に終わり、「内心に渦巻くさまざまな絞り込むことのできない思い」を繰り込むことができないならば、問題がより緊迫した重大な問題の場合は特に、その後の両者の関係は大きく乖離していく可能性もあり得ることになる。





項目ID 項目 論名 形式 所収 出版社 発行日
486 神話への入り方 赤坂憲雄『王と天皇』 多木浩二『天皇の肖像』 論文 (『言葉の沃野へ―書評集成・上 日本編』 中央公論社 1996.4.18

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天皇(制)の本体 天皇(制)神話や出自説話 歴史の事象の記述
項目
1
@
天皇(制)の本体に分け入ろうとするとき山口昌男の方法や、山口昌男の方法を拡張し、整えることでこの本でやっている著者(引用者註.『王と天皇』の赤坂憲雄)の王権論では、それこそ一般論的な解明しかできない。その理由は著者の考えているのとまるで違う。
『古事記』や『日本書紀』に記述された天皇(制)神話や出自説話は〈潜在的にアフリカ的な階段(ママ 「段階」か)を含むアジア的な段階〉の神話や伝承に属していることだ。まだ不確定な要素がおおいが、ここでは一応日本神話や民俗のアフリカ的な段階を縄文期に、アジア的な段階を弥生期に当てておくことにしよう。すると『記』や『紀』の天皇(制)神話は、アフリカ的な段階を潜在的に古層に含むアジア的な段階の神話、出自伝承の一種だということになる。山口昌男やそれを拡張し整備したこの著者の王権論が、日本の天皇(制)神話にも適応できないわけではない理由もそこにあるのだし、また山口昌男やこの著者や、わが国のすべての共同体(国家)と「外部」論者が駄目な理由もそこにあるといってよい。かれらが間違っているわけでもない限界は、円も楕円も、ヒョウタン形もトポロジカルにいえば同型だというのと同じかぎりにおいてであり、またそこまでが限界なのだ。かれらにとって残念かもしれないが、歴史の事象の記述は、一足とびにすべてをトポロジカルな同一性には還元できない。ウンター・クラッセン(註.1)としてのアフリカ的とかアジア的とか西欧的とかいう普遍性に類別してしか同一化されえないのだ。


A
 駄目な証拠にこの本の著者は、山口昌男の王権論では一般論しか展開できないと批判しながら、すぐに『記』『紀』の天皇(制)神話のなかから虫メガネで拡大しなければ顕在化しない
王殺しや貴種流離や外来王の記述を、無理にとりだし、輪郭をつけ〈ほら日本の天皇(制)神話のなかにも普遍的な「王」の問題があるじゃないか〉といっている西郷信綱や山口昌男から上野千鶴子にいたる外部主義者の手続きを追認しはじめている。わたしたちが地域社会から世界普遍性を虫メガネでとりだすこういう方法に飽きあきして不毛だと考えているのは、べつに「外部」をわきまえないからではない。そんな次元がすでに何の意味もないことを熟知し、まったくかれらと異った次元に立っているからだ。西郷信綱はスサノヲノミコトが高天原から追放される神話に、「王」の追放と流浪の普遍性を見つけようとし、大林太良は新嘗祭や大嘗祭に「王」(天皇)の霊が死(殺)されまた再生する普遍性をとりだし、アマテラスの岩戸隠れと扉開きの説話などに殺され王とその復活の姿の普遍性を見ようとする。何のことはない。これらの人たちが「王」の普遍性だとおもっているものは、ただ日本の天皇(制)神話もまたアフリカ的な段階を潜在的に含んでいるという問題にしかすぎない。地域の固有神話や個別の歴史や民俗の記述や事象のなかに普遍性を探るというやり方が、どんなに不毛かということに気づかなかったり、気づいても無智な内部の人間には、まだごまかしや啓蒙がきくと考えているとしたら、かれらの空振りなど取り上げて批判するにも値しないのだ。
 (『言葉の沃野へ―書評集成・上 日本編』P35-P36 吉本隆明 中公文庫)
 ※@とAはひとつながりの文章です。


 (註.1) ウンター・クラッセン
unter klassen(ドイツ語)か。サブクラス(下位クラス)





 (備 考)

わたしたちは、戦前の世代とは違ってもはや記紀の神話には疎い世代である。自覚的に関心を持ってそれらの神話を読む者は数少ないのではないかと思う。また、関心を持っても、神話の記述を事実と受け取ったり、現実の具体的な人物や出来事に当てはめようとしたり、神話を扱う方法が自覚的ではない。

神話や説話を読む場合、確かなものとして読むことができるのは、神話や説話をそれを生み出した当時の人々の無意識的な表現として読むことである。例えば吉本さんが、古事記の国生みの神話の表現からこの神話を生み出したのは海人系の人々ではないかと判断したように。それ以上に深く神話や説話を読み込みたい衝動はわかるけれども、現在の所の方法では、現在的な了解の視線を無意識的に携えてそれらを恣意的に解釈することに陥りがちだと思われる。

この項目は、吉本さんが縄文期や弥生期をどのような歴史段階として捉えていたかの備忘として設けたものでもある。





項目ID 項目 論名 形式 所収 出版社 発行日
496 天才領域 吉本隆明・まかないめし二膳目。 対談 ほぼ日刊イトイ新聞 2001.8

※ 「ほぼ日刊イトイ新聞」での「吉本隆明・まかないめし二膳目。」という対談。その第6回と7回より。

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個人ではなくて、ある領域に関して
項目
1

@
糸井 教えないだろうなあ。メシのタネの競争相手が増えるわけだから。・・・今の日本だと、その秘伝の逆で、何でもかんでも、やりかたまでもあらわしていきますよね。「ほんとうは誰でもできる」というところまでノウハウを出して、それでもなおかつ、 「そいつでなければいけない理由を探している時代」という感じがありますけど。・・・えーっと。非常に青臭い質問なんですけども、そういう時って、ひとりの人間の価値って、何が左右するんでしょうか?

吉本 ぼくはそういうことを考えたことがありますので、少しは、おこたえできると思います。ぼくの行き着いたところは、要するに、平均値といいましょうか。「あるひとつのことに関して、こうやれば食えるようになる」ということの、平均値が、おそらく10年なんです。
「あること」を10年間していたら、食えるようには、なる。それはぼくが、保証します。

糸井 (笑)「保証する」って。

吉本 そういうことに関しては靴屋さんであろうが小説家であろうが「おんなじ」だから、「十年間毎日ずうっとやって、もしそれでモノにならなかったら、俺の首やるよ」というか、それ以外には何にも関係ないよ、って、ぼくの判断としては、ぜんぶ、そういうことにしちゃっています。そうじゃないかもしれないんですけれども、ぼくは、そうだって、決めているんです。そうすると、村上春樹が
小説で書いているように、「おなじ成分のおなじシェーカーでカクテルを作っても、うまいものを作る奴とまずい奴には、必ず違いが出てしまう」
(註.1)という風なことは、ぼくは、認めないですね。そういうことを言う人も認めない、とぼくは、思っています。「・・・そんなことがあるか」っていう。おなじ器でもって、おなじ成分の割合で おなじように振ったら、おなじものができるのは、当たり前だ、とぼくは思っています。もしかしたら、違うかもしれないけど、「そう思ってうたがわないんだよ」と、ぼくは決めちゃっていますね。それ以外のことは、何もないよ、って。もちろん、才能みたいなものがあるとすれば、その人の器とか特徴とか性格までが発揮されていくでしょうけれど、 「そこまでのひとは、あんまりいない」というか。
 (<第6回  十年間、毎日、ずうっとやってて、それでモノにならなかったらクビやるよ。>2001-08-17 「吉本隆明・まかないめし二膳目。」ほぼ日刊イトイ新聞より )


A
吉本 例えば日本近代文学で飛び抜けたと言えば、明治以降なら、鴎外とか漱石とか、近ごろで言えば大宰治とか、その程度しか、いないのではないでしょうか。その、「ごく、まれ」な人たちには、これはちょっと普通の人以上だよ、と感じます。
つまり、「10年何かをやった、という以上のもの」を感じさせられます。それは何かを本人として作った、各人なりの工夫をした、と考えます。それでも決して、「才能として大きいから、こういう作品を作ることができた」とかそういう風には、思いません。思わないというか、そういう考えを、ぼくは、認めていない、と言いますか。

糸井 ぼくも、もともと、似たようなことを思ってたんですよ。「作品がとてもよく見えたりする」ということって、ありますよね。でもそれは、普遍的にすごいというよりは、作り手の「からだのかたち」だとか、「かおのかたち」の好みに近いようなものだと思うんです。好かれるとか嫌われるというのは、作り手と受け手という動物どうしが、においをかぎあうようなものから、生まれるように考えています。「あの人の、えも言われぬ世界」と言われるようなものは、ほとんど、ある時代の美意識の反映に近いと思います。そういう、どうしようもない力が働いてしまうのが、作品なのでしょうね。それを言わないで、普遍的にすごい作品だとか言っていろいろな時代の、いろいろな人間の感じ方を、ぜんぶがまるで対等にはかることのできるかのように扱うと、ものを見る時に、困ってしまうのではないかなあ。

吉本 そうだと思います。ぼくは、「10年以上やればなんだっておなじだよ」ということだけは、言っても間違ったことにはならないと思いますが、逆に「あの人は天才だ」ということは、なかなか言うことができないんです。
天才は、ない・・・。ただ、要するに、「天才領域」というものは、あるぜ、というように思うんです。ある時代には、才能を発揮できる分野があって、そこに入った人の中には、かなり、天才的なことをやれる人がいると思うんです。

糸井 吉本さん、最近、さかんに、「天才領域」について、おっしゃいますよね。

吉本 そうですね。
個人ではなくて、ある領域に関して、「これはすごいなあ」と思う時はありますね。糸井さんにも、ぼくはそう思うところがあって、「この人、ちょっと天才的だねぇ」と感じるところがあるのです。それは、「ある領域があって、その領域に入って何かを専門にする」みたいなことをやった人が、天才的になりうる、ということだと思うんです。文学なんていうものは、もう、どうしようもないもので、つまり、もう、そういう領域なんて、文学の中にはないんだよと、ぼくは、そう思います。「資質も何もなくても、十年間やれば何とか商売にはなる」と考えています。そこから超えて何かをしたという奴は、いないことはないのでしょうが・・・。せいぜい、「百年にひとりかふたり」くらいの数だよ、と思います。なかなかそういうところには行けないし、やろうと思ってできるものではないけれども、そういう人は、いないことはないんだと。

糸井 そういう百年にひとりかふたちの人と、十年間やった人との差は、もう、背の高さとかに近いものだっていう?

吉本 生まれつき体が大きかったとか、太っていた、というものに似ているもので、つまり、理由を言いようがないし、そのことを言ったり聞いたりしたところで、そうなれるというものでは、ないんでしょう。10年以上の何かを感じさせる人は、確かに、その人の内側から見れば自分なりの工夫を何かしたのだろうけれども。

糸井 (笑)秘伝を。

吉本 だけれども、それは経験の問題では、ないよと。言えないし、誰かが真似できるものではない。

糸井 うん。

吉本 経験だったら、間違いなく「10年やったら・・・」ということだと、ぼくは思えます。
 (<第7回 イチローの練習量は、たくさんじゃねえか。>2001-08-20 同上 )

※引用文は、原文は1行の文字数が少ないですが、普通に均しています。
※項目293 「十年やる」は、この項目の関連事項です。







 (備 考)

「言葉の吉本隆明@」の項目390「十年で一人前」の関連として、この項目を立てている。

以下は、「カール・マルクス」の中にある有名な言葉だと思うが、言葉の吉本隆明@の項目27「人間の価値」として挙げている。吉本さんの論理は若い頃から一貫しているところがある。論理の思いつきレベルの右往左往でなく、はじめ論理の核をつかみ、よりわかりやすく彫琢していくようなところがある。これについてもそう思う。以下の人間認識が「十年で一人前」には現れている。また、天才というものを認めないのもそこから来ているし、じゃあ世間で「天才」と呼ばれるものをどう判断するかと言えば、「幻想の領域」ととらえていて、これはこの項目の「天才領域」とつながっていると思われる。

「ここでとりあげる人物は、きっと、千年に一度しかこの世界にあらわれないといった巨匠なのだが、その生涯を再現する難しさは、市井の片隅に生き死にした人物の生涯とべつにかわりはない。市井の片隅に生まれ、そだち、子を生み、生活し、老いて死ぬといった生涯をくりかえした無数の人物は、千年に一度しかこの世界にあらわれない人物の価値とまったくおなじである。」

「ある<時代>性が、ひとりの人物を、その時代と、それにつづく時代から屹立させるには、かならずかれが幻想の領域の価値に参与しなければならない。幻想の領域で巨匠でなければ、歴史はかれを<時代>性から保存しはしないのである。たとえかれがその時代では巨大な富を擁してもてはやされた富豪であっても、市井の片隅でその日ぐらしのまま生き死にしようとも、歴史は<時代>性の消滅といっしょにかれを圧殺してしまう。これは重大なことなのだ。」

 (言葉の吉本隆明@の項目27「人間の価値」)


(註.1)
吉本さんは、村上春樹の作品中の言葉を「おなじ器でもって、おなじ成分の割合で おなじように振ったら」と捉え、「おなじものができる」と判断している。わたしはその村上春樹の言葉を知らないけど、もしかしたら振り方などが違うのかもしれない。たぶん作者の経験が作品に持ち込まれていると思えるからだ。この件に関して、わたしにも経験がある。大根下ろしが面倒だなと思って少し小さくしてミキサーにかけたことがある。まずくて食べられたものではなかった。同じようにすった形になっていても、よくわからないけど大根の繊維などの様子が違っているのかもしれない。





項目ID 項目 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日

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