言葉の吉本隆明④

 ―著作の序・あとがき等



 はじめに

 本の序文は、一般にその本の本文を書き終えてから書くのかどうか知らないが、吉本さんの序文を読んだ限りでは、本文を書き上げた後に全体を見渡して書かれているような印象がある。そうだとすれば、序文やあとがきは作者が表現の世界で格闘した後の余燼(よじん)の中で、全体を見渡したり、感じたりした場所から書かれているようだから、読者にとって貴重であると思う。

 自分のお気に入りの表現者については、何でも関心があり、知りたいものである。以下に、吉本さんの白川静『孔子伝』の本の帯のことばを取り上げているが、短い文章でもその表現者はその言葉の中に生きている。

 昔、わたしがよく観ていた『進め!電波少年』というテレビ番組で、吉本さんが番組制作側の求めに応じて顔を洗面器に付けるということをされていた。たぶん吉本さんの水難事故の後だったと思う。ビデオテープに撮っていたのだが、どのテープに入っているかわからなくなり、ビデオテープからDVDやBlu-rayディスクの時代になって、ビデオテープはほとんど捨ててしまった。このテレビ番組への出演については、インタビューか対談で、番組の場面が生真面目なものではなくお遊びであること、相手が何度も足を運んだこと、などから応じたというようなことを読んだ覚えがある。

 ビデオテープと言えば、NHKのETV2001「吉本隆明が語る・炎の人・三好十郎①社会的リアリストへの苦闘」、「吉本隆明が語る・炎の人・三好十郎②エセインテリへの絶縁状」(2001年4月23日、24日放送)を録画して持っているのだが、そのうちにと思っているうちに観る機会を逃してしまった。ビデオテープからDVDディスクへの変換サービスがあるのは知っているが、まだ手を出していない。
                        (2019.12.26)





 ※ 項目は、年代順にしていきますが、番号はここに取り上げた順番で、ランダムになります。

番号  項目 序文・あとがき等 所収  備考 
 
6. 『言語にとって美とはなにか』のモチーフ  「序」1965年5月頃 『吉本隆明全集8』晶文社 『言語にとって美とはなにか』
7. 二十年後 角川文庫版のためのあとがき 『吉本隆明全集8』晶文社 『言語にとって美とはなにか』
2. ある感想 ある感想1966.9 『カール・マルクス』光文社文庫2006.3.20 『吉本隆明全集9』にも所収
10. 世界思想へ 「序」 『共同幻想論』
1968年12月5日刊行
『吉本隆明全集10』所収
     
 
1. 優れた芸術品 優れた芸術品1972.11.30 白川静『孔子伝』(中公叢書)帯文 『吉本隆明資料集94』所収
猫々堂
11. 論への入口のこと  角川文庫版のための序
1981年10月25日
『共同幻想論』
1968年12月5日刊行
『吉本隆明全集10』所収
4. 『源氏物語』への入口 附録 わが『源氏』1985年9月30日刊、あとがき 1982年9月15日 『源氏物語論』ちくま学芸文庫
1992.6.26
 
9. 本を読むとは あとがき 2001.7.1 『読書の方法』光文社 2001.11.25
5. 少し余裕をもって 角川ソフィア文庫版まえがき 2001.8.14 『吉本隆明全集8』晶文社 『言語にとって美とはなにか』
8. 基本概念から表出史へ 角川ソフィア文庫版あとがき 2001.8.30 『吉本隆明全集8』晶文社 『言語にとって美とはなにか』
3. 二十一世紀のマルクス
―文庫版のための序文―
二十一世紀のマルクス2006.2.15 『カール・マルクス』光文社文庫 2006.3.20 『吉本隆明全集9』にも所収
 
 






下書き・メモ(工事中)

番号  序文・あとがき等 所収  出版社  刊行
    『芸術的抵抗と挫折』  
     
『高村光太郎』 1957.7
「過去についての自註」 より 『初期ノート 増補版』 試行出版部 1964.6.30 初版
 
  『共同幻想論』 河出書房新社 1968.12.5
  『心的現象論序説』 北洋社 1971.9.30
  「あとがき」 『増補 最後の親鸞』 春秋社 1976.10.31 初版
  「あとがき」より 『初期歌謡論』 河出書房新社 1977.6.20
  「あとがき」より 『世界認識の方法』 中央公論社 1980.6.20
  「あとがき」  『言葉という思想』 弓立社 1981.1.30
  「後註」より 『「反核」異論』 深夜叢書社 1982.12.20
  『マス・イメージ論』 福武書店 1984.7.10
  『ハイ・イメージ論 Ⅰ』 1989.4
  「あとがき」 『柳田国男論集成』 JICC出版局 1990.11.1
  「序」 『母型論』 学習研究社 1995.11.7
  「あとがき」 『アフリカ的段階について ー史観の拡張』 〈私家版〉 1998.1.20
「まえかぎ」「あとがき」より 『全南島論』 作品社 2016.3.30
     
 
     










項目ID 項目 作品名 所収 出版社 発行日
優れた芸術品 帯文 白川静『孔子伝』(中公叢書) 1972.11.30


作品


  優れた芸術品

 白川静氏の研究室だけは、大学紛争の真只中でも、こうこうと研鑚の灯りが途絶えることがなかったという伝説を生んだ。彼の主著『説文新義』の数冊は、わたしの手元にあるが、いまだ手に負えないでいる。
 この『孔子伝』は、「夢に周公を見ず」という孔子晩年の歎きをわがものになしえた白川静氏の、〈夢に孔丘を見ず〉という歎きを主調音に創造された、優れた芸術品である。かくの如き学徒は乏しいかな。
 彼の仕事を遠望するとき、流石に、少し泣きべそをかきそうになるのを、禁じえない。


備考

 (備 考)

 これは、白川静『孔子伝』に付された吉本さんによる帯の文で、その全文である。石川九楊の「―『字通』刊行記念― 白川漢字学なんて存在しない」(『白川静読本』 平凡社 2010年3月)にその帯の文の一部が引用されていて、それによって知った。さらに、ネット検索によって、その帯の文が猫々堂の『吉本隆明資料集94』に収められているのがわかった。そのいろいろが、ありがたいことである。

 石川九楊の文章は、吉本さんが愛用していて、長編詩『記号の森の伝説歌』の「演歌」の部分にそこから引用した白川静監修、小林博編『漢字類編』についても触れている。

 ところで、「彼の仕事を遠望するとき、流石に、少し泣きべそをかきそうになるのを、禁じえない。」という言葉の「少し泣きべそをかきそうになる」には、ちょっと意外な感じがした。ここには、同じく表現の世界の戦場に立つ者として、鎧を着けたまま遠望している孤独な吉本さんの素の表情があるように思う。







項目ID 項目 作品名 所収 出版社 発行日
ある感想 「ある感想」 『カール・マルクス』 光文社文庫 2006.3.20


※ この「ある感想」は、『カール・マルクス』(試行出版部刊 1966年12月)の「あとがき」として書かれている。
  1966年9月の文章である。

キーワード マルクスの救出とは、戦後二十年にして崩壊しつつある古典左翼の抱き合い心中から、マルクスを救出しようとするという意味
作品

 ある感想


 わたしが、マルクスの著作にかなり熱心にうち込んだのは、敗戦後三、四年を出ない頃と、ここ数年まえのふたつの時期である。その間に十年余りの歳月が隔っている。それぞれの時期に、読後いくつかの感想や評論を公けにした。
 いま、わたしにとってマルクスとはなにか?という自問を発してみるとさまざまな反応が蘇ってくる。敗戦間もない頃には、はじめて接した未知の世界という驚きがつよかった。ここ数年前には、マルクスの救出という当為がつよかった。マルクスの救出とは、戦後二十年にして崩壊しつつある古典左翼の抱き合い心中から、マルクスを救出しようとするという意味である。かれらは死ぬが、ただマルクスの虚像を抱いて死ぬのであり、マルクスは、かれらと心中させるにはあまりに実像を拓かれていないというのがわたしの感懐であった。
 かつては、それがわたしにとってまったく未知の世界であるという理由で、わたしはマルクスにたいして緊張した。こんどは、それを救出することができなければ、この世界は、わたしにとって思想的にはすべて崩壊するという思いのために緊張した。わたしは、いまもマルクスの著作から基本的にあらを見つけだすことができないということに驚いた。つまりマルクスの思想的力量に驚いたのである。ただ、かつてとちがって、マルクスのやったことと、やりえなかったこととは、わたしに相当よく見えるようになっていた。わたしが思想的にやるべきことは残されているという思いと、かつてあり、いまもある誰のマルクス理解にたいしても、それはちがうという思いとが、本書の底に流れるものである。これをわたしたちの出版部から出版することは、わたしのひそかな念願であった。
 (『カール・マルクス』 P182-P183 光文社文庫)
 ※末尾の5行は略した。
 ※晶文社の『吉本隆明全集9』所収の「ある感想」には、末尾に「一九六六年九月    吉本隆明」とある。


備考

 (備 考)

 吉本さんが敗戦後の若い頃からマルクスの強い影響を受けたことは知っている。晶文社の『吉本隆明全集9』所収の「30人への3つの質問」(『われらの文学』 1965年11月刊行開始の「内容見本」に発表された)によると、

 最も深く影響をうけた作家・作品は?

   ファーブル『昆虫記』、編者不詳『新約聖書』、
   マルクス『資本論』

 戦後、最も強く衝撃を受けた事件は?

   じぶんの結婚の経緯。これほどの難事件に当面
   したことなし。


 最も好きな言葉は?

   ああエルサレム、エルサレム、予言者たちを殺
   し、遺されたる人々を石にて撃つ者よ、・・・・・・
   (マタイ伝二三の三七
)

とあり、マルクスの『資本論』が挙げてある。ついでに「最も好きな言葉」に関しては、いつ頃からか知らないが、晩年には読者などからなんか書いて欲しいと頼まれた時のために、好きな言葉として宮沢賢治のあの「ほんたうのこと」を挙げられていた。


 この頃の吉本さんのマルクスに対する強いモチーフは、「マルクスの救出」ということであり、ソ連崩壊(1991年12月)以前のまだまだ古典左翼などが生き残っており、それが意識されている。そうして、「かつてとちがって、マルクスのやったことと、やりえなかったこととは、わたしに相当よく見えるようになっていた。わたしが思想的にやるべきことは残されているという思いと、かつてあり、いまもある誰のマルクス理解にたいしても、それはちがうという思いとが、本書の底に流れるものである。」とあるように、ひとりあたらしい状況へ、あたらしい世界へと入り込んで奮闘する様子が感じられる。

 「マルクスのやったことと、やりえなかったこととは、わたしに相当よく見えるようになっていた。」という吉本さんがたどり着いた場所は、次のような場所であった。敗戦後生きた心地もしないような自分を立て直し、自分がどこがまずかったかを踏まえて、戦争期の文学、思想の批判を展開し、あの大著『言語にとって美とはなにか』(1965年刊行)にまで到達した場所であり、そこでは日本人の心性や文学含めたあらゆる日本的な負性から自立して、表現された言語とは何かという万人に関わる言葉の世界の普遍の姿を解明しようとするものだった。そこに至る過程では、論争や批判含めて幾多の不毛の思いを吉本さんは噛みしめてきただろということは想像に難くない。そのような場所から見え感じられる実感が語られている。

 ちなみに、『吉本隆明全集8』には『言語にとって美とはなにか』が収められている。この解題は文庫版などの各種のあとがきやまえがきにもきちんと触れているし、それらも載せている。その「あとがき」(一九六五年七月)で、吉本さんは次のように記している。この言葉は一度出会ったことがある。

 つぎに、勁草書房の阿部礼次氏から本稿を出版したいという申入れがあった。わたしはこのときも、よくよんだうえで本気でよいとおもったならば出版するように求めたとおもう。阿部氏はよほど非常識だったらしく、やがて本稿を出版することに決めたという返事があり、わたしのほうもそれではと快諾した。・・・中略・・・未知のまえで手さぐりするといったあてどないわたしの作業の労苦よりも、阿部氏のような存在や、本稿を連載中のわたしの周辺の労苦のほうが、この社会では本質的に重たいものにちがいない。わたしは本稿にたいして沈黙の言葉で〈勝利だよ〉とつぶやくささやかな解放感をもったが、阿部氏やわたしの周辺は本稿の公刊からはどんな解放感もあたえられないだろうからである。








項目ID 項目 作品名 所収 出版社 発行日
二十一世紀のマルクス 「二十一世紀のマルクス
―文庫版のための序文―」
『カール・マルクス』 光文社文庫 2006.3.20


※ 序文は、全文。

キーワード マルクスが天然水と空気の牧歌性を平穏の印しのように考えていた枠組みの崩壊の徴候は、世界の先進的な地域を如実に破壊させていることを考える新たなる課題とみなすべきだと思う。
作品

 二十一世紀のマルクス


現在(二〇〇六年二月)までのわたしの理解では、『資本論』の大切な枠組みは二つあると考える。一つは天然水と天然の空気は使用価値はどこまでも拡大してゆく可能性を持つが、交換価値(いわゆる経済的価値)はゼロだという認識だ。ふつうの言い方に直せば、水と空気はまだまだ様々な用途が拡がる可能性があるが、ただだという考え方だ。もう一つは人間の外界にたいする働きかけは、一つの時代水準(たとえば現在)を社会的に想定(仮定)すれば一定の、そのときの水準をもつと言うことだ。ふつうの言葉でいえば個々の働き手の働きかけ方に、体の丈夫なもの、身体の弱いもの、あるいは勤勉なもの、怠け勝ちのもの、男性と女性のちがいなど、千差万別あるが、一つの時代の社会的な働きかけを考えるばあいは同等の一水準を想定すればよいということだ。わたしの言い方がまずいから、さまざまな疑問を覚えるのかもしれない。わたし自身ももっといい言葉を使いたいぐらいだから、とりあえず許しておいてもらいたい。
 ところで直ぐ疑問がわく。だいたい日本国だけを考えても、一九七二年ごろから天然水(たとえば六甲山の山水)をペットボトルに詰めて商品として販り出されたではないか。また気圏の上層にも生活圏の上空にも二酸化炭素の含量が増大して地球の気温と空気汚染がハードになり、専門家会議や国際協定で産業的制約が課せられるようになっているではないか。そう考えると天然水と空気は使用価値の可能性は増加するばかりだが、交換価値(価値)はゼロだという古典的な経済学の枠組みは疑問にさらされ、先進地域から危機を拡げていっている。また後進中進の地域は地域産業の進歩を制約されると反撥している。これはわたし個人の見解で必ずしも普遍性があるとは主張しないでおく。『資本論』の価値説は、経済学上、もっとも整ったものだ。そうだとすれば近代経済学を含む経済学上の価値論はすべて枠組みを危機にさらされていると言ってよい。
 よく知られているようにマルクスは『資本論』の序文のなかで二つの大切なことを述べていると思う。一つは、自分はこの著書のなかで「資本家」を否定的に扱ってる箇所があるが、それは「資本家」個人の人格の否定を云々しているのではなく、〈制度としての資本家〉に視点をおいて云々しているのだという旨を述べている。わたしの類推では当時資本家と言えばお腹をでっぷり膨らませて、人を人も思わず、自己の利得ばかりのために働く人間をこき使う悪人だというイメージを抱く人々がいっぱい存在したから、こんな注釈が必要だったのだろう。もう一つ述べていることがある。ダンテの言葉を引用して「汝の道を歩め、人々をして彼らの言うにまかせよ」という主意を記していることだ。それはたぶん人を人とも思わず、自己の利潤ばかりしか考えない、でっぷりお腹を膨らませた資本家やその追随者が実際にいて、マルクスたちを悪魔の化身のように言いふらしているものがあったからだと思う。運命はいつも人間をそのように訪れやすいものだ。けれどわたしが思うには、マルクスは親友エンゲルスが述べているように、「幾世紀を通じて世界最大の思想家だと、誰もが認めざるを得ない」人物であることは疑いない。わたしのコメントをつけ加えれば、けち臭い党派や党派性などで引き裂かれるような凡庸な政治運動家や思想家ではない。
 マルクスがあまりに偉大だったために言ったほうがいいのかも知れないが、現在(二〇〇六年二月)でも「資本論」の序で提出された卑小な党派性のもたらす問題は、世界の後進中進地域を蝕んでいるし、マルクスが天然水と空気の牧歌性を平穏の印しのように考えていた枠組みの崩壊の徴候は、世界の先進的な地域を如実に破壊させていることを考える新たなる課題とみなすべきだと思う。
 わたしはマルクスのような偉大を目指すものでもないし、その器量をもつものでもない。
でも自分のちっぽけなマルクス論の冒頭に、最小限これだけのことを註記しておきたかった。言うべきことは後から後からつきるところはないのだが、中世の偉大な日本の僧にあやかって、自己主体への慰安として「非行非善」(註.1)とだけは述べて、思想の直接性を主張しておきたい。
                        二〇〇六年二月十五日 吉本隆明


備考

 (備 考)

(註.1)
「非行非善」(ひぎょうひぜん)

 行にあらず、善にあらず、という意。念仏は、本願によって選択された行業であるから行者のがわからは非行非善であるということ。「信巻」で本願力回向の平等の「大信」を讃嘆し、

凡按大信海者、不簡貴賤緇素、不謂男女老少、不問造罪多少、不論修行久近、非行非善、非頓非漸、非定非散、非正観 非邪観、非有念 非無念。非尋常 非臨終、非多念 非一念、唯是 不可思議不可称不可説 信楽也。喩如阿伽陀薬 能滅一切毒。如来誓願薬 能滅智愚毒也。

おほよそ大信海を案ずれば、貴賤緇素を簡ばず、男女・老少をいはず、造罪の多少を問はず、修行の久近を論ぜず、行にあらず善にあらず、頓にあらず漸にあらず、定にあらず散にあらず、正観にあらず邪観にあらず、有念にあらず無念にあらず、尋常にあらず臨終にあらず、多念にあらず一念にあらず、ただこれ不可思議不可称不可説の信楽なり。たとへば阿伽陀薬のよく一切の毒を滅するがごとし。如来誓願の薬はよく智愚の毒を滅するなり。(信巻 P245)

と「非行非善」とある。なお、この文は四つの「不」と十四の「非」があるところから四不十四非の文といわれ、人間の相対の思議を超えた「不可思議不可称不可説」の本願力回向の信楽であるとされている。

また御消息では、
「弥陀の本願は行にあらず、善にあらず、ただ仏名をたもつなり」。名号はこれ善なり行なり、行といふは善をするについていふことばなり。本願はもとより仏の御約束とこころえぬるには、善にあらず行にあらざるなり。( 消息 P807)

とある。『歎異抄』八条には、
念仏は行者のために非行・非善なり。わがはからひにて行ずるにあらざれば非行といふ。わがはからひにてつくる善にもあらざれば非善といふ。ひとへに他力にして自力をはなれたるゆゑに、行者のためには非行・非善なりと[云云]。(歎異抄 P836)
といわれている。
 (ウィキアーク(WikiArc.wikidharma.org)「非行非善」より)
 ※「ウィキアークは、親鸞聖人が開顕された浄土真宗の所依の聖典や参考書籍を掲載し、聖典で使われる仏教用語の意味の解説を提供する為に2004年に開設されました。」



 吉本さんが、『カール・マルクス』(試行出版部刊 1966年12月)を書き上げて、マルクスを意識しつつ孤軍奮闘してきた約40年後の思いと註釈である。そこには、変貌してきた世界の姿に促された、その総体の像に対応しようとする言葉がある。








項目ID 項目 作品名 所収 出版社 発行日
『源氏物語』への入口 附録 わが『源氏』、
あとがき
『源氏物語論』 ちくま学芸文庫 筑摩書房 1992.6.26


作品

 附録 わが『源氏』




『源氏物語』については、山梨県石和町の市民講座みたいなところで、一度だけ喋言ったことがある。(註.1)もし『源氏物語』を読みたくなったらどうしたらいいか、からはじまって、この『物語』はどんな構成的な特徴をもっているか、どんなことに注意しながら読んだらいいか、そういう話が主であった。
 まず『源氏物語』が読みたくなったらどうするか。早速本屋さんにとんでゆくと、すぐに三種類の現代語訳の『源氏物語』が、安い文庫本で出ているのがわかる。与謝野晶子訳と谷崎潤一郎訳と円地文子訳である。どれかひとつを読むとしたらわたしなら与謝野晶子訳をすすめるにちがいない。なぜかといえばここには明治の町娘が、意味がわかろうとわかるまいとおかまいなしに、素読させられてゆくうちに、何となく『源氏物語』のリズムとイメージをつくりあげられるようになった、そういう教養の拵え方の直接体験みたいなものが、現代語訳の文体とリズムに輪郭のように映し出されているからだ。だがこの与謝野晶子訳は、自在に文章を分断したり、文脈を補ったり、また誤読したりしているから、原文を読むためのアンチョコにしようとすると、ひどい目にあう。・・・中略・・・与謝野晶子訳の『源氏物語』を、現在書かれている小説を読むのとまったくおなじに、先入見をもたずに読んで感じるものが『源氏物語』なのだ。誰も感じるにちがいないその感じはおおきくいくつかあげられる。第一に退屈するほど全体が長く、出ている物語の筋も繰り返しがおおくてもたれ気味になる。もうひとつは内心で舌をまいて感心してしまうほど、登場人物たちの高度な微細な心理のふるえの描写が実現されている。これは現在の小説作品の精緻な描写のあいだにおいても、決して劣ることはない。そしてもうひとつあえて挙げれば、無常の感性が自然の季節とおなじ速さで登場人物たちの心のなかを推移していく、そういう無意識の思想が作品をおおっている。
 これだけのことがうまく感じられたら『源氏物語』を読んだことになる。そのときそう喋言っていた。そして図々しいことに、わたしの引用した個所の訳文を挙げたうえで、その個所の与謝野訳・谷崎訳・円地訳を対象として並べ、いかに作品理解の深浅が訳文(主として訳者の補い言葉)のうえにあらわれるかを、とくとくとして語っていた。




時間さえかければ誰にでもできる現代語訳や実証研究を軽んじはしないが、じぶんの役割だなどと毛の先ほども思ったことなどない。口語訳は充分に時熟した時をもつ老大家がじっくりやればいいし、『源氏』を原文で読みこなしたなどというホラ吹き教養人と間違えられると、かえって困るのだ。またそんなことを自慢にするのはつまらぬ研究者にかぎるのである。わたしはわたしのところでだけしかできない『源氏』論をやってみたかっただけだ。これは思った以上に難しかったので、とうていうまくいったとはじぶんでも考えていない。ただ『源氏』は原文で読まなくては判らないなどという迷信の世界をうち破りたかったし、無化したいと切実におもった。わたしの手続きは簡単なカラクリになる。あの長尺の『物語』を他の訳や註釈を参照にしながら、与謝野晶子訳でくり返し、くり返し読み込んだ。そして『物語』の全体性についてのイメージをしだいに濃縮して、ほぼ作品のイメージをつかまえられるように思えてきた。わたしにとって原文が問題になったのは、その後である。わたしには原文はただ、与謝野晶子訳をはじめとする現代語訳を介してじぶんなりに濃縮した『物語』のイメージを、修正し、補強するためにだけ必要であった。




わたしは実証など心掛けずに、トポロジカルな同型性の指摘を、第一義として心掛けたものだ。もちろんそのなかに実証的見地から誤りがあるとはっきりすれば、わたしは即座に謙虚に記述を訂正し、それが高橋亨の指摘によると注記するだろう。そんなことは耻でも手柄でもなんでもないことだ。・・・中略・・・わたしが実証的な『源氏』研究や逐字的な註釈の積み重ねのたぐいを軽蔑しているなどとおもわれたら、まったく本意ではない。だがわたしが『源氏』論でやろうとしたことは、全然それとは別のことだと理解されない読み方を、研究者からされるのも不服だ。いささかでも表現としての作品そのものをではなく、作品の外部を堂々めぐりしていることになる論議は意識して避けようとした。まず作品そのものを論ずることを抜きにした『源氏』の研究などというものは、わたしの性にわない。・・・中略・・・
 わたしには、「サイデン」(引用者註.E・G・サイデンステッカーのこと。直前に彼の「『源氏』の十年」からの引用がある)はとんだホラを吹いているとしかおもえない。わたしはたぶん、現存する文芸批評家では、比較的日本古典を読んでいる方に属しているが、『源氏』の原文を「頭をひねりながら判読」してみても、たった二、三行すら正確には判読できない。また「ある程度以上のスピードで読める(正確にだ)」ような『源氏』研究者が現存するなどということを、まったく信じていない。
 ただ与謝野晶子のように、意味が解ろうが解るまいが、素読して(おそらく音読して)暗誦するほどに読んだ町屋の娘や武家の娘が存在しただろうことも、またそういう教養の拵え方の時代があったにちがいないことも信じる。
 (「附録 わが『源氏』」、『源氏物語論』吉本隆明 ちくま学芸文庫)
 ※上の「附録」は、新装版(1985年9月30日刊)挿み込み


 (註.1)

 「『源氏物語』と現代 ──作者の無意識」吉本隆明の183講演A070  ほぼ日
 講演日:1983年3月5日




 あとがき




 誰もが一度はかんがえるように『源氏物語』を論ずるのは、ひとつの特定の物語、特定の作品を論ずることではなく、作品そのもので、物語という概念、文学という概念全体を論ずることだ、というふうにかんがえてきた。そしていつかこの『物語』を論じてみたいとおもってきた。
 だがそうかんがえてみると、この『物語』にはいくつかの障害があって、とっつきにくくさせている。おもいつくまま挙げてみると、まず、この作品は男女の交渉する世界を、おもに女性の受苦、諦念、あわれとして、女性の側から描いたものだ。・・・中略・・・
 もうひとつわたしをおっくうにさせたことがある。この作品の世界は、環界としてみれば庶衆の世界から隔絶された少数の平安宮廷人たちの最上層の世界である。・・・中略・・・
 この『物語』は物語がそなえるべき条件を初源からきわめて高度な段階まで、完璧にもっている。だが長編の小説としてみると、ほんらい構成という概念にあたるものの大部分が、時間という本質にゆだねられている。そのために構造よりも循環が、外在的な構成の概念を占めている。そのためこの『物語』は数個の独立した作品を編んだものという印象にちかくなっているところがある。そのうえ繰り返しの世界に停滞している印象を強いる。この印象から脱出するのには、この『物語』の構成に加担している〈自然の無意識〉という概念を導きいれることが大切だとおもわれた。この『物語』を完全に掌握したなどというつもりはすこしもないが、わたしなりにわかったというところまでは、ゆきつくことができた。
 (「あとがき」1982年9月15日、『源氏物語論』吉本隆明 ちくま学芸文庫)


備考

 (備 考)

高校の普通科では、古文には必ず出会うから、高校生の時に多数の人々が源氏物語の二つ三つの場面には出会っていると思う。一方、先生の側からいえば、わたしの10年程度の体験では、高校の古文の授業では、教師は同じ学年を担当すれば何度も同じ話が教材になっていることが多いから、毎年のように同じ古文に教材として出会うことになる。そうすれば、作品の背景や登場人物の心理などについても十分に通じていると錯覚しやすい。しかし、実際はあまりよくわかっていないと思う。くり返し作品の場面に対面している大学などの源氏物語研究者にもそのことは一般に言えそうな気がする。


これらを読めば、吉本さんの人柄や知への姿勢、思想性が感じ取れる。手あかのついた『源氏物語』関係から手あかを払い落として、文学や思想の普遍の場を開き、そこで『源氏物語』がいろんな角度から論じられている様子が感じ取れると思う。


「実証的な『源氏』研究や逐字的な註釈の積み重ねのたぐい」について、例えば宮沢賢治の「心象スケッチ」という概念ひとつを押さえるにしても、先人たちの追究の積み重ねの賜物である。そのような無数の積み重ねの上に、わたしたちは対象の実像に肉薄することが可能となる。


ここでは取り上げなかったが、このちくま学芸文庫の『源氏物語論』 には、7ページ分の「文庫のための註」(1992年5月)が収められている。








項目ID 項目 作品名 所収 出版社 発行日
少し余裕をもって 角川ソフィア文庫版まえがき 『吉本隆明全集8』 晶文社 2015.3.25


※ 『言語にとって美とはなにか』の角川ソフィア文庫版の「まえがき」、末尾に「二〇〇一年八月十四日」とある。

作品



 この本が書かれて以後、わたし自身の言語についての考えがすすんだ点について単純に申し述べて新しい読者にも旧くからの読者にも参考となる入口の扉を開いておきたいとおもう。
 文学の作品や、そのほかの言葉で表現された文章や音声による語りは、一口にいえば指示表出と自己表出で織り出された織物だと言っていい。わたしはやっと今頃になって表現された言葉は指示表出と自己表出の織物だ、と簡単に言えるようになった。この本を書いた頃は新しい言語の理論を創りあげて、そこから文学作品を解き明かそうと張りつめていて、ゆとりがなかったのだ。今では少し余裕をもって、さまざまな形で言葉を自分なりに説明できるようになったというわけだ。
 たとえば「花」とか「物」とか「風景}とかいう言葉を使うとき、これらの言葉は指示表出のヨコ糸が多く、自己表出のタテ糸は少ない織物だ。別の言い方をすると何かを指さすことが一番大事な言葉である感覚と強く結びついている。文法からいえば、「名詞」というのが指示表出が一番強いということになる。文法上で代名詞とよばれている「僕}とか「君」とか「私」や「あなた」という言葉も、指示性が強いが、「名詞」ほどはっきりとした限定作用はないから、「名詞」よりやや指示表出性が弱い。まったくこれと逆に、いわゆる「てにをは」つまり助詞をとりあげてみると、これらは指示表出性はきわめて微弱だが、自己表出性はなかなかのものだと考えられる。たとえば「私はやった」という文章の「は」という助詞と「私がやった」の「が」という助詞とは、おなじように指示表出性は微弱だが、自己表出性を一番重要とする言葉だといえる。けれどこの微弱な指示表出性でも何かを指さす作用に違いがあることはわかるだろう。
「私はやった」というときの「は」は他人はやった人もやらない人もいただろうが、とにかく自分はやったのだという意味を指している。「私がやった」という場合の「が」は、或る事柄を自分だけは確かにやったというように受けとれるので、この二つの助詞「は」と「が」とは微弱な指示表出性だが、明らかにどちらを使うか指示するものの意味が違うことがわかる。この微妙な違いを識別することは、文学作品の創造や読解にとても大切なもので、わたしたちは意識的にも無意識的にも作品にたいして、この繊細さを行使している。




 もう少し先まで立入ってみると、たとえば胃がきりきり痛んで思わず「痛い!」と口に出てしまったとする。これも自分が自分に言いきかせたたことが一番強い根拠で、べつに他人に胃の痛さを伝える目的よりも思わず口に出てしまった「痛い!」だから、一番大きな自己表出性と微弱な指示表出性から成り立った言葉である。「痛い」という言葉は本来は状態をあらわす動詞に近い形容詞、あるいは形容詞に近い動詞に分類される言葉だが、この場合は、胃がきりきり痛くなったので、口に出てしまったものだから、感嘆詞に近い自己表出性を持った言葉ということになる。この「痛い!」はある場合には口に出ずに心のなかで無声の言葉とし内向するだけのときもある。また「ううん」といううめき声だけで痛い状態をあらわすこともある。このように、さまざまなヴァリエーションがあるが「痛い」はこのばあい擬制的な感嘆詞になぞらえられるといえよう。あまり深入りして混乱を与えたくないのだが、たとえば眼前の風景をみて「美しい風景だ」と言ったとする。この「美しい」は指示表出性と自己表出性が相半ばしているといえる。風景の状態を「美しい」と指し示しているとともに、じぶんの心が美しいと感じている自己表出性もおなじ位含んでいるからだ。
 このようにしてすべての言葉は指示表出性と自己表出性とを基軸に分類することができる。言葉を文法的にではなく、美的に分類するにはわたしの考え方のほうが適しているとおもう。言いかえれば文学作品などを読むにはこの方がいいとおもっている。




 もうひとつ申し述べておきたいことがある。
 指示表出性が一番大切な言葉は人間の感覚器官との結びつきが強い言葉だ。それは感覚が受入れたものを神経によって脳(大脳)につたえ、それによって了解する。自己表出性の強い言葉は、内臓の働きの変化、異変、動きなどに関係が深い。もちろん脳に伝えられ、了解が起ることは人間全部がそうなのだが、指示表出性の強い言葉ほど大脳に伝えられる神経は強い働きをしない。たとえば熱いお茶を飲むと強く「熱い」と感じる。しかしその熱さは「咽喉元(のどもと)すぎれば」という俚諺(りげん)に似ていてノドボトケより下の食道、胃、腸などの内臓では感覚が口腔の中よりも鈍く第二義的になっているからだと言える。もちろん心臓や肺臓などでもおなじで、植物神経系で自動的に運動している内臓器官ではすべてそうだと考えられる。この内臓器官の動きや感覚器官に比べて鈍く第二義的になった感覚は、自己表出性が一番大切な言葉(感嘆詞や助詞)の発生と深くかかわっている。わたしはこれを解剖学者三木成夫の遺された業績と、わたし自身の言語論の骨組とを関連づけることで考えるようになった。言葉のタテ糸である自己表出性は内臓の動きに、ヨコ糸である指示表出性は感覚(五感)の動きと関係が深いと見做されると言っていい。




 たとえば「わたしは学校へ行く」という表現がある。これは「わたし 学校 行く」のように助詞を抜いても、ほぼおなじ意味の文意だと他人に伝えられる。これは助詞(てにをは)の発生に示唆を与える。ある民族語が当初は助詞なしに名詞や代名詞と動詞だけでカタコトのように表現されていたが、リズムを整えるため、とか意味の流れをよくして心に適切なものにするために助詞を付け加えた。あるいは、名詞、代名詞のような指示表出を一番手とする言葉を補うように、名詞を崩して助詞化した。これは充分考えられることだとおもう。たとえば「山辺(やまのべ)の道」というのは「山辺」という三輪山ふもとの地名の場所にある道のことだ。ところで「山の辺の道」とすると「辺」は「ほとり」とか「山際にある道」という意味にもうけとれる。このばあい「辺」は地名の一部ではなく、一個の名詞になり、この名詞はさらに何々の方向へ、というばあいの方位をあらわす助詞「へ」に転化する。これは今考えついた即興的なものだが、地名の一部「辺」から、ほとりという意味の名詞「辺」になり、これは方向をあらわす助詞「へ」にまで転化できる。これはたぶん荒唐無稽ではない。
 本書の成立以後に、わたしの言語面で考えがすすんだ点は、簡単に言えばここに述べたことに尽きると言ってよい。いつか読者が、表現された言葉は指示表出をヨコ糸に自己表出をタテ糸にして織られた織物だというわたしの言語論の骨格を検証し、発展させてくれたら、と考えないでもないが、それは虫がよすぎると言うべきだろう。ただこの本の言語論は先達の智慧を借りながらわたし自身で築いたものだから、巨匠たちの言語学や文芸理論を読む折があったら、この本を片すみで追ってみてほしいとおもう。たぶんインド・アジア・オセアニア語の一つである日本語を基礎にした言語表現理論としては珍らしいものだとおもっている。
 (『言語にとって美とはなにか』、「角川ソフィア文庫版まえがき」 『吉本隆明全集8』晶文社)
 ※この「まえがき」の末尾には、二〇〇一年八月十四日、とある。
 ※②と③と④は、連続した文章です。


備考

 (備 考)

 『言語にとって美とはなにか』が刊行されたのが、1965年だから、それから四〇年後くらいの言葉である。ここには、折に触れ絶えず考え続けてきた言葉の姿がある。「わたしはやっと今頃になって表現された言葉は指示表出と自己表出の織物だ、と簡単に言えるようになった。」という言葉には、いろんな問題点を考え詰めて、わかりやすいしっくりくる言葉として言葉というものを指示表出と自己表出という自ら編み出した概念で掬い取れた、大丈夫だという自信のようなものがうかがわれる。


 ところで、言葉まみれのわたしたちが、日々発したり、使ったりしている言葉というものは、具体性や固有性を帯びたものである。『言語にとって美とはなにか』は、その表現された言葉をある抽象度で捉えたものである。そのために導入された重要な基軸が指示表出と自己表出という概念であった。わたしたちの現実的な言葉の表現は、人類が途方もない時間の中で、何かを指しつつ(指示表出)或る心の湧出を放つ(自己表出)ことができたという地点から、遙かな地点に到達してきているが、その起源としての言葉の機構は保存され強化され複雑化してきている。何かを指しつつ(指示表出)或る心の湧出を放つ(自己表出)という言葉の表現は、一体となった同時的な機構であるはずであるが、わたしたちの言葉や論理は、対象を一挙に丸ごと捉える術を持たないから、分析的に捉えつつ全体として総合するという方法をとらざるを得ない。だから、「言葉は指示表出と自己表出の織物だ」というのは、具体性として実際そうなのだというよりは、抽象レベルの把握というべきである。しかし、言葉は、人類の長年のくり返しや積み重ねによって、指示表出と自己表出が瞬時に織られたものだという捉え方は、実際でも、しっくりくるイメージであるように感じられる。


 吉本さんは、「いつか読者が、表現された言葉は指示表出をヨコ糸に自己表出をタテ糸にして織られた織物だというわたしの言語論の骨格を検証し、発展させてくれたら、と考えないでもないが、それは虫がよすぎると言うべきだろう。」とやや謙遜気味に語っているが、従来からあふれていた機能主義的な思考や把握を排した、この今までに類のない本質的な「言語表現理論」は長い生命力を持っていると思う。言葉の表現に触れるとき、この『言語にとって美とはなにか』は避けて通れないものとしてある。そうして、この検証や発展もなされるに違いないと思う。








項目ID 項目 作品名 所収 出版社 発行日
『言語にとって美とはなにか』のモチーフ 『言語にとって美とはなにか』の「序」 『吉本隆明全集8』 晶文社 2015.3.25


作品



 もうかなりまえのことになるが、少数の仲間でやっていた雑誌『現代批評』に、「社会主義リアリズム論批判」という文章をかいたころから、わたしは数年のあいだやってきたプロレタリア文学運動と理論を批判的に検討する仕事に、じぶんで見きりをつけていた。そこで生みだされた少数の作品をのぞいては、この対象から摂取するものがなく、批判的にとりあげることが、いわば対象として不毛なことに気づきはじめたのだ。もうじぶんの手で文学の理論、とりわけ表現の理論をつくりだすほかに道はないとおもった。プロレタリア文学運動とその理論の検討という課題は、わたしにとってたんに文学の問題だけではなく、思想上のすべての重量がこめられていたので、ついにじぶんのやってきたことは空しい作業だったということに目覚めたのはつらいことであった。だから思い込みからいえば、じぶんの手でつくりあげてゆく文学の理論は、とうぜん思想上の重荷を背負うはずだった。その時期が、わたしの文学上のいちばんの危機であり、わたしは少数の言語理論上の先達にたすけられながら、まるで手さぐりで幾重にもたちふさがった壁をつきぬけるような悪戦をつづけた。そして本稿によって、わたしは思想上の責任をはたしながら、その作業をおえることができた。




 文学をひとつの円錐体にたとえてみれば、じぶんは古典主義者である、ロマン主義者である、リアリストである、超現実主義者である、社会主義リアリストである、アヴァンガルドである……というのは、円錐の底円周の一点を占めているだけなのに、文学そのものを占めているように錯覚して、おなじ円周の他の点と対立しているだけだ。
 こういう文学の理論をすべて個体の理論とよぶことができる。現在、文学の創造がいぜんとして個性の仕事であるという意味で、たれもヴァレリーの名言を否定することができない。おなじように、現在この社会に階級の対立があり疎外があるかぎり、ペンをもって現実にいどもうという文学者の倒錯した心情もしりぞけるわけにはいかない。ただし、いずれのばあいも人が頭なかになにをえがこうと、たれにもおしとどめることはできないという意味からであり、どんな普遍性としてでもない。こういう個体の理論はどんな巨匠の体験をもってしても、どんな政治的な強制をもってしても、文学の理論として一般化することがゆるされないだけである。
 わたしが文学について理論めいたことを語るとすれば巨匠のように語るか、あるいは普遍的に語る以外にないことをプロレタリア文学理論を検討する不毛な日々の果てが体験的におしえた。わたしはまだ若く巨匠のように語ることができない。そうだとすれば後者のみちをえらぶよりほかにないのだ。
 文学の理論が、文学そのものの本質をふくまなければならないとすれば、現在まで個体の理論として提出されたすべての理論とちがったものとならざるをえない。ただこれを、ひとが理解するかどうかは、またべつもんだいだ。
 わたしは、文学は言語でつくった芸術であるという、それだけではたれも不服をとなえることができない地点から出発し、現在まで流布されてきた文学の理論を、体験や欲求の意味しかもたないものとして疑問符のなかにたたきこむことにした。難しいのは言語の美学について一体系をつくることではない。まして〈マルクス主義〉芸術論といわれているリカーチやルフェーヴルの芸術論やソヴィエト芸術認識論や日本のプロレタリア芸術論やその変種を批判するという容易なわざにつくことではない。一方で体験的な文学論に手をかけることもべつになんの意味もない。もんだいは文学が言語の芸術だという前提から、現在提出されているもんだいを再提出し、論じられている課題を具体的に語り、さてどんなおつりがあがるかという点にある。わたしがなしたことを語る前に、なぜ、いかになそうとしたかというモチーフをのべておきたかった。
 (『言語にとって美とはなにか』、「序」 『吉本隆明全集8』晶文社)

 ※「言語にとって美とは何か」(ささいなことだが、「試行」2号からは、題名が「言語にとって美とはなにか」に変更されている)は、雑誌「試行」の創刊号(1961年9月20日)から連載が開始されている。「試行」の復刻版の創刊号によると、後に 『言語にとって美とはなにか』の第一巻として1965月5月に刊行されたものの「序」に当たる文章が、初めにある。しかし、まったくの同一ではない。たぶん、①の末尾に引用した「序」文言からしても1965月5月近くに手を入れて「序」として置かれたものであろう。


備考

 (備 考)

 『言語にとって美とはなにか』は、文庫版など新たな版の度に吉本さんは本文に手を入れてきたように思う。本人のそのことに触れた言葉もあったと記憶している。そうして、版の度に新たな序文やあとがきなどが記されてきている。それを読むと、作者本人が作品を手放し、作品の外に出てからも、その作品との対話を続けてきている。つまり、ずっと考え続けてきている。作品は、完結していても未完であり続けている、と見ることも可能だ。


 わたしたちのこの社会における人間関係において、ある出来事が起こったとして、どうしてそうなったのか、この出来事の本質はどういう構造になっているのか、この出来事の未来はどうあったらいいのか、など、わたしたちは紆余曲折しながらも無意識的にもそれらの過程を踏んでいく。もちろん、途中で座礁したり、投げ出されたりして、時の流れに任せてしまうということもあるだろう。文学や思想の作品も「ある出来事」に当たると見なしてみる。すると、その作品に至るモチーフや過程があり、作品自体の展開する作品世界があり、その作品世界の内包する未完性の未来がある。したがって、作者は、生きているかぎり考え続けることになる。

①の吉本さんの抱いた不毛感は、人がこの世界の対象把握の過程において一般に避けられないものかもしれないという気がする。最初から手ぶらで文学の本質論に入り込んでいくということは難しいという気がする。現在までの理論や現在の主流の理論の批判的な考察において、現在を突き抜けるほかないのかもしれない。ただし、村瀬学『初期心的現象の世界――理解のおくれの本質を考える』を初めて読んだときには、これはいきなり手ぶらで本質論の世界に入り込んでいるなという印象を持った。もちろん、著者の体験知が背後にはある。

②の「文学をひとつの円錐体にたとえてみれば」、文学についての理論は「個体の理論」、すなわち局所系の理論にすぎないのにあたかも一般論のように思いなされている、があふれている。このことは、現在においてもあらゆる分野で依然としてそうであると言うほかない状況にある。普遍系を目ざすためには、自らの局所系への自覚や考察が不可欠なのに無自覚すぎるのである。局所系の言説をわかりやすい例えで言えば、わたしみたいにオリンピックに興味関心ゼロの者もいるはずなのに、あたかも全員がオリンピックに興味関心あるようなスローガンや施策を打ち出すこと。また、学習ということにまったく関心のない者やネガティブな意識しか持てない者もいるのに、そういう存在を繰り込むことなく、学習者-効果的な教育システム-学習成果などと人間を機能的に見て学習や教育システムを論じることである。








項目ID 項目 作品名 所収 出版社 発行日
二十年後 『言語にとって美とはなにか』、角川文庫版のためのあとがき 『吉本隆明全集8』 晶文社 2015.3.25


作品

 この本の内容を手がけはじめたときから、もう二十年もへだたってしまった。ことこまかなことは覚えてはいないが、たいへん孤独なあてのない作業の感じと、こんなことをしていてよいのだろえかという切迫感とが、重層しておおいかぶさってきて、けわしい緊張を強いられた。そういう全体の記憶だけは、あざやかにのこっている。
 この間に支えになったのは、おわりまで展開しきればわたしたちを律している近代批評の方法的な概念は変わるはずだという確信であった。また他方では、展開しきれずに中途で放棄してしまったら、役にも立たない概論をもてあそんだということになってしまう。そうなってはならないという思いであった。この孤立した環境のために、たいして気にする必要がない見解にかかわりすぎたり、反撥するほどもない見解を否認するのに、余計なちからこぶがはいることにもなった。こういう無用なエネルギー消費がなかったなら、この本はもっとさきのところまで手が届いていたかもしれぬ。これは現在あらためて読みかえしてみて、いくらか残念な気がする点である。
 けれど一方では、べつの思いもやってくる。未知の領域へすこしでも足を踏みいれるときには、まず場をきりひらくのに、周囲の重圧をはねのけ、そのあとではじめて本来的な作業にとりかからねばならない。これはわたしたちをとりまく宿命のようなものである。その意味ではこの本が、一種の眼に視えない論争の本の性格を背負わされていることに、かくべつの不服がない。この本の試みの意味は、はじめに自身で予感したように長い年月をかけて、すこしずつ理解されるようになった。それと平行してわたし自身にとっては、すこしずつ不満なところが眼につくようになった。わたしはもっとすすんだ足場のうえに綜合された言語の芸術論を展開してみたい衝迫をおぼえるが、現在のわたしの力量では、まだこの本の内容を全面的に超えることができないでいる。もちろんわたし以外の人がそうしてくれてもいいのである。
 二十年まえも現在も、わたしたちの文学や芸術は、さまざまな迷妄にとり囲まれている。文学や芸術はそれ自体が迷妄や信仰異質なそれと独立した領域であり、なによりも自由に入りそして自由に出ることができるものだ。そのあいだに捨てるもの、拾うもの、洗滌されるもの、積もるもの、などさまざまな体験が言語やイメージの領域を通りすぎる。この眼に視えない受容の体験のメカニズムを、ただ言語ということだけから始めて、解き明かそうと企てたのがこの本である。これはじっさいは無謀な企てに似て、しばしば立ち竦んだが、それだけに終わったとき達成感もおおきかった。はじめてこの本を手にされる読者を想定してこの達成感まで伝えられたらと願う。

  一九八一年十一月二十五日
                                            著 者
 (「角川文庫版のためのあとがき」全文、 『吉本隆明全集8』晶文社)


備考

 (備 考)

 前回の、項目6の「備考」で、わたしは、「①の吉本さんの抱いた不毛感は、人がこの世界の対象把握の過程において一般に避けられないものかもしれないという気がする。最初から手ぶらで文学の本質論に入り込んでいくということは難しいという気がする。現在までの理論や現在の主流の理論の批判的な考察において、現在を突き抜けるほかないのかもしれない。」と書き留めたが、そのことについて、吉本さん自身が引用文の第二段で触れている。


 「それと平行してわたし自身にとっては、すこしずつ不満なところが眼につくようになった。わたしはもっとすすんだ足場のうえに綜合された言語の芸術論を展開してみたい衝迫をおぼえるが、現在のわたしの力量では、まだこの本の内容を全面的に超えることができないでいる。」 この「綜合された言語の芸術論」とは、後のイメージ論による言語や映像を包括する総合性の把握の試みや「芸術言語論―沈黙から芸術まで」(2008年7月19日)という講演や『「芸術言語論」への覚書 』(2008年11月)を指していると思われる。


 このように、少なくとも『初期ノート』の時代から、吉本さんはずっと考え続ける人であった。考えてみれば、わたしたちを取り巻く世界の有り様やその渦中でのわたしたち人間の振る舞いの有り様に、これで終わりという終止符は打てないように思われる。世界も、わたしたちも、絶えざる過渡を生きているからである。








項目ID 項目 作品名 所収 出版社 発行日
基本概念から表出史へ 角川ソフィア文庫版あとがき 『吉本隆明全集8』 晶文社 2015.3.25


※ 『言語にとって美とはなにか』の角川ソフィア文庫版の「あとがき」、末尾に「二〇〇一年八月三十日」とある。

作品



 この本は『言語にとって美とはなにか』の後半のいわば各論に当たっている。たぶん日本語で日本文学の表現としてはじめての、通史になっているとおもう。
「表現としての」というのは、表現史と文学史とは必ずしも同じではないからだ。たとえば「物語のはじめ」と呼ばれている『竹取物語』は表現としてたいへん整っていて、文学史でいえば遙か後代の物語に対応する。また平安朝の『源氏物語』は表現史としてみれば、近代小説としてのすべての条件を具えている。だから現代語訳で読んでも少しも不都合ではないし、逆にして言えば現代語訳で読んでも内容を誤解することはありえない。『源氏物語』は「原文」で読まなければと称している米英系の日本学者(日本文学研究者)の文章を読んで、思わず噴き出しそうになったのを記憶している。近代以後の文学表現の特徴は、作者と独立に作品表現を扱えること、物語性の構成要素の全部または一部をはぶく(解除する)ことが自由なこと、作者の直接主観をあたかも地の文とおなじように(しかも区別して)作品のなかに登場させうること、などを可能にし、また実現していることだと言えよう。『源氏物語』は完全にこの条件を具えている。だから「原文」でなく現代語訳で読んでも誤読の余地はない。むしろ『源氏物語』を専門としている古典学者のほうが、近代以後の文学作品の構造を知らないために、誤読または読みきれていないばあいが多いと言えよう。わたしは微妙なところまでぬかりなく『源氏物語』を読んでいる古典学者を、折口信夫以外に知らない。




 この本の後半の特徴をもう一つ挙げれば言語表現としての、「能」や「狂言」が、「劇作」のはじめであり、江戸期の近松まで、その系統的な流れと特徴を指示している。これも折口信夫の『日本芸能史ノート』を除いて類似のことを成し遂げているものは無く、唯一この本の後半のために参考になった。わたしが何を成しえたかについて、これ以外に自分で言うべきことはない。文学作品の批評について、このほかにわたしは次に挙げる著書で触れている。関心があれば読んでくれたらと願っている。
 『初期歌謡論』(ちくま文庫)
 『詩人・評論家・作家のための言語論』(メタローグ)

  二〇〇一年八月三十日
                                          吉本 記
 (「角川ソフィア文庫版あとがき」全文、 『吉本隆明全集8』晶文社)
 ※①と②は、連続した文章です。


備考

 (備 考)

ここで、吉本さんが新しく創り上げたことは、『言語にとって美とはなにか』で重要な基本概念として、自己表出と指示表出という概念を生み出し、その自己表出という概念から〈表出史〉という概念を提出し、従来の時間軸に沿った文学史に代わって、〈表現転移論〉を試みたこと。わたしはまだ十分に把握できているとは言い難いが、これは実験化学者でもあった吉本さんらしい独創で、画期的なことであったと思う。


この項目を取り上げようとしていた時、ツイッターで偶然に次のような言葉に出会った。

吉本隆明bot
国家は国家本質の内部では、種族に固有の宗教がさまざまな時代の現実性の波をかぶりながら連続的に推移し、累積された共同体的な宗教の展開されたものであり、国家本質の外部では、各時代の社会の現実的な構成にある仕方で対応して変化する『自立の思想的拠点』
2020年7月6日


そうして、わたしはこれを次のように受けとめた。

あれ、これは、『言語にとって美とはなにか』の二つの基本概念、自己表出と指示表出じゃないか。そこから来た「国家本質の内部では」「自己表出の歴史として時間的に連続している」(『言語美』)という表出史としての捉え方。ここでもその二つの概念が駆使されている。

その言葉のある文章に当たってみた。

 国家は国家本質の内部では、宗教を起源として法と国家にまで普遍化される観念の運動のつくりあげたものであり、この本質の内在性は、社会の経済構成の発展とは別個のものとして、ただ巨視的な尺度のうちで対応性が成り立つものとみなすわたしどものかんがえは、言語本質の内在性を自己表出とみなす言語思想と一致している。そしてこの考察は、言語の指示性・コミュニケーションとしてみるべきではなく、言語本質の内部では自己表出であり、その外部本質では指示表出であるような構造とみなすことをおしえるのである。
 国家は国家本質の内部では、種族に固有の宗教がさまざまな時代の現実性の波をかぶりながら連続的に推移し、累積された共同体的な宗教の展開されたものであり、国家本質の外部では、各時代の社会の現実的な構成にある仕方で対応して変化するものとかんがえることができる。
 (「自立の思想的拠点」 初出は、『展望』1965年3月号、P175-P176 『吉本隆明全集 9』晶文社)

本文では、『言語にとって美とはなにか』の二つの基本概念、自己表出と指示表出に触れられていた。この文章は、『言語にとって美とはなにか』とほぼ同時期に書かれている。国家は人間の幻想性の表出が積み重ねられてきたものであるから、ここにも自己表出と指示表出が適用されている。








項目ID 項目 作品名 所収 出版社 発行日
本を読むとは あとがき 『読書の方法』 光文社 2001.11.25


作品

 読みたい本を買うこと、それを読みすてたり内容を調べたりすること、蔵書として本棚に並べておいたり、時には足の踏み場もなくなって古書店に売ったりすること。こういった書物にまつわることについて書いた文章を集めたのが、この一冊になった。・・・中略・・・通して読ましてもらって、わたし自身の記憶を喚起させられたのは六割か七割くらいで、あとは、うへえ、こんな文章を書いたのかという思いで、書いたことも忘れてしまっていたので、その根気と粘りにびっくりさせられた。こんな編集の人に出会えたということは、数十年の文筆業のあいだに数少ない幸運というべきで、感謝の意をまず申し述べておきたいと思った。
 わたし自身は、読書家でもなければ、蔵書家でもない。むしろ物書のうちでは怠け者の方で、職業人としては知識蓄蔵量は少ない方だと思う。(註.1) こういうわたしにも自分にふさわしい特徴があるとすれば、書物に対する物神性がないことだと思う。もちろん読書家に対しても、物神性はもっていない。調べたい本があっても、たいていは既持の本で間に合わせて、あまり恥かしがらない。その代わり、文献としては学術書から週刊誌や新聞まで、軽重を設けたことはない。極端に言うと、とにかく何の本を使っても、雑誌、新聞でもかまわず使って、やってしまえば(出来上がりにしてしまえば)いいんだろうといったアメリカ風の方が、同じ次元の文献を並べる欧州の学風より好きだと思っている。
 本を読むとはどういうことか。この本の中にもそれにふれた文章が幾つかあるが、一口に言ってしまえば、日常生活の必要上より少しでも蒙る心身の負荷(負担)も軽い負荷(負担)になるように本を読む行為のことだ、というのがわたしの考え方の中核にあるような気がする。生活の平準値よりも重い負荷(負担)になっても、職業にまつわる良心から本を読み、調べることは有りうる。むしろその場合が多いかもしれない。だがわたしは、そういう場合には読書と呼びたくないらしいのだ。日常生活の負荷(負担)も、本を読むこと、調べることの負荷(負担)も、人により職業により軽重さまざまだから、基準も何もない。文献としては同列に扱って、何はともあれモチーフとしたところをやり遂げてしまえばよいと思う。
 文献として読んだり、調べたりする本ではなく、読書のために読む本は、文献とは逆に、千差万別で、良い悪いの価値も、差別が多様にあると思う。
 果粒(結果)(引用者註.この「結果」は、植物が実を結ぶことの意味か)からみれば、その時々により多い読者を持った本は(いわゆるベストセラー本は)簡単に良い本の要素を必ずどこかに持っていると思う。わたし自身、しばしばたくさんの読者を持つベストセラー本を軽んじたり、馬鹿にしたりしたようなことを書いた覚えがある。(註.2) しかし、どんなに欠点を持っていても、少なくとも一つは大切な良さを持たなければ、ベストセラーにはならない。そしてこの大切な良さは、多数の読者に共通した良さだといえよう。
 
   二〇〇一年七月一日                 吉本記
 (『読書の方法』「あとがき」光文社 2001年11月)
 ※ 途中「中略」していますが、これは全文です。


備考

 (備 考)

(註.1)

言葉の吉本隆明② 項目563 「庶民感覚」 (「世界金融の現場に訊く)で取り上げているインタビューを読むと、「知識蓄蔵量は少ない方だと思う」ということが納得させられる。

このインタビューを読んで、少しびっくりした覚えがある。経済の具体的なことについては余り知らないでぼくらといっしょだなと思った。吉本さんは、論じる対象として必要な場合はちゃんと調べて準備するのだろうが、それ以外の知識としてはあんまり関心がなく、そんなことより生活の中で日々楽しむことを優先していたように見える


(註.2)

これは、『窓ぎわのトットちゃん』を論じた文章だと思う。それは『重層的な非決定へ』に収められているかと思ったら違うようだった。ちなみに、本書には、「重層的な非決定 ― 埴谷雄高の「苦言」への批判」に以下のような現在という状況を捉える有名な言葉がある。

「重層的な非決定」とはどういうことを意味するのでしょう?平たくいえば「現在」の多層的に重なった文化と観念の様態にたいして、どこかに重心を置くことを否定して、層ごとにおなじ重量で、非決定的に対応するということです。私はしばしばそれを『資本論』と『窓ぎわのトットちゃん』とをおなじ水準で、まったくおなじ文体と言語で論ずべきだという云い方で述べてきました。

また、講演A064「文学の新しさ」(講演日時:1982年1月21日 「吉本隆明の183講演」)では、初めの方で『窓ぎわのトットちゃん』に触れられている。しかし、「たくさんの読者を持つベストセラー本を軽んじたり、馬鹿にしたりしたようなこと」はここでは語られていないようだ。


「本を読むとはどういうことか。・・・一口に言ってしまえば、日常生活の必要上より少しでも蒙る心身の負荷(負担)も軽い負荷(負担)になるように本を読む行為のことだ、というのがわたしの考え方の中核にあるような気がする。」
これをひと言で言えば、吉本さんが書くことの本質は「自己慰安」(言葉の吉本隆明② 項目662「自己慰安②」参照)と言っているが、「本を読む」ことも自己慰安と捉えているとみてまちがいないと思う。








項目ID 項目 作品名 所収 出版社 発行日
10 世界思想へ 「序」 『共同幻想論』
『吉本隆明全集10』
晶文社 2015.9.25

『共同幻想論』の初刊は、1968年12月5日。

作品



――・・・略・・・政治から、あるいは学問の領域にわたって、平たく通俗にたとえていえば、左翼的な見方というものがあり、それに対する右翼的な見方というものがあって、きそい合っている姿があるわけですね。吉本さんの観点というのは、そういうきそい合っているレベルから抜けていくというか、その両方を乗り越えていくことになるだろうというふうに思うんですけれども、そこのところを、吉本さんの考えている原理に即して、いまの日本の政治的な、あるいは思想的な状況に対してどう自分は対処していくのか、そこのところを非常に煮つめた形でいえば、どういうことになるのかということなんですけれども・・・・・・。

 本質的にいいますと、僕はあなたのおっしゃる、さまざまの潮流があり、さまざまの思想があり、さまざまの対立があり、矛盾があり、それに伴ういろいろな課題が現にあるというような、そういうことはあまり問題にしていないわけです。僕は『言語にとって美とはなにか』というようなものを準備し、そしてつくり、というようなときから、なにか目に見えない思想的あるいは文学、芸術的対立といいますか、アンチテーゼみたいなものとして僕が見てきているものは、もっと違うというか、日本のことじゃないんですよ、いわば世界思想の領域でそういうことを考えていると思うんです。だから、そういう意味だったらば、いま日本の現状はこうなっている、こうなっているというようなことは、あまり僕には問題にならないというふうに思うんですよ。




 それだけれども、そうばかりいっていられないという面があるのは、つまりそんなことをいっていても、やはり人間は働き、金をとり、それで生きているということがうそでないように、そうでなければ生きていないように、やはりそういう次元では問題になるじゃないか、せざるをえないじゃないか、そういうことはあると思うんです。だから、そういう次元ではさまざまな、つまりロシヤ・マルクス主義をあたかも普遍性であるかのごときことをいっているのに対しては、それはだめなんじゃないかというようなアンチテーゼも出しますし、もうそんなことは再現されるわけがないよ、戦争が終わると同時に過ぎ去ったものだよというふうに思えるものに対してまたアンチテーゼを出したい気持もありますしね。そういうさまざまな反応というのはそういう意味では起こりえますけれども、なにか本来的には問題はそんなことじゃないんだというんでしょうか。世界思想というような分野で問題がどうなのか、そういうことが問題なんだ、そういう意識が僕にとっては非常に本来的ですね。ただ、食べて生きているのが疑えないように、そういうものがあるというのは疑えない。だからそれに対してどうだこうだというあれもあるというような、批判もあれば意見もあるというような、そういうことは確かにあるのですけれども、そういうことが別に生産的だというふうに思っているわけでもないんです。なんかやっぱり、ちょっと大げさなんだけれども、『言語にとって美とはなにか』以降の自分というのは、自信があるわけよ。(笑)だからやっぱりそういうところ、なにか世界思想というものの中でおれの場所というのはここにあるはずだ、そういうイメージがありますよ。そういうことが本来的ですね。あるいはそういうイメージを実現していくことが本来的であって、その他のことはあまり文句はないんですけれどもね。
 (『共同幻想論』「序」、P281-P283『吉本隆明全集10』所収 晶文社 2015年9月)
 ※①と②は、ひとつながりの文章です。ここは、『ことばの宇宙』(67年6月号)から引用されている部分です。


備考

 (備 考)

『言語にとって美とはなにか』を潜り抜けてきた吉本さんにとっては、この「世界思想」という場での格闘ということが「本来的」な場所となっている。それを例えば吉本さんの言葉で言えば、


 ここでとりあげられている世界は、民俗学や古代史学がとりあげている対象とかさなっている。しかし、わたしの関心は、民俗学そのもののなかにも古代史そのものにもなかった。ただ人間にとって共同の幻想とはなにか、それはどんな形態と構造のもとに発生し存在をつづけてゆくかという点でだけ民俗学や古代史学の対象とするものを対象としようと試みたのである。・・・中略・・・わたしがここで提出したかったのは、人間のうみだす共同幻想のさまざまな態様が、どのようにして綜合的な視野のうちに包括されるかについてのあらたな方法である。そしてこの意味ではわたしの試みはたれをも失望させないはずである。なぜならわたしのまえにわたし以外の人物によってこのような試みがなされたことはなかったからである。」
 (『同上』「序」、P283-P284)



敗戦後のまだ若い頃は、吉本さんは敗戦の全存在を揺さぶった痛手と荒れた心から立ち直るのに必死であったと思う。しかし、生きようという思いを断ち切ることなく歩んできた。戦争時の自分の負性も見えてきた。そんな中から打ち出されたのが、〈内部の論理化〉であり、〈社会総体のイメージの獲得〉であった。そうして、現実的な思想やイデオロギーとの不毛にも感じられるような格闘の中から、『言語にとって美とはなにか』、『共同幻想論』、『心的現象論序説』の本質論が展開されていく。これはまた、「世界思想」という舞台での格闘へと上り詰めていく過程でもあった。西欧では世界を席巻したと自負し思い込んでいることを背景として、世界思想という舞台のその素地が自然なものとして西欧の知識層にはあったようだが、地理的にも思想的にもアジアのはずれに位置するわが国では、このようなことは未だかつて無かったことである。したがって、吉本さんのその困難と格闘の質には想像を絶するものがあったはずである。








項目ID 項目 作品名 所収 出版社 発行日
11 論への入口のこと 「角川文庫版のための序」 『共同幻想論』
『吉本隆明全集10』
晶文社 2015.9.25

『共同幻想論』の初刊は、1968年12月5日。
「角川文庫版のための序」は、1981年10月25日

作品



 こんど文庫版になったこの本を、いままで眼にふれたり、名前を聞いたり、読んだりしたことが、まったくない人が手にとるかもしれないと想像してみた。そこでわたしにできる精いっぱいのことは、できるかぎり言葉のいいまわしを易しく訂正することだった。限度までやったとはいえないが、ある程度読み易くなったのではないかとおもう。
 もともとひとつの本は、内容で読むひとを限ってしまうところがある。これはどんなにいいまわしを易しくしてもつきまとってくる。また一方で、著者の理解がふかければふかいほど、わかりやすい表現でどんな高度な内容も語れるはずである。これには限度があるとはおもえない。そこで著者には、この内容に固執するかぎり、どうやってもこれ以上易しいいいまわしは無理だという諦めと、この内容をもっと易しいいいまわしであらわせないのは、じぶんの理解にあいまいな個所があるからだという内省が一緒にやってくる。この矛盾した気持のまま、いまこの本を読者のまえにさらしている。




 国家は幻想の共同体だというかんがえを、わたしははじめにマルクスから知った。だがこのかんがえは西欧的思考にふかく根ざしていて、もっと源泉がたどれるかもしれない。この考えにはじめて接したときわたしは衝撃をうけた。それまで漠然ともっていたイメージでは、国家は国民のすべてを足もとまで包み込んでいる袋みたいなもので、人間はひとつの袋からべつのひとつの袋へ移ったり、旅行したり、国籍をかえたりできても、いずれこの世界に存在しているかぎり、人間は誰でも袋の外に出ることはできないとおもっていた。わたしはこういう国家概念が日本を含むアジア的な特質で、西欧的な概念とまったくちがうことを知った。
 まずわたしが驚いたのは、人間は社会のなかに社会をつくりながら、じっさいの生活をやっており、国家は共同の幻想としてこの社会のうえに聳えているという西欧的なイメージであった。西欧ではどんなに国家主義的な傾向になったり、民族本位の主張がなされるばあいでも、国家が国民の全体をすっぽり包んでいる袋のようなものだというイメージでかんがえられてはいない。いつでも国家は社会の上に聳えた幻想の共同体であり、わたしたちがじっさいに生活している社会よりも小さくて、しかも社会から分離した概念だとみなされている。
 ある時期この国家のイメージ野ちがいに気づいたとき、わたしは蒼ざめるほど衝撃をうけたのを覚えている。同時におなじ国家という言葉で、これほどまで異質なイメージが描かれることにふかい関心をそそられた。こういうことがもっとはやくわかっていたら、国家のあいだに起る争いは、別な眼でみられたろうにとかんがえられたのである。・・・中略・・・
 国家は共同の幻想である。風俗や宗教や法もまた共同の幻想である。もっと名づけようもない形で、習慣や民俗や、土俗的信仰がからんで長い年月につくりあげた精神の慣性も、共同の幻想である。人間が共同のし組みシステムをつくって、それが守られたり流布されたり、慣行となったりしているところでは、どこでも共同の幻想が存在している。そして国家成立の以前にあったさまざまな共同の幻想は、たくさんの宗教的な習俗や、倫理的な習俗として存在しながら、ひとつの中心に凝集していったにちがいない。この本でとりあつかわれたのはそういう主題であった。
 もうひとつ西欧の国家概念でわたしを驚かせたことがある。それは国家が眼に視えない幻想だというそのことである。わたしたちの通念では国家は眼にみえる政府機関を中心において、ピラミッドのように国土を限ったり、国境を接したりして眼の前にあるものである。けれど政府機関を中心とする政治制度のさまざまな具体的な形、それを動かしている官吏は、ただ国家の機能的な形態であり、国家の本質ではない。もとをただせば国家は、一定の集団をつくっていた人間の観念が、しだいに析離(アイソレーション)していった共同性であり、眼にみえる政府機関や、建物や政府機関の人間や法律の条文などではない。こういうことがわかったとき眼から鱗が落ちるような気がしたのである。以来わたしはこの考えから逃れられなくなった。




 どうしてわたしたちは国家という概念に、同朋とか血のつながりのある親和感とか、おなじ顔立ちや皮膚の色や言葉を喋言る何となく身内であるものの全体を含ませてしまうのだろう。最小限、国家を相手に損害賠償の訴訟を起こしたといったばあいの国家をさえ、思い浮かべようとしないのだろう。それでいて他方では政府がどういう党派に変るかとか、どういう政策に転換したとかいうことに、いっこう関心をしめさずに放任したままで平気なのはなぜなのか。こういった疑問にも、どこか納得のゆく解答をみつけたいとおもった。これもまたこの本の主題のかげに、いつも離れないわたしのモチーフであった。
 そうはいっても、わたしは歴史的な記述を志したのではない。また、わたしたちの風土にだけ特有な問題を特殊な手触りでとり扱おうとおもったのでもない。できるかぎり普遍的な、しかもさまざまな現在的な概念を使って対象にきり結ぼうとかんがえたのである。
 この本の主題は、国家が成立する以前のことをとり扱っているから、もともとは民俗学とか文化人類学とかが対象にする領域になっている。だが民俗学とか人類学とかが普通扱っているような主題の扱い方をとろうとはおもわなかった。また別の視方からは国家以前の国家のことを対象にしているから、国家学説の問題なのだが、そういうとり扱い方もとらなかった。また編成された宗教や道徳以前の土俗的な宗教や倫理のことを扱っていても、宗教学や倫理学のように主題をとり扱おうともかんがえなかった。ただ個人の幻想とは異った次元に想定される共同の幻想のさまざまな形態としてだけ、対象をとりあげようとおもったのである。人間のさまざまな考えや、考えにもとづく振舞いや、その成果のうちで、どうしても個人に宿る心の動かし方からは理解できないことが、たくさん存在している。あるばあいには奇怪きわまりない行動や思考となってあらわれ、またあるときはとても正常な考えや心の動きからは理解を絶するようなことが起っている。しかもそれは、わたしたちを渦中に巻き込んでゆくものの大きな部分を占めている。それはただ人間の共同の幻想が生みだしたものと解するよりほか術がないようにおもわれる。わたしはそのことに固執した。

  昭和五十六年十月二十五日(引用者註.1981年)
                                             著者
 (『共同幻想論』「角川文庫版のための序」、『吉本隆明全集10』晶文社)
 ※①と②と③は、ひとつながりの文章です。残り数行省略したほぼ全文です。


備考

 (備 考)

『言語にとって美とはなにかⅠ・Ⅱ』の刊行が1965年、『共同幻想論』の初刊が1968年12月5日、『心的現象論序説』の刊行が1971年9月、このような本質論からの構造的な考察の連なりは、吉本さんの戦争体験の傷手とそこから立ち上がってきた内省が大きな動因となっている。それらをひと言に集約させれば、この列島の人の心や行動はどうなっているのか、この社会や国家はどういうものなのか、ということである。その考察のきっかけとしてマルクスなどの西欧思想があり大きな衝撃を与えたことが語られている。それらを白日の下にさらすために、吉本さんは必死の孤独なたたかいを続けてきたのである。








項目ID 項目 作品名 所収 出版社 発行日


作品


備考

 (備 考)








項目ID 項目 作品名 所収 出版社 発行日


作品


備考

 (備 考)

























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