『吉本隆明の183講演』(ほぼ日刊イトイ新聞 フリーアーカイブ)

 ※ほとんどに講演を書き起こした「講演のテキスト」が付いている。
   (T)はテキスト化済みの講演。


 総 目  次


年 代 講演のテーマ 講演の日時
★1960~ A001(T) 芸術と疎外 1964年1月18日
  A002(T) 自立の思想的拠点 1966年10月29日
  A003(T) 国家・家・大衆・知識人 1966年10月31日
  A004(T) 現代とマルクス 1967年10月12日
  A005(T) ナショナリズム――国家論 1967年10月21日
  A006(T) 詩人としての高村光太郎と夏目漱石 1967年10月24日
  A007(T) 自立的思想の形成について 1967年10月30日
  A008(T) 調和への告発 1967年11月1日
  A009(T) 戦後詩とは何か 1967年11月5日
  A010(T) 幻想――その打破と主体性 1967年11月11日
  A011(T) 人間にとって思想とは何か 1967年11月21日
  A012(T) 幻想としての国家 1967年11月26日
  A013(T) 高村光太郎について――鴎外をめぐる人々 1968年3月7日
  A014(T) 思想としての身体 1968年10月29日
  A015(T) 実朝論 1969年6月5日/12日
     
★1970~ A016(T) 宗教としての天皇制 1970年5月16日
  A017(T) 言葉の根源について 1970年5月
  A018(T) 敗北の構造 1970年6月10日
  A019(T) 「擬制の終焉」以後十年――政治思想の所在をめぐって 1970年7月17日
  A020(T) 宗教と自立 1970年7月25日
  A021(T) 南島論 1970年9月3日/10日
  A022(T) 文学における初期・夢・記憶・資質 1970年11月2日
  A023(T) 詩的喩の起源について 1971年5月2日
  A024(T) 政治と文学について 1971年5月8日
  A025(T) 共同体論について 1971年5月9日
  A026(T) 自己とは何か――キルケゴールに関連して 1971年5月30日
  A027(T) 鴎外と漱石 1971年10月14日
  A028(T) 宮沢賢治の童話について 1971年12月4日
  A029(T) 親鸞について 1972年11月12日
  A030(T) 文芸批評の立場から見た人間理解の仕方 1973年11月17日
  A031(T) 〈戦後〉経済の思想的批判 1974年6月18日
  A032(T) 太宰治と森鴎外――文芸雑話 1975年7月18日
  A033(T) フロイトおよびユングの人間把握の問題点 1975年10月11日
  A034(T) 文学の現在 1975年10月16日
  A035(T) 『死霊』について――東北大学にて 1976年5月11日
  A036(T) 『死霊』について――京都大学にて 1976年5月15日
  A037(T) 情況の根源から 1976年6月18日
  A038(T) 宮沢賢治の世界 1976年10月21日
  A039(T) 枕詞の空間 1977年7月6日
  A040(T) 『最後の親鸞』以後 1977年8月5日
  A041(T) 喩としての聖書─マルコ伝 1977年8月31日
  A042(T) 竹内好の生涯 1977年10月1日
  A043(T) 戦後詩における修辞論 1977年10月20日
  A044(テキスト化作業中) 共同幻想論のゆくえ 1978年5月28日
  A045(T) 良寛詩の思想 1978年9月16日
  A046(T) 南方的要素 1978年10月7日
  A047(T) 芥川・堀・立原の話 1978年10月19日
  A048(T) 現代詩の思想 1979年3月7日
  A049(T) 障害者問題と心的現象論 1979年3月17日
  A050(T) シモーヌ・ヴェイユの意味 1979年7月14日
  A051(T) 〈アジア的〉ということ 1979年7月15日
  A052(T) ホーフマンスタールの視線 1979年11月15日
     
★1980~ A053(T) 過去の詩・現在の詩 1980年2月6日
  A054(T) 親鸞の教理について 1980年5月24日
  A055(T) 「生きること」について 1980年6月21日
  A056(T) 文学の原型について 1980年8月15日
  A057(T) 戦後文学の発生 1980年11月29日
  A058(T) ドストエフスキーのアジア 1981年2月7日
  A059(T) 現代文学の条件 1981年7月3日
  A060(T) 〈アジア的〉ということ─そして日本 1981年7月4日
  A061(T) 僧としての良寛 1981年10月25日
  A062(T) 日本資本主義のすがた 1981年11月7日
  A063(T) 物語の現象論 1981年11月21日
  A064(T) 文学の新しさ 1982年1月21日
  A065(T) 若い現代詩――詩の現在と喩法 1982年9月26日
  A066(T) ポーランド問題とは何か 1982年11月5日
  A067(T) 個の想像力と世界への架橋 1982年11月13日
A068(T) 〈若い現代詩〉について 1982年12月8日
  A069(T) 共同幻想とジェンダー 1983年2月12日
  A070(T) 『源氏物語』と現代――作者の無意識 1983年3月5日
  A071(T) 小林秀雄と古典 1983年5月26日
  A072(T) 親鸞の転換 1983年8月21日
  A073(T) 宮沢賢治の陰――倫理の中性点 1983年10月23日
  A074(T) 宮沢賢治の幼児性と大人性 1983年10月26日
  A075(T) 漱石をめぐって――白熱化した自己 1983年11月12日
  A076(T) 小林秀雄を読む――自意識の過剰 1984年3月16日
  A077(T) 隠遁者としての良寛 1984年4月1日
  A078(T) 親鸞の声について 1984年6月17日
  A079(T) 漱石のなかの良寛 1984年9月13日
  A080(T) 経済の記述と立場――スミス・リカード・マルクス 1984年11月2日
  A081(T) 古い日本語のむずかしさ 1984年12月1日
  A082(T) 「現在」ということ 1985年3月30日
  A083(T) マス・イメージをめぐって 1985年7月1日
  A084(T)アジア的と西欧的 1985年7月10日
  A085(T)文芸雑感 1985年9月7日
  A086(T)資本主義はどこまでいったか――経済現象から見た現在 1985年9月8日
  A087(T)心的現象論をめぐって 1985年10月18日
  A088(T)都市を語る 1985年10月22日
  A089(T)鴎外と漱石の見た東京 1986年1月31日
  A090(T)「受け身」の精神病理について 1986年4月12日
  A091(T)「かっこいい」ということ――岡田有希子の死をめぐって 1986年5月4日
  A092(T)イメージ論 1986年5月29日
  A093(T)柳田國男の周辺――共同幻想の時間と空間 1986年6月8日
  A094(T)時代はどう変わろうとしているのか 1986年7月12日
  A095(T)日本人の死生観 1986年11月16日
  A096(T)続・日本人の死生観 1986年11月17日
  A097(テキスト化作業中)詩魂の起源 1986年11月23日
  A098(T)ぼくの見た東京 1987年1月17日
  A099(T)ハイ・イメージを語る 1987年5月16日
  A100(T)わが歴史論――柳田國男と日本人をめぐって 1987年7月5日
  A101(T)マス・イメージからハイ・イメージへ 1987年7月16日
  A102(T)都市論I――都市問題から見た天皇制 1987年9月12日
  A103(T)文学論――文学はいま 1987年9月12日
  A104(T)都市論 II――日本人はどこから来たか 1987年9月13日
  A105(T)究極の左翼性とは何か――吉本批判への反批判 1987年9月13日
  A106(T)農村の終焉 1987年11月8日
  A107(T)恋愛について 1988年3月4日
  A108(T)日本経済を考える 1988年3月12日
  A109(T)シンポジウム・太宰治論 1988年5月14日
  A110(T)普遍映像論 1988年6月3日
  A111(T)荒地派について 1988年8月3日
  A112(T)親鸞から見た未来 1988年10月13日
  A113(T)親鸞の還相について 1988年11月1日
  A114(T)子どもの哲学 1988年11月10日
  A115(T)異常の分散――母の物語 1988年11月12日
  A116(T)良寛について 1988年11月19日
  A117(T)岡本かの子 1989年3月10日
  A118(T)未来に生きる親鸞 1989年6月7日
  A119(T)日本農業論 1989年7月9日
  A120(T)高次産業社会の構図 1989年10月5日
  A121(T)宮沢賢治の文学と宗教 1989年11月2日
  A122(T)宮沢賢治の実験 1989年11月12日
  A123(T)イメージとしての都市 1989年11月12日
     
★1990~ A124(T)言葉以前のこと――内的コミュニケーションをめぐって 1993年10月
A125(テキスト化作業中)宮沢賢治を語る 1990年2月10日
  A126(T)つくば、都市への課題 1990年5月18日
  A127(T)渦巻ける漱石――『吾輩は猫である』『夢十夜』『それから』 1990年7月31日
  A128(T)『遠野物語』の意味 1990年8月26日
  A129(T)都市論としての福岡 1990年9月30日
  A130(T)柳田國男と田山花袋 1990年9月8日
  A131(T)死を哲学する 1986年9月11日
  A132(T)いまの社会と言葉 1990年12月12日
  A133(T)家族の問題とはどういうことか 1991年2月17日
  A134(T)資質をめぐる漱石――『こころ』『道草』『明暗』 1991年7月30日
  A135(T)現代を読む 1991年10月20日
  A136(T)農業から見た現在 1991年11月10日
  A137(T)現代社会と青年 1991年11月16日
  A138(T)像としての都市 1992年1月21日
  A139(T)言葉以前の心について 1992年2月8日
  A140(T)芥川における反復概念 1992年4月16日
  A141(T)宮沢賢治 1992年7月29日
  A142(T)現代文学のゆくえ 1992年10月5日
  A143(T)青春としての漱石――『坊っちゃん』『虞美人草』『三四郎』 1992年10月11日
  A144(T)わが月島 1992年10月31日
  A145(T)文芸のイメージ 1992年11月3日
  A146(T)鴎外と東京 1992年11月8日
  A147(T)新・書物の解体学 1992年11月24日
  A148(T)甦るヴェイユ 1992年12月19日/20日
  A149(T)シモーヌ・ヴェイユの神 1993年1月23日
  A150(T)不安な漱石――『門』『彼岸過迄』『行人』 1993年2月7日
  A151(T)社会現象としての宗教 1993年3月13日
  A152(T)寺山修司を語る――物語性のなかのメタファー 1993年4月10日
  A153(T)現代に生きる親鸞 1993年5月3日
  A154(T)斎藤茂吉の歌の調べ 1993年5月14日
  A155(T)中上健次私論 1993年6月5日
  A156(テキスト化作業中)新新宗教は明日を生き延びられるか 1993年6月17日
  A157(T)太宰治 1993年7月28日
  A158(T)私と生涯学習 1993年10月3日
  A159(T)社会党あるいは社会党的なるもののゆくえ 1993年11月26日
  A160(T)現代を読む PART2 1993年12月20日
  A161(T)倫理と自然のなかの透谷 1994年6月4日
  A162(T)物語について 1994年6月12日
  A163(T)芥川龍之介 1994年7月28日
  A164(T)心について 1994年9月11日
  A165(T)顔の文学 1994年11月24日
  A166(T)生命について 1994年12月4日
  A167(T)25年目の全共闘論 ――『全共闘白書』を読んで 1995年1月18日
  A168(T)「知」の流通――「試行」刊行から34年……現在 1995年2月10日
  A169(T)ボードリヤール× 吉本隆明世紀末を語る
      ――あるいは消費社会のゆくえについて
1995年2月19日
  A170(T)ヘーゲルについて 1995年4月9日
  A171(T)『神の仕事場』をめぐって 1995年6月14日
  A172(T)フーコーについて 1995年7月9日
  A173(T)文学の戦後と現在――三島由紀夫から村上春樹、村上龍まで 1995年7月24日
  A174(T)現在をどう生きるか 1995年9月3日
  A175(T)親鸞の造悪論 1995年11月19日
  A176(T)苦難を超える――『ヨブ記』をめぐって 1996年1月13日
  A177(T)いじめと宮沢賢治 1996年5月11日
  A178(T)賢治の世界――宮沢賢治生誕百年に因んで 1996年6月28日
  A179(T)中原中也・立原道造――自然と恋愛 1996年7月24日
  A180(T)作品に見る女性像の変遷 1997年7月21日
  A181(T)日本アンソロジーについて 1998年9月25日
     
★2000~ A182(T)ふつうに生きるということ 2003年9月13日
A183(T)芸術言語論――沈黙から芸術まで 2008年7月19日
     



(註.1)
A183(T)芸術言語論――沈黙から芸術までの表のデータによると、

講演日時:2008年7月19日
主催:ほぼ日刊イトイ新聞
場所:昭和女子大学人見記念講堂
収載書誌:未発表

となっている。この「芸術言語論」は現在では、『吉本隆明〈未収録〉講演集〈12〉』(2015年11月 筑摩書房)
に収められている。ちなみに、わたしはこの講演には出かけて行った。


(註.2)
 上の講演の後、「芸術言語論 その2」が続篇として実施された。『吉本隆明〈未収録〉講演集〈12〉』の「解題」によると、

 二〇〇八年十月二十七日、ライブ映像による講演が、吉本さん宅から紀伊國屋ホールの大画面に中継で送信された。
「芸術言語論」が、中途で終わったため、その補遺としての講演であった。


 また、解題には「『芸術言語論 その2』は、今回、音源が入手できなかった」とも記してあるが、音源を紛失したとどこかで
読んでがっかりした覚えがある。本書にはその講演の「レポート」や「講演メモ」が載せられている。この講演は、その後ネット
配信の予定になっていてわたしは申し込んだのだが、中止になってしまった。これに関しては吉本さんの意向があったようで
ある。そのことに、以下のものが触れている。

1.
「テレビと落とし穴と未来と」 吉本隆明 糸井重里
https://www.1101.com/tvtrap/2008-12-25.html

 01 心残り。 2008-12-25
 02 「観客のため」という要求。 2008-12-26
 03 価値になりにくいもの。 2008-12-27
 04 やりやすい、励みになる、飯の種になる。 2008-12-28
 05 価値、無価値、反価値。 2008-12-29
 06 文化はいいことだ、の落とし穴。 2008-12-30
 07 高村光太郎のペンギン。 2008-12-30

 この01で、10月27日に、紀伊國屋ホールと吉本さんの自宅をつないだ中継の講演について触れられている。
また、別のインタビューだったかでも、その講演のことに吉本さんが触れていたという記憶がある。


2.
 https://www.1101.com/yoshimototakaaki/news.html
2008-11-27
「芸術言語論 その2」
上映会中止のお知らせ

11月30日ならびに12月7日に予定しておりました
「芸術言語論 その2」インターネット上映会を
中止することにいたしました。

上映会の申し込み受け付けを開始している状況で、
たくさんの方々から
楽しみにしていただいている最中、
このようなお知らせを
しなくてはいけなくなりましたこと、
本当に申しわけございません。
みなさまに、深くおわび申し上げます。

上映会を中止した経緯について
慎んでご説明申し上げます。

「芸術言語論 その2」は、
会場にお越しいただきましたみなさまから
好評をいただいたイベントだったのですが、
吉本隆明さんのご自宅から
テレビカメラを通して離れた会場にいる聴衆に
語りかけるという形式が
あの講演には不向きであったということが、
イベント開催後、吉本さんのご感想としてあがりました。

そして、改めて
先週末と一昨日、吉本さんと話し合った結果、
講演内容をもういちど映像として
配信することはやめよう、という結論に至りました。










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