Part 1
定本 言語にとって美とはなにか T

  (角川選書 199)角川書店 1990/08/07発行



項目ID 項目 論名
言語の本質 第T章 言語の本質 1発生の機構
言語の本質 第T章 言語の本質 1進化の特性
言語の本質 第T章 言語の本質 1進化の特性
言語の本質 第T章 言語の本質 1進化の特性
言語の本質 第T章 言語の本質 1音韻・韻律・品詞
言語の本質 第T章 言語の本質 1音韻・韻律・品詞












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言語の本質 げんごのほんしつ 第T章 言語の本質 1発生の機構
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言語の自己表出 言語の指示表出 意識のさわり
項目抜粋
1
 

@この人間が何ごとかをいわねばならないまでになった現実の条件と、その条件にうながされて自発的に言語を表出することのあいだにある千里の距たりを、言語の自己表出として想定できる。自己表出は現実的な条件にうながされた現実的な意識の体験がつみ重なって、意識のうちに幻想の可能性としてかんがえられるようになったもので、これが人間の言語が現実を離脱してゆく水準をきめている。それとともに、ある時代の言語の水準をしめす尺度になっている。言語はこのように、対象にたいする指示と、対象にたいする意識の自動的水準の表出という二重性として言語本質をつくっている。 (P29)

A・・・・エンゲルスのいうように労働の発達は、相互扶助や、共同的な協力の場面をふやし、社会の成員を相互にちかづかせるようになる。この段階では、社会構成の網目はいたるところで高度に複雑になる。これは人類にある意識的なしこりをあたえ、このしこりが濃度をもつようになると、やがて共通の意識符牒を抽出するようになる。そして有節音が自己表出されることになる。人間の意識の自己表出は、そのまま自己意識への反作用であり、それはまた他の人間との人間的意識の関係づけになる。

 言語は、動物的な段階では現実的な反射であり、その反射がしだいに意識のさわりをふくむようになり、それが発達して自己表出として指示機能をもつようになったとき、はじめて言語とよばれる条件をもった。この状態は、「生存のために自分に必要な手段を生産」する段階におおざっぱに対応している。言語が現実的な反射であったとき、人類はどんな人間的意識ももつことがなかった。やや高度になった段階でこの現実的な反射において、人間はさわりのようなものを感じ、やがて意識的にこの現実的な反射が自己表出されるようになって、はじめて言語はそれを発した人間のためにあり、また他のためにあるようになった。 (P30-P31)

項目抜粋
2

Bたとえば狩猟人が、ある日はじめて海岸に迷いでて、ひろびろと青い海をみたとする。人間の意識が現実的反射の段階にあったとしたら、海が視覚に反映したときある叫びを<う>なら<う>と発するはずだ。また、さわりの段階にあるとすれば、海が視覚に映ったとき意識はあるさわりをおぼえ<う>なら<う>という有節音を発するだろう。このとき<う>という有節音は海を器官が視覚的に反映したことにたいする反映的な指示音声だが、この指示音声のなかに意識のさわりがこめられることになる。また狩猟人が自己表出のできる意識を獲得しているとすれば<海>【ルビ う】という有節音声は自己表出として発せられて、眼前の海を直接的にではなく象徴的(記号的)に指示することとなる。このとき、<海>【ルビ う】という有節音は言語としての条件を完全にそなえることになる。

 こういう言語としての最小の条件をもったとき、有節音はそれを発したものにとって、じぶんをふくみながらじぶんにたいする音声になる。またそのことによって他にたいする音声になる。反対に、他のためにあることでじぶんにたいする音声になり、それはじぶん自身をはらむといってもよい。

 なぜなら、他のためにあるという面で言語の本質をひろげてゆくと交通の手段、生活のための語りや記号は発達してきたし、じぶんにたいしてあるという面で言語の本質をひろげると言語の芸術(文学)の発生になったからだ。このどちらのばあいも言語が本質としてはたらくかぎり即自も対他も対自もふくんでいる。 (P31-P32)

備考 註 「言語はこのように、対象にたいする指示と、対象にたいする意識の自動的水準の表出という二重性として言語本質をつくっている。」




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言語の本質 げんごのほんしつ 第T章 言語の本質 1進化の特性
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自己表出と指示表出 有節音声が、音声体験としてつみかさねられ
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1

@わたしはここで、言語が人間の意識の指示表出であることによって自己表出であるか、自己表出(対自)であることによって指示表出(対他)としてあらわれるものとして、その発達段階を原理的にかんがえてみた。

 1. 無言語原始人の音声段階で、音声は現実界から特定の対象を意識することができず、ばくぜんと反射的に労働、危機、快感、恐怖、呼応などの場面で叫び声を発するものとする。この段階では、人間の現実にたいする言語的な関係は、つぎのようにしめされる。

                  反射

     意識(または半意識) →   音声  →現実界

 音声は現実界(自然)をまっすぐに指示し、その音声のなかにまだ意識とはよびえないさまざまな原感情がふくまれることになる。

 2. 音声がしだいに意識の自己表出として発せられるようになり、それとともに現実界におこる特定の対象にたいして働きかけをその場で指示するとともに、指示されたものの象徴としての機能をもつようになる段階がくる。(第1図参照)

 ここで現実対象というのは、図式化のためにやむをえずそうよんだが、かならずしも原始林の木の実だとか、海だとか、獲物だとかを意味するだけではなく、祭式や儀式であってもまた、合図であってもさしつかえない。ここではじめて現実界は立体的な意識過程にみたされる。この自己表出性がうまれるといっしょに、有節(半有節)音声は、たんに眼のまえにある特定の対象をその場で指示するのではなく、類概念を象徴する間接性といっしょに、指定のひろがりや厚さを手にいれることになる。

3.音声はついに眼のまえに対象をみていなくても、意識として自発的に指示表出できるような段階だといえる。たとえば、狩猟人が獲物をみつけたとき発する有節音声が、音声体験としてつみかさねられ、ついに獲物を眼のまえにみていないときでも、特定の有節音声が自発的に表出され、それにともなって獲物の概念がおもいうかべられる段階である。(第2図参照) 

 ここで有節音声は、はじめて言語としてのすべての最小条件をもつことになる。 (P38-P39)


項目抜粋
2

A・・・・しかしこの<本質的衝動>とよんだものが、人間的意識の自己表出であることをはっきりとしめしていない。現実的な反射が自己表出としてはじまるようになると、音声は意識に反作用をおよぼし心の構造を強化していった。

 ここには、ひとつのたいせつなもんだいがよこたわっている。エンゲルスがもともと意識の自己表出としてかんがえられるべきものを<本質的衝動>というあいまいな言葉でしかしめしえなかったため、身体の生理感覚器官の発達(これは労働の発達にともなう、自然としての人間存在の発達である)と、意識の強化・発達(これは意識の自己表出性の発達にともなう自己を対象化しうる能力の発達である)とを区別してあつかうべき言語問題を、大脳生理的機能(いわゆる第二信号系)と言語の本質とを(したがって言語、文学、芸術と労働とを)そのまま短絡させる理論をおびきだした。

 あるところまで意識は強い構造をもつようになったとき、現実的な対象にたいする反射なしに、自発的に有節音声を発することができるようになり、それによって逆に対象の像を指示するようになる。こんなふうに有節音声は言語としての条件をすべてそなえてくる。有節音声が言語化されていく過程は、人間の意識がその本質力のみちをひらかれる過程にほかならない、といえる。 (P40-P41)


備考




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言語の本質 げんごのほんしつ 第T章 言語の本質 1進化の特性
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自己表出と指示表出 類概念 有節音声
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1

B有節音声が自己表出として発せられるようになったとき、いいかえれば言語としての条件をもつようになったとき、言語は現実の対象と一義的な関係をもたなくなった。たとえば原始人が海をみて、自己表出として<海>【ルビ う】といったとき<う>という有節音声は、いま眼のまえにみている海であるとともに、また他のどこかの海をも類概念として抽出していることになる。そのために、はんたいに眼の前にある海は<海>【ルビ う】ということばでは具体的にとらえつくせなくなり、ひろびろとしているさまを<海の原>【ルビ う】なら<うのはら>といわざるをえなくなった。これは<蒼き海の原>といっても、もっと具体化して<さざなみのたつ蒼き海の原>といっても、眼のまえの海のすべてをつくすことができない。この過程をどれだけふんでも、視覚にうつる眼のまえの海のすべてを言語はまるごとあらわせない本性をもつようになる。

 しかし、自己表出性をもつことによって有節音声はべつの特徴をも手にいれた。海を眼のまえにおいて<海の原>という有節音声を発しても、また住居の洞穴にいながら<海の原>という有節音声を発しても、おなじように、現実にいくつもある海を類概念として包括することができることだった。これは、音声が現実にたいして反射的音声という視覚的反映との一義的な結びつきをすこしずつながい時間をかけてはなれてゆく過程で、手にいれた特性だった。

 有節音声は自己表出されたときに、現実にある対象との一義的なむすびつきをはなれ、言語としての条件をぜんぶそなえた。表出された有節音声はある水準の類概念をあらわすようになった。また自己表出はつみかさねられて意識をつよめ、それはまた逆に類概念のうえに、またちがった類概念をうみだすことができるようになる。おそらくながい年月のあいだこの過程はつづくのだ。  (P41-P42)

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2

C個々の具体的な言語が、どこに語源をもち、それが各時代をへてどんなふうに派生し展開されて現在にいたったかは、語源学者の実証的な研究にまつほかないし、しいてたちいる必要もないとおもえる。

 しかしそれにもかかわらず、なぜ人間は実在の牝牛を<牝牛>という言葉(名称)でよぶようになったか?という問いを仕かけることは無意味ではない。

 人間が、じぶんを<人間>として意識の対象にできるようになったことと、人間が実在の牝牛を、<牝牛>という名称でよべるようになったこととは、別のこととはおもえない。人間が、まだじぶんを個体としてしかじぶんの意識の対象にできなかったとき、牝牛は、にんげんにとって視覚的な存在であっても、<牝牛>という言葉でよぶべきすべがなかった。それはあるとき、ある場所でみたある種の動物であり、つぎのとき、つぎの場所でみたおなじ種の動物との関連は、じぶんの意識のなかになかったのだ。そこでは<牝牛>という名辞はありえなかった。言語が知覚とも実在ともちがった次元に属するのは、人間の自己意識が、自然意識とも知覚の意識とも対象としてちがった次元なあることの証左だといえる。このように言語は、ふつうのとりかわされるコトバであるとともに、人間が対象にする世界と関係しようとする意識の本質だといえる。この関係の仕方のなかに言語の現在と歴史の結び目があらわれる。

 この関係から、時代または社会には、言語の自己表出と指示表出とがあるひとつの水準を、おびのようにひろげているさまが想定される。そしてこの水準は、たとえばその時代の表現は、具体的にいえば詩や小説や散文のなかに、また、社会のいろいろな階層のあいだにかわされる生活語のなかにひろがっている。  (P43-P44)



備考 註 「現実にある対象との一義的なむすびつきをはなれ」「表出された有節音声はある水準の類概念をあらわすようになった。」




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自己表出と指示表出 指示表出 ある時代のひとつの社会の言語の水準
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1

Dある時代のひとつの社会の言語の水準は、ふたつの面からかんがえられる。言語は自己表出の面から、わたしたちの意識にあるつよさをもたらすから、それぞれの時代がもっている意識は言語が発生した時代からの急げきなまたゆるやかなつみかさなりそのものにほかならない。また、逆にある時代の言語は、意識の自己表出のつみかさなりをふくんで、それぞれの時代をいきてゆく。しかし指示表出としての言語は、あきらかにその時代の社会、生産体系、人間のさまざまな関係、そこからうみだされる幻想によって規定される。しいていえば、言語を表出する個々の人間の幼児から死までの個々の環境によっても決定的に影響される。またちがったニュアンスをもっている。こんなふうに言語にまつわる永続性と時代性、または類としての同一性と個性としての差別性、それぞれの民族語としての特性などが、言語の対自と対他のふたつの面としてあらわれる。言語の表現である文学作品のなかにわたしたちがみるものは、ある時代に生きたある作者の生存とともにつかまえられて、死とともに亡んでしまう何かと、人類の発生からこの方、つみかさねられてきた何かの両面で、これは作者が優れているか凡庸であるかにかかわらないものだ。

 みやすいことだが、このばあい言語の表現を自己表出の面でつよめた文学表現と、指示表出の面でつよめた生活語との水準をひとつの線でつなぐことはできない。  (P45)


項目抜粋
2

Eわたしがここで想定したいのは、・・・・言語が発生のときから各時代をへて転移する水準の変化ともいうべきもののことだ。

 言語は社会の発展とともに自己表出指示表出をゆるやかにつよくし、それといっしょに現実の対象の類概念のはんいはしだいにひろがってゆく。ここで、現実の対象ということばは、まったく便宜的なもので、実在の事物にかぎらず行動、事件、感情など、言語にとって対象になるすべてをさしている。こういう想定からは、いくつかのもんだいがひきだされてくる。

 ある時代の言語は、どんな言語でも発生のはじめからつみかさねられたものだ。これが言語を保守的にしている要素だといっていい。こういうつみかさねは、ある時代の人間の意識が、意識発生のときからつみかさねられた強度をもつことに対応している。

 もちろんある時代の個々の人間は、それぞれちがった意識体験とそのつよさをもっていて、天才もいれば白痴もいる。それにもかかわらずある時代の人間は、意識発生いらいその時代までにつみかさねられた意識水準を、生まれたときに約束されている。これとは反対に、言語はおびただしい時代的な変化をこうむる。こういう変化はその時代の社会のさまざまな関係、そのなかでの個別的な環境と個別的な意識に対応している。この意味で言語は、ある時代の個別的な人間の生存とともにはじまり、死とともに消滅し、またある時代の社会の構造とともにうまれ死滅する側面をもっている。これが言語の対他的な側面にほかならない。  (P46-P47)



備考

註1 「言語が発生のときから各時代をへて転移する水準の変化」「ある時代の言語は、どんな言語でも発生

のはじめからつみかさねられたものだ。」「これとは反対に、言語はおびただしい時代的な変化をこうむる。」

註2 「みやすいことだが、このばあい言語の表現を自己表出の面でつよめた文学表現と、指示表出の面でつ

よめた生活語との水準をひとつの線でつなぐことはできない。」・・・これは文学の言語と日常語のことだが、

のちに触れられる「話体」と「文学体」に関わるか?




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言語の本質 げんごのほんしつ 第T章 言語の本質 1音韻・韻律・品詞
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音韻・韻律・品詞 非言語時代の感覚的母斑 品詞 有節音声と音韻、韻律 自己表出以前の自己表出 指示表出以前の指示表出
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1

@・・・・特定の音の組合せが、特定の対象にむすびつき、その象徴としてあらわれたことは、たれも否定することができない。

 この過程は個々の原始人の音声が、どうま声もあり、かすれ声もあり、金切り声もあり、男性や女性の音程のちがいがあるにもかかわらず、そのなかから個別的な音の響きをききわけて個別的なちがいをみとめるとともに、抽出された音声の共通性をみとめるようになったことを意味している。こういう有節音声の抽出された共通性を音韻と名づけようと名づけまいと、有節音声が、そのなかから音声として抽出された共通性を音の組合せとしてみとめることなしには、言語としての条件を完成できなかったことはたしかだ。

 有節音声が音韻としてみとめられたことは、器官としての音声が、意識の自己表出としての音声に高められたことと対応している。これによってはじめて指示性を手にいれたといっていい。三浦つとむが『日本語はどういう言語か』のなかで、音韻は、表現上の社会的約束にむすびついている音の一般的な面であり一族であるという云いかたでさしているものは、これに対応している。  (P48-P49)

Aわたしたちは、原始人が祭式のあいだに、手拍子をうち、打楽器を鳴らし、叫び声の拍子をうつ場面を、音声反射が言語化する途中にかんがえてみた。こういう音声反応が有節化されたところで、自己表出の方向に抽出された共通性をかんがえれば音韻となるだろうが、このばあい有節音声が現実的対象への指示性の方向に抽出された共通性をかんがえれば言語の韻律の概念をみちびけるような気がする。だから言語の音韻はそのなかに自己表出以前の自己表出をはらんでいるように、言語の韻律は、指示表出以前の指示表出をはらんでいる。

 対象とじかに指示関係をもたなくなって、はじめて有節音声は言語となった。そのためわたしたちが現在かんがえるかぎりの韻律は、言語の意味とかかわりをもたない。それなのに詩歌のように、指示機能がそれによってつよめられるのはそのためなのだ。リズムは言語の意味とじかにかかわりをもたないのに、指示が抽出された共通性だとかんがえられるのは、言語が基底のほうに非言語時代の感覚的母斑をもっているからなのだ。これは等時的な拍音である日本語では音数律としてあらわれているようにみえる。  (P50-P51)

項目抜粋
2

B・・・・ただこう仮定したのは、一連の音声波紋の表出が完結するためには、有節音声は、よりおおく意識の自己表出としてのアクセントで発せられるものと、指示表出として発せられるもののどちらかに傾かざるをえないことをいいたかったからだ。もちろん、言語の本質はこのふたつの面をもっているから、いずれのばあいも他を含んであらわれるといえる。

 時枝誠記が『国語学原論』で詞・辞として分類し、三浦つとむが『日本語はどういう言語か』で、客体的表現と主体的表現として大別したものは、これにかかわっている。

 わたしたちはこのふたつの傾向にわけられる言語が、さまざまの意識上の波紋としてくりかえされるとき、ある特定の意識体験には、特定の音韻をもった語が対応し、それが習慣化されることをしる。文法上の品詞のべつは、すでに意識的な類別化がおこなわれるより比べものにならないはるか以前にかたちをもつようになった。  (P51-P52)

備考




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言語の本質 げんごのほんしつ 第T章 言語の本質 1音韻・韻律・品詞
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品詞
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1

Cわたしたちはこうして、品詞のもつ位相を自己表出性と指示表出性とによって、いいかえれば言語の構造を軸にして概括できそうだ。

 言語における詞・辞の区別とか、客体的表現や、主体的表現といったものは、二分概念としてあるというより、傾向性やアクセントとしてあるとかんがえたほうがいいことになる。また、文法論の類別はけっして本質的なものではなく、便覧または習慣的な約定以上のものを意味しない。品詞の区別もまったくおなじで、品詞概念の区別自体が本質的にははっきりした境界をもたないものだとみられる。   (P61-P62)


項目抜粋
2



備考




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