Part 5
定本 言語にとって美とはなにか U

  (角川選書 199)角川書店 1990/08/07発行



項目ID 項目 論名
32 構成の概念 第X章 構成論  第T部 詩
33 構成 第X章 構成論  第T部 詩
34 構成 第X章 構成論  第T部 詩
35 構成 第X章 構成論  第T部 詩
36 構成 第X章 構成論  第T部 詩
37 構成 第X章 構成論  第T部 詩
38 構成 第X章 構成論  第T部 詩
39 構成 第X章 構成論  第T部 詩
40 構成 第X章 構成論  第T部 詩
41 構成 第X章 構成論  第U部 物語
42 構成 第X章 構成論  第U部 物語
43 構成 第X章 構成論  第U部 物語
44 構成 第X章 構成論  第U部 物語
45 構成 第X章 構成論  第U部 物語
46 構成 第X章 構成論  第V部 劇 第T編 成立論
47 構成 第X章 構成論  第V部 劇 第T編 成立論
48 構成 第X章 構成論  第V部 劇 第T編 成立論
49 構成 第X章 構成論  第V部 劇 第T編 成立論
50 構成 第X章 構成論  第V部 劇 第T編 成立論
51 構成 第X章 構成論  第V部 劇 第T編 成立論
52 構成 第X章 構成論  第V部 劇 第U編 展開論
53 構成 第X章 構成論  第V部 劇 第U編 展開論
54 構成 第X章 構成論  第V部 劇 第U編 展開論
55 構成 第X章 構成論  第V部 劇 第U編 展開論
56 構成 第X章 構成論  第V部 劇 第U編 展開論
57 構成 第X章 構成論  第V部 劇 第U編 展開論











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32 構成の概念 こうせいのがいねん 第X章 構成論  第T部 詩
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項目抜粋
1

【1 前提】

@いままで、言語そのものからじっさいの文学作品へとりつくために必要なもんだいは、おおよそとりあげてきた。・・・・

 ただ、起こりうる混乱はたしかにひとつだけひきづっている。言語そのものの価値、言語表出の価値、言語芸術の価値は、げんみつにはべつでなければならないのに、例としてしめす文章が文学作品であるため、混同のおそれがあるようにあつかってきたことだ。だから、げんみつにいえば、わたしは、いままで文学作品をせいぜい表出の価値としてあつかうところまでしか論及していないというべきだ。言語表出の価値のおおきさは、もちろんそのまま言語芸術としての文学作品の価値のおおきさではありえない。文学作品を言語芸術としての価値としてあつかうために、わたしたちはなおいくつかの寄り道がひつようだ。そのひとつは構成とはなにを意味するかをたずねることだ。

 ある文学作品が、表出史のうえでかならずそうなるはずのうつりゆきにそっているかどうかが、そのまま、作品の芸術としての価値だったら、表出史という概念は、じかに文学史というがいねんになってしまい、表出の価値は、ただちに作品の価値を意味してしまうのではないか?そうだとすれば、表出のはりつめた励起を、その時代の言語水準のうちでもちこたえている作品−詩作品−は、会話をふくみ、説明の描写をふくみ、筋書きの展開をふくむことがさけられない作品−散文作品−よりも、先験的に価値があるということになるのではないか?この疑問はまた、つぎのように、いいかえることができる。(P10-P11)


A表出の価値を、さきにあつかった言語の価値を拡張したものとみなしたとしても、波のうねるように、またうねりがつみかさなるようにおしよせてくる構成の展開は、作品の価値に関与することはないだろうか?

 すでに、無意識に、転換をあつかったとき、このもんだいは暗示されてきた。わたしのかんがえでは、表出の価値をそのまま、作品の価値とすることは、発生史的には、いいかえれば、自己表出としての言語の連続性の内部では、ある正当性をもっている。だが、文学作品の価値は、まず前提として指示表出の展開、いいかえれば時代的空間の拡がりとしての構成にふれなければ、かんがえることができない。  (P12)

項目抜粋
2

【2 発生論の前提】

【3 発生の機構】

Bけれどこの対象には、確かなことがあるようにおもわれる。わたしたちがつきあたるのは、自然が魔力のように人間におおいかぶさっていた時代の社会にさかのぼるということだ。芸術(詩)の発生は、この時代とわかちがたくむすびついている。自然の力にたいする太古人の最初の対立の意識は、かれらが自然の一部であり、そのふところにくるまれているという安堵の意識から区別される。この区別さえもが、わたしたちが現在かんがえる自覚的なものとはちがっている。でもある異和の意識としてきざしをみせる。太古人はそのとき何をしていたか?自然の魔力にたいして、べつの魔力を空想し、行為し、魔力をふるう自然に手をつけて食を確保し、生活をつづけていた?この生活のなかには<労働>があり<性>があり<眠り>があり、また<暁>があった。<眠り>のなかに忍びこんだ残像があった。こういう単純な生活の繰返しのなかに、鍵はすべてかくされている。 (P23-P24)

Cわたしたちが、芸術の発生で当面するもんだいは、そういうことではない。具体的な生活のなかから、芸術がひきだされてくる共通の要因とはなにか、それはどのような普遍的な法則にむすびついているか、ということだ。 (P25)

備考

註 「ただ、起こりうる混乱はたしかにひとつだけひきづっている。言語そのものの価値、言語表出の価値、言語芸術の価値は、げんみつにはべつでなければならないのに、例としてしめす文章が文学作品であるため、混同のおそれがあるようにあつかってきたことだ。だから、げんみつにいえば、わたしは、いままで文学作品をせいぜい表出の価値としてあつかうところまでしか論及していないというべきだ。」

註 語註「外挿」(P15)・・・・




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33 構成 こうせい 第X章 構成論  第T部 詩 
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1

D言語の発生から芸術の(詩)の発生にいたるには、人間がどれだけの抽象力を具えなければならなかったか?したがってどれだけの悠遠の歳月がかかったか?そして芸術の発生から、それが文字として詩(ギリシャ叙事詩)が成り立つまでに、またどれだけの抽象力を手にいれねばならなかったか?したがってまたどれだけの悠遠の時間がかかったか?トムソンは、必然的にそれをかんがえないですましている。       (P30)

E芸術(詩)の起源についての、これらのさくそうした立場の混濁物のあいだから、わたしたちがひろいださなくてはならないとおもうのは、つぎのようなことだけだ。

 まず原始的な社会では、人間の自然にたいする動物ににた関係のうちから、はじめに自然への異和の意識があらわれる。それはふくらんで自然が人間にはどうすることもできない不可解な全能物のようにあらわれる。原始人がはじめに、狩りや、糧食の採取を動物のようにではなく、すこしでも人為的にはじめ、また、住居のために、意図して穴をほったり、木を組んでゆわえたり、風よけをこしらえたりしはじめるようになると、自然はいままでとちがっておそろしい対立物として感ぜられるようになる。なぜならば、そのとき原始人は自然が悪天候や異変によって食とすべき動物やその他をかれらから隠したり、食べるための植物の実を腐らせたり、住居を風によって吹きとばしたり、水浸しにしたりすることに気づくからだ。もちろん、動物的な生活をしていたときでも、自然はおなじような暴威をかれらにふるったのだが、意識的に狩や植物の実の採取や、住居の組みたてをやらないかぎり、自然の暴威は、暴威であっても対立するとは感ぜられなかっただけだ。

 この自然からの最初の疎外感のうちに、自然を全能者のようにかんがえる宗教的な意識の混沌があらわれる。そして、自然はそのとき原始人にとっては、生活のすべてに侵入している何ものかである。狩や野生の植物の実の採取のような<労働>も、人間と人間のあいだのじかの自然関係である<性>行為も、<眠り>も、眠りのなかにあらわれる<夢>のような表象もふくめて、自然は全能のものであるかのようにあらわれる。

 そうして、自然がおそるべき対立物としてあらわれたちょうどそのときに、原始人たちのうえに、最初のじぶん自身にたいする不満や異和感がおおいはじめる。動物的な生活では、じぶん自身の行為は、そのままじぶん自身の欲求であった。いまは、じぶんが自然に働きかけても、じぶんのおもいどおりにはならないから、かれはじぶん自身を、じぶん自身に対立するものとして感じるようになってゆく。狩や植物の採取にでかけても、住居にこもっても、かれはじぶんじしんがそうであるとかんがえている像のように実現されずに、それ以外の状態でまんぞくしなければならなくなる。
     (P31-P32)


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2

Fここで大切なことは、原始人たちが感じる自然やじぶんじしんにたいする最初の対立感は、自然や自然としてのしぶん自身(生理的・身体的)にたいする宗教的崇拝や、畏怖となってあらわれると同時に、じぶん以外のほかの原始人にたいする最初の対立感や異和感や畏怖としてあらわれることだ。こんなふうに原始人にとって、ある特定のほかの原始人は、自然のように崇拝すべき全能的なものでなければならず、ほかの原始人たち(集団)との関係は、じぶんじしんにたいする関係であり、同時にじぶんじしんにたいする対立や異和感や不満の身がわりでなければならなくなる。原始人にとって、あるきまった原始人は、自然の代償物としての宗教の表象であり、また、じぶんのじぶんじしんにたいする関係の代償物としての族長である。また、他の原始人たち(集団)は、じぶん自身にたいする関係をうつす鏡として、不満や異和や対立物の異心同体だといえる。 (P32)

G最初の祭式行為のなかに、わたしたちが固執したいような重要さをもつものは、それが、骨格のところでは自然にたいする人間の、また人間にたいする人間のかかわりを軸にして、原始人の全生活過程

のうちのぞれぞれの場面を再現することだけだ。・・・・  (P33)


備考




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34 構成 こうせい 第X章 構成論  第T部 詩 
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1

H祭式の行為と現実の行為とのはじめの相異は、原始人たちがその祭式の行為のなかに、自然と人間との関係と、人間のじぶんじしんとの関係を再現させながら、同時にそのなかに人間にたいする自然の、あるいはじぶんにたいするじぶんじしんの対立をうち消し、補償しようという意図をふくませたことにあらわれた。このいいかたが不正確だとすれば、祭式のときの対象にたいする行為は、自然にたいするじっさいに自然をかえてしまう行為ではなかった。だから自然にたいする人間の、あるいはじぶんにたいするじぶんじしんの対立や異和や不満は、現実的なものではなかった。そういいなおしてもいいはずだ。かれらは、自然やじぶんじしんにたいして(あるいはじぶんじしんのじっさいの同等物であるじぶんいがいの他人にたいして)現実ではこうはいかないが、かくあるべきはずだという関係を、祭式の行為によってだけ実現できたのだ。こういう行為を、呪術とよぼうが、収穫を豊饒にしようとする行為とよぼうが、戦いや狩のような<労働>の予行または再演とよぼうが、わたくたちの考えにとっては、自由だといっていい。たいせつなのは、祭式の行為のなかに、生活過程でぶつかる自然にたいする、あるいはじぶんじしんにたいする関係の再現と抽出(昇華)とがいっしょにとけあってふくまれていたということだ。     (P33-P34)

I祭式の行為が芸術の行為へとうつってゆくまでに、その行為の外形がかわらないばあいでも、悠遠の時間がかかった。なぜなら、ながい歳月と繰返しをへて、はじめてすこしずつ抽出(昇華)はすすんで、しだいに高度になる。そしてこれが祭式と芸術のあいだを質的にへだてているからだ。この質的なへだ

たりは、口でいってしまえばおなじように、じっさい自然をかえる行為ではない。でも祭式は現実の場での行為が本質であるが、芸術は現実の場での最小限の行為は、すでにうわべの形式で、本質は精神の場にうつされた行為だということだ。でもこのうつりゆきにどれだけの時間がかかったかはかりしれない。芸術行為のなかにのこされた、現実行為のなかでの人間と自然、また人間のじぶんじしんとの(したがってじぶんとほかの原始人たちとの)関係の痕跡は、再現行為のワクとしてのこされているのではなくて、すでに芸術行為の構成として表出のなかにのこされたといっていい。

 祭式行為のなかでは、人間の自然にたいする畏怖の意識と、人間のじぶんじしんにたいする対立の意識を象徴する物神としての人物と族長としての人物(原始的な階段【註 ママ 段階?】では、おそらく同一人物である)のシンボルは、現実の行為のばあいとおなじように存在していた。しかし、芸術行為にまで抽出がすすんだとはには、それは構成の力点として表出そのもののなかにとけていった。     (P34-P35)

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2

【4 詩の発生】

J日本の詩(文学)の発生について、はっきりした説をたてているのは、いまのところ折口信夫だけといっていい。

 げんみつには、折口・柳田の系統説とよぶべきであろうか。    (P35)

K折口が、祭式の行為のばあい、自然から人間が疎外されていることを象徴する人物、また人間の関係から疎外された人間を象徴する人物としての巫師、いいかえれば外からやってくる神を演ずるものに着目しているのは見事だとおもう。このような狐憑き的な人物は、原始的なあるいは古代的な祭式の行為のなかでは、自然への対立と人間からの超越を祭式の集まりのなかで体現し、代償する役割を象徴していた。それは、部族の間では自然神の役割をにない、自然との関係では、古代部民の自然からの疎外をその身に象徴するものになる。こういう人物は神託者で、同時に神語の諮問者だという二重性をもっていた。

 しかし、折口信夫は、原始人または古代人が、自然を対象にしておこなう行為、いいかえれば自然を加工する行為からうけとるじぶんじしんにたいする対立、あるいはじぶんからの疎外を、その信仰説のなかで、まったくすくいあげることはなかった。こういう古代人のじしんからの疎外は、部族のあいだのほかの部民との関係のなかにあらわれる。たとえば、素朴な形では、狩の獲物や収穫の働きがすくないとかおおいとか、かれは足がはやいがじぶんはおそいとか、・・・・とかいうような、ちがいの意識としてあらわれたかもしれない。これは、祭式の行為のなかにも象徴されるもので、いわば族長的人物を象徴する役を演ずるものと、そうでないもの、あるいは一番手と二番手・・・・・・といったちがいとなって祭式のなかに擬定された。   (P38-P39)

備考




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35 構成 こうせい 第X章 構成論  第T部 詩 
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1

L柳田・折口系統は、その祭りの説を、普遍的な根拠にまで深化することがなかった。そのためにこの構成のもんだいを逸した。祭式のなかに人間と人間の関係が象徴せられ、これは文学(詩)行為にまで抽出されたところでも、構成の原像としてのこるものだ。ここへ考察はのびなかった。折口が呪(寿)言(よごと)から叙事詩へのうつりゆき、あるいは叙事詩から叙景詩へのうつりゆきをとりあげるとき、呪力的な効果が集中するところからうつりゆきがおこることを指摘しながら、古代人のじぶんじしんからの疎外の表象である構成の展開が、このうつりゆきをうながす面は、とりあげなかった。 (P39)

Mしかし、柳田・折口系統は、原始信仰から土俗的な習慣へ、土俗から芸術へのいわば、ジュズ玉のような上昇をかんがえたため、芸術のなかにも土俗が、土俗のなかにも原始信仰がたもたれる面はあきらかにされたが、部族的な社会が、そこで部族員のじぶんじしんからの疎外が、部族員をじぶんじしんにおいやろうとする契機をみつけなかった。古代人が、じぶんを共同性から孤立していると感じる経路をへなければ、呪詞的胎生からの律言的体制の分離、いいかえれば、天上的な体制からの現世的な体制の分離はおこらなかったといえる。

 柳田・折口系統はこの律言的な体制があたえる構成ということをかんがえなかった。そして土俗共同性をどこまでもひきずった信仰の原型へゆくように想像力と論理をさかのぼらせた。 (P40)


項目抜粋
2

Nけだし、わたしたちが、ここでとりあげたい詩的な構成の原型は、柳田・折口の系統がとりあげることをしなかった地上的な原型であり、古代人のじぶんがじぶんじしんから隔離されているという意識の地上的な関係としてあらわれたといっていい。

 いちばんはじめの呪言(よごと)といちばんはじめの律法とは一致していた。自然にたいする古代人の対立は、呪言となって自然宗教の性格をもち、じぶんのじぶんじしんにたいする対立は、部族内のほかの成員との関係によって象徴されるため、ひとつの律法的な、あるいは欲求としての託宣の意味をおびることになる。そして、呪言としての言語と、律法としての言語とは別のものではありえなかった。古代人たちは、自然や自然としてのじぶんにたいする崇拝や希念の言語が、神憑り的人物の口からほとばしりでたとき、それを同時にじぶんとひととの共同体の関係をかたる律言としてきいた。

 祭式にともなう言語の表出が、芸術(詩)にまでうつってゆくいっとうはじめの契機は、いっぽうで呪言としての意味がうすれ(呪力を消失し)、いっぽうで律言として現実を呪縛する力がうしなわれて昇華されるという、二重の契機があった。この二重の契機から言語の表出は詩(芸術)の水準線にはじめてすがたをあらわした。   (P43-P44)

備考 註 「わたしたちが、ここでとりあげたい詩的な構成の原型は、柳田・折口の系統がとりあげることをしなかった地上的な原型であり、古代人のじぶんがじぶんじしんから隔離されているという意識の地上的な関係としてあらわれたといっていい。」




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36 構成 こうせい 第X章 構成論  第T部 詩 
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1

O詩の水準線にすがたをあらわしたいっとうはじめの言語は、呪言と律言とがうすめられ同一になったところから、神語と歴史とを連続してつなげたものだった。その表出は呪いと掟のふたつの意味で古代部族のあいだに流布されたのだといっていい。わたしたちは、ここまできて、詩としての言語が、よりおおく呪い的な要素をもった部分と、よりおおく歴史的あるいは社会的要素をもった部分とからできていたであろう、というほかに何もいうことはできない。

 折口信夫が、呪詞としての言語がその呪力をうしなっていく過程で、叙事詩へ転化されたというのは、側面をそのまま普遍化したものだといっていい。律言としてもっていた現実の力が昇華されることは、祭式の言語行為が芸術としての言語行為にうつるためにどうしてもとおる条件だった。 (P44-P45)・・・・

 記紀歌謡という文字でかかれた、最古の詩は、詩の発生の起源を、ほとんどなにほども保存しているはずがない。 (P46)

【5 古代歌謡の原型】

P記紀歌謡についてわたしたちがやってみたいのは、詩としての構成の原型をみつけ、その変化の仕方をたどるということだ。・・・・わたしたちのあつかいかたが、いまここに文字によって表出された歌謡を、歌謡じたいとしてみるという立場をふくんでいるからだとおもう。 (P46)

Q記紀の歌謡は、わたしたちのあつかいかたからは、五つのカテゴリィにわけることができる。

     (1)土謡詩     (2)叙景詩     (4)抒情詩

                 (3)叙事詩     (5)儀式詩

 ここで、土謡詩とよぶのは、記紀歌謡のなかで様式的に詩としての土台になる表出体である。もし、記紀の成り立つまえに、口承の詩の時代をかんがえるとすれば、それにいちばん近いかたちだといっていい。しかし、このいちばん近いという意味にも、なお、千里の距りと質的なちがいがあることは、すでにくりかえし述べたとおりだ。つぎの叙景詩と叙事詩とは、この土謡から表出として上昇した詩体をさしている。わたしのかんがえでは、この上昇は『古事記』『日本書紀』が地の文をふくめて成立した、ということなしにはかんがえられないものだ。その意味では、記紀歌謡の中心になる表出体だといえる。おわりの抒情詩と儀式詩とは、表出としていちばん高度な上昇をとげたもので、抒情詩は、いわば個人の創作でないばあいも個性にひとしいものの成立が前提になっている。ここでいう儀式詩は、おそらく土謡詩からじかに土俗共同体の行事を媒介にして精錬されて、高度の表出になったものをさしている。

項目抜粋
2

 記紀歌謡でかんがえられる詩としての上昇の仕方は、ひとつふたつの例外をべつにすれば、つぎのふたつの経路をへているとかんがえられる。

           →叙景詩 

    (1)土謡詩      →抒情詩     (2)土謡詩→儀式詩

           →叙事詩

 こういううつりゆきがかんがえられるのは、これを暗示するような中間の、または過渡的な表出体をかぞえることができるからだといっていい。

 ここで気をつけなくてはならないのは、この表出のうつりゆきや上昇は、かならずしも時代的な距りということではない。・・・・これらは詩の表出空間の幅としてかんがえられるだけだ。  
     (P47-P48)

Rなぜ文字でかかれたいちばんはじめの詩は、ふたつの経路をもつのだろうか?これをはっきりさせるのは、なかなか難しい。だが時代の関心にひきよせてかんがえれば、記紀歌謡でのうち、土謡詩→叙景(叙事)詩→抒情詩へとたどる表出の上昇は、よりおおくその時代の知識層によってになわれ、土謡詩→儀式詩とたどる上昇は、よりおおく部民層によってになわれた、と推定できるとおもう。わたしたちのあいだに流布された、ゆいつの説ともいえる柳田・折口系統は、この土謡詩→儀式詩の過程を詩の普遍的な根拠とみたのだ。しかし、すくなくとも文字によって表現されてからあとの詩は、いつもその時代の知識層によって、先導されてうつっていった。 
    (P48-P49)

備考




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37 構成 こうせい 第X章 構成論  第T部 詩 
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1

「(A) 土謡詩」

Sこれらは【引用した古事記の歌謡】、当時伝承されて流布していた歌謡のいちばんはじめの形だといえる。・・・・

 まずひとつのモチーフは、かならず想像あるいは現実のうえで、眼にふれた自然物に仮託されたのち、モチーフの本質へゆくという類型をとっている。・・・・

 はじめに、眼にふれた自然物に仮託しながら、うたいたいモチーフへゆく土謡の原型は、転換または詩的な喩の起源のかたちになっている。  (P50)


(21)土謡の表出体が、もとにもどらない表出がつぎつぎとおこり、きえていゆく性質は、この表出体が、文字にかきとめられることのなかった時代の音声表出の性質を、よりおおく保存しているためとかんがえられる。音声表出ではどんな言語も、口誦され和唱されたあとには、音声がきえてしまえば、その意味は消え、つぎの音声表出がうけつがれる。   (P52)

「(B) 叙景詩と叙事詩へ」

(22)土謡の表出体からの上昇は、ふたつの方向におこなわれた。ひとつは叙景詩へ、ひとつは叙事詩へ。なぜ、そしていつ、こういう分化はおこなわれたのだろうか?

 わたしたちは、どんなかたちでも、はっきりいうことはできない。ただ当時の知識層の意識のうちで、もうひそかに呪言的な社会体制と、律言的な社会体制との分離が、いいかえれば天上と地上との体制の分離がレンズのように解像されて、逆さの像をむすんでいた。そのことはどうしても前提だった。そして、呪言的な表出は叙景詩のほうへ、律言的な表出は、叙事詩の方へ上昇した。いいかえれば、古代知識層の自然への意識は叙景のほうへ、じぶんじしんへの意識のほうは部族の社会への関心のほうへ、とむかったのだ。 (P55-P56)


項目抜粋
2



備考




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38 構成 こうせい 第X章 構成論  第T部 詩 
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1

(23)    (5)大和の 高佐士野を

      七行く 嬢子ども 誰をし枕かむ (記15)

      かつがつも 最前立てる 兄をし枕かむ (記16)

    (6)胡燕子鶺鴒 千鳥ま鵐 何ど開ける利目 (記17)

      嬢子に 直に逢はむと 我が開ける利目 (記18)

    (7)狭井河よ 雲立ち渡り

      畝火山 木の葉さやぎぬ 風吹かむとす (記20)

      畝火山 昼は雲とゐ

      夕されば 風吹かむとそ 木の葉さやげる (記21)

 はじめの(5)、(6)は土謡的表出体から叙事体へ上昇してゆく過程を、(7)は、土謡の表出体から叙景詩へとうつってゆく過程をあらわしている。・・・・これ【(5)】が土謡詩からの上昇とみられるのは、まず、自然物にふれてからあとに、ほんとうのモチーフにちかづくという土謡の形式がとられず、じかにモチーフが云いだされ、詩としての構成は、これにたいする応答の形で、ふたたびじかにモチーフが接続されるという形式がとられているからだ。

 詩的な媒体としての<自然>物をとりのぞいたかわりに、構成として問答対がとられるのは、土謡体から叙事体への転換のさいしょの形態だった。

 (7)の叙景詩への上昇は、まったく対照的だ。ここでは、土謡的な表出体が、自然物からモチーフの中核へはいりこむという形をとるのにたいして、モチーフは、まったく背後におしこめられ、自然物だけをうたうようにみえる。叙景によって、じつは、背後にかくされたモチーフの<暗喩>をつくるものだっだ。

 叙景が、モチーフの<喩>をなすという土謡の痕跡が、まったくふっきられて、純粋の叙景を抽出するまでには、おおくの歳月がたっているはずだ。純粋の叙景詩が成立するためには、すくなくとも自然信仰の意識がなくなり、自然がこころの対象となることがひつようだからだ。

 叙景詩は、大なり小なり内心のモチーフの<喩>としての痕跡をひきずっていた。 (P56-P57)


項目抜粋
2


備考 註 「叙景詩は、大なり小なり内心のモチーフの<喩>としての痕跡をひきずっていた。」




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39 構成 こうせい 第X章 構成論  第T部 詩 
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問答対と対句
項目抜粋
1

「(C) 叙事詩の典型」

(24)さきに、土謡詩が、叙景的と叙事的のふたつのかたちをとって上昇することにふれたとき、叙事詩へのさいしょのかたちが、<問答対>のかけあいでモチーフのこころをじかにのべるものだとかんがえてきた。

 この<問答対>のかたちは、太古の口承時代のかけあいのかたちを、痕跡として象徴するものだといえる。モノローグではまだ、自然にたいしても人間にたいしても意味をひらくことはできなかった。ディアローグでしかあるモチーフが表出されない。そういう口承時代の叙事のかたちは、いわば、文字による表現の時代になってからも、くりかえしなんべんもとられたといってよい。

 叙事詩の表出がしだいに完成されてゆく過程は、<問答対>のかたちがかけあいとしてのふかい切れ目をなくして、いわばスムーズな構成の単位が、順をおって展開できるようになってゆく過程であった。

 このことはいうまでもなく詩が現実の祭式行為の場面の痕跡をなくして、しだいに昇華してゆく過程を象徴している。叙事詩の<場>とはちがった言語の<場>になり、文字を現実の土台とした観念の世界にうつされていった。   (P58)


(25)【引用(8)(記47)、(9)(紀96)】

 モチーフを叙べるのに、自然物をかりることもなければ、また<問答対>をかりるまでもなく展開できるだけの表出の意識がここでは成り立っている。・・・・

 ここに【引用(9)】過渡的な痕跡があるとすれば、対句の形式が構成の流れをもちこたえるためにさかんにつかわれていることだ。対句はいうまでもなく<問答対>がやや高度に昇華したかたちを意味している。

項目抜粋
2

 <問答対>のはじまりのかたちは、詩の表出の地上的な契機を語っている。これは古代の部族社会のなかで古代人たちが人間関係をどんなふうに認識していたか、その痕跡を表象していた。古代人が、じぶんたちの部族社会のうちにあって、じぶんじしんに感じた異和の意識は、その社会のほかのひとびとにたいする関係によって反映するほかにない。古代人たちはそれを、隣人(近傍)のひとにたいする認識としてあらわした。部族のなかのさくそうした人間関係は、隣人(近傍)との関係に集約された。遠くにいるひとたちとの関係を意識に入れることはできなかったとおもえる。言語の内部関係でつくられる構成もまた、ただ隣人から隣人への展開、いいかえれば、自己−隣人、自己−隣人・・・・・・という対他意識の連鎖でしかはじめに全体が意識できなかった。

 この形式は、いちばんはじめの構成の単位として、記紀の叙事詩のような、かなり高度だとおもえる表出体でも<対句>が展開された痕跡としてのこされていた。

 <問答対>から<対句>へと純化されてゆく経路は、いっとうはじめ自己−隣人、自己−隣人というつながりか、自己−隣人−自己−隣人というつながりいがいには、あまりかんがえられなかった。    (P60-P61)

・・・・問答対をもとにした叙事的な詩の発生から、対句によって構成が展開されるようになるまでの過程は、話しコトバから書きコトバへのひとつの抽出を象徴するものであった。   (P62)



備考




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40 構成 こうせい 第X章 構成論  第T部 詩 
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1

【(D) 叙景、叙事から抒情詩へ】

(26)世界のどこの文学(詩)の発生史でも、抒情詩は、いつも、土謡から叙事的または叙景的な分化がおこなわれ、じゅうぶんな情操の抽出ができるようになったあとでかんがえられる高度な詩の表出を意味している。そして、詩としていちばんはじめにあるものとかんがえられる口誦の土謡でも、自然にたいする人間の関係と、人間にたいする人間の関係(つまり社会)とは、いっしょにあらわれるということは、わたしたちがいままでみてきたとおりだ。   (P64)

(27)これらは【註 引用(10)(記89)、(11)(記91)、(12)(記33)、(13)(記58、59、60、61,62)】、どれも叙景的にか、あるいは叙事的にか、ひらかれてきた構成が、きゅうに一句または一語にあつまったモチーフのほうに転化してゆく表出を、あますところなくみせている。

 この叙景的または叙事的な詩体のなかに、きゅうにみちびかれた一句または一語が、抒情詩へ転化してゆくことを象徴している。やがて、この凝集された一句または一語が、歌謡のすべてを占めるとき、抒情詩が成立するといえる。

 では抒情詩とは本質的になにか?

 それは構成としてみれば詩のモチーフが凝集し集中されることだ。・・・・

 抒情の表出がうまれるためにいるのは、<共同体>や<祭式>ではなくて、構成の高度なつみかさねだった。   (P67-P68)

【(E) 抒情詩と儀式詩】

(28)抒情詩が構成としてもっている意味は、うたうべきモチーフをとらえるのに、叙景とか叙事の展開をひつようとしないほど、高度に抽象された情緒の表出だといえる。構成としてみられた抒情詩は、指示の展開ではなく、自己表出が凝集されたということにつきる。

 このことは、いうまでもなく祭式のじっさいの行為の最後の痕跡が、ここで断ちきられたことを意味している。抒情詩の成立は、古代人たちが、自然にとか、じぶんじしんにとか感じる異和の意識を、自然や部族のなかのほかの人間との関係の意識がなくても、自分の内部でしらずしらず補償できるまでになったことを、象徴するものだ。もう地上の律言社会は、影のように古代人たちの内的な世界にしみとおっていったというべきだ。    (P68-P69)

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2

(29)抒情詩まできて、詩の構成を口承時代のような言語の連関体としてとらえるだけでは、不充分なことになった。抒情詩は<転換>としてみればそれほど複雑になったわけではなく停滞したとみていいのだが、構成としてみれば表出の奥行きのほうへとりったいてきにのびていったことを意味している。口承時代の言語のその場かぎりの響きはなくなり、文字からつぎの文字が喚起されるかたちにはいった。詩の構成が、いわば有機的に統覚されるようになった。   (P68-P69)

(30)古代抒情詩の成り立ったことは、西郷信綱の見解とはちがって、芸術行為から土俗共同体の祭式の行為の最後の痕跡がたちきられたことを意味した。詩の発生史は、ここではじめて詩の原生的な発生のもんだいを内在からのりこえて、言語の美として自立した過程にはいったのだ。
     (P70)

(31)これらの儀式歌の特徴は、いっとうはじまりには歌垣や遊興や祭りのような集団のなかでうたわれた土謡歌が、祭りがかたちだけになってしまったのちも、土俗共同体の具象性をまといつけたままそれなりに精錬されて、じかに高度な儀式歌として昇華したもの、また、その途中にあるものということができよう。

 そこには、個性化の契機も、芸術としての詩の発生の契機もはらんでいない。非個性的な共同性の衣裳がまとわりついてはなれないものをさしている。

 儀式歌の表出体としての意味は、日本の土着的な恒常性、いいかえれば常民の意識が、どんなふうに昇華して、支配の共同体までたどりつくものかをよく語っている点にある。・・・・

 構成としてみられた儀式詩は、・・・・古代人のじぶんじしんにたいする異和感の契機をまったくうしなって、土俗共同体の構成が天上へ昇華していったことを意味している。 (P73-P75)

備考




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41 構成 こうせい 第X章 構成論  第U部 物語 
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物語言語への飛躍の契機
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1

(32)歴史的にみると、物語文学が詩の胎内からうまれでたとき、なぜ、そんなうまれ方をしたかはべつに解かれなくてはならない。まず物語は詩のようにじかにこちらへやってこないで、あるところへつれてゆかれるようにつくられた。資質が拒否するとか反撥するとかいうまえに、詩は共通感をもとにして、わたしたちにちかづく。だが物語は同伴感をもってわたしたちをつれてゆく。物語としての言語はまずひとをひきつれてゆくための<仮構>線をつくり、それをとおって本質へゆこうとするのだ。

 詩の発生の時代では、まずはじめに言語の構成は、人間と人間との地上的な関係が融けあったすがたを象徴したが、物語が文学として成立したとき構成そのものの基底は、ある<仮構>線にまで上昇した。

 物語は、文学のジャンルとしてはじめて自立した九世紀の後半から十世紀にかけて、すべての意味で人間がじぶん自身からへだてられた現実の関係を、痕跡すらなくしてあらわれたといってよかった。

 起源としてみれば、あきらかに詩と語りとは同時に発生し、まず、詩的な時代が、はじめに力をもった。そして、必然と偶然とがないまぜられて物語としての言語が、ひとつの<仮構>線をつくるまでに上昇し、物語が文学としての力をもつようになった時期は、律令制が崩壊のきざしをみせ、摂関制として補修された過渡期にあたっていた。・・・・言語の自己表出のうちがわからする連続性からいえば、言語が抒情詩としての頂をきわめ、やがてその頂のうえにひとつの<仮構>線をつくるようになる契機は、どんな意味でも律令制の解体とは無関係な、ひとつの偶然だといえる。そして指示表出としての言語は、体制の変化とではなく、その変化をうながした現実の根源とかかわりをもって、この意味でのみ、ひとつの必然だということもできる。 (P77-P78)

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2

【2 物語の位相】

(33)物語文学の成立は、世界中どこでも、かならず、詩的時代が抒情詩にまで登高したあとにおとずれている。しかし、わたしのかんがえでは、土謡詩が儀式歌にまで精錬され昇華した時代のあとにおとずれている、という契機をぬきにしてはならない。

 抒情詩というせまい鋭い通路をとおってきた地下水と、儀式歌という地下水源自体の水位の向上とがあいまって、あらたな地表に水を分布させた、という比喩をかんがえれば、物語言語の成立の状態を想像することができよう。

 こんなふうにして物語としての言語は、抒情詩と儀式詩の自己表出の頂を、ひとつの<仮構>の底辺とする言語表現の<飛躍>として成り立った。もちろんこの<飛躍>はながい歳月をへて、ゆるやかに徐々におこなわれたという意味では、あたかも土謡詩から叙景詩あるいは叙事詩をへて抒情詩へ、あるいは土謡詩から精錬をへて儀式詩へ、という経路とおなじように、自己表出の<上昇>として連続しているとかんがえることができる。でもこの側面だけからは、物語言語の成立の<契機>の総体をよくいいあらわせない。なぜならば、物語の言語は、たんなる自己表出の尖端の上昇ではなく、いわば自己表出の線(水準)としての上昇を手に入れたからだ。

 これは第2図によってしめすことができる。

 こうして、物語が成立したときの言語は、指示表出域を儀式歌の指示表出性のとどくかぎりにもち、自己表出域を抒情詩の自己表出性の高さのとどくかぎりにまでもった、しかも指示性の展開としての構成の水準を、ひとつの<仮構>線の高さにまでたかめることができた、あたらしい言語面の成立を意味している。

 もう詩の時代が、発生の原像をたもったままでは、それ以上に登りつめることができない自己表出にまでたっしたとき、その自己表出の時代的な頂を<仮構>の底辺とするあらたな言語帯へ転化するために、どうしても<飛躍>せざるをえなかったのだ。 (P82-P84)


備考




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42 構成 こうせい 第X章 構成論  第U部 物語 
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物語言語の特質
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1

【3 成立の外因】

  【註 『讃岐典侍日記』で、天皇堀河の瀕死の病を追い払うのは、古代からの土俗信仰心ではなく、        仏法の加持祈祷になっている。】

(34)このばあいの仏法は、たとえば、亀井勝一郎が『王朝の求道と色好み』でとっている解釈のような外来文化または外来宗教としての仏教が、土俗宗教である神道に対立し滲透するといった性格のものではなく、自然宗教が、ひとつの理念宗教にとってかわられるときの根っからの滲透力として、かれらの精神のおくにくいこんでいる。

 こんな仏教の滲透は、すくなくとも唐制を模倣した律令制が支配したときに本格的に流布され、律令制の解体期には、制度をうごかすような理念の原動力として作用するまでになっていた。

 これは、自然宗教から理念宗教へというかたちで、詩の言語を物語の言語へとおしやるひとつの外在的な契機となりえた。記紀歌謡にはじまり、<万葉>によっていちおう頂をきわめられた詩的な時代は、・・・・土俗的な祭式行為から連続してか、または断続的に、あるいは否定的なへだたりとして位置づけることができる。

 けれど律令期からあと仏教が精神と儀式のおく深くまで滲透した時期では、土俗的な祭式行為を原点とする言語表出の位置づけは、それ自体として根柢をうしない、あらたな理念信仰を基底とする言語帯へと<飛躍>することになった。すくなくとも、この契機からみれば、仏教の滲透は、物語文学の成立にふかい根拠をあたえた、ということができる。 (P87-P88)

【4 折口説】

(35)物語言語は、指示表出の底辺である<仮構>線にまで<飛躍>することで、詩とちがうひとつの特質を手に入れた。それは、仮構のうえで現実とにた巡遊の回路を手に入れたということだ。そこではたんに叙事詩のように、作者じしんの影がじかに巡遊するのでもなく、作者の自己表出の構造としての抒情詩でもなく、複数の登場人物が、あたかも現実の社会のなかでのように振舞い、ほかの人物と関係をもち、生活するといった構成をひろげることができるようになったのだ。 (P95)

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2

【5 物語のなかの歌】

(36)まずわたしたちは、初期の物語にはさみこまれた短歌が、ほんとうはなにを意味するかたずねてみたいとおもう。・・・・

 わたしのかんがえでは、これらは物語の言語帯の<仮構>線に露頭をあらわした詩の時代の遺制を象徴している。しかし、物語のなかに短歌が露出する仕方は、それぞれちがっている。たとえば、説話系である『竹取物語』では、そこに挿入された短歌は<儀式歌>(本稿で定義された意味で)の露岩であり、歌物語である『伊勢物語』では<抒情歌>の露岩でであることに、注意しなければならない。そして、抒情歌と儀式歌のほかには、物語にはさみこまれる短歌はないのだ。 (P96-P97)

(37)<抒情歌>を、詩的な時代から突出した露岩としてもった歌物語は<抒情歌>の表出としてのするどさからして、そのほかの物語文を歌のまわりに集中させた。これにたいし<儀式歌>を露岩とする説話系の物語は<儀式歌>が表出としてするどいというより普遍的であるために、地の物語文ともたれあい溶けあって成立した。

 すくなくとも、歌が挿入されているから、物語文学ははじめから抒情的であったというような云い方は、げんみつでもないし、また因果を転倒したものだといえる。 (P98)

備考




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43 構成 こうせい 第X章 構成論  第U部 物語 
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説話物語 歌物語
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1

【6 説話系】

(38)『竹取物語』のライト・モチーフは、王権にたいする神権の優位を、かなり原始的なかちでつらぬいている店にるとおもえる。 (P101)

(39)『竹取物語』は、説話物語から儀式(典型)物語へ上昇してゆく過程に位置づけられるものだ。その構成のきんみつさと、文章の書き言語としての高度さは、すでに古来から口承としてあった翁物語をアレンジしたという程度をはるかにこえている。書き物語が、書くという行為の過程で、表現じたいをつくりかえるという高度な段階にあることは、その文体をみればうたがうことはできない。 (P102)


【7 歌物語系】

(40)構成としてみられた『伊勢物語』は、けっして『竹取物語』よりも高度なものではない。それでも『伊勢』のほうが高度な物語にみられるのは、『竹取物語』では、構成の基盤としている<仮構>線が、土謡詩から儀式歌へ上昇してゆく過程に設定できるのに、『竹取物語』が抒情詩の頂きを<仮構>線のもとにしているところからきている。いわば<仮構>線の自己表出としての水準が、前提からちがっている。     (P104)

(41)こういった主題のちらばりは、たぶんやむをえないもので、もともとそう意図されたものではなかった。抒情詩を中心にし、その詞書を物語化するという歌物語の意図がすすむ過程で、まず主題を統一することと、抒情詩の露岩からさらに表現を上昇させることとは、たがいに矛盾するほかなかったのだ。

・・・・でもほんとうの理由は、物語の言語帯が、その<仮構>線を抒情詩と儀式詩の露岩からまったく離脱できるまでは、主題と構成のあいだの二律背反をさけることができなかったためだといってよい。

 こういった抒情詩の言語帯から物語の言語帯へゆるやかにうつってゆく過程が、統一された主題と構成をそなえてあらわれるには『宇津保物語』までまたなければならない。 (P105-P106)

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2

(42)『宇津保物語』は主題の統一ができているだけでなく、『伊勢』や『大和』では構成の時間の並列にすぎなかったものが、ひとつの物語の進展にそって、時間の流れをもつようになった。けれどこの時間は、外的な時間の流れともいうべきもので、登場人物の世代かわりや、関連人物の入れかわりによって、構成の単位がうつっていくといったものだった。・・・・

 『宇津保』が、主題の統一をはかるためにみちびいたのは、ある部分社会のなかの人間関係と、男女の相聞だった。ことに男女の相聞を、クモの糸のようにはりめぐらせることで物語の構成の流れは普遍的にむすびつけられたのだ。たぶん『宇津保』によってはっきりしたかたちをとった男女の相聞をもとに構成を連環させる方法は、物語文学の成立にとっては本質的なものだった。もちろん『源氏物語』にもこの方法がひきつがれた。 (P106-P107)

(43)わたしたちは、折口によって<相聞>が普遍化されているのをみる。これを物語文学の構成をつなぐための鍵としてみとめてよいとおもう。叙景詩の時代ではまったく自然の風物による<暗喩>としてしかあらわせなかった人間と人間との情感の関係は、抒情詩時代にはいって内在化され、ついで物語が成立するにつれて、人間と人間との構成の関係の意味をになって登場した。こういう経路はたしかに想定することができる。ここでは、折口のいう「魂乞ひ」とまったく対照的な意味で<相聞>は、人間関係の地上的な構成をつなげる普遍性の意味をもった。  (P107)

備考




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44 構成 こうせい 第X章 構成論  第U部 物語 
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日記文学
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1

【8 日記文学の性格】

(44)歌物語のような抒情詩の表出の露岩を構成の力点にした物語言語をもとにかんがえると、日記文学のなかの短歌は、すでに詩の時代の遺制としての意味をまったくもっていない。・・・・

 わたしのかんがえでは、こんなふうに短歌が構成の展開のなかで、地の文とおなじ位相にはめこまれている日記文学は、歌物語から上昇した表出とだといえる。この上昇の過程は、すくなくともはじめの時期では、歌物語にいたる上昇のばあいとは、たしかにちがった構成上の代償が必要だった。・・・・いってみれば物語の<仮構>線のうえで巡遊をもちこたえるために、じっさいの旅の日付がそのまま、構成の単位におきかえられた。だから物語のひとつのかたちとみることができる。・・・・

 『土左日記』には、旅の巡遊と出会った出来ごとと、その感想のほかに、どんな説話性もふくまれていない。物語として<仮構>された巡遊があるとすれば、じっさいの旅にまつわる主人公の感想と出来ごとの描写のなかにしかない。しかしそれによって『土左日記』は、物語文学のなかに表現者のこころのうちの世界の風景をえがきだすきっかけをつくった。 (P108-P110)


(45)『土左日記』から、ほぼ半世紀ちかくあとにあらわれたとみなされる『かげろふの日記』によって『土左日記』のつけた軌道は、ほとんど頂きまでおしすすめられた。・・・・

 しかし、『かげろふの日記』で「かくありしときすぎて、世中にいとものはかなく、とにもかくにもつかで、よにふる人ありけり。」とかきはじめるとき、じぶんの身上を、他人称でかきながら、この他人称のなかには対象になったじぶんが<仮構>の水準をつくっているという二重性を、文体が獲得している。この二重性は、日記のなかに、じぶんのうちの風景をえがきだすことを可能にしたのだ。
    (P110-P111)


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2

(46)男がたまに訪れてくるが、女のほうで、しっくりとはいかず、男もまたそそくさと帰ってしまうにつけて、錯乱する女の心理が、あますところなくじぶんで解剖される。これが<貴種流離>譚の裏面についた<相聞>のときの人間と人間(男と女)の地上的な関係だということを、この「日記」はかきとめた。『かげろふの日記』まできて物語文学は、すくなくともこころのうちがわをえがく手法として頂きまで昇りつめたといっていい。

 しかし『かげろふ』は構成としてみれば『土左』の日録風のひろがりを、ただつよく択びとってむすびあわせる高さにとどまった。ここにはほんとうの意味での日記文学の限界があった。対象をつよく択びとることで、構成の力点は『土左』よりも凝縮されたが、全体を統覚する物語のところまで上昇することはできなかった。  (P112)

備考




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45 構成 こうせい 第X章 構成論  第U部 物語 
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源氏物語
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1

【9 『源氏物語』の意味】

(47)このようにしてこれらを集大成した位置にある『源氏物語』は、説話系の物語と、歌物語系と日記文学系とを混合し、それらを統一した最初の最大の作品といってよかった。ことに『かげろふの日記』に象徴される日記文学のなかの<相聞>のじっさいの描写をへなければ、この作品はうみだされなかったはずだ。 (P113)


(48)『源氏物語』の発端から二十帖<槿>にいたるまでの光源氏の物語と、終末のいわゆる<宇治十帖>との色調のちがいは、この物語じたいが、はじめの説話系のパターンから日記文学系のパターンへとうつってゆくすがたをよく象徴している。終末にあるのは、薫や匂宮ばかりでなく、そのあい手である女性たちも、すでに『かげろふの日記』や『和泉式部日記』の登場人物たちとおなじように、説話系の華麗さや包容力の天上性をうしない、卑小で内省的でアンビバレントで、ちぐはぐな現実の人間関係を象徴するものにかわってゆく。 (P114)

(49)『源氏物語』の構成は『宇津保物語』をそれほどしのぐものではない。光源氏三代にわたる世界を<相聞>によってむすびつけながら、しだいに年代のうつりかわりをおうという説話的な連環をこえて、統覚された構成をもつものとはいえない。しかし作者(たち)によって意識されたかどうかとかかわりなく、はじまりの説話的な言語がおわりの日記文学系の言語にうつりかわる過程には、わずかに内在の<時間>の流れが象徴され、長編としての首尾がととのえられているといえよう。 (P116)

【10 構成】

(50)ここでひとまずはじめにもちだされたもんだいにかえってみる。文学作品の構成とはなにを意味するか、というように。

 わたしたちはいままで、詩と物語がそれぞれ成立したところで、このもんだいをかんがえてきた。構成としての言語は、詩と物語のあいだでは、いわば<仮構>線をさかいにして<飛躍>するということは、わたしたちがみちびいたいちばん大事なシェーマだといえる。そしてこの<飛躍>は、言語を自己表出としてみれば、ゆるやかな連続性だが、指示表出としてみれば<仮構>線を底辺とするあたらしい言語帯への跳躍であるとかんがえた。  (P117)

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2

(51)詩と物語のばあいの構成の共通性をぬきだすと、つぎのようにいうことができよう。文学作品の構成とは、指示表出からみられた言語がひろがってゆく力点が転換されたものをさす。

 文学作品の構成が、作品の価値にかかわるのは、この言語表出の力点の転換が、ひとつのよじれの美または組みあげられた過程の美をなすからだ。また言語の<仮構>線が、その時代時代にそれまでの諸時代の価値の中心である自己表出性の頂点のうえに底辺の線をもつからだといえる。

 たとえば構成としてみられた『伊勢物語』の価値は、各段の抒情詩(短歌)のまわりにあつめられた言語の力点が、単純に算術的に総和されたものを意味する。なぜなら、それらの各段は、はじめからおわりにかけて、ほとんどなにもつながりをもたないからだ。また、たとえば構成としてみられた『源氏物語』の価値は、はじまりの<桐壺>からおわりの<夢浮橋>までの各帖をつなげている<相聞>による関係がひろがるプロセスの美にある。そして『源氏物語』がきんみつな価値を構成していないとかんがえられるのは、その構成がらせん状に上昇してまた下降するというよりも、説話的な連環体をいくばくもこえていないからだといえよう。 (P118)

備考 註 「構成としての言語は、詩と物語のあいだでは、いわば<仮構>線をさかいにして<飛躍>するということは、わたしたちがみちびいたいちばん大事なシェーマだといえる。そしてこの<飛躍>は、言語を自己表出としてみれば、ゆるやかな連続性だが、指示表出としてみれば<仮構>線を底辺とするあたらしい言語帯への跳躍であるとかんがえた。」




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46 構成 こうせい 第X章 構成論  第V部 劇 第T編 成立論 
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【1 劇的言語帯】

(52)劇の発生は、すでにふれたように、芸術そのものの発生と同時に、太古にさかのぼってかんがえられるものだ。

 しかし書き言葉としての劇、あるいは書き言葉としての戯曲(的なもの)をもとにした演劇の成立は、世界中どこでも、詩の時代と散文(物語)の時代のあとにやってきている。劇そのものが、歌曲と舞踊とをどれだけひき連れているかに幻惑されるひつようはなく、このことは、劇の特質をあかすのに役立つものといえる。詩の表出としていちばん高度な抒情詩では、人間のこころのうちの世界のうごきをえがくことができるようになった。物語の表出では、複数の登場人物の関係と動きを語ることができるようになった。劇においては、登場人物の関係と動きは語られるのではなく、あたかもみずから語り、みずから動き、みずから関係することができるかのような言語の表出ができるようになった。

 物語でも、登場人物たちはある場面で会話をかわすが、それは会話をかわすことが語られるという仮構を意味している。劇では登場人物みずからが語り、それによってみずから関係するという仮構になっている。 (P120)

(53)わたしは劇を、言語としての劇のうえにたって演じられる劇にいたる総体性とかんがえるから、あらゆる劇的なものの根柢に、言語としての劇があり、それはたんに、戯曲とか脚本とかいう以上の内向する意味をこめて、劇の総体を支配しているという見地にたつことにする。そこで、第4図のような劇的言語帯の成立が、本稿にいままでつきあってきたひとびとには、たやすくそうていできるはずだ。

 図表をみなれないひとのために、言葉をかえれば、言語としての劇は、そこにふくまれている説話性と日記物語性を、舞台、採物(道具)、歌舞、道行、地その他に抽出したあたらしい言語帯の成立を意味している。     (P120-P121)


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【2 舞台・俳優・道具・観客】

(54)舞台は能や狂言みたいに象徴の骨組だけで簡略にできあがっていても、またいわゆるリアリズム演劇のように、実生活のある場面をそのまま縮尺したようにしつらえてあっても、俳優にとっては戯曲の過程と演劇の過程とを仕きる境界であり、また普遍的にいえば、言語としての劇と演ぜられるものとしての劇とを区ぎる境界だといえる。これは言語の美にとっては、物語の言語帯と劇の言語帯を区ぎる境界だというのとおなじだ。

 舞台は、ある劇場のなかの板でつくった床のうえにできた空間でもなければ、現実の社会のなかのある場面をそのまま切りとった劇場の広間でもない。それは言語としての劇がその表面にぬりこめられ、また物語としての言語帯の礎石のうえにたった、ひとつの視えない境界を意味している。そこで実生活のうえでつかわれる家財道具や電灯や椅子や机がならべられていても、能、狂言のように形象ばかりの小屋や樹木がしつらえられていても、そのことは舞台がもつ本質的な意味にとってすこしもちがったものではありえない。    (P126)

備考




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47 構成 こうせい 第X章 構成論  第V部 劇 第T編 成立論 
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1

(55)俳優は、言語としての劇(戯曲)過程ではたんにその戯曲の観賞者、享受者そしてもっとも高度なばあい批評家であるにすぎない。かれは、じぶんにふりあてられた役割をもふくめて、ふつう読者や批評家がやっているように、それを読みこみ、それを我が身にふりかかる役柄におうじて身振りや会話や動きのイメージにつくりかえ、修練するだけだ。それらは、いぜんとして舞台のうらに、つまり言語としての劇の過程に、あるいは物語としての言語帯に、あるいは、ふつうの現実の人間のなかにあるのだ。

 ところでいったん、舞台・・・・に登場するやいなや、いままで言語としての劇の過程にあった俳優の性格は一変する。かれが、舞台のうらで、またそのほかのところで暗記した動作やせりふをそのまま演じようとするといなとにかかわらず、舞台のうえに登場した瞬間から、現実の人間ではないのだ。かれは現実の人間以外のなにものかだ。かれの肉体やその動きや表情は、生身であってしかも、現実の人間のものではない。

 かれはいまや、演じられる劇のなかにのみ実存しており、そこでかれが発揮するのは、演じられた劇のなかでのみ存在するところの、かれ自身の歴史的な累積と現存性との葛藤と矛盾とである。このばあい、すでに言語としての劇 (戯曲)が、かれを制限し、かれを捕捉するのは、ただ舞台というわくぐみを通じてのみだ。そのほかの点で戯曲がかれを規定する意味は、まったくおわっているのだ。       (P130)

(56)ここで演劇とはなにかについて、いちおうの定義をやっておきたい。演劇とは、劇的な言語帯にはいってくる日記物語の言語と、説話物語の言語とを、歌舞や所作や道具や舞台に(舞台は境界であるが)転化したところの言語としての劇である。これはあくまでいちおうの定義だ。なぜならわたしはただいまのところ、言語としての劇が、詩としての言語、物語としての言語をへてはじめて成り立ったもので、劇の言語帯が、物語的な言語帯からの飛躍と断層であるということしか、のべてはいないから。そしてこのことは劇が、言語としての劇をもとにするほかには、いまのところ例外なしに成り立たない(黙劇でさえも)かぎり、本質的なものだというにすぎない。    (P132-P133)

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2
備考




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48 構成 こうせい 第X章 構成論  第V部 劇 第T編 成立論  
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【3 劇的言語の成立】

(57)この物語としての言語から劇としての言語が成り立ってゆく過程は、つぎのように要約できるとおもう。

  (一) まだ成立しつつある途中の劇の古いかたちでは、何々が登場し、どんな所作や、せりふや、    歌をつくる、という註のようなかたちで、登場人物やそのかかわり方は語られるが、言語として    の劇が成立するようになると、登場人物たちは、おたがいのやりとりをじぶんじしんでやるかの    ように、えがきだされることになる。

  (二) 成立しつつある途中の劇の古いかたちはどんな意味をもつかといえば、物語の登場人物た    ちの関係が、物語の進行のかなめをなす連環体ではなく、すくなくとも作者にとって登場人物     たちがじぶんで語り、じぶんで関係し、それによって事態は信仰してゆくということが、イメージ    として 完全に分離できるまでにはっきりしている。「天正狂言本」が、わたしたちにおしえるの     は、その言語の表現は物語の連環体をやぶられていると同時に、登場人物たちの所作や会話    が、作者のなかでは現実のイメージとしてあるかのように進行することだ。

  (三) いいかえれば言語表現のなかに物語はなく、作者が観念のなかにおもいえがいている場面    で、登場人物たちは物語をじかに進行させるまでになっている。

  (四) こんなことができるようになったあとに、はじめて言語としての劇は成り立つ。つまり言語の     表現じたいのなかに、はじめて登場人物はじかにあらわれて、物語をじぶんじしんの手で進行    させる。そんなふうにえがくことができるようになる。

  (五) 言語としての劇が成立したあとでは、それが演ぜられるばあいも、そうでないときも、劇は言    語表現そのもののなかにある。これを演ずるためには、言語としての劇過程と、舞台という対     象化された<観念の場>とを、二重にわたりあるくことができる俳優という人物と、それを統御で    きる演出者とが必要になる。初期にはそのふたつは同じ人物だということが、ある意味では必    須のことだった。

 こんなふうにして、言語としての劇は、言語としての物語をへてのち、ながい器官をへてすこしずつ確実にうつっていったとかんがえることができよう。これは言語としての劇が、言語としての物語から<飛躍>したしるしだし、またおなじく<連続>しているという意味ももつ。

 わたしの読んだ演劇論は、すべて劇のなかの物語性を、物語そのものとおなじ次元で、おなじだとして扱っている。だがそれは、まったくちがった表現の次元にあることを、ことさらいっておきたいのだ。       (P140-P141)

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49 構成 こうせい 第X章 構成論  第V部 劇 第T編 成立論  
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【4 劇的本質】

【註 折口信夫の『日本芸能史ノート』にふれて】

(58)折口信夫のこのかんがえは、普遍的な概念にいいなおすことができるとおもえる。古代人の信仰の表現は、ひとつには<自然>と人間との関係であり、ひとつには部族社会のなかのじぶんのじぶんにたいする関係であり、それは部族社会のほかの成員との関係としてあらわれる。またじぶんを疎遠にかんがえれば部民と族長との関係にうつしかえることができる。折口のいう「鈿女」系の舞いと「隼人」系の舞いとは、このふたつを象徴するとかんがえることができる。

 ところで時代がくだるにつれてこの古代の信仰のかたちは、自然にたいする信仰を疎遠にして、しだいに部族のなかの信仰にうつりかわってゆく。かつて「妣が国」からきた海の神と土地の神とのかかわりだったものは、土地の神と農耕民との関係にかわる。そして土地の神は古代では村落のはずれにみえるいちばん目だつ高処(山岳)にある山神だとかんがえられた。

 折口は能・狂言のはじまりである<田楽>が組あがってゆく要素としてふたつをあげている。ひとつは<田遊>で、もうひとつは<念仏踊り>だ。   (P143)


(59)むしろ物語の概念の崩壊と、物語の概念をもとにしたひとつの<飛躍>として、はじめて劇的という概念は成立したとみることができる。折口学のいうように、シテ(主役)とワキ(副役)やアド(まね役)の分化をもとにしておこなわれたとかんがえるより、構成のうえで物語からの飛躍と断絶がひつようだったのだ。そこでは物語るという次元で登場する人物たちが、劇の作者たちの観念のなかでは、完全に生きた人間の輪郭をたもったイメージでじぶんで振舞い、じぶんでほかの人物と関係する。描写されているから人間の輪郭があるのではなく、行動している人物のイメージがほんとうの輪郭をもって振舞うから、物語の次元が超えられている。これが劇が成り立つのにかならずなくてはならぬ条件だった。そして劇の作者たちは、こんなふうに振舞える人物たちを言語の表出から動作の表出へと追いはらい(抽出し)、ただ劇の構成にどうしてもいる要素だけを、言語の表出にのこそうと試みたといえよう。・・・・

 狂言の登場人物たちは<田遊>の登場人物たちが現世のほうへ下降してきたものだった。それらが領主たちとかわす問答は、いわば里人と山神とのかけあいからはじまったものが、現世のほうへ下降したものとみることができる。社会の構成が分化したことは、ひとりでにこのかたちを荘園の領主と部民との関係にうつしかえていった。   (P145-P146)

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50 構成 こうせい 第X章 構成論  第V部 劇 第T編 成立論  
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【5 劇の原型】

(60)ところでわたしがここでやってきた言語としての劇が成り立ってゆく過程からかんがえるのは、つぎのふたつの経路だ。

  (一)狂言から脇能(儀式能)へ

  (二)狂言から鬘物・狂女物・修羅物など、ぜんたいとしていえば葛物及び世話物をへて、現在物へ

 折口学はこの(一)の経路をもとに成り立っている。でもわたしどもがかんがえてきた言語としての劇の成立は、この(二)の経路をおもにしてかんがえられることになる。ここでかんがえられる(一)の経路は、詩の言語が土謡詩から儀式詩へ上昇してゆく道すじに対応し、(二)の経路は、土謡詩から叙事詩をへて抒情詩へという過程に対応している。そして、この(二)の経路は、大衆的な共同体社会から知識をもつにつれてそれていった芸術家(知的大衆)をとおらなければ成り立たないといえる。

 わたしのかんがえでは脇能(儀式能)の表現としての高度さは、現在物とおなじ程度にかんがえられるものだ。それでも土俗の形式が昇華されたものという意味しかもっていない。   (P148)


(61)むしろ狂言の<下から>は、ストレートに<上>に直通するものだが、能の<上へむかって>は、けっして<上>へはいかないといったほうがいい。狂言は土俗の宿命をかたるが、能は知的大衆の宿命をよくかたっている。能が知識層的で、狂言は土俗的であるといえば、わたしたちはある理解の端緒にたっしているのだ。狂言は説話的であっても、すこしも写実的ではないことは、どんな観賞者にもすぐに理解できることだ。また能は物語言語にいたるまでのすべての表出の達成をふまえた知的なものであっても、新興武家階級にその感性の根拠をおいていることは、断るまでもないことだ。           (P150)


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51 構成 こうせい 第X章 構成論  第V部 劇 第T編 成立論  
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【6 劇の構成】

(62)折口学は、劇が成り立つ過程を<自然>信仰から族長信仰へ、それから人間の霊(スピリット)の信仰へという下降と、土俗信仰の行事の上向とのあいだにおもいえがき、構成としてはこれをシテとワキとの分化と細分化の過程としてとらえた。この見かたはどうしても狂言から儀式能(脇能)への通路をおもなものだとみなすことになった。しかし、わたしたちはこのかんがえをとらないできた。狂言から葛物へ、葛物から現在物へという上昇の仕方に、言語としての劇のうつってゆく主脈をみようとしたのだ。この見かたは、いきおい土俗的な、いわばあるがままの大衆から、知的大衆(知識層)へのうつりゆきがひとつの芸術的な必然であり、この経路をへずしては、劇的言語帯への飛躍はおこなわれえないものだというかんがえにみちびかれる。そしてこういう言語としての劇のうつりゆきは、構成の時間のうつりゆきとしてあらわれる。劇の登場人物たちは、信仰を現世にあって分担して背負っているのではなく、人間のじぶんじしんにたいするじぶんの関係、じぶんじしんにたいする他人の関係を背負って分化し、それが物語言語帯からまったく飛躍しきったところで、ついに第二の空間(舞台)と第一の空間(物語あるいは現実)とのあいだを過程として通ることができる観念の世界が、劇というかたちで表出されてきたとみなすことができる。   (P161-P162)

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52 構成 こうせい 第X章 構成論  第V部 劇 第U編 展開論 
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【1 「粋」と「侠」の位相】

(63)俗謡に表現されているものは、わたしたちが読みかたをまちがえなければ、社会にとって自然に流れているものの表現又は逆表現にあたっている。そして俗謡の流れは、たとえば狂言や語り祭文のようなかたちになると、構成として自然に流れているものを象徴するようになる。

 近世浄瑠璃や歌舞伎の世界が、遊里の掟として流布されたくるわの倫理をぬきにして論じられないわけは、遊里にあつまった現実とそれをあらわすかかわりが、近世町民思想の根にふかくからんでいたからだった。その根は、いくつもの方向から解きほぐすことができるだろうが、すくなくともその中心にあるのは、男女の関係が現実と観念とでたがいに背反せざるをえないすがたこそが、人間と人間とのあいだの社会的な関係を普遍的に象徴したものだという思想だった。近松をのぞけば、近世はそれほどの劇の費用減をもっていない。だが近松がいちばん力をこめてえがいた世界の根本は、この男女関係が現実と観念のあいだで二律背反することが、どんなささいにみえても現実の社会の人間と人間との関係の普遍性をあらわしているという表現思想だったといってよい。    (P172)


(64)だから俗謡のうしろにかんがえられる近世の下層民の社会のありさまは、おもったよりもずっと貧しく、せちがらいものだったといってよい。「山家鳥虫歌」のような諸国の生活民のあいだに流布していた俗謡と、「吉原はやり小歌そうまくり」のような遊郭のうちに流布された俗謡とのあいだは、土俗的なものと土俗を昇華した世界との関係だった。それはじっさいには生活民の願望や美化や逆に醜化したい意識と、洗練されたうえ、じっさいと観念とに分裂してしまった都市の生活民の意識とのあいだにひとしかった。貧しく細々と生計をたてている生活民のすがたと、そこにある家族、男女、人間関係が、いわば貧しい生活として一般社会からたたれてしまったとき、吉原はやり唄のように、俗謡のなかの美化の意識は、いっそう昇華されていったのだといってよい。生活民としては下層一般の社会からさらに追いつめられたものの閉じられた世界が、じつは俗謡を美化して流布させたものの基盤になっていた。「金がなければ」という物的渇望のすさまじさが、たんなる渇望から切実な要求にまでさしせまった世界で、俗謡の世界はかえって美化され、昇華をうけて洗練されたのだった。    (P176)

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(65)わたしたちは、比喩的にこういうことができる。

 劇の表出が、謡曲や狂言を構成の原型としてとりいれながら近世浄瑠璃の世界をつくりだしていった過程は、俗謡のいいまわしが、土俗的な自然から離脱して、浄瑠璃の世界に合流してゆく過程と照応するものだった、と。そのふたつがまじわる言語の帯域は、表出の思想としては、男女関係の観念と現実とが背反してゆく過程を、普遍的な原型だとする理念を意味していた。そしてこの理念のじっさいの基盤は、下層の子女がわが身を金とひきかえにして年季奉公にしたがいながら、なお男女の関係を昇華して夢にせざるをえなかった遊郭や私娼窟だった。

 わたしたちは、華やかな紅灯の街の遊女たちが、ひと皮むけばつましい貧困な生活人であるというリアリズムにならされているが、ほんとうの表現と現実とのあいだは、こういうリアリズムのなかにあるのではなく、そこにあらわれる理念と現実との矛盾と背反にあるといってよい。   (P176-P177)

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53 構成 こうせい 第X章 構成論  第V部 劇 第U編 展開論 
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【2 劇の思想】

(66)法的な禁止があるということは、禁止されたことが現実にあったあらわれだといってよい。浄瑠璃と歌舞伎の劇の世界は、遊廓、私娼窟のなかの男女の関係と、町人社会と遊廓との交渉をもとに成り立っている。それなしには劇の構成はありえない。そこで生れた情念のいろいろなすがたをあきらかにしなくては、劇そのものを理解することができないほどだ。

 いうまでもなく法の表現は、ただ理念の普遍的な関係をあらわしているにすぎない。そのなかで下層町民がどんなふうに譜代奉公として娘を遊廓や私娼窟におくり、女房を質に入れたかをそれぞれに探るためには、どんな表象をも提供しているわけではない。ただ人身売買を禁止するという法の表現が、じつは譜代奉公とか年季奉公とかの名目で、それを公然と許したところに法と現実の矛盾はかくされていた。もちろんほんとうに秘されているのは、貧しくやせおとろえた下層社会の現実そのものである。

 遊女たちはすべて幕府法をくぐって肉親を売りにだすよりほかない最下層の子女たちであった。そしてこのような子女たちの特殊な社会が、じつに「粋」というような町人社会の宗教的な理念が集中した場所であった。この矛盾は、おそらく単純な理由によっている。このような遊女たちの世界に出入りし、放蕩できるものが、経済的には全社会を掌握しつつあった上層の町人であったため、遊女たちは、感性としては上層の町人のレベルに接触し、どうしてもそこへ到達することになった。

 このじっさいにおこった脱階級と感性として上層町人のレベルへ上昇してゆく勢いは、遊女たちの世界に流布された倫理や芸能や俗謡のたぐいに観念の分裂をあたえずにはおかなかった。遊女たちはじっさいの生活の悲劇にたえ、それにおもてをむけながら、観念の世界では昇華した粋美の世界をつくることになった。

 こういう遊女たちの観念の背反が、いちばん鋭く、じっさいと観念との矛盾につつきだされたとき<情死>あるいは<心中立て>となってあらわされたとかんがえられる。 (P178-P179)

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54 構成 こうせい 第X章 構成論  第V部 劇 第U編 展開論 
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【3 構成の思想(T)】

(67)ただ、ここではっきりしていることは、劇文学の構成に起承転結をつけているのは<情死>や<密通>や、それにともなうさまざまな宗教的なまでの男女観念であったことだ。またそれだけだったといってもよかった。

 物語文学の成立が、王朝の男女の関係である<相聞>の世界を、人間関係そのものの普遍性とみなすことによって、はじめて成立したように、劇文学は、男女の関係のいちばんの社会的な矛盾である情死や密通のような悲劇的な逆説を人間関係の普遍性とみなすことで、はじめてととのったすがたになったことをうたがうことはできない。

 わたしどもは、ここまできても、なぜ劇文学は近世になって、男女の関係が社会から矛盾した場合の極地である<心中>や<情死>を劇の構成のもとにして完成されたのか、という疑問をふきとばしたわけではない。問いはこたえられないで、ただ結果だけは明瞭になっている。 (P184-P185)

(68)問題をほんとうにつきつめてゆけば、謡曲の思想である中世的なもの、いいかえれば仏教的なものが、なぜに浄瑠璃の思想である世話物的なもの、いいかえれば遊廓、私娼窟の倫理である<情死>や、それを媒介せずにはうまれなかった<不義><密通>の倫理に移行したのかというふうに立てるよりほかありえない。また、狂言的なフォルムはなぜ歌舞伎的なフォルムに移行したか、というふうになっていくはずだ。

この中心のまわりに、語り物の思想である仏教的なものが附着し、近世武家層の中心的な思想である儒教的なものが滲み透っているところに浄瑠璃や歌舞伎の総体のもんだいがあらわれる。 
   (P188)

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(69)・・・・こういう劇のほんとうの構成のすすみかたに耐えうるものはたれか?

 社会的身分は河原者同然でありながら、観念の世界ではとても高度な飛躍にたえる条件をもったものはたれか?・・・・

 ここではじめて遊廓、私娼街の人物、そこにあつまり足をふみいれる人物、その特殊な世界の倫理的宗教を背負う人物たちが登場するのだ。そこには隆達節に集成され流れくだる洗練された土俗歌謡と語りの世界があり、河原者のように社会から法的にも経済的にもはじきだされた境涯がなまみにまといついていた。だから浄瑠璃、歌舞伎の劇としての構成が成り立ったのは、この世界とこの世界の倫理とにいちばん身近な鏡をみたといえる。散文芸術や詩文学は、ほかのどの部分社会ともむすびつき、うまれる可能性をもっていたが、近世劇の構成が成り立ち完成されたすがたをみせるには、遊廓、私娼窟の財のみじめさと昇華された倫理との矛盾を、どこか中心の部分にみちびきいれ、またそれと干渉させることであった。

 浄瑠璃、歌舞伎が奇妙な世界だということは、たれでも感じることができよう。どんな主題もみんな遊廓、私娼窟の世界にむすびつけられてしまう。それはたんに世俗的な趣向に投じやすいためという以上に、世界の中心にかかわりをもっていることを、信じないわけにいかない。・・・・浄瑠璃の成立は、歌舞音曲と女色をうることの分化と、それを意識してむすびつけることが構成のもとにおかれたことを意味する。ひとつは素材をつらぬく思想として、ひとつは音曲言語をつらぬく構成の単位としてだ。公制度としての遊廓の成立と遊女の系列化【註 元和三年、幕府法】は、この意味では近世浄瑠璃によって劇の表現が完結したということとひとつのことを意味している。   (P189-P190)

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55 構成 こうせい 第X章 構成論  第V部 劇 第U編 展開論 
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【4 構成の思想(U)】

(70)近世の浄瑠璃は、劇の言語としては、謡曲と狂言を鏡にもつだけだった。俗謡、語り祭文のたぐいは、いわば詩の言語、物語の言語であって、浄瑠璃にたいしては、たんに語りの連環と音曲の単位として構成に入りこんでいるにすぎない。

 この意味では、浄瑠璃の劇としての本質は謡曲的なものが下降してゆき、狂言的なものが上昇してゆき、そのふたつがたまたま合流した帯域に位置づけられる。近世浄瑠璃の成り立ちは、たとえ人間の演者よりも人形操りとむすびついたものであっても、劇の総過程が、言語としての劇から演ぜられる劇にいたるすべてにわたって成立したことを意味する。それはまず、読まれ語られる劇としての首尾ができあがった点からはじまって、その場所から演ぜられる劇を想定できるものだった。 (P190-P191)

(71)近松にとって劇的という概念がなにを意味したかはあきらかだ。それはひと口にいって「世話的なもの」を意味した。それは遊廓倫理であり、下層町人における現実と観念の分裂がいちばん集中してあらわれた特殊宗教的な世界にほかならなかった。構成としては謡曲や古浄瑠璃のかたちをかりながら、これを<世話的>な世界へと下降させたところに、近松がいだいた劇概念が成立してゆく萌芽があった。    (P194)

(72)浄瑠璃が近世になって成立したことで、すくなくとも言語としての劇という概念は完結される。たれも世阿弥の謡曲を、演ぜられる劇をかんがえにいれないで、完結した劇として読む読むことはできない。しかし、近松の初期の浄瑠璃は、演ぜられる姿や、謡い、俗謡、鳴物の音曲をかんじょうにいれなくても、劇として読むことができるのだ。言語としての劇の完結ということは、いいかえれば演ぜられる劇の総過程が完結したということを意味している。   (P195)

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(73)近松の優れている点は、まさにこの卑小さの倫理を普遍的なものとしてとらえ、これが近世の人間関係にとってほんとうのもので、とても重要なのだということをえがききったことにあった。劇という概念は、このとき完結したすがたで成り立ったといってよい。

 これは近松の浄瑠璃をどんなばあいでもつらぬいている根ぶかい劇の思想だった。    (P198)

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56 構成 こうせい 第X章 構成論  第V部 劇 第U編 展開論 
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【5 展開の特質】

【註 近松の「碁盤太平記」のはじまりの出だしの引用】

(74)このはじまりの出だしは、狂言のはじめを頭においてかかれたものだ。音数をつかった語り連環や道行文からはじまる近松のふつうの作品にくらべれば、ここで言語そのものを意識して散文化してゆき、そうすることで構成を語りのほうに下降させようとしている。もうここまで浄瑠璃の言いまわしを下降させれば、登場人物の説白のやりとりのうちに構成がすすんでゆく演劇の脚本をおもいおこすことができるほどだ。ここまでくれば、浄瑠璃は、謡い、音曲などをぬきにしても、語ることができている。言語そのものとして浄瑠璃と演ぜられる劇とは、音曲のなかだちなしにもむすびつけてかんがえることができる。

 演ぜられる劇を、この浄瑠璃のうしろにおもいえがくとすれば、演者は<人形>ではなく<人間>をかんがえるほかはないようにつくられている。

 浄瑠璃が人形操りとむすびつくためには、浄瑠璃は、現世の人間関係を外におくほど、言語そのものが観念と現実とが分裂したひとつの極をはしりつづけなければならない。浄瑠璃の言語が「碁盤太平記」のように、現実がさかだちしたフォルムの象徴だというとき、そこにおもいえがく演者とは、人形ではなく、人間で、また言語の中心は演者である人間の中心にうつされるほかにない。・・・・

 浄瑠璃の言語が、自己表出として時代の観念の頂きをはしりつづけたとき、それを演じるのは<人形>でなければならなかった。しかし、浄瑠璃の言語が、指示表出を拡大し、構成の展開を複雑にし、語り言語のほうへ下降していったとき、それを演じるものは<人間>でなければならなかった。たとえば、謡曲に対応する演者は、人形化した人間だ。狂言に対応する演者は人間化した人形だ。おなじことは、浄瑠璃の言語のうつりゆきについてもあてはまる。近世浄瑠璃のうつりゆきは、言語の自己表出としてそれほどのあたらしさをもたなかったが、指示表出として拡大していった。そして、こういうかわり方は、そこにおもいえがかれる演者を、<人形>から<人間>へかえてゆくどうしてもそうなるほどの契機をもったのだ。  

 近松の「碁盤太平記」は、このもんだいをはらんだ注目すべき作品だった。  (P204-P205)

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(75)「碁盤太平記」からおおよそ四十年後に、竹田出雲らは、この作品を原型にえがいて、「仮名手本忠臣蔵」をつくった。このふたつを比較すればあきらかなように、浄瑠璃が散文の語り言語へ下降してゆくすがたはさらに徹底している。劇の進行をつかさどる登場人物たちの対話は、もうくくり出され、地の文はそれにむすびつける位置におちる。

 いうまでもないことだが、浄瑠璃の言語で対話がくくり出されたということは、この対話を演じるものが<人形>ではなくなまみの<人間>でありうることを象徴している。人形あやつり、ノロマ人形というものを・・・・人間が人形をあやつりながらうしろで対話し、その対話を人形が表現したものとみなすという二重の意味をもっている。このためには、対話そのものが言語としての劇が流れてゆく要素になり、それだけで完結した世界を構成していかなければならない。この完結した言語の世界を生身の人間が音声で語り、それを人形に移入する。けれどもう浄瑠璃の言語が、それだけで対話をカッコにくくりだせるような表現になったとき、演じるものは人形ではなく、人間であり、この生身の演者が登場することではじめて劇は総体性をもつほかはないのだ。これが近松の浄瑠璃概念が、半世紀をへないうちにたどりついた終着点だった。この終着点は、歌舞伎劇への乗りかえの意味をはらんでいた。        (P205-P206)

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註1 「説白」・・・セリフ?

註2 「浄瑠璃が人形操りとむすびつくためには、浄瑠璃は、現世の人間関係を外におくほど、言語そのものが    観念と現実とが分裂したひとつの極をはしりつづけなければならない。」 ?




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57 構成 こうせい 第X章 構成論  第V部 劇 第U編 展開論 
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(76)いままで劇が構成として完結した世界となるために、なにが条件になるかかんがえてきた。そのひとつは、社会から法的にも財からもらち外におかれたものがつくる特殊な社会が、逆に観念のうえで昇華した美をえがくまでになった。そういうぎりぎりの矛盾が成り立ったとき、その世界とむすびつくことで劇は完成されたすがたをもったということだ。また、べつのひとつは、人間と人間との関係で倫理として卑小なことが、じつはたいせつな人間の存在の条件だという思想とむすびついたとき理念として完結されたということだ。

 いいかえれば、言語の表現が人間の観念と現実とのあいだに、また規範と現実とのあいだに逆立した契機を自覚しはじめるまで高度になったとき、劇ははじめて完結されたすがたをもった。近世の浄瑠璃の世界まできて、劇は言語としての劇と演ぜられる劇とをあわせて、ひとつにしたといってよい。    (P211)

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備考




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