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13 位相 いそう
28 アモルフ あもるふ
29 位相的な構造 いそうてきなこうぞう
38 いいかえれば いいかえれば
55 横超する視線 おうちょうするしせん




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13 位相 いそう


項目抜粋 @
備考 語義・@






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28 アモルフ あもるふ 無定形な


項目抜粋 @『心的現象論序説』(北洋社)(S46.9.30 )P128

・一般的にいって、未発達の人間や動物の感覚では、その対象的感覚の空間化度は、ある部分では飴のように異常に伸びて発達した空間化度にあるかとおもうと、ある部分ではまったく無にひとしいほど退化した空間化度にあるとかんがえることができる。ひとつの対象的感覚の内部でおこるアモルフな奇妙に歪んだ空間化度はその感官に固有な構造をもっている。

・このような感官内部の位相的な構造を想定することによってもうひとつでてくる重要な問題は、べつの感官とのあいだの異化結合の可能性である。視覚と嗅覚とが結合するためには、嗅覚の空間化度がある特定の対象に対して視覚の空間化度を侵すだけの高度化の仮象をもちうればよいとされる。
 ある特定の匂いを嗅感したとき、すぐにある視覚的な像とむすびつくということは、正常な個体でもしばしば体験することである。また、<異常>な個体において、ある嗅覚を感じたとき、まったく無関係におもわれる視覚的な像の奔出に悩まされるという症例がありうる。また、聴覚作用が、すべてその受容の瞬間に無定形な像を奔出させるというばあいがある。
 【具体例として、芥川竜之介『歯車』からの引用】                (P129-P130)
備考





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29 位相的な構造 いそうてきなこうぞう 位相


項目抜粋 @『心的現象論序説』(北洋社)(S46.9.30 )P132

・わたしたちが個々の感官の内部に位相的な構造を想定することによって獲られるものは、<異常>とかんがえられていることのおおくは、非本質的な心的現象として<異常>の範疇から卻【読み しりぞ】けてゆくべきだ、ということである。
 個々の感官の空間化度の位相に、あるひとつの構造を想定すれば、ある対象に対しては、各感官がそれぞれの空間化度の段階をはなれて、他の感官の空間化度の位相に侵入する可能性がありうると結論される。そしてこの可能性の前提となるのは、<身体>の時間化度と結びつくこと、いいかえれば感官の受容したものを了解とみなしうるとき、ということである。   

・心的世界を原生的疎外の領域とかんがえ、それに関係づけられる構造的位相を純粋疎外の領域として想定したとき、高次の感官作用を生理的<身体>へ還元することが、たんなる一方向への還元にすぎないこととして卻けてきたからである。
 心的な存在としての人間は、不可避的に関係の意識を<多様化>し、また<遠隔化>してゆく存在である。意志によって拒絶する以外に、心的世界をせばめてゆくことも、停止のままでいることもできない。そしてこのような心的世界の本質にたいして、末端を可能性としてたえず開放しているようにみえる感覚は聴覚と視覚だけであるために、このふたつの感官は、他の感官にたいしても、また動物の感官にたいしても特異な位相をしめすようになったとかんがえることができる。   (P136-P137)
備考






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38 いいかえれば いいかえれば


項目抜粋 @『心的現象論序説』(北洋社)(S46.9.30 )P244

・さきに〈正夢〉とは、夢みたことと現実上の体験とが、その個体にとって固有のパターン(結節)によって同致する現象であるとみなした。そしてこの固有のパターンが、形像であれ非形像的な概念のパターンであれ、夢みた個体自身にとっては重要な意味をもつものであるとかんがえてきた。まったくおなじように〈既視〉の夢(または白昼夢)は〈いつか一度みたこと(体験したこと)がある〉という普遍的なパターンによって、個体のみる夢でありながら、〈存在そのもの〉に還元されるとみなすことができる。いいかえれば、個体が〈そこに存在する〉ことの自己関係自体、自己了解自体の心的な表出とかんがえられるのである。   (P244)
備考 吉本さんがどっかで言ってた、自分の習癖について。くりかえしがおおすぎるということ。
この『心的現象論序説』でも、「いいかえれば」は多用されている。






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55 横超する視線 おうちょうするしせん


項目抜粋 @『柳田国男論集成』(JICC出版局 ) P188

・山と平地の境界を横断することと、平地の村里と海の漁場との境界を横断することとは、まったくおなじことを意味した。いずれのばあいも、
鳥瞰または俯瞰の視線がくわわらなくてはならない。…・境界を連結することと、境界に沿って切断することとが、同時に認識されていなければ、横超する視線をつくることはできない。
備考 註1.「横超」という言葉は、親鸞論から出てきた。




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備考



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