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67 | 喩 | ゆ | ||||
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67 | 喩 | ゆ | 全体的な喩 |
項目抜粋 | A定本 言語にとって美とはなにか T ・@しかし、わたしたちは、ただ像的な喩と意味的な喩の両端があり、価値としての言語の喩はこの両端をふまえた球面のうえに大なり小なりそのいずれかにアクセントをおいて二重性をもってあらわれてくるといえば充分だとおもう。これが喩の本質で、この本質をふまえたうえは、修辞学的な迷路にさまようひつようはまったくない。・・・・喩は言語をつかっておこなう意識の探索であり、たまたま遠方にあるようにみえる言語が闇のなかからうかんできたり、たまたま近くにあるとおもわれた言語が遠方に訪問したりしながら、言語と言語を意識のなかで連合させる根拠である現実の世界と、人間の幻想が生きている仕方が、いちばんぴったりと適合したとき、探索は目的に命中し、喩として成り立つようになる。 (P135-P136) @『マス・イメージ論』福武書店 1984.7.10 ・わたしたちはここで、全体的な喩【「全体的な喩」はゴチック体】の定義を、言葉が現在を超えるとき必然的にはいり込んでゆく領域、とひとまずきめておくとしよう。喩は現在からみられた未知の領域、その来たるべき予感にたいして、言葉がとる必然的な態度のことだ。臆病に身を鎧っているときも、苦しげに渋滞しているときも、空虚に恰好をつけているときも、喩は全体として言葉が現在を超えるとき必然的にとる陰影なのだ。そこでは無意識でさえ言葉は色合いや匂いや形を変成してしまう。未知の領域に入ったぞという信号みたいに、言葉は喩という形をとってゆくのだ。言葉はそのときに、意味するものと価値するものの二重に分裂した像に出あっている。 (P167−P168) |
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