Part 7
柳田国男論集成

  JICC出版局 1990/11/01 発行 



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53 世界普遍の視線から 折口学と柳田学
54 無方法の方法 無方法の方法
55 柳田国男の文体 あとがき












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53 世界普遍の視線から せかいふへんのしせんから 折口学と柳田学
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無方法
項目抜粋
1

@柳田国男の民俗学の仕事は、折口信夫の国文学の仕事とともに、もの【註 「もの」に傍点】になっている数少ない仕事であるといっていいとおもう。ものになっているというのはさまざまな意味をふくむ。上っ面をひっ剥がそうにも剥がせない芯だけからできているともいえる。固い土台のうえにたっていて危な気がないものとかんがえてもいい。また大なり小なり地方性をふくんでいて、世界普遍的にあつかいにくい、また普遍的にあつかおうとすれば言葉を絶する部分をふくむといってもいい。あるいは土着していて、わたしたちがこじあけ、批判的に摂取し、止揚するために拠りどころになる稀な仕事といってもよい。

 だれでも、文化には太古以来不易な流れと、時代によって激動する面とのふたつがあるとかんがえるらしい。そして時代によって激動するもののはかなさ、浅薄さに貌をそむけたくなったとき、不易な流れを発掘しようとおもいたつ。この明治の新体詩人も、きっとそんなことから民俗学にはいったにちがいない。そして、恒常的なものへ、恒常的なものへ、とたずねあるくとしまいには言葉を失って無方法にゆかざるをえなくなる。

 しかしほんとうの意味で恒常的なものも、不易なものもまた、時代によって激動するものも、それ自体で単独では存在しない。それらは、いずれもからみ合った時代的空間として存在するほかない。このことは、ほんとうの意味で、この明治新体詩人の理解を超えていた。     (P275)


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2
備考




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54 無方法の方法 むほうほうのほうほう 無方法の方法
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1

@柳田国男の仕事というものは、どうかんがえても苦が手で、どこかに、近より難いものがある。ひとによっては、あの易しいお話の文章のどこが近より難いのか、ということになるから、これは逆の言い草ともきこえるだろうが、べつに逆説をろうしているのではない。わたしは、子供のとき、「昔々……」というお話をきいたり、読んだりした記憶があまりないせいか、作家でも、批評家でも、学者でもお話の文体をもったものはいちように苦が手なのである。唯一の例外といえば太宰治くらいだろうか。いかなる情熱があれば、綿々と屑だか珍種だかわからないお話をつづる気がおこるのだろうか、という疑いが生じてくるのである。

 わが柳田国男は、いわばお話の学者である。その意味は、民話や説話の学者ということではなく、その本質がお話である学者という意味である。これを記述法として柳田国男の仕事にそくしていえば、連環想起法ということになるだろう。       (P276-P277)

A●柳田国男の方法を、どこまでたどっても「抽象」というものの本質的な意味は、けっして生まれてこない。珠子玉と珠子玉を「勘」でつなぐ空間的な拡がりが続くだけである。この柳田学の方法的な基礎は、かれ自身の語るところによれば、「宮中のお祭と村々の小さなお宮のお祭とは似てゐる。これではじめて本当に日本の家族の延長が国家になってゐるといふ心地が一番はつきりします。」という認識にあった。かれは土俗共同体の俗習が、そのまま昇華したところに国家の本質をみたのである。そして、土俗を大衆的な共同性の根拠として普遍的なものとみなしたのである。このような認識が、連環法をうみだしたのは、いわば必然であった。連環法こそは言葉が語りの次元にあるかぎり時代を超えてつづく土俗の方法であったから。【註1】

 かれは、人間の本質指向力が、つねに土俗からその力点を抽出しながら、ついに、土俗と対立するものであるという契機をつかまえようとはしなかった。総じて、知識というものが、はじめに対象にたいする意識のあり方を象徴しつつ、対象と強力に相反目するものであり、これをになう人格が、つねに共同性からの孤立を経てしか、歴史を動かさないということを知ろうとはしなかった。     (P278-P279)

●何よりも抽象力を駆使するということは知識にとって最後の課題であり、それは現在の問題にぞくしている。柳田国男の膨大な蒐集と実証的な探索に、もし知識が耐ええないならば、わたしたちの大衆は、いつまでも土俗から歴史の方に奪回することはできない。【了】    (P279-P280)

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註1.『言語にとって美とはなにかT』(P288)「…・日本の古典の伝統的な手法ともいえる話体を連環させる方法だった。」



備考




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55 柳田国男の文体 やなぎだくにおのぶんたい あとがき 
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@柳田国男の文体についてまだたしかな結論がえられるほど考えたとはいえないが、わたしのなかで柳田国男は、苦手な文章を書くひとから、しだいに、ある領域をきりひらくのに、これだけその領域にふくまれる対象に肉迫できる文体を発明したひとはないのではないかというように、イメージが変貌していった。この文体のもつ滲透力でしか掬いとれない領域がたしかにあり、それがかれの民俗学の核心のところにおもりをおろしている。これを論理の言葉で云ってみようとしたが、まだうまく底まで届いていない気がする。だがこういうモチーフがあったおかげで、柳田国男がほんとは明解な言葉で云ってみたかったのに象徴的な言葉でしか表現しなかった事柄で、わたしがはっきりした言葉で指摘した個所があるとおもう。その個所はわたしの柳田国男についての解明にあたっている。    (P302-P303)

項目抜粋
2
備考




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