メモ-自己表出と指示表出へ


 メモ2019.10.21 ―自己表出と指示表出へ ①
 メモ2019.10.30 ―自己表出と指示表出へ ②
 メモ2019.11.24 ―自己表出と指示表出へ ③ 人間の等価性
 メモ2019.12.13 ―自己表出と指示表出へ ④ 疑問点を挙げる
 メモ2020.02.09 ―自己表出と指示表出へ ⑤ 疑問点を考える 第一回
 メモ2020.02.18 ―自己表出と指示表出へ ⑥ 疑問点を考える 第二回
 メモ2020.08.08 ―自己表出と指示表出へ ⑦ 疑問点を考える 第三回
  追記 2020.12.09
  追記 2021.01.22
  追記 2021.02.03 
 メモ2020.08.13 ―自己表出と指示表出へ ⑧ 疑問点を考える 第四回






 メモ2019.10.21 ―自己表出と指示表出へ ①


 わたしたちは誰でも、無意識(的)の内にある表現(判断や考えの構成や行動)をしている面がある。子どもがそのことをわかっていても言葉(理屈、論理)でハッキリとは言えないように、わたしたちは誰でも言葉で感じ考え言葉を自在に操っているように見えるが「言葉とは何か」と聞かれてもはっきりと論理で答えることは難しい。

 吉本さんは、『言語にとって美とはなにか』で、表現された言葉の解析の基軸を自己表出と指示表出という抽出された概念に置いて、表現された言葉の世界の解析に踏み出した。その時それまでに提出されている類似の基軸や概念がなかったわけではない。時枝誠記の「詞と辞」や三浦つとむの「客体的表現と主体的表現」というものがあった。しかし、それらの基軸や概念は、吉本さんが自己表出と指示表出という抽出された二つの基軸の織りなす構造として言葉や表現を捉えたのに対して、「二分概念」(『言語にとって美とはなにか』)として考えられていた。

 吉本さんの場合、類似の基軸といってもその点が方法的に特異であった。さらに、自己表出と指示表出という概念には、言葉の起源からの歴史性という概念も内包されている。つまり、自己表出も指示表出も人間のある段階で生み出され、時代とともにその姿を変貌させてきたし、変貌させていくということ。このことは、『定本 言語にとって美とはなにか Ⅰ』(角川選書)のP38-P47にわたって述べられている。その中で、現在のわたしたちに通じる(3)の段階、すなわち「音声はついに眼のまえに対象をみていなくても、意識として自発的に指示表出ができるようにな段階」の以下のような図が挙げられている。


 この図で、時間を遡って行けば、すなわち指示表出のベクトルと自己表出のベクトルを巻き戻して行けば、二つのベクトルは左の意識の方へ縮退していく。そうして、指示表出と自己表出の発生期の未分離の混沌とした状況に立ち会うことになる。

 ところで、吉本さんは、『言語にとって美とはなにか』の自己表出と指示表出という基本概念を、マルクスの『資本論』の経済概念である使用価値と交換価値から着想したと語っている。しかし、途中からそれぞれの対応が逆の対応に変化している。

最初は、
自己表出≡使用価値
指示表出≡交換価値
というふうに対応させていたが、後には次のように逆に捉えられるようになった。
自己表出≡交換価値
指示表出≡使用価値

 この件については、ネットで偶然出会った中村友三という方の文章(現在はリンク切れしている)で知った。それによると複雑な事情がありそうだから、今は備忘のためのメモにとどめておくだけにして、ここではそのことには触れない。中村さんの文章によると、


一番最初に読んだのは光文社の『日本語のゆくえ』で、ここでは指示表出は交換価値から、自己表出は使用価値から取ってきたと述べています。しかし最近ネット上で検索すると<指示表出は使用価値、自己表出は交換価値から>という関係で考えている人がたくさんいるのを知りました。『日本語のゆくえ』では次のように述べています。
「この使用価値という概念は、僕の芸術言語論でいうと、自分なりに自分が納得できる言葉である「自己表出」と、コミュニケーションのための言葉である「指示表出」に対応します。初めはそう考えて、使用価値に当たるのが「自己表出」で、交換価値に相当するのが「指示表出」であるとしておけばいいのではないかと思っていましたから、『言語にとって美とはなにか』でもそう書いたわけです。」このことから最初は「指示表出→交換価値、自己表出→使用価値」と考えていたことがわかります。



 ここでは、自己表出と指示表出という基本概念をマルクスの『資本論』の経済概念である使用価値と交換価値との対応から考えるのではなくて、時枝誠記の詞と辞や三浦つとむの客体的表現と主体的表現という把握の流れから位置づけておきたい。それらは吉本さんの自己表出と指示表出という概念と対応するものとしてある。またここでは、問題が複雑になるのを避けるために、言葉を語や品詞に限定してそれらのことを考えてみる。

 まず、時枝誠記が詞と辞について述べているところを取り出してみる。


 構成的言語観に於いては、概念と音声の結合として、その中に全く差異を認めることが出来ない単語も、言語過程観に立つならば、その過程的形式の中に重要な差異を認めることが出来る。
即ち、
  一 概念過程を含む形式
  二 概念過程を含まぬ形式
一は、表現の素材を、一旦客体化し、概念化してこれを音声によって表現するのであって、「山」「川」「犬」「走る」等がこれであり、又主観的な感情の如きものをも客体化し、概念化するならば、「嬉し」「悲し」「喜ぶ」「怒る」等と表すことが出来る。これらの語を私は仮に概念語と名付けるが、古くは詞といわれたものであって、鈴木朗はこれを、「物事をさしあらわしたもの」であると説明した。これらの概念語は、思想内容中の客体界専ら表現するものである。二は、観念内容の概念化されない、客体化されない直接的な表現である。「否定」「うち消し」等の語は、概念過程を経て表現されたものであるが、「ず」「じ」は直接的表現であって、観念内容をさし表したものではない。同様にして、「推量」「推しはかる」に対して「む」、「疑問」に対して「や」「か」等は皆直接的表現の語である。私はこれを観念語と名付けたが、古くは辞と呼ばれ、鈴木朗はこれを心の声であると説明している。それは客体界に対する主体的なものを表現するものである。助詞助動詞感動詞の如きがこれに入る。右の概念語観念語の名称は、私が右の分類法を試みた当初に用いたものであるが、種々の誤解を招き易いので、古くより日本に於いて行われて来た詞(シ或はコトバ)及び辞(ジ或はテニヲハ)の名称を借用して今後これを用いることとしたいと思う。
  (『国語学原論 ―言語過程説の成立とその展開』P231-P232 時枝誠記 岩波書店 初版は昭和16年)
 ※本文の旧漢字・かなは、現在の言葉に直しています。



 次に、三浦つとむの客体的表現と主体的表現について述べている箇所を取り出してみると、


 いま、一切の語を、語形や機能などではなく、対象→認識→表現という過程においてしらべてみると、次のように二つの種類に分けられることがわかります。
  一、客体的表現
  二、主体的表現
 一は、話し手が対象を概念としてとらえて表現した語です。「山」「川」「犬」「走る」などがそれであり、また主観的な感情や意志などであっても、それが話し手の対象として与えられたものであれば「悲しみ」「よろこび」「要求」「懇願」などと表現します。これに対して、二は、話し手の持っている主観的な感情や意志そのものを、客体として扱うことなく直接に表現した語です。悲しみの「ああ」、よろこびの「まあ」、要求の「おい」、懇願の「ねえ」など、〈感動詞〉といわれるものをはじめ、「……だ」「……ろう」「……らしい」などの〈助動詞〉、「……ね」「……なあ」などの〈助詞〉、そのほかこの種の語をいろいろあげることができます。
  (『日本語とはどういう言語か』P77 三浦つとむ 講談社学術文庫)



 江戸期の学者、鈴木朗を発掘し受け継いだ時枝誠記の詞と辞(概念語と観念語)という捉え方と三浦つとむの客体的表現と主体的表現という捉え方は、言語に対する考え方は同じではないとしても、対応した同じような考え方と言えるだろう。吉本さんの自己表出と指示表出という基本概念も、このような二人のすぐれた考察の流れの中に位置している。

 そのことをもう少していねいに言えば、時枝誠記も三浦つとむも、そして吉本さんも、まずは自らの言葉の体験を内在的に踏まえながら、わが国の旧来の考え方を受け継ぎ、近代以降の欧米の大波を被った言葉、その概念や論理を駆使して、言葉(日本語)の実際の姿をシンプルな形で取り出そうとしたのだと思う。






 メモ2019.10.30 ―自己表出と指示表出へ ②


 ここで、吉本さんの『言語にとって美とはなにか』の基本概念である自己表出と指示表出という概念を再確認しておきたい。なぜなら、残念なことに吉本さんが生み出した「指示表出」や「自己表出」という概念は、ものを考える世界で未だ十分にふつうの概念として流通していないし、活用されてもいないからである。晩年の吉本さんの樹木に例えたやさしい言葉によると、


 言葉というものは比喩でいえば植物、つまり樹木です。樹木にとっての幹と根ということが、言葉の本質にあたると考えるのが妥当だとぼくは思います。
 そして言葉によるコミュニケーションということは、幹から分かれた枝の先にある葉であるとか、咲いた花であるとか、実であると見なすことができるはずです。つまり季節によって色が変わったり、冬が来れば落ちたりする樹木の先の枝葉のところが、言葉のコミュニケーション機能なのであって、樹木の幹と根は黙してそこにあるだけですから、沈黙こそが言語の本質なのだ、という考え方をするわけです。


 樹木の幹と根っこというのは沈黙した言葉なのだと考えると、そのことにいちばん近いことは、ぼくの言葉でいえば自己表出ということになります。自己表出というのは、そういう幹と根っこのいちばん近いところに置かれている言語表現なのだ、という考え方をします。
 そして言語というものは、そういう自己表出と、枝葉に実をつけたり花を咲かせたり、葉っぱをつけたりするコミュニケーション言語というものもあるわけです。これを指示表出といおうではないかと、両方を分けて考えてやろうとしたのが、ぼくらの言語に対する考え方の大きなモチーフでした。
 ようするにいつでも言語というものは自己表出、つまり自己で自己に語るとか、外に言葉を発しないで、自分の中で発しているということになるはずなので、ほんとうはそういう言葉とそうでない言葉とに分けることなんかできないのです。いつでもそれは織物みたいにしっかりと絡み合って分けられないのだけれども、しかし分けようではないか、分けて考えようではないかとしたわけです。沈黙にいちばん近いところの言語を自己表出と考えようと、そのように考えていったわけです。
 (『第二の敗戦期―これからの日本をどうよむか』P119-P123 春秋社 2012年10月)



 つぎに、それらの概念が生み出された当初の『言語にとって美とはなにか』が書き継がれていた頃の吉本さんの講演によると、


 だからそうではなくて、芸術の場合にはこうなのですよ。たとえば芸術をブロック建築ならブロック建築と例えてみると、個々のブロック材が現実のかけらからできていると考えることができない。芸術をつくるもの、創造者はもちろん現実のかけらの中に現実的に存在、つまり現存しているわけですが、そういう芸術をつくるものがいて、そのつくるものが芸術をつくっていく、表現していく過程、プロセス、あるいはそれを橋と見れば、芸術をつくるものとつくられた芸術、創造された芸術との間にひとつの目に見えない橋がある。それを僕の言葉では「自己表出」といいます。社会的な意味の「自己疎外」に対応する「自己表出」という言葉ですが、芸術をつくるところの人間と、その人間がつくってできあがっていく芸術を橋渡ししているものが「自己表出」です。これがひとつの「自己疎外」に対応する概念です。
 芸術の場合、その「自己表出」の構造の中にしか、現実のかけらというのは入っていかない。だからブロック材が現実のかけらからできていて、それを集めて建築をつくると全部現実のかけらからできている、そこへ現実のかけらが入ってくるというのではなくて、つくるものとつくられた芸術とを結ぶひとつの目に見えない橋、つまり「自己表出」ですが、たとえばヘーゲルの『美学』的な言い方で言えば、観念的自己疎外ということになるわけですが、その「自己表出」の構造の中に現実性、現存性というものが入り込んでくる。そこでしか芸術の作品の中に現実性というものは入っていかないわけです。
 (A001『芸術と疎外』 「6 芸術の根本的な問題としての〈自己表出〉」講演日時:1964年1月18日、「吉本隆明の183講演」ほぼ日刊イトイ新聞より)



 最後に、それらの概念が生み出された当初の『言語にとって美とはなにか』(「試行」連載は、1961年から1965年。初めての単行本Ⅰ・Ⅱの刊行は、1965年。)によると、


 この人間が何ごとかをいわねばならないまでになった現実の条件と、その条件にうながされて自発的に言語を表出することのあいだにある千里の距たりを、言語の自己表出として想定できる。自己表出は現実的な条件にうながされた現実的な意識の体験がつみ重なって、意識のうちに幻想の可能性としてかんがえられるようになったもので、これが人間の言語が現実を離脱してゆく水準をきめている。それとともに、ある時代の言語の水準をしめす尺度になっている。言語はこのように、対象にたいする指示(引用者註.「指示表出」)と、対象にたいする意識の自動的水準の表出(引用者註.「自己表出」)という二重性として言語本質をつくっている。
 (『定本 言語にとって美とはなにか』P29吉本隆明 角川選書)


 言語は、動物的な段階では現実的な反射であり、その反射がしだいに意識のさわりをふくむようになり、それが発達して自己表出として指示機能をもつようになったとき、はじめて言語とよばれる条件をもった。この状態は、「生存のために自分に必要な手段を生産」する段階におおざっぱに対応している。言語が現実的な反射であったとき、人類はどんな人間的意識ももつことがなかった。やや高度になった段階でこの現実的な反射において、人間はさわりのようなものを感じ、やがて意識的にこの現実的な反射が自己表出されるようになって、はじめて言語はそれを発した人間のためにあり、また他のためにあるようになった。
 (『同上』P30-P31 吉本隆明 角川選書)


このように言語は、ふつうのとりかわされるコトバであるとともに、人間が対象にする世界と関係しようとする意識の本質だといえる。この関係の仕方のなかに言語の現在と歴史の結び目があらわれる。
 この関係から、時代または社会には、言語の自己表出と指示表出とがあるひとつの水準を、おびのようにひろげているさまが想定される。そしてこの水準は、たとえばその時代の表現、具体的にいえば詩や小説や散文のなかに、また、社会のいろいろな階層のあいだにかわされる生活語のなかにひろがっている。
 (『同上』P44 吉本隆明 角川選書)


わたしがここで想定したいのは、・・・中略・・・言語が発生のときから各時代をへて転移する水準の変化ともいうべきもののことだ。
 言語は社会の発展とともに自己表出と指示表出をゆるやかにつよくし、それといっしょに現実の対象の類概念のはんいはしだいにひろがってゆく。ここで、現実の対象ということばは、まったく便宜的なもので、実在の事物にかぎらず行動、事件、感情など、言語にとって対象になるすべてをさしている。こういう想定からは、いくつかのもんだいがひきだされてくる。
 ある時代の言語は、どんな言語でも発生のはじめからつみかさねられたものだ。これが言語を保守的にしている要素だといっていい。こういうつみかさねは、ある時代の人間の意識が、意識発生のときからつみかさねられた強度をもつことに対応している。
 もちろんある時代の個々の人間は、それぞれちがった意識体験とそのつよさをもっていて、天才もいれば白痴もいる。それにもかかわらずある時代の人間は、意識発生いらいその時代までにつみかさねられた意識水準を、生まれたときに約束されている。これとは反対に、言語はおびただしい時代的な変化をこうむる。こういう変化はその時代の社会のさまざまな関係、そのなかでの個別的な環境と個別的な意識に対応している。この意味で言語は、ある時代の個別的な人間の生存とともにはじまり、死とともに消滅し、またある時代の社会の構造とともにうまれ死滅する側面をもっている。
 (『同上』P46 吉本隆明 角川選書)



 例えば、「言語が現実的な反射であったとき、人類はどんな人間的意識ももつことがなかった。」と吉本さんが書き記す時、それは一体いつの時代のことを言っているんだという疑問はあり得るだろう。それは柳田国男に関してもあった。しかしいずれも、段階として抽出された人間的本質の有り様からイメージされているものであるから事実性を問うても無意味である。もしそれらに異論があるなら、同様に抽象されたイメージとして語るほかにない。もちろん、事実性としては、考古学や遺伝子学などがどんどん明らかにしていくだろうと思われる。

 以上の引用をたどっても、自己表出と指示表出の理解には不十分かもしれないが、逆にいえば、それを十分に把握できた時には強力な解析の力を手にするだろうと思われる。わたしもまた、まだ十分な理解ではない。






 メモ2019.11.24 ―自己表出と指示表出へ ③  人間の等価性


 ところで、自己表出と指示表出で織り成される言葉を発する主体は、当然ながらわたしたち人間である。ここで、少し回り道して、その言葉を表現する主体である人間について、吉本さんの言葉を便りにしてたどってみる。

 人間という概念は、当然ながら人類の歴史のなかから生み出され、修正・変更されたりして現在にまで積み重ねられてきたものである。また、その人間概念には、アフリカ、アジア、ヨーロッパなど固有の時間性と地域差も含まれていて、それらがこの現在に同時存在している。わたしたちのこの列島の言葉は、古代には中国アジアの大波を被り、近代以降はヨーロッパの大波を被ってきた。わたしたちの言葉はそのような形であることを免れないが、そのような言葉を行使して、できるだけ人類の歴史に沿った〈人間〉というものの概念に近づきたいと思う。

 まず、吉本さんは、「マルクス伝」の出だしで、次のように述べている。



 ある人物生涯を追いかけることは、その一生が記録や著述にのこされていても、また、いつどの時代に生き、なにをして生活し、いつ何歳で死んだかわからない人物をあつかっても、おなじ難しさにであう。この難しさは、しかし、簡単な理由に帰着する。かれが、かれ自身につきうごかされて生きようとしても、もともと生きていることが現実ときりはなせないために、かれが力をいれればいれるほど、現実は強固な壁になってたちふさがるはずだ。つまり、いつでも、果たそうとしたことと、果たしてしまったものはちがった貌で、生ま身の人間におとずれる。これを、隈なくすくいあげることは、どんな記録や思想上の共鳴をもってしても、できそうもない。つまり、現実のほうが手をかした部分だけは、いつも秘されている。




 ここでとりあげる人物は、きっと、千年に一度しかこの世界にあらわれないといった巨匠なのだが、その生涯を再現する難しさは、市井の片隅に生き死にした人物の生涯とべつにかわりはない。市井の片隅に生まれ、そだち、子を生み、生活し、老いて死ぬといった生涯をくりかえした無数の人物は、千年に一度しかこの世にあらわれない人物の価値とまったくおなじである。人間が知識――それはここでとりあげる人物の云いかたをかりれば人間の意識の唯一の行為である――を獲得するにつれて、その知識が歴史のなかで累積され、実現して、また記述の歴史にかえるといったことは必然の経路である。そして、これをみとめれば、知識について関与せずに生き死にした市井の無数の人物よりも、知識に関与し、記述の歴史に登場したものは価値があり、またなみはずれて関与したものは、なみはずれて価値あるものであると幻想することも、人間にとって必然であるといえる。しかし、この種の認識はあくまでも幻想の領域に属している。幻想の領域から、現実の領域へとはせくだるとき、じつはこういった判断がなりたたないことがすぐにわかる。市井の片隅に生き死にした人物のほうが、判断の蓄積や、生涯にであったことの累積について、けっして単純でもなければ劣っているわけでもない。これは、じつはわたしたちがかんがえているよりもずっと怖ろしいことである。
 千年に一度しかあらわれない巨匠と、市井の片隅で生き死にする無数の大衆とのこの〈等しさ〉を、歴史はひとつの〈時代〉性として抽出する。
 ある〈時代〉性が、ひとりの人物を、その時代と、それにつづく時代から屹立させるには、かならずかれが幻想の領域の価値に参与しなければならない。幻想の領域で巨匠でなければ、歴史はかれを〈時代〉性から保存しはしないのである。たとえかれがその時代では巨大な富を擁してもてはやされた富豪であっても、市井の片隅でその日ぐらしのまま生き死にしようとも、歴史は〈時代〉性の消滅といっしょにかれを圧殺してしまう。これは重大なことなのだ。たくさんのひとびとが記述の世界に、つまり幻想と観念を外化する世界にわずかでも爪をかけ、わずかでも登場したいとねがうことは、歴史のある時代のなかで、〈時代〉性をこえたいという衝動ににている。そのために、かれは現実社会での生活をさえ祭壇の供物に供し、係累するひとびとに、とばっちりをあびせかける。これが人間をけっして愉しくするはずもないのに、この衝動はやめさせることができない。こういう人間の存在の性格のなかに、歴史のなかの知識のありかたがかくされている。しかしけっきょくは、こんな知識の行動は、欲望の衝動とおなじようにたいしたことではない。幻想と観念を表現したい衝動のおそろしさに目覚めることだけが、思想的になにごとかである。生まれ、婚姻し、子を生み、老いて死ぬという繰返しのおそろしさに目覚めることだけが、生活にとってなにごとかであるように。
 人間は生まれたとき、すでにある特定の条件におかれている。この条件は、個人の生涯のおわりまでつきまとう。だから結果としてかれが何々であった、ということにはほんとうは意味がない。意味があるのは、何々であった、あるいは何々になった、ということの根柢によこたわっている普遍性である。その普遍性を、かれがどれだけ自覚的にとりだしたか、である。記述したかどうかはもんだいではないのだ。ここでとりあつかう人物は、幾世紀を通じて、幻想と観念を表現する領域では最大の巨匠と目されてきた。しかし、誤解すべきではない。現実の世界では、きわめてありふれた生活人である。そこで、かれがこの幻想と現実の総体に、個と普遍性の全体に、どれだけ自覚的な根拠をあたえたかがもんだいになる。
 (『カール・マルクス』「マルクス伝」P65-P68 吉本隆明 光文社文庫 2006年)
 ※①と②は、連続した文章です。



 わたしの若い頃でも現在でも、こうした透徹した認識と論理の言葉に出会ったことがない。そのことを最初に述べておくべきだと思う。この『カール・マルクス』の「マルクス伝」が書かれたのは、1964年頃で吉本さん40歳の頃である。

 ①では、わたしたちひとりひとりは、この世界のある時代の物理的・精神的大気を呼吸することによって生きていく。わたしたちは、現実との関わり合いによってそれぞれの生涯の曲線を描いていく。そのような相互作用の結晶としての個の生涯の姿だから、その姿を他者が後からたどっていくことの困難さが述べられている。

 ②では、終わりの所で、知識でも生活でもその根底に横たわる普遍性に自覚することが大切であると語られているが、わかりやすく言えば、この世界で知識や生活の生きることの意味の自覚こそが大切だということであろう。②から骨子を取り出すと、

.「市井の片隅に生まれ、そだち、子を生み、生活し、老いて死ぬといった生涯をくりかえした無数の人物は、千年に一度しかこの世にあらわれない人物の価値とまったくおなじである。」

2.「人間が知識を獲得するにつれて、その知識が歴史のなかで累積され、実現して、また記述の歴史にかえるといったことは必然の経路である。そして、これをみとめれば、知識について関与せずに生き死にした市井の無数の人物よりも、知識に関与し、記述の歴史に登場したものは価値があり、またなみはずれて関与したものは、なみはずれて価値あるものであると幻想することも、人間にとって必然であるといえる。しかし、この種の認識はあくまでも幻想の領域に属している。幻想の領域から、現実の領域へとはせくだるとき、じつはこういった判断がなりたたないことがすぐにわかる。市井の片隅に生き死にした人物のほうが、判断の蓄積や、生涯にであったことの累積について、けっして単純でもなければ劣っているわけでもない。これは、じつはわたしたちがかんがえているよりもずっと怖ろしいことである。」

 しかし、現実社会では、依然として「幻想の領域」の感受や認識がまるで主流のような顔をして大手を振って歩いている。そのような「幻想の領域」の感受や認識は、社会を生きる個々人に滲透し影響を与え続けている。おそらく、そこには根深い理由と根拠があるのだろうと思われる。簡単に言えば、猛威と慈愛の二重の顔を持つ大自然との長い付き合いの中で培われた意識体験、次にそれが人間界に写像されて、王や貴人と普通の人々との関係に移し替えられた。今でも、「偉い人」や「有名人」という意識が普通にあり、特別の視線や感受に満ちあふれている。ここはどう考えたらいいのだろうか。

 たぶん、人類の自覚的な視線や考えというものを想定すれば、吉本さんの述べているのはその自覚や内省の視線から来る言葉であり、それは人類の自覚的なものの主流のベクトルを指しているように思われる。

 ここで語られていることをひと言に集約すれば、人間の等価性ということになる。わたしの言葉でそれを敷衍してみる。人には自力では生きてはいけない赤ん坊の時期があり、社会に本格的に関わり出す以前の悩み多き青年期があり、社会関係に入り込む成年期、家族を持ち慌ただしい壮年期があり、社会関係から退く老年期がある。現在までの主流の顔をした感受や考えは、社会関係に入り込んで仕事する成年期から壮年期の感受や考えから生み出されたものに見える。それはまた、企業社会の論理や考えと合流している。言いかえると、現在までの主流の顔をした感受や考えは、人間社会が生みだしてきた歴史性を持つものであるが、まだまだ人間についての局所的な認識に過ぎないことになる。それは、人間の全生涯や障害者や寝たきりの人を含むあらゆる人間という視線には耐え得ない感受や考えである。逆に言えば、人間の全生涯や障害者や寝たきりの人を含むあらゆる人間という視線を行使するならば、人間は等価であるということが言えそうだと思われる。

 次に、別の所から吉本さんの晩年の考えを引き出したみる。「人間力」という言葉も使われている。




 根本的なことで僕が以前から考えていて、だいたい間違いないなと思っていることは、要するに学童と教室、先生ということでもいいのですが、世界的に言えば、未開・未発達の民衆と先進的な国の民衆と何が違うかという問題においては、僕は何も違わないという考え方をします。知恵とか人格性とか、そういうことを含めて、少しも変わらないものだ、つまり同じものなのだ、という考え方というのは根本的にあるわけです。これは、学校というものを小学校から大学までを経験した実感と、もう一ついわゆる知識的な人たち(学生さんたち)とある期間、相当密接にかかわってみたことが何回かあるのですが、そういう自分の体験から考えてきたことの結論なのです。
 小学校にもいろいろな学校があるわけですが、僕が出た小学校は東京都で一番程度の悪い学校だと先生がそのころ「学級通信」みたいなものがありましてそこに公然と書いていたくらいでした。ただ、知識とか学識とか狭い範囲に限定すればそれぞれ種類も違うし、もしかすると、僕らみたいな怠け者の多い学校は知識的にはそれで済んでしまって卒業できるけれど、そうもいかないからよく勉強して知識を増やそうと心がけている子供の多い学校では卒業するときには知識が増えているということもあるでしょうけれども、どこの学校の子供も皆同じで、どちらが優秀でどちらが優秀でないということはないと思っています。根本的なところで言えば何も違わない、というのが僕の体験から来る実感です。
・・・中略・・・つまり知識がどうだとかいうとそれほどではない学校は、他のことではものすごく知的なところがあったり、社会的なこととかではえらく豊富な意見と見解をもっていたりしていました。知識がたくさんあるという学校の人よりか豊富な社会体験とか、遊びも含めてさまざまな人間にまつわる問題についての知識や考えが豊富で、彼らが述べるのを聞いていると、そういうふうな実感があります。やはり知的に優秀だと言われている学校だと知的に優秀な分だけ、逆に別方面についてはあまり豊富な見解や考え方を持っていない、という感じがしました。
 そうしますと人間の総量というのは年齢にふさわしく(引用者註.「年齢にふさわしく」の意味が不明。同年齢ではということか。)大体が同じなのではないか思います。アバウトで言えば人間としては変わりがないのです。知識を増やせば知識を増やした分だけ他のことについての見解や体験とか考え方とかはあまり豊富ではないということになります。この学校は世間からはあまりよく言われていないけれども、学生はすごくいろんなことについてもちゃんとした考えをもっているじゃないか、見解を披露しているじゃないかとわかったんです。それでこれはちょっと違うぞ、社会的にというか世間的にというか一般社会のいう学校の優劣や人間の優劣は、総合的に見ると、――僕は勝手に「人間力」という言葉を勝手に作っているのですが――、「人間力」においてはまず何の隔たりも変わりもないと思いました。
 そういうことですから、どう言ったらいいのでしょうか。あまり遠くまで言わない方がよろしいと思いますが、先生と学童という関係でいいますと、学童というのはまだ幼いですから何が不足かというと、知識が不足だということは確実で間違いなの(ママ 「間違いないの」か)ですが、その他のことは大体全部同じである。先生と同じだと思う方が原則的にいいのではないかと思っています。
 (『子供はぜーんぶわかっている』P15-P17吉本隆明 2005年8月)





 人間というのはどこの人間でも、どう遅れているように見えたとしても、諸般の情況の変化を総合して考えると、どうしてもそういうところに現在もなおいるのだという、それだけのことで、別に劣っているからそうなっているとか、文明人の方がよい生活をしているから優れていると考えるのは間違いだと思います。
 たとえばアフリカの人を一年か二年、フランスかどこかに留学させれば、フランス人のような生活をしっかりできるに決まっているわけです。遅れている、未開だという表面的なことは、ただそれだけのことで、いくらでも変わりうることだと思います。
 だから、そういう意味での差というのは、現象的にいろいろなことが偶然に重なってそうなっていると考えることにした方がよいと思うし、ほんとうは掛け値なしに人間というのは平等だ、ということを断言してもいいのではないかと思います。文化が発達していないとか、文明が発達していないからだめで、発達させているのは偉いのだという考え方は、間違いなのです。
 自分たちの方が発達してよい社会だと思い込んでいる人は、確かにたくさんいるわけですが、それは一〇〇パーセント間違いだと思います。現在というものを考えてみると、病巣的な問題も含んで人類というものを集約したら、すべて平等だし、どこかが劣るとか、よい悪いとかはないと思った方がいいような気がします。
 つまり、生理的肉体というか、基本的な考え方とか倫理とか、そういうことになってくれば、昔の人にはかなわないし、昔を代表する、つまり聖人君子のような人には絶対かなわないと思います。
 (『第二の敗戦期―これからの日本をどうよむか』P22-P25 吉本隆明 2012年10月)
 ※本書は、2008年5月から6月のインタビュー



 「現在というものを考えてみると、病巣的な問題も含んで人類というものを集約したら、すべて平等だし、どこかが劣るとか、よい悪いとかはないと思った方がいいような気がします」と、コメントの必要は感じないほどわかりやすい言葉で本質的なことが語られている。人類を人間の総和としてみれば、大自然の猛威に対抗するようにして人間界を築き上げてきた人類には、意識的な自然性の面と内省的な無意識的な面とがあるように見える。吉本さんが、「歴史の無意識」と述べていたのは、この内省的な無意識の面に関わるものだと思われる。現在のわが国の社会を主流のように占めている意識的な自然性の面は、人類の歴史から見れば、人類の意識的な自然性の面のほんの局所に過ぎないと自覚することは大切なことだと思う。

 もう一度、まとめてみると、例えば人間を「知識」の多寡で切り取れば、赤ちゃんと青年と大人と老人とでは大きな違いが見られるだろうし、また、青年、大人同士でもそれぞれ違いが見られるだろう。これは、「知識」の代わりに「運動能力」などの別の切り取り方をしても同様である。上の吉本さんの言葉は、先進国の人々と後進国の人々など現在に横並びの人々を平等だと言っているが、これは古代の人々と現在のわたしたちとも平等だということになると思う。吉本さんが語っているように、ある面では劣っているように見えてもその代わり別の面が優れているということがあるから、総合性としての人間として見るならば平等であるということだと思う。

 なぜ、自己表出と指示表出の話題からその発語主体である人間にさかのぼってきたかといえば、人間がもし等価(平等)でないとすれば、同時代のAという人間の語った(書いた)ある言葉の自己表出と指示表出のそれぞれの度合いと、Bという人間が語った(書いた)同じ言葉の自己表出と指示表出のそれぞれの度合いとは、発語主体が等価でなく差異を持つということ自体から、差異を持つと見なさざるを得ないように思われるからである。。

 もちろん、、自己表出と指示表出は、時代とともに「人間の本質力」(『定本 言語にとって美とはなにか』P47 角川選書)、と関わってそれぞれの水準を増大させる。すなわち、古代人と現代人とでは、自己表出と指示表出の水準の違いがある。(『定本 言語にとって美とはなにか』P47の「第3図」 )しかし、言葉の表出や表現に限らず行動やものの感じ方など総合性としての人間として見れば、現在のわたしたちと等価(平等)と見なせるのではないだろうか。

 ひと言で集約させると、同時代の赤ちゃんから老人にわたる差異も、同時代の先進国の人々と後進国の人々との差異も、さらに、太古の人々と現代人との差異も、部分的、局所的にはそれぞれの差異が真実であるように成り立ちうるとしても、総合性としての人間という視点から見れば等価(平等)と言えるのではないかということである。

 こういう人間把握の視線は、人類の歴史の歩みとともに変貌し積み重ねられてきたものである。それは、時代的、歴史の段階的なものである。現在の最良の視線として、この総合性としての人間という視点から見れば人間はみな等価(平等)という把握がもっとも良いのではないかと思う。

 わたしは、いつも幾分かはそういうことがあるが、特にこのメモは、どこに行き着くのかわからないまま書き進めている。文章の構成としての大枠は決めているが、どう捉えたらいいかよくわからないということを抱えたまま書いている。書き進めてわからないままの時は、ただ問題点の指摘に止まるだろうと思う。しかし、人間の等価性(平等)だけとっても、あいかわらず現在的な課題であり続けている。






 メモ2019.12.13 ―自己表出と指示表出へ ④ 疑問点を挙げる


 さて、言葉もまた分かち難い総体性だとしても、分析的に見れば、言葉は自己表出性と指示表出性の織り成されたものと見なせる。これは現在までのところ、最良の捉え方だと思う。経験の集積から論理へという吉本さんの実験化学者らしい本領が発揮されている。その言葉というものを話す(書く)主体はわたしたち人間であり、その人間の有り様や人間自体の見方は前回「人間の等価性」というテーマで見てきた。今回は、そこから人間の話す(書く)言葉の世界に下ってみる。

 吉本さんが『言葉からの触手』の「7 超概念 視線 像」で、「そこで『海辺の草花』の『概念』として、最終的にえられる像(イメージ)は〈海辺の草花の客観的に視られた生命の線条が、無数回折り畳まれたもの〉ということになる。」という実験化学者らしい理解の仕方をしている。それを借りて、言葉を自己表出性と指示表出性という分離された抽象度の場で考えて、言葉は、自己表出性の無数の微小糸と指示表出性の無数の微小糸が互いに瞬時に織り成されて表現されるものと見なすことにする。これは、言葉の自己表出性と指示表出性は、起源的に見ても途方もない時間を経た後の、同時的に互いに張り付いた、あるいは瞬時に織り合わされる状態が実際だったかもしれないが、分離して抽象度として考えるとそう見えるということである。「言語論要綱」(2006年)では、言葉の自己表出を主観的な表現に、指示表出を客観的な表現に置き換えてわかりやすく説明されている。なぜそのように分離して捉えるかは、わたしたちが現在までのところ言葉を一挙に総体として捉える術を知らないからと言うほかない。

 この文章は、吉本さんの『定本 言語にとって美とはなにか』のP61にある自己表出性と指示表出性による品詞図(第4図)やその後の少し修正された品詞図を見ていて疑問に思い、考えを巡らせたことをきっかけにしている。今は、その疑問に十分に答えられそうにないから、その疑問に感じたことや問題点を挙げ、それに対応する吉本さんの文章を検討してみることにする。今回は、その疑問点を挙げてみる。すぐに判断できる疑問についてはわたしの解も付す。(品詞図などの図表は、この文章の最後に挙げている)


1.
 『定本 言語にとって美とはなにか』の第3図(P47)によると、言葉の自己表出性と指示表出性は、時代とともに増大する。ということは、前回見たように人間の総体性から見たら過去の人々と現在の人々は人間的には等価だとしても、時代差によって言葉の自己表出性と指示表出性の水準の差が出てくることになるか。

 これは吉本さんの把握した第3図を認める限りは、差が出てくることになると思う。ここで簡略化のために、言葉の自己表出性を[J]、指示表出性を[S]と置くと、言葉に内在するそれぞれの度合いの総和[J]+[S]は、時代とともに増大していくことになる。
 しかし、現在の「人間」につながる、言葉を持った「人間」の成立と見なせる超太古の時期と、現在から遙か超未来の「人間」の時期は、その有り様を想像することは難しい。だとしても、[J]と[S]は、言葉を持った「人間」の成立と見なせる超太古の時期については、『言語にとって美とはなにか』で起源論として触れられている。つまり、言葉の問題として包括されている。とするならば、人類が生き残っているとして超未来には現在のような言葉とは違った言葉のようなものになってしまったとしても、[J][S]の捉え方は、その起源と相対(あいたい)する超未来までは行けそうな気がする。
 さらにそこから下って、言葉を持った「人間」の成立と見なせる超太古の時期から遙かに生命体の段階にまで下って言った場合の超超太古の時期と、それと対応する超超未来の時期については、現在のところ皆目わからないとしか言いようがない。それでも、自己表出性と指示表出性のそれぞれ"前世"や"来世"の段階として想定しイメージすることが可能のような気がする。

 さらに、吉本さんはフロイトの考えを受けて、大雑把に言えば人類史と個の生涯の歴史を対応させて考えることができそうに思うと述べている。(註.1)それを認めるならば、時代差によって言葉の自己表出性と指示表出性の度合いの差が出てくるのと対応して、個の生涯における時代差、すなわち言葉をやっとしゃべりだした幼年であるとか青年、大人、老年などによって、表現された言葉の自己表出性と指示表出性の水準の差が出て来ることになる。


2.
 では、同時代の、同じこの列島社会で、同じ言葉(思考の単純化のために、まずは、短い単語や熟語レベルで考えて)を話した(書いた)として、

①子ども同士とか大人同士とか、ほぼ同年代の者の場合、それぞれの言葉の自己表出性と指示表出性の度合いは同じか。(言葉に内在するそれぞれの度合いの総和[J]+[S]は一定か)

②同じ人が、同じ言葉を、それぞれ違った日や違った場所で、話した(書いた)場合には、言葉の自己表出性と指示表出性の度合いは同じか。(言葉に内在するそれぞれの度合いの総和[J]+[S]は一定かどうか)

③子どもも大人も皆同じ言葉の自己表出性と指示表出性の度合いを持つのか。(言葉に内在するそれぞれの度合いの総和[J]+[S]は一定かどうか)

 これは、1.の人類史と個の生涯の歴史を対応させて考えることは可能として受け入れるなら、同じ言葉であっても子どもと大人の表現する言葉の自己表出性と指示表出性の度合い、あるいは水準には差があることになる。

④大きい声やゴチック表記に限らず、強調表現というものがあるが、それによって同じ言葉の自己表出性と指示表出性の度合いは変化を受けないのか。

 これは、言葉の表現が自己表出性と指示表出性の織り成しとしてある以上、強調表現によっていずれか、あるいは両方とも、強化されたり励起されたりするだろう。それは、その言葉の時代的な自己表出と指示表出の水準の限界を突き抜けようとする欲求の無意識的な表れと言えるかもしれない。古代に係り結びという強意表現があったが、今ではその強意の感触はよくわからなくなってしまっている。しかし、当時においては、言葉の時代的な自己表出と指示表出の水準の限界を突き抜けようとする欲求の表れのひとつだったのかもしれない。

⑤同じ言葉でも、話し言葉の場合と書き言葉の場合では、言葉の自己表出性と指示表出性の度合いに違いはないのか。


3.
同時代の、同じこの列島社会で、ある人が、異なる言葉(まずは、短い単語や熟語レベルで考えて)を話した(書いた)として、
①同じ品詞の「山」と「海」では、それぞれの言葉の自己表出性と指示表出性の度合いに違いはないのか。(それぞれの言葉に内在するその総和[J]+[S]は一定かどうか)

②異なる品詞の「愛」と「走る」では、それぞれの言葉の自己表出性と指示表出性の度合いに違いはないのか。(それぞれの言葉に内在するその総和[J]+[S]は一定かどうか)


4.
次に、同時代であっても、地域固有の歴史性を持つ世界の各地域の言葉にも、地域差を超えて上記の2.と3.は同様に言えるのか。


 最後に、以上のような疑問を感じたきっかけとなった吉本さんの『言語にとって美とはなにか』に始まる品詞図等を挙げておく。このような疑問は、現在的に解が出る場合もあれば、現在のところそこまでは明らかにならないとかそこはいい加減でもいいということもあるかもしれない。一方、そんな一見ささいに見えることを明らかにすることが現在までの人間認識の拡張に当たるということもあるかもしれないと思う。


 (疑問点などのメモ)

1.『言語にとって美とはなにか』の第4図(1965年)は、単位円(の 1/4円)上の点に各品詞が取られているように見える。

2.その単位円の右側の円周上から各品詞に延びている線分の意味がわからない。

3.その下の品詞図(2005年)では、上の第4図(1965年)とは違っている点が出ている。まず単位円(の 1/4円)の円周の曲線が消され、さらに各品詞は点上にはなく(領域)とあるように幅を持たせてある。

4.最後の品詞図(2006年)では、塗りつぶしを別にすれば、品詞図(2005年)とほとんど同じであるが、単位円(の 1/4円)になっていない。同じ半径にはなっていない。この図が収められている『言語論要綱―芸としての言語』には他にも図があるから、吉本さんが直接描いたものが基になっていそうに思えるが、晩年の吉本さんはとても眼が悪かったというから、単位円(の 1/4円)をゆがめたような図は吉本さんの指定通りなのかどうか、吉本さんがチェックした図なのかどうかよくわからない。

5.品詞図(2005年)と品詞図(2006年)では、なぜか「動詞」の位置が下の方から上の方に移動させてある。


『定本 言語にとって美とはなにか』P47 第3図
『定本 言語にとって美とはなにか』P61 第4図 1965年
『中学生のための社会科』P55 2005年
『言語論要綱―芸としての言語』図1 2006年 SUMMER
(「SIGHT」VOL28 rockin'on)


 (註.1)

 もうひとつの欲求につなげるためにいうと、言葉と、原宗教的な観念の働きと、その総体的な環境ともいえる共同の幻想とを、別々にわけて考察した以前のじぶんの系列を、どこかでひとつに結びつけて考察したいとかんがえていた。どんな方法を具体的に展開したらいいのか皆目わからなかったが、いちばん安易な方法は、人間の個体の心身が成長してゆく過程と、人間の歴史的な幻想の共同性が展開していく過程のあいだに、ある種の対応を仮定することだ。わたしは何度も頭のなかで(だけだが)この遣り方を使って、じぶんなりに暗示をつくりだした。 (『母型論』の「序」、学習研究社 1995年11月)


「いちばん安易な方法は」とあるから、吉本さんはまだ何らかの留保をしてこの考え方を採用しているものと思われる。








 メモ2020.2.09 ―自己表出と指示表出へ ⑤ 疑問点を考える 第一回


 下の第2図は、現在のわたしたちにつながる人間にとっての言葉のある段階の図示であり、[意識] → [有節音声] →[現実対象]、[対象像]となっている。

 第3図は、そのような[意識] → [有節音声] →[現実対象]というものが、時代とともにどのように変貌していくかという人間にとっての言葉の歴史性が図示されている。

 前回、 (疑問点などのメモ)2で、CからBへ結んだ線の意味がわからないと書いた。いろいろ考えを巡らせているうちに、第2図から第4図に渡って互いに対応しているのではないかということが見えてきた。今、下の図にその対応する個所をA、B、Cと同じ記号で記入してみた。すると、

 第2図は、A[意識] → B[有節音声] →C[現実対象]であり、
 第3図は、A[意識] → B[言葉(話し言葉、書き言葉)] →C[現実対象]であり、
 第4図は、A[意識] → B[言葉(話し言葉、書き言葉)] →C[現実対象]である。

 このように捉えると、一貫性があり、第4図でCからBへ結んだ線の意味がわからないとわたしが言っていたことが、解消するように思われる。おそらく、第4図の品詞図は、品詞によって自己表出と指示表出の度合がそれぞれ違うこと、その大まかな品詞の分布を表現することが主眼であり、A[意識]とC[現実対象]とは、当然のものとして省略されたのだろうと思う。

 第3図のA-B-Cを自己表出と指示表出の描く時代的な上限(限界)と見なせば、第4図はその時代的な上限(限界)の内で表現される言葉(各品詞)の現在の段階での図表化に当たっている。また、言葉(各品詞)の現在の姿は品詞区分も曖昧だった言葉の起源からの歴史性を持つもので、絶対的なものでもない。ちなみに、『定本 言語にとって美とはなにか』では、万葉集の歌の言葉を具体的に検討した後、次のように締めくくられている。


 わたしたちはこうして、品詞のもつ位相を自己表出性と指示表出性とによって、いいかえれば言語の構造を軸にして概括できそうだ。
 言語における詞・辞の区別とか、客体的表現や、主体的表現といったものは、二分概念としてあるというより、傾向性やアクセントとしてあるとかんがえたほうがいいことになる。また、文法論の類別はけっして本質的なものではなく、便覧または習慣的な約定以上のものを意味しない。品詞の区別もまったくおなじで、品詞概念の区別自体が本質的にははっきりした境界をもたないものだとみられる。   (P61-P62)


 最後に付け加えると、第4図は現在のものであり、そこから過去や未来の姿を考える時は、第3図の歴史性をイメージに加えればいいのだが、実際の像として図示してみると下の第4-2図のようになる。

 
上から順に、第2図、第3図、第4図


第4-2図








 メモ2020.02.18 ―自己表出と指示表出へ ⑥ 疑問点を考える 第二回


 今回は、『中学生のための社会科』(2005.3.1)に載せてある品詞図を取り上げる。
 この品詞図は、中学生のための社会科』の第一章「言葉と情感」に掲載されている。以下に引用する本文には、自己表出と指示表出をわかりやすく説明した部分と、品詞の具体例を考察した部分がある。その吉本さんの具体例に沿って考えてみたい。


 暗記しなくてもいい国文法であり、国際的にもどこの言葉にも使える文法は作れないかといつも考えさせられた。わたしが考えた暗記不要の国文法の入口のところだけをやさしく述べてみよう。もちろん国文法だけでなく、どこの種族語、民族語にも使えるし、中学生にも専門の文法学者にも使えるはずだとおもっている。
 まず、すべての言葉は、「自己表出」と「指示表出」をタテ糸とヨコ糸として織られた織物だとみなすことにする。少し説明する。ここで「自己表出」というのをやさしく解説する。
 例えば、きれいな花が咲いているのを見て「きれいな花だ」とか「ああ、きれいだ」と思わずつぶやいたり、心のなかだけで言葉にならず感嘆したとする。もちろん大声で叫んで傍にいる人々が視線の方向を見た場合でもいい。この場合、他人に伝達するために「きれいな花だ」といったのではなく、思わずその言葉を発したり、内心にいいきかせたり、つぶやいたりしたことだけは共通で確かなことだ。言葉のもつこの側面を「自己表出」と名づける。
 「指示表出」というのはこの場合、自分だけにしかわからない場合も、傍にいる人々に花の方に視線を集めさせた場合も、自分または他人に花を指示させたことは確かである。言葉のもつこの側面を「指示表出」と呼ぶ。するとすべての言葉は「自己表出」と「指示表出」の度合いに違いがあるが、「指示」の目的が多くて「自己表出」の度合いはそれほど大きくないとか、その反対だとかということができる。
 極端に考えると、数字は「指示表出」だけ。胃が痛いのを「痛い」とおもっただけで他人には全くわからなかった場合には「自己表出」だけと考えられるかもしれない。けれどこまかく見れば「3プラス5は8」を暗算する
(A1) のと、声に出す (A2) のと、ノートに記す (A3) のとは「自己表出」の度合いが違っている。胃が痛いと内心でつぶやく (B1) のと、沈黙のままでいる (B2) のとは「指示表出」の度合いが違う。だから言語はすべてこの両者の織物で、その度合いが違うだけだとみなすのが妥当だといえよう。するとすべての言葉は「自己表出」をタテ軸に「指示表出」をヨコ軸にとると次のように表すことができる。
 助詞(てにをは)の場合はどう考えるべきだろうか。例えば、

      私は掃除した。 (C1)
      私が掃除した。 (C2)

 この二つの文を比較してみよう。「私は」「私が」の助詞「は」と「が」はどう考えたらよいか。二つの助詞の相違はよくわかるとおもう。「私は」の場合やさしい言い方では他の人も掃除したかもしれないが、何はともあれ自分は掃除したという意味にとれる。「私が」の場合は、掃除をやったのは自分だということを特に強調した意味にとれよう。助詞「は」と「が」は品詞としてはおなじ「自己表出」の位置にありながら「指示表出」としてははっきり違う意味を与えている。
 これは助動詞の場合もおなじようなことがある。

      私は先生です。   
(D1)
      私は先生である。  (D2)

「です」とは身分とか職業とかを明かしているだけにとれるが、「(で)ある」の方は何となく強調の意味を含み、威張っているようにも感じられる。
       (『中学生のための社会科』P51-P56 吉本隆明)
 
※ 上記の(A1) から(D2) は、以下の図に記入するためにわたしが付けた記号である。


 まず、下の第4図には、一つの言葉(品詞)をベクトルSとベクトルJの和のベクトルとして表示している。
 
上の吉本さんの具体例をその下の品詞図に書き込んでみる。
 同じ「3+5=8」の表現の仕方の違いによるA、A、A、を、全体を名詞(数詞)と見なし簡略化して考えて、下図に記してみる。自己表出の大小を記したこまごまとした説明は省く。
 同様に、「胃が痛い」を「痛い」という形容詞に簡略化して、B、Bを記してみる。
 また同様に、助詞「は」と「が」の部分、助動詞「です」「である」の部分をそれぞれ取りだして、C1とC2、D1とDを記してみる。

 ところで、各ポイントを取ってみたこの『中学生のための社会科』にある品詞図から、逆に考えを進めてみる。便宜的に自己表出を「J」、指示表出を「S」とおくと、下の図の1のJとSの総和(ベクトル和)の大きさはのそれとは等しくない。
  →    →     →
  C1 = J1 + S1
  →     →     →
  C = J  + S

         →         →
        |J1| =  |J
         →         →
        |S1| < |S| だから、
         →         →
        |C1| ≠ |C

 同様のことは、A、A、A3 ,B、B2 ,D1、Dについても言える。
 以上のわたしの記入が正しいとすれば、同じ品詞だとしても言葉によってJ+S(自己表出の度合と指示表出の度合の和)の大きさが一定ではないことになる。

 ところで、『言語にとって美とはなにか』に載っている最初の品詞図(第4図)を見ると、品詞は幅を持つものとして捉えられていたとしても、便宜的にか簡略表現としてか1/4円上の点として表示されている。この図によると、1/4円上の小さな丸印が品詞の位置とするならば、ある言葉(品詞)の自己表出の度合と指示表出の度合のベクトル和(J+S)の大きさは、1/4円の半径となり、そのベクトル和の大きさは言葉(品詞)が違っても同一(円の半径)ということになる。

 そうして、『言語にとって美とはなにか』に載っている最初の品詞図(第4図)から40年後の品詞図では、図表的な構成としてみれば、いずれも記入はされてはいないが、品詞図の「意識-言葉-現実の対象」が「意識-言葉」へと簡略化されている。その代わり、「領域」という言葉が記入され、各品詞が巾を持つことが強調されている。この40年後の品詞図の変更には、絶えず考えを詰めてきた吉本さんの思考と言葉の足跡があると思う。それとは別に、ここには微妙な問題がありそうに思われる。

 自己表出と指示表出という概念は、ひとつの統一性を持つ、総合性としての言葉を、ある抽象度で捉えたものである。例えば、総合性としての人間を性という範疇で考える時男や女が浮上する。また、市民社会の行政的、制度的な範疇で考える時生活者ではなく市民が浮上する、というふうに。わたしたちは、なぜ総合性としての対象をある抽象度で捉えようとするのか。それは、総合性としてのある構造を持つ対象は一挙にまるごと捉えるということが難しいからであると言うほかない。

 ところで、意識が言葉を放つ過程に、あるエネルギーの生成なり放出なりを想定できるとすれば、そのエネルギーの強度を計測することは理論的には可能である。しかし、現実には意識が言葉を放つ過程は、身体の生理的な反応過程と幻想的な過程とが二重化したものとしてある。したがって、その二重化した総体のエネルギー強度としては把握できるかもしれないが、両者の過程を分離することは困難であろうと思われる。

 現在の医療ではMRIなどによって身体の立体的な画像を獲得して診断に応用するのが普通になってきている。また、昔読んだ茂木健一郎の『脳とクオリア』(1997年4月)では、その種の機器を使ったものであろうが、ニューロン(神経細胞)の発火に触れていた。その時は、ニューロンの発火なるものは人間の身体生理的な活動と対応するものであろうが、人間の精神性のふるまいとは直接対応するものではないと思った。このニューロンの発火は、上記の言い方をすれば、身体の生理的な反応過程と幻想的な過程とが二重化したもののエネルギー強度の可視化であり、もしその発火の強度を測定できるなら、二重化した総体に対応したエネルギー強度をつかむことができたことになると思う。

 なぜこういうことに言及するかと言えば、わたしたちが言葉を発する時には、あるエネルギーの生成あるいは放出がなされているはずである。そのエネルギー強度を計測できれば、品詞の違いや同一品詞でも言い方の違いなどによってエネルギー強度の違いを知り、それによって自己表出と指示表出の総和(J+S)に対応する状態がエネルギーの強度の違いとしてつかめることになるからである。しかし、現実的に身体の生理過程を分離して精神的な活動のみのエネルギー量を知ることは、現在のところは不可能に近いような気がする。

 こうしたことを巡ってきたのは、吉本さんが抽出した概念で各品詞間や各言葉の間の自己表出や指示表出の強度を具体的に区別してみることが実感としてわかりにくいからである。また、自己表出と指示表出の総和(J+S)の大きさが品詞の違いによって、同じ(1965年の第4図)なのか異なる(2005年の品詞図)のかよくわからないからである。これらのことは、たぶん吉本さんが便宜的でかまわないとした品詞の区別の問題をもう少し突き詰めてみたということになるのだろうか。

『定本 言語にとって美とはなにか』 第4図 1965年

『中学生のための社会科』 2005年








 メモ2020.08.08 ―自己表出と指示表出へ ⑦  疑問点を考える 第三回


 吉本さんは「言語論要綱 ― 芸としての言語」では、子規や長塚節や伊藤左千夫の俳句や短歌を取り上げた後、客観的な表現を指示表出へ、主観的な表現を自己表出へ対応させて「言葉の本性」を論じている。そうして、「おお」と「うわ」という同じ感嘆詞の指示表出と自己表出の度合の違いが品詞図(図1)とともに挙げられている。


 ここでは視覚に与えられる客観的な言語表現のなかにどんな言語表現が加わると主観的な要素が生まれてくるかということを、また、はっきりと客観的な表現と主観的な表現を分離させてみても、じっさいにはそういう印象を与えられないかという例をいくつか考えてみた。このことを表現の仕方の良さとか悪さとかの次元で問題にせずに、言葉の本性まで掘りさげて考えてみるとどういうことになるだろうか。言語の客観的な表現の客観性の極限は、眼の前の赤い花をみて「赤い花だ」と表現することだ。もう少し認知を加えて「赤い鶏頭だ」と表現することだ。おなじように最も主観的な表現を考えてみると、たとえば自分がおなかが痛いとき、「ああお腹が痛い」とか、ただ「痛い」とつぶやくとか、無声の自分にわかるだけの内心の言葉で「痛い」とかいうことだ。このばあいには、他者に伝わるかどうか、とか訴えを伝える配慮は何もなく自己に「痛い」という言葉の表現を自働的に且つ半ば無意識をまじえてつぶやいているだけだ。ここまで考えてくると先程の俳句や短歌で述べた客観的な言語表現とか主観的な言語表現とか述べたものは、言葉の本性の二種類というように言うことができる。実際はそうはっきりと分けられるものではないとすれば、客観的な言語表現と主観的な言語表現のどちらが多いか少ないかということで、言語の本性を言いつくせる。わたしはこう考えてきて、「すべての言語は主観的な表現をタテ糸に、客観的な表現をヨコ糸にして作られた織物だ」と言えるようになった。いま客観的な表現を指示表出と名づけ、主観的な表現を自己表出と名づけて言い代えれば、「すべての表現された言語は指示表出をヨコ糸とし、自己表出をタテ糸として織られた織物である」ということになる。これを図示してみれば次のようになる。(図1)
 かくべつ品詞べつに区分けする必要もないのだが、傾向性は了解できよう。大切なのはどの品詞も傾向性として自己表出と指示表出の織物としては巾をもっていることだけが大切だといえる。山の頂から四周の山並の風景を眺めて誰かが「おおきれいだ」と思わず見とれた。別の誰かは「うあ、すごい」と叫んだ。このばあい「おお」という感嘆詞はやや冷静で指示表出のヨコ糸が多く、自己表出のタテ糸が少なく織られ、「うわ」の方は「おお」よりも自己表出のタテ糸が多く、その割に指示表出のヨコ糸は少ない織物のように受け取れる。このような違いの巾が大切な認知になる。このような違いは前後の違う文脈をもたらし、どの品詞でも同じことが起こる。
 (「言語論要綱 ― 芸としての言語」『SIGHT』SUMMER 2006)



 わたしは、前回「吉本さんが抽出した概念で各品詞間や各言葉の間の自己表出や指示表出の強度を具体的に区別してみることが実感としてわかりにくいからである。」とも書いたが、この「おお」と「うわ」という感嘆詞の区別の説明は実感としてわかる。ここで、「おお」と「うわ」という同じ感嘆詞の指示表出と自己表出の度合の違いが語られている内容は、上で『中学生のための社会科』(2005.3.1)から取り出して図に書き込んでみたものと同じである。もう一度、念のためにたどってみよう。

 この吉本さんの「おお」と「うわ」という感嘆詞の説明を、「言語論要綱 ― 芸としての言語」に新しく付された「図1」に書き込んでみる。



 


 図1は吉本さんの「おお」と「うわ」という感嘆詞の説明によって書き入れたものである。その下の図(第4図)は、上の図1の点の取り方として二通り考えられるということで品詞図(1965年)に書き込んでみたものである。左の円上の二点の場合、その円周上ということに規定されて自己表出度の差が大して取れないという問題がある。1965年の品詞図では、1/4円上に大雑把に品詞が点として取ってある。各品詞の独立性のなさや品詞間の境界の曖昧さという現実性もあり、この程度の大まかさで良いと判断されたのであろうと思われる。

 ここでは、「大切なのはどの品詞も傾向性として自己表出と指示表出の織物としては巾をもっていることだけが大切だといえる。」ということが強調されている。そして、同じ感嘆詞の「うわ」と「おお」が検討され、同じ品詞間の「このような違いの巾が大切な認知になる。」と締めくくられている。

 『言語にとって美とはなにか』の品詞図(1965年)からこの「言語論要綱 ― 芸としての言語」の品詞図(2006年)までの変化を眺めると、言葉は自己表出と指示表出の二重性であるという論理の抽象度においては確個としていても、後に言葉は自己表出と指示表出の織物と見なした方がいいと吉本さんが気づいたように、論理の抽象の具体的な手触りとも言うべきもの(イメージ)が、踏み固められ手直しされてきたように見える。

 品詞が自己表出と指示表出の織物としては巾をもっているというここでの認知は、ずっと自己対話を続けていて気づかれたものである。吉本さんは、言語は自己表出と指示表出の織物であるということも最初から言えたわけではなくある時気づいたとどこかに語られていたが、同様に『言語にとって美とはなにか』の最初の品詞図からこの各品詞が「巾」をもつという品詞図もこの辺りで気づかれたものだと思われる。つまり、吉本さんは、ずっと自分の『言語にとって美とはなにか』とそのもたらした課題を考え続けてきたのである。

 だから、1965年の最初の品詞図では、各品詞が点として取られているが、2005年と2006年の品詞図では、各品詞は巾(領域)として取られている。「言語はこのように、対象にたいする指示(引用者註.「指示表出」)と、対象にたいする意識の自動的水準の表出(引用者註.「自己表出」)という二重性として言語本質をつくっている。」(『定本 言語にとって美とはなにか』P29吉本隆明 角川選書)という把握も、言葉は自己表出と指示表出の織物であるという把握も、言葉を自己表出と指示表出という二つの基底の概念による構造として捉えるという論理の抽象度は不変であるが、論理の抽象の具体的な手触りのイメージがより深められてきたのである。

 以上から考えるならば、1965年の最初の品詞図では、各品詞が1/4円の円周上に並ぶものと大雑把にイメージされていたのではないかと思う。そこから、『言語にとって美とはなにか』を書き上げた後、定本や文庫本などの刊行などをきっかけとする読み直しや手入れ、また自己対話を通して、論理の抽象の具体的な手触りのイメージがより深められて、図1に書き入れたような品詞が「巾」や「領域」を持つものとして考えた方がいいのではないかと変わってきたのではないか。

 ところで、ここで引用した「言語論要綱 ― 芸としての言語」(2006年)の少し前に出された本に『詩人・評論家・作家のための言語論』(1999年3月)がある。これに関しては、『吉本隆明の183講演』のA124 「言葉以前のこと――内的コミュニケーションをめぐって」に、以下の記載がある。
講演日時:1993年10月
主催:メタローグ社創作学校
収載書誌:メタローグ『詩人・評論家・作家のための言語論』(1999年)

 これは、『詩人・評論家・作家のための言語論』の「Ⅰ 言葉以前のこと」に対応するものだろう。本書の吉本さんの「あとがき」とWikipediaの安原顯のメタローグ退社が1994年暮れなどから判断すると、「Ⅱ 言葉の起源を考える」に対応する講演も1993年から1994年にかけてのもので、その頃の吉本さんの品詞に関する判断と見ていいと思われる。このわかりやすいしかも総合的な視野を持つ『詩人・評論家・作家のための言語論』に見られる品詞の問題もたどっておきたい。『中学生のための社会科』(2005.3.1)や「言語論要綱 ― 芸としての言語」(2006年)の品詞図よりも、10年くらい前のものである。


 人間の言葉は、先にもいいましたように指示表出と自己表出の織物だとかんがえることができます。
 ・・・(中略)・・・
 指示表出と自己表出をふたつの軸にした言葉で、指示表出最大の極が名詞とすれば、指示表出最小は助詞、助動詞、副詞です。副詞の「つまり」だけでは何も指示していない。だけど、自己表出は最大限にあると理解すればよいわけです。指示表出と自己表出のふたつを軸とした円を描くと、国文法で習った名詞、形容詞、動詞、副詞、助詞といったあらゆる品詞はその中間に入ってきます。どこかに絶対軸があるわけではないのですが、指示表出の軸と自己表出の軸のふたつをかんがえれば、名詞、助動詞、動詞、形容詞などはすべて円のまわりに含まれ、微差によって並びます。
 たとえば「美しい」という形容詞なら、何もみていなければ「美しい」という言葉は出てこないわけですから、ここには名詞より少ないけれども指示表出があると理解するのがいちばんよい。指示表出と自己表出の度合いの順序によって、あらゆる品詞はすべてひとつの円に入ってしまいます。文法の先生はそこまで教えてくれませんが、これはとても重要なことで、ぼくらは言葉を論理づけるためにこの図式をかんがえだしたわけです。
 副詞は、形容詞に較べるとまだ指示表出が少ない言葉です。「つまり」という副詞は、何も指示しませんから何も意味していないはずです。しかし、「つまり」と口に出していうときのこころの状態、感覚の状態をかんがえますと、何かではある。何かの指示性は働いているか、働こうとしているわけです。
「きみ」は目の前にいる他人を指す二人称の代名詞ですから指示表出が多い言葉です。しかし、「きみ」の前に「つまり」といったばあい、「つまリ」自体には意味はなく、何も指示していないようにおもえますが、形容詞より少ないけれども、やはり何かを指示しているとかんがえたほうがよい。
 指示表出と自己表出の軸を中心にして円を描けば、あらゆる品詞は円のどこかに必ず入ってしまうのです。
 (『詩人・評論家・作家のための言語論』 「Ⅱ 言葉の起源を考える」P84-P86 吉本隆明 1999年3月)


 ところが言葉は、そうお誂えむきにできていない面もあって、形容詞なのか副詞なのか、ちょっと区別できない言葉があります。なんとなくわかるけれども、形容詞ともとれるし、副詞ともとれることがありうるわけです。そのようなばあいは、形容詞と副詞の中間に位置する言葉だとかんがえればよいでしょう。
 たとえば「美しい」という形容詞にも感覚の動きはあるのですが、もうすこし動きを加えて動詞に近くもっていくと形容動詞になります。「美しい」から、「美しくなる」あるいは「美しくする」というように動詞的な動きが出てきます。つまり、形容詞と動詞のあいだの指示性が出てくるわけです。
 ここまでくると高等文法になりますが、この種のことをいちばん研究した人は、国文学者で国語学者の折口信夫です。折口信夫全集の『国語学篇』はその集大成といえます。微細に例をあげて品詞の微妙な表情を論じています。・・・・・(中略)・・・・・・一般的な品詞の区別を超えて、境界が曖昧な状態、境界が移り変わっている状態までも含めて論じているわけです。その状態までくると、名詞、副詞とはっきり区別している品詞の段階では、理解も解釈もできないことがあります。
 つまり、指示表出と自己表出の交わるところで、言葉の表情がさまざまに変わってくるのです。同じ形容詞でも表情が曖昧で区別できない段階が生まれてきたりします。学校の国文法で、名詞や形容詞と教わったことは正確ではなく、その中間もありうるということです。
 また品詞の中間に位置する言葉をつくりだそうとおもえば、いくらでもつくりだせます。言葉は指示表出と自己表出の軸を中心にした円のなかにすべて入るので、名詞や形容詞という固定した区別に収まるわけではありません。円のような閉線で連続的につながっていますから、名詞と代名詞の中間の言葉、代名詞と形容詞の中間の言葉はいくらでもありうるわけです。どの品詞ともいえない言葉はじぶんでいくらでもつくることができます。
            (『同上』P87-P89)



 引用した文章で、ゴチック体にした部分は、吉本さんの品詞図の捉え方に関わる部分である。この「円」というのは、1/4円のことだと思う。うーん、よくわからない。もう一度抜き書きしてみると、

1.指示表出の軸と自己表出の軸のふたつをかんがえれば、名詞、助動詞、動詞、形容詞などはすべて円のまわりに含まれ、微差によって並びます。

2.指示表出と自己表出の度合いの順序によって、あらゆる品詞はすべてひとつの円に入ってしまいます。

3.指示表出と自己表出の軸を中心にして円を描けば、あらゆる品詞は円のどこかに必ず入ってしまうのです。

4.言葉は指示表出と自己表出の軸を中心にした円のなかにすべて入るので、名詞や形容詞という固定した区別に収まるわけではありません。円のような閉線で連続的につながっていますから、名詞と代名詞の中間の言葉、代名詞と形容詞の中間の言葉はいくらでもありうるわけです。

 これにもう少し付け加えてみる。〈異常〉の理解に関する部分である。


 さきほど自己表出性は内臓の動きやこころの動きに関連し、指示表出性は感覚の動きに関連していると説明したように、人間の言葉は、情動性と感覚性が織り合わされ、融合してできています。こころの表現としての言葉、感覚の表現としての言葉を説明するばあい、精神の病気や異常をどうしても考慮に入れなければいけなくなります。
 異常は、その人の精神の動きが通常の範囲を逸脱していることです。精神に異常をきたしているばあい、その人の言葉もまた、通常の範囲を逸脱しているか、通常の範囲よりも小さく縮んでいます。指示表出と自己表出を軸とする円の範囲を逸脱し、言葉のもつ範囲を無限に拡げてしまうか、無限に縮めてしまうか、どちらかの作用が起こります。指示表出と自己表出をの軸を想定できないほど、極端に拡げてしまうか、狭めてしまっているのです。
 たとえば「美しい」という言葉には、だれもが抱くイメージがあります。赤い花が咲いているのをみて、美しいと感じる。これが正常とすれば、「美しい」の共通な感じ方といえるわけです。この範囲を逸脱すると異常になります。その赤い花をみて、ものすごく醜いとしか感じない人は異常とみなされます。「美しい」という言葉の範囲が、指示表出と自己表出を軸とした円と一致していれば正常で、とんでもなく外側に拡大したり、極端に範囲が狭くなると異常になるわけです。
           (『同上』P96-P97)



 吉本さんの言葉から言葉が品詞図にどのように分布すると考えているかを知りたいのだが、言葉(品詞)が分布するのが「円」の内部なのか、「円」の円周上なのか、断定するには微妙な揺れを感じる。上の抜き書き1.の「円のまわりに含まれ」や4.の「言葉は・・・・・・円のような閉線で連続的につながっています」ということとこの異常の場合の言葉の有り様とを合わせて考えると、『詩人・評論家・作家のための言語論』 の頃までは、まだ『言語にとって美とはなにか』の品詞図(1965年)の延長上にあったような気がする。すなわち、1/4円の円周上に各品詞が取られていたように思われる。そうして、そこから2005年から2006年の間に上のような「巾」(領域)を持つ各品詞としてのイメージに修正されたのだと思う。

 しかし、「メモ2020.2.09 ―自己表出と指示表出へ ⑤ 疑問点を考える 第一回」で書いたように、2005年と2006年の品詞図と比べて、『言語にとって美とはなにか』品詞図(第4図 1965年)は、自己表出と指示表出の時代的な拡張の水準(第3図)を踏まえたもので、1/4円の円周を自己表出と指示表出の描く時代的な上限(限界)と見なせば、第4図はその時代的な上限(限界)の内で表現される言葉(各品詞)の現在の段階での分布の図表化に当たっている、と見ることができる利点も持っている。もちろん、2005年と2006年の品詞図でも、このようにすっきりした円弧の形ではなくでこぼこになるだろうが、言葉(各品詞)の現在の段階での分布の図表化と見ることはできる。

 最後に、この問題にこだわったのは、言葉(各品詞)が1/4円の円周上に分布しているか、それとも1/4円の内部にも分布しているか、によって背景の問題が浮上するからである。前者なら言葉の自己表出と指示表出の総和はすべて一定(ベクトル和として1/4円の半径)になるが、後者なら一定とならない。しかし、言葉は自己表出と指示表出によって瞬時に織り上げられたものと見なしても、そのような論理の抽象から実感の方へつなげようとすると難しい問題が浮上してくるような気がする。

 ところで、疑問点で指摘したが、2005年と2006年の品詞図で動詞の位置が上に来ていることに関しては、今以てわからない。その変更に関する吉本さんのひと言にも出会った覚えがない。上の娘さんの言葉によれば吉本さんは1996年の水難事故以降にひどく眼が悪くなったということだから、吉本さんのミスも考えられないことはない。しかし、同様の品詞図は2005年と2006年と二回もあるのだから、編集者が気づいてもいいよなとも思う。文章になって雑誌や本が刊行される世界の内の事情がわからないからそれらのことについては何も言えない。





追記 2020.12.09


 もうだいぶん前になるが、ロッキング・オンのホームページに「お問い合わせ」欄があることに気づいて、以下の問い合わせを2020年8月17日にしたことがある。


 ロッキング・オンの『SIGHT』を編集されていた方 様

 昔、ロッキング・オンの『SIGHT』(渋谷陽一責任編集)を購読していた者です。
 伺いたいことがありメールしています。

 『SIGHT』(VOL28 2006 SUMMER)に、吉本隆明「言語論要綱―芸としての言語」が掲載されました。そのP196に「図1」として品詞図が載っています。この図が、『言語にとって美とはなにか』に掲載の品詞図(図4 1965年)と大きく違っていることに、動詞の位置が上の方に来ていることがあります。これより前の、『中学生のための社会科』(吉本隆明 2005年3月刊 市井文学株式会社)の中の品詞図も同様になっています。そこで伺いたいのは、

1.吉本さんは、上の娘さんや石関善治郎氏の「吉本隆明略年譜」によると、1996年の水難事故以降視力が悪化したと言われていますが、この掲載の品詞図は吉本さんが直接書かれたものなのでしょうか。つまり、眼の悪い吉本さんが直接書いたとすれば、ミスの可能性はないのでしょうか。

2.1.と関連しますが、編集の方とこの掲載の品詞図に関するやり取りはなかったのでしょうか。

 わたしは、吉本さんの『言語にとって美とはなにか』の基軸となる概念、自己表出と指示表出を自分のものにしようとメモ書きをしている中で気づいたのですが、この品詞図に関する上記の異同を指摘した人を他に知りません。しかし、『定本 言語にとって美とはなにかⅠ』(吉本隆明 角川選書)の中の「わたしたちは形容詞のなかに動詞よりもつよい自己表出性のアクセントを、したがって指示表出性のよりちいさくみえる状態を想定できる。」(P61)から判断しても、明らかに動詞が形容詞より上の方に来るのはおかしいとなります。

 この掲載の品詞図は吉本さんのミスではないのか、もしミスでないならまた考え直さなくてはならないと思っていますので、メールした次第です。お忙しい折とは思われますが、何かご存じであれば教えていただけないでしょうか。よろしくお願いします。


 これに対する返信は、もうだめかなと思った頃、2020年8月27日に株式会社ロッキング・オンのSIGHT編集部からもらいました。この件は公共性があると思われますので、ここに引用して公表させてもらいます。その内容は、以下のようなものでした。


「お問い合わせいただきました
『SIGHT vol.28』に掲載されている吉本隆明さんの品詞図につきまして、
恐れ入りますが、編集部からはミスかどうか判断しかねます。
掲載の品詞図は、吉本さんが考案した
オリジナルのものとしてご提供いただいており、
ご本人サイドに校正いただいたうえで掲載しております。
また、編集部とのやり取りの有無につきましても、
当時の編集者はすでに在籍していないため、申し訳ございませんが分かりかねます。」



 晶文社のホームページにも「お問い合わせ」の窓口があったので、『吉本隆明全集』の編集や解題に関わっておられるのが間宮幹彦氏のようなので、 『吉本隆明全集』刊行係 気付 間宮幹彦 様 宛で以下の内容を2020年8月26日にメールしました。同日に、「このたびはお問い合わせいただきまして、誠にありがとうございます。お問い合わせ内容につきましては、担当の者よりご回答申し上げますので、少々お時間を頂戴します。ご高配いただければ幸いです。」という自働配信メールと思われるメールをもらいましたが、現在までその後の応答はありません。


晶文社 『吉本隆明全集』刊行係 気付
 間宮幹彦 様

 晶文社『吉本隆明全集』の一読者です。
 『吉本隆明全集 3』の「解題」における、従来とは違った『転位のための十篇』の他の詩篇との新しいつながりの提示など、読者にとっては有り難いことだと思っています。
 ところで、『吉本隆明全集 8』の『言語にとって美とはなにか』の「解題」には、以下のことは触れてなかったので、お尋ねします。

 『吉本隆明全集 8』のP58に掲載されている品詞図(図4 1965年)が、『中学生のための社会科』(吉本隆明 2005年3月刊 市井文学株式会社)の中の品詞図、『SIGHT』(VOL28 2006 SUMMER)に吉本隆明「言語論要綱―芸としての言語」として掲載された中にある「図1」の品詞図、この後年の二つと違っています。後年の二つが大きく違っていることに、品詞図の中での動詞の位置が上の方に来ていることがあります。

 わたしは、吉本さんの『言語にとって美とはなにか』の基軸となる概念、自己表出と指示表出を自分のものにしようとメモ書きをしている中で気づいたのですが、この品詞図に関する上記の異同を指摘した人を他に知りません。しかし、『定本 言語にとって美とはなにかⅠ』(吉本隆明 角川選書)の中の「わたしたちは形容詞のなかに動詞よりもつよい自己表出性のアクセントを、したがって指示表出性のよりちいさくみえる状態を想定できる。」(P61)から判断しても、明らかに動詞が形容詞より上の方に来るのはおかしいとなります。

 そこでお伺いしたいのは、

 吉本さんは、上の娘さんや石関善治郎氏の「吉本隆明略年譜」によると、1996年の水難事故以降、視力が悪化したと言われています。あなたには関わりのない出版社や本や雑誌のことで申し訳ないのですが、『中学生のための社会科』と「言語論要綱―芸としての言語」に掲載の品詞図は、吉本さんが直接書かれたものなのでしょうか。つまり、眼の悪い吉本さんが直接書いたとすれば、ミスの可能性はないのでしょうか。八月十七日に、ロッキング・オンのホームページの「お問い合わせ」から、ロッキング・オンの『SIGHT』の「責任編集」者であった渋谷陽一氏宛にこの件を尋ねてみましたが、何も返答はありませんでした。(註.この翌日に返答をもらいましたが、この時点ではまだもらっていませんでした。)
 吉本さん関係の本を編集されてて、また晶文社の『吉本隆明全集』に関わられている間宮幹彦さんは、この品詞図の問題に関して何かご存じではないでしょうか。

 後年の二つの品詞図は吉本さんのミスではないのか、もしミスでないならまた考え直さなくてはならないと思っていますので、メールした次第です。お忙しい折とは思われますが、何かご存じであれば教えていただけないでしょうか。よろしくお願いします。
 八月二十六日





追記 2021.01.22


 メモ2020.08.08 ―自己表出と指示表出へ ⑦  疑問点を考える 第三回

追記 2021.01.23


 最初に刊行された『言語にとって美とはなにか』に掲載されている品詞図(図4 1965年)、これと違う『中学生のための社会科』(2005年3月刊 )の中の品詞図と『SIGHT』(VOL28 2006 SUMMER)に「言語論要綱―芸としての言語」として掲載された中にある「図1」の品詞図、この両者の間の違いについて再び考えてみる。

 吉本さんの講演A164「心について」(「吉本隆明の183講演」ほぼ日刊イトイ新聞)の「講演のテキスト」を読んでいたら次のような箇所がった。これは後者寄りの年代ではあるが、上の両者の品詞図の間になされた講演である。


4 内臓から発せられる言葉――自己表出(引用者註.これは小見出し)

 そうしますと、心の働きというのは、内臓の働きだということになります。
 そういうことがわかって、自分にとって役に立った――役に立ったというより俗な言い方をすれば得したぞと思ったのは、ぼくは自分なりにつくった言語論というのがあるわけです。その言語論で、言葉というのは指示表出――何か対象を見てそのあげくに出てくる言葉の面――と、もうひとつ叫び声のように声が出ちゃうという言葉の面を自己表出と言います。人間の言葉というのは指示表出と自己表出というところからなりたっている。その組み合わされたものが言葉だという考え方をしてきたわけです。
 たとえば、人間の手とか顔とか足というような名詞というのは、指示性が強い言葉で、自己表出性は影に隠れています。動詞みたいに何もイメージは起こらなくても動きだけを伝える言葉は、自己表出性が全面に出てきて、何かを指すという作用が少なく出てきたというのが動詞です。形容詞というのはその中間で、美しいなら美しいという形容詞は、確かに対象を見ていなければ美しいかどうかわからないんですけど、指示表出性もあるんだけど名詞とは違うので、自己表出性も入っていて、半々なら半々になって出てくるのが形容詞みたいなものなんだという解釈にぼくらの言語論だとなります。
 名詞を一方の端にして一方の端を動詞にしますと、後形容詞とか助動詞とか助詞――「の」という助詞は何もイメージを浮かばせない自己表出性が前面に出てきて指示表出性が後ろ側に退いちゃっているのが助詞みたいなものです。「の」とか「は」というのは何も指示しないんだけど言葉には違いないんです。
 そういうふうにしますと、名詞の(ママ 「を」か)一方の端、動詞を対照的な端としますと、その中間に形容詞から助動詞、助詞、副詞みたいなものまでぜんぶ入ってきて、そのかに(ママ)微差ですけれども自己表出性の微妙な差異というのが人間の言葉をつくっているという考え方になります。
 そういうふうに考えてきましたけど、三木さんの考え方というのを数年前にあれしまして、結局心の働きから出てくる言葉を自己表出的な言葉というふうに考えればいいんじゃないかということにはじめて気がつきました。おれは漠然と、言葉は自己表出と指示表出から出ている、その交差したものが言葉だと考え方を出してきたけど、身体的・生理的に言えば、心の働き、内臓器官の働きに関連する表現の仕方というのが自己表出であって、そうではなく感覚器官の働きに関連する言葉の働き方が指示表出なんだと考えれば、これは身体的・生理的基礎というのはおれの考え方に根拠を与えるんじゃないかとはじめて気がつきました。
 ぼくらはそういうことでいちだんと自分の考え方が広がったように思って、とても役にたったんです。びっくりすることばかり、三木さんのことを読むとたくさん書いてありまして、内臓器官の感覚というのが、心の働きと考えれば非常にわかりやすい。もちろん現実的には両方が入り交じって出てくるわけで、どちらかが多いかということに過ぎないんですけれど、そういうことです。
 そうすると、心というのはそういうふうに位置づけること、意味づけることができるということになって、いろんなことがわかるように思えてきました。
 (「心について」講演日時:1994年9月11日 収載書誌:筑摩書房「ちくま」1995年1月号、2月号)



 この中の「そういうふうにしますと、名詞の(ママ 「を」か)一方の端、動詞を対照的な端としますと、その中間に形容詞から助動詞、助詞、副詞みたいなものまでぜんぶ入ってきて、そのかに(ママ)微差ですけれども自己表出性の微妙な差異というのが人間の言葉をつくっているという考え方になります。」という言葉は、品詞図で動詞が形容詞より上にあるという後者の品詞図に対応する説明になっている。
(この部分は、筑摩書房「ちくま」1995年1月号の文章を載せている『吉本隆明資料集130』の「心について(上)」の文章では、次のようになっている。)

 そうしますと、名詞を一方の端にして、他方の端を動詞としますと、その中間に形容詞から助動詞、助詞、それから副詞みたいなものまで全部円になって入ってきます。そのなかに指示表出性と自己表出性の微妙な差異があってことばをつくっています。(P105)


 ところで、前者の品詞図(図4 1965年)についての説明をもう一度引用すると次のようになっていた。それは、品詞図で形容詞が動詞より上にあることになる。


 わたしたちは形容詞のなかに動詞よりもつよい自己表出性のアクセントを、したがって指示表出性のよりちいさくみえる状態を想定できる。
 (『定本 言語にとって美とはなにかⅠ』角川選書 P61)



 以上のことから、これまで述べてきたように前者の品詞図と後者の品詞図は矛盾するものであることは確かである。(「メモ2020.08.08 ―自己表出と指示表出へ ⑦」に引用している二つの品詞図で確認できる) そして、その矛盾の原因として、目も悪くなった吉本さんのミスかもしれないと前に述べたことは、今回の講演「心について」の中のその言葉の存在によって、退けなければならないことになる。

 前者の品詞図と後者の品詞図、さらにそれぞれと対応する吉本さんの説明は明らかに矛盾する。したがって、ここには、このメモの①で取り上げた、『言語にとって美とはなにか』の自己表出と指示表出という基本概念をマルクスの『資本論』の経済概念である使用価値と交換価値にそれぞれ対応させてきたことが、途中からそれぞれの対応が逆の対応に変化させたこと、それに似たなんらかの思考の深まりなり変更なりがあることは確かである。簡単にわかりそうにもないので、そのことの検討はまた別の機会にしたい。





追記 2021.02.03

 メモ2020.08.08 ―自己表出と指示表出へ ⑦  疑問点を考える 第三回

追記 2021.02.03


 この品詞図の変更に関わる吉本さんの関係する言葉が他にないかなと思って、何度か目を通したことがある『日本語のゆくえ』(吉本隆明 光文社 2008年1月30日)に目を通した。もしここに品詞図が掲載されているならば、年代的に見て変更された品詞図のはずである。しかし、古い方の品詞図が掲載されていた。

 この本は、吉本隆明さんの「芸術言語論」というテーマでのビデオ収録がもとになって構成された本である。宿沢あぐりさんのとても詳しい『吉本隆明年譜』に何か記述がないかと見たら、以下のようなことがあった。


 この本のもとになる吉本隆明「芸術言語論」のビデオ収録日程
第一回(二〇〇六年一一月二八日)
第二回(二〇〇六年一二月九日)
第三回(二〇〇七年一月二〇日)
第三回(二〇〇七年二月六日)
第三回(二〇〇七年三月一日)
 (宿沢あぐり「吉本隆明年譜(22)」より抜き書き 『吉本隆明資料集189』猫々堂)



 なぜこれを当たったかというと、『日本語のゆくえ』という本の刊行が2008年1月ということで、本文がその辺りに書かれた(語られた)ものと推測されるが、品詞図の判断のために吉本さんの最初の講義の正確な期日を知りたかったからである。

 また、『日本語のゆくえ』の吉本さんの「まえがき」には、松崎之貞氏が編集に関わったとあるので、以前読んだ松崎之貞『「語る人」吉本隆明の一念』(2012年7月刊)という本を見ていたら、『日本語のゆくえ』に関することが書いてあった。その本の「はじめに」に自分が関わった本について次のように述べてある。

◆『日本語のゆくえ』:二〇〇八年一月、光文社刊。
 本書の元になったのは東京工業大学・橋爪大三郎教授が企画した、吉本さんの母校におけるビデオ講義「芸術言語論」。ビデオの収録は、二〇〇六年暮れ近くから翌年三月にかけて、橋爪教授と東工大「世界文明センター」フェローの田中理恵子さん(詩人・水無田気流)が吉本宅でおこなった。そのビデオをわたしがまとめ、吉本さんのチェックを受けた。


 さらに、本文中には「『日本語のゆくえ』始末」として、上に「吉本隆明年譜」から抜き書きしたものより詳しいビデオ講義収録の日程・内容が書かれている。


第二回収録:二〇〇六年十二月十九日
【主題】:『共同幻想論』『言語にとって美とはなにか』再読Ⅰ
【内容】:指示表出と自己表出の再考/言語の芸術的価値(「省略」「名詞」「助詞」等の問題)/自然哲学の前提と言語/今日「世界視点」としての視座はどのような様態であるのか? (P165)



 この内容から考えて、『日本語のゆくえ』P79に掲載されている品詞図は、第二回(二〇〇六年一二月九日)に関わるものと思われる。そうして、「こうして収録されたビデオを田中から借り受け、それを原稿のかたちにまとめ上げ、吉本のチェックを受けて『日本語のゆくえ』はできあがった。」(P167)とある。

 では、問題は、『日本語のゆくえ』P79に掲載されている品詞図(『改訂新版 言語にとって美とはなにかⅠ』角川文庫より)は、以下に記している「1.」の『定本 言語にとって美とはなにか』P61の第4図 (1965年)と同じものだが、吉本さん本人による掲載か、あるいは編集陣によるもので吉本さんはタッチせず、その部分のチェックもしていないか?「1.」から「2.」への吉本さんの品詞図の変更を考えると、後者のように思える。

 というわけで、光文社のホームページに「お問い合わせ」窓口があったので、以下のように尋ねてみた。字数が1000字以内ということから、少し挨拶文などを削っている。


2021.1.27
件名
吉本隆明『日本語のゆくえ』(2008年1月)のP79の品詞図について

 私は、吉本さんの『言語にとって美とはなにか』の基軸概念である「自己表出」と「指示表出」をたどっています。その過程で、以下の1と2の品詞図では特に動詞の位置が変更になっていることに気づきました。

1.『定本 言語にとって美とはなにか』P61の第4図 (1965年)の品詞図
2.『中学生のための社会科』P55 2005年3月1日
  『言語論要綱―芸としての言語』図1 2006年 SUMMER (「SIGHT」VOL28 ロッキングオン)

 そして、2の次に当たる年代の貴社発行の『日本語のゆくえ』(2008年1月)のP79に品詞図(『改訂新版 言語にとって美とはなにかⅠ』角川文庫より)が掲載されていますが、これは変更された2からのものではなく、上の1と同じものになっています。私は目下、吉本さんが、1→2へ変更した理由を考えているのですが、そのことによって少々混乱しています。

 そこで、吉本さんの『日本語のゆくえ』について1件お尋ねしたいことがあります。同書の吉本さんの「まえがき」に、「この稿本を作成された光文社の新海均さん、檀將治さん、編集者の松崎之貞さん」という言葉があります。松崎之貞氏の『「語る人」吉本隆明の一念』を見ると、「こうして収録されたビデオを田中から借り受け、それを原稿のかたちにまとめ上げ、吉本のチェックを受けて『日本語のゆくえ』はできあがった。」(同書 P167)とあります。この文章で、吉本さんのチェックが入っていることはわかりましたが、私が知りたいのは『日本語のゆくえ』のP79に品詞図を掲載したのは吉本さん本人か編集の方かということなのです。私は、編集の方が吉本さんの語る話の内容に合わせて配慮して掲載されたのではないかと考えています。ただ、眼を悪くされていたといっても吉本さんのチェックが入っているということで、チェックする吉本さんが昔の品詞図ということに気づかれなかったのかな等の疑問はあります。

 ということで、『日本語のゆくえ』のP79に品詞図を選択・掲載したのは吉本さん本人なのか、編集の方なのかということ、あとその品詞図についての両者のやり取りなどがありましたら教えていただけないでしょうか。すでに、編集の方たちは貴社を退職されていると思いますが、私からは連絡を取りようがないのでこちらの「お問い合わせ」窓口に参りました。


 2月1日に、すばやい返信をもらった。短いメールだが、その関係部分は以下のようであった。


お尋ねの件につきまして、当時の担当者で連絡のつくものに確認しましたところ、
以下の回答がございました。

「ここにありますように、講義録ですから、テープ起こしをして、吉本先生に見てもらうというかたちでした。講義のなかに、『言語にとっての美とはなにか』の言及があったので、
その本(たしか角川文庫だったような)から図版を引き写したように思います。
なので、他社の本により1→2になった理由はわかりかねます。
元が間違っていたのか、吉本先生の意図による変更か、出版社による改稿か。
吉本先生が文字を読みにくくしていたのは、その様子からうかがい知れました。」



 光文社の方が、わざわざ当時の担当者に連絡を取ってくれたこと、そしてその方からの話ということになる。最後の一文は意味がよくわからない。また吉本さんがその品詞図をチェックしたかどうかもわからないが、少なくとも編集の方が、配慮して品詞図を持ってきて掲載したらしいことはわかった。

 ともかく、『日本語のゆくえ』では品詞図の問題の他に、品詞図に関する説明もあるのだが、以下のように「自己表出が最も強いものからいえば、感動詞、助詞、助動詞・・・・・・」となっていて次の肝心の部分が語ってない(書いてない)から変更された品詞図に対応する説明の文章であるとまでは言えない。


 ぼくはそうした三浦さんや時枝理論の達成を踏まえて、芸術としての言語論をそのまま拡張していけば芸術論一般に適用できるのではないかという考え方に立って『言語にとって美とはなにか』に取り組んできました。
 ただし三浦さんのようには考えないで、文法学者のいう品詞の区別にもとづいて考えていきました。そしてどうしたかというと、まず、自己表出と指示表出の度合いに応じて品詞を構造化してみました。
 自己表出が最も強いものからいえば、感動詞
(註.1)、助詞、助動詞・・・・・・となって、逆に指示表出の度合いが強いのが名詞、代名詞・・・・・・となっていく。そういうふうに品詞全体が意味の系列をなしている。
 (『日本語のゆくえ』 P78)



 吉本さんが存命だったら、聞けば簡単にわかることが、今頃になってこれに取り組むわたしには残念というほかない。しかし、この人間社会ではそのような人と人との出会いの遅れやすれ違いはよくあることだ。これはこれで、ようやく腰を上げたわたしの旅であり、どこまでたどれるかは心許ないが、吉本さんの(言葉の)旅をたどる旅になっている。行けるところまで行こうと思う。

(註.1)
取り立てて取り上げるべきこととは思えないささいなことではあるが、気にとまったので付け加えておく。最初の品詞図では、「感動詞」になっており、変更された二つの品詞図では「感嘆詞」と変更されている。どちらも同じ意味ではあるが、ここの文章では最初の品詞図に用いられた「感動詞」の方が使われている。








 メモ2020.08.13 ―自己表出と指示表出へ ⑧ 疑問点を考える 第四回


 今回は、吉本さんの『言語にとって美とはなにか』に対する疑問点というよりは、表現の空間で意識が言葉を次々に捉えていくということ、すなわち人が言葉を表現する過程は大まかにはどうなっているのだろうという疑問を考えてみたい。
 言葉というものをどう捉えるかについて吉本さんが語っている。表現としての言葉を扱った『言語にとって美とはなにか』の舞台の根幹の問題を取り上げている。


吉本 
 ぼくは言葉というのは、表現しかないと思ってるわけです。表現されなければ言葉はないと思うわけね。だから、ぼくが言葉って言うときの言葉は、表現された言葉になるんですよ。


 ぼくの論理で、言葉っていう場合には、表現された言葉っていうふうになるんです。表現された言葉っていうのは、何が違うかっていいますと、表現する途端に内部ができるということだと思うんです。つまり、内部がここにあって、言葉が何か言われるっていうことは、ほんとは全く嘘だと思うんですけど、しかし、表現された言葉っていうのができたときに、同時に内部ができるっていう、そういう対応の仕方になると思うんです。


表現された言葉だけが問題なんで、表現された言葉というのがあると、言葉を表現した途端に、反作用で、自分は言葉から疎外され、疎外された分だけ内部がそこに生じる。なぜ内部が持続的に生ずるように見えるかっていうと、そういうことを人間は繰り返しているから、何となくいつでも同じ内部が子供のときからずーっと連続しているみたいな気にさせられるわけです。それは全く幻想なんだけども、どうしてその幻想が生ずるかっていったら、やっぱり表現する途端に内部ができるから。表現しなければ内部なんかないんだけど、途端に内部ができるみたいな、そういう対応関係があるところで、内部と言葉っていうものとの関係が出てくるというところで扱いたいわけなんですよね。


 ぼくは、内部っていうのが持続的、実体的に人間にあるっていうふうにちっとも考えてないんですけれども、言葉を表現した途端に内部は生ずるものだ、同じ言葉を何回も発してると、内部がいかにも形あるように見えちゃうもんだよっていう意味合いで、内部というのを問題にするわけなんです。
(「内なる風景、外なる風景」(後編) 鼎談 吉本隆明・村上龍・坂本龍一
 月刊講談社文庫『IN★POCKET』1984年4月号)
 ※上記の二行空き部分は、中略部分です。



 わたしたちが、ふだんそこまで考え及ばないようなことが語られている。人間の内面や内部という言葉をわたしもよく使ってきたが、そこまで掘り下げて考えたことはなかったが、実感としてなるほどねとわたしには思われる。
 では、そうやって表現される言葉を場面とともに考えてみる。
 まず、わたしたちが言葉で内心かんがえたり、言葉を語ったり(話し言葉)、言葉を書き付けたりする(書き言葉)時、わたしたちはそれぞれの表現空間に瞬時に(自然に)入り込んでいる。これが一般にギクシャクしたものではなくシームレスに見えるのは、わたしたちが小さい頃からくり返してきてなじんでいるからにほかならない。そして、この場合の「表現空間」とは、時代的なある水準を持った言語空間である。それは吉本さんの言葉によれば、次のようなものである。


ある時代または社会には、言語の自己表出と指示表出とがあるひとつの水準を、おびのようにひろげているさまが想定される。そしてこの水準は、たとえばその時代の表現、具体的にいえば詩や小説や散文のなかに、また、社会のいろいろな階層のあいだにかわされる生活語のなかにひろがっている。
 (『定本 言語にとって美とはなにかⅠ』P44 吉本隆明 角川選書)


 ある時代のひとつの社会の言語の水準は、ふたつの面からかんがえられる。言語は自己表出の面から、わたしたちの意識にあるつよさをもたらすから、それぞれの時代がもっている意識は言語が発生した時代からの急げきなまたゆるやかなつみかさなりそのものにほかならない。また、逆にある時代の言語は、意識の自己表出のつみかさなりをふくんで、それぞれの時代をいきてゆく。しかし指示表出としての言語は、あきらかにその時代の社会、生産体系、人間のさまざまな関係、そこからうみだされる幻想によって規定される。しいていえば、言語を表出する個々の人間の幼児から死までの個々の環境によっても決定的に影響される。またちがったニュアンスをもっている。こんなふうに言語にまつわる永続性と時代性、または類としての同一性と個性としての差別性、それぞれの民族語としての特性などが、言語の対自と対他のふたつの面としてあらわれる。言語の表現である文学作品のなかにわたしたちがみるものは、ある時代に生きたある作者の生存とともにつかまえられて、死とともに亡んでしまう何かと、人類の発生からこの方、つみかさねられてきた何かの両面で、これは作者が優れているか凡庸であるかにかかわらないものだ。
 みやすいことだが、このばあい言語の表現を自己表出の面でつよめた文学表現と、指示表出の面でつよめた生活語との水準をひとつの線でつなぐことはできない。  (『同上』P45)


 わたしがここで想定したいのは、・・・(中略)・・・言語が発生のときから各時代をへて転移する水準の変化ともいうべきもののことだ。
 言語は社会の発展とともに自己表出と指示表出をゆるやかにつよくし、それといっしょに現実の対象の類概念のはんいはしだいにひろがってゆく。ここで、現実の対象ということばは、まったく便宜的なもので、実在の事物にかぎらず行動、事件、感情など、言語にとって対象になるすべてをさしている。こういう想定からは、いくつかのもんだいがひきだされてくる。
 ある時代の言語は、どんな言語でも発生のはじめからつみかさねられたものだ。これが言語を保守的にしている要素だといっていい。こういうつみかさねは、ある時代の人間の意識が、意識発生のときからつみかさねられた強度をもつことに対応している。
 ・・・(中略)・・・ある時代の人間は、意識発生いらいその時代までにつみかさねられた意識水準を、生まれたときに約束されている。これとは反対に、言語はおびただしい時代的な変化をこうむる。こういう変化はその時代の社会のさまざまな関係、そのなかでの個別的な環境と個別的な意識に対応している。この意味で言語は、ある時代の個別的な人間の生存とともにはじまり、死とともに消滅し、またある時代の社会の構造とともにうまれ死滅する側面をもっている。  (『同上』P46-P47)


さきに、それぞれの時代はある言語水準をもっており、それは、各時代とともに、またそのなかの個々の人間とともにうまれ、変化し、亡びる側面と、意識発生いらいの意識体験のつみかさなりという面をふたつながらもつとかんがえた。   (『同上』P93)



 以上のような時代的なある水準を持った言語空間を踏まえて、今、その言語空間に立つ〈わたし〉とその言葉の表現を考える。それを『言語にとって美とはなにか』(1965年)の「第5図」(これは意味と価値の説明ではあるが)を借りて図示してみる。




 これは、現在を生きる人が、言葉を表現しようという意識の状態になった時に、自然なように向かう、あるいは呼び込まれる表現の空間であり、それは時代的な水準を持ったものである。
 次にそうした表現の空間で、意識が具体的に言葉を把捉し、言葉(文)を構成していく過程を大まかに図示したものが以下の図である。




 この「私はとてもうれしかった。」と言う言葉の発語(表現)の過程をたどってみる。これを品詞に分解すると、「私/は/とても/うれしかっ/た。」となる。各品詞の品詞名は、上図の中に記したものになっている。この言葉の表現の過程を分解的に見れば、各品詞の①から⑤まで、

 意識 → 言葉「私」 → 意識 → 言葉「は」 → 意識 → 言葉「とても」 ・・・・・・

という経路をたどっている。しかし、わたしたちは小さい頃から話し言葉や書き言葉をくり返し使ってきてなじんでいるから、一般にこれらの過程はシームレスで自然なものとなっている。あたかも言語面で次々に言葉がつなぎ合わされているような感じがする。しかし、分解的に見れば上記の過程を踏んでいるはずである。外国語を習いたての場合を考えてみればわかるように、外国語の表現にまだ不慣れな場合は、それらの過程がたどたどしいものになる。つまり、意識→言葉①→意識→言葉②・・・・・・が時間がかかったり、途中で途絶えたりすることがある。
 それから考えれば、言葉の表現にかかる時間は、生理的な過程の反応速度も当然に関係しているはずであるが、それよりも幻想的な精神過程の了解や判断や迷いなどに大きく左右されているような気がする。

 ここでは、〈私〉が表現しようとして表現の空間に瞬時に入り込み、言葉を表現する過程を短い言葉を例にたどってみた。意識は、瞬時に言葉を次々に把捉して連結していくように見える。一般的には、言葉の経験を重ねてきた意識は、言葉に憑かれたように言葉を把捉しつなげていく。表現の空間という舞台で励起された意識は、言葉を把捉しながら意識の波紋を放ち重ねていく。それが言葉の表現の過程にドラブを掛けるような気がする。

 わたしたちは、日々話したり書いたりしている。そのことを言葉として取り出してはっきりと説明できなくても、それ自体を生きている。それでも、その過程がはっきりと明らかになった方がいい。そのことが、言葉にまつわる秘儀みたいなものや迷妄を払拭するからである。このようなはっきりさせたいというわたしたちの欲求は、言葉に限らず止むことはないだろうと思う。







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