吉本隆明超略年譜
この超略年譜は、石関善治郎氏の「吉本隆明略年譜」から抽出させてもらっています。 もっとていねいな略年譜が見たいときには、『吉本隆明全集』を刊行している晶文社の ホームページに掲載の石関善治郎氏の「吉本隆明略年譜」を利用されたら良いと 思います。 また、さらにていねいで詳しい年譜として、『吉本隆明資料集』に目下連載されている 宿沢あぐりさんの「吉本隆明年譜」があります。 |
1924(大正13)年 誕生。
1934(昭和9)年 十歳
この年、深川区(現・江東区)門前仲町の今氏乙治の学習塾に入る。
1937(昭和12年)年 十三歳
4月 東京府立化学工業学校応用化学科に入学する。
1942(昭和17)年 十八歳
4月 米沢高等工業学校応用化学科(山形県米沢市)に入学。
1944(昭和19)年 二十歳
10月 東京工業大学電気化学科に入学。
1945(昭和20)年 二十一歳
1947(昭和22)年 二十三歳
9月 東京工業大学電気化学科を卒業。以後、幾つかの中小工場で働く。
1949(昭和24)年 二十五歳
4月 「特別研究生」の試験を受け、母校・東京工業大学に戻る。有給で二年間の
研究生活を送る。
1951(昭和26)年 二十七歳
4月 東洋インキ製造株式会社に入社。
1952(昭和27)年 二十八歳
8月 父・順太郎に資金を借り、詩集『固有時との対話』を自費出版。
1953(昭和28)年 二十九歳
4月 東洋インキ労働組合連合会会長および青戸工場労働組合組合長となる。
1956(昭和31)年 三十二歳
7月頃より黒澤和子と同棲。
8月 長井・江崎特許事務所に入所。
1957(昭和32)年 三十三歳
5月 黒澤和子と入籍。
1960(昭和35)年 三十六歳
6月 六〇年安保闘争の六・一五国会抗議行動で逮捕、二晩留置される。
1961(昭和36)年 三十七歳
『試行』創刊(発行日・九月二十日)。「言語にとって美とはなにか」の連載開始。
1963(昭和38)年 三十九歳
11月 熊本・福岡での講演の合間に、初めて父母の郷里・天草を訪れる。母の
実家を尋ね、父の従兄弟に会う。
1968(昭和43)年 四十四歳
4月 父・順太郎死去(行年七十五歳)。
12月 『共同幻想論』(河出書房新社)刊。
1969(昭和44)年 四十五歳
10月 十三年間勤めた特許事務所を退職。
1971(昭和46)年 四十七歳
7月 母・エミ死去(行年七十八歳)。
1976(昭和51)年 五十二歳
10月 『最後の親鸞』(春秋社)刊。
1980(昭和55)年 五十六歳
6月 佐賀市での講演の後、天草を再訪する。のちに詩集『記号の森の伝説歌』
(角川書店)となる、連作詩の取材の旅。
1984(昭和59)年 六十歳
7月 『マス・イメージ論』(福武書店)刊。
1987(昭和62)年 六十三歳
9月 イベント「いま、吉本隆明25時―24時間連続講演と討論」を中上健次、
三上治と主催。(東京・品川の倉庫)
1996(平成8)年 七十二歳
8月 家族と夏の休暇を過ごす西伊豆土肥海岸で、遊泳中に溺れる。
この事故の後、持病の糖尿病の合併症による視力・脚力の衰えが進む。
以降、読み書きは虫眼鏡、電子ルーペ、拡大器を用いるなど努力を要し、
著述は、口述やインタビュー後にゲラ刷りを校正する方法が多くなる。
脚力・体力の回復のため自分流のリハビリに取り組む。
1997(平成9)年 七十三歳
『試行』74号を以て終刊(発行日・十二月二〇日)。
2006(平成18)年 八十二歳
5月 『老いの超え方』(朝日新聞社)刊。
2008(平成20)年 八十四歳
7月 昭和女子大学人見記念講堂で「芸術言語論―沈黙から芸術まで―」を講演。
(「ほぼ日刊イトイ新聞10周年記念講演」)。
2009(平成21)年 八十五歳
9月 花巻市主催第19回「宮沢賢治賞」受賞。贈呈式に赴き受賞記念講演。
2012(平成24)年 八十七歳
1月22日 発熱のため日本医科大学付属病院に緊急入院。以後同病院で加療。
3月16日(十五日深夜)肺炎により死去。行年八十七歳。