ア行

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横超 308 悪人正機
69 異常 310 今に生きる親鸞
70 異常 325 ある思い
83 安保闘争 326 遊び
84 遠隔対称性 346 息苦しい労働概念
106 <アジア的>という概念 358 江藤淳
107 アジア的 359 生き神様制度
108 アジア的 360 折口と柳田
125 <アジア的>な思想 361 曖昧さ
126 <アジア的>な思想 379 アジア的専制制度
138 <物質>系の宇宙の起源 387 一種の破局感
149 思い違い
157 映像
176 意志論
185 アジア的共同体
187 アジア的共同体
202 アフリカアジア的日本
207 「アジア的」という概念
208 「アジア的」という概念
216 <歌>の喪失
247 インターネット1
248 インターネット2
249 インターネット3
278 あるべき文体
302 伊東静雄



項目ID 項目 よみがな 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日 抜粋したテキスト
6 横超 おうちょう 親鸞の造悪論 インタビュー 宗教の最終のすがた 春秋社 1996/07/20 宗教の最終のすがた


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親鸞 超越性
項目抜粋
1
@親鸞の概念でいうと、エックハルト的な離脱的な超越性、つまり上昇性というのは「縦超」という概念になります。それに対して「横超」という概念があるんです。この概念はなかなかわかりにくいんです。よくないものからよりよいものへと超越するというばあいは「縦超」というんですが、それと九十度ちがって、そういう縦の超越の相対性といいますか、相対的な超越性をどんどん捨てていく。このどんどん上昇していくというんじゃない一種の超越の仕方を「横超」という。これはすくなくとも信仰概念としては最終の概念なんです。親鸞のばあいには、いつでも縦と横の超越性というのを考えて、横の超越性を重んじる。そういう考え方のなかから、、円環的な、非凡ということは平凡ということに戻るという、そういう概念が出てくるような気がするんです。だから「横超」の方がいいと、親鸞は理念的に言えたんだろうと思います。実際的にじぶんもそういうふうにしたくて、あまり修行とか読経とかをしないで、そんなのはいいんだ、どうってことはないんだと言ったのはそのためだとおもいます。超越性に二つのちがう概念を向けていったところが、親鸞の円環していく問題の核になるんじゃないかという気がします。(P142-P143)
項目抜粋
2





項目ID 項目 よみがな 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日 抜粋したテキスト
69 異常 いじょう 異常性をいかにとらえるか 論文 「看護技術」1968.1 吉本隆明全著作集4 勁草書房 1969/04/25 吉本隆明全著作集4文学論T


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<慣れ>
項目抜粋
1
@人間の精神的な体験の仕方は個人によってさまざまでありうる。また、おなじ個人にとっても心身の状態によって異っていて、それほど一貫性をかんがえることはできない。しかし、人間が精神的な体験を保存する仕方にはある共通性をかんがえることができるようにおもわれる。たとえば、<異常>な事件に出会ったり、<異常>な人間に出会ったりすると、その<出会い>が全くはじめての体験ならば強い衝撃をうけとるにちがいない。その<出会い>が度重なって繰返されると、しまいには別段に衝撃を感じないようになる。わたしたちは通常、このような心的現象を<慣れ>と呼んでいる。(P445)

Aこのような<慣れ>の意識は、その<慣れ>の原因をつくった事柄について人間の精神をどこへつれてゆくのだろうか?そしてこの<慣れ>はいったいどういう構造をもっているのだろうか?(P445)

B<慣れ>は現象的にみれば習慣化(すれっからし)のようにかんがえられるかもしれないが、本質的には全くちがっている。
<慣れ>において人間はその対象を心的に繰込むことによって内在化し、いったん内在化された対象はすでに外的な対象といえども外的な対象の条件を失うために、人間は心的な対象を<遠隔>に移して択ぶようになる。これが<慣れ>の本質的な過程であり、この過程に関するかぎり、人間の精神は共通性をもつということができよう。(P446)

Cこのように、ある対象について<慣れ>ざるをえない人間は、その対象については<慣れ>をもっていない人間からは<異常>にみえるのではないだろうか?ただ、それが特定の対象について<異常>なだけで綜合的な人格崩壊をまぬかれているために、<異常者>と呼ばないだけである。そうだとすれば、わたしたちがこの世界に分業的に存在することは大なり小なりじぶんを<異常>にさせる原因を背負って生活していることになる。それが全人格に侵入するのを防いでいるのは、ただ人間が別の場面や対象に関しては<慣れ>ない部分をもっているからである。(P446)

項目抜粋
2
Dこのことは、わたしたちに心的な<異常性>というものを測る規準がほんとうは存在しないことを示唆している。つまり、人間は大なり小なり特定の場面で<異常>なのだといえるだけである。心的な<異常>というのは、ただ<異常>そのものに綜合的に<慣れ>た存在を指しているにすぎにいだろう。心的な<異常>にとって<慣れ>の対象は<異常>そのものである。このことはけっして<異常>状態が慣習化しているということを意味しない。そうかんがえるのは現象的な理解にしかすぎない。<異常>そのものを<慣れ>の対象とするというのは、<異常>を内在化してしまったために、すでに<異常>以外のものしか対象になしえなくなったものを指している。だから、どんな極端な内閉性の<異常>者の世界も空虚であることはありえず、異常な世界を正常な世界として豊富にもっているとかんがえることができる。
(P446-P447)



項目ID 項目 よみがな 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日 抜粋したテキスト
70 異常 いじょう 異常性をいかにとらえるか 論文 「看護技術」1968.1 吉本隆明全著作集4 勁草書房 1969/04/25 吉本隆明全著作集4文学論T


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項目抜粋
1
@ここでわたしたちは、ある対象についての<慣れ>は、その対象について<慣れ>ないものにとって<異常性>とみえると定義しておこう。すると、わたしたちは<異常性>を測るべき規準をどこにももっていないことに気がつく。ただ、ある人間は別の人間にとって<異常>であるといいうるだけである。・・・・つまり、職業的人間の数だけ<異常>が存在するわけで、いいかえればある人間にとって他の人間は大なり小なり<異常>であるというのが、この世界の成立ちの根源のところに存在しているものである。
(P448-P449)
Aこの<異常性>という概念がこうむる多角的な相対性は、これ以上かんがえを進めてもつき破ることができないものだろうか?どこにも<異常性>を測る規準は存在しないのだろうか?
 この規準をみつけだすための可能性はおそらくただ一つ存在している。それは、<慣れ>ているにもかかわらず<慣れ>ていないという矛盾した条件を具えた対象相互の関係を見つけだすことである。これをいま規準となる<座>と呼べば、この<座>の条件を充たすもののうち少くとも一つは人間の<身体>に対する<精神>という相関の<座>である。(P449)

Bいま、この<わたし>の<精神>が<わたし>の<身体>を意識するばあいに起る抽象を了解の時間性と呼ぶとする。このばあいの抽象が実在の次元からどの位の度合いのものであるかは問わないとしても、<わたし>の<精神>が<わたし>の<身体>を意識するばあいの抽象度であるから、この<わたし>を<きみ>や<かれ>という個体におきかえても質的には共通のものであると見做すことができる。
 
Cつぎに、<わたし>の<精神>が感官を用いて<わたし>の<身体>を意識したとする。たとえば、<わたし>は眼で<わたし>の<身体>をみた。・・・・いいかえれば、<わたし>の<精神>は<わたし>の<身体>を視覚的対象とした。・・・・そして、<わたし>の<精神>はしだいに視覚を離れて<わたし>の<身体>の内臓の調子について思いめぐらし<わたし>の<身体>の全体的な状態をこうであると把握した。このばあいの<わたし>の<精神>と<わたし>の<身体>との関係を、規範(関係づけ)の空間性と呼ぶとする。これもまた、<わたし>の<精神>の<わたし>の<身体>にたいする関係であるから、<わたし>を<きみ>や<かれ>という個体におきかえても質的な共通性をもつとかんがえることができる。(P450)


項目抜粋
2
Dこのような考察は、わたしたちにつぎのような結論を許しているようにみえる。<わたし>の<精神>の<わたし>の<身体>にたいする了解の時間性と規範(関係づけ)の空間性は、個体に関するかぎり質的な共通性をもっているということである。そこでわたしたちは、<正常性>と<異常性>をつぎりように定義することができる。
 
人間がじぶんの<精神>の<身体>にたいする了解の時間性と規範(関係づけ)の空間性において質的な共通性をもつばあい<正常>と呼び、質的な共通性を欠いているときに<異常性>と呼ぶ。
 もしも、<正常性>や<異常性>がこのように定義されるとすれば、それは社会的な生活を大過なく営んでゆけるかどうかとか、他人からみて<正常>にみえるか<異常>にみえるかとかいうこととは、直接には何のかかわりももたないことになる。しかし、こうかんがえるほかに<正常性>や<異常性>の概念が、いつも
相対的なものにしかすぎないということから逃れる方法はないのである。もちろん、このように定義された<正常性>や<異常性>は、人間が行為の場面、いいかえれば、現実の場面で対象についてかんがえたり行動したり表現したりすると<正常>や<異常>となってあらわれるはずである。しかし、そうあらわれた結果から<正常>や<異常>と判断されるのではなくて、人間の個体のじぶん自身にたいする了解や関係づけの仕方のなかに<正常>や<異常>の根源がおかれるのである。
                                                  (P450-P451)
Eわたしたちは、
人間の精神をおとずれるあらゆる<異常性>の根源は、はじめに<自己>の<精神>の<自己>の<身体>に対する了解の時間性と関係づけの空間性の歪み、障害、毀損に発祥するとかんがえることができる。そして、このような自己の自己に対する了解や関係づけの障害は、人間がひとたび外界にむかって行為するときには<外界>にたいする了解や関係づけの障害となって外化される。(P452)






項目ID 項目 よみがな 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日 抜粋したテキスト
83
安保闘争 あんぽとうそう 情況とはなにか 論文 「日本」1966.2-7 吉本隆明全著作集13 勁草書房 1969/07/15 吉本隆明全著作集13政治思想評論集


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戦争があたえた最大の教訓 「大衆の原像をたえず自己思想のなかに繰り込む」
項目抜粋
1
@わたし(たち)は、安保闘争に「革命」の幻影をえがいたが、それは丸山真男の嘲笑しているように、「革命が成就する」という幻影を描いたのではない。どのようなはげしい政治行動をとろうとも、最大限に見積もって岸政権の打倒・安保条約の破棄という効果しか得られないことを熟知しながら、それをつらぬく幻想として「革命」の幻影を幻影を描いたのである。

A丸山真男のみならず、戦後民主主義者と自称する追蹤者たちは、安保闘争以後の挫折感や敗北感を実質のない心情的なムードのように片付けたがるから、はっきりさせておくが、安保闘争が敗北であり挫折であり、戦後の政治的、大衆的なたたかいの転機であることは厳とした事実である。
 (P355)

B丸山真男がとっている思考法のなかに刻印されているのは、どんな前進的な姿勢でもなく、じつは、知識人の思想的課題であり、また
戦争があたえた最大の教訓である「大衆の原像をたえず自己思想のなかに繰り込む」という課題を放棄して、知的にあるいは知的政治集団として閉じられてしまうという戦前期の様式に復古しつつある姿勢なのだ。
 (P356)

項目抜粋
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84
遠隔対称性 えんかくたいしょうせい 情況とはなにか 論文 「日本」1966.2-7 吉本隆明全著作集13 勁草書房 1969/07/15 吉本隆明全著作集13政治思想評論集


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人間の存在がもっている幻想性としての本質
項目抜粋
1
@幻想対はあくまでも人間の自然な直接関係にねざしており、そのなかで人間は個体的な具体的存在であるほかはない。だが、社会の共同性のなかでは、人間は自己を他者にするほかには、いいかえれば抽象的存在であらしめるほかには存在しえないのだ。それゆえ、<家>または<家族>の共同性と<社会>の共同性との対立は、もし還元するとすれば、人間存在の個体的な具象性と共同的な抽象性との対立に還元される。 (P394)

Aここで、わたしたちは、家族集団がどのように分化し拡大しても、歴史的にいえば氏族的な共同体へ、現実的にいえば村落共同体へ転化することはありえないという問題にであう。なぜならば、そのような分化や拡大は、ただ<家族>の共同的な幻想対に、複雑な媒介関係を挿入するにすぎないだろうからである。もしも、家族集団の集落が社会的共同体をむすぶとすれば、幻想対の共同性が、擬制的であれ<対>としての性格を破られなければならないはずである。そして、このような幻想対を破るものとしての幻想性は、人間の存在にとっても、人間と人間との直の関係にとっても、いわば<遠隔対称性>ともいうべきものである。 (P395)

B幻想性としての<遠隔対称性>というのは、かんたんにいえば、人間の幻想性はかならずその対称性を第二の自然(慣行性)に転化し、その転化した度合におうじてより遠隔へ対称性を移すということであり、人間の存在がもっている幻想性としての本質にねざしている。このような遠隔対称性は、<幻想対>の対称をしだいに血縁以外のものに択ばせるようにした。いいかえれば、媒介として家族の<幻想対>に介入してくるものを対称から排除していったのである。そしてこの幻想対としての人間の存在がしだいに遠隔対称性に移行することは、とりもなおさず逆に経済社会の構成的な空間を、同一の水準と位相にまねきよせたのである。歴史的には氏族制の成立にとって、現実的には村落共同体の成立にとって、<家>または<家族>の幻想対の共同性が、幻想性としての人間の固有性にぞくする遠隔対称化とむすびつくことは必須の要請であった。
 いうまでもなく、民族的な信仰、風俗、習慣の意味は、<家>または<家族>の共同性の本質である幻想対が、それぞれ異種である社会構成によってあらわれる様式にほかならない。(P395-P396)

項目抜粋
2
Cわたしがここでつかった<遠隔対称性>という概念を、<対>としての人間の幻想的共同体がたどる選択の必然的な拡大とみずに、<禁制>としての習俗にむすびつけたのはねフロイトである。(P396)

Dあらゆる共同的な幻想は、それにふさわしい水準と位相をもってあらわれる。このなかで<家>または<家族>の共同性は、もっとも自然なもっとも直接的な人間と人間の関係を基にするために、一種の永続性という仮象をおびてあらわれ、各時代をただ様式的な変化によってくぐりぬけながら、いわば社会的共同性のどんな位相ともちがった貌(幻想対の共同性)によってその本質をつらぬくものとかんがえることができる。(P396)





項目ID 項目 よみがな 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日 抜粋したテキスト
106 <アジア的>という概念 あじあてき 国家と宗教のあいだ 講演 1970.4.29西荻南教会 知の岸辺へ 弓立社 1976/09/30 知の岸辺へ 吉本隆明講演集


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1
@一国の政治権力の問題を追及していても、その地域的特殊性の問題、あるいは歴史的特殊性の問題は、ある操作をほどこせば、時間性の問題、いいかえれば世界史のある歴史的段階のどこかに、はめこんでかんがえ、そして普遍化することができるというように、国家の理論は組み立ててゆかねばいけないとおもいます。そういう理論の組み立て方ができないかぎり、いつまでも、後進国革命至上主義みたいなものと、世界革命、あるいは社会主義国家ブロック至上主義みたいなものに理論的に足をさらわれてゆくほかはありません。(P15)

A沖縄は沖縄の本島独自の、八重山諸島は八重山の、奄美大島は奄美の、そして与論島は与論島、宮古島は宮古島独自の、神話と接続された歴史的時代の記述をもっています。そういう意味あいからいいますと、現在の日本国家が、権力の版図内にあるとかんがえている空間的地域は、実は大小のちがいこそあれ、これらの島の一つ一つを本土と同等に扱う理由しかないといっていいのです。つまり、琉球や沖縄の諸島も、その一つ一つが、やはり本土と同等の国家であるとかんがえてよろしいわけです。そして、そこからなにか普遍性を探ろうとすれば、少しずつちがう、その神話の記述のなかから、共通の要素を見つけ出すことができます。(P16)

Bいまいいました共通性に則して、問題を抽き出してゆくと普遍性につきあたります。その普遍性は、マルクス流にいえば、アジア的生産様式といういわれ方に該当する問題が浮び上ってきます。アジア的生産様式といったばあいの<アジア的>という概念は、マルクスのばあいインドや中国が基礎的なモデルになっています。その意味では地域的特殊性の概念といえるでしょう。しかしマルクスには、<アジア的>という概念が、同時に時間的な、あるいは歴史的な概念に転化しうるイメージがあり、歴史的に<古代的>と称されている段階の以前にあるものと想定されています。このことは重要なことだとおもいます。マルクスのいう<アジア的>という概念は、地域概念であると同時に、時間的あるいは歴史的な概念であって、前古代的な段階に位するというイメージが、明瞭に把れて<アジア的>という言葉が使われているのです。(P17)

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2







項目ID 項目 よみがな 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日 抜粋したテキスト
107 アジア的 あじあてき 共同体論について 講演 1971.5.9西荻南教会 知の岸辺へ 弓立社 1976/09/30 知の岸辺へ 吉本隆明講演集


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1
@おそらく、アジア的、古典古代的、ゲルマン的というふうに類型つけるばあいに、それはひとつには地域的な概念でありますけれども、同時に時間的な概念つまり歴史的な概念でもあります。地域的な概念であるけれども、歴史的な概念としても使えるという意味あいで、共同体を類型つけると、ある意味での普遍性、あるいは一般性をもちうるとかんがえられます。
 そういう普遍性をよくみてみますと、マルクスなどの大きな特徴ですが、具体的なことをいっているようで、また具体的な名称をかぶせているようにみえるけれども、実はある抽象性のレベルをもっていて、たんに具体的なモデルだけでなく、また地域的なレベルだけでなく、歴史的なレベルの類型つけとしても使えるというふうにきちっとなっています。それで、個々具体的にあたってみたばあい、そういう類型つけは成り立たないではないか、という問題はかならずありうるわけです。そういう具体的には例外がありうるという問題について、あえて言及しないというのが、マルクスなどの特徴です。あぶなっかしいことは云わないということです。あぶなっかしいことを云わないということは、ある類型つけが成立する範囲というものがあって、その守備範囲以上のところに拡大していくと、類型つけ自体が、誤謬に転化してしまうということです。(P28)

Aマルクスのそういう類型つけの仕方の基礎、つまり基準になっているのは、土地所有ということです。土地所有の問題がその類型つけの基礎になっています。つまり、自然・経済的な問題が類型つけの基礎になっているわけです。そして、どう対応しているかということで、アジア的、古典古代的、ゲルマン的という類型つけをやっています。そこで、こちらが、その類型つけの仕方から、個々具体的な社会に適用したばあいにどうなるかという問題意識を拒否するとすれば、どこで拒否できるかというと、共同体の類型つけを二重にかんがえなければいけないだろうとおもわれることです。いわば自然・経済的な基準から共同体を類型つけていくという考え方と、それからもうひとつは、例えば、マルクスがアジア的共同体というばあい、大きな特徴のひとつは、共同体の個々の人間、個々の成員は土地の所有者あるいは私有者ではなくて、ただ保有しているにすぎないということです。ほんとうの意味の土地所有者はその共同体のいちばん上にまたがっている首長、君主であって、個々のメンバーは土地の私有者ではなくてただ保有しているだけだということです。けれども、アジア的共同体の範疇にはいる共同体が、国家をつくるばあいに、国家のメンバーはどういうことになるかというと、土地の所有者がメンバーになるわけです。そして、ただ個々の土地を具体的に保有して、生きるから死ぬまでそこを耕しているものは、国家のメンバーになっていかないわけです。

項目抜粋
2
Bアジア的共同体というばあいには、それがそじょうに極端になっていくわけで、共同体の土地の保有者、つまり大部分の人間、共同体のメンバーは、なんら国家を形成しないということです。国家を形成するメンバーは、すくなくとも土地の私有者であるということが、特徴です。ひとにぎりの君主、またはその周辺のメンバーとで国家は形成されるわけです。そして、その共同体に対して、大部分のメンバーは、メンバーでありながら、国家以外のところに存在させられ、国家を構成する要因になっていかないということがあります。
 そうしますと、土地所有を基準にしてかんがえられた共同体という概念は、国家という概念と、かならずしも一致してかんがえることができない面がでてきます。つまり、社会は、そのなかに存在する社会のメンバーが構成するものであり、そして社会の上層に国家があるというような考え方からしますと、共同体の個々のメンバーは、メンバーでありながら共同体が構成する国家に対してはなんら関与していないというか、その関与の度合がまったくちがっているということになります。そういうことで、共同体はイコール国家であるとか、また共同体は国家と同じ大きさであるとか、共同体は国家より大きさが大きいとか、そういうことが一義的にいえないわけです。だから、問題は、共同体というばあいに、もしもあてはめを拒否するとすれば、いちばん問題にしなければならないのは、共同体が構成する国家、あるいは国家の個々のメンバーが、かならずしも共同体という概念と一致しないということです。つまり、共同体と国家とが、かけ離れてしまうという問題が、大きな問題になっていくとおもわれます。(P29-P30)





項目ID 項目 よみがな 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日 抜粋したテキスト
108 アジア的 あじあてき 共同体論について 講演 1971.5.9西荻南教会 知の岸辺へ 弓立社 1976/09/30 知の岸辺へ 吉本隆明講演集


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1
Cわが国のばあいでいいますと、二つぐらいに類型つけあるいは複合つけができます。そのひとつは、ある共同体がありますと、その共同体の首長が、政治的な権力と同時に祭祀権(祭りをする権限)といいますか、共同体の宗教的な象徴といいますか、あるいは宗教的な実行者といいますか、そういう権限を同時にもっている共同体の形というのがかんがえられます。・・・・そこでは、共同体の宗教的な祭祀権が世襲される限り、祭祀権をもっている首長は、じぶんが祭祀を執りおこなう象徴であると同時に、じぶん自身が生神化される、つまり生神として継承されていくというタイプが生れてくるのです。それは奇妙なもので、生神化された祭祀権の所有者は、世襲されていくわけですけれども、ただ実際的な祭祀を執りおこなうばあいには、だいたいその生神というものがじぶん自身ではなくてじぶんの代理者をたてて、代理者を共同体のすみずみまで派遣していって共同体の生産−それは農耕でも漁業でもいいのです−を鼓舞していく、あるいは生産がうまくいくようにというような宗教的な意味つけをやっていく。そしてそのばあいには、かならず代理が派遣されるということになってきます。
(P31-P32)・・・・このばあい、共同体の首長であり、かつ祭祀権の所有者であり、そして生き神であるという人物はたいてい男性です。(P33)【例.鎌倉幕府創設期の源頼朝】
・・・・そういう形の根源はどこにあるのかかんがえますと、それは、さきほど云いましたたいへん古い時代からの祭祀権と政治権とを一身に兼ねそなえたものが共同体の首長であり、それが同時に生神でもあるという古い形であるとかんがえられます。なぜそうなのかといいますと、そういう形の共同体のあり方は、わが国のばあいでは漁業です。つまり、漁業を社会経済あるいは自然経済の基盤とした共同体の古い形を遡りますと、それが、そういうところに存在していた政治的あるいは権力的形態とだいたい似ているわけです。つまり、関東の武家階級がとった形態の遡れる古い形だとだいたいかんがえられるとおもいます。(P36)

Dそれからもうひとつのタイプはなにかといいますと、共同体の首長は、宗教的な権力つまり祭祀権の所有者であるということなのです。共同体の首長が祭祀権だけをもっているばあいには、たいてい女性がおおいのです。それに対して、肉身の弟とか叔父とかが政治的な権力の所有者になって、政治的権力はそういうところがふるう。それで、宗教的な権力だけが共同体の首長によって執りおこなわれるわけです。・・・・その二つの形態が、複合したり、錯合したりして存在しているというふうにおもいます。(P33)

項目抜粋
2
Eそういうこと【一般的な範疇からのあてはめ】を拒否しようとすると、やはり海辺での共同体の構成のされ方と、海辺に住していたものが、内陸にはいって、そこで農耕的な共同体を形成したばあいの共同体の権力の構成の仕方というものを、接続する問題、あるいは複合せしめる観点というものが、当然はいってこなければならないのです。(P37)【海辺から内陸へ移り住むにしたがって、海の神に対する祭りから水神、竜神祭りへと宗教的信仰の対象は転化する】





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125 <アジア的>な思想 あじあてき 良寛詩の思想 講演 1978.09.16 言葉という思想 弓立社 1981/01/30 言葉という思想


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制度的な距離感覚
項目抜粋
1
@良寛が傾倒した道元禅や、老荘や論語は、いずれも低地アジアに起源をもつ古典古代以前的な思想ということができます。大きく世界史的には、<アジア的>な思想です。この<アジア的>思想は古代から近世にいたるまで、日本の制度や文物に大きな影響を印してきました。この<アジア的>な思想について、わたしたちと近世以前の人々とちがった態度がありうるとすれば、そのひとつはわたしたちが、いわば近代の西洋思想の洗礼を受けていることです。そのうえで良寛がみた仏教や老荘や儒教の思想をみることができることです。良寛とおなじ思想を前にして、わたしたちが良寛とちがう理解をもちうるとすれば、そこに由来しています。
 良寛にとって仏教的な思想や、老荘や儒教の思想は、思想としての全世界でありました。それ以外の世界は思想としては存在しなかったのです。わたしたちにとってヨーロッパの思想も、いわば同じ視野のなかに入っています。その世界史的視屋のなかで<アジア的>思想を受けとることができることが、良寛とわたしたちがちがうところであり、またちがわなければならないところなのです。(P78-P79)

Aだから、わたしたちが<アジア的>思想というばあいには、二重の考え方をしなければいけません。ひとつはアジア地域で発生した思想のことです。しかし、中国で発生して日本へやってきた、あるいはインドで発生し、そして中国を通って日本へ渡った思想だとみただけでは、その思想をみたことになりません。その思想をみるためには、もうひとつ古典古代以前の思想、以前の段階にあった思想として、それをみなければ、その思想をみたことにならないのです。それが<アジア的>な古典思想に影響を受けた近世以前の日本の思想家や詩人たちと、わたしたちがちがうところです。わたしたちの見方がちがうところは、それだけのことに帰着します。(P80-P81)

B<アジア的>な制度の特徴は、政治的な権力が制度を敷くばあいに、始めから終わりまで、宗教から法律末端に至るまで、全部じぶんたちの考え方で制度の組み変えをしないことから由来します。それ以前にある共同体の制度を、できるかぎりそのままに温存して、その上に乗っかって政治権力を行使します。つまり既成の制度や習慣や文物に手を加えないのです。手を加えないでその上に支配的な共同体をうわ乗せするのです。いわば以前からあった共同体の頭の部分だけを組織して掠めるのです。それが<アジア的>という制度の概念の世界史的特徴です。(P81)

項目抜粋
2
Cこれらの問題は、日本における隠遁思想、出家思想に大きく関係あることにちがいありません。以前からある共同体の上に、新しい支配の共同体ができ、またその上に新しい支配の共同体ができていっても、以前の底辺にある共同体における制度や宗教や風俗、習慣などは、できるかぎり手を加えないで温存されるとかんがえてみますと、底辺にある共同体で、太古から受け継がれている宗教や制度や民俗みたいなものは、上層の共同体の勢力あるいは制度がどういうふうに変わっても、それとは関係なく保存されるという制度的な距離感覚が根をもつようになります。・・・・底辺の共同体のところで流布されている制度の思想や、古代から受け継がれている伝統的な宗教や習俗は、権力や制度がどう変わっても「帝力吾において何かあらんや」という感性の距離に遠ざかります。それが<アジア的>な古典思想、わが国の隠遁思想の提起する根本的なモチーフになってきます。
 制度以前の<自然>規定が、<アジア的>な制度のもとで遠退く感性と思惟の問題といえましょうか。どんな制度の思想が支配しても、たいして変りばえしないはずだという強固な認識はなぜでてくるか。思想が制度にぶつからないまえに、山川草木にぶつかり、そこに関心が滞留しうるだけの充分な感性の距離をもつ根拠はここにあります。(P82-P83)






項目ID 項目 よみがな 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日 抜粋したテキスト
126 <アジア的>な思想 あじあてき 良寛詩の思想 講演 1978.09.16 言葉という思想 弓立社 1981/01/30 言葉という思想


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未だやってこない近代の痛苦
項目抜粋
1
D荘子、老子、孔子の思想を先入観なしに並べてみますと、こういうことがわかります。老子、荘子は、南中国の思想といったらわかりやすいとおもうのですが、制度に対する考察とか、道徳に対する考察がほとんど皆無ということなのです。つまり、先ほどの言葉でいえば、<原始的>段階末から<アジア的>段階の初期にわたる、そういうところで人間のかんがえ当面している課題を重んじていることがわかります。それが老子や荘子の思想なのです。ここには制度、道徳という思想はむしろないのです。それは排する以前に存在自体がないのです。道徳とか、善悪とか、喜怒哀楽とかいうものはどうしてできてくるのか。それは「天」から逃げようとするからだ。人間が「天」から逃げてきて、人間本位になろうとするから、つまり天地自然から離れて、人間本位になろうとするから、そういう道徳とか喜怒哀楽とか、制度とかいうものが出てくる。それはむしろだめな考え方だ。だから聖人君子の聖人ですが、聖人というのはだめなのだ。むしろ聖人なんかがいるから大泥棒が出てくるのだ。(「聖生れて大盗起る」−『荘子』)とかんがえます。つまり、制度や道徳に対する考察からは、荘子や老子は自由であり、むしろそれが無化される根拠を提示しようとしています。

E孔子には制度に対する考察が道徳に対する考察と一緒に二重に包含されています。人間はどういうふうに道徳に依拠していくべきかというかんがえと、どういうふうに制度に処すべきかというかんがえとが含まれています。それは<アジア的>思想のなかでは、中期ないし後期に位置づけられる思想を多く保存しているからです。制度、善悪、道徳、人格に対する考察が『論語』には多くなされています。・・・・『論語』を読むにはたぶん、この制度と道徳との二つの眼鏡が必要です。言葉が二重性において在るからです。これは『論語』の思想にとって根本的なことのようにおもわれます。・・・・制度的と個人道徳的との両方を、いわば二重の含みをもって読むべき時間に『論語』は位置しているのです。
  (P84-P85)
F<アジア的>という概念のなかで『論語』を読んでいきますと、道徳と制度が未分化であった時代が蘇ってきます。国王はどのように民衆を治めなければならないかというふうな、個人意志としての道徳を、制度的倫理と混融してかんがえていた時代にできあがったものだからです。・・・・
 老荘の思想は南中国で、むしろインドやセイロンに近いところで生れた思想です。そこでは初期の<アジア的>な原理が強く保存されています。制度あるいは道徳以前の<自然>共同体の原理、人間が<自然>意識で生きていた時代の共同体の思想をより多く保存しています。・・・・良寛は道元禅つまり初期仏教禅の思想を放棄したとき、たぶん荘子により多く後半生の支柱を求めたのでしょう。詩人としての良寛を方向づけしたものは、荘子の考え方であったようにおもわれます。荘子の「無為」に解放されてじぶんの若いときからの資質である風光に慰謝するものを追求してゆきました。 
(P85-P86)

項目抜粋
2
G<苦>を歌って詩になるという考え方は、近世にはまったくありませんでした。明治になっても、初期の新体詩にはありようがなく、そこでは花鳥風月と物語の詩があっただけです。良寛にしてみれば、天地との合一や生死の超越を説く道元禅や荘子の思想からもっとも遠ざかった場所で自分というものを凝視せずには、こんな詩は創れないはずです。つまり、仏教禅の生死を超える悟りの世界や、境地からもっとも隔ってしまったじぶんの姿に、ほんとうは良寛は未だやってこない近代の痛苦をみるべきだったのです。
 それは、良寛が堕落したからではなく、虚偽の思想から自ら脱出したからです。病苦を詩に表現するという識知は、良寛が<アジア的>古典思想の迷路のなかで、どれだけ醒めていたかを象徴しています。近代と呼ばないうちに、近代をつかもうとしています。近代的な人間苦、あるいは社会苦に近づくような<苦>の表現をじぶんの病苦をもとにして、じぶんの仏教や老荘の思想からもっとも遠ざかったところで無意識に良寛は表現しました。(P98-P99)

H人間が人間であるということはべつに天地と一体になるからではない。社会の中にあり、制度の中にあり、そして同時に自然の中に在ることから由来するかも知れない。それは<苦>の問題に集約されるかも知れません。良寛が青年期に志した道元禅の思想や老荘の思想からは、だらしなく病苦をうたい、看護の女性をまちこがれる詩をつくることなど、挫折の極地にちがいないでしょう。しかしわたしたちからみると、近代というものの萌芽が、その<苦>を正面に運びこんだこの良寛の詩に在るということになります。(P99)






項目ID 項目 よみがな 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日 抜粋したテキスト
138 <物質>系の宇宙の起源 うちゅうのきげん 宇宙の島 論文 1978.8「新劇」 初源への言葉 青土社 1979/12/28 初源への言葉


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自己意識 地球中心的
項目抜粋
1
【エンゲルス『自然弁証法』にふれて】
@エンゲルスがここで問題としていることはただ宇宙のどのようなまだ到達できない天体や空間での自然現象や<物質>的な諸変化にたいしても充分に適合しうる諸法則を「地球中心的」に見出すことがかのうであること。またそうすることが唯一の方法であることを云おうとしている。そうすることが「地球」の特別あつかいや「地球」上の「自己意識をもった」生物である<人間>の特別あつかいの根拠を次第に<無化>してゆくことになったとしても、だからといって「地球中心的」な自然現象の考究を否認することにならないことを云っているようにうけとれる。けれども示唆するところはさらに拡大され増幅される。絶対的な神学が宇宙の生成と消滅とを「自己意識」を中心にその絶対的な展開から説明しようとしたとしても(未開の神話がそうしているように)そのことが直ちに無根拠ではないことをも示唆している。「地球中心的」であるか「宇宙中心的」であるかはただ自然認識の尺度の問題にすぎないように、「自己意識」を中心に客観的世界を展開するか客観的な実在を中心に「自己意識」の世界を解釈するかはなんら<あれかこれか>の問題とはならない。それらは了解の時間の質と量の差異としてひとしくある認識の球面に位置づけられるだけである。何を「中心」にして対象を解釈するかはどんな時間の質と測度をもって了解するかということを別に云いあらわしているだけである。自然科学の認識はただひとつの自然の客観的な時間をもとに「星雲から人間まで」を理解しようとする。そこでは生物も無生物とおなじように<物質>なのだが、どうして「自己意識」が入りこまないのかといえば自己了解の意識という了解の時間が自然的あるいは<物質>的な実在に帰せられない(自然のなかに場所がない)からで、それが幽霊のように自体で浮遊しているものだからではない。「自己意識」もまた宇宙の自然史のある段階に生成しある段階に消滅する自然(自己矛盾)の所産であることにはかわりない。けれどもここが「自己意識」の諸形態と自然的な実在概念とを結びつけようとする思惟の限界である。(P184-P185)

項目抜粋
2
A物理学者はわれわれの常識にたいして、あるいは自身のなかにある常識的な空間と時間像にたいして熱心に説得しているようにみえる。何をであろうか?おぼろ気にわかることの一つは、われわれが<物質>とかんがえておりそれが「星雲から人間まで」を手ごたえのある実在とさせているものの生成と起源を問うためにならば50億年以前の<時間>と、収縮していて直径が10の9乗qの超高温と、超高圧のもとで輻射ないしは素子としてあった宇宙の<空間>状態以前を考えることは不要だということを説いているらしいことだ。けれどもこのことは同時につぎのことを提起するのではないか?われわれが<物質>とかんがえ<実在>という概念をもって指してきた不動のもののような概念とその実体もまた自体にたいして対象的な存在にしか過ぎないこと。宇宙の起源として導き出されている時間(50億年)の始めもまた自体にたいして対象的なものにしか過ぎないこと。ここでいわれている<物質>系の宇宙の起源は<物質>系の起源に手がかりをあたえる<時間>と<空間>そのものではあっても起源それ自体ではないということが云われようとしているのではないか? (P193-P194)





項目ID 項目 よみがな 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日 抜粋したテキスト
149 思い違い おもいちがい 5思い違い 二極化 逃避 論文 1989.6 言葉からの触手 河出書房新社 1995/07/25 言葉からの触手  河出文庫


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胎内で羊水のなかに浮かんでいるような状態
項目抜粋
1
@わたしが思い違いをする。そしてあなたも思い違いをする。わたしやあなたが思い違いをしやすい主題は、その発想の型がどこかで、じぶんの親たちとの関係に源泉をもつものではないだろうか。べつの言い方をすれば、どこかでじぶんと親たちの関係を想いおこすことを強いられるような主題では、ひとは誰でもしばしば思い違いをやるにちがいないとおもえる。するとその主題はあらゆることにわたり、わたしたちはあらゆることで思い違いをすることがあるのではないか。・・・・親たちとの関係は生涯の思考方法を決めてしまう。だがどこでどう決定されるかは謎にちがいない。思い違いが起こりうる思考、いいかえれば大なり小なり情念と感性が加担する思考では、わたしたちは胎内で羊水のなかに浮かんでいるような状態を、ほんとは理想としてさがしているのだ。べつの言葉でいえば、この世界を羊水のなかにあるかのように思考するのが、いちばん本来的なのだと無意識におもっている。でも実際にわたしたちがやっているのは、過大評価か過小評価であり、有害な結果か有益な結果かであり、美化しすぎるか、卑小化しすぎるかであり、愛しすぎるか憎みすぎるかである。つまり羊水が破れて涸れたすぐあとの記憶の世界みたいに思考しているのだ。(P36-P37)

A思い違いをゆるやかにし、修正をほどこすために、わたしたちがやっているのは、それを源泉にもどすことだ。母胎にもどすことだといってもよい。すると思い違いは、気味のわるいもの、恐怖にかられるもの、馴染まないもの、異郷てきなもの・・・の系列と、気持のよいもの、愉楽であるもの、手馴れたもの、土着的なもの・・・の系列に二極化される。(P38)

Bだから、とわたしは最後に書きとめておく。まだ思い違いの以前にある不安、恐怖、おののきは、べつな意味では精神の覚醒の極限だともいえるのだ。 (P40)

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2







項目ID 項目 よみがな 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日 抜粋したテキスト
157 映像 えいぞう 13映像 現実 遊び 論文 1989.6 言葉からの触手 河出書房新社 1995/07/25 言葉からの触手  河出文庫


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あたらしい形の共感呪術 映像の技術と技芸
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1
@かつて共感呪術のはじめには、狩猟や穀物の収穫の模倣行為を予行すると、じっさい狩りや穫りいれの増収をもたらすと信じられていた。そして信じられたことはその通り実現された(じつは実現されなかったときのことは忘れられ、実現されたときのことだけがことさら大きな記憶になったのかもしれない。)現在、文明はまたぽつりぽつりあたらしい形の共感呪術を、現実化するようになった。わたしたちはしばしば、高層、中層ビルの密集地帯で、窓の外にみえる折り重なった墓標みたいなビルの群れを、これはまるで映像のなかの光景だと錯覚する瞬間がある。ほんとうはこのとき、わたしたちの内部にあるスクリーンに待望された光景が、窓の外の光景と共感しているのだ。もっとはっきりいえば、内部スクリーンに映っているのは、窓の外の実在のビルの折り重なった光景そのものなのだ。こうなればもう、わたしたちがビルの密集を廃墟として予望すれば、実在のビルの密集地帯は廃墟になり、映像のなかの幾何学的な宇宙都市を予望すれば、実在のビルの密集地帯は、宇宙都市になると信じられてくる。問題はわたしたちが廃墟の映像をもつか、宇宙都市の映像をもつか、また未知の驚きと理路を映像に与えられるかどうかなのだ。わたしたちのなかで映像が驚きはじめれば、実在の都市は驚きの空中路をつくりはじめ、映像が理路をもちはじめれば、実在の都市もまた、理路の地下道を走らせるにちがいない。 (P98-P99)

A映像こそすべてだというように、映像の技術と技芸の全分野は、わたしたちに暗示しようとする。その暗示をうけて都市の街区はつぎつぎに密集地から映像化してゆく。しかし平野のなかの人工的な都市では、映像はぎゃくに廃墟だということが起りうる。映像の中身がではなく、映像の技術と技芸そのものがだ。 (P101)

項目抜粋
2
B精神の物象化と物象の精神化とが等価になった街区にいるとき、わたしたちは動物状態から高度な既視状態まで、自在に人工的に心理をつくれるようになっている。つまり環界の内在化と内在の環界化とを自在に操作できるようになった。農と狩猟と漁撈とが動物状態から高度な既視状態までの、どこかの階程に収納されたような都市を、人工的につくれることは、いうをまたないほど現在では確実なことだ。
わたしたちは都市の街区のなかで、映像と現実が交換される価値について、ちがいを無化してしまう作用について、不安で奇妙な、だが遊びのかたちの体験をさせられている。・・・・だがもしかすると、映像と現実の不分明、混合、熔融現象とみえているものは、情景のことではなく時間についての錯視かもしれないのだ。わたしたちの無意識は、現在の都市の街区から胎内の時間を再生することを強いられている。 (P102-P104)





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176 意志論 いしろん 世界認識の方法 論文 1989.6 世界認識の方法 中央公論社 1980/06/10 世界認識の方法


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ヘーゲルの意志論にわたる領域 『言葉と物』
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1
【ミシェル・フーコーとの対談】【通訳者 蓮實重彦】
@ぼくはマルクスがヘーゲルを始末しないで、ヘーゲルの試みた全意志論の体系をそのまま残したことを、大きく問題にしてきたようにおもうのです。
 ぼくはそのエンゲルスの整理づけ、ヘーゲルに対する始末のしかたにはどこか欠陥があるんじゃないか。そしてその欠陥はどういうふうにすれば克服されて、現在もなお生かすことができるだろうかということをかんがえていきました。その意志論の領域をぼくは個人の幻想の領域、そういう言葉を使っているわけですが、また社会史学あるいは民族学でいう家族、親族の領域、またセックスにわたる領域、そういうものを対なる幻想の領域、それから共同の幻想にわたる領域とに相として分離することが重要な課題じゃないかとかんがえていきました。ぼくはそういうふうに分離することで、マルクスがヘーゲルを始末しなかったところを生かすことができるんじゃないかとかんがえて、そういうことの追究をやってきたとおもうんです。 (P11-P12)

Aマルクス主義を始末したそのあとでどういう問題が残るのかという場合に、ぼくなりの読み方によりますと、フーコーさんはヘーゲルの意志論にわたる領域を、全体の考察、つまり世界認識の方法から全部抜いてしまったとおもえるのです。そして全体の構想のなかから省いたあとはそれを個別的な問題のようにみなして、刑罰の歴史とか狂気の歴史とかの追及に向かわれた。ヘーゲルがたいへん問題にした領域は全部個別的な課題に転化してしまって、全体の構想からヘーゲルのいう意志論は排除したのではないのかなとおもわれました。
 それから『言葉と物』を読んで、ぼくの読み方で特徴的だとおもえたことは、ある事物ないし言葉の表現、つまり思想というものから、その背後に意味の核、中心を捜していくという方法をフーコーさんは徹底的に否定したんじゃないか。それを拒否するという態度の問題を提出してきたのではないかなということです。そしてその問題意識はニーチェから由来するのではないかというのがぼくの読み方です。(P12)

項目抜粋
2
【フーコー】思うに意志というのがこれまで西欧哲学で扱われてきたとするなら、その扱われ方は二通りしかありませんでした。一つの考え方は自然哲学的なモデル、いま一つは法哲学的なモデルという形でしか扱われていない。つまり、意志というのは、自然哲学的なモデルに従えば、力であり、これはライプニッツ的なタイプで代表されますし、哲学的なモデルに従うなら、意志というのは、善悪をめぐる個人的意識という道徳の問題にほかならず、こちらはカントによって代表されるものです。意志ー自然ー力と考えるか、意志ー法ー善悪と考えるか、いずれにせよ意志をめぐる西欧哲学の思考はこの二つの図式に還元されてしまうものでした。(P23)

Bそれから意志論の問題ですが、これは日本における第二次大戦以降のマルクス主義の歴史的な展開過程をお話ししなければ、意志論のなかに国家哲学から、宗教、道徳、倫理、自己意識の問題まで含めてしまうような含め方は、あるいはあまり理解しにくいのではないかとおもいます。日本の戦後マルクス主義は、主体性唯物論というような言い方で、マルクスが捨てなかったヘーゲルの全観念的な骨格を、ロシアで展開されたマルクス主義唯物論にねじ込んで復活させようという問題意識をとってきました。・・・・そういう流れの上で、ヘーゲルの体系を全部意志論というように総括しているのです。・・・・戦後の日本の唯物論の展開過程のなかで、あるいはその果てにぼくは意志論の領域を、意志をヘーゲル流に実践的意識の内的規定なんだとかんがえれば、共同的意志の領域と、対なる意志の領域、個人の意志の領域とに分離してかんがえることで、いわば中途半端に出てくる倫理的な課題から解除しようと試みました。(P32-P33)






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185 アジア的共同体 あじあてききょうどうたい 世界史のなかのアジア インタビュー 世界認識の方法 中央公論社 1980/06/10 世界認識の方法


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理想的な側面、相互扶助共生感情と相互の親和感 アジア的利点
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1
@その問題について一つ大切なことがあるような気がします。<アジア的>専制の構造というものは、廃棄さるべき弱点でしかないのかという問題になるとおもいます。そこがそう簡単に片づけられないのです。世界史の時間概念の中で、原始と古代の中間に<アジア的>専制の段階をおいてみますと、そこでの共同体のあり方は、人類の理想といえる面をもっているのです。なぜならば、そこにおける村落共同体のあり方のなかには、相互扶助共生感情と、相互の親和感が豊かにあります。人間が人間として孤立している、民衆が相互に孤立したり矛盾しあったりする、そういう近代社会の病理とは遠い平安もあります。村落共同体のあり方としてみますと、たとえばエンゲルスが原始段階に<原始共産制>という、一つの理想の原型を見つけたとおなじような意味で、理想的な側面をもっているとかんがえていいとおもいます。そこが問題になるのです。 (P100-P101)

Aつまり、アジアの社会主義国では、社会主義の理想主義的な倫理的な側面と、<アジア的>共同体の構造が容易に結びついて、一種の理想郷といいますか、理想主義の理念が成立してしまうんですね。毛沢東思想はその典型だとおもいます。アジア的段階における共同体の理想的側面を温存したまま<マルクス主義>という西欧で生まれた理念と融合させようという考え方は、アジアの社会主義国で、大なり小なりありました。
 これをどう見るか。西欧的にみれば、まだ近代民族主義国家の段階にさえはいっていないじゃないか、ということになって、事実そういう面はあります。しかし同時に、共同体のあり方として、西欧近代の世界普遍性が失ったきわめて理想主義的なものが残っている、アジア的利点としてみることもできます。それが、毛沢東思想がある吸引力といいましょうか、神話的な力、説得力をもっていた、大きな理由だとおもいます。・・・・【外在的・西欧的見方と、内在的見方について】ですから、二つの面が矛盾しあったまま存在しているんですね。アジアにおける社会主義国は、どこでも、大なり小なりそうだとぼくは推測しています。 (P101-P102)

Bマルクスの思想のどこが駄目で、どこが正しかったのかが、検証されるのは、先ほどもいいましたように、アメリカや西欧のような世界の先進国で政治革命の可能性があるのなら、あるいは政治革命のプログラムの検討がなされるのなら、そのとき初めて、真に問われるでしょう。そのときがマルクスの思想の現実的な試金石になるだろうとおもいます。  (P104-P105)

項目抜粋
2
【竹内好に触れて】
Cしかし、この考え方には空隙があります。それは何かといえば、社会革命からの視点です。
 日本は明治以降、資本主義革命と同時に近代民族国家としての下部構造の社会革命を始めていたのです。ところが中国は、<アジア的>農耕国家社会の段階で、<アジア的>部分を残したまま独特の政治革命をしました。・・・・ですから、政治革命として政治制度をみた場合の先進性・後進性と、社会革命あるいは社会的機構・制度としてみた場合の先進性・後進性が日本と中国ではまったく逆になっています。これが日本と中国を見る場合の基本的観点じゃないかとおもいます。(P108-P109)





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187 アジア的共同体 あじあてききょうどうたい 世界史のなかのアジア インタビュー 世界認識の方法 中央公論社 1980/06/10 世界認識の方法


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<アジア的>段階のユートピアがかかえている問題 戦後思想のなかで何を遺産として残せるか
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Dしかし、中国の社会主義理念、毛沢東思想のなかには、<アジア的>村落共同体の骨格が多分に残っていて、それは美点であり、大きな特色であるとともに、たいへんな欠陥でもあります。そういう眼でみるべきだとぼくはかんがえます。
 その観点をとるためには<アジア>という概念を、世界史のなかで時間概念としてとらえる必要があります。竹内さんのように、近代の西欧が普遍性を獲得して以降の<ヨーロッパ対アジア>という観点に限定しないで、<アジア>という概念を、世界の人類が普遍的に通過した、人類の歴史的段階としての概念としてとらえなければならないとぼくはかんがえます。
 その観点でみてはじめて、毛沢東思想、あるいはベトナムの社会主義理念、、朝鮮民主主義人民共和国の社会主義思想の二面性が、つまり<アジア的>理想郷思想と<アジア的>欠陥の二つがみえてくるのです。その実像というのは、大衆が個人としての自覚をもたないことで成立しているのです。個人が自覚をもつようになったら成立しないところに<アジア的>段階のユートピアがかかえている問題があるのです。後進的地域が先進的地域を鏡としてみることは確実なんですから、何年か経てば必ず、アジアでも西欧流の個人主義が普遍的にでてきます。そのときどうなるか。毛沢東思想の弱点はそこにあるとおもいます。(P109-P110)

Eしかし、政治理念に関していえば、民族国家理念しかない日本の保守主義者や国家主義者が、どう甘く見積もっても中国の政治に食いこむことも覆すこともできないでしょう。なぜなら、それは竹内さんの指摘されたように、現在の中国の政治権力が持っている政治思想・政治理念のなかには、日本政治権力よりはるかに開明的なところがあるからです。<マルクス主義>は、否定的表象にしろ肯定的表象にしろ、またどんな悲惨な現実的な形をとったとしても、世界史的視野でかんがえられた世界思想であって、日本の保守政治家の思想は中国の政治権力の理念よりはるかに遅れています。社会的構成をどうするかという範囲でなら、日本やアメリカの影響力は大きくなるでしょう。(P110-P111)

F自分はどうかんがえ、どうしようとしているのか、話したほうがいいとおもいます。
 簡単・明瞭な言葉でいえば、現在、世界で<マルクス主義>として政治国家の指導原理となっているもの、政治理念となっているものと、まったく独立の理念−革命理念といってもいいし左翼理念といってもいいんですが、そういうものを確立できなければ駄目だとおもっています。(P112)

項目抜粋
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G戦後思想のなかで何を遺産として残せるかといったら、誰でも、いわば無意識の構造として認めざるをえないことが、たった一つあるようにおもいます。それはそんなに難しいことではありません。現在、アメリカあるいは西欧で思想が危機に陥っている、袋小路に陥っているということが、かりに正しい見方であるとすれば、それを共時的に、つまり同時代的に感じうる思想基盤が戦後日本にあるということです。
 ちがった方向からいえば、たとえば大衆の意識のなかで、・・・・それが現在では、批判すべき点もあるのでしょうが、とにかく気軽にアメリカやヨーロッパへ行ってこようというような、一種の世界感覚が身についてきています。これは誰しもが認めざるをえない、戦後の収穫だとおもうのです。この根底には、社会の経済構成の発達があり、戦後日本のナショナリズムが戦前の天皇制ナショナリズム−<アジア的>な要素ですね−を、ある程度払拭してきたということがあるのです。明治以降、戦後何年経ってやっとはじめて、いわば<アジア的>専制からすこし解放されて、ヨーロッパ型の近代国家みたいなものとおなじ基盤に昇ってきました。そして欧米の資本主義がじぶんを変形させることで成長してきたのとおなじように、じぶんを変形させて成長してきたのだとおもいます。 (P113-P114)

H<世界史的現代>という視野と概念のなかに、<現代西欧>と共時的存在として<現代アジア>が持ってこられたということはいまだかってないのです。・・・・ヨーロッパと同列にアジアを置いて現代世界を総合的に見ることができたら、そのときはじめて、アジアはいま何を問われているのか、中国は、ベトナムは、日本は、何を問われているのか、みえてくるのではないでしょうか。それをやらなくてはほんとうに検討にはならない、ほんとうに課題に応えることはできないとおもいます。(P115-P116)





項目ID 項目 よみがな 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日 抜粋したテキスト
202 アフリカアジア的日本 あふりかあじあてきにほん J.ボードリヤール×吉本隆明 対談 1995.2.19 世紀末を語る 紀伊國屋書店 1995/06/30 J.ボードリヤール×吉本隆明『世紀末を語る』−あるいは消費社会の行方について


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方法
項目抜粋
1
@ぼくらが見ようとしている日本は、アジア的でないアフリカ的なんです。アフリカとアジアの混血です。混血というところから、近代化あるいは、西欧化というのが始まりました。外からのイメージは、日本のなかのアジアが進歩して近代西欧化して、現在に至っていると見えています。ぼくらはアフリカ的とアジア的が混じっているものが西欧を受け入れたというイメージを、日本にたいしてもっています。外と内のイメージは狂って、違ってきています。
 だいたいもし日本人に創造力の能力があるとすれば、その空隙がイメージの狂いのところでつくられるエネルギーだと思います。究極的には、ヘーゲル歴史哲学がいう「アフリカ的段階の日本」というものをはっきりさせたいのです。それが日本の消費資本主義社会を「死」のほうへ向かって明確にしていくことと、おなじ方向だという方法にあたります。さしあたって、日本にたいするぼくらの関心の中心はそこです。
 ボードリヤールさんのいわれている日本だったら、日本人は起源をもたないため宗教も文化も猿真似じゃないかといってもらったほうが、ほんとうな気がします。
 ぼくらが内側から考えていることは、まるで違うことです。アフリカ的段階の日本まで遡行することです。もちろん人種的にも、ことばのうえでもアフリカ的段階の日本は何かということがおもな関心事になっています。 (P86-P87)

項目抜粋
2
備考 「だいたいもし日本人に創造力の能力があるとすれば、その空隙がイメージの狂いのところでつくられるエネルギーだと思います。」





項目ID 項目 よみがな 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日 抜粋したテキスト
207 「アジア的」という概念 あじあてきというがいねん アジア的と西欧的 講演 1985.7.10 超西欧的まで 弓立社 1987/11/10 超西欧的まで


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日本の社会の完全なイメージを獲得するために 現在「アジア的」という概念が日本社会で通用する場所
項目抜粋
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【U「内側」と「外側」】
I本当の意味で日本の社会が「外部」というもの、つまり「アジア的」な型の農耕社会に対立して「外部」という概念を作れるようになったのは、明治維新の近代化がはじまってからです。それから日本の社会が農耕社会における思考にたいして「外部」的な思考、つまり非農耕的な産業思考を作り出すようになったのです。だから「アジア的」な社会の特質は「外部」という概念をなかなか作らなかったということです。それから社会の構成を論理的な階梯を踏んでつきつめなければ、支配と被支配とに到達しなかったことです。支配共同体と被支配共同体の関わりはむきだしの対立とみなせばいいし、その関わりは単純に、貢納制、つまり貢ぎ物を納めるか受けとるかという関係をかんがえれば成りたつわけです。そんな関わりしかない社会では、この階層にある者には、こういう論理を使わなければ通用しないとか、その上にあるこういう社会にはちがう論理を使わなければ通用しないという差異の概念は作られ難く、また「外部」の概念も貧弱ですから、矛盾という概念が育たないわけです。出来事や事物は論理の階梯を踏んで、その繋がりがあるんだという考え方は「アジア的」な社会では作りようがないことになります。「外部」というようなもの、論理的な思考というようなもの、あるいは論理的な思考を促すに足るだけの非農耕的な産業が入ってきて社会の発達を促したのは近代になってからです。 (P33-P34)

【V 日本のイメージ】
J日本の近代社会の現在の状態をどこでつかまえるかは、「アジア的」という概念がどこまで残存し、どこまで脱「アジア的」になっているかということで測ることができます。  (P34)

 W 日本社会の現在
【T 解体現象】
K現在の西欧型の先進社会では、論理における絶対概念、真理概念、あるいは本質概念、つまりあらゆる論理的な思考や事物の在り方を説明するに足りる論理の移行の仕方についての理念、いいかえれば論理がそこから始まって流れ下ってゆくものだとみなされる至上概念が、空洞化にさらされて、規定性を構成することが危くなっているといえます。これは一種の論理的な段階性や構築性の解体現象です。現在の西欧の哲学思想家たちが象徴的にさまざまな云い方でいっている言説の根底にはこの解体があるとおもいます。いいかえれば絶対的なものから相対的な多様性へ、真理概念から反復概念へ、あるいは本質概念から拡散現象的なものへということです。宗教的な云い方をしますと、絶対的な神から流れくだって、あらゆる人間の思考や論理の存立の保証体系ができあがっている西欧の近代資本主義社会、つまり蒸気ミルの時代までを大きく統御していた思考方法が、現在の西欧のなかで危くなっている、すくなくともそういう疑念にさらされていることじゃないかとおもわれます。(P36)

項目抜粋
2
【T 二重性】
Lすでに西欧型の社会に入り込んでしまった日本の社会でも、西欧が現在提起していると同じことが、とうぜん存在するはずです。ただ何が複雑かといえば、「アジア的」という概念がどうしても一枚加わらないと、完全なイメージが描けないんじゃないかという危惧があることです。
 現在「アジア的」という概念が日本の社会で通用するとすれば、どこで通用するのかかんがえてみます。農耕の村落共同体は壊れてしまってかんがえる必要がなくなったし、資本主義はもちろんすでに西欧型の高度な資本主義社会になってしまったという意味でも、なにも「アジア的」残余をかんがえる必要がないとおもいます。ただひとつ、意識・認知・感性に関わるものが「手段」の分野を染めあげているところだけは、「アジア的」ということを考慮せざるをえないんじゃないかとおもいます。そこでいうならば、日本の現在の社会のなかに「アジア的」意識がどんなふうに「手段」の分野で存在しているか、あるいはどういうふうに産業・芸術・文学の分野で存在しているかという問題は、残されているとかんがえます。それは別の基軸としてかんがえに入れなければならないとおもいます。「西欧的」と「アジア的」は、ふたつの分離した軸なんですが、重なった部分では混合してあらわれ、重ならない部分ではそれは分離してあらわれてくる、そんな現象がしばしば存在するとおもいます。 (P37-P38)





項目ID 項目 よみがな 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日 抜粋したテキスト
208 「アジア的」という概念 あじあてきというがいねん アジア的と西欧的 講演 1985.7.10 超西欧的まで 弓立社 1987/11/10 超西欧的まで



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永続革命の問題
項目抜粋
1
  X「権力」の現在
【T権力の解体】
M「権力」という概念をぼくらはどこから得てきたかといいますと、大ざっぱにいって西欧の近代から得てきたとおもいます。(P41)

N現在、近代国家が作ってきた「権力」の概念が技術的に危くなってくるぶんだけ、云いかえれば国家連合体として振るまわざるをえなくなっている必然性の度合に比例するように、「権力」という概念も微細な濃淡の異なる「権力」の分布図を丁寧に作ってわかってゆかないと、うまくかんがえ尽すことができないことに当面しているとおもいます。(P43)

【U 「裂け目」と「権力」】
O日常の隅々まで「権力」の問題をかんがえなければ無意味だというところまで、現在、「権力」の問題がきているとすれば、逆に「権力」の問題はかんがえなくてもいいとも云えそうな気がするんです。今日じぶんがここにいて明日はどこそこに行かねばならないということが、誰がどうしたからそうなったんだろうか、というようなところまで「権力」の問題をかんがえざるをえないとすれば、その問題はもはやとりたてていうのも晴れがましい日常の茶飯の領域の問題だともいえます。左翼用語が判りやすい人のためにいえば、そこには一見小さな問題にみえながら、じつは永続革命の問題だということだけしかないということです。(P44)

項目抜粋
2
Pそんな意味では古典的な「権力」の概念と、そのとらえ方は崩れつつあるとおもえるのです。もう「国家」の権力が社会を統治しとか、何々の権力が人を支配しとかなかなか云い難く、そういう意味あいでは市民社会のなかにおぼろげながらぜんぶ組み込まれていってしまっていると云えそうです。
 そして社会のどこかに「裂け目」を作らずには、現在の権力は存続できないとおもいます。その裂け目は、「権力」は日常の隅々の問題までかんがえなければ、大ざっぱな体制とか反体制とかいう区分の仕方ではどうしようもなくなっちゃってるんだよという問題意識の正当性にたいして、どうしてもひとつの保留点とか空白点として、裂け目なのだといえるでしょう。
 この「裂け目」とか「空隙」という問題は、「権力」の問題としてこれからの社会で、とても大切に丁寧に問われるものではないかとぼくにはおもわれるんです。そこではもしかすると、古典的なイメージとしての「権力」が煮つまった形で多次元的なイメージの層を構成しているかもしれません。その社会の裂け目とか空隙という場処で、濃厚な「権力」の在り方のイメージを構成せざるをえないし、その場処はこれからエレクトロニクス・ミルの時代、つまり超資本主義の時代に入っても絶えることなく存続してゆくんじゃないかと、ぼくは漠然とですがかんがえています。そういう裂け目とか空隙というものを除いてしまえば、ぼくらに残された脱権力的なイメージはなくなっていってしまって、たぶん総体のなかに包括されてしまいましょう。 (P44-P45)




項目ID 項目 よみがな 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日 抜粋したテキスト
216 <歌>の喪失 うたのそうしつ 経済の記述と立場 講演 1984.11.2 超西欧的まで 弓立社 1987/11/10 超西欧的まで


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経済学では概念が民族語でさえぎられない スミスとリカードとマルクスの三者の三角形
項目抜粋
1
@マルクスの『資本論』は、リカードの<散文詩>に較べれば<ドラマ>に匹敵します。この<ドラマ>は緻密で、そしてある意味でやりきれないほど息苦しくなっているのです。  (P198)

Aリカードが(アダム・スミスもそうですけれども)、すべての分配の仕方は、それを作るために加えた「労働の量」の割合で分けられる、という考え方をしましたが、この「労働の量」という考え方を、マルクスは「労働時間」というふうに変えることができたとおもいます。どうしてできたかといいますと、分業があまりに緻密化し、膨大になっていったために、Aいう分業にたずさわることと、Bという分業にたずさわることと、Cいう分業にたずさわることとは、分業の極限に達したとみなせば、区別しなくてもいい、ということに帰着します。
 スミスの概念では、動物とちがって人間は、それぞれに役割を果たし、専門化して分かれて、それぞれを補いあうことができるんだ、というのが「分業」概念の「起源」だったわけです。マルクスの時代にいたっては、分業があまりに微細化され、あまりに微細化されたため、いってみれば、Aという分業とBという分業を取り換えたって同じだ、ということになったのです。なぜなら、あまりに細分化されれば、ぜんぶが均質だとみなしてもあんまりちがわないからです。そうすると「労働の量」という必要はもうないので、「労働時間」といえばいいことになります。つまり「労働時間」が、できあがった商品の「価値」を決定する大きな要因なんだ、とマルクスはいい換えることができたのです。  (P199-P200)

Bこういう批判のされ方の根柢にあるのは何かといいますと、いってみればマルクスの<ドラマ>が<歌>を喪失したということ、否応なく喪失してしまったところで作られた<ドラマ>であったということを、問いただされているんだ、といえばいえなくもないとおもいます。マルクスの作りあげた「価値」概念とか、経済学的な範疇にたいするあらゆる批判は、そういうところから起こっているので、いってみれば、その<ドラマ>には、自然の<歌>がもう聞こえないじゃないか、自然の<歌>はどこへ行っちゃったんだ、という問題、あるいは自然の<歌>とその<ドラマ>とのつながりは、いったいどうなるのか、あるいはそのあいだの空隙はいったいどういうふうになっているんだ、ということです。マルクスの経済的な<ドラマ>にたいする批判の根柢にあるものはそれだとおもいます。その根柢にある問題は、最初にたぶんスミスが持っていた<歌>が、どこで失われ、どこでそれが回復できないのか、あるいは緻密化が進んだということで、それは回復できないのか、という問題と大きくつながっているとおもいます。 (P201-P202)

項目抜粋
2
C今はどうなっているのか、今をどうするのかとか、今の状態から経済学的な範疇を作るとすればどうなるか、という問題だけではじまり、そしてそれで終わらなければいけない、終わるほかないんだということです。そこでは、どんな<物語>も<ドラマ>も、もう作ることができません。そこに、現在の経済学的な考え方がぶつかっているとおもいます。(P202)

Dぼくはこのスミスとリカードとマルクスの三者の三角形のあいだで作りあげている<歌>と、<物語>と、<ドラマ>と、それから<歌>の喪失と、<ドラマ>の運命、つまり、<ドラマ>が<歌>を失ったことから何を受難しているのかということをおもいめぐらすことが、経済学以外の範囲にあるものにとっていちばん刺激になる場所です。・・・・ここには根柢的な考え方、つまり「起源」あるいは発生論的な考え方も生きており、<物語>も、また<ドラマ>もありますから、ここからさまざまな別の問題を引き出していく実りのある素材が、豊富に見つかります。じぶんでもそうですけど、皆さんのほうも何度でもこの三つのつくる三角形から、汲み取って、じぶんの分野にひきつけて何か作れないか、思いをめぐらせることができるような気がします。・・・・
 経済学のなかでは概念が民族語によってさえぎられることはありませんから、ここから類推していかれると、たくさんの得るところがあるんじゃないかとかんがえます。(P203-P204)






項目ID 項目 よみがな 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日 抜粋したテキスト
247 インターネット1 いんたーねっと インターネットを撃つ! インタビュー 超「20世紀論」』上 アスキー 2000/09/14 超「20世紀論」』上


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感覚の拡大 人間の精神や心・内臓感覚
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1
@そうです。情報科学や情報工学が発達していけばいくほど、人間の精神や心も発達していくというのはウソです。・・・・・・それで、よくわかったのですが、情報科学や情報工学の専門家たちは,感覚というものと、精神や心というものとは、同じものであると信じて疑わないんですね。
 「冗談じゃねえぞ」って、僕なんか思っちゃいます。文学をやっている人なら,特にそうだと思います。確かに、情報科学や情報工学の発達によって、感覚を拡大することは可能です。でも、いくら感覚が拡大しても,人間の精神や心はギリシャ・ローマ時代とちっとも変わってねえよという面があるんです。  (P25−P26)

A感覚の拡大は、人間の精神や心に影響を与えるかもしれませんが、精神や心を発達させることには寄与しないんです。いくら情報科学や情報工学が発展しても,人間の喜怒哀楽は変わりません。カッとして人をぶん殴るというのは、昔も今もおなじです。 (P26)

B人間の心の動きは、脳ではなく,基本的には内臓の動きにのっとっているんです。これは、解剖学を専門とする医学者の三木成夫が明らかにしたことです。
 人間の身体は、大きく分けて、感覚や運動を司る「動物器官」と、栄養や生殖を司る「植物器官」からなります。人間の体は、動物系と植物系からできているわけですが、動物系は、身体の壁をつくるので「体壁系」とも呼ばれます。「体壁系」に属するのは、脳を中枢とする神経系、筋肉系、外皮系などです。
 動物は植物と違い、いながらにして身体を養う栄養をとることができず、動きまわって食べ物を確保しなければいけません。人間をはじめとする動物において、動物系(体壁系)が発達したのは,そのためだといわれています。
 一方、植物系は、身体の内部に蔵されるので「内臓系」とも呼ばれます。腸管系や心臓を中心とする血管系などは「内臓系」に属しています。

項目抜粋
2
 三木成夫は、内臓の発生や機能、動きは腸管系の植物神経に,そして、視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚といったいわゆる五感と呼ばれる感覚の作用は体壁系の動物神経に、ハッキリと結びつけて論じています。
 そして、腸管系の入り口である口腔と、出口である肛門の両端は、「体壁系」の感覚に結びついているために脳の働きに依存しているけど、その両端を除くと,脳との結びつきはぼやけてしまい、腸管系の内部――すなわち、肉体の奥には、脳の働きに第二義的にしか依存しない、うごめく無明の情感があるのだ、と述べています。・・・・・・・・これが、「内臓感覚」というか、「臓器感覚」なんですよ。たとえば、お酒を飲みすぎたとかで,胃腸の具合が悪いと、憂鬱になったりするでしょう。そういう心の動きは,基本的には内臓の動きにのっとっているんです。
 確かに、内臓にも多少の感覚はありますが、「喉元過ぎれば熱さを忘れる」というように、その感覚は第二義的であり、微弱であって,いわゆる五感とは違うんです。五感は、脳の働きに第一義的に依存した感覚ですからね。
 僕は,三木成夫が書いた本を読んで、こうしたことを教えられたわけですが,そのときは、まさに目からウロコが落ちるような気分になりました。    (P26−P28)

備考 註.「人間の心の動きは、脳ではなく,基本的には内臓の動きにのっとっているんです。」






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248 インターネット2 いんたーねっと インターネットを撃つ! インタビュー 超「20世紀論」』上 アスキー 2000/09/14 超「20世紀論」』上


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1
 @僕なりの言語論でいえば、言葉には「指示表出」と「自己表出」の二つの側面があります。「指示表出」の典型は名詞です。たとえば、誰しも形のある茶碗をイメージしますね。つまり、指示性があるわけです。
 代名詞の「わたし」とか「あなた」も、「指示表出」を第一義とする言葉です。インターネットもそうですが、情報科学、情報工学は、情報を”記号”として扱い,その目的はコミュニケーションの拡大と多様化にあります。言葉の「指示表出」の機能は、インターネットや情報科学、情報工学と同じ発展の方向を向いているんです。
 だから、インターネットや情報科学、情報工学が発展するにつれ,言葉の「指示表出」の機能も、それにあわせて展開していくわけです。
 一方、「自己表出」というのは心の表現です。その典型は「あ!」といった感嘆詞です。それによって何かが具体的に示されるわけではなく、指示性は、かすかに第二義的にしかありません。「を」とか、「は」とかといった助詞もそうです。言葉が持つこの「自己表出」の機能は、インターネットや情報科学、情報工学の発達とはほとんど関係がないといっていいんです。
 つまり、インターネット、マルチメディアの発展は、言葉の「指示表出」の機能を発達させることはあっても、「自己表出」の機能を発達させることには微弱にしか寄与しないんです。
   (P29−P30)

項目抜粋
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249 インターネット3 いんたーねっと インターネットを撃つ! インタビュー 超「20世紀論」』上 アスキー 2000/09/14 超「20世紀論」』上


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第四次産業
項目抜粋
1
   【―マルチメディアの喧伝者たちは、今、起きていることは、十八世紀後半にイギリスで起きた産業革命に匹敵する「第三次産業革命」だと吹聴していますが?】

@全然、そんな段階じゃないですよ。マルチメディアの発展によって「第四次産業」といえるものが登場して、その産業に従事する人たちが、就労人口の過半数以上を占める状態にならないと,とうてい、「革命」などとはいえません。
  
  【―「第四次産業」とはどんな産業ですか?】
A第三次産業というのは、流通業を例にとれば、商品をAからBに移動させただけで商売になっちゃうというもので、有形なものと無形なものとの等価交換が成り立つ産業のことです。
 それに比べて、第四次産業」は、無形なものと無形なものとの等価交換が成り立つ産業です。たとえば医学や教育は、いうなれば、無形の価値です。   (P42)

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278 あるべき文体 あるべきぶんたい Y 文学について 談話 遺書 角川春樹事務所 1998/01/08 遺書


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詩と散文の問題 日本の伝統と西欧近代という問題
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1

@この文体はすごいといえるのは、漱石ですね。詩歌では、さきほども少し話した吉増剛造は、そういう要素があるのではないでしょうか。
 現代詩を書く詩人のほとんどは、本来ならば、日本語の伝統的な詩歌の表現である、俳句や短歌で表現できる詩的なものを、わざわざ西欧の近代文学の文体に翻訳し直して表現しているだけです。富永太郎などはその典型です。
 現在の日本の現代詩の詩人でも同じで、Aという詩人の詩をBという詩人の詩だといって並べても、少しも違いはわからないでしょうね。個性など何もない。この人たちは、伝統的な文体であるべきものを西欧近代的な文脈に直すこと自体が詩だと思っているわけです。その思い込みは誰でもしてきたことで、おまえだってといわれれば、その通りですというしかない。わずかにそれから免れている詩人がいるだけです。
 詩人が前衛的な試みにしているのは、よく思いめぐらすと、日本語を西欧的な文脈に直しているだけで、個性的ではあり得ないし、詩になっていると無理にいえば、そうでしょう。

A詩と散文の問題は、日本の伝統と西欧近代という問題とが、うまく解けていないというところにあります。日本語の特性を保持しながら、なおかつ未知のところへ行こうとする、そのあるべき文体とは何か。それはよくわからないのですが、散文としては、漱石はそこがうまくいっている例だし、詩では吉増剛造がそういえそうです。
 (P157−P158) 

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302 伊東静雄 いとうしずお


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1
1.【 「四季」派の本質 吉本隆明全著作集5 ,『文学』昭和33年四月号 】

@ 昭和十年代も後期になると、詩といえばすぐに「四季」派の抒情詩を意味するほど、この派の詩はたんに現代詩の一流派という問題をこえて、詩概念をくみたてるうえにおおきな規定力をおよぼした。プロレタリア詩運動が、あとかたもなく、なくなってしまい、モダニズム詩が都市庶民の情緒的表現にまで退化した時期に、「四季」派の抒情詩だけが、なにか本質的なところで、風土感覚というようなものを論理的に構築してみせたために、危機の時代から戦争へと流されてゆく時期の詩的庶民の多数感覚に、全能のイメージをもってむかえられたのである。
     (P119) 

A いま、「四季」派の本質を理論的に検討してみようとするとき、現実社会の動きとは何のかかわりもないようにみえる「四季」派の抒情詩の本質が、社会の支配的体制と、どんな対応関係にあったのか、かつて単なる便乗としかおもえなかった「四季」派の戦争詩は、かれらのどんな現実認識から生みだされたのか、等々の問題が、重要な課題のようにおもわれてくる。こういう問題の出し方が、あながち詩とは無縁のものだとはかんがえない。こういう問題が解けないかぎり、詩は恒久的に、その時々の社会秩序の動向を、無条件に承認したうえで成立する感性的な自慰にしかすぎないからである。
     (P120−P121)

B 詩を構成する
感性的な秩序は、詩人の現実認識そのものをしめすことはありえないとしても、現実認識の秩序と構成をおなじくするものだということができる。詩の感性的な秩序はもっとも端的にあらわれた場合、形式そのものに転化してあらわれるが、普通には、形式をささえる内在的な感性の構造としてあらわれてくるとかんがえられる。おそらく、現実社会の秩序が機能的に批判または否定されないところでは、詩を構成している感性の秩序は、現実社会の秩序と構造をおなじくする外はないのである。このようなかんがえかたは、詩と社会的現実との関係(「関係」に傍点)という概念のかわりに、詩と社会的現実との構造的な対応というかんがえかたを導入することによって、容易にみちびくことができよう。
 「四季」派の抒情詩が、一見すると社会からの逃亡であるようにみえるとか、社会的動向とは無関係な世界を構成している、というようなことは、かれらの現実認識をかんがえようとする場合、何らの障害ともなりえない。かれらの抒情詩の感性的な秩序が、昭和十年代の危機とファシズムの時代に、支配的な社会体制と、おおくの点で構造的な対応をしめし、おおくの点で、支配体制下の詩的庶民の意識構造に投ずる要素をもっていたことだけが、問題提起の前提となりうるものとかんがえられる。
     (P121−P122)

C わたしたちが、戦後、詩を構成している感性的な秩序そのものが、
現実社会にたいして否定的または批判的機能をもつことは不可能であろうか、という問題に執着したとき、必然的に社会構造の日本型とは何かという問題と、戦争期における日本の支配構造は、どのような特質から成立っているかという問題とを、喚起せずにはおかなかった。
     (P122)

D 「四季」派の全盛期である昭和九年から、太平洋戦争の末期までにおける日本の社会構造は、いわば、この西欧的近代と、アジア的後進性という二つの特質を極度におしすすめたものに外ならななかった。日本は、高度の資本主義的な基盤のうえに立った西欧型の帝国主義の要素を獲得するとともに、極度のアジア的後進性もまた、権力機構によっておしすすめられていった。大体において、天皇制下における金融・産業資本からなる日本の支配権力は、自体のなかに奇妙な前近代性をはらみながらも、高度な資本主義支配の特質をもち、しかし巧妙なことに大衆の意識感情を組織するにあたり、その極度におしすすめられたアジア的後進性の側面を組織した。大衆のなかにある近代的意識を組織したのではなかった。太平洋戦争下の日本の支配体制を、たんに前近代的なもうまいの支配とかんがえることも、高度の資本制支配とかんがえることも誤解であろうとおもわれる。極端にまでおしすすめられた近代的要素と、封建的要素との奇妙な併存ということをぬきにして、戦争下の社会的特質をかんがえることは不可能である。
 「四季」派が、抒情概念のなかに最初からもっていたモダニズム意識と、伝統的な永続感性との混合された要素が、極度の近代性と極度の封建制の特質をふたつとも膨脹させた戦争期の支配体制に順応してゆくためには、権力意識にとって都合のよくないモダニズム的要素を失っていけばよかった。日本のナショナリズム−ファシズム支配が、イデオロギーとしてどんなに「四季」派にとって相容れないものであったとしても、ナショナリズム−ファシズム−キャピタリズムが組織しようとこころみた支配感性は、「四季」派の詩的な伝統感性と、けっして無縁ではありえなかったのである。
     (P126−P127)


E 欧米人の実体を、「紅毛賊子」とか「めりけんばら」とかいうようなコトバで表現している三好達治が、メリメの訳者であり、ボードレールの訳者であり、西欧の近代文学の昭和における代表的な移植者のひとりであることに注目してみなければならぬ。西欧近代社会の特質と、西欧的な発想について、無知であるはずもない知識人が、太平洋戦争において、封鎖的な無知な排外主義と同等の地点に平然と移行しえた、ということはおどろくべきことである。しかもこれはかならずしも「四季」派の詩人のみの特質ではなかった。日本のインテリゲンチャが、ほとんどひとしなみにたどった発想の経路だったのである。・・・・・・・・・・・
 かれらの内部意識のなかで、西欧的近代意識と日本的伝統意識とが、あまり矛盾・対立・葛藤を経ずに、原始的な形で併存していたとかんがえるよりほかに、このような事実をうまく理解する方法はないとかんがえられる。戦争によって、西欧文化から数年のあいだ遮断され、しかも、西欧諸国と抗争しなければならないと強要されたとき、かれらのなかで西欧的な教養は、塵か芥のように消滅してしまい、あとは、庶民大衆の多数がたどらされたような、見事な先祖かえりにまで退化していったのである。
     (P128)

F 「四季」派の抒情詩は、たとえば擬古語と現代語の問題、詩における定型と非定型の問題、抒情の質の問題、等々、種々の方向から検討することができるであろう。しかし、「四季」派の抒情詩の感性的な秩序が、現実社会の秩序を認識しようとする場合、はっきりした自立感と遠近法をもたず、したがって現実の秩序と、内部の秩序とが矛盾・対立・対応がなされる以前に融合してしまっているところに、問題があるとかんがえなければならない。
かれらは、自然や現実を、自己認識と区別できない平板上にとらえて、少しも疑おうとしていないのである。かれらのうちでは、自然もまた社会と同質な平面上の認識の対象であり、日常社会のメカニズムも、自己意識を拡大することによってとらえられた対象にしか過ぎないのだ。
 「四季」派の詩人たちが、太平洋戦争の実体を、日常生活感性の範囲でしかとらえられなかったのは、詩の方法において、かれらが社会に対する認識と、自然に対する認識とを区別できなかったこととふかくつながっている。権力社会もかれらの自然観のカテゴリーにくりこまれてくる対象であり、権力社会と権力社会との国際的な抗争も、伝統感性を揺り動かす何かにすぎない。原始社会人が、日常生活の必要から魚獣や他の部族を殺すことを、自然に加える手段の一部とかんがえているにすぎなかったように、殺りくも、巨大な鉄量の激突も、思想的対立も、すべて、かれらの自然認識の範囲にはいってくる何かにすぎないのである。
     (P133)

G 日本の恒常民の感性的秩序・自然観・現実観を、批判的にえぐり出すことを怠って習得されたいかなる西欧的認識も、西欧的文学方法も、ついにはあぶく(「あぶく」に傍点)にすぎないことーこれが
「四季」派の抒情詩が与える最大の教訓の一つであることをわたしたちは承認しなければならない。
     (P135)


2.【 「四季」派との関係 吉本隆明全著作集5 ,『ユリイカ』昭和35年十二月号 】

@ 「四季」派の詩人たちが自然詠によってただ呪文のようにつぶやいた無思想のささやきの意味を追及したいならば、手段はただひとつ「コギト」派の詩人たちの仕事に着目するよりほかないのである。「四季」派の詩人たちがみずから意識しないままにふみこんだ日本的感性の深層は、意識されなかったがゆえに、立原道造や丸山薫や三好達治から探りだすことはできそうもないが、「コギト」派のすぐれた詩人、たとえば伊東静雄の詩のなかに思想的な色合いをもってとらえられていたとみることができる。

   太陽は美しく輝き
   あるひは 太陽の美しく輝くことを希ひ
   手をかたくくみあはせ
   しづかに私たちは歩いて行つた
   かく誘ふものの何であらうとも
   私たちの内の
   誘はるる清らかさを私は信ずる
   無縁のひとはたとへ
   鳥々は恒に変らず鳴き
   草木の囁きは時をわかたずとするとも
   いま私たちは聴く
   私たちの意志の姿勢で
   それらの無辺な広大の讃歌を
   あゝ わがひと
   輝くこの日光の中に忍びこんでゐる
   音なき空虚を
   歴然と見わくる目の発明の
   何にならう
   如かない 人気ない山に上り
   切に希はれた太陽をして
   殆んど死した湖の一面に遍照さするのに
         (伊東静雄「わがひとに与ふる哀歌」)

 伊東静雄のばあい詩語は「四季」派の詩人よりもかえって翻訳語にちかくなっている。これは、「四季」派の詩人たちが無思想であったのにたいし、伊東静雄が思想詩人としての骨組をもっていたための必然的ななりゆきである。
 伊東静雄のこの著名な恋愛歌は、なにを、どんな思想をうたっているのだろうか。自然物は人間にとって自然的なものであり、人間が意識しようとしまいと鳥はなき、花はさき、風はそよぎ、草木はうごいている、とかんがえる中世的な自然観はあやまりでなければならぬ、人間が意志をもち、意志の姿勢にあって聴くとき、はじめて鳥のこえはきこえ、草木のうごきは耳に鳴るのだ、ところで、このように人間の意志のあるところにしか自然物は実存できないとかんがえた瞬間から、人間は自然物にたいして虚無的な眼ざしで対立することもできるようになる。しかし、恋愛も自然の一部であり、それがふたりによって肯定されているかぎり、人間はそのときには自然物から空虚を感じとることを拒否しなければならない、自然物から空虚をみつけだすくらいなら、むしろ自然物のまえでいっさいの人間的な判断を死なせてしまって、自然をただなすがままに放置しておいたほうがいいのだ。
 これが、「わがひとに与ふる哀歌」をつらぬく思想にほかならないが、その指すところの自然観はほとんど「四季」派の詩人たちと対照的にみえるにもかかわらず、それは見かけだけのことで、「四季」派の自然詠の呪文のようなつぶやき、ニヒリズムもなければ不安もない、讃美もなければ、感動もない鉄筋のような抒情詩の世界は、伊東静雄のいう「如かない 人気ない山に上り 切に希はれた太陽をして 殆んど死した湖の一面に遍照さするのに」という思想に照応するものにほかならなかったといえる。
 おもえば、若くして死んだ立原道造や中原中也は、さいわいであった。かれらも生きながらえていたらほかの「四季」派の詩人たちのように戦争を自然の一部のようにうたって讃美したであろう。わたしはそのことをすこしもうたがわない。三好達治が戦後ただちにうたった嘆きは、「四季」派の詩人たちすべてのなげきであった。
     (P467−P469)


3.【 吉本隆明の詩より。<五月の空に>1974年8.10「磁場」第二号 】

      <五月の空に>

  忘れられた空には
  ほんのすこしの痛みがのこつているので
  ほうたい色のスクリーンをとおして
  吸引されつづけている
  唇のよこ雲が臥している
  きみは恋うる
  きみ自身を閉ぢこめるため
  遠いかなたからやつてきて
  まだ氷のかけらをつけている
  五月の空を

  まずかつたなあ
  それはまずかつたなあ
  来歴はいつもそう囁き
  その都度
  ああ まずかつたよ
  ちようど今日のように後悔には
  ちよつぴり沁みている紺青の布切れと
  数すくない言葉を当てがい
  ぼろぼろになるまでは
  まだやれる
  まだまだやれるよう
  言葉からしたたる雫にまじつて
  幽かなささめことの風が
  きこえるかぎりは

  
<あゝ わが人>
  などとうたうなかれ

  それは昔 詩の教師がうたつたことだ
  さよならと云ってしまえば
  ほのかな未決の空の色がのこるため
  み籠よ 口ごもる
  それがきみの
  恋うる生存ではあるまいか



4.【 詩学序説−七五調の喪失と日本近代詩の百年− 「文學界」2001.2月号 】

@ もう一つ例示してみる。それは伊東静雄の「わがひとに与ふる哀歌」だ。

   太陽は美しく輝き
   あるひは 太陽の美しく輝くことを希ひ
   手をかたくくみあはせ
   しづかに私たちは歩いて行つた
   かく誘ふものの何であらうとも
   私たちの内の
   誘はるる清らかさを私は信ずる
   無縁のひとはたとへ
   鳥々は恒に変らず鳴き
   草木の囁きは時をわかたずとするとも
   いま私たちは聴く
   私たちの意志の姿勢で
   それらの無辺な広大の讃歌を
   あゝ わがひと
   輝くこの日光の中に忍びこんでゐる
   音なき空虚を
   歴然と見わくる目の発明の
   何にならう
   如かない 人気ない山に上り
   切に希はれた太陽をして
   殆んど死した湖の一面に遍照さするのに


 この詩はドイツ語脈で書かれた日本語の詩だ。言いかえればこの詩人は日本語をドイツ語で、ドイツ語を日本語で書いている。「太陽は美しく輝き あるひは 太陽の美しく輝くことを希ひ」という表現の仕方は、日本語脈では絶対といっていいほどありえない。また「いま私たちは聴く 私たちの意志の姿勢で

のような、前置文と後置文の逆倒も滅多にしない。いわば意識的に翻訳の文体に似せるための操作といえる。おなじように最終の三行「如かない 人気ない山に上り 切に希はれた太陽をして 殆んど死した湖の一面に遍照さするのに」のように受動態を含めた逆倒も日本語脈ではやらない。ドイツ・ローマン派の影響の濃かった伊東静雄に独特な言いまわしと言ってよい。もちろんこの詩のよさは、すぐれた恋愛詩であるとともに、自然のなかに潜む空虚と倦怠とを見る眼を失っていないところにあるといえよう。だが言語表現の技術としていえば、大胆に稚拙を装った翻訳口調を露わにして、日本語を異化している点にあると考えられる。
 日本語とは何か。それはインド・アジア語とヤポネシア語との混和から成り立っている。アジア内陸では海辺か山岳の辺境地域、南島ではオーストラリア大陸上とアジア内陸の間のミクロネシア、ポリネシア、オーストロネシア諸島にしか求められない、逆にいえばその何れにも単一にもとめられないといっていい。言わば孤立した点のような言語だ。そして孤立した点>という特性はインド・アジアの内陸に近接しながらもオーストロネシア還流する海流に乗って島の連鎖としてこの性格を含んでいる。
 こういう地域性の言葉は、別の言い方をすれば、どの地域の言葉とも交換することができる。オーストロネシア系の言語とインド・アジアの中心である中国語の文字を借りた表記と、近代以後のもっぱらインド・ヨーロッパ語族の文明を取り入れた経緯とは、もし言語表現の技術に固執し、それを掘りすすめば、富永太郎や吉田一穂や伊東静雄のように、異った民族語の表現の交換にまでゆきつくことは、ある種の必然だといってもよかった。表現の<転換>は、各行ごとにも分けられるし、各章節ごとにも分けられる。だがさらにつきすすめば、異民族語の言語との交換まで極限化される命運をもっていた。その特徴はこれらの詩人たちの詩業にあらわれている。
 ・・・・・・・・・・・近代の文明や文化は、民族語がらみに西欧近代の先進性から学ぶほかなく、また伝統的なものも中国文化を純化するほかなかった。この宿命を忠実にたどるかぎり、徹底してゆけばゆくほど、近代詩がそれを言語技術として先立たせるよりほかなかったのだと考えた方がいい。
 どんな民族文化や文明も、はじめは民族語と一緒に受容されるとしても、ジャンルが分離し、多様に分かれるようになると、その民族語からきり離されて多様化する。詩を精神の多様性の表現としてみれば、あくまでも民族詩と分離する以前に、それを意識的に表現するほかない。この課題は、絶えず日本語の表現技術のなかで分離されずにつきまとった。極端につき詰めるかぎり、異民族語を自国語のように表現し、自国語を異民族語の文法のように技術化するところまで行くほかない。文明は段階で高所から低所に流れこむものかもしれないが、異質の文明は交換不可能性から交換可能性のほうに流れてゆく。そしてこの交換性の流れは逆流しないかぎり、等価なところに至りつくと考えられる。もっとも実験的といえる詩人たちが、その役割を担ったのはやむを得なかったろう。
     (P18−P19)



項目抜粋
2
備考 註1.「詩を構成している感性の秩序」について
   「現代詩における感性と現実の秩序」(「大岡山文学」昭和25年11月25日)
註.2「大胆に稚拙を装った翻訳口調を露わにして、日本語を異化している」?






項目ID 項目 よみがな 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日 抜粋したテキスト
308 悪人正機 あくにんしょうき 親鸞の生涯 論文 今に生きる親鸞 講談社 2001.09.20 今に生きる親鸞


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第十八願 一念義 規模 本願他力 浄土 化仏土
項目抜粋
1
@ 親鸞は、そこまで徹底して名号を称える、つまり、言葉だけで名号を称えること自体を称名念仏と言っているのです。親鸞の考えでは、心の中に念ずる気持ちが生まれて来るということ自体が、自力の考え方を意味します。法然や親鸞は、それをまったく認めていません。言葉で名号を称えることがすべてで、その言葉の中に様々な信の形が含まれるのです。
 ですから、明恵や貞慶上人の批判は当たっているのです。鎌倉時代の旧仏教の考え方からすれば、その種の考え方のほうが正しいことになるでしょう。そのほうが坊さんとして考えやすいとも言えます。ところがそれを、法然や親鸞は全く否定しているのです。そして、このことが大変重要です。
 菩提の心を起こし、念仏を称えようと心に思う内在性は、常識からは善なる行いだということになります。法然や親鸞は、そういう心の状態を認めていないと思います。言葉で名号を称えればいいのだ。それで浄土へ往けるのだと言い切っています。
  法然は「愚者になって往生する」という言い方をしますし、親鸞はおなじように言えば「悪になって往生できる」と言います。言いかえれば「愚者正機」と「悪人正機」です。     (P66−P67)


A 法然に教えを受けた親鸞ですが、法然と親鸞の考え方の違いはどこにあるのでしょう。
 親鸞は法然の直弟子ではなく、外様とか客分といった関係に近いようですが、第十八願を本願とする点では、法然の直弟子たちよりももっと忠実で本気でした。・・・・・・
 まず、第十八願、あるいは称名念仏に対する考え方の違いがあげられます。
 法然は、第十八願は易しく、どんな人でも称えやすく、他の修行に比べて念仏を称えるほうが優れていると考えました。だが助業としての善行や徳本を認めています。
 親鸞には、称名念仏のほうが易しいとか、優れているといった比較級の考え方は、ほとんどありません。また助業は一切不要で、かえって往生の妨げだと考えました。
 第十八願は、煩悩具足の凡夫を救い出して、これを浄土へ摂取しようという、阿弥陀仏の誓願からでたものだ。だから、煩悩具足のままに絶対の他力によって、阿弥陀にすがるだけだという考え方です。     (P67−P69)


B 阿弥陀の第十八願は、心の底から阿弥陀如来を信じて、名号を生涯のうちに十回でも称えれば浄土へ往けるということです。親鸞は、法然の教えを受け、第十八願を眼目とするようになりますが、さらに、一生のうち真心を」こめて一度だけでも念仏を称えればいいんだというところまでいき着きます。      (P71−P72)

 なぜ人間は、なにかにすがって自分の罪を消滅させようと考えたり、死後の安養の世界を夢見たりしてはいけないのでしょう。そうすると弥陀の本願の規模を小さくしてしまうからだと、親鸞は答えています。これを普遍化した言い方にすると、
「人間の世界は、小さな救済、小さな脱出、小さな作善を選びとろうとした瞬間に、世界苦が見えなくなるようにできている。」と、言っていることになります。
 親鸞は、この一念義の問題でも法然と違うと同時に、こうした考えは、親鸞の思想の骨格の大きさの一端を示していると言えるでしょう。
     (P76)

C 
現世の社会に流通している価値観は、向上心をもちつづけて富や地位を得るようになることが良いことだ、というふうになっています。仏教の僧侶でも同じことでした。宮廷や貴族のための祈祷などにたずさわり「大師」という称号を頂戴するのが、僧侶の栄誉とされました。
 ところが道元や法然や日蓮たち新興仏教者たちは、それを頭から否定しました。そして衆生(民衆)を救済するのが大乗仏教の本来の姿だと考えたのです。親鸞もおなじです。ただ念仏を称えて真心がこもっていれば往生できるという、やさしいところに至心の信を集約したのです。
 親鸞が行きついたのは、「おれは坊さんをやめた」というのとおなじで、非僧非俗と自称しました。ほとんど首の皮一枚で僧侶ということにつながっています。要するに破戒坊主で僧侶の世界の常識では一番堕落したということになります。
 
親鸞は妻帯し、子どもをもうけ、また魚や獣の肉を食べて、僧侶であることを戒律として停止しました。これは「非僧」とか「禿人」とかいう生き方です。また生活の面からいえば、俗人とまったく同じ生き方といえます。けれど俗人そのものにはなり得ないのです。親鸞自身は「愛欲の海」に溺れたり、「名利に人師を好んでいる」からだと謙虚に言っています。
 親鸞は同時に、愛欲や名利への欲望が重大な罪業であることを深刻にうけとめ、
人間の規模の倫理では、それを免れることも、離脱することもできないことをよく知っており、自分を罪人とする自覚と内省力をもっていました。これが罪障感としてあるかぎり、俗人にはなれないと思ったのです。これが「非俗」の意味です。
 
親鸞の「非僧非俗」は、じぶんは僧侶にもなれないし、俗人にもなれない存在だという懺懈を語っているのかも知れません。だが価値観としては、じぶんは僧侶以上だが俗人以下だと言っているのかも知れないのです。そしてこの懺懈があるかぎり、親鸞は僧侶以上で俗人以上だと受けとることができるように思います。     (P77−P79)


D 親鸞は、
 「どんな自力の計らいもすてよ」
 と、繰り返し説きました。自分ではどんな計らいももたない。浄土に近づくために、絶対の他力を媒介として、信ずるよりほかにどんな手段も持っていない。この「本願他力」こそ、究極の境涯である、としました。  (P79)

 親鸞はこのように、実現すべきことを「深く信ずること」「念仏すること」と、「みずからは計らわないという心の状態」つまり、「まかせるという心の状態」、ただこれだけだと、繰り返し言っています。しかし、このことは、弟子や同信の人たちに、
一番理解されにくいことでした。心の底から信ずることも難しいし、信ずると必ず浄土へ連れていってくれると信ずることも、また難しい。それから、そういう状態は、自分が善いことをしようとか、修行して何かしようと、自分の方から計らって自力をまじえて考えてはいけない。自分の方で修行しようとか、善行を積もうとか、少しでも計らった状態で信じる心を持っていったらダメだと、親鸞は、はっきり言っています。そうすると、第十八願はたいへん難しいことになります。・・・・・・(略)・・・・ところが、親鸞のいう、信者と浄土の宿主である弥陀仏のあいだの距たりは、それと違います。
 もう一つの特徴を考えてみます。それは「規模」ということだと思います。
浄土、あるいは弥陀仏の規模というものは、信者あるいは人間が考える規模とは違った、途方もない大きな規模を持っているということです。それは距たりということの、もう一つの別の意味になっていると思います。
 三つ目は「媒介」ということだと思います。媒介という言い方は、
反復という言い方をしてもいいと思います。信者と阿弥陀仏の距たりは媒介なしには踏み越えることはできないんだという考え方だと思います。
 この三つの眼目、つまり、行者の方から計らっては絶対に届かない距たりだということ、向き合うものの規模が途方もなく違うということ。その上に、媒介なしにはそこに到達できないということ。この三つが、信者である人間と、浄土の宿主である阿弥陀仏のあいだの距たりの構図を示しています。      (P81−P83)


E では、なぜ悪のほうが浄土へ往きやすいのでしょう。親鸞はいろいろな説き方をしています。まず、阿弥陀の第十八願は、もともと煩悩具足の凡夫のため、あるいは悪人成仏のためにあるのだから、悪人のほうが近道なのだという言い方をしています。
 悪人は自分で善いことをしようとか、修行しようという考え方を持っていません。一方、善なる人は、何かしら善いことをしたい、あるいは、自分は善いことをしていると、どうしても考えやすい。善なることをする、あるいは、したいということが、ごく無意識にでているときは、それでいいのだけれども、人をかき分けてもしたいとか、人を強制してもさせたいというようになっていったら、それは一種の計らいであって、自力であるから、第十八願には近づきにくいということです。
 それに比べると、悪人は、もともと自分が悪いと思っているから、善いことをしようにもあまりできそうもない。自力で何か善いことをしようとか、自力で人を押し分けて善いことをしようとか、そんなことを考えないから、このほうが計らいというものがない状態になりやすく、仏の本願に近づきやすい、そんな言い方もしています。
 別の言い方をすると、善い行いをしようとか、修行しようというのがどうしてだめかといえば、浄土の宿主である弥陀の持っている大きな善とか、大きな悪とか、大きな光明とか、そういったものを初めから信じていないからだ。だから、ちっぽけな人間の善悪にこだわって、それをつきすすめれば浄土へ往けるというようなことを言うのだ。それでは「仮土」【ルビ けど】、つまり仮の浄土へ往くしかない。だから、ほんとは悪人のほうが浄土へ往きやすいんだ。こんな風にも言っています。
 親鸞は、阿弥陀如来の第十八願の誓いの中に、弥陀から射してくる光が向いている方向があると考えました。人々が第十八願を信じて、心の底から念仏を称えると、そのとき称えた人の言葉から光が射していく方向があります。その念仏を称えた人の光と、阿弥陀からの光とが、どこかで必ず出会うはずです。その出会いがあるから、称えた人は誰でも必ず浄土へ往けるのだというのが、親鸞の考えです。
 心から信じて、念仏を称える心の状態が自然に実現されるとしたら、浄土の宿主のほうから射してくる光と必ず出会える。もく、その心の状態の中に少しでも、自分はこう行い、こう信じているから、いま念仏を称えれば浄土へ往けよう、そういう心の計らいがあったらダメなんじゃないか。どうしてかといえば、どこかで比較、比量する心の状態が芽生えて、そういう計らいが起こるからです。計らいのない状態になれたとき、必ず浄土の宿主の摂取力に摂取されると、親鸞は言っているのです。
       (P84−P87)


項目抜粋
2
F 『浄土論』を著したインドの高僧、世親は、浄土というのは死んだあとに、信仰の優れた人と、善行を積んだ人たちが往ける、この世にはないような安楽なところであるということを、一生懸命説きました。それに対して、中国の高僧、曇鸞の『浄土論註』では、死んで浄土へ往く過程と、いったん浄土へ往った上で、身を清めて浄土の人らしい人格を獲得した後で、もう一度現世へ還ってきて現世の衆生をに教えを説いて、民衆を仏の覚りに伴っていく還りの過程があると言っています。「往相」【ルビ おうそう】と「還相」【ルビ げんそう】という考え方です。
 浄土門は、曇鸞で、ほとんど教義が完成していたと言ってもいいでしょう。少なくとも、親鸞が浄土門に関心を持ち、比叡山に上り、修行したりしているときは、浄土系の考え方は、こうした世親、曇鸞の考え方で行き着くところまで来ていると考えていたのだと思います。
 親鸞が生きていた中世の当時、浄土へ往くことがどうしてそんなに切実であったのか。当時、普通の人々は、生きていくことが苦であったろうと思われます。疫病が流行ったり飢饉になればバタバタ死んでいってしまう。武士たちは盛んに戦争をしており、とばっちりを受けて、田畑を踏み荒らされたり、殺されたりすることが日常茶飯事のようにある。都に近ければ近いほど、生きていくということが苦だったことは確実だと思います。
 生きているのは苦だ。では死んだあとも苦が続くのか。せめて死んだあとは苦じゃないところへ往けないだろうかという考え方が、普通の人々から盛んに生まれてきたのだと思われます。
 また、
仏教は、東洋において原始的な時代、あるいはアジア的な時代に生まれた宗教です。インド、中国、チベット、東南アジア、日本、ニューギニア、フィリピン、ジャワ、スマトラといった地帯には、仏教が生まれる前から流れている原始時代の宗教があります。そうした信仰に共通したものは何かというと、人は死んだらまた生まれ変わるということです。
 
そうすると、現世において生きていることが苦でしかないのに、死んだらまた生まれ変わって、苦である生涯を繰り返さなければならないことになります。もうそれはたくさんだ、どこか安楽なところに往って、そのまま生まれ変わらないでとどまりたい。そういう願望が共通してありました。そういう願望が観念としていっぱいになった時期に、インドで仏教が生まれたということができます。
        (P87−P89)


G 仏教を信じれば、あるやり方によって、一挙に浄土に生まれ、かつ、もう生まれ変わらなくていい。そこは至上最高のところで、そこに往けば苦をとめることができるんだ、ということになりました。
 
現世にいる苦を永劫にわたって繰り返す苦痛をどこかで断ち切る方法や考え方はないかということが、仏教にとっては根源的なことだったのです。とくに浄土教は、どういうやり方でどうやったら浄土に到達できるのかということが眼目でしたから、優れた坊さんたちが、こうやれば浄土へ往くことができる、こうやれば浄土に生まれることができるということを、一生懸命考えていったわけです。

 親鸞も始めはそういう考えのもとに修行を積むわけですが、だんだん修行していくうちに、いや、どこかおかしいと、疑問を抱いていくわけです。
 『教行信証』を、ぼく流に勝手に解釈すれば、親鸞は、世親にしろ曇鸞にしろ、中国、インドの浄土系の坊さんが言っていることはおかしいと疑問を呈していると思います。どこがおかしいかというと、一つは、浄土があると思っているところです。つまり、天国があるというのと同じことで、浄土が実体としてある、存在すると考えるのはおかしいではないかというのが、親鸞の第一の疑問です。
        (P89−P91)


H 『教行信証』の中では、そのことがとても重要なテーマとなっています。浄土が実体的にあるとして、死んだら実際そこへ往くと考えます。死んだらと言うが、死ぬというのはどういうことなのか。仏教で言っている死は、動かなくなって、冷たくなることを死ぬといっているようにしか死ぬと言っているようにしか思えない。それはおかしいではないか。そんなことは大体わかりはしない。それが浄土へ往くというのは、どうやってわかるのか、と。
 親鸞は最終的に、そういう疑問に到達します。浄土門の一番の問題はそこだということに気がつき、そんなものがあるというのはおかしいと考えたのです。
 それから、往きと帰りということについて言うと、死んでしまってから、どうやって還れるのかということがあります。もし死ぬということが肉体的な死を意味し、浄土が本当にあって、そこへ往くというなら、そこから還ってくるということは、どういうことなのか。幽霊として還ってくるのかということになります。そんなのはウソではないかということに、仏教の僧侶の中では親鸞が初めて気がついたと言っていいのです。

 浄土なんてあるのか、ほんとうにあるなどというのはつまらない考え方だ。浄土はあるとも言えるし、ないとも言えるぐらいなことを言うほうがよほどいいので、まだそっちのほうが正しい、というのが親鸞の考えです。
 これは現代に通じる考え方です。何百年も前に、今に通用する考え方をちゃんと言っているわけです。これはものすごいことです。
       (P91−P93)


I 『教行信証』には、もう一つ重要なことが書いてあります。浄土がほんとうにあるというのはおかしいではないかという疑問と同じことですが、ほんとうに仏がいる国とは別に、「仮仏土」【ルビ けぶつど】というものがあるという考え方です。
「仏教語で言うと、正定【ルビ しょうじょう】の位へ往く」
 と、親鸞は言っています。正定は何か。
「それは浄土そのものではない。が、そこから浄土へ往こうと思えば、いつでも往けるというところだ。死んだらその正定の位に往くのだ」
 親鸞はこう言っています。
 親鸞は、人間が生涯を終えたときに往くべきところは、「正定聚」【ルビ しょうじょうじゅ】=「仮仏土」であると考えました。そこは、仏のいる「真仏土」とは違うけれども、「真仏土」へ往こうと思えばいつでも往ける場所というのです。

 親鸞は宗教者、宗教家ですから、浄土そのものを否定することはしません。しかし、浄土が存在するというと嘘になってしまうので、そうして概念を排除しています。その上で、「仮仏土」という概念を持ち出しているのです。
 「仮仏土」=「正定位」とは、ほんとうの「死」なのだと、親鸞は考えていたと、ぼくは思います。肉体の死のあとに浄土を考えることは、比喩としてだけ可能です。しかし、ほんとうに親鸞が、思想、理念、考え方として死や浄土を想定しているときは、「正定聚」の位のことを、ほんとうの死だと考えていたと思います。どこにあるのかわかりませんが、いながらにして自分の現在を絶えず照らしている。そういうものがほんとうの死であって、肉体の死というものは、比喩の死だというふうに考えていたと思います。
 「正定聚」の位が死であるという理解をすると、宗教を信じていない人にも通用するところまで拡張できると思います。死というものは、肉体的な死ではなくて、観念的な死なのだということです。
 どういうことかというと、時間というものは、過去から現在にきて、それから未来に行くというふうに、必ず一方的にしか進みません。しかし、もし、未来から現在を見通すことができれば、それが要するに死で、死というものは、そういうふうに解釈してもいいわけです。そうすれば、信仰のあるなしを抜きにして理解できます。
 それはただの視野の問題であり、視線の問題です。物事をどう見るかということです。未来のことは本来、真後ろからしか見えないのですが、そうではなく、逆に視線だけでも未来から今を見通すことができるとすれば、この次、どういう社会になるかといったことがわかるということを意味します。そう理解すれば、信仰のない人にも通用します。

       (P94−P97)

 信仰のある人なら、親鸞は、死んだら「化仏土」というところへ往けるが、それは浄土ではない。浄土などというのはないとまでは言わないが、浄土が実体としてあると考えるのは嘘だよと、言っているということになります。親鸞は、浄土があるかないかと聞かれれば、あるとも言えるし、ないとも言えるということになってしまうので、そんなことは考えない方がいいんだよと言っているのです。
 仏教的な弁証法には、よくこういう言い方があります。こうでもない、ああでもない、それなら何でもないのかといえば、そうではなく、こうでもないああでもないものがあるのだ、という言い方です。ですから、浄土はあるとも言えず、ないとも言えず、なのです。
 親鸞という人は、とても醒めている人です。だから、浄土があるとか、天国はあるみたいなことは、ばかばかしくて言えないのです。そんなことは嘘だから、とても言えない。他の宗教家でも、嘘だということはよく知っています。でも、そうは言えないわけです。
 親鸞は、浄土が実体としてあるとは一切言っていません。そういう意味では、仏教をほとんどぶち壊したと言っていいくらい醒めている人です。この人は、宗教家というより、思想家と言ったほうがいいのではないか。またその布教の仕方は、思想運動に似ています。
 
親鸞の特徴は信と不信のいずれにも通ずることしか言わないところです。信仰者としての自身は深奥にあって、他者にみえなくてもいい絶対的な他力にあります。信仰を持っていない人でも、親鸞が書いたものを読んで納得することができるのはそのためだと思います。
      (P97−P99)


備考 註.1 「人間の規模の倫理」を超えたものと、むかし「マチウ書史論」で提出された「関係の絶対性」との関わり?
註.2.「電車のせきとり競争との関連」

   「沈黙の有意味性」発掘のの意義






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310 今に生きる親鸞 いまにいきるしんらん 今に生きる親鸞 論文 今に生きる親鸞 講談社 2001.09.20 今に生きる親鸞

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「緊急の課題」と「永遠の課題」
項目抜粋
1

@ 自分が言っているのは、目の前で困っている人を助けても、最も大切な救済の問題にはならないというだけで、自分の心が、どうしても助けざるをえなかったら助けなさい。それが自然ということだ。だけど、そんなことが第一義だと思ってもらっては困るというだけだ。親鸞はこう言っているのです。
 目の前の人を助けるかどうかというのは、相対的な善悪にすぎない。徹底している善悪とは、ひとたび浄土へ往って(この場合の浄土は本質的な浄土ですから、死んでしまったあの世ということではありません)生をも見通せる、死も見通せる場所から還ってくるということです。つまり、自分が還ってきてそこで出てくる慈悲を第一義の慈悲と考えなさい、と親鸞は言っているのです。
 このような言い方は、非常に多義的といえば多義的だし、曖昧といえば曖昧です。正定の位に往って還ってくると言ったって、死んでから生き返ることなんてできないのだから、それまでではないか。助けるもヘチマもない。信仰のない人間ならそう考えるでしょう。
 が、一方、「還ってくる」ということ自体が、一種の形而上学的なことなのだから、そういう思想がなければたくさんの人を助けることなどできないのだ、というふうにとっても、もちろんいいでしょう。
・・・・・・・ですから、人間の「死」とは何かというと、自分自身の肉体が死ぬということとは、全然次元が違うのだというふうに理解すればいいのではないかと思います。そうすると話がわかりやすくなって、信仰があろうがなかろうが、理解しやすくなってきます。

          (P165−P166)



A 【タバコの問題に関して】 「緊急の課題」と「永遠の課題」
 こういう現象に対して、どういうふうに考えたらいいのでしょう。この、タバコを吸うか吸わないかという問題の中には、『歎異抄』に出てくる「聖道の慈悲」に属する問題と、「浄土の慈悲」に属する問題、つまり、
「往相」と「還相」の二つの問題が含まれていると、比喩的に理解することができます。
          (P170−P175)

B 親鸞は、『歎異抄』の中で、善悪について、よく知られている、
「善人なほもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」
 という言葉を吐いています。親鸞の考え方では、人間の善悪と信仰とは、一般のつなげ方では、どうしてもつながっていかないのです。
 それはなぜかというと、親鸞は、善なる人は、どうしても自分は善いことをしていると考えやすい。人をかき分けてでもしたいというようになったら、それは計らいだから、第十八願には近づきにくい。一方、悪人は、自力で何か善いことをしようとは考えないから、計らいがなく、仏の本願に近づきやすい。こんな言い方をしています。
 これを通俗的に解説すると、だいたい、善いことをしているときとか、言っているときは、図に乗ることが多いのではないでしょうか。逆に言うと、他者が悪いことをしている場合には、けしからんじゃないかと、非難することになってしまいます。
 しかし、人間は、善いことをしていると自分が思っているときは、悪いことをしていると思うぐらいがちょうどいいというふうになっています。逆に、ちょっと悪いことをしているんじゃないかと思っているときは、だいたい善いことをしていると思ったほうがいいのではないでしようか。
 ここには、人間の中の、善悪というもの、あるいは倫理、善行,悪行というものについての、とても大きな、微妙な問題があります。
 どうも、善悪、倫理というものは、心の中に内蔵しているときだけ区別できるもののように思われます。それが外部に、行為や言葉として現れる場合は、
誤差を生み出さずにはおかないようなのです。
 外部に行為や言葉として現れることは、善悪、倫理を共同の場ににさらすことです。心の中にあるときは、善悪、倫理は個人の内にとどまっています。これを共同の場にさらすときには、必然的に誤差を生み出します。
 しかし、つきつめていうと、これは誤差ではなく、
本質的には善と悪の転倒を生み出すのではないでしょうか。親鸞はそのことを洞察していたのだと思われます。
 ではなぜ、現実には、善悪、倫理は転倒までいかずに、誤差として現れることが多いのでしょうか。
それは、善悪、倫理が行為や言葉として現れる場合、大なり小なり、無意識の行為や言葉として現れる部分を含んでおり、この無意識、無意図の部分が、善悪の転倒までいかせずに誤差にとどめておくのだと考えられます。
親鸞は、この無意識、無意図を他力第十八願の真髄とみなしたと言えます。
 行為や言葉として現された善悪、倫理は、現されたということだけで、共同の場にさらすことですから、たとえ無意識であったとしても、他者の無意識を、共同の場に引き込んでしまいます。善行や悪行が少しでも無意識を離脱して意図的であったとき、他者を引き込んだり、息苦しくさせたりするのは、そのためだと思います。
 親鸞が洞察したのは、そのことだったと言えるでしょう。宗教が、善悪、倫理と結びつくとき、善と結びつくのは本来的ではなく、また、必ず誤差を含むことなしには不可能であることをよく知っていました。本来的にいえば、無意識の悪と一番近いはずだというように考えたのです。だから、「造悪論」が一部に出てきたとき、親鸞は、それは「意図的な悪」だから、意識的、意図的な善とおなじようにダメだと判断したわけです。           (P178−P182)


C 人間の善悪は、決して一重底ではありません。一重底の善悪を否定すると、二段目の善悪がきっとでてきます。二段目を否定すると、三段目の善悪がまたでてきます。それを無限に否定していくと、その果てにほんとの善悪が開かれる状態がでてきます。
 人間の善悪、倫理は、大変気をつけなければならないことです。信仰を除けば、一番気をつけなければならないことだと思います。また、それは思想の一番大きな眼目だと思います。なにを善としてなにを悪とするかをよく考えてみると、その思想はどの程度の思想か、どの程度のできあいの思想かを判断できるほどです。親鸞の善悪の判断の基準は、たぶん、人間が考えられる最後のところまで達していると思うのです。

 現在は、戦乱ではありませんが、平和な息苦しさの中で、善悪の問題がどんどん身近に迫って来るということがあります。それをどう考えたらいいのかが、大きな眼目になってきます。親鸞が当面したのは、全く同じ問題だったと思います。           (P182−P184)



項目抜粋
2
D 親鸞は、「善」よりも「悪」のほうが弥陀の本願に近づきやすいと説くと同時に、「知」よりも「愚」のほうが、弥陀の本願に近づきやすいのだと説きました。親鸞にとって、自分が限りなく「愚」に近づくことが願いでした。愚者にとって「愚」はそれ自体ですが、知者にとって「愚」は、近づくのが不可能なほど遠くにある最後の課題です。      (P184)

 親鸞には、この課題そのものが信仰のほとんどすべてで、たんに知識を捨てよ、愚になれ、知者ぶるなという程度の問題ではありませんでした。つきつめてゆけば、信心宗派が解体してしまっても貫くべき本質的な課題だったのです。
 これを通俗的に解釈すると、知識というものは殺すものなのだ、と親鸞は言っているのだと思います。知識など自慢するやつは一番バカなんだ。知識を極めるのはいいことだが、極めたら、あとはそれを殺すという道を通らない限り、こんなものを自慢しているやつはダメなんだ。知識を殺せなければ嘘なのだということです。
 現代にも、知識を自慢する者が、いわゆる知識人といわれる人たちのなかにいますが、ああいうのは、(
そんな時のわたし自身を含めて)一番ダメなわけです。      (P187−P188)


E 現代の日本は高齢化社会です。この問題に対して、
親鸞のいう「往相」の課題、つまり緊急課題は何かといえば、すぐにわかるように、現在、老人病といわれる、死に至る病気に対して、どうやって今よりもよい治療体制をつくり、治療することができるようにするかという医学上の問題が一つあります。
 また、老人用の施設をどれだけ増やしたらよいか、予算をどこから出してきたらよいかという問題もあるでしょう。老人に職業を与えれば、ある程度、高齢化社会の問題も解決するのではないかという課題もあります。
 
では、この高齢化社会の問題で、「還相」の課題、あるいは浄土的な課題、つまり「永続的な課題」は何かというと、「死」をどう超えたらいいかということのように思われます。これが親鸞のいう「還相」の課題、浄土の慈悲、大慈悲の課題です。
 この永続的な課題に迫り、これを緊急な課題と同時に解くという考え方をとらないかぎり、高齢化社会の問題、人間の「死」の問題は解決しないことは明瞭です。
 たとえば、国家がたくさん予算をさいて、社会福祉老人施設をいっぱいつくってくれれば、それが究極の解決かといえば、決してそうではありません。つまり、老人の問題、社会の問題といえども、究極的には、個々の問題に到達したときに解決したということになると思うのです。
 もっと具体的に言えば、老人たちが自分たちのやりたいような、一番好ましい生活様式でもって、経済的にも精神的にも生活することが自主的に成り立っていく体制がとれるというところができたら、社会生活の問題としての老人問題は、はじめて死の問題を超える糸口に入ったことを意味すると思います。
 決して、社会施設が増えてきて、そこに安心してまかせられたら老人問題は終わりかといったら、それは究極の解決ではありません。究極の解決は、その老人一人一人、あるいは夫婦一組一組が、心身ともに、経済生活も含めて、全部自分たちの様式、やり方をとりながら、いままで当面してきた問題、つまり、生老病死の問題において、人間が当面し、経験してきた問題が解決してきたときに、老人問題、社会的問題が解決したというふうに言えるのだと思います。      (P188−P190)



F 人間の肉体的な死は、厳密にいうと、ここからここまでが「肉体の死」で、ここからこっちが「肉体の生」という境界が存在しません。
 たとえば、「脳死」を考えるとすぐわかります。いわゆる自然死の場合には、内臓の場所から死というものが起こってきて、脳の死に至り、心臓の死になっていくのが順序になっています。ところが脳死の場合には、急激に死がくるものだから、脳の死が先に起こって心臓や内臓のほうがまだ生きているという状態が、ある時間現れることになります。ですから、心臓移植が可能になったりするわけです。
 これを見てもわかるように、人間の「肉体の死」といえども、ほんとうは、ここからここまではこの人の死だ、と言っていい境界線は、厳密な意味では引けないのです。
 もう一つ、「肉体の死」について言えることは、人間は自分の死を体験することができないということです。肉親や近親の死、あるいは他人の死など、他者の死を見ることはできます。もっと生きてほしいと思って、手助けをしたりすることもできるわけですが、「肉体の死」については、「他者の死」しか見ることができません。体験できないわけです。
 別の言い方をすると、死について体験できるのは「形式」としてだけだということもできます。死に瀕した人が苦しそうにしていると、そばにいるほうにも苦しそうに見えます。しかし、ご当人が苦しいかどうか、あるいは意識があるかないかということは、まったくわからないことです。
 
そのように、「肉体の死」は自分では体験できないし、他者の死という「形式」としてしか体験できないのです。
      (P190−P192)


備考






項目ID 項目 よみがな 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日 抜粋したテキスト
325 ある思い あるおもい 内省記―溺体事故始末  新・死の位相学 春秋社 1997.8.30 新・死の位相学


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項目抜粋
1
@ 他人の善意や好意の大小や軽重を、不意の事故のときの反応で決めたりするのは、独りよがりで、そうしてくれた人々にすまない下卑た心の動きの気がする。しかしじかに見舞の便りや行動で、心配の気持をあらわしてくれたことは、悪意の反応に出たものでないことだけは確かだ。こんな言い方に含まれた傲慢さを打ち消したくていうのだが、わたし自身がある契機【註.反核運動批判問題からの今までの交友者の離反?】から、知人、友人の不幸の契機に立ち会うことを諦めたので、自己弁護したかっただけだというべきだろうか。・・・・・・の人々に幸いあれ。


 漱石が修善寺の大患のことにふれて、じぶんはこの世間を全部敵のようにみなす嶮しい気持で生活してきたが、世間はじぶんがかんがえているほど嶮しくも、敵対的でもなく、善意な温いところかも知れないと思いなおしたといった意味のことを述べている。この偉大な文学者を連想に連れ出すのはおこがましいが、「伊豆」ということから修善寺がうかんだので、敢えて言わしてもらうと、わたしもこん度の溺体の体験で、肉親、近親から知人、未知の読者の反応の感じから、おなじことを言いたい気持がしないではない。
しかしそう言ってしまえば、世間というのはひどいもんだと、身を固くして抗ってきた度々の、あまりひとには言えないじぶんの敵対感に済まない気がする。だから言わないことにする。だがこれを言わないとひどく心が痛むことも確かだ。(善意、悪意の表出された雰囲気には幾段階がある)。無償ということの重要さ。
                (P5−P6)


項目抜粋
2
A 本音をいえばこん度の溺体の体験を、老いをかんがえなかったじぶんの無謀、無自覚への警告と受けとる発想をしていない。わたしのメモにもそういう考え方の方向性がないことがわかる。しかし善意と好意の世間的な反応ににたいしては、奥の方からじぶんの内省と後悔を全面にさしだすことでしか感謝をあらわせない。もうひとつ内省を表面にひき出さざるをえない理由がある。
ほんとは、こん度の溺体の体験は、わたしにとって死に向かう階段を一段降りたことを意味するかもしれないとおもえることだ。もしかすると三十年以上も行きなれた伊豆で、しかも泳ぎなれた土肥海岸で、べつに苦しいという意識もなしに溺死するということは、誰も傷つけない、いい死に方なのかもしれない。ことにひとを傷つけることを常習にしたような文章ばかり書いてきたわたしにとってはそうおもえる。仰天したことに、肉親、近親からはじまって友人、知人、報道(これだけはじぶんで確かめていないが)などに、恐れ入るほどの迷惑と当惑を及ぼした。これは個人の死といえど、そんな単純なものでないことを意味しているのか。個人の幻想が共同幻想と同致してしまうこと(それがかつてわたし自身がやった死の定義だ)はそれ自体が重たいことだということか。
                (P10−P11)


備考 註.






項目ID 項目 よみがな 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日 抜粋したテキスト
326 遊び あそび 第一章 遊び、芸術、精神医学  対談 遊びと精神医学
―こころの全体性を求めて
創元社 1986.1 遊びと精神医学


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項目抜粋
1
@ なるほどね。僕は自分のことを考えると、やっぱり遊ぶことが下手なような気がするんです。ちょっと自分でそれを分析してみますと、とにかく何か夢中になって、長時間打ち込んで、無我夢中で遊ぶとしますね。そしてふとちょっと反省的になる瞬間がありますね。そうすると、なんか一種の罪悪感というものにかられてね。それでこんなことしていていいのかしらという感じになりますね。
 そうするとその感じは、ちょっとなんともいえない、無類の感じなんですね。そういうのがあるんです。そしてこれは他人もある程度同じじゃないかと思えるところもあるんですけど、しかしこの度合を見たら、そんなことをあんまり感じないと思える人も多いんですね。そうすると僕は相当感ずるほうじゃないかと思うんです。そうすると遊ぶということが罪悪感みたいなものと、何故つながるのかということは、大変考えるところがあるわけです。
 そういう場合と、それともう一つ、こういう感じもあるんですよ。つまり自分は思春期といいますか、青年期の時に、ちょうど戦争の時でして、野放図に遊ぶと、すぐにあれは遊んでばかりいてというふうに、社会的ないろんな視線が、いつでもこちらを向いている要素が強くて、だからそういうところでひとりでに形成されてきちゃった、つまり戦争の年代だから遊ぶのが下手なんじゃないかなというところに帰したい気持もあるわけですね。
 そういうことと、もう一つ、あんまり遊び過ぎると、一種の罪の意識みたいなものにかられる、その時にかられる感じが、なんか割りにセクシュアルなといいますか、エロス的なことと関係があるんじゃないかなと、そう関連づけたいところもあるんですよね。・・・・(中略)・・・・
 それは相当顕著な違いで、ギラギラしている奴は、しょっちゅう実際にもギラギラしたことを起こしていますしね。そうじゃないのは、あんまりそういうことがおこらないし・・・・・。そういうことが相当顕著な差としてあるような気がするんです。
 僕はやっぱり自分を考える場合に、そういうことともなんか関係があるんじゃないかと思います。遊びが下手であるとかいうことは、かなりな程度病質ということだけじゃなくて、なんかエロス的なことと相当関係があるじゃないかという感じもするんですですけどね。
                (P73−P75)


A 僕の中にもあると思うんですね。異性に対する恐れというものがあると思うんですね。(笑)だから自然じゃなくて、どこかで身構えちゃうといいますかね。つまりそれは慣れの問題であるということもあるのかもしれませんけど、慣れないから、ますますそうなるのかもしれませんけど、なんかいつでもフッと身構えてしまうみたいなものがありますね。
 ただ僕が病気にならないのは、そうかといって女の人に対して欲望を感じないとか、好きだという感じとか憧れるとか、そういうことはないかというと、別にそんなことはないんです。強烈にあるんですけどね。だからそこのところが、いつでも自分を考える時に引っかかってくる一つの問題なんですね。
 それから今、町沢さんがおっしゃったことでいいますと、そもそも遊びというものに対して、遊びを切断されたという最初の感じとは、やっぱり小学校に上がる前というのがひとつありますね。・・・・(中略)・・・・
 そもそも遊ぶということは、その時まではそんなに下手でなかったような気もするんですけど、そもそも遊びを罪悪とするような感じを植え込まれちゃったのは、学校へ入った時からじゃないかみたいな、そういう感じも一方にあるんです。そういうところも本当は自分ではわからない感じのところなんです。
                (P76−P77)



項目抜粋
2
備考 註.






項目ID 項目 よみがな 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日 抜粋したテキスト
346 息苦しい労働概念 いきぐるしいろうどうがいねん シモーヌ・ヴェイユの神
深淵で距てられた匿名の領域
講演 1993.1.23 ほんとうの考え・うその考え
賢治・ヴェイユ・ヨブをめぐって
春秋社 1997.1.20


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マルクスの労働概念の息苦しさ 消費は遅延された消費
項目抜粋
1
@ ヴェイユの考えもそうですが、対象化行為で、働きかける対象になったものから全部価値に転化していくというマルクスの考え方は、抜け道がないわけです。なんか人間は価値物に取り囲まれていないと、極端にいうと商品に取り囲まれていないといけないみたいで、すこしは休みというかどこかに遊ぶところはないのかという感じで、ぼくがマルクスの考え方を修正したいとおもうのはそういうところなんです。ヴェイユという人も真面目一方ですし、たいへんストレートに直線的につきつめてけっして妥協しない人ですから、徹底的にやっていくと、そうなってきます。とにかく人間の働きかけたものから、こんどはその働きかけられたものは価値物になる。すなわち価格を生じる、価値が生じるという考えをとっています。そうするともう息苦しくてしようがない。夜眠っているあいだも価値物を作っていることになります。マルクスの考え方はそうです。休息することで、今日とおなじようにあしたも働けるだけのものを作りつつあるという考え方になります。

A 消費という考え方もおなじで、マルクスの考え方からすれば、消費は遅延された生産なわけです。つまり、いまこれを作ったんだが、これが回り回ってどこかで売られて、それをまた買って役立てることによって、またあした仕事をするという、そういうことでいえば、消費とは遅延された生産ということになります。どうかんがえても、抜け道がないわけです。なわけです。
            (P116−P117)


項目抜粋
2
備考 註.「消費は遅延された生産」とハイ・イメージ論にあり、その意味がよくわからなかったが、ここの説明でよくわかった。






項目ID 項目 よみがな 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日 抜粋したテキスト
358 江藤淳 えとうじゅん 第三章 天皇制の現在と江藤淳の死   対談 だいたいでいいじゃない 文藝春秋 2000.7.30


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みんなに言ってしまう
項目抜粋
1
@ 江藤さんは漱石に固執したでしょう。それも僕にはよくわからないことのひとつです。つまり生き方として見たら、漱石は当時でも鳴り響いた大秀才で、留学帰りで学問もできてという人なのに、当時二流、三流の新聞社だったらもうヤクザと同じようなもんだと思われていた時代に大学教授をやめて新聞記者になっちゃう。文部省が博士号をやるといっても、いらねえいらねえという。そういう身の処し方はみんな江藤さんとは反対のような、若い時からそんな気がしてきました。それで、漱石と正反対で同時代で優秀な文学者というと、これは森鴎外だな、と感じます。江藤さんは本当は森鴎外に近いんじゃないか、だから鴎外を取り上げたらぴたっといったんじゃないかと僕には思えるんだけれども、漱石に固執した。そうすると、漱石の中にある混沌としたもの、気ちがいじみたもの、得体の知れない塊みたいなもの、そういうものをもしかしたら江藤さん自身も持っていて、それは最後まで出さないでいたということだったのかなあ、という解釈もするんです。
 江藤さんという人は、すっきりとわかりやすくて率直で、小林秀雄の跡目というか、文壇世界の真ん中にでんと座っていろんな役割をするはずの人ですよね。出来る人だし、また力もあるから・・・・・。それが最後まで学者的というか、教育というか、そういうものに固執してそれを放さない、片足をそこに突っ込んで、ということがありました。そういうところは、漱石というよりも鴎外が持っていた要素に近いのです。さればと言って、鴎外を対象としては自分の中の混沌としたものが表現できなくて、それで漱石に固執したんだけど、また漱石とは似てないじゃないかあんたはって、僕は陰の声初期の頃は思ってました。でも混沌としたものを持っていて、それを言わないで我慢してきちゃって、最後まで来たのかなあと思います。
 最後の、新聞に載っていた遺書というのがあるわけですけれど、あれは江藤さんの最後の名文で、あれだけ取ってくれば、あれはもう鴎外だと言っていいくらいです。はっきりしていて決断力もあって古典性もあって。
 あの人は最後まで我慢してしまったんじゃないかなあという気がしています。何に我慢をしていたのか、それがわかると囲っている垣根が何なのか分るぞ、と思えます。


 いまの僕の心理状態というか心境で言えば、あの「病苦は耐え難し」ということですけど、僕の場合は病苦とは言わないで老苦と言えば言えると思うんだけど、
つまり僕だったら洗いざらいみんなに言ってしまうと思います。前立腺肥大っていうのはこういうものだって。江藤さんはちっとも言っていません。最後は脳梗塞だっていうでしょう。・・・・・(中略)・・・・・・・

 僕だったら、脳梗塞っていうのはこうなんだよ、体験的に言えばこうなんだと皆に言っちゃうと思うんです。批評家としても言っちゃう(笑)。だけど江藤さんは脳梗塞の後の自分は形骸だと言っている。そういうふうに言うためには、何か他のことがなければ言えないと思うんです。僕だったらそこを解剖して言葉を作って言っちゃうと思うんだけど、あの人は、そこのところを我慢するのがサムライだ、という観点だと思います。相当終わりまで我慢しちゃった。そこがちょっとわかりにくいなあってところになって残っています。
                (P176−P179)



項目抜粋
2
A 【江藤淳の批評の評価基準について】
                (P200−P203)

備考






項目ID 項目 よみがな 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日 抜粋したテキスト
359 生き神様制度 いきがみさませいど 第三章 天皇制の現在と江藤淳の死   対談 だいたいでいいじゃない 文藝春秋 2000.7.30


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生き神様制度 法律の中にある余計な道徳性 プロテスタントの倫理
項目抜粋
1
@ 敗戦直後のことで言いますと、コミンテルンの二十七年テーゼ、三十二年テーゼにおける天皇制規定というのがあって、こういうものが本当は良かったのかなと思っていた時なんですが、その後微妙に細かく見ていくと、この規定はダメだということになりました。いまの考えは、天皇制中国の冊封体制の中の辺境国家における生き神様を制度化したもの、チベットのダライ・ラマのような生き神様的な宗教制度と政治制度の合一性を制度化していくと天皇制になると、おおよそそう考えています。
 誰でもいいですが、東京の知識人的な人が郷里へ帰って、そこでお盆で迎え火を焚いていたら、そんなもの止めろといって蹴飛ばしちゃう。そうならない限り、村里の鎮守様的な生き神様制度というのは残ると思います。その生き神様信仰と天皇制は
もしかするとパラレルじゃないかもしれません。天皇制がなくなって、日本国民の頭から全部ぬけちゃっても鎮守様の祭りには提灯下げてとか、お盆の迎え火を楽しく見ているとか、知的な人が郷里に帰ってそうだったら、生き神様制度という意味では残るかもしれないと思います。


A 天皇制自体は、一応はもう太平洋戦争が終わった時に終わった。あそこまでぎりぎりの線でやっていて、制度的にも法律的にも実際的にも生きていたんだけど、その後人間宣言してからは、誰が天皇になろうと実質上のものはないと見ていいと思います。
 どこで完全になくなるかというと、農業がなくなったらなくなる。東京でも零点何パーセントかまだ農業がありますが、それがゼロになったら実質上はなくなる。勿論憲法がなくしたら、なくなる。ただの大金持ち、大地主というそれだけのことになります。・・・(中略)・・・・


 僕から見れば、どちらでもいいという感じです。厳密に言えば、国民統合の象徴としての天皇というのは現存している。下部構造として経済構造を見れば高度な資本主義国だということになりそうです。では、「象徴」とは何かということになると、法律的に解釈すれば政治的な意味も勿論入ってきますし、宗教的な意味も入ってくる。全部含まれると考えるのがいいとは思いませんが、いつでもその両端の政治的意味と宗教的意味の可能性があります。それで、天皇制の由来がどこにあるかと言えば、極東まで含めたインド以東の沿海地方とオセアニアに今も残っている生き神様制度の名残りということになるだろうと思います。
                (P186−P187)



項目抜粋
2
B もし僕に憲法改正案を作れって言われたら、天皇が国民統合の象徴だというところは削ります。それには躊躇がありません。
 天皇は日本の歴史の中でずっと曖昧なんだけど、それをはっきりさせるのは無理なんじゃないでしょうか。ヨーロッパ流に言えば、宗教が民族の総体を占めるならば、それが法律に転化する、法律が国法的な民族全体のものになってきたら国家になる。西欧流に言えば宗教、その次は法、その次は国家というように進展していく。そういう明瞭な経路の上で言われている。そこでは国法なるものは、宗教から国家にいたるその過渡的な中間に位置づけられます。だけどその構図を世界全体に及ぼすのは無理だと思います。
 日本の十七条の憲法というのは最初の憲法だとされていますが、これは法律じゃなくて
道徳です。「和を以って貴しとなす」って、これは法律じゃありませんよ。日本の法的な規定というのには、武家社会の式目と呼ばれるものもそうですが、道徳とか倫理にすぎないものが必ず入っています。この法律の中にある余計な道徳性を取り払うことは、日本とはいわず、東洋では無理ではないでしょうか。だから、根本的に言えば世界は西欧と同じ過程を踏むとは限らないと思います。

 日本が憲法をいくら西洋を真似して作ったって、法律ではない部分が必ず入ってきます。明治憲法の「神聖にして侵すべからず」って、これ何なのって言ったら、これは生き神様だから触るなってことですよ。その名残りでいまの憲法の「国民統合の象徴」の「象徴」って何だと言ったら、その曖昧さは日本古来の民族性の中でそれを抜かすことは出来ないということになる。そういうふうに残っちゃってる。


 これからすっきりさせようというのならば、憲法から削除してしまう。または、保守的な人だったら、政治的な元首で政治的な権力を持つと変えるしかない。天皇制をめぐる争点はそこですよ。それで両方で争って、どちらが多いかで決めるより仕方がない。現状だったらとても曖昧だけど「象徴」という言葉の中に東洋、日本が入っていると解する以外ないし、そうすると簡単にとってしまうわけにはいかないでしょう。
                (P189−P190)


C 
僕はいまは、西欧以外の文明が西欧文明の場所を必ず通過していくと考えるのは間違いだと考えています。それ以外の道を辿って未来へ行くかもしれません。
                (P191)


D その矛盾については、どうしたらいいか一所懸命論議しなければ駄目なような気がします。世界はいま、資本主義体制にあるわけですが、ウェーバーが言うように、
プロテスタントの倫理とだいたい照応するわけです。困っている人への慈善事業とか。ところがもっと緻密にやっていくと、中近東だとイスラム教というものを考えないといけない。商売にもイスラム教的な伝統があるとすれば、資本主義のプロテスタント性をどう変えないといけないかということがあります。そうすると、日本の天皇制というのは生き神様制度で、チベットのダライ・ラマとか、ネパールのクマリと同じで、宗教権力と王権を持っている。それが資本主義という西欧的な流れの中にどういう位置を占めていて、そのために日本の資本主義はどう変わらなければいけないか、どう違うのが妥当かということを、もっと考えなければいけないと思います。


 そういうことに対しては繊細な理解の仕方をしないと、いろいろな事にひびいてくると思います。銀行が不良債権を抱えてきて破綻すると、その当時の頭取とか副頭取とが会社法違反で追及されますけど、それは現実にはなかなか言えないことですよ。つまり、なあなあで済んできたことですから、後から追及したって仕方がない。
個人を犯罪者にすれば済む問題ではない。そこが厳密に出来ていないのは、天皇制が法的に厳密に出来ていないことと根本的に関連しています。そこをしっかり考えないといけない。
 アメリカがイラクに対して間違えているのは、イラクの中のイスラム教的要素の見極めがないままに、資本主義=キリスト教という一本槍で行こうとするところですよ。天皇制についてもそれが言えます。だけど広い意味での天皇制=生き神様制度は、アジア辺境国家には全部あります。そういう意味では、簡単に片付けられない。

                (P191−P193)


備考






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360 折口と柳田 おりぐちとやなぎだ 第三章 天皇制の現在と江藤淳の死   対談 だいたいでいいじゃない 文藝春秋 2000.7.30


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精神史 道具制度
項目抜粋
1
@ 折口と柳田を読んでいくと、日本とはこういうものかもしれんと思っちゃう。だから代表的というとこの二人を挙げるしかしようがないと思います。
 一番先進的な文明国であるヨーロッパやアメリカがやってきた道を一度は通らなければどうしようもないという考え方に対して、そうじゃない道もあるんだということを何とかして言いたいというモチーフはあるんです。そうすると、無理に通ることないじゃないのということになって、それを極端にするとウルトラナショナリズムになるんだけど、僕はそこを通らなければならないことに疑いを持ちはじめていることは確かです。
 
共通なのは、もうアフリカ的段階だけで、後はそれぞれ分かれてしまって、どこへ行って未来にどこで一致するかわかりませんけれど、その経路でいいんじゃないかと考えたりします。そういうところから柳田、折口を紹介したいというところがあります。
 マルクスもエンゲルスもそしてヘーゲルもそうですが、日本でいえば縄文時代とか弥生時代という場合、縄目紋があるかどうかで時代が区別される。つまり、道具でもって区別するということがあるわけです。用具・道具史観というんですよね。
僕はそういうのが不服であって、唯物的に言って道具が主体になるというのはいいんだけど、政治制度と同じように道具制度というものを考えなくては時代区分にならないと思っているわけです。道具制度をどう考えていったらいいかよくわからないんですが、東洋を語る時に、東洋的専制ということを主体にして、水利灌漑工事というものを王権が請け負ってその代償として農民は農産物を献物するということで成り立っていると言うわけだけれど、僕らはそういう言い方をしたくない。アジアというのは貢納性だった。その前は贈与性なんだ。贈与性にはどんな種類があるか、明瞭に確定したい。だけどそういうことが出来ていない。

 それと道具制度という見方から時代区分したい。けれど、そういうことが出来ていない。
 こういうことを言うと唯物史観からの逸脱になるでしょうけれど、
精神史というのは必ずしもマルクスが後期に言ったように下部構造が変われば上部構造もそれに対応して変わっていくものだっていうようにはいかないよ、ということです。日本も似たようなものだけれど、ものすごく高度な資本主義の上部構造がものすごく古い王権制度だということはありうる。これからだってあり得るし、決して対応するとは限らないという考え方です。それをはっきりさせたい。自分でもわかっていないところが多くて不服であるし、その不服の中で柳田とか折口を評価したいところがあります。
                (P195−P197)



項目抜粋
2


備考






項目ID 項目 よみがな 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日 抜粋したテキスト
361 曖昧さ あいまいさ 第四章 オウムと格闘技と糖尿   対談 だいたいでいいじゃない 文藝春秋 2000.7.30


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実感
項目抜粋
1
@ 昔だったら、水素二分子と酸素一分子から水が出来ていると、それは実験で小学生がやっても証明できることです。それは確実なんだから、疑わなくてよかった。古典科学的には疑えないわけです。ところが現代の科学では、人間をはじめ生物体内の細胞や遺伝子の振る舞い方も科学の主題になってきて、解明のとば口に立つようになりました。すると、解明する科学者が現象の内にあるか外にあるかが、つまりその現象の外にいてそれを対象化して観察しているのか、宇宙全体が現象の中にあるんだと考えているかで、もう違うわけです。つまり、お前が何処にいてどう判断しているのか、ということを勘定に入れないと唯物論にならないわけです。
 そこのところは厳密にしないと、現在では追いつかない。これは科学が発達したと言ってもいいんだけど、人間自身のなかに内向したとも言えます。ところが、生命体の中の化学反応を言おうとすると、どういうわけか厳密じゃない言い方が成り立ってしまう。そこをはっきり言っている人はいないですよ。
 逆に気功師が勝手に理屈をつけて神秘化しているような面を、本当に経験してみてこれは確かだということになったら、今度は自分なりに装置を作って実験して確かめてみようという科学者もいないんです。
                ( P211−P212 )



項目抜粋
2
A 例えば広瀬隆の『危険な話』ですが、かつては、こんな馬鹿なこと書くやつは科学者じゃないみたいにあっさり片付けていたんです。その時に、東京の真ん中に原子力発電所が出来たらお前どうするんだ、という反論があって、その時も僕はあっさりと、そんなのは怖くもないし、引っ越しもしないと言いました。ひとつには、人間の住む場所というのは交換可能なんだということがあって、会社勤めをしていればいつ転勤の辞令が出るかわからないし、出ればどこでも、原発の近くであっても行かなければならない。この二つの理由であのひとの言うことはお話にならないと片付けていたんです。だから僕は、うちの隣の寺に原子力発電所が来ても平気だが、もし恐いという人がいたら、移転費用と住居を補償すればいいと書いたんです。だけどいまだと、ちょっと待ってくれ、そうあっさりとはいかないぜ、という感じです。最近では柳美里さんの小説のモデル問題もそうなんです。待てよって感じなんです。
 例えば、フランスで女の人を殺してその肉を食べちゃった佐川一政さんていますね。もし仮に彼と同じ職場で机を並べたとすると、
無意識にしろ何かモヤモヤとしたものを感じないかというと、理屈では割り切っていても、感じるような気がする。昔はそんなもの問題にならないと思ったけれど、いまはそのモヤモヤまでも勘定に入れないと人権問題、モデル問題は言い切ることが出来ないんじゃないか、そこを取り込まないと現代の思想の課題にならないぞと思い直しています。

【大塚 それは吉本さんの個人的な変化なんですか、それとも社会の変化の中で吉本さんがそういう変化に至ったんですか。】

 それは両方だと思います。人権意識とか情報交通とか発達してしまって、お前のことこう言っているぞという人が増えてきたし、僕も変わってきました。
 法律問題とか社会的問題だけじゃなくて、それに伴う自己内問題も考慮しないとすっきりした答えは出てこないんじゃないか、と思うようになったんです。

                ( P219−P221)


B 
【大塚 確かに科学、言語、思想の領域では厳密さが大事なんだけど、厳密さのあり方、論理のあり方が行き過ぎてしまって、そこからこぼれ落ちるものに対して無慈悲になってしまった。
 さっきの大江さんのことで言えば、大江さんの言説に対しては正論で論破できる。でも正論で論破しきれない部分がいまの吉本さんにはある。佐川一政を糸口に、彼を差別する云々ではなく、正直なところ人を殺して食べちゃった人間が側にいたら嫌だなという実感、それはどんなにモラリストでも人権主義者でも持ってしまう。その上でなお、人を殺した人間といかに関わりうるか、あるいは関わりえないか、という倫理なり人権意識を作らなくてはいけない、ということですよね。】

 はい。

【大塚 すごく大事なことを言っていただいたと思います。】

 
僕には、自分がやっていないこととか出来ないことでは人をおおっぴらに非難するな、という自戒があります。それがないと、論理だけの空中戦になってしまう。以前はあまり意識に上らなかったんですが、近頃では段々そう考えるようになってきました。
                ( P223 )

C そうですね。僕は自分と周囲のこの十五年くらいの変化を踏まえて言いますと、
言い逃れの仕方を持っていないと駄目じゃないかと思います。問題の重点が移動したと思います。宗教でも科学でも、そのものが手元にあるのか、対象化してそれを外から見ているのかを考える必要が出てきたし、原子力発電所についても、それを日常どう思うかというところまで考慮に入れることが重要じゃないかと考えるようになりました。我ながら違ってきたなあと思います。そこをまだ上手く解いてはいないんですが。
 新約聖書の奇跡についての記述も、前だったら一笑に付していたんですが、これは在り得るよということですし、そういうことが増えてきました。大塚さんの言葉を受けて言えば、
曖昧さというのは当然であって、曖昧さというのは一つの権利である、それで曖昧なものは少しずつ曖昧でなくなるようになって、そうするとまた違う曖昧さが出てくるかもしれない、そういうことなのかなと思ったりします。自分の考えどころですね。

【大塚 ・・・・・(中略)・・・・・・・吉本さんの考え自体が、根本から組み立て直されている感じさえします。月並みな言い方しか出来ませんが、日常の実感からもう一度思想とか言葉を組み立て直す。そういうところにおられるような気がします。

 そこらがすごく気になっているんでしょうね。
実感をはずすと、元来人間には出来ないことを人に要求してしまうことがあるんじゃないか。実感と、それを全部はずしたところと、その両方から攻めていかないと駄目だと思います。
                ( P227−P228 )


備考 註.@関連「項目ID356」

註.A関連「項目ID343」 原発について







項目ID 項目 よみがな 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日 抜粋したテキスト
379 アジア的専制制度 あじあてきせんせいせいど 第二章 小林よしのりの『戦争論2』を批判する インタヴュー 超「戦争論」 上 アスキーコミュニケーションズ 2002.11.21

インタヴューアー 田近伸和

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項目抜粋
1
@ アジア的専制制度っていうんですけど、東洋では、権力をもった国王が「俺のいうことは絶対だ」というふうに民衆に対して専制制度を敷いていたんです。東洋では、農業社会が主体で、何千年も農業社会が続きました。そうした中で、農業に必要な大がかりな工事―灌漑工事とか水利工事とかは、すべて国王が専制的に請け負ってやったんです。一方、農民である民衆は何をしていたかというと、ただひたすら、田畑を耕し、農産物をつくっていたわけです。
 そこで、国王と民衆との間に東洋的な関係が築かれていったんです。国王のほうは、農業に必要な大がかりなインフラづくりを一方的に請け負って、民衆の面倒をみているということで、民衆に対して生殺与奪権をもつようになりました。国王が「生命を捧げろ」とか、「農奴として隣村に売る」とかと命じたら、民衆はそれに黙って従わなければならないというふうになっていったんです。
 どうして民衆は、国王の命令にそんなにおとなしく従ったのかというと、二通りの言い方が可能です。一つは、国王と民衆との距離があまりに遠かったということです。民衆から見ると、国王は遠く離れた、いうなれば雲の上の存在で、雲の上の存在の命令にはただ従うしかなかったということです。
 もう一つは、一見、それとは相反するような言い方になっちゃいますけど、国王と民衆との距離があまりに近過ぎたということです。国王が民衆に対して、世話を焼き過ぎるくらい焼いたために、民衆はその見返りとして、国王のいうことをなんでも聞くようになったということです。
 国王と民衆とのそうした独特の関係が東洋で生まれたのは、マルクスにいわせると、西洋に比べて東洋は、内陸が広い―つまり、土地が広大で、その広大な土地に農民たちがまばらにしか住んでいなかったからだ、ということになります。広大な土地に農民たちがまばらにしか住んでいなかったために、農民たちが自主的に寄り集まって、灌漑工事や水利工事などを一緒にやるということがなかった、それをやったのは、もっぱら専制的な国王だったわけです。
 東洋ではそうした地理的状況があって、専制的な国王は、農民たちに対して、「農業に必要なそうしたインフラづくりは自分のほうでやるから、お前たちは、ひたすら田畑を耕し、農作物をつくれ」と命じたというわけなんですよ。
 
一方、西洋はどうかというと、西洋は東洋に比べて内陸が狭く、山が多い。だから、西洋では農業社会は東洋ほどは長く続かず、すみやかに農業社会を脱したんです。東洋と西洋とのそうした違いは、地理的条件によるところが大きいんです。
                ( P151−P153 )


A 
 ―
明治憲法では、「天皇は神聖にして侵すべからず」とされました。それは欧米並みの国民国家をつくるために、天皇の権威を利用しようということだったんだろうと思いますが、明治憲法では、天皇をより神格化したということなんでしょうか?

 「より神格化した」という言い方もできるでしょうが、もともと天皇は「生き神様」だったわけですからね。天皇というのは、最初から「天皇は神聖にして侵すべからず」という存在だったんです。
 そして、先程も述べましたが、天皇制には二つの形態があったわけです。皇后が宗教的権力をもち、天皇が政治的権力をもつというふうに、女と男とで権力を分け合ってもつというのが、一つの形態です。もう一つは、長男が宗教的権力をもち、次男か三男が政治的権力をもつというふうに、男同士で権力を分け合ってもつという形態です。それが、武家階級が興隆してからは、武家が政治的権力をもち、天皇はもっぱら宗教的権力をもつというふうになっていったわけです。
 明治憲法というのは、一人の天皇に権力を集約的にもたせたんです。さらに明治憲法では、天皇は大元帥ということになって、軍事的権力も併せもつとされました。


 「公」のためなら「私」を犠牲にしてもいいというふうな日本人の精神構造の根底には、「生き神様」信仰というものが、まずあると思います。「生き神様」信仰というのは、基になっているのはアフリカ的段階のアニミズムですが、それは、アジア的専制制度の下でより強固な信仰となり、制度化されていきました。それが、天皇制なんです。
 アジア的専制制度においては、国王は民衆に対して生殺与奪権をもち、国王のためなら自分の生命を犠牲にしてもいいという考え方が民衆の間に築かれていきました。国王と民衆とのそうした関係は、「生き神様」信仰にもあてはまります。「生き神様」という国王的存在、王様的存在のためなら民衆は生命を犠牲にしてもいいという考え方ですね。
 太平洋戦争のときも、日本人は、そういう考え方に基づいて、戦地に赴いたんです。つまり、天皇という「生き神様」のためなら自分の生命を犠牲にしてもいいと考えたわけです。そして、その「生き神様」信仰の上に、儒教や仏教というものが乗っかって、「忠孝」という考え方がさらに広まっていき、「公」のためなら「私」を犠牲にしてもいいという日本人の精神構造、日本人のメンタリティが、できあがったんだと思います。・・・・・・・(中略)・・・・・中国に限らず、東洋思想には「忠孝」という考え方は、初めから含まれているといっていいと思います。
 もちろん、宗教というものの源泉をもっとたどっていくと、儒教や仏教がはじまりではなくて、最初は当然アニミズムからはじまったということになります。人間が、神様と同じように神聖な気分になって、熱意を込めて自然を動かせるというのが、アニミズムの最初ですね。「雨乞い」の儀式なんか、そうです。そういう儀式はアフリカにまだたくさん残っていますし、日本にも少しは残っています。これは、アフリカ的段階における宗教の基本といえるものです。
 それがアニミズムの第一段階で、アニミズムの第二段階は自然崇拝ですね。自然というのは自分の意志では動かせないけども、自然界の生物や、岩や木や川といった無生物には、いずれも神様が宿っていると考える。自然信仰といいましょうか、日本流にいえば、「八百万の神」への信仰ということになります。
 アニミズムのこの第二段階では、自然を命名して、自然を擬人化します。たとえば四国には愛媛県がありますが、愛媛っていうのは、土地そのものが神様と同格であるということを意味している言葉なんです。愛媛という女の神様がいて、その一帯の土地を支配していたということじゃないんです。土地そのものに神が宿っているということを意味する言葉なんです。このアニミズムの第二段階というのは、アジア的段階における宗教の基本です。
 「生き神様」信仰の基にあるのは、こうした
アニミズムです。そこへ、世界性をもつ宗教である儒教や仏教が入ってきたわけです。儒教と仏教は、それらの宗教が興った当初は、両方共、同じ位相にあったと思います。
 でも、儒教と仏教とでは、やはり違いがあります。仏教には前世や来世という考え方があって、人間は輪廻転生して、生まれ変わってこの世に出てくるという考え方を仏教ではします。
 たとえば、死んだ祖先たちの霊は沖のほうにある島にみんな集まっている、それで女性が身を清めるみたいにして海に入っているときに、祖先のある霊が流れてきて、その霊が女性の胎内に入り、子供が生まれる、それは祖先の生まれ変わりなんだ、と仏教では考えるわけです。
 
これは未開の考え方を、かなり引きずっているわけです。仏教の特質は、そうした輪廻転生を断ち切ろうとするところにあります。この世に生を受けることは苦しみにほかならない、だから、祖先の生まれ変わりとか、誰それの生まれ変わりなんていうことはもうやめにして、死んだら浄土のような清浄で安楽なところで永遠に暮らしたい、そのためには修行して悟りを開くことが大切である、というふうに仏教では考えるわけです。それが、仏教の特質なんです。
 一方、儒教はどうかというと、仏教でいうところの修行という概念がないんです。仏教では、聖人というのは修行を徹底的に積んだ人のことであって、修行に修行を重ねて聖人になるわけですけど、儒教ではそういうことがないんですね。そういう考えは儒教にはないし、中国にもありません。聖人とか、「偉い人」というのは、修行したからそうなったのではなく、「偉い人は、おのずと偉い人なんだ」っていうふうに考えるんです。
 儒教も、もちろん宗教ですから、人間を超えた何かがあると考えます。人間を超えたその何かは、だいたい自然物であったりするわけですけど、人間も自然物の一つですから、その意味では人間と自然物とは同格である、だから人間もまた、人間を超えた何かを体現していると考えるわけです。
 儒教は孔子とか孟子とかいった優秀な儒家たちが出てきて形成されていったわけですが、かれらが述べた言葉には、そうした意味で、当時の自然信仰なり、自然観というものがおのずと含まれるということになります。
 
仏教と比べると、儒教というのは、自然物を擬人化する度合いが強いんです。だから、儒教には、自然観を宗教よりも道徳に近いものへと還元していくという傾向があります。それが儒家の特質ですね。


 儒教が中国で道徳化していったのは、社会的背景があったからだと思います。仏教が興ったインドに比べると、中国というのは、はるかに政治的な要素が強いところだったということです。そのために、儒教は宗教ということにとどまらず、道徳化していったんだと思います。
                ( P180−P185 )


項目抜粋
2
B 江戸時代に至っても、公文書はみんな漢文で書かれています。・・・・・・(中略)・・・・・・
 それは、江戸時代に至っても、依然として、中国の冊封体制が続いていたことの証である、といえるのかもしれませんね。つまり、中国からすると、日本も含め、周辺の国々はすべて自分たちの属国である、とみなしていたんじゃないかということです。
 だから、日本はいつ中国の属国としての立場から脱したんだとなると、わからない、あいまいなんです。聖徳太子が中国の皇帝に「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙なきや」という書を送ったために、中国の皇帝がカンカンになって怒ったという話があります。それは、聖徳太子が行った”日本の独立宣言”だとする見方もあります。また、豊臣秀吉が朝鮮に兵を進めたことをもって、”日本の独立”の証とする見方もあります。
 でも、そんなことをいったって、江戸時代まで公文書は全部漢文で書かれていたじゃないかといえば、その通りで、そういうことからいうと、江戸時代まで日本は中国の属国だったんじゃないか、日本が中国から独立したのは近代になってからである、との見方もできるわけです。


C 日本語と中国語とは、もともと違うものです。どっちが新しくて、どっちが古いということもいえません。中国語である漢字が日本に入ってくる前から、当然、日本列島には話し言葉としての日本語というものはあったんです。
 ただし、書き文字としての日本語はありませんでした。それで、漢字を表音的に使ったり、表意的に使ったりして、日本語の書き文字としたんです。また、漢字をくずして平仮名を発明したりもしました。だから、日本語が中国語から生まれたというのは間違いです。
                ( P187−P189 )


備考 註.1 @について 「だから、西洋では農業社会は東洋ほどは長く続かず、すみやかに農業社会を脱したんです。東洋と西洋とのそうした違いは、地理的条件によるところが大きいんです。」



項目ID 項目 よみがな 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日 抜粋したテキスト
387 一種の破局感 はきょくかん 自作を語る 第五回 『擬制の終焉』 インタヴュー 「SIGHT」 VOL25 rockin'on 2005.10.3


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項目抜粋
1
@ −また、この『擬制の終焉』を読ませていただくと、非常にクールな論理性と、それと相矛盾するけれども、すごく情動的な行動をとられる吉本さんのパーソナリティにおける構造が、より一層明らかになりますね。エモーションと論理との微妙なねじれの構造の中に、常に 吉本さんは立っていらっしゃって。そして、その中で独自の理論構成を常に作っていかれるという、そういう人となりが表れてて。どちら  も非常に重要なんだろうなあという。・・・・・・略・・・・・・

 
いい加減な男で。突拍子もないことを言ったり書いたりして。よく埴谷(雄高)さんには『君はいつも人をバカ呼ばわりして、そんなことは止めたほうがいいぞ』って、会うたびにそういうふうに言われてましたけど。ただ、それは、自分の中での一種のカタストロフィなんだと思うんです。僕の性格に根ざしてるって言ったらいいのか、もしくは親の代から根ざしてるって言ったらいいのか

  −血筋ですか。DNAですか。

 それとか、日々の暮らし方に根ざしてるっていうか。そういうことなんだろうなって自分でもおもいますけどね。つまり埴谷さんに説教されたぐらいではね、なかなか止めらんないって(笑い)

  −はっはっはっは。

 それこそ渋谷さんが言うエモーショナルなものと言えば、そうなんでしょうけど。僕の言葉で言えば、一種の破局感っていうのがあって。自分が破局するっていうことは、よくよくあり得るだろうなっていうのがいつでもあるわけです。それならその破局を避ければいいじゃないかって言うけど、避ければいいような破局なんていうのはないと思うんで(笑い)

  −(笑い)なるほど。

 そうするともう必然的に諦念に近いようなものが出てくるんですね。いつかは破局が出てくるんだっていう。だからそういったエモーションっていうのは自分から外すことはできないって言いますかね。つまりは、自分では内省してるつもりだけど、これが反省にはならないんですよ。この破局感を、できるだけ避けるっていうことは、技術的にはできると思うんですけど。なんとなくそうすると、なんか絵描きさんが人の贋作を描いてるみたいなそういう感触が残って、いい感じにならないんですね。要するに、こうしたものを内省の問題として失わなければ、僕は長続きするんじゃないかって思うんです

  −つまり、その破局感こそが吉本さんのエネルギーの元かもしれないですね。

 ああ、そうかもしれないですね。
                        (P153)

項目抜粋
2


備考











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