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ID 項目 ID 項目
420 人間力
424 人間力
428 人間の精神性
437  内部の論理化1      
438  内部の論理化2      
439  内部の論理化3      
440  内部の論理化4      
441  内部の論理化5      
443 内部の論理化6       
444  内部の論理化7      
445  内部の論理化8      
446  内部の論理化9       
         




項目ID 項目 よみがな 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日 抜粋したテキスト
420 人間力 にんげんりょく A <空隙>より出る言葉 インタヴュー 還りのことば 雲母書房゙ 2006.5.1

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<自己としての自己>と<社会的自己>との分離 人間力を意識する 人間力としての最後の問題 自己の分離の自覚と存在倫理と人間力
項目
1
@ このシュンペーターのいい方(註1)というのは、「だからマルクスのいうような早急な変革や革命はもういらないんだ」という理屈になっていきました。そんなことをしなくても、時間が経てばいずれ同じような結果になっていくからです。
 
シュンペーターのいうことはある意味で妥当であって、たしかにそうなんです。貧しい人が財産のある人を羨ましがるような分野がだんだん少なくなっている。産業的にいっても経済的にいっても、ある混合した平均点みたいなところへいく。そういうふうに歴史は進行するだろうとおもいます。
 あとはこっちの制度がいいんだという区別をどうやってするかということになった場合、
何を重点にしてかんがえればいいのかということだけが問題になってくる。何を重点にこの世界の状況とか、あるいはもっと小さい規模でいえば国内の経済状況をかんがえたらいいのか。あるいは奇妙な犯罪とか、残虐とか凶悪といわれる犯罪が起こったということに対して、何を重点に置いてかんがえるかということだけが重要になるわけです。
人間のかんがえ方自体、つまり精神性をどんづまりまで追いつめていくと何が残るかというと、たとえばシュンペーターという人は優れた経済学者だということだけが残る。何を重点にかんがえればいいのかというときの、その重点にすべきものを提示できていないからです。
 じゃあマルクスには何が残るんだといったら、「人間力が重要だ」という言葉が残る。
人間力というのは、人間の持っているあらゆる可能性です。理想に対する可能性をも含めて社会に対する可能性とかですね。変革とか革命の原点になるもの、そういう人間力だけがマルクスの場合には残る。
 ぼくが見たかぎりでは、マルクスは「蒸気機関の発達に伴って、都市部の肉体労働者の肺結核が流行って困ってきた」というようなことはいっていますけど、「蒸気機関が発達したために産業革命が経済的に大規模になった」ということをいっているわけではないんですね。だけど産業革命で便利になるし、産業は非常に発達、拡大していくということが実際には起こる。
 マルクスはまた、個々の資本家を倫理的にだめだといいたくもないんです。要するに社会的に資本家がどういう役割をしているかにおいては資本家全体を批判している。しかし自分は資本家個人に対して悪口をいったことはないんだということも、一方ではいっているんですね。
結局、どんどんマルクスのかんがえ方を追いつめていくと、存外シュンペーターのいっているほうが妥当なように見えてくるのです。
 では最後に何が残るんだといったら、一方は「優秀な経済学者だ」ということしか残らない。マルクスの場合は「人間力が重要だ」というかんがえ方が残る。どっちが残るのがいいのかといったら、人間力というかんがえ方が残るほうがいい。そのほうが本格的だということですね。

            (P85−P88)

A 現在起こってきている一種のハイテク革命を、別にエコロジストのように否定するのはおかしいんです。便利だったら使えばいいじゃないかというだけなんですね。
 そのかわりある人々は使って便利さを享受する、その一方で使われすぎてへばっちゃう人が出てくる。いまのへばり方は頭です。つまり精神異常とか神経症というような症状を呈する人が増えてくる。現代の社会病、あるいは時代病だとおもいます。便利になったのはいいことなんですけど、ただ便利を非常にうまくつかっている人がいる一方、便利に逆に使われてしまい頭がおかしくなってしまう人が出てくるようでは話になりませんね。
 
結局、便利とかハイテクといったようなものは、産業でいえば一種の形態的な空間的な小規模化だとおもいます。問題はこの小規模化ということと、それから精神労働と肉体労働の区別が曖昧になってきたということ、そのふたつだとおもいます。
                (P88)
項目
2
B じゃあこの人間力というのは根本的に何なのか。一言でいうと、自己についての自覚ということになります。
 つまり思考することと実行することの間にはあるひとつの空隙、分離があって、そこの分離のなかに人間だけが言葉を見出したりするわけです。ある何かを行うことがいいことか悪いことかというのは、かんがえではよくわかっているんだけど、実際にそれを行うことの間には完全に分離がある。この分離が重要なことで、その場合にはかんがえる自己であるところの<自己としての自己>と、何かを行うところの自己である<社会的自己>との分離ということになります。
 結局、根本的にこの<自己としての自己>と<社会的自己>との分別あるいは分離というものを自覚していくしかない。それはいわば人間力を意識するということになるとおもいます。それができると、その精神性が外に現れたときには社会化して、<自己としての自己>あるいは<個人的な自己>と混同することはあり得ない。外と内を混同することはあり得ない。あくまでふたつの自己の分離を自分のなかで自覚していないといけないわけです。その自覚というのは、ぼくの言葉でいうと人間力ということ自体の問題だというふうになってしまうんですね。

            (P90−P91)

C そうするとこうなります。<自己としての自己>あるいは<個人としての個人>(個人主義といってもいいんですけれど)というものは、たとえば政治家になろうと、実業家になろうと、学者になろうと、それはもう誰からもまったく制約されない、自由であるというふうになります。徹底的にそうかんがえたほうがいい。それをはじめから倫理的にいろんな制約をつくるようなかんがえ方をしていてはだめであって、それはもうそれでいいんだというふうにかんがえたほうがいいですね。政治家なり学者なり実業家になって、社会的な意味において<自己>というものを問うたときに、それが過剰だったり過小だったりということでもってほかに累を及ぼしてしまうというのだったら、そのときはじめて<個人としての個人>というのを純粋にとり出した場合には、それはもう何になろうと何をしようと自由であるということです。
 たとえば極端なことをいうと、法律的な違反をしようとしまいと、そんなことは自由である。だけど違反したことが社会的な意味合いでほかに影響を与えてしまうのであったら、その個人、<自己としての自己>というのは利己的な自己ということになってしまう。こうなったとき、はじめて倫理的な部分が問われる。そういうことというのは、はっきりしておかないといけないですね。
 はっきりさせるにはどうすればいいんだというと、はじめから自分のなかではその分離が自覚されていて、それが行為なり思想なりとして出てくるというふうになれば、社会的に何かを問われるような、そういう過剰さや過小さというは出てこない。
 だから「分離というのは人間力なんだ」という自覚をはじめに持っているかぎりは、出てくる自己は個人主義的であろうと、その個人主義が社会的に何かを問われることになろうと、そういうことに対して混同が起こるということはない。ぼくが自分流の言葉でいうと、芹沢さんのいわれたことなんかはそういうふうに理解しますね。
 それを「お前、ほんとうにできてるか?」といわれると、これはいかん、自分ができもしねえことをいい過ぎてるなとか、そういうすこぶる怪しいことはいろいろとありますけどね。
 でも基本的にいえばそうであって、「お前から専門のことを除いたら何が残るんだ?」といったら、「人間力が残るさ」ということです。
つまり人間の理想の可能性というものをかんがえる力や実現する力といったものは残る。そのほうが「専門にしていることは残るよ」というよりはいい。ぼくはそういうかんがえ方をこの頃はいいますね。

 芹沢 非常に面白いですね。そうするといまの状況は、吉本さんの言葉に添えばその人間力がかなり衰弱しているという実情があ    るようにおもいます。

 おもいますね。

 芹沢 <自己としての自己>と<社会的自己>との明瞭な区切りがとれなくなってきている。それが「個人化の時代」とか「自己領域の    拡大」という言葉でぼくがいおうとしてきたことです。吉本さんは、それを人間力の問題としてかんがえればいいと。

 そうなんですよ。外へ出ていくもので区切りがとれなくなっているということは、自己の内でしっかりと分離を自覚していないということだとおもいます。それを自覚できるのは人間力で、動物と違うところはその部分しかないとおもっているんです。
            (P91−P94)

D ぼくは親鸞以外でいうとフーコーがすきなんです。やはりとても似ているところがあって、違う発想がありますね。ぼくなんかは<自己としての自己>なんていうわけのわからない言葉を使うけど、フーコーは<自己への配慮>ということをいっています。(『主体性の解釈学』筑摩書房、『性の歴史V 自己への配慮』新潮社)。
 その配慮という言葉は、哲学語としてはないんです。自己的でもないし、社会的でもない。ふたつの自己がはっきり分離されてるという意味合いに通ずるかたちで、<自己への配慮>という言葉を使っている。
 ほんとうはもっといい言葉があるとおもうんですけど、日本語で<自己への配慮>ということに該当するいい方はないんです。だから仕方なく<自己としての自己>とか<社会的自己>とかいうような言葉でいってしまうんですが、これは言葉だけに割り切っているように聞こえて、あまりよくはないんですよ。
 <自己への配慮>という言葉の<配慮>ということのなかに人間力が含まれてしまっている。そういう意味合いで適切な言葉なんです。ところが日本でそういうふうにいうと、利己主義とか個人主義といったような言葉になってしまうんですね。そいつは何かちょっと違うよ、そういう言葉じゃいえないよ、みたいなことになりますね。
 そのようなニュアンスをぴたりといいあてる概念が日本に少ないんです。<自己への配慮>というのは、個人主義とか利己主義ということでもない。<社会的自己>と自分自身の自己の問題が両方からはっきりと分離されていて、寸分違わず自覚されていて、実行として外に出た場合にも社会に対して混同することはない。
            (P94−P95)

 芹沢 ここまでくると、もうあと一歩というところで存在倫理につながってくるのだろうとおもいます。その一歩がわりと遠いかも知れないですが、でももう見えているとおもうんですね。

E たいへん遠いことだとおもいますね。
だけどこのかんがえを最後のところまで突きつめていくと、存在あるいは存在根拠というのが問われてしまう。その問われた場合には、つまり自分と外とのかかわり、他者との関係とか時代との関係といったあらゆる関係がぜんぶどこかに集約されて、集約されていながらその区別はきちっとついているという状態が、ぼくらが現在望み得る人間力としての最後の問題なんだとおもいます。だけど「お前できてるか?」といわれればとんでもない話で、しばしば逸脱している。
 そのことは自覚したうえで、でもそこまで集約できれば、それは現在であるかぎりは最後の問題がそこに集約されてしまう。そしてそれは一種の存在することの問題に帰着してしまう。そこまでうまくいければいいわけだけど、いけないのがいまの状態なんです。かんがえだけでも、あるいは精神だけでもそこまでいきたいといっても、いまもってとてもいける根拠がない。
            (P98)

 芹沢 たとえば家族の問題をかんがえてみると、ひとつには個人化の勢いが猛烈に進んできてしまって、家族間も孤立しているし、家族のなかもバラバラにされているという状態があります。
 古典的な家族像の枠のなかで何かをかんがえるという発想はもうだめです。かといって戻ることもだめだとすれば、新しい家族像が生まれるための核は何かというようなことをかんがえざるを得ないわけです。そうすると、個々がまったくバラバラだよっていう状況のなかで、何が新しい家族像の核になるかといったときに、ぼくはこれまでの性の問題とかエロスというようなことがもう第一の核にはなり得ないような気がしてならないんですね。そのことはここ数年繰り返して書いてきました。そんなことを自分なりにつめてきたときに、吉本さんが存在倫理ということをおっしゃったんです。



F だから本音をいえば、芹沢さんのいわれる家族という問題でも、みんなもう最後のどんづまりのところまで追いつめられ、あるいは自分から追いつめている。もし人間に存在の根拠があるならば、それと絶えず見合っているから辛うじて家族というかたちでとどまっていますけど、もし存在の根拠をかんがえなくなってしまえば、家族という概念もまた破壊されていく、そうでなければ自らで破壊していくことになります。
 いま起こっている虐待の問題にしても、意識するにしろいないにしろ、存在の根拠というところで踏み留まっていることをわずかにでもわかっている人は、拮抗し耐えているわけです。個々の個性とか、社会的地位とか、男であるか女であるかということではどうしても耐えられない。存在の根拠なしに壊れるのを防ぐことはできないし、防ぐことがいいというふうにもいえない。そういう状況になってきているとおもいます。

            (P100−P102)
備考 (註1) 「靴を十足持っている人が、百足持っている人を羨ましいとおもわなくなった。」
【関連】 フーコーの「自己への配慮」





項目ID 項目 よみがな 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日 抜粋したテキスト
424 人間力 にんげんりょく どう生きる? これからの十年 インタヴュー 『ブッククラブ回』2006.10 吉本隆明資料集165 猫々堂 2017.5.25

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「構想力」を持っていたら社会は変わる
項目
1
―これからの未来を生きる人たちに対して、何かアドバイスはありますか?

@吉本 僕は最近、「人間力」という言葉を作りましてね。もうこうなったら「人間力」と「構想力」だって。
「人間力」って何かって言うと、「人間が理想の可能性を考える能力」の事なんです。それから「構想力」を持っていた方がいいですよって、若い人には言うんです。その二つだと思う。「構想力」というのは、たとえば、仮にあなたが文部大臣なら何をするか、それを考えておくということです。今の学校制度のここが駄目だと思うとか、これは変えたいと思うとか、ここはいいと思うとか、そういう事について具体的に自分の「構想力」を持っていた方が良い。それを実行するかしないっていうのはどうでもいいわけです。そういう場面がいつ来るかわからないけれど、もし場面が来たらやればいいし、そういう必然性が無いのならやらなきゃいいし、それだけの事なんだけど。それは一見すると何も意味がないって思われるかもしれないけれど、それはそうじゃないんですね。たとえば三人の仲の良い友達がいて、その中の二人が「構想力」を持っていたら社会は変わります。これはハイテクが発達すればするほど変わりますね。だから「構想力」だけはもって、明日からやれって言われたら、はいって言ってすぐにやればいいんです。これは当番みたいなもので、別にそんなの偉いもへちまもない。いつだって、お前やれよ、ってことになったらやればいいんです。
            (P44−P45)
 備考  「これは当番みたいなもので、別にそんなの偉いもへちまもない。」と言う言葉には、「人間が理想の可能性を考える能力」としての「人間力」が行使されている。つまり、「現在的な課題」と「永続的な課題」とが現在において交わり、取り得るイメージとして言われているように見える。





項目ID 項目 よみがな 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日 抜粋したテキスト
428 人間の精神性 にんげんのせいしんせい 日本人の宗教観
―宗教を問い直す
対談 『中外日報』2006年 吉本隆明資料集165 猫々堂 2017.5.25

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細分化 だんだんだめになる
項目
1
笠原 段階というのは、はじめは低い段階でだんだん上がっていく、ということではないんでね。

吉本 違いますね。だんだん下がっていくほうが多いんです(笑い)。聖人君子、つまり釈迦でもキリストでも孔子でもいいわけですけど、その時代が思想性、精神性は最も高くて、あとは下っていく一方だ、という考え方に僕らは慣れていますね。マルクスなどもギリシャ文学が一番優れていると言っています。そういう時代の人たちは、大したことを言ってないようだけど、言っているんですね。
 不二とか一如とか、これだけのことをわれわれが言ったら、「お前、柄にもないことを」と言われちゃうようなもので。しかし仏教で不二とか一如と言ったときはもう少し大変なことを言っているんでだと思います。
 儒教の場合も、僕の好きな論語の言葉で、「逝くものはかくの如きか、昼夜をおかず」と。孔子が川の流れを見ていると昼夜をおかず流れていると言っているだけなんだけど、これは解釈の多様性がその中に含まれているから、よほど偉い人じゃないとこういうことは言えないよと。
 僕らだったら、冗談言っているように受け取られますね。
そのくらい人間の精神性というのはだんだんだめになる一方です。

笠原 科学は発達しているのにね。

吉本 科学は発達する一方ですが、
精神性は細分化するけどだめになる一方です。ところが、日本でそうでない人がいたことに近ごろ気がついたんです。それは安藤昌益(一七〇三〜一七六二、医者・思想家)という人です。
            (P82−P83)


備考 うーん、この「 人間の精神性というのはだんだんだめになる一方」ということは、感覚的にはなんとなくわかるけれど、ほんとにそうだろうかという疑念と保留がわたしにはある。






項目ID 項目 よみがな 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日 抜粋したテキスト
437 内部の論理化1 ないぷのろんりか 蕪村詩のイデオロギイ 論文 『三田文学』1955.10月号 吉本隆明全集4 晶文社 2014.9.30

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日本のコトバ 内部感覚を論理化 新しい感性の秩序 日本的な感性の秩序
項目
1

@
 蕪村詩の方法の社会的な基盤は、蕪村―服部南郭が結びつく線をおもいえがくことによって、いくらかはっきりするだろう。この線は、当時、町人ブルジョワジイの支配的なイデオロギイであった国学や心学と、基本的にはおなじ性格をもちながら、国学のような復古的な、つまり原始社会秩序へのあこがれをもたず、心学のような封建的な教化主義の匂いももたないかわりに、町人インテリゲンツァの自由な意識を、封建的な官学イデオロギーと適当に妥協させることによって成立するものであった。
 それゆえ蕪村詩は基本的にはふたつの性格をもっている。
 ひとつは、興隆してゆく町人ブルジョワジイの新鮮な、秩序破壊的な写実的な、感性の一面であり、ひとつは、徂徠学派のイデオロギーに滲とうされ、封建支配に頭うちされて屈曲した心理主義的な衰弱の一面である。
・・・中略・・・
 
蕪村詩のもつ二面性を、適確に分析しつくすことは、可成り難しいが、つぎのような考察をすすめることはできるだろう。
 
 遅き日のつもりて遠き昔かな
 春の暮家路に遠き人ばかり
 行く春やおもたき琵琶の抱きごころ
 春風や堤長うして家遠し
 
 おなじ趣向の詩は、まだいくらでもみつけることができるが、これらは、あきらかに蕪村の衰弱した側面をあらわしている。この詩のなかの「遠い」とか「長い」とか「おもたい」とかいう形容詞の独特なつかい方と、その象徴性に注意すれば、それが、機能的に過去の映像に対応しており、いわば、精神の衰弱を表象することばとしてつかわれていることがわかる。
蕪村は、たくまずして、自己の詩意識と、現実社会の地獄絵との距離を、これらの形容詞の独特な用法によってはかっているのだ。すぐれた詩人の詩意識は、かならずその詩人の現実意識を象徴せずにはおさまらない、というのは詩のもっているもっとも基本的な宿命的な性格であって、この事実は、社会的事件をえがけば、自己の現実把握のでたらめさをごまかせるとでもおもっているオプティミストや、超現実と情緒とをうまく調合すれば、子供だましのような象徴詩が、たちまち前衛詩にでもなるとおもっている文学青年が、いかに足掻いてもどうすることもできないのである。詩意識が変革されるためには、かならず現実意識が変革されなければならぬ。蕪村の詩を、中世から近世にかけての個性的詩人、たとえば、芭蕉や西行の詩と、もっともへだてているのは、おそらくは、この点であった。
 (「蕪村詩のイデオロギー」『吉本隆明全集4』P254-P255 初出 1955年10月)

A
 蕪村が、この長詩の試みによって当面した課題は、いわば論理的な機能をまったくもっていない日本のコトバをつかって、いかにして
内部感覚を論理化するか、という問題であった。一七六〇−七〇年代の蕪村の長詩が、一九二〇年代の「四季」派の詩人のリリックに比較して、けっして古びない理由は、蕪村が当面した問題が、おおよそ、日本のコトバの機能と表現との関係について、いつもあたらしい本質的な問題であったからに外ならない。
 蕪村は、当時の唯一の外来詩である唐詩の発想と語法をかりて、この問題をきりぬけようとした。
「春風馬堤曲」は、この蕪村の当面した問題を、素材のまま投げだしてみせたようなものである。唐詩の絶句と、単句、連句を巧みにつなぎあわせて、ひとりの少女が、やぶ入りで長柄川の堤をあるきながら、故郷へかえる、という主題をとらえ、そのなかに自己の心理的な機制を封じこめている。
 
馬堤曲の発想の論理性、感覚の論理化、意識の内面化、のすぐれた純一性をかんがえるとき、反射的に、日本の長歌の方法をもっては、けっしてそれが不可能であるということにおもい至らずにはいられない。第一に五七の音数律は、日本的な本能律であるため、意識の論理的な展開をゆるさない。そのうえ、感覚的というよりも情緒的平面しかゆききできない日本の詩のコトバは、蕪村がすでに自覚的に受感していた一八世紀後半の町人ブルジョワジイの新しい感性の秩序に耐えうべくもないものであった。ここに蕪村が漢語的な発想と用法とを縦横にみちびき入れざるをえない必然があった。


B
 日本のコトバが漢語からはなれて、
仮名をつくり出していったとき、言葉は社会化され、風俗に同化し、日本的な社会秩序に照応する日本的な感性の秩序を反映しえたのであるが、それによって、日本のコトバは論理的な側面を中和され、うしなったのである。したがって、変革期において、日本の詩人たちが例外なく当面した課題は、内部世界の表白に論理的に執着すれば、外部現実とのあいだに、いいようのない空隙をおぼえるし、外部現実に執着すれば、内部の論理的な表白が不可能となるという二律排反であり、そのうしろには、たえず日本の社会が論理的な構造をもつことは、不可能なのではないか、という絶望的な予感があり、もどかしさがあった。日本のコトバの論理化は、日本の社会構造の論理化なしには不可能である。現在でも、論理的な発想、いいかえれば内部世界の表象を、論理的に詩にみちびき入れようとする詩人たちの詩が、ヨオロッパの詩の日本版にすぎないか、その最上のものでも、きわめて不安定な感じをあたえるのは、この問題の本質的な解決が、コトバと現実とのあいだの深い関連を、抜本的に解決するのでなければ不可能であることを証左していると思える。
 蕪村の長詩の試みは、蕪村が何らかの意味で、この問題に当面したことを物語っている。
 (「蕪村詩のイデオロギー」『吉本隆明全集4』P258-P259 初出 1955年10月)


C(おまけ)
 明治革命は、せめて蕪村―一茶を流れるイデオロギー線上で、主動されるべきであった、というのはこの小論のおわりに加えられるべき嘆きのひとつである。だが、明治革命の革命家である浪人、下層武士インテリゲンツァは、長歌や和歌の方法によって、三文の価値もない復古的な政治イデオロギー詩を、ふんだんに残したことは、周知のとおりである。
 (「同上」『吉本隆明全集4』P261)


D
 問題は、はじめから、
現実と現実意識と表現との基本的な関係のなかにあったのである。
 (「『民主主義文学』批判―二段階転向論―」『吉本隆明全集4』P295 初出 1956年4月)

備考
 吉本さんの、切実なモチーフの線上に表現に苦闘する江戸期の蕪村の言葉の姿が呼び寄せられている。そして、このような日本社会や日本語の本質的な姿の追究は、戦争−敗戦が吉本さん自身の全存在を襲った傷手からの孤独な敗戦処理に当たっている。と同時にそれは、詩などの表現をする者に限らず、この社会この日本語に生きているわたしたちすべてに、あてはまる諸問題の切開に当たっている。
 そして、この吉本さんの孤独な歩みと営為は、『言語にとって美とはなにか』『共同幻想論』『心的現象論(序説)』『マス・イメージ論』『ハイ・イメージ論』『アフリカ的段階について―史観の拡張』』『母型論』などなど途方もない足跡をわたしたちの前に残している。しかし、その歩みは、自己資質とともに戦争−敗戦の根こそぎの傷手からの生き直しという初発のモチーフに貫かれている。
 そういう意味で、「内部の論理化」などに触れている小浜逸郎の『吉本隆明―思想の普遍性とは何か』(1999年)は、自身が述べているが文学表現への理解も十分になく、捉え方が浅いなと思う。





項目ID 項目 よみがな 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日 抜粋したテキスト
438 内部の論理化2 ないぷのろんりか 「前世代の詩人たち」 論文 『詩学』1955.11月号 吉本隆明全集4 晶文社 2014.9.30

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内部世界 外部の現実 論理化された内部世界 人民
項目
1
 @
 岡本(引用者註.岡本潤)の戦争期におけるアナキスム的な立場は、その骨格をかえずに、ただちにファシスム理論へ移行できるところに特徴があった。それは、岡本が、
内部世界を、外部の現実と相わたらせ、たたかわせることによって成熟させ、その成熟させた内部世界を、外部の現実とたたかわせる相互作用によって思想を把握したのではなく、内部的未成熟のうちにイデオロギイを接木したため、現実の動向によって密通的に動揺できるものだったためである。したがって、岡本の立場は、永久に、「日本庶民」プラス「イデオロギイ」であり、確立され、論理化された内部世界が、現実と思想との間を、実践的に媒介することはないのだ。
 戦争詩「世界地図を見つめてゐると」は、あきらかにそれを立証している。

 世界地図を見つめてゐると
 黒潮はわが胸に高鳴り
 大洋は眼前にひろがり
 わが少年の日の夢が蘇つてくる
 われ海に生き海に死なんと
 海軍兵学校を志願し
 近視の宣告で空しくやぶれ去つた
 わが少年の日の夢が―。
 万里、波濤を蹴り
 わが鋼の艦は行く。
 夜を日につぎ
 われら民族の血と運命を賭ける
 海の闘ひは陸の闘ひにつづく。
 わが少年の日の夢が
 新しい世紀を創る、刻々の
 壮烈な現実となつてかへつてきた―。

 戦争期に岡本のような「少年の日の夢」を蘇らせたことは、「日本庶民のひとり」として、もっともなことであった。
 ・・・中略・・・
 わたしが、「高村光太郎ノート」(引用者註.「高村光太郎ノート―戦争期について」『現代詩』1955年7月)で「日本的庶民意識」とかいたとき、もともと定式化されない庶民の意識構造を総括するコトバとしてつかった。だが庶民にたいするわたしの定義は、あの「ノート」をすこし注意してよめば、一貫しているのだ。
 わたしは日本の社会的なヒエラルキイにたいして、
論理化された(引用者註.「論理化された」に傍点)批判や反抗をもたない層の意識という程の意味で、「日本的庶民意識」というコトバをつかった。
 
このような層の意識構造は、原則的にいえば、社会構造を、そのまま反映している。すくなくとも、社会と、そこに生活する人民とを対立的にかんがえるとき、そうである。
 さまざまな要素が、庶民の意識にあらわれるのは、まったく、社会構造と庶民の意識構造との同型性によるのであり、岡本がどのようにアイマイにしようとも、このさまざまな要素は、原則として分析可能なのだ。
 (「前世代の詩人たち―壺井・岡本の評価について」『吉本隆明全集4』P273-P275 初出 1955年11月)


 A
 わたしのかんがえでは、庶民的抵抗の要素はそのままでは、どんなにはなばなしくても、現実を変革する力とはならない。
 したがって、変革の課題は、あくまでも、庶民たることをやめて、
人民たる過程のなかに追求されなければならない。
 わたしたちは、いつ庶民であることをやめて人民でありうるか。
 わたしたちのかんがえでは、自己の内部の世界を現実とぶつけ、検討し、論理化してゆく過程によってである。この過程は、一見すると、庶民の生活意識から背離し、孤立してゆく過程である。
 だが、この過程には、逆過程がある。
 論理化された内部世界から、逆に外部世界へと相わたるとき、はじめて、外部世界を論理化する欲求が、生じなければならぬ。いいかえれば、自分の庶民の生活意識からの背離感を、社会的な現実を変革する欲求として、逆に社会秩序にむかって投げかえす過程である。正当な意味での変革(革命)の課題は、こういう過程のほかから生まれないのだ。
 (「同上」P275-P276 初出)

備考
@の岡本潤の内部世界について
「内部的未成熟のうちにイデオロギイを接木した」ということは、痛ましいことに現在の「ネトウヨ」諸君も同じである。他人の怪しい論考やデマゴギーに精通して、自分の考えとして接ぎ木していく。まるで、オタク文化に熱中する(このこと自体は個のレベルのものでとやかく言うことではないが)のと同質のエネルギーをイデオロギーの破片を寄せ集めたり他者を排撃することに熱中しているように見える。

Aの「人民」について
この若い吉本さんの生きた時代や社会から現在はずいぶん変貌してきた。したがって、当時の状況に規定された概念―例えば「階級」や「人民」や「革命」―もそれらにまつわるイデオロギーとともに消失してしまったように見える。つまり、それだけの概念の寿命しか持てなかったことになる。ただし、ここで使われている「人民」は、意識的な自立する大衆として、多数の大衆的な沈黙の意志を支えとして自らの生活世界から「政治性」をもった大衆として自らを表現し、また自分の生活世界に戻っていく者として捉えるなら依然として意味を持つ概念だと思われる。なぜなら、わが列島の人々が、政治・文化上層に対して屈従はあっても自立性を持てなかった数千年にわたる負の遺産から、わたしたちの生活世界を自立した世界として固守することは依然として大きな課題であり続けているのだから。





項目ID 項目 よみがな 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日 抜粋したテキスト
439 内部の論理化3 ないぷのろんりか 「戦後詩人論」 論文 『詩学』1956年7月号 吉本隆明全集4 晶文社 2014.9.30

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(戦前の詩の)欠陥 内面性の欠如、表現の平板さ 詩のコトバが論理性をもたない限り
項目
1

@
 わたしの視るところでは、日本の戦後詩は、まず、戦前のモダニズム詩とプロレタリア詩の
欠陥を、どう克服するかという課題を技術と内容の両面から解決することを強いられたのである。
 たとえば、戦前のモダニズム詩は、詩の技術を詩人の内部世界から切り離したところでフォルム化していったために、内面性の欠如、表現の平板さ、におちいり、遊戯化せざるをえなかったのであるが、この欠陥は戦争期にはいると忽ち拡大され、北園克衛のような超モダニストが日本の障子紙のような風景に美を見出したり、村野四郎は「挙りたて神の裔」のような作品をかき、安西冬衛は「相模太郎胆カメの如し」という表現を試みるなど、たちまち、そのモダニズムが衣裳にすぎず、内部世界を確立するための内面的な努力が不充分であることを露呈したのである。いいかえれば、
衣裳はモダニズムであっても、その肉体は古い日本の庶民の意識から一歩も出ていないことを明らかにしたのである。
 現代詩の特長的な流派である戦前のモダニズム詩とプロレタリア詩のこのような欠陥は、いうまでもなく、
近代詩以後の日本の詩にかかわる本質的な、宿命的な課題を、これらの流派もまた克服できていなかったということに帰せられる。そして、この課題は、おし拡げれば、日本の近代化の不完全さ、社会構造の非論理性、後進性ということにもつながり、その面から、明治以後の日本の近代文学全般の問題にもつながるものであった。
 (「戦後詩人論」『吉本隆明全集4』P302-P303 初出 1956年7月)
 
 
A
 
戦後「荒地」グループが直面した問題は、だから自我意識を現実体験によって深めながら、そこに詩の態度をすえ、しかも如何にして日本の詩の表現にまつわる非論理性、平板性、無思想性を超えうるかという点にあったことは疑いをいれない。このことは、「荒地」の詩人たちによって、技術より態度へ、意味の尊重へ、モダニズムを継承することによって反モダニズムへ、というように幾通りものいい方をされてきたが、帰するところは、この点にあった。
 わたしの見るところでは、黒田三郎のような例外的な詩人を除いて、この問題は「荒地」グループにおいては、西欧の同時代詩の論理的な発想と、現実意識と、主体性とを原型としながら、如何にして詩をかくことによって、
日本の社会的な現実に対応する感性の秩序の深層にまで変革の力をもたらしうるかという課題としてあらわれたのである。結論風に云えば、「荒地」グループの現在までの詩業は、この課題を充分に解決しえているとは云えない。詩の表現を、技術として取り出し、適用することに成功した詩には、どこかに西欧的な発想を模写したところからくる安定性と異質性があり、日本的な社会現実や現実意識と、どこで接触するかが不明瞭になっている。しかし、この問題の本質的な解決は、日本の詩のコトバが論理性をもたない限り不可能でありまたそのためには、日本の社会構造が論理化されなければ不可能である。
 (「同上」P304)
 
 
B
「荒地」グループが、戦後の現代詩にもたらした最大の功績は、内部世界と現実との接触する地点で、未だ、無限に詩の表現の領域が存在していることを啓示してみせた点にあるというように総括できそうな気がする。このグループの出現によって、日本の現代詩は、いちじるしく内面性を拡大したことは疑いを容れない。このことは、即物的な形象によるのでなければ、詩を成立させることが不可能であると考えているかに錯覚されるほど平板な戦前の詩と比較するとき明瞭である。
 (「同上」P304)

備考
 なぜ文学に自己の内面の論理化や言葉の論理化が必要なのかという疑問が起こり得るはずだからそれに触れておく。
 文学も思想も表現世界の別はあっても個の表現ということでは同一である。そして、芸術が自立する以前の太古には、芸術以前の言葉は自然(神)に呼びかけたり集落の人々に語りかけたりしながら、人々のある切実な真や願望を語ってきたものと思われる。そこから自立した芸術や思想の無意識的な根底に横たわっているものは、どんな表現であっても、現在風の言い方をすれば、人や世界について、よりよい関係、よりよい有り様を追い求めるもの、ひと言で言えば理想を追い求めるものと言えるのではないだろうか。このように捉えるならば、文学や思想における「内部の論理化」や「言葉の論理化」は避けられない問題として浮上してくる。ここでの若い吉本さんの場合は、戦争−敗戦の自分や人々の負の体験の促す強度のほうが強く前面に出ているように思われる。

 この論考での戦前と戦後の詩の対比から、詩の世界で詩人たちが表現上で当面している具体的な諸問題が詩史論的なモチーフの推移として捉えうるように表現されている。

 この論考は、詩について述べられているが、このことはあらゆる芸術や政治など他の人間的な領域についても同質の構造的な問題を抱えているものとして捉えうるように思われる。





項目ID 項目 よみがな 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日 抜粋したテキスト
440 内部の論理化4 ないぷのろんりか 「文学者の戦争責任」 論文 『文学者の戦争責任』1956.9 吉本隆明全集4 晶文社 2014.9.30

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わたしの戦争期と戦後にかけての内的格闘のあと 不可欠の条件
項目
1

@
 これらの発言(引用者註.清岡卓行、谷川雁、平林敏彦の文章を引用して)は、要するに批判者に戦争責任を追及する資格があるか、わたしたちはすべて戦争にたいして共犯者だったのではないかという点にある。もし、わたしが、十代から二十代はじめにかけての自分の戦争観と体験を記述することに公共的な意味があると考えるならばそれを記述することは雑作ないが、そんな自己告白に何の意味があるのだ。
わたしは、わたしなりに戦争期の自己の内部的、現実的な体験を生涯にわたって重要なポイントをなす体験と考え、その考えの下に「高村光太郎ノート」(戦争期について)をかいたのだが、自己の体験を単に告白することによって公共的な問題を引き出しうるなどと自惚れたおぼえはない。しかし、わたしの奇妙な論敵達が指摘するほど、それに触れていないわけではない。まずこれらの論者たちは、自ら誇る文学批評的眼力によって、わたしの詩人文学者の戦争責任にかかわる批評を読み通すべきではないか。そこに、わたしの戦争期と戦後にかけての内的格闘のあとが読みとれないようでは文学を語る資格はない。


A
 戦争期の日本の詩、文学の問題を論ずる場合に、その挫折が、文学の方法上の欠陥、それと関連して日本の社会構造の欠陥と密接不可分の問題であるという認識が必須の条件なのだ。それと共に、戦争期の体験を、どのように咀嚼して自己の内部の問題としながら戦後十年余を歩んできたか、そしてその戦争期の内部的体験を戦後十年余の間にいかにして実践の問題(これは文学的表現の意味にとっても、社会的実践の意味にとってもよい)としてきたか、いわば戦後責任をどう踏まえてきたかということが、この問題を論ずる場合に不可欠の条件である。わたしは、一連の戦争責任にかかわる批評のなかで、この二つの条件を一度も手離してはおらぬ。わたしの奇妙な論敵たちは、たんに戦争詩をかいたとか、かかなかったとかいうことで、わたしが前世代の詩人たちを批判しているかのように故意に誤読している。このような誤読は、論者たちの文学青年的心情、典型的な日本の文学者根性からして当然なのだ。かれらは、戦後十年余、自分が戦争期の体験をどう踏まえてきたのかに申し合わせたように触れておらぬ。
 (「文学者の戦争責任」『吉本隆明全集4』P325-P326 初出 1956年9月)

備考
 文学の表現者でも、素人の趣味的な世界の延長に居る者もいるだろう。つまり、文学という世界に流れ込むあるいは流れ込んで蓄積し潜在し続けている人や人の世の修羅のようなものの存在に対して無自覚にあるいは無意識的に、「自己慰安」の表現を成し続ける人々もいるだろう。そのこと自体が責められるべきかどうかという問題ではない。しかし、専門的な表現にのめり込んでいく者は誰もが意識しようがしまいがそれとの遭遇を避けることはできない。

 人は誰でもこの社会のどこかに生活の場所を占める。そして、大多数は職場に入り仕事をする。例えば学校の先生になって仕事をしていたら、(あなたはこのことに対してどう振る舞いどう対処するのか)というように自己倫理を問われる場面が必ずあるはずである。このことは、どんな職業であっても職場の倫理と自己倫理が同調したり、ある場合には職場の倫理に反した自己倫理からの行動もあり得る。職場で何か社会的に波及するようななトラブルに出会わない限り、一人一人は自己倫理と自分の行動とがたえず内的に対話しながら日々生活することになるだろう。中には、自分の趣味に叶う仕事をしていてそういう対話の度合いが少ないという人々もいるかもしれない。

 このように人が小社会の具体的な場で活動するとき、一般には個人性と社会性がぶつかり合うことによってそういう自己倫理と自分の行動とがたえず対話し続けることは避けられないことである。そしてその対話がある臨界値を超えてしまったらその職場を去るということもあり得るだろう。同様に、文学という幻想的な個人性と社会性の場においても、同様の自己倫理と自分の行動(表現)との対話は避けられない。しかも、戦争中のように、作家−読者−国家・戦争という社会性の中に表現が飲み込まれてしまうこともあった。こうした状況を踏まえれば、専門の表現者たちが、幻想の社会性つながりの面では自分の表現に対する責任と倫理とが問われるのは避けることができないと思われる。





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441 内部の論理化5 ないぷのろんりか 「現代詩批評の問題」 論文 『文学』1956.12 吉本隆明全集4 晶文社 2014.9.30

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構造 同型 昭和初年からの現代詩の動向
項目
1

@
 
政治をみすえる眼と、文学をみすえる眼とは、内部において同一でなければならぬ。いいかえれば、政治を実践する原理と、文学を表現する原理とは内部で統一されていなければならない。したがって政治的な実践の構造と、文学の表現の構造とは同型であって、これは内部の現実意識の構造にひとしいものだ。
 政治と文学とのちがいは、いわば政治の問題が、内部世界を論理化してゆく方向に成立するのに反して、文学の問題が、内部の心理的な要素も、論理化された要素が外部の現実とぶつかって生みだす異質の心理的な要素をも、表現のなかに含むということだけである。ここまでくれば、わたしたちは直ちに社会的実践に身を投ずることも、文学の創作に従うことも内部的、主体的に可能である。事実それは可能なのだ。
 (「民主主義文学者の謬見」『吉本隆明全集4』P329-P330 初出 1956年10月)


A
 (引用者註.日本のモダニズム詩運動について)詩から意味、思想というような内容をきり棄てることは、創作過程で詩人の内部世界と社会、生活、政治、環境というような外部の現実との内面的なかかわりあいをきり棄てるということを意味している。
 (「現代詩批評の問題」『吉本隆明全集4』P355 初出 1956年12月)


 いわば、モダニズム詩は、コトバの芸術性を内部の現実意識によって裏づけえなかったため、社会情勢の変化するにつれて色褪せて、都市庶民の生活情緒の意味づけにまで退化し、プロレタリア詩は政治的な弾圧をこうむって組織が解体すると、もともと内部世界と外部的な現実世界との対応性がつきつめられていなかったから、詩意識の内部的なリアリティを表現するところに血路をもとめる術をしらなかった。そこに下層庶民の生活意識を情緒的に表現する道がのこされただけであった。
 詩史的にみると、モダニズム詩とプロレタリア詩の衰退のあと、『四季』が創刊され、いわゆる「四季」派の抒情詩が現代詩の主流を占めてゆく事情が成立している。
 
社会的な考察をくわえれば、「四季」派の抒情詩は、たんにこの派の詩人たちに固有な詩意識の所産だというよりも、衰退したモダニズム詩と、プロレタリア詩が陥ちこんだ集中点とかんがえるほうがより適切である。それは、昭和十年代を前後する社会的な現実の構造に、過不足なく従属する感性の秩序の所産であって、そこで示された「純粋さ」の概念は、西欧の近代詩が示しえた意識の原型と、似ても似つかぬ孤立した情緒に外ならないものであった。だから、現代詩がコトバの芸術性と、意味の文学性を適度に削り取られたあとの、混合された内部世界と現実世界が、消極的にあらわれたものだと理解することができる。
 (「現代詩批評の問題」『吉本隆明全集4』P360 初出 1956年12月)


 昭和初年、モダニズム詩とプロレタリア詩によって、現代詩が、コトバの形式主義と、意味の文学性とに引き裂かれた状態を、ふたたび検討し綜合する方法を見出さないかぎり、
現代詩の孤立性はさけられないであろうとかんがえられる。
 (「現代詩の発展のために」『吉本隆明全集4』P371 初出 1957年1月)


備考
 吉本さんの成してきたことを現在から時間的な逆行の視線で眺めると、@のように、主体の内部世界と外界との関わり合いの構造や主体の表現ということについて、「文学」と「政治」のように対立的やそれぞれ無縁のものとして捉える(どう捉えようと人の主観性の自由ではあるが)のではなく、若い頃から吉本さんは一貫した方法的な、構造的な視線を持続してきたように見える。

 Aは、戦時体制への社会的な動向と対応する詩人の内部世界と詩の表現運動の変動、及び転落。モダニズム詩とプロレタリア詩から「四季」派へ。

 「四季」派の詩の本質的な批判は、「『四季』派の本質―三好達治を中心に―」(1958.4)において成される。





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443 内部の論理化6 ないぷのろんりか 「定型と非定型」―岡井隆に応える― 論文 『短歌研究』1957.6 吉本隆明全集4 晶文社 2014.9.30

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内部世界の構造が外部の現実と相互に規定しあう 短歌作品の感性の秩序
項目
1

@
 しかし、定型詩から非定型詩へと展開した近代詩の歴史を自覚しながら詩をかいているわたしが、口語破調の試みに同情的であり、口語破調を試みるなら散文(小説)の発想から徹底してかからなければ成功はおぼつかないと考えるのも当然である。・・・中略・・・
現代詩も現代短歌も明治以前にさかのぼれば、短歌を共通の詩的遺産とすることに思い到れ。わたしは、既に古典詩人としての「蕪村」や「西行」を論じてこれら俳人や歌人の作品を現代詩への遺産として照明している。岡井ごときの幼稚な短歌を論ずるのにマトを外すとおもうか。
 (「定型と非定型」」『吉本隆明全集4』P428-P429 初出 1957年6月)


A
 岡井は、読みもしない
元良勇次郎の詩論(「精神物理学」〔九・十〕『哲学雑誌』明治二十三年七・八月)を「多分幼稚なものだったろうと想像する」などと云っているが、今後はこういう文学青年じみたはったりは云わぬようにせよ。そんな根性ではロクな歌人にはなれまい。
 元良の論文は、岡井のような無学な歌人が逆立ちしてもできない方法と論理で、何故、日本の詩歌が、五・七律を主体とするかを「精神物理学」的に考察している。
わたしが、五・七律に表現される感性の秩序と、現実の秩序を対応させて考えようとするとき、元良勇次郎の労作を思い浮かべるのは、当然なのだ。「お供をつれて」などとふざけたことをいうな。
 一首の短歌を、感性の側面からみるとき、作品のなかに一つの感性の秩序が完結しているという統一感がある。ところで、
内部世界の構造が外部の現実と相互に規定しあうものだ、ということを信ずるかぎり、もし、歌人が現実社会にたいして何も反抗をもたないならば、その歌人の内部世界の構造は、現実の構造と型をおなじくするであろう。
 これを感性の側面から云って、歌人が現実社会の秩序に何の異和感をももたずに作った短歌作品の感性の秩序は、現実社会の秩序と構造を同じくするであろう。

 しかも、歌人が、現実社会の秩序に異和感をもたないばかりでなく、社会の歴史的な発展過程にたいして意識的な批判をもたないならば、彼は、
日本の詩歌の原始律である五・七律のワクのなかで、しかも現実の秩序とおなじ感性の秩序で短歌を作るであろう。
 だから、現在の社会秩序に反抗をもち、社会の歴史的な段階を意識する歌人は、当然、日本詩歌の原始律五・七調と、そこに表現される感性の秩序とにたいして、変革の意識をもつはずだ、という主張が成立するのだ。・・・中略・・・
 
わたしは、明治以後の近代においては、短歌が真の意味で蘇ったとはおもっていないのだ。もし、そう思っていたら、詩などかかずに短歌をかくに定っているではないか。わたしは、近代の短歌が、明治以来蘇ろうとして、苦悶し、今なお岡井のような舌足らずの試みや、赤木のような中途半端な口語短歌の試みがなされているのを知っているだけだ。
 (「同上」P429-P430 初出 1957年6月)

B
 短歌は、古代社会から存在している。そして、俳句は、分権的封建社会から集権的封建社会にかけての町人ブルジョワジイの発生、興隆に対応して生まれている。近代詩は、長歌や俳句的長詩とヨーロッパ詩歌の影響下に、明治以後の近代社会に生まれている。もちろんこういう
発生史的考察を密にしてゆけば、近代社会に対応する詩型は、近代詩であって近代短歌ではない。わたしは、この考察を本質的には肯定する。しかし、公式的にこの考察をふりまわしたくないのは、わたしたち昭和時代の人間の感性の秩序といえども、原始的な感性の秩序を反すうしたり、これと対決したりしながら発展し、感性の変革の原理をつかむものであり、社会的にも、古代社会からの日本型の秩序の構造を反すうしたり、これと対決したり、いいかえれば、これとかかわりあいながら発展し、また変革の原理を獲得してゆくものだからだ。
 (「同上」P430-P431 初出 1957年6月)

備考
これはまだ若い20代終わり頃の岡井隆との論争である。

表現された作品世界を捉える場合の幹となる基軸。歌人の内部世界の構造とそこから表現された短歌作品の感性の秩序との関わり。
{
「原始的な感性の秩序」や「日本詩歌の原始律五・七調」は、表現やなんらかの形でわたしたちの現在にまで保存されて来ているということ。ちょうど、幼少年期や青年期などがわたしたちの現在に内在しているように。





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444 内部の論理化7 ないぷのろんりか 「番犬の尻尾―再び岡井隆に応える―」 論文 『短歌研究』1957.8 吉本隆明全集4 晶文社 2014.9.30

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日本の詩歌の三種、近代詩、短歌、俳句の発想の異質さ 詩型に含まれる感性の構造の断層 詩人の内部の世界と現実との格闘
項目
1

@
 
日本の詩歌の三種、近代詩、短歌、俳句の発想の異質さは、何によるのだろうか。第一は、発生史的な相違による。古代社会に古代人の意識の産物として生まれた短歌と、封建社会に町人ブルジョワジイの意識の産物として生まれた俳句と、近代社会に近代的インテリゲンチャの意識の産物として生まれた近代詩の、意識(主として感性と漠然と呼ばれている要素が関係する)と下部構造との関係の相違によるのである。第二に、第一の問題から派生する定型と非定型が文学的内容とかかわる、かかわりかたがちがうのである。
 この二つの日本詩型の発想上の異質さは、ヨーロッパ近代詩における、自由詩と押韻詩との相違と同日に論ぜられない、断層があるのである。この断層を、本質的に規定しているのは、わたしの理論では、下部構造によって規定され、下部構造を規定し返すところの
詩型に含まれる感性の構造の断層である。もし詩に関することでなければ、もちろん「感性」というコトバの代りに「意識」というコトバを用いるべきである。
 
わたしが、この理論をもとにするかぎり、日本の現代詩歌の課題は、この近代詩と短歌と俳句との間にある発想上の断層を、解消する条件を見出すことにかかってくる。この条件が見つかれば、詩と短歌と俳句とは、たんに非定型長詩と定型短詞との相違にすぎなくなるのである。


 
わたしが、日本の詩歌の現状を基にするかぎり、このような段階における日本の詩歌の発想を統一する原型は、文学的内容、いいかえれば、詩歌におけるコトバの文学性に求めざるをえないのだ。そして、この文学性は、散文(小説)的発想からする文学性とまったく同一なものを指している。
 (「番犬の尻尾―再び岡井隆に応える―」『吉本隆明全集4』P438-P440 初出 1957年8月)


A
 日本の近代詩が、日本文学全体への影響を失って分裂したのは、
わたしの実証的な考察によれば、有明、泣菫らの象徴詩運動以後である。すくなくとも、新体詩から藤村までは、日本の文学において詩の問題はいつも文学全般の問題にさきがけて提起され、さきがけて新たな課題を解決してきたのだ。では、何故に、有明、泣菫らを主導者とする象徴詩において、近代詩は日本の文学における主導性を失ったのだろうか。それは、象徴詩が、詩の思想性というものをコトバの格闘によって表現しようとし、形式上の格闘と文学的内容上の格闘を分裂せしめたからであった。詩における文学的内容上の格闘は、いうまでもなく、詩人の内部の世界と現実との格闘によってしか生れない。ところが、象徴詩人たちは、漢語の視覚と音感効果および七・五調の複雑化によって詩の思想性の複雑化を企てようとした。象徴詩は、第一に形式と内容との分裂によって、第二に文学的内容を軽視してコトバの格闘におもむくことによって、日本文学全般の主導的な位置を転落したのである。
 (「同上」P441 )


B
だから、もちろん現代詩は、そのコトバの上の格闘と文学的内容性とを綜合することによって日本文学全般を主導することができると確信し、そのために奮闘してきた。今後もそうするであろう。この男(引用者註.岡井隆のこと)は、何という馬鹿者だ。日本の詩歌を、日本の文学全般とかかわらせるには、先ず、第一段階として、詩人や歌人が小説や評論を論じ、文芸批評家が、詩や短歌や俳句を、本格的に批評する風潮をつくることが大切なのだ。
 (「同上」P442 )

備考
Bについて、吉本さんの晩年における「現代詩」の状況把握については、項目442「現代詩と大衆のつながり」を参照のこと。





項目ID 項目 よみがな 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日 抜粋したテキスト
445 内部の論理化8 ないぷのろんりか 「芸術運動とは何か」 論文 『綜合』1957.9 吉本隆明全集4 晶文社 2014.9.30

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芸術家の内部世界と外部の現実 認識された現実 生のままの現実 内部世界のイデオロギー部分と心理部分
項目
1

@
 わたしたちのかんがえでは、
芸術創造の原動力は、芸術家の内部世界と外部の現実とのかかわりあいのなかからうまれてくる、という古典的な本質論は前提として承認せざるをえない。しかし、わたしたちが、多くの芸術上部構造論者とちがうのは、このようなかかわりあいが二重の対応関係のうちにあると主張する点にある。いうまでもなく認識された外部の現実と、実際の外部の社会的現実とを混同してはならない。芸術創造の原動力となるのは、このような混同をさけていえば、認識された外部の現実が、内部世界のイデオロギー部分と心理部分とにあたえる反映と、逆に内部世界が認識された外部の現実にあたえる反映とのあいだに起こる循環にほかならない。芸術作品の政治的価値と芸術的価値を、内在的な意味で決定するのは、認識された現実が内部世界に反映して形成された現実意識のイデオロギー部分と心理的部分とにほかなるまい。
 このような関係は、実際の現実と内部世界とのあいだにも成立することはあきらかである。わたしたちの主張を、おおくの上部構造論者と区別するのは、
認識された現実と内部世界のあいだの循環と、生のままの現実と内部世界とのあいだの循環とは、混同されてはならないばかりではなく、この二つの循環には対応関係が存在するという点にある。いいかえれば、芸術家は、芸術創造のさいには前者の循環の過程にあり、実行(実生活から芸術運動にわたるすべてを含む)の場合には、後者の循環の過程にあり、そのあいだに対応関係が成立するということである。わたしたちのみるところでは、芸術の上部構造論者のおおくは、この二つの循環を混同したまま一元的に行使しているようにおもわれる。芸術が上部構造であり、芸術家が上部構造の担い手であるという意味は、生のままの現実と芸術および芸術家のあいだの関係をさしている。しかし、芸術家の内部世界と芸術作品のあいだにも、いわば内部的上部構造論ともいうべき関係が成立する。芸術作品は、認識された現実が芸術家の内部世界にあたえた反映の具体的なひとつの形体にほかならないということができる。


A
 過去の芸術運動において、芸術作品の芸術的価値と政治的価値とは何か、という問題が提起されたとき、論者たちはすべて、芸術的価値ということで、内部価値の問題を、政治的価値ということで効用価値の問題をかんがえてきた。この問題が、けっして解決しえなかったのは、当然である。論者たちの価値のいたちごっこは、
認識された現実と生のままの現実とをはじめに混同したためにうまれた。わたしたちの理論からは、芸術の政治的価値にも芸術的価値にも、二重の構造があることがただちに指摘される。すなわち、認識された現実が芸術家の内部のイデオロギー部分に反映したものが芸術の内在的な政治的価値を決定し、心理的部分に反映したものが芸術の内在的な芸術的価値を決定することが一つと、他の一つは、何のために役だつものを芸術的価値ありとし、政治的価値ありとするか、という外在的な効用価値の問題である。わたしたちの理論からあきらかなように、この内在的な芸術的価値と政治的価値は、効用的なそれと対応しているのである。
 (「芸術運動とは何か」『吉本隆明全集4』P467-P468 初出 1957年9月)

B
 すでにあきらかなように、芸術家は内部の世界を認識された現実とかかわらせることによって芸術作品を創造し、生のままの現実とかかわらせることによって実行(実生活から芸術運動にわたる)するものである。
 (「同上」P469)

※@ABで、「認識された(外部の現実)」や「実際の(外部の社会的現実)」や「生のままの(現実)」などに付された傍点は、省略している。



備考
この当時から吉本さんが三浦つとむとつき合いがあったかどうかは知らないが、この文章から三浦つとむの論理力の影響のようなものを感じた。また、吉本さんの軌跡を後から振り返ってみれば、これらの表現は後に整序され構造化されていくものの萌芽のようなものとして見ることができる。

当時の文学や思想にあふれていた「俗流マルクス主義芸術理論」や「反マルクス主義批評」などに対して、たぶんうんざりしながらも本質的な批評や思想への意志、論理化の欲求が感じられる。

@で、「内部世界のイデオロギー部分と心理部分」というのは、後の『共同幻想論』(1968年)によれば個の中の共同性に関わり合う領域と個の中の固有の自己幻想の領域に対応するものと思われる。芸術作品の政治的価値はその後ほとんど取りあげられていないように思うが、芸術作品の芸術的価値は『言語にとって美とはなにか』(1965年)によれば、主に自己表出が担うものとされる。





項目ID 項目 よみがな 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日 抜粋したテキスト
446 内部の論理化9 ないぷのろんりか 「日本近代詩の源流」 論文 「現代詩」1957.9-1958.2 吉本隆明全集4 晶文社 2014.9.30

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七・五定型のなかに、芸術性と文学的意味とを結合 政治と文学論争
項目
1

@
 
透谷の事業の勝利とは何か。それは、じつに七・五定型のなかに、芸術性と文学的意味とを結合しえた最初の詩人であるところにあった。透谷の敗北とは何か。『楚囚之詩』の律調を、七・五調にまで後退せしめたところで、想世界を現実世界に対決させざるをえない程、明治二十年代後半の日本の社会が、この詩人を追い詰めていったところにあった。 愛山の「詩人論」の理論的な意味が指さすところに、やがて与謝野鉄幹があらわれ、透谷の内部生命論が指さすところに、やがて島崎藤村があらわれる。
 透谷、愛山論争(引用者註.「現在のコトバでいえば、
政治と文学論争」P533)は、形をかえいまに終ることはないのである。
  (「日本近代詩の源流」『吉本隆明全集4』P540 初出 1957年9月〜1958年2月)


A
 
当時の近代詩の発展段階では、七・五定型のなかに、自我と現実との葛藤を投入しようとするとき、どうしても一種の「物語性」ともいうべきものを仮構し、そこに内面を仮託せざるをえなかった。そして、この問題を、もっとも徹底的につきつめて「楚囚之詩」をかき、ついに『透谷集』の試作品まで後退していったのは、透谷であった。藤村もまた、「花」とか、「旅人」とか、「落葉」とか、「風」とかいう、花鳥風月的な常套語を使って、近代的自我の葛藤を詩に表現しようとする矛盾にみちた作業を、透谷とおなじように、「物語性」に託しながらはじめていったのである。
  (「同上」P543 )


B
 自由民権運動の渦中から生まれた透谷=藤村の詩業と、ナショナリスム運動の渦中から生まれた鉄幹の詩業と、この二つの象徴する問題のなかに、いわば、日本近代文学における「実行と芸術」、「政治と文学」の課題のすべては集中的にあらわれている。
  (「同上」P555 )


 鉄幹門下には、啄木、光太郎、白秋、杢太郎等の詩人があつまる。かれらは、みな初期において、大なり小なり
鉄幹調の模倣者であった。はじめに鉄幹のような意味で、ナショナリスム意識を抱いた詩人は、いなかったが、これらの詩人たちは、その詩的生涯のどこかで、近代意識とナショナリスム意識との矛盾、対立、融合を体験し、挫折せざるをえなかったのである。啄木もまたこの例外ではなかったのである。
 かれらの内部で、近代意識が反権力と結びつくことなく、後進国ナショナリスム意識が反権力と結びついたため、ことごとく実行上と理念上の矛盾に、耐えられなかったのである。
  (「同上」P560 )


 透谷、藤村、鉄幹の詩業を総括してみながら、わたしの胸中には
ただひとつの課題がうかんでくる。
 それは、透谷、藤村、鉄幹という、まったく対照的な思想的問題をはらんだ詩人たちを、一つの地点から貫通して否定的に克服できうる方法は、どこにありうるか、ということである。事実、かれらは、おなじ一つの根からうまれ出たものであった。鉄幹は、『東西南北』のなかの「詩友北村透谷を悼む」において、

 世をばなど、いとひはてけむ。詩の上に、
       おなじこゝろの、友ありしを。

 とかいている。「おなじこゝろ」とは、ただ、透谷も鉄幹も、実行世界から詩世界へ近づいたという点にあるのではない。また、詩のうえで、コトバの芸術を目指さず、ただちに自我意識上ありあまる現実的問題を、詩のうえに投げいれたという点にあるのではない。
透谷の指向した革命的近代意識と、鉄幹の指向した国権的革命意識とが、おなじ系譜のなかの双生児に外ならなかった点にあった。そして、もちろん、わたしたちが否定的に媒介すべきものは、このうちのいっぽうではなくして、双方であり、この双方が、おなじ一つの根底から発しているところの、そのものである。
  (「同上」P561-P562)













B「鉄幹調」について(鉄幹の「人を恋ふる歌」出だしより)

 妻をめとらば才たけて
 顔うるはしくなさけある
 友をえらばば書を読んで
 六分の侠気四分の熱

 恋のいのちをたづぬれば
 名を惜むかなをとこゆゑ
 友のなさけをたづぬれば
 義のあるところ火をも踏む

 ここには、まことに男性流に都合のいい「妻」の理想像と、壮士風の「友人」の理想像が主張されている。
・・・中略・・・
 言うならば、鉄幹の男女の関係にたいする理想は、男性に従属的な女性に出遇うことである。鉄幹の男性同志の友情はいわば、「恋愛」的友情である。この倒錯感情は、日本ファシスムの感情的な系譜のなかに一貫してながれているものであった。
 家父長制度における男女関係と男性関係とを、そのまま、社会的な諸関係のなかに拡大するとき、わたしたちは、その典型的な感覚的ヒエラルキイが、この男女の関係にたいする男性的倒錯に対応することを理解することができる。
 (「同上」P557-P558)


 この与謝野鉄幹の「人を恋ふる歌」は、旧制高校で高歌放吟されていた寮歌と通じるものがある。たぶん島崎藤村の詩の和語的なやわらかさとは対照的な、内在律としての漢文書き下し調の七五調が共通しているものと思われる。ちなみに、わたしの大学生の時の寮でも寮歌やストームなどまだいろんな過去のものが残留していて、旧制五高寮歌「武夫原頭に」(七五調)も意味がよくわからないままに時々歌っていた。歌うのは、寮祭以外でも酒を飲んでいるときがほとんどだったと思う。鉄幹の「人を恋ふる歌」との共通性が感じられると思う。現在から見たら漢文書き下し調で七五調の生硬さが感じられる。しかし、当時の表現の水準ではそこまでが獲得された表現の自然さの限界だったのかもしれない。


 武夫原頭(ぶふげんとう)に草萌えて
 花の香(か)甘く夢に入(い)り
 竜田(たつだ)の山に秋逝(ゆ)いて
 雁(かり)が音(ね)遠き月影に
 高く聳(そび)ゆる三寮(さんりょう)の
 歴史やうつる十余年

 夫(そ)れ西海(さいかい)の一聖地(いっせいち)
 濁世(だくせ)の波を永遠(とわ)に堰(せ)き
 健児が胸に青春の
 意気や溢るる五高魂(ごこうこん)
 その剛健の質(しつ)なりて
 玲瓏(れいろう)照らす人の道
 (「武夫原頭に」2/5)


 ところで、詩人の伊東静雄は、大正12年(1923)4月に旧制の佐賀高等学校に入学している。伊東の友人である大塚格宛ての書簡によるとそこで寮歌などを高歌放吟していたようだ。また、伊東は激情的な感受性の持ち主でもあった。書簡(『伊東静雄青春書簡―詩人への序奏』 大塚梓・田中俊廣編)から判断すると、若い伊東静雄の文学や思想に影響を与えたのは、「文学界」の島崎藤村らと当時の『三太郎の日記』や西田幾多郎などの哲学だろうと思ってきたが、旧制高校の寮歌と同質性を持つ与謝野鉄幹の「人を恋ふる歌」などの系列の影響も付け加えておかなくてはならない。伊東静雄は、大正15年・昭和元年(1926)4月 京都帝国大学文学部国文科に入学している。大正15年(推定)の書簡に次のような詩を書き留めている。
この詩の前に、「京に参りて一と月を経ぬ」とある。


 あゝ我は詩人(うたびと)
 永久の詩人
 世破らば破れ
 人そしらばそしれ
 あゝ我は詩人
 永久の詩人

 我は天地の真子
 血統(ちすじ)正しき天地の真子、
 我が目つねに神を見
 我が耳つねに自然の声をきく
 我天地の真子
 血統正しき天地の真子、

 我森より生まれし素朴の子
 我が求むるは心理の泉
   (あゝされど今我真理てふ言葉に
    さへ大きなる疑を持つに至れり)
 常識の木の実は我を毒し
 伝統の古木は我を圧せん
 今人々は汝を嗤ふ
 されどしばらく笑声に耳をふさげよ

 常識の木の実は前に盛られ
 破滅の刃は背後に光る、
 前の美味をえらぶか
 後の刃を首にうけんか
 あゝ我は詩人
 我がとらん所も亦明なり。
  (『伊東静雄青春書簡―詩人への序奏』 P102-P104)


 与謝野鉄幹の「人を恋ふる歌」や旧制高校の寮歌との表現の同質性が感じ取れると思う。ちなみに、この漢文書き下し調の表現は、昭和10年(1935)10月に出された第一詩集『わがひとに與ふる哀歌』にも引き継がれている。このような生硬に見える表現は、伊東静雄が敢えて意識的に選択していた節がある。いわば「常識の木の実」や「伝統の古木」に対する反発やそれらに対する否定的な表現として。





項目ID 項目 よみがな 論名 形式 初出 所収 出版社 発行日 抜粋したテキスト
内部の論理化 ないぷのろんりか 論文 吉本隆明全集5 晶文社 2014.12.25

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